「あらま、人里で自殺ブームだって。天狗ももうちょっとこう、オブラートに包んだ書き方ができないもんかなぁ」
空から降ってきたばかりの新聞をざっと斜め読みして、霊夢は頭をもたげた。新聞は再び宙を舞うと、傍で寝そべっていた魔理沙の顔面にすとんと落ちる。
「なんだよそれ」
「読めばわかる」
「あー? なになに、最近人里の主に少年少女達の間で自殺が流行っている……人間から幽霊になれば生活が楽に、毎日遊んで暮らせる、パワーアップできると安易に考えて……なんだよそれ。いやいや、なんだよそれ!」
くしゃくしゃに丸められた紙が明後日の方向に飛んで行く。霊夢は慌ててそれを拾いに行った。境内に物を捨てることなかれ。つい昨日立てたばかりの標識を指差す巫女に、客人は謝るそびれを見せぬどころか逆に怒り心頭だ。
「こいつらは、命を何だと思っているんだよ!」
「あんたこそ、人の敷地をゴミ箱か何かだと思っているの? 怒るわよ」
「それどころじゃないだろ! 一大事じゃないか! 何とかしないとなぁ……」
「アホが勝手に死んでるだけでしょ。管轄外じゃないの」
「霊夢お前!」
魔理沙が起き上がって大地を蹴るまで約二秒。霊夢の投球はそれより早かった。新聞紙製の自機狙い弾は魔理沙の口に吸い込まれ、体を再び横にさせる。異物を吐きだす頃には霊夢の顔が間近にあって、冷たい眼差しを向けていた。
「人間が起こした異変を私が解決することはできない。わかるでしょ」
「妖怪が裏で手を引いている可能性は? いくらアホだと言っても、人間が、今年に入って二十三人もだぜ。おかしいと思わないか?」
「だとしても関係ないわよ。それは魔理沙だって同じでしょ? ねぇ家出娘」
魔理沙はカッとなって思わず眼前の頬を打つが、すぐに謝る。叩く前より相手が涙ぐんでいたことに気づいたからだ。霊夢は気にしなくていいと言いつつ目元を抑えた。
「こんなのはおかしいと思うぜ」
「そうでもないと思うよ。皆が皆魔理沙みたいに強くない、強くなろうと努力もしないんだから。簡単に人間を捨ててしまう者だっていても仕方ない気がする」
「弱いぜ、お前よりずっとな」
「弱さを知ってるから強いのよあんたは。本当に弱い者は、己の弱さに耐えられないのねきっと。私はなまじ最初から強いから弱い、理解できない、だから解決できないわ」
霊夢の勘は告げていた。今回の異変は異変ですらなく必然で、きっと誰にも解決ができないと。それでも魔理沙は飛んで行く。誰から頼まれたわけでもなく。そんな彼女を霊夢は「優しいのね」と評した。
二十五人目の自殺者は五十三歳の女性だった。一昨年足を痛めて外出が困難になっており、また自由に歩き回れるようになりたかった、というのが動機らしい。しかし今は足そのものがなくなって浮遊しているのだからなんという皮肉だろう。
妖怪主体の幻想郷には人間によるまともな政治組織がないのが仇となった。個人では自殺をやめようなどと呼びかけたり標識を立てたりしていたがまるで効果がない。むしろ加速する一方だ。人間はやるなと言われるとやりたくなるし、皆やっているのだから自分も、というのが日本人である。
では妖怪の方はというとほとんどが無関心か、あるいは酒の肴としかしなかった。人間がいくら死のうが知ったことではないという態度だ。ところが幻想郷を管理している賢者達にとってはそうもいかない。事態を重く見て急遽関係者を集め会議を開いた。
無論彼らとて人命が大事だとかそういう思考などは持ち合わせていない。ただ人口の減少によって幻想郷を維持できなくなる事態を危惧したに過ぎなかった。妖怪にとって人間の存在は必要不可欠。そんなことは自明なのに動く者が少ないのはどういうことか。三賢者が一人八雲紫代理八雲藍はいの一番に毒づいた。
「動かないのではない、動けないのですよ。いや動きようがないのです」
「それは言い訳かな? 上白沢慧音」
「いいえ事実です。現に貴方の御主人もそうじゃないですか、代行殿」
円卓を囲んでちょうど向かい合わせの藍と慧音は互いを睨む。結界で仕切られた個室内の空気は張りつめていた。
「我が主と西行寺はすでに解決に向けて動いておられる。よってこの場を預かっているのは私なんですが? 責務を全うしていない貴方と一緒にされては困る」
「どういうことでしょう」
「人間の監視及び教育は貴方の役目だろう。だが貴方の教え子は何人死んだ? ハッキリ言ってここは弾劾の場なんだよ。わかるね妖夢?」
藍は首をガクッと横に倒して慧音の二つ隣の小柄な少女に視線を向ける。魂魄妖夢の腰に差した二本の刀はブラブラ揺れて音を鳴らす。
「私が、何かしましたか……? そもそも何故ここに……」
「わからないか? 妖夢、貴方はアイドルなんだよ。誰もがその武勇伝を知っている。皆貴方に憧れて亡霊に身を堕とした。白玉楼の庭師が人里で露出しすぎたな」
「そんな……私はただ……」
「待て、妖夢さんは悪くないだろう。そもそも冥界と幻想郷の境界を緩めたのは誰だ、えぇ? そちらの落ち度では!」
俯く妖夢に代わって反論したのは慧音だ。主を侮辱されたとなれば藍も自然と声が荒くなる。
「じゃあ今日の幻想郷の繁栄を築いたのは誰だか言ってみろ! 紫様のお考えは我らが到底図りえぬものだが、万に一つ問題を起こしたことがあったか?」
「それとこれとは話が別だ、こちらに責任を問うならばこちらも問わせてもらうがよろしいか」
「では私の責任とはなんでしょう? 私の著作も自殺幇助をしたとでも言うのでしょうか? そうだとしても確固たる証拠を提示できますか?」
「なんだ九代目」
九代目阿礼乙女こと稗田阿求は慧音と藍に挟まれても全く物怖じせず手を挙げた。幼い見た目に反して踏んできた場数は賢者達とそう変わりない。だが藍とて引かず、「証拠」を示してみせる。
「あぁ、鈴奈庵の貸出履歴を調べさせてもらったよ。自殺者のうち実に半数以上が一年以内に貴方の幻想郷縁起、それも第九版を借りている。霊や冥界の詳しい記述は勿論だが妖怪賛美的な内容が今回の件に少なからず影響している、というのが我らの見解だ」
「それは、そう書けと……貴方達の責任でもある!」
「書物とは、著作者が全責任を負うものでは? それに我々が介入したという証拠は残っていない」
「私が覚えています」
「口述の正しさを誰が証明する?」
なおも阿求は食い下がろうとしたが、見かねた三賢者の一人がやれやれと仲裁に入った。
「まぁまぁ藍ちゃんも稗田の嬢ちゃんも熱くならず、ね」
「私は熱くなどなっていません、天魔様。それに天狗の長たる貴方とて責任がないこともないですよ。マスメディアが煽っている部分も大きいと見ていますから」
「そうかい。だが問題はどうやって事態を収拾するか、でしょう。ここは裁判所じゃない、履き違えるなよ狐」
最年長の天魔に窘められて、さしもの藍も大人しくなる。しばしの沈黙の後、慧音の右隣りにいる和装の女性がここにきて初めて口を開く。
「良い事思いついた。幻想郷の縄という縄を取り上げればいいのでは」
「小兎姫ちゃん……それは無茶というものだよ」
「確かに。首吊り以外にも死にようはあった」
小兎姫とあだ名される少女は趣味で警察をやっている奇人であった。しかもまともに警察らしい仕事はしておらず、一般人の変装(本人によれば)をしてふらついているにすぎない。そんな彼女だが曲がりなりにも里の治安を預かっているということで呼び出されたのである。案の定場から浮いてしまっているが。
「誰か一人犯人がいればすむのにね」
そうならば簡単な話だと小兎姫は呟く。その場にいる者は誰一人として納得する素振りを見せなかったが、内心その通りだと思っていた。死因はほぼ首吊りで、何者かが毒薬を配ったというような事件性はなかった。だが連続性はある。加害者がいるとしたらそれは被害者と同一で、皆模倣犯だ。元が断たれても死は増え続ける。ゆえに難題であった。
これは幻想郷が直面した社会現象と言うべきもので、根本的な解決に至るには社会を変える他ない。ところが賢者達は現体制の維持を前提として取り掛かっている。であるからして、彼らにできる手立てなどたかが知れていた。
「やはり啓蒙しかあるまい」
