Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

蓬輪篇

2013/02/06 22:41:46
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◆西暦二〇××年 幻想郷



「診断結果が出たわ。パターンオレンジ」

 女医は戸を開けて診察室に戻ってくるなり淡々と述べた。それを聞いた患者はわざとらしく首を傾げてみせる。

「レッドでもブルーでもない……ならば私はハーフってことかな?」
「いいえ」

 冷たい声で否定しながら、女医は椅子に腰かける。それから少し躊躇いがちに間を置いてから言葉を続けた。

「人でも妖怪でもなく、生きても死んでもいない。蓬莱人よ」

 患者は頭巾を降ろして頭を掻いた。けれどその表情に困惑の色は見えない。彼女はその答えを予想していたし、ある意味期待していた。だからこの反応は照れ隠しのような意味合いであろう。
 一方で向かい合う女医の顔は少し暗い。相手が事実をそう重く受け止めない、という事実を深刻に思ったためか。あるいは想定外の同胞の出現に衝撃を受けたためか。どちらにせよ、質問せずにはいられなかった。目の前の少女の生い立ちについて。

「雲居さん。貴方一体どうしてこう、なったのかしら」
「心当たりがあるにはあるのですが、えーっと、多分あの時の……」

 そうして雲居一輪は過去の記憶、蓬莱人としての自分のルーツを呼び覚ます。彼女の脳裏に最初に浮かんだのは、燃え盛る炎を纏った白髪の少女の姿であった。





 ナズーリンは竹林の茂みに隠れながら、医院「永遠亭」の様子を窺っていた。
 彼女は一輪同様里唯一の寺院「命蓮寺」の門下であった。正確に言えば寺の本尊である毘沙門天、その代理の虎丸星の使いであって、住職直参の一輪とは立場が大きく異なる。今日も上司に依頼されて、事故で怪我をしたという一輪をここまで連れてきたに過ぎなかった。
 とはいえナズーリンにしてみれば、実質一輪に使われていることには違いなかった。何故かと言えば迷いの竹林の道案内ができるのは自分しかおらず、それを知っているのは日頃彼女に竹林の調査を指示していた一輪に他ならなかったからだ。本来指揮系統は違うと言えど、寺に所属している以上組織の運用を担っている古参メンバーの言うことは聞くべきだし、何よりも一輪がそういう能力の持ち主だということが大きい。
 他者を扱うことに関しては雲居一輪の右に出る者はいなかった。何しろ千年も見越入道の雲山を従えてきた妖怪使いのスペシャリストである。少なくともナズーリンはそう評価していた。彼女からの依頼は往々にして自身の利益も見出せることが多く、毎度わかっていても乗せられてしまう。それは竹林及び「永遠亭」、そしてそこに住む不老不死の宇宙人の調査もそうで、埋まっていた秘宝がどんどん見つかるのだからすっかり……だ。この鼠の小妖怪は己が持つ知的好奇心を上手く利用されていたのである。
 一方でその探究心は留まることを知らず、一輪の意図をも勘ぐり始めていた。どうして彼女は辺鄙なところにある屋敷などについて調べさせるのだろう。それも内密で。何か裏があるのではと。そこへ舞い込んだのが今回の事故である。
 星によれば大掃除の際、毘沙門天の槍を運んでいた一輪が階段から扱けて槍が胸に刺さったという。しかしあの抜け目ない一輪がそんなヘマをするのか、そもそも何故一輪が槍を持っていたのか、偶然にも刺さる物か。それに星らも実際に見たわけではなくあくまで本人の供述らしい。仲間達はまず猜疑心というようなものとは無縁の連中だ、しかしこのナズーリンは違う、どこか妙であると考えていた。道中一輪の重傷にしては元気な様子もまