やわらかなよる
窓から流れこむ夜気は、薄く肌を切りつけていく。秋の終わりをつげる白い吐息は枕元の洋燈を柔らかく反射して、夜の黒に溶けて消えた。
寒くなってきたこの時期にストーブは便利でいいが、数刻ごとに換気をしないといけないのは少し面倒だ。開け放たれた窓から忍び込む冷気は、まもなく訪れる冬を語っていた。
これから幻想郷の寒さは厳しくなる。特に太陽の光の届かない魔法の森は、底冷えするような寒さが襲ってくる。そろそろ冬支度をしなければならない。あぁ、炭の蓄えはまだあっただろうか。明日にでも人里に買い出しに行こう、せっかくだから保存食や日用品の買い足しもしようか。
――そうすると何度か人里を往復しなければならない、ぼんやりと杏色のランプを見つめながら霧雨魔理沙はそんなことを考えていた。カチ、カチ、と時計の音が響く、その針は一時を回っていた。枕にその頭を横たえてから既に一時間、彼女の意識は未だ夜に沈むことを拒んでいた。
魔理沙は生来より宵っ張りであったが、今は読みたい魔導書があるわけでもなく、急ぎの研究があるわけでも無かった。そんな時に、わざわざ夜更かしをすることは無い。彼女が眠れないのは理由がある。
魔理沙は魔法の森で一人暮らしをしている。魔法の森といえば湿度も高く、日の光も届かない、おまけに化け物茸の瘴気が辺り一面に満ち満ちて、妖怪ですら寄りつかない。近所といえば、七色の人形遣いと偏屈な道具屋の店主だけである。
そのような環境で同居人など望むべくも無く、当然魔理沙は身の回りのことを一人でこなしている。むろん、寝るときも一人である。おおきめに作られたベッドは小柄な彼女には大きすぎるほどだった。だがその広すぎる寝台も今は半分程度の広さしか使えない。首だけを動かしてかたわらを覗きこむと、整った顔立ちの美人がそこにいた。
昼間は顔の横で編まれている髪はほどかれて枕の上にさらさらと流れている。月影を溶かしこんだ白銀のそれは、窓から入りこむ風に当てられ、夜のなかで天の川のように輝いていた。柔らかな月光に彩られた肌は、人のものは白すぎるほど。呼吸のたびに微かに上下する胸元と微かな寝息だけが彼女を生あるものとしていた。
この美人――十六夜咲夜こそが魔理沙の眠れぬ理由であった。紅魔の従者たる咲夜は基本的に休日というものを持たない。しかし時々、主人の気まぐれで休日が与えられる事もある。そのような時は、咲夜は魔理沙の家にやってくる。今では、咲夜の服から料理道具、紅茶やお酒まで運び込まれている。それを何故かと問うことは無かったし、特に拒絶することもなかった。紅魔館に忍び込んだ時にたびたび匿ってもらっている事もあるので無碍には出来ない。それに、咲夜の作るご飯は美味しいのだ。それだけで理由は十分だろう。
もう何度も咲夜とは床を同じくしているが、一人寝の期間が長い魔理沙にとっては、よく知っている相手とはいえ、隣で誰かが寝ているという状況はやはり慣れないものであった。それ故咲夜が泊まりに来た翌日には、魔理沙は決まって寝不足気味であった。
……やはり眠れない。魔理沙は何度目かも分からない寝返りをうつ。思わずため息をつく。思考は依然明瞭でいっこうに鈍る気配はない。眠れないのなら仕方ない、ここまで来たら朝まで起きていよう。そう考えた魔理沙は、一度は横たえた頭を枕から起こした。
徹夜をするのはいいが、何をしようか。――そういえば、図書館から盗ってきた本の中に一冊だけ小説が混じっていた。たまには物語に浸るのもいいかもしれない、眠れぬ夜の手すさびにはちょうどいいだろう。魔理沙は目的の本を取るために寝台から降りた。
「ううん」