その場はひとまず知識人の書いた自殺防止マニュアルを大量に印刷して天狗たちに配らせるということで話がまとまった。その他にも一定期間内における一部書物の閲覧制限と冥界・幻想郷間の交通制限などが決められた。
さてさてそれで効果はあったのだろうかと言うと、焼け石に水程度はあったようだ。なにせ法による拘束力などないのだから仕方がない。三日後には二十六人目の首吊り死体が見つかったという。この十八歳の男性は「どうせ人はいつか死ぬのだから、馬車馬のように働きヨボヨボに老いて苦しむ必要なんてないじゃないか、今のうちに死んでおくのが賢い選択だというのになぜ大人達はやめろと言うんだ」と若干苛立った様子で述懐した。
連日連夜、里の寺からはお経が聞こえてくる。最早これが日常だ。
そして朝焼けの妖気も人気も消え失せた時間になると決まって代わりに笛の音が鳴る。ピーヒャラピーヒャラ、すると埋められた死体達は墓場を抜け出し、覚束ない足取りで音のする方へ向かう。一体二体三体と、どんどん群れをなしていけば、ついには笛吹き女に出迎えられる。
いつもなら恍惚の表情を浮かべ一体一体口付けしていく彼女だが、今回は様子が違う。露骨に不機嫌さを露わにしていた。なぜなら仲間外れが一人含まれていたからだ。死体は語らないが、その異物は異物ゆえ口を開く。
「霍青娥、貴方が犯人です」
「どなたかしら。死体以外は帰って下さる?」
「あら? 死体の変装は完璧だと思っていたが。実は私、警察官の小兎姫なので貴方を捕まえて帰ります」
青娥は笛の中に隠したピンを取り出したなら、小兎姫の急所めがけて投げつける。弾幕ごっこではご法度の、殺意に満ち満ちた不意打ち高速急所狙い。しかし小兎姫はあっさり二本の指でピンを挟み止め、ポイッと捨ててみせる。これには青娥も驚いて、思わず拍手を送った。
「お見事」
「犯人より弱い刑事なんていない、これ常識」
「まぁ私犯人でもないし、負けませんけど」
容赦という言葉は青娥の辞書にはない。一撃目を止められた時点で彼女は新入りキョンシーに攻撃命令を下していた。
対する小兎姫も冷や汗一つかかない。飛びかかる死体を躊躇なく拳銃で撃ち抜く。ただの弾丸などでは効きもしないのだろうが、生憎特注の銀製であった。バンパイアにしろキョンシーにしろ、生ける屍は銀に弱いと相場が決まっている。からして頭のみならず全身がバラバラに砕け散った。
「窃盗・死体損壊・公務執行妨害の現行犯。言い逃れできませんよ」
「死体損壊で逮捕されるのは貴方の方でなくて?」
「警察は私一人で、誰も逮捕できないんですよ。私が法で、私が正義」
「ひどい話ですわ」
青娥は勿体無い勿体無いとぼやきながら散らばった肉塊を拾い集める。
「私はただのしがないリサイクル業者なんですよ。埋められてもう用済みになった体を有効活用しようと頂戴しているだけ。このままではお寺の墓地も満員になってしまいますし。あぁ見てくださいな、こんなにボロボロにしてしまっては芳香のスペアにもならないわ。どうしてくださるの?」
「ツケで」
「じゃあ見逃してくださる?」
「それはないです」
ポンッと青娥の前に一冊の本が落とされる。幻想郷縁起、そう表紙には書かれていた。しかしめくってみれば中表紙には別の題名が付けられている。
「何ですかぁこれ?」
青娥はわざとらしくとぼけた声を出す。鬼の首を獲ったように小兎姫は自信満々で説明した。
「完全自殺マニュアル。貴方が古書屋に流したものでしょう。入荷時期は去年でちょうど貴方が現れた時期と被っています」
「完全に言い掛かりじゃない」
「それからホシに貴方との接触があったという証言がいくつか」
「他愛のない話しかしてませんわ」
「つまり貴方が事件の黒幕だったと」
「そういうことにして、とりあえず場を収めたいだけでしょう」
青娥は頭に挿した簪を抜いて本に突き立てれば、穴がたちまち広がってそれを消滅させた。証拠を処分するだなんてまるで犯人みたいじゃないか。二人ともそう思い、青娥の方は思わず嘲り笑いが込み上げてきた。
もう時間を稼いで反撃に出たり逃げるのも面倒になったのか、青娥は両手を小兎姫の前に突き出す。唐突な問いと共に。
「ドクター・キリコをご存知で?」
小兎姫は首を横に振る。すると今度は勝ち誇ったかのような笑みを溢して、青娥は諭すように言った。
「まぁ知らなくて結構です。外の人ですから。志願者に毒薬を送っていた方で当然捕まったのですが、むしろ年々自殺件数は増え続けているそうですわ……己を殺すのは己の意思に他ならない。そこに遠巻きの願望などは挟み込まれる余地なんてないんです。私一人逮捕したところで何一つ解決しませんわ」
「……貴方は一つ勘違いしている」
手錠をかける小兎姫は困惑した表情を浮かべる。
「私は問題を解決しようなんていう気はさらさらなくて、里の皆がどうとか幻想郷の未来がどうとかよくて。ただ誰かを犯人にして捕まえたいだけで」
「自己満足のため?」
「そう」
「なんだ同類か」
そうして繋がれた二人は日が昇る方へ歩く。途中青娥は仲間にならないかと勧誘したが、小兎姫は弾幕の汚い相手には興味がないと振った。満面の笑みを浮かべながら。青娥は落ち込むポーズを取った。
それから日が沈む頃合いになれば、犯人は牢屋生活に飽きて脱獄。壁抜けの邪仙と名高い彼女を捕まえたままにしておくのは難業というものだ。けれど小兎姫はむしろ喜び、再度捕縛の準備をするのであった。
「人間なんてダッセェよな」
「幽霊の方が面白いよなァ。ススム、お前もなろうぜ」
夕焼け小焼け、寺子屋からの帰り道。三人の少年のうち一人は歩き、二人は浮いていた。地に足の着いた少年はすっかり変わり果てた親友に戸惑う様子で、それでも応じることはできないと申し訳なさを表す。
「……ターちゃん、シロー君、いい、僕は」
「えーなんでだよ、俺達仲間だろ?」
「大丈夫だって、痛くも怖くないって。みんなやってんじゃん」
冷たい手が肩に置かれて、少年はぶるっと体を震えさせる。
「でも……だってお母ちゃんも先生も駄目だって……」
「大人の言うことなんか聞いちゃ駄目だぜ、なぁ?」
「そうだそうだ、大人はみんなウソツキなんだ! 人間のまま大きくなったって良いことなんてない、アイツら自分達がイヤなめにあってるからって僕らにも押し付けようとしてるんだ! 仙人様がそう言ってたもん」
けれども一番低い背の少年は首を横に振るばかり。亡霊達はだんだん焦れてきて声を荒げて詰め寄る。
「裏切んのかススムゥ! いつまでも友達じゃなかったのかよォッ!?」
「もういいターチャンやっちまおうぜ! ススム、じっとしてろなァ」
死霊は生者を囲い、その細い首に手を掛けんとする。ススム少年は恐怖の余り声が出ない。人間、それもまだ幼い子供が亡霊に勝てるはずがなかろうというものだ。
ところが彼、幸運の持ち主であった。と言うのも集団下校から抜け出した生徒がいると聞きつけた上白沢慧音先生がちょうどこの時追いついたのである。
「死に誘うなアアアアァァアアァアァァァァアア!!」
慧音は彼らを発見するやいなや怒声を張り上げ突進する。怨霊見習いと言えど子供、しかも体罰の恐怖が魂まで刻まれていたのだから、反射的に距離を取るのは自然な流れだった。
かくして三人とも宙に浮くことはなく、一人は慧音の腕に抱かれ、残る二人は頭突きと説教を食らうこととなった。
「お前達、自分が何をしようとしていたのか、わかっているのか!」
「……ススム君も仲間にしてあげようと」
「人の命を、安易に奪っていいと先生は教えたか? えぇ? それは他人に対してだけじゃない、自分に対してもだ。先生はなぁ、悲しい。お前達が自らの輝かしい未来を放棄してしまってとても悲しい。ご両親も悲しんでおられる。わかるか? みなを悲しませるようなことをしたから、先生は怒っているんだ。イケナイことなんだ」
「ウソだ! ウソだウソだウソだ!」
始めはしゅんとしていた元教え子二人だったが、途端に勢いを取り戻して恨み言を捲し立てた。
「そうやって大人はすぐウソを吐くんだ。楽しい未来だなんて、人間である限りないよ!」
「親父もお袋も悲しむわけないんだ! 先生やみんなの前では親ズラしてるだけなんだ本当は本当はっ、うぅ……先生だってそうでしょ……妖怪の家畜を育ててるだけ、だから僕らに死なれると困るってだけェ!」