その時、咲夜が少しだけ身じろぎをしたが、どうやら起こすまでには至らなかったらしい。すぐに、穏やかな寝息をたてはじめた。乱れた布団をかけ直してやる。当然ながら返事はない。
本棚に向かい、目的の本を探す。枕元の洋燈と、か弱い月の光を頼りに本棚に目をすべらせる。少しの間をおいてそれは見つかった。厚めの背表紙には金文字で『Collection of Arabic stories』とあった。アラビアンナイト、千夜一夜物語。なるほど、眠れぬ夜の慰みものにこれ以上ふさわしい本はないように思われた。
異国の御伽草子を片手に寝台へと戻る。お気入りの杏色の洋燈を枕元へ引き寄せて、物語を開いた。
シェヘラザードの物語は色に満ちていた。機知に富む姫の口から語られる物語は、色とりどりの言葉に飾られ一枚の絵のように浮かび上がる。頁を繰る度に、言葉の宝石がキラキラと輝くようで、シャフリヤール王が夢中になるのも頷けた。いくつもの言葉が脳裏に浮かんでははじけ、浮かんでははじけ、いつしか魔理沙は読書に没頭していた。
夢中で読み進めていると、ふと魔理沙は喉の渇きを覚えた。なにか飲もうかと寝台を降りたとき、たぶん衝撃で起こしてしまったのだろう、咲夜と目が合った。先ほどまで閉じられていた青色の目は、いまだ半分夢を見ているのか、いつもの半分程度しか見えていない。薄く開かれた瞳から僅かに見える青色が、物語に出てくる青薔薇のようだと、魔理沙は思った。
「なにをしてるの?」
「もう朝だぜ」
「まだ真っ暗じゃない」
「バレたか」
「それでなにをしてたの?」
「眠れなくて本を読んでたら喉が渇いたから、何か飲み物をと思ってな」
「……また夜更かしをしてたの」
眠たそうに目を擦りながら、咲夜もベッドから降りた。欠伸を一つ。ベッドの脇に畳まれたカーディガンをパジャマの上に羽織った。黒いパジャマと対照的な白い生地は積もりたての雪のようにふかふかとしていた。
「眠いんだろ。寝てろよ」
「誰かのせいで目が覚めてしまったし、私も何か飲むわ」
そう言うと咲夜はキッチンへと向かっていった。
その背中を見送り、換気のために開けてあった窓を閉めると、魔理沙もそれに続いた。
咲夜はすでに鍋を持って何かを作っていた。手元をのぞきこむと、ミニ八卦炉の火にかけられていたのは、微かに湯気立つ白い液体。ほのかに香る甘い匂いが鼻をなぞった。
「これは……ホットミルク?」
「そう。眠れないんでしょ。昔眠れない時によく美鈴に作ってもらったわ。――二つカップを出してちょうだい」
「はいはい」
戸棚から二人分のマグカップを出してテーブル咲夜に渡した。ゆっくりと注がれる温かいホットミルクからは、柔らかな湯気が立ちのぼる。差し出されたずんぐりとしたカップを受け取ると、熱を帯びた陶器が夜気に冷えた指先を温めた。
「ブランデーも効かせといたから」
一口飲むと牛乳の微かな甘みと柔らかな風味が広がる。温かな塊はするりと喉を滑り降りると、お腹の中からじわりと温かさが広がっていき、口の中には、きっと良いものなのであろう、ブランデーの豊かな香気だけが残った。その甘やかな香りは、優しさに満ちていた。
もう一口、二口。三口目を飲んだところで、ようやく魔理沙はカップから口を離した。
「美味しい……」
「ありがとう」
咲夜は素直な感想に気を良くしたらしい。手製のホットミルクを夢中で飲む魔理沙の姿を、にこにこと笑顔を浮かべて見ていた。
ホットミルクを飲みながら、ふと魔理沙は先ほどの考えを思い出した。――二人で買い物に行くのも悪くないもしれぬ。何度も森と人里を往復する必要もない。それに一人でぐるぐると必要な店を巡るだけの買い物よりも楽しいに違いない。どこの店から回ろうか、久しぶりに甘味処にもよってみようか。
霧雨の家を出てから魔理沙は久しく、誰かと買い物をするということをしなかった。そのため頭のなかで計画を立ててみると、それは楽しい、実に楽しいことのように思えた。ホットミルクに溶けこんだブランデーのせいもあるのか、ふわふわした気分になってきた。だからだろう、魔理沙は躊躇いなく咲夜に提案が出来たのは。
「なあ咲夜、今日一緒に買い物に行かないか」
「いいけど、急にどうしたの」
「そろそろ寒くなってきたから」
「冬支度?」
「そう」
「休暇中の私を使おうとするなんて、ひどい子ね」
「そういえば霊夢から里の甘味処が新作を出したって聞いたから、いくつか買おうと思うんだ」
「手を打つわ」
即決だった。いつの時代も甘いもので女の子を釣る方法は有効らしい。
「じゃあ、決まりだな」
どこかホッとしたような表情をした魔理沙は、それでも念を押すように呟いた。
それからはどの店を回るかとか、お昼ごはんはどうするかとか、とりとめもない会話を続けた。
晩秋のゆっくりと流れる時間は、今日は縁のなかった眠気を魔理沙へと運んできた。マグカップの底に残ったホットミルクを飲み干す。
「ふぁ……」
「眠くなってきた?」
「うん……」
「それじゃあ戻りましょうか」
「うん……。でも、いま寝ると寝坊するし」
「私がちゃんと起こすから」
「ほんとうに?」
「ほんとうに。ほら、甘味処の新作奢ってくれるんでしょう?」
「ん、分かった」
魔理沙の意識は既に傾きかけていて、咲夜の手に引かれるままに寝室へと戻った。窓を閉じたにもかかわらず、寝室の空気は冬の息遣いに満ちていた。冷ややかな夜気に当てられたシーツはすっかり冷たくなっていて、ようやく訪れたかと思われた眠気は少しだけ身を引いた。魔理沙が恨めしそうに声を上げるのも仕方のないことだと思われる。
「……つめたい」
「こうすれば温かいわ」
くすり、と咲夜は笑うと、魔理沙のそれよりも随分と豊かな胸の中に魔理沙をかき抱いた。二人の体温はゆっくりと混じりあい、柔らかく二人を包んでいく。
「やっぱり魔理沙は体温高くて温かいわね。子供だから」
「うるさい」
軽口に言い返すほどの余裕は魔理沙には既になく、ただ咲夜の背に腕を回し、強く、強くしがみついた。それは、暗い森の中でずっと一人で眠ってきた魔理沙が無意識のうちにひた隠してきた寂しさと心細さの現れのように咲夜には思えた。
咲夜は太陽の光を紡いだような魔理沙の髪をひと撫でし、額と頬に一回ずつくちづけた。
「おやすみなさい、魔理沙」
「おやすみ、咲夜」
へにゃりと笑顔を残し、魔理沙は意識を夜の中に手放した。しばらくすると残された洋燈が揺らいで消えた。部屋には二人分の寝息だけが響いている。
やわらかなよるは静かに更けていった。
窓から流れこむ夜気は、薄く肌を切りつけていく。秋の終わりをつげる白い吐息は枕元の洋燈を柔らかく反射して、夜の黒に溶けて消えた。
寒くなってきたこの時期にストーブは便利でいいが、数刻ごとに換気をしないといけないのは少し面倒だ。開け放たれた窓から忍び込む冷気は、まもなく訪れる冬を語っていた。
これから幻想郷の寒さは厳しくなる。特に太陽の光の届かない魔法の森は、底冷えするような寒さが襲ってくる。そろそろ冬支度をしなければならない。あぁ、炭の蓄えはまだあっただろうか。明日にでも人里に買い出しに行こう、せっかくだから保存食や日用品の買い足しもしようか。