「なっそれは……」
「先生の方がイケナイんだ! 死んじまえええ!」
「先生、コイツらもう駄目だ。いかせてもらうよ」
頭上から声がしてその場の全員が空を仰いだなら、天気は星の雨に変わる。慧音とススム少年を外して降り注ぐ流星群は圧倒的破壊力で怨霊を細切れにし、その破片は逆に天に吸い寄せられた。正確には魔女が運んできた死神、そいつが肩に担いでいるテレビジョン(霊気入れ)の中に。赤髪の死神は箒から飛び降りて、無駄に一回転してみせながら、慧音の前で軽やかに着地してみせた。
「自殺ってのはな、問答無用で悪徳なんだよ餓鬼共。閻魔様が決めた掟よ」
「小野……小野塚小町さんか」
名前を呼ばれると小町は軽く会釈して話しかける。
「おや、あたいのことをご存じなようで。伊達に先生していないか。それにしても危ないとこだったね」
「いや、私は問題ない。それより彼らをどうするつもりだ」
「あの世に連れて行くだけさ。さっさと成仏させないと悪霊化して、周りの者にとっても本人にとっても良いことはない」
「とか言ってるが今までサボってて気づきもしてなかったんだぜ」
金髪の魔法使いも降りてくる。小町は悪い悪いと頭を掻いて目線を逸らした。
「慧音、遅くなってスマン。コイツを叩き起こして諸々の準備に時間食った」
「準備? 何をするつもりだ」
「あたいは魔理沙から話を聞かされて四季様の許可を取りに行こうとしたんだが、向こうから通達が来たよ。どうも西行寺が先に手を回していたようで」
「地獄が動く、か」
「そう、これから皆に地獄を見せるんだ。コイツを使ってな」
魔理沙が指差した先には死神の抱える黒い箱。これを単なる霊気入れとしてではなく本来の機能を発揮させると言って、小町はトントン小突いた。
「詳しい説明は後でいいか、命蓮寺で待ってる」
「あぁ……待って魔理沙」
慧音は飛び去ろうとする二人を呼び止める。そして十秒ほど間を置いてから、問いを絞り出した。
「正しいのか?」
「わからん、けど、私は何とかしたい」
「ジゴクチャンネル作戦」の概要について説明しよう。
一つには幽霊として現世に留まる自殺者の魂の回収。もう一つは、それらが地獄で罰を受けている様子を人里の者に見せて自殺防止を図ることだ。そのどちらにおいてもテレビジョン(通称テレビ)と呼ばれる道具が要となることからこの呼称が付けられた。
亡霊にしては自覚があり幽霊ほど無害でもない元人間達の捕獲は困難に思えたが、小野塚小町を中心とする死神隊はあっという間に任務を完遂した。サボタージュの泰斗とあだ名される彼女も仕事にかかりさえすれば元来の有能さを見せつける。距離を操ることができるのだから霊の捕獲なんてお手の物。その際入れ物として使われたのがテレビというわけだ。
だがその真価は遠くの景色を映すことにある。念写の動画版といったところだ。もっと言えばラジオに近い。しかしラジオの試験放送が失敗しているくらいなのだから今まで誰も使いこなせなかった。
そこで登場したのが三賢者の一人、八雲紫だった。外の知識に最も明るい彼女はテレビ放送の実現を約束してみせた。ただし実際には電波を飛ばすのではなく、境界操作で映像を届けるという乱暴な方法であったが。
勿論これには地獄の全面的な協力とテレビ自体の普及が必要不可欠であったが、前者は冥界の管理者西行寺幽々子の働きかけで、後者は香霖堂から仕入れたオリジナルを河童が複製し天狗が配ることで実現。こうして本作戦は順調に進んだ。
いよいよ中継放送が始まらんとする。香霖堂の店主は今か今かとそわそわして何度も古ぼけたテレビを撫でていた。それを二人の少女が見つめている。一人は一歩引いて面白がり、一人はすぐ傍で呆れ気味に。
「やけに上機嫌だな、香霖」
「いやぁ、だってねぇ。特需で儲かった上に製造意図通りの使われ方をこれから見ることができるんだ。この時のためにガラクタ同然のテレビを取って置いてよかったよ。道具屋冥利に尽きる」
「訂正。人の死を利用してよく良い気でいられるもんだな、香霖」
魔理沙は霖之助をきつく睨み上げる。一方彼は眼鏡の位置を整える動作でもって目線を逸らしていた。
「僕だけじゃないだろ。河童だって天狗だって山の神だって、八雲だってそうだよ。利なくして動かない」
「論点のすり替えは卑怯だぜ」
「大人はズルいんだよ。割り切れてしまえる。君もいつかわかるだろうが、今は軽蔑してくれて構わないよ」
「ふん、確かにズルい男だよ。そういう言い方するもんな」
悪態を吐きこそ憎み切れない魔理沙とそれを承知の霖之助。その構図が後ろで眺めている霊夢には丸わかりでおかしくて、微笑ましかった。
「魔理沙、霖之助さん、時間よ」
テレビの真っ黒な画面に突然見慣れた顔が映る。さらさらの金髪にド派手な紫のドレス。傘を差して優雅に佇む少女の瞳は妖しく光る。霖之助は彼女の頬を撫でて見るが相手は何の反応も示さない。魔理沙が乱暴に箒で突いても同様だった。「本当に映像だ! すごい!」と二人は興奮してはしゃぐ。
「テレビの中から御機嫌よう皆さん。八雲紫です」
「おおっ、喋った!」
「どうでしょうか。ちゃんと私の愛らしい姿が映っていますでしょうか」
「映ってるぜ紫、いやこっちからの声は聞こえないか」
「自分で「愛らしい」とか言っちゃってるよ……」
「それでは第一回試験放送を始めさせています。進行は私とこちらのお方」
画面にもう一人現れる。背は紫より低いがゴテゴテの衣装のせいか威厳たっぷりで、生真面目な表情が特徴的だった。この少女も霊夢や魔理沙の顔見知りで、霖之助も噂で何者かは知っていた。
「どうも、是非曲直庁幻想郷支部最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥです。よろしく」
「珍しい組み合わせね」
「あぁ、紫のヤツ内心嫌がってるだろうな」
四季映姫。幻想郷に住む妖怪で彼女を嫌わないものはいない。何しろ長寿を狩る死神の元締めな上に本人が説教好きと来たものだ。特に紫は能力的な相性が最悪なこともあって、天敵とも呼べる相手である。
ならば藍にでも任しておけばいいではないか。だが八雲紫という妖怪にも意地はある。このテレビ放送を実現したのは自分だと見せつけるためには苦手な閻魔とも並ぶ。そういう変なこだわりを持っているからして、大賢者と言えど見た目通り少女のままなのであった。
「さて私達は今現在、地獄の等喚受苦処という場所に来ています。映姫さん、説明をどうぞ」
「時間も惜しいので本題に入りますが、昨今安易に自殺に走る人間達が多いそうですね。私個人としては非常に嘆かわしいことだと思っています。生とは何か、死とは何か、よく考え直してもらいたい。実際に見てもらった方が早いでしょう、彼らがここでどんな罰を受けているかを」
二人の少女は画面の外に追いやられ、地獄の光景が中央に据えられる。ぼやけた景色は手前へ手前へどんどん引き寄せられ、鮮明になっていく。
そして全視聴者は、想像を絶する悲惨な真実に、息を飲んだ。
「地獄、だ……」
「姐さん、大丈夫ですか?」
一人部屋に籠って四角い箱に齧りつく白蓮を心配しない者は命蓮寺内にいない。代表して一輪は様子を見に来たが、気遣い無用とすぐに追い返されてしまう。明らかに顔色を悪くしていようと断固としてテレビを離そうとしない、そんな白蓮を止められる者もまたいなかったのである。
「これは乗り越えるべき試練なのですから」
「酷い有様ね。咲夜、やっぱりずっとこっちにいたら?」
食事中のレミリアは赤いケチャップソースを口から垂らしながら、傍らでワインを注ぐ使用人に囁く。
「あらあら、お嬢様は私がただの人間だとお思いですか」
「……そうね。貴方なら地獄の閻魔も軽くいなしてしまえるか」
「その際は悪魔に仕えた経験を活かすことにしますね」
十六夜咲夜は微笑みを絶やさない。いつの間にやら主の口元は拭われている。レミリアはこれ以上何も言わず、グラスを手に取り喉を潤した。
「人はなぜ死ななければならないんだろうね」
神子は千三百年前の斑鳩でした質問を繰り返す。師の青娥も当時と全く同じ回答を述べた。
「人は死ぬから人なんですわ」
「ならば人は、人を超えねばならないな」
「皆が皆貴方のように恵まれてはいませんわ」