――そうすると何度か人里を往復しなければならない、ぼんやりと杏色のランプを見つめながら霧雨魔理沙はそんなことを考えていた。カチ、カチ、と時計の音が響く、その針は一時を回っていた。枕にその頭を横たえてから既に一時間、彼女の意識は未だ夜に沈むことを拒んでいた。
魔理沙は生来より宵っ張りであったが、今は読みたい魔導書があるわけでもなく、急ぎの研究があるわけでも無かった。そんな時に、わざわざ夜更かしをすることは無い。彼女が眠れないのは理由がある。
魔理沙は魔法の森で一人暮らしをしている。魔法の森といえば湿度も高く、日の光も届かない、おまけに化け物茸の瘴気が辺り一面に満ち満ちて、妖怪ですら寄りつかない。近所といえば、七色の人形遣いと偏屈な道具屋の店主だけである。
そのような環境で同居人など望むべくも無く、当然魔理沙は身の回りのことを一人でこなしている。むろん、寝るときも一人である。おおきめに作られたベッドは小柄な彼女には大きすぎるほどだった。だがその広すぎる寝台も今は半分程度の広さしか使えない。首だけを動かしてかたわらを覗きこむと、整った顔立ちの美人がそこにいた。
昼間は顔の横で編まれている髪はほどかれて枕の上にさらさらと流れている。月影を溶かしこんだ白銀のそれは、窓から入りこむ風に当てられ、夜のなかで天の川のように輝いていた。柔らかな月光に彩られた肌は、人のものは白すぎるほど。呼吸のたびに微かに上下する胸元と微かな寝息だけが彼女を生あるものとしていた。
この美人――十六夜咲夜こそが魔理沙の眠れぬ理由であった。紅魔の従者たる咲夜は基本的に休日というものを持たない。しかし時々、主人の気まぐれで休日が与えられる事もある。そのような時は、咲夜は魔理沙の家にやってくる。今では、咲夜の服から料理道具、紅茶やお酒まで運び込まれている。それを何故かと問うことは無かったし、特に拒絶することもなかった。紅魔館に忍び込んだ時にたびたび匿ってもらっている事もあるので無碍には出来ない。それに、咲夜の作るご飯は美味しいのだ。それだけで理由は十分だろう。
もう何度も咲夜とは床を同じくしているが、一人寝の期間が長い魔理沙にとっては、よく知っている相手とはいえ、隣で誰かが寝ているという状況はやはり慣れないものであった。それ故咲夜が泊まりに来た翌日には、魔理沙は決まって寝不足気味であった。
……やはり眠れない。魔理沙は何度目かも分からない寝返りをうつ。思わずため息をつく。思考は依然明瞭でいっこうに鈍る気配はない。眠れないのなら仕方ない、ここまで来たら朝まで起きていよう。そう考えた魔理沙は、一度は横たえた頭を枕から起こした。
徹夜をするのはいいが、何をしようか。――そういえば、図書館から盗ってきた本の中に一冊だけ小説が混じっていた。たまには物語に浸るのもいいかもしれない、眠れぬ夜の手すさびにはちょうどいいだろう。魔理沙は目的の本を取るために寝台から降りた。
「ううん」
その時、咲夜が少しだけ身じろぎをしたが、どうやら起こすまでには至らなかったらしい。すぐに、穏やかな寝息をたてはじめた。乱れた布団をかけ直してやる。当然ながら返事はない。
本棚に向かい、目的の本を探す。枕元の洋燈と、か弱い月の光を頼りに本棚に目をすべらせる。少しの間をおいてそれは見つかった。厚めの背表紙には金文字で『Collection of Arabic stories』とあった。アラビアンナイト、千夜一夜物語。なるほど、眠れぬ夜の慰みものにこれ以上ふさわしい本はないように思われた。
異国の御伽草子を片手に寝台へと戻る。お気入りの杏色の洋燈を枕元へ引き寄せて、物語を開いた。