そう言って青娥はテレビを指差し「面白い見世物ですね」などと無邪気に笑う。時折ノイズ混じりの断末魔が仙界に木霊する。神子もまた地獄の中継を見ていたが、青娥のようには笑えなかった。
「皆が皆君のようにもいかないよ。胸が痛む。やっぱり仏の救いなんてない、あらためてこの道に進んで正解だったと思う」
「そうですか」
「だからこそ私が導かないと。彼らのような悲劇を繰り返さないためにもね。邪魔するようなら君とて容赦はしないが」
神子には今回の件に関する青娥の行動などはお見通しである。その逆もまた然り。二人の関係は少女同士にしてはドライだった。
「構いませんわ。神子様のそういうところは私好きです」
「以上、私八雲紫が現場よりお伝えしました。それではまたお会いしましょう」
プツン。そうしてテレビは元の黒い箱に戻った。
放送はたったの三十分で終了したが、中には一生物のトラウマを負った視聴者もいた。何しろ幻想郷の人間達は戦争さえ経験していないのである。責任者の八雲紫宛てに(正確には紫の居場所など誰も知らないのでとばっちりで博麗神社に)散々抗議文が届けられたのは言うまでもない。
それほどまでに生の地獄とはショッキングだったのだが、これは一回の放送に留まらない。早くて翌日には天狗達がセンセーショナルな報道で一層煽り立てる。闊歩する死神を見れば人々の脳裏に映像がフラッシュバックされる。里はすっかり死への恐怖に覆われ、今まで蔓延っていたタナトスを一掃した。
こうして「ジゴクチャンネル作戦」は一応の成功を収めた。が一応としているのは放送から一週間して一人だけ自殺者が現れたからである。十七歳の少女で練炭自殺。遺書には数年前から密かに計画していたこと、早世した両親の代わりに育ててくれた祖父への謝辞が簡潔に記されているのみで、動機の説明などは見当たらなかった。祖父によれば彼女も放送は見ていたという。この件は一連のものとは無関係として処理された。
満月の夜が来て、この異変も歴史の一部として纏められることとなった。いつものように上白沢慧音は小屋に籠り、黙々と作業を行っている。その表情は暗く沈んでいて、空高く浮かぶ月とは対称的だ。
いつどこで誰が亡くなった、というような事実が淡々と記されていき、幻想郷初のテレビ放送についてが挿入され、最後に「かくして人は生と死の隔絶を思い出し、事態は収束に向かった」という一文で締められた。けれどもその紙はクシャクシャに破り捨てられ、もう一度やり直しとなる。
次にはまず「幻想郷の構造上の問題」と書き出してみる。妖怪主体の社会に抑圧された人間達は逃れようとし、生死の曖昧な幻想郷ではそれが自殺という形で現れたと。そして妖怪達は離脱者を見せしめに死の恐怖を演出して、これを再び抑え込んだと。しかしまたしても没。ふりだしに戻る、だ。
この間慧音はずっと懐疑していた。果たして本当にこれで良かったのか、解決したと言えるのか。恐怖で縛るやり方は正しいのか、幻想郷の維持こそ至上なのか、自殺は必ずしも悪か、自分の行動は果たして人間の為かそれとも……しかし答えはすぐに出そうにない。ゆえに手が止まる。
「参ったな」
「参ってるようだな」
独り言の復誦に驚き後ろを振り返ったなら、そこには傍若無人に定評のある霧雨魔理沙がふんぞり返っていた。
「邪魔するぜと言ったんだがな、聞こえてなかったか」
「聞き逃した私も悪いが、返事もないのに入るのは良くないな。礼儀というものを教えなければ」
「落第生だぜ、授業を受ける資格もない」
「そういう者にこそ補習だ。進路相談でも構わんぞ……何か用があるんだろう?」
「いいのか」
普段の慧音なら溜まりきったタスクの消化に気が立っているものだが、この時はあまりに煮詰まっているせいで気分転換を必要としていた。不法侵入者だろうと追い返さずに会話に応じる。頭突きの一発すらなかったことに不肖な生徒は己が幸運さを思い知った。
「なぁ慧音、小町を連れてきた時のこと覚えてるか?」
「ん……あぁ」
慧音はとっさに記憶を探る。亡霊になってしまった元教え子、彼らを躊躇なく狩った死神、その時抱いた疑問が浮かんでは彼女の心をチクリと刺す。
「お前は訊いたよな、正しいのかって」
「そうだったな」
今もそうだ、と慧音は心の中で付け加える。
「私もそう思った。考えた。けどやっぱりわからないんだなこれが」
「私もだよ」
「ただ私は他のヤツを死なせたくなかった。我侭だけどさ。多分死んだヤツはとにかく死にたかったんだろうし、関わるヤツらも何かしら目的があって関わったんだと思う。正しいか間違っているかは別でさ」
それが魔理沙の出した結論だった。結局のところは全部自己満足なんだと。しかしそれでもと彼女は続ける。
「これで良かったのかと思い続けて、だんだん頭がこんがらがってくる。割り切れてないんだろうな」
「そういうものか」
割り切れていない。慧音にはその言葉が、まさしく自分のことをよく表しているように感じられた。人間と妖怪の間に挟まれてどっちつかずの彼女には。
不意に風に呷られた小屋がミシミシと音を立てる。魔理沙は窓の方に視線を泳がせながら、また質問した。
「なぁ慧音、私が魔法の森に入った理由を知ってるか?」
「魔法使いになりたかったんじゃないのか?」
「と言ってきたが実のところ、死ぬつもりだったんだよ。何もかも嫌になってな。アテなんか無かったし。それが何の因果か悪霊に救われて、今こうしている。こうしているからには、あの時の自分は間違っていたと思ってるんだよ。だからかな、つい重ね合わせてしまう」
「そうか」
「慧音はどうなんだ。なんでお前はこうしているんだ?」
「私か。うーんそうだな……」
人間を守るのが仕事だから、と今までの慧音なら反射的に答えたであろう。だがその仕事を選んだのは何故だとさらに考える。それは目の前の人間が傷付くのが嫌だから。なのは何故? 半分は人間だからか、半分は妖怪なのに? 慧音は自身への追求を掘り下げていく。
そして思い出す。自分を上白沢慧音足らしめている、根本的な行動理念を。
「証明したいんだろう。人は歴史を積み重ねてより良い未来へ進むんだって」
「おいおい、微妙に答えになってないぜ」
「そうかもしれん。だが少し、割り切れた気がするよ」
「それは良かったな。悪かったかもしらんが」
止まった筆は今再び動き出した。それを邪魔しないようにと魔理沙は口をつぐむ。
月明かりが窓から差し込む。そのまま眠りに落ちてしまっていた少女に、作業が一段落したばかりの慧音は愚痴を溢しながらも布団をかけてやる。ところでこの家出娘が人里に泊まるのも久しぶりのことだった。
「何もかも受け入れる幻想郷は限界かもしれない」
「あら、珍しく気弱ね。四季映姫に説教されて凹んだ? 世間に叩かれて嫌気さした? 慰めてあげようか?」
「結構よ」
少し前までは人魂で賑わっていた冥界白玉楼の庭も、今では紫と幽々子の二人が佇んでいるのみ。従者達でさえ席を外している。
普段は他人に隙を見せない妖怪の賢者も、千年来の友人の前では至極素直だった。
「ねぇ幽々子」
「何?」
「私は間違えてるかもしれない」
「それでもいいんじゃない。幻想郷は受け入れてくれるわ」
「それはそれは残酷な話ですわ」
はぁと深い溜息を吐いて、紫は縁側に寝そべった。幽々子から膝枕の提案は流石にプライドが邪魔してか蹴った。どのみち大妖怪の威厳など形無しなのだが。
そんな旧友に倣って、幽々子もありのままの自分を伝える。
「ねぇ紫」
「何?」
「よく覚えていないけど、多分きっと、私も間違えてたと思う。だからいつか向こうへ逝くわ」
「……そう」
「その時は、一緒に満開の桜を見ましょうね」
庭から見える枯れ木の下には、今も死体が眠っているらしい。紫の手がそっと霊体を撫でる。幽々子は「優しいのね」と握り返した。
空から降ってきたばかりの新聞をざっと斜め読みして、霊夢は頭をもたげた。新聞は再び宙を舞うと、傍で寝そべっていた魔理沙の顔面にすとんと落ちる。
「なんだよそれ」
「読めばわかる」
「あー? なになに、最近人里の主に少年少女達の間で自殺が流行っている……人間から幽霊になれば生活が楽に、毎日遊んで暮らせる、パワーアップできると安易に考えて……なんだよそれ。いやいや、なんだよそれ!」
くしゃくしゃに丸められた紙が明後日の方向に飛んで行く。霊夢は慌ててそれを拾いに行った。境内に物を捨てることなかれ。つい昨日立てたばかりの標識を指差す巫女に、客人は謝るそびれを見せぬどころか逆に怒り心頭だ。
「こいつらは、命を何だと思っているんだよ!」
「あんたこそ、人の敷地をゴミ箱か何かだと思っているの? 怒るわよ」
「それどころじゃないだろ! 一大事じゃないか! 何とかしないとなぁ……」
「アホが勝手に死んでるだけでしょ。管轄外じゃないの」
「霊夢お前!」
魔理沙が起き上がって大地を蹴るまで約二秒。霊夢の投球はそれより早かった。新聞紙製の自機狙い弾は魔理沙の口に吸い込まれ、体を再び横にさせる。異物を吐きだす頃には霊夢の顔が間近にあって、冷たい眼差しを向けていた。
「人間が起こした異変を私が解決することはできない。わかるでしょ」
「妖怪が裏で手を引いている可能性は? いくらアホだと言っても、人間が、今年に入って二十三人もだぜ。おかしいと思わないか?」
「だとしても関係ないわよ。それは魔理沙だって同じでしょ? ねぇ家出娘」
魔理沙はカッとなって思わず眼前の頬を打つが、すぐに謝る。叩く前より相手が涙ぐんでいたことに気づいたからだ。霊夢は気にしなくていいと言いつつ目元を抑えた。
「こんなのはおかしいと思うぜ」
「そうでもないと思うよ。皆が皆魔理沙みたいに強くない、強くなろうと努力もしないんだから。簡単に人間を捨ててしまう者だっていても仕方ない気がする」
「弱いぜ、お前よりずっとな」
「弱さを知ってるから強いのよあんたは。本当に弱い者は、己の弱さに耐えられないのねきっと。私はなまじ最初から強いから弱い、理解できない、だから解決できないわ」
霊夢の勘は告げていた。今回の異変は異変ですらなく必然で、きっと誰にも解決ができないと。それでも魔理沙は飛んで行く。誰から頼まれたわけでもなく。そんな彼女を霊夢は「優しいのね」と評した。
二十五人目の自殺者は五十三歳の女性だった。一昨年足を痛めて外出が困難になっており、また自由に歩き回れるようになりたかった、というのが動機らしい。しかし今は足そのものがなくなって浮遊しているのだからなんという皮肉だろう。
妖怪主体の幻想郷には人間によるまともな政治組織がないのが仇となった。個人では自殺をやめようなどと呼びかけたり標識を立てたりしていたがまるで効果がない。むしろ加速する一方だ。人間はやるなと言われるとやりたくなるし、皆やっているのだから自分も、というのが日本人である。
では妖怪の方はというとほとんどが無関心か、あるいは酒の肴としかしなかった。人間がいくら死のうが知ったことではないという態度だ。ところが幻想郷を管理している賢者達にとってはそうもいかない。事態を重く見て急遽関係者を集め会議を開いた。
無論彼らとて人命が大事だとかそういう思考などは持ち合わせていない。ただ人口の減少によって幻想郷を維持できなくなる事態を危惧したに過ぎなかった。妖怪にとって人間の存在は必要不可欠。そんなことは自明なのに動く者が少ないのはどういうことか。三賢者が一人八雲紫代理八雲藍はいの一番に毒づいた。
「動かないのではない、動けないのですよ。いや動きようがないのです」
「それは言い訳かな? 上白沢慧音」
「いいえ事実です。現に貴方の御主人もそうじゃないですか、代行殿」
円卓を囲んでちょうど向かい合わせの藍と慧音は互いを睨む。結界で仕切られた個室内の空気は張りつめていた。
「我が主と西行寺はすでに解決に向けて動いておられる。よってこの場を預かっているのは私なんですが? 責務を全うしていない貴方と一緒にされては困る」
「どういうことでしょう」
「人間の監視及び教育は貴方の役目だろう。だが貴方の教え子は何人死んだ? ハッキリ言ってここは弾劾の場なんだよ。わかるね妖夢?」
藍は首をガクッと横に倒して慧音の二つ隣の小柄な少女に視線を向ける。魂魄妖夢の腰に差した二本の刀はブラブラ揺れて音を鳴らす。
「私が、何かしましたか……? そもそも何故ここに……」
「わからないか? 妖夢、貴方はアイドルなんだよ。誰もがその武勇伝を知っている。皆貴方に憧れて亡霊に身を堕とした。白玉楼の庭師が人里で露出しすぎたな」
「そんな……私はただ……」
「待て、妖夢さんは悪くないだろう。そもそも冥界と幻想郷の境界を緩めたのは誰だ、えぇ? そちらの落ち度では!」
俯く妖夢に代わって反論したのは慧音だ。主を侮辱されたとなれば藍も自然と声が荒くなる。
「じゃあ今日の幻想郷の繁栄を築いたのは誰だか言ってみろ! 紫様のお考えは我らが到底図りえぬものだが、万に一つ問題を起こしたことがあったか?」
「それとこれとは話が別だ、こちらに責任を問うならばこちらも問わせてもらうがよろしいか」
「では私の責任とはなんでしょう? 私の著作も自殺幇助をしたとでも言うのでしょうか? そうだとしても確固たる証拠を提示できますか?」
「なんだ九代目」
九代目阿礼乙女こと稗田阿求は慧音と藍に挟まれても全く物怖じせず手を挙げた。幼い見た目に反して踏んできた場数は賢者達とそう変わりない。だが藍とて引かず、「証拠」を示してみせる。
「あぁ、鈴奈庵の貸出履歴を調べさせてもらったよ。自殺者のうち実に半数以上が一年以内に貴方の幻想郷縁起、それも第九版を借りている。霊や冥界の詳しい記述は勿論だが妖怪賛美的な内容が今回の件に少なからず影響している、というのが我らの見解だ」
「それは、そう書けと……貴方達の責任でもある!」
「書物とは、著作者が全責任を負うものでは? それに我々が介入したという証拠は残っていない」
「私が覚えています」
「口述の正しさを誰が証明する?」
なおも阿求は食い下がろうとしたが、見かねた三賢者の一人がやれやれと仲裁に入った。
「まぁまぁ藍ちゃんも稗田の嬢ちゃんも熱くならず、ね」
「私は熱くなどなっていません、天魔様。それに天狗の長たる貴方とて責任がないこともないですよ。マスメディアが煽っている部分も大きいと見ていますから」
「そうかい。だが問題はどうやって事態を収拾するか、でしょう。ここは裁判所じゃない、履き違えるなよ狐」
最年長の天魔に窘められて、さしもの藍も大人しくなる。しばしの沈黙の後、慧音の右隣りにいる和装の女性がここにきて初めて口を開く。
「良い事思いついた。幻想郷の縄という縄を取り上げればいいのでは」
「小兎姫ちゃん……それは無茶というものだよ」
「確かに。首吊り以外にも死にようはあった」
小兎姫とあだ名される少女は趣味で警察をやっている奇人であった。しかもまともに警察らしい仕事はしておらず、一般人の変装(本人によれば)をしてふらついているにすぎない。そんな彼女だが曲がりなりにも里の治安を預かっているということで呼び出されたのである。案の定場から浮いてしまっているが。
「誰か一人犯人がいればすむのにね」
そうならば簡単な話だと小兎姫は呟く。その場にいる者は誰一人として納得する素振りを見せなかったが、内心その通りだと思っていた。死因はほぼ首吊りで、何者かが毒薬を配ったというような事件性はなかった。だが連続性はある。加害者がいるとしたらそれは被害者と同一で、皆模倣犯だ。元が断たれても死は増え続ける。ゆえに難題であった。
これは幻想郷が直面した社会現象と言うべきもので、根本的な解決に至るには社会を変える他ない。ところが賢者達は現体制の維持を前提として取り掛かっている。であるからして、彼らにできる手立てなどたかが知れていた。
「やはり啓蒙しかあるまい」
その場はひとまず知識人の書いた自殺防止マニュアルを大量に印刷して天狗たちに配らせるということで話がまとまった。その他にも一定期間内における一部書物の閲覧制限と冥界・幻想郷間の交通制限などが決められた。
さてさてそれで効果はあったのだろうかと言うと、焼け石に水程度はあったようだ。なにせ法による拘束力などないのだから仕方がない。三日後には二十六人目の首吊り死体が見つかったという。この十八歳の男性は「どうせ人はいつか死ぬのだから、馬車馬のように働きヨボヨボに老いて苦しむ必要なんてないじゃないか、今のうちに死んでおくのが賢い選択だというのになぜ大人達はやめろと言うんだ」と若干苛立った様子で述懐した。