シェヘラザードの物語は色に満ちていた。機知に富む姫の口から語られる物語は、色とりどりの言葉に飾られ一枚の絵のように浮かび上がる。頁を繰る度に、言葉の宝石がキラキラと輝くようで、シャフリヤール王が夢中になるのも頷けた。いくつもの言葉が脳裏に浮かんでははじけ、浮かんでははじけ、いつしか魔理沙は読書に没頭していた。
夢中で読み進めていると、ふと魔理沙は喉の渇きを覚えた。なにか飲もうかと寝台を降りたとき、たぶん衝撃で起こしてしまったのだろう、咲夜と目が合った。先ほどまで閉じられていた青色の目は、いまだ半分夢を見ているのか、いつもの半分程度しか見えていない。薄く開かれた瞳から僅かに見える青色が、物語に出てくる青薔薇のようだと、魔理沙は思った。
「なにをしてるの?」
「もう朝だぜ」
「まだ真っ暗じゃない」
「バレたか」
「それでなにをしてたの?」
「眠れなくて本を読んでたら喉が渇いたから、何か飲み物をと思ってな」
「……また夜更かしをしてたの」
眠たそうに目を擦りながら、咲夜もベッドから降りた。欠伸を一つ。ベッドの脇に畳まれたカーディガンをパジャマの上に羽織った。黒いパジャマと対照的な白い生地は積もりたての雪のようにふかふかとしていた。
「眠いんだろ。寝てろよ」
「誰かのせいで目が覚めてしまったし、私も何か飲むわ」
そう言うと咲夜はキッチンへと向かっていった。
その背中を見送り、換気のために開けてあった窓を閉めると、魔理沙もそれに続いた。
咲夜はすでに鍋を持って何かを作っていた。手元をのぞきこむと、ミニ八卦炉の火にかけられていたのは、微かに湯気立つ白い液体。ほのかに香る甘い匂いが鼻をなぞった。
「これは……ホットミルク?」
「そう。眠れないんでしょ。昔眠れない時によく美鈴に作ってもらったわ。――二つカップを出してちょうだい」
「はいはい」
戸棚から二人分のマグカップを出してテーブル咲夜に渡した。ゆっくりと注がれる温かいホットミルクからは、柔らかな湯気が立ちのぼる。差し出されたずんぐりとしたカップを受け取ると、熱を帯びた陶器が夜気に冷えた指先を温めた。
「ブランデーも効かせといたから」
一口飲むと牛乳の微かな甘みと柔らかな風味が広がる。温かな塊はするりと喉を滑り降りると、お腹の中からじわりと温かさが広がっていき、口の中には、きっと良いものなのであろう、ブランデーの豊かな香気だけが残った。その甘やかな香りは、優しさに満ちていた。
もう一口、二口。三口目を飲んだところで、ようやく魔理沙はカップから口を離した。
「美味しい……」
「ありがとう」
咲夜は素直な感想に気を良くしたらしい。手製のホットミルクを夢中で飲む魔理沙の姿を、にこにこと笑顔を浮かべて見ていた。
ホットミルクを飲みながら、ふと魔理沙は先ほどの考えを思い出した。――二人で買い物に行くのも悪くないもしれぬ。何度も森と人里を往復する必要もない。それに一人でぐるぐると必要な店を巡るだけの買い物よりも楽しいに違いない。どこの店から回ろうか、久しぶりに甘味処にもよってみようか。
霧雨の家を出てから魔理沙は久しく、誰かと買い物をするということをしなかった。そのため頭のなかで計画を立ててみると、それは楽しい、実に楽しいことのように思えた。ホットミルクに溶けこんだブランデーのせいもあるのか、ふわふわした気分になってきた。だからだろう、魔理沙は躊躇いなく咲夜に提案が出来たのは。
「なあ咲夜、今日一緒に買い物に行かないか」
「いいけど、急にどうしたの」
「そろそろ寒くなってきたから」
「冬支度?」
「そう」
「休暇中の私を使おうとするなんて、ひどい子ね」
「そういえば霊夢から里の甘味処が新作を出したって聞いたから、いくつか買おうと思うんだ」
「手を打つわ」