連日連夜、里の寺からはお経が聞こえてくる。最早これが日常だ。
そして朝焼けの妖気も人気も消え失せた時間になると決まって代わりに笛の音が鳴る。ピーヒャラピーヒャラ、すると埋められた死体達は墓場を抜け出し、覚束ない足取りで音のする方へ向かう。一体二体三体と、どんどん群れをなしていけば、ついには笛吹き女に出迎えられる。
いつもなら恍惚の表情を浮かべ一体一体口付けしていく彼女だが、今回は様子が違う。露骨に不機嫌さを露わにしていた。なぜなら仲間外れが一人含まれていたからだ。死体は語らないが、その異物は異物ゆえ口を開く。
「霍青娥、貴方が犯人です」
「どなたかしら。死体以外は帰って下さる?」
「あら? 死体の変装は完璧だと思っていたが。実は私、警察官の小兎姫なので貴方を捕まえて帰ります」
青娥は笛の中に隠したピンを取り出したなら、小兎姫の急所めがけて投げつける。弾幕ごっこではご法度の、殺意に満ち満ちた不意打ち高速急所狙い。しかし小兎姫はあっさり二本の指でピンを挟み止め、ポイッと捨ててみせる。これには青娥も驚いて、思わず拍手を送った。
「お見事」
「犯人より弱い刑事なんていない、これ常識」
「まぁ私犯人でもないし、負けませんけど」
容赦という言葉は青娥の辞書にはない。一撃目を止められた時点で彼女は新入りキョンシーに攻撃命令を下していた。
対する小兎姫も冷や汗一つかかない。飛びかかる死体を躊躇なく拳銃で撃ち抜く。ただの弾丸などでは効きもしないのだろうが、生憎特注の銀製であった。バンパイアにしろキョンシーにしろ、生ける屍は銀に弱いと相場が決まっている。からして頭のみならず全身がバラバラに砕け散った。
「窃盗・死体損壊・公務執行妨害の現行犯。言い逃れできませんよ」
「死体損壊で逮捕されるのは貴方の方でなくて?」
「警察は私一人で、誰も逮捕できないんですよ。私が法で、私が正義」
「ひどい話ですわ」
青娥は勿体無い勿体無いとぼやきながら散らばった肉塊を拾い集める。
「私はただのしがないリサイクル業者なんですよ。埋められてもう用済みになった体を有効活用しようと頂戴しているだけ。このままではお寺の墓地も満員になってしまいますし。あぁ見てくださいな、こんなにボロボロにしてしまっては芳香のスペアにもならないわ。どうしてくださるの?」
「ツケで」
「じゃあ見逃してくださる?」
「それはないです」
ポンッと青娥の前に一冊の本が落とされる。幻想郷縁起、そう表紙には書かれていた。しかしめくってみれば中表紙には別の題名が付けられている。
「何ですかぁこれ?」
青娥はわざとらしくとぼけた声を出す。鬼の首を獲ったように小兎姫は自信満々で説明した。
「完全自殺マニュアル。貴方が古書屋に流したものでしょう。入荷時期は去年でちょうど貴方が現れた時期と被っています」
「完全に言い掛かりじゃない」
「それからホシに貴方との接触があったという証言がいくつか」
「他愛のない話しかしてませんわ」
「つまり貴方が事件の黒幕だったと」
「そういうことにして、とりあえず場を収めたいだけでしょう」
青娥は頭に挿した簪を抜いて本に突き立てれば、穴がたちまち広がってそれを消滅させた。証拠を処分するだなんてまるで犯人みたいじゃないか。二人ともそう思い、青娥の方は思わず嘲り笑いが込み上げてきた。
もう時間を稼いで反撃に出たり逃げるのも面倒になったのか、青娥は両手を小兎姫の前に突き出す。唐突な問いと共に。
「ドクター・キリコをご存知で?」
小兎姫は首を横に振る。すると今度は勝ち誇ったかのような笑みを溢して、青娥は諭すように言った。
「まぁ知らなくて結構です。外の人ですから。志願者に毒薬を送っていた方で当然捕まったのですが、むしろ年々自殺件数は増え続けているそうですわ……己を殺すのは己の意思に他ならない。そこに遠巻きの願望などは挟み込まれる余地なんてないんです。私一人逮捕したところで何一つ解決しませんわ」
「……貴方は一つ勘違いしている」
手錠をかける小兎姫は困惑した表情を浮かべる。
「私は問題を解決しようなんていう気はさらさらなくて、里の皆がどうとか幻想郷の未来がどうとかよくて。ただ誰かを犯人にして捕まえたいだけで」
「自己満足のため?」
「そう」
「なんだ同類か」
そうして繋がれた二人は日が昇る方へ歩く。途中青娥は仲間にならないかと勧誘したが、小兎姫は弾幕の汚い相手には興味がないと振った。満面の笑みを浮かべながら。青娥は落ち込むポーズを取った。
それから日が沈む頃合いになれば、犯人は牢屋生活に飽きて脱獄。壁抜けの邪仙と名高い彼女を捕まえたままにしておくのは難業というものだ。けれど小兎姫はむしろ喜び、再度捕縛の準備をするのであった。
「人間なんてダッセェよな」
「幽霊の方が面白いよなァ。ススム、お前もなろうぜ」
夕焼け小焼け、寺子屋からの帰り道。三人の少年のうち一人は歩き、二人は浮いていた。地に足の着いた少年はすっかり変わり果てた親友に戸惑う様子で、それでも応じることはできないと申し訳なさを表す。
「……ターちゃん、シロー君、いい、僕は」
「えーなんでだよ、俺達仲間だろ?」
「大丈夫だって、痛くも怖くないって。みんなやってんじゃん」
冷たい手が肩に置かれて、少年はぶるっと体を震えさせる。
「でも……だってお母ちゃんも先生も駄目だって……」
「大人の言うことなんか聞いちゃ駄目だぜ、なぁ?」
「そうだそうだ、大人はみんなウソツキなんだ! 人間のまま大きくなったって良いことなんてない、アイツら自分達がイヤなめにあってるからって僕らにも押し付けようとしてるんだ! 仙人様がそう言ってたもん」
けれども一番低い背の少年は首を横に振るばかり。亡霊達はだんだん焦れてきて声を荒げて詰め寄る。
「裏切んのかススムゥ! いつまでも友達じゃなかったのかよォッ!?」
「もういいターチャンやっちまおうぜ! ススム、じっとしてろなァ」
死霊は生者を囲い、その細い首に手を掛けんとする。ススム少年は恐怖の余り声が出ない。人間、それもまだ幼い子供が亡霊に勝てるはずがなかろうというものだ。
ところが彼、幸運の持ち主であった。と言うのも集団下校から抜け出した生徒がいると聞きつけた上白沢慧音先生がちょうどこの時追いついたのである。
「死に誘うなアアアアァァアアァアァァァァアア!!」
慧音は彼らを発見するやいなや怒声を張り上げ突進する。怨霊見習いと言えど子供、しかも体罰の恐怖が魂まで刻まれていたのだから、反射的に距離を取るのは自然な流れだった。
かくして三人とも宙に浮くことはなく、一人は慧音の腕に抱かれ、残る二人は頭突きと説教を食らうこととなった。
「お前達、自分が何をしようとしていたのか、わかっているのか!」
「……ススム君も仲間にしてあげようと」
「人の命を、安易に奪っていいと先生は教えたか? えぇ? それは他人に対してだけじゃない、自分に対してもだ。先生はなぁ、悲しい。お前達が自らの輝かしい未来を放棄してしまってとても悲しい。ご両親も悲しんでおられる。わかるか? みなを悲しませるようなことをしたから、先生は怒っているんだ。イケナイことなんだ」
「ウソだ! ウソだウソだウソだ!」
始めはしゅんとしていた元教え子二人だったが、途端に勢いを取り戻して恨み言を捲し立てた。
「そうやって大人はすぐウソを吐くんだ。楽しい未来だなんて、人間である限りないよ!」
「親父もお袋も悲しむわけないんだ! 先生やみんなの前では親ズラしてるだけなんだ本当は本当はっ、うぅ……先生だってそうでしょ……妖怪の家畜を育ててるだけ、だから僕らに死なれると困るってだけェ!」
「なっそれは……」
「先生の方がイケナイんだ! 死んじまえええ!」
「先生、コイツらもう駄目だ。いかせてもらうよ」
頭上から声がしてその場の全員が空を仰いだなら、天気は星の雨に変わる。慧音とススム少年を外して降り注ぐ流星群は圧倒的破壊力で怨霊を細切れにし、その破片は逆に天に吸い寄せられた。正確には魔女が運んできた死神、そいつが肩に担いでいるテレビジョン(霊気入れ)の中に。赤髪の死神は箒から飛び降りて、無駄に一回転してみせながら、慧音の前で軽やかに着地してみせた。
「自殺ってのはな、問答無用で悪徳なんだよ餓鬼共。閻魔様が決めた掟よ」
「小野……小野塚小町さんか」
名前を呼ばれると小町は軽く会釈して話しかける。
「おや、あたいのことをご存じなようで。伊達に先生していないか。それにしても危ないとこだったね」
「いや、私は問題ない。それより彼らをどうするつもりだ」
「あの世に連れて行くだけさ。さっさと成仏させないと悪霊化して、周りの者にとっても本人にとっても良いことはない」
「とか言ってるが今までサボってて気づきもしてなかったんだぜ」
金髪の魔法使いも降りてくる。小町は悪い悪いと頭を掻いて目線を逸らした。
「慧音、遅くなってスマン。コイツを叩き起こして諸々の準備に時間食った」
「準備? 何をするつもりだ」
「あたいは魔理沙から話を聞かされて四季様の許可を取りに行こうとしたんだが、向こうから通達が来たよ。どうも西行寺が先に手を回していたようで」
「地獄が動く、か」
「そう、これから皆に地獄を見せるんだ。コイツを使ってな」
魔理沙が指差した先には死神の抱える黒い箱。これを単なる霊気入れとしてではなく本来の機能を発揮させると言って、小町はトントン小突いた。
「詳しい説明は後でいいか、命蓮寺で待ってる」
「あぁ……待って魔理沙」
慧音は飛び去ろうとする二人を呼び止める。そして十秒ほど間を置いてから、問いを絞り出した。
「正しいのか?」
「わからん、けど、私は何とかしたい」
「ジゴクチャンネル作戦」の概要について説明しよう。
一つには幽霊として現世に留まる自殺者の魂の回収。もう一つは、それらが地獄で罰を受けている様子を人里の者に見せて自殺防止を図ることだ。そのどちらにおいてもテレビジョン(通称テレビ)と呼ばれる道具が要となることからこの呼称が付けられた。
亡霊にしては自覚があり幽霊ほど無害でもない元人間達の捕獲は困難に思えたが、小野塚小町を中心とする死神隊はあっという間に任務を完遂した。サボタージュの泰斗とあだ名される彼女も仕事にかかりさえすれば元来の有能さを見せつける。距離を操ることができるのだから霊の捕獲なんてお手の物。その際入れ物として使われたのがテレビというわけだ。
だがその真価は遠くの景色を映すことにある。念写の動画版といったところだ。もっと言えばラジオに近い。しかしラジオの試験放送が失敗しているくらいなのだから今まで誰も使いこなせなかった。
そこで登場したのが三賢者の一人、八雲紫だった。外の知識に最も明るい彼女はテレビ放送の実現を約束してみせた。ただし実際には電波を飛ばすのではなく、境界操作で映像を届けるという乱暴な方法であったが。
勿論これには地獄の全面的な協力とテレビ自体の普及が必要不可欠であったが、前者は冥界の管理者西行寺幽々子の働きかけで、後者は香霖堂から仕入れたオリジナルを河童が複製し天狗が配ることで実現。こうして本作戦は順調に進んだ。
いよいよ中継放送が始まらんとする。香霖堂の店主は今か今かとそわそわして何度も古ぼけたテレビを撫でていた。それを二人の少女が見つめている。一人は一歩引いて面白がり、一人はすぐ傍で呆れ気味に。
「やけに上機嫌だな、香霖」
「いやぁ、だってねぇ。特需で儲かった上に製造意図通りの使われ方をこれから見ることができるんだ。この時のためにガラクタ同然のテレビを取って置いてよかったよ。道具屋冥利に尽きる」
「訂正。人の死を利用してよく良い気でいられるもんだな、香霖」
魔理沙は霖之助をきつく睨み上げる。一方彼は眼鏡の位置を整える動作でもって目線を逸らしていた。
「僕だけじゃないだろ。河童だって天狗だって山の神だって、八雲だってそうだよ。利なくして動かない」
「論点のすり替えは卑怯だぜ」
「大人はズルいんだよ。割り切れてしまえる。君もいつかわかるだろうが、今は軽蔑してくれて構わないよ」
「ふん、確かにズルい男だよ。そういう言い方するもんな」
悪態を吐きこそ憎み切れない魔理沙とそれを承知の霖之助。その構図が後ろで眺めている霊夢には丸わかりでおかしくて、微笑ましかった。
「魔理沙、霖之助さん、時間よ」
テレビの真っ黒な画面に突然見慣れた顔が映る。さらさらの金髪にド派手な紫のドレス。傘を差して優雅に佇む少女の瞳は妖しく光る。霖之助は彼女の頬を撫でて見るが相手は何の反応も示さない。魔理沙が乱暴に箒で突いても同様だった。「本当に映像だ! すごい!」と二人は興奮してはしゃぐ。
「テレビの中から御機嫌よう皆さん。八雲紫です」
「おおっ、喋った!」
「どうでしょうか。ちゃんと私の愛らしい姿が映っていますでしょうか」
「映ってるぜ紫、いやこっちからの声は聞こえないか」
「自分で「愛らしい」とか言っちゃってるよ……」
「それでは第一回試験放送を始めさせています。進行は私とこちらのお方」
画面にもう一人現れる。背は紫より低いがゴテゴテの衣装のせいか威厳たっぷりで、生真面目な表情が特徴的だった。この少女も霊夢や魔理沙の顔見知りで、霖之助も噂で何者かは知っていた。
「どうも、是非曲直庁幻想郷支部最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥです。よろしく」
「珍しい組み合わせね」
「あぁ、紫のヤツ内心嫌がってるだろうな」
四季映姫。幻想郷に住む妖怪で彼女を嫌わないものはいない。何しろ長寿を狩る死神の元締めな上に本人が説教好きと来たものだ。特に紫は能力的な相性が最悪なこともあって、天敵とも呼べる相手である。
ならば藍にでも任しておけばいいではないか。だが八雲紫という妖怪にも意地はある。このテレビ放送を実現したのは自分だと見せつけるためには苦手な閻魔とも並ぶ。そういう変なこだわりを持っているからして、大賢者と言えど見た目通り少女のままなのであった。
「さて私達は今現在、地獄の等喚受苦処という場所に来ています。映姫さん、説明をどうぞ」
「時間も惜しいので本題に入りますが、昨今安易に自殺に走る人間達が多いそうですね。私個人としては非常に嘆かわしいことだと思っています。生とは何か、死とは何か、よく考え直してもらいたい。実際に見てもらった方が早いでしょう、彼らがここでどんな罰を受けているかを」
二人の少女は画面の外に追いやられ、地獄の光景が中央に据えられる。ぼやけた景色は手前へ手前へどんどん引き寄せられ、鮮明になっていく。
そして全視聴者は、想像を絶する悲惨な真実に、息を飲んだ。
「地獄、だ……」
「姐さん、大丈夫ですか?」
一人部屋に籠って四角い箱に齧りつく白蓮を心配しない者は命蓮寺内にいない。代表して一輪は様子を見に来たが、気遣い無用とすぐに追い返されてしまう。明らかに顔色を悪くしていようと断固としてテレビを離そうとしない、そんな白蓮を止められる者もまたいなかったのである。
「これは乗り越えるべき試練なのですから」
「酷い有様ね。咲夜、やっぱりずっとこっちにいたら?」
食事中のレミリアは赤いケチャップソースを口から垂らしながら、傍らでワインを注ぐ使用人に囁く。
「あらあら、お嬢様は私がただの人間だとお思いですか」
「……そうね。貴方なら地獄の閻魔も軽くいなしてしまえるか」
「その際は悪魔に仕えた経験を活かすことにしますね」
十六夜咲夜は微笑みを絶やさない。いつの間にやら主の口元は拭われている。レミリアはこれ以上何も言わず、グラスを手に取り喉を潤した。
「人はなぜ死ななければならないんだろうね」
神子は千三百年前の斑鳩でした質問を繰り返す。師の青娥も当時と全く同じ回答を述べた。
「人は死ぬから人なんですわ」
「ならば人は、人を超えねばならないな」
「皆が皆貴方のように恵まれてはいませんわ」
そう言って青娥はテレビを指差し「面白い見世物ですね」などと無邪気に笑う。時折ノイズ混じりの断末魔が仙界に木霊する。神子もまた地獄の中継を見ていたが、青娥のようには笑えなかった。
「皆が皆君のようにもいかないよ。胸が痛む。やっぱり仏の救いなんてない、あらためてこの道に進んで正解だったと思う」
「そうですか」
「だからこそ私が導かないと。彼らのような悲劇を繰り返さないためにもね。邪魔するようなら君とて容赦はしないが」
神子には今回の件に関する青娥の行動などはお見通しである。その逆もまた然り。二人の関係は少女同士にしてはドライだった。