即決だった。いつの時代も甘いもので女の子を釣る方法は有効らしい。
「じゃあ、決まりだな」
どこかホッとしたような表情をした魔理沙は、それでも念を押すように呟いた。
それからはどの店を回るかとか、お昼ごはんはどうするかとか、とりとめもない会話を続けた。
晩秋のゆっくりと流れる時間は、今日は縁のなかった眠気を魔理沙へと運んできた。マグカップの底に残ったホットミルクを飲み干す。
「ふぁ……」
「眠くなってきた?」
「うん……」
「それじゃあ戻りましょうか」
「うん……。でも、いま寝ると寝坊するし」
「私がちゃんと起こすから」
「ほんとうに?」
「ほんとうに。ほら、甘味処の新作奢ってくれるんでしょう?」
「ん、分かった」
魔理沙の意識は既に傾きかけていて、咲夜の手に引かれるままに寝室へと戻った。窓を閉じたにもかかわらず、寝室の空気は冬の息遣いに満ちていた。冷ややかな夜気に当てられたシーツはすっかり冷たくなっていて、ようやく訪れたかと思われた眠気は少しだけ身を引いた。魔理沙が恨めしそうに声を上げるのも仕方のないことだと思われる。
「……つめたい」
「こうすれば温かいわ」
くすり、と咲夜は笑うと、魔理沙のそれよりも随分と豊かな胸の中に魔理沙をかき抱いた。二人の体温はゆっくりと混じりあい、柔らかく二人を包んでいく。
「やっぱり魔理沙は体温高くて温かいわね。子供だから」
「うるさい」
軽口に言い返すほどの余裕は魔理沙には既になく、ただ咲夜の背に腕を回し、強く、強くしがみついた。それは、暗い森の中でずっと一人で眠ってきた魔理沙が無意識のうちにひた隠してきた寂しさと心細さの現れのように咲夜には思えた。
咲夜は太陽の光を紡いだような魔理沙の髪をひと撫でし、額と頬に一回ずつくちづけた。
「おやすみなさい、魔理沙」
「おやすみ、咲夜」
へにゃりと笑顔を残し、魔理沙は意識を夜の中に手放した。しばらくすると残された洋燈が揺らいで消えた。部屋には二人分の寝息だけが響いている。
やわらかなよるは静かに更けていった。
やわらかい雰囲気でとてもいい咲マリでしたー。ごちそうさまです。次作も楽しみにしています。
子供体温魔理沙可愛い。
ありがとうございます。SSを書くこと自体随分と久しぶりだったので自分でも納得しきれぬところがございますが、醸そうと思っていた雰囲気を感じていただけて嬉しいです。
>2さん
ありがとうございます。なるべく言葉を選びながら、雰囲気を重視した作品なのでそれを感じ取っていただけたら幸いです。
>しゃるどねさん
ご丁寧な感想とアドバイスをありがとうございます。
僕が今回自分でも納得できなかった点は、まさにご指摘のとおりです。
僕は雰囲気を重視するためガジェットと言葉を重視します。
その反面ガジェット・言葉に対する説得力を持たせることが非常に苦手です。
キャラクターの行動・ガジェットに対する説明は作品理解の一助となる一方で、ともすれば作品自体の雰囲気を壊してしまうこともあり、バランスを取るのが難しいところであります。
どうすればその説得力を持たせられるかが、しゃるどねさんのアドバイスで糸口をつかめたように思います。
難しい課題ではありますが、頑張っていこうと思うので宜しくお願いします。
咲夜さんの瞳の描写が好きでした。
ブランデー入りホットミルクなんてお洒落な物を飲んでみたいものです。
ただ一つ、晩秋なのにもう冬の息遣いに満ちるものなのか?という疑問はありましたが。
それはともあれ咲マリありがとうございます!
優しい雰囲気が素敵な作品でした
やわらかくてあたたかな、良い作品でした
よく二人でお茶会してるし。
姉妹みたいな咲マリ大好きです。