「構いませんわ。神子様のそういうところは私好きです」
「以上、私八雲紫が現場よりお伝えしました。それではまたお会いしましょう」
プツン。そうしてテレビは元の黒い箱に戻った。
放送はたったの三十分で終了したが、中には一生物のトラウマを負った視聴者もいた。何しろ幻想郷の人間達は戦争さえ経験していないのである。責任者の八雲紫宛てに(正確には紫の居場所など誰も知らないのでとばっちりで博麗神社に)散々抗議文が届けられたのは言うまでもない。
それほどまでに生の地獄とはショッキングだったのだが、これは一回の放送に留まらない。早くて翌日には天狗達がセンセーショナルな報道で一層煽り立てる。闊歩する死神を見れば人々の脳裏に映像がフラッシュバックされる。里はすっかり死への恐怖に覆われ、今まで蔓延っていたタナトスを一掃した。
こうして「ジゴクチャンネル作戦」は一応の成功を収めた。が一応としているのは放送から一週間して一人だけ自殺者が現れたからである。十七歳の少女で練炭自殺。遺書には数年前から密かに計画していたこと、早世した両親の代わりに育ててくれた祖父への謝辞が簡潔に記されているのみで、動機の説明などは見当たらなかった。祖父によれば彼女も放送は見ていたという。この件は一連のものとは無関係として処理された。
満月の夜が来て、この異変も歴史の一部として纏められることとなった。いつものように上白沢慧音は小屋に籠り、黙々と作業を行っている。その表情は暗く沈んでいて、空高く浮かぶ月とは対称的だ。
いつどこで誰が亡くなった、というような事実が淡々と記されていき、幻想郷初のテレビ放送についてが挿入され、最後に「かくして人は生と死の隔絶を思い出し、事態は収束に向かった」という一文で締められた。けれどもその紙はクシャクシャに破り捨てられ、もう一度やり直しとなる。
次にはまず「幻想郷の構造上の問題」と書き出してみる。妖怪主体の社会に抑圧された人間達は逃れようとし、生死の曖昧な幻想郷ではそれが自殺という形で現れたと。そして妖怪達は離脱者を見せしめに死の恐怖を演出して、これを再び抑え込んだと。しかしまたしても没。ふりだしに戻る、だ。
この間慧音はずっと懐疑していた。果たして本当にこれで良かったのか、解決したと言えるのか。恐怖で縛るやり方は正しいのか、幻想郷の維持こそ至上なのか、自殺は必ずしも悪か、自分の行動は果たして人間の為かそれとも……しかし答えはすぐに出そうにない。ゆえに手が止まる。
「参ったな」
「参ってるようだな」
独り言の復誦に驚き後ろを振り返ったなら、そこには傍若無人に定評のある霧雨魔理沙がふんぞり返っていた。
「邪魔するぜと言ったんだがな、聞こえてなかったか」
「聞き逃した私も悪いが、返事もないのに入るのは良くないな。礼儀というものを教えなければ」
「落第生だぜ、授業を受ける資格もない」
「そういう者にこそ補習だ。進路相談でも構わんぞ……何か用があるんだろう?」
「いいのか」
普段の慧音なら溜まりきったタスクの消化に気が立っているものだが、この時はあまりに煮詰まっているせいで気分転換を必要としていた。不法侵入者だろうと追い返さずに会話に応じる。頭突きの一発すらなかったことに不肖な生徒は己が幸運さを思い知った。
「なぁ慧音、小町を連れてきた時のこと覚えてるか?」
「ん……あぁ」
慧音はとっさに記憶を探る。亡霊になってしまった元教え子、彼らを躊躇なく狩った死神、その時抱いた疑問が浮かんでは彼女の心をチクリと刺す。
「お前は訊いたよな、正しいのかって」
「そうだったな」
今もそうだ、と慧音は心の中で付け加える。
「私もそう思った。考えた。けどやっぱりわからないんだなこれが」
「私もだよ」
「ただ私は他のヤツを死なせたくなかった。我侭だけどさ。多分死んだヤツはとにかく死にたかったんだろうし、関わるヤツらも何かしら目的があって関わったんだと思う。正しいか間違っているかは別でさ」
それが魔理沙の出した結論だった。結局のところは全部自己満足なんだと。しかしそれでもと彼女は続ける。
「これで良かったのかと思い続けて、だんだん頭がこんがらがってくる。割り切れてないんだろうな」
「そういうものか」
割り切れていない。慧音にはその言葉が、まさしく自分のことをよく表しているように感じられた。人間と妖怪の間に挟まれてどっちつかずの彼女には。
不意に風に呷られた小屋がミシミシと音を立てる。魔理沙は窓の方に視線を泳がせながら、また質問した。
「なぁ慧音、私が魔法の森に入った理由を知ってるか?」
「魔法使いになりたかったんじゃないのか?」
「と言ってきたが実のところ、死ぬつもりだったんだよ。何もかも嫌になってな。アテなんか無かったし。それが何の因果か悪霊に救われて、今こうしている。こうしているからには、あの時の自分は間違っていたと思ってるんだよ。だからかな、つい重ね合わせてしまう」
「そうか」
「慧音はどうなんだ。なんでお前はこうしているんだ?」
「私か。うーんそうだな……」
人間を守るのが仕事だから、と今までの慧音なら反射的に答えたであろう。だがその仕事を選んだのは何故だとさらに考える。それは目の前の人間が傷付くのが嫌だから。なのは何故? 半分は人間だからか、半分は妖怪なのに? 慧音は自身への追求を掘り下げていく。
そして思い出す。自分を上白沢慧音足らしめている、根本的な行動理念を。
「証明したいんだろう。人は歴史を積み重ねてより良い未来へ進むんだって」
「おいおい、微妙に答えになってないぜ」
「そうかもしれん。だが少し、割り切れた気がするよ」
「それは良かったな。悪かったかもしらんが」
止まった筆は今再び動き出した。それを邪魔しないようにと魔理沙は口をつぐむ。
月明かりが窓から差し込む。そのまま眠りに落ちてしまっていた少女に、作業が一段落したばかりの慧音は愚痴を溢しながらも布団をかけてやる。ところでこの家出娘が人里に泊まるのも久しぶりのことだった。
「何もかも受け入れる幻想郷は限界かもしれない」
「あら、珍しく気弱ね。四季映姫に説教されて凹んだ? 世間に叩かれて嫌気さした? 慰めてあげようか?」
「結構よ」
少し前までは人魂で賑わっていた冥界白玉楼の庭も、今では紫と幽々子の二人が佇んでいるのみ。従者達でさえ席を外している。
普段は他人に隙を見せない妖怪の賢者も、千年来の友人の前では至極素直だった。
「ねぇ幽々子」
「何?」
「私は間違えてるかもしれない」
「それでもいいんじゃない。幻想郷は受け入れてくれるわ」
「それはそれは残酷な話ですわ」
はぁと深い溜息を吐いて、紫は縁側に寝そべった。幽々子から膝枕の提案は流石にプライドが邪魔してか蹴った。どのみち大妖怪の威厳など形無しなのだが。
そんな旧友に倣って、幽々子もありのままの自分を伝える。
「ねぇ紫」
「何?」
「よく覚えていないけど、多分きっと、私も間違えてたと思う。だからいつか向こうへ逝くわ」
「……そう」
「その時は、一緒に満開の桜を見ましょうね」
庭から見える枯れ木の下には、今も死体が眠っているらしい。紫の手がそっと霊体を撫でる。幽々子は「優しいのね」と握り返した。
運が良ければ生まれた時に親がくれるよ。
才能があれば、周囲がくれたりもする。
でもどれも経年劣化するから、最終的には自分で意味を作り続けていくしかないんだよね。
藍といい一部の人物を不自然に後進的に描いて場面の悪役を押し付けるのはどうかと。
「すべてを受け入れてきた責任をとって死のうと考える」というのも話全体の趣旨を無視しています。
こういう話は増えていいと思う
一方作者さんの書く文はどちらかと言うと簡素で味付けが足りてない気がする。
もっと情景に比喩暗喩を織り込み、色を読者に錯覚させられる文体になれば……或いはもっと?
どうでしょうね。まああまり気にせず戯言だと思ってください。
おもしろかったです。
つまり死後の魂がどういう扱いを受けるかとかはしっかりと分かっている筈だし、それを分かっていながら安易に自殺に走るような輩は居ないと思う。一部の特殊嗜好の変態を除いて。
つまりこういう事態は幻想郷じゃ起こらないんじゃないかなー、と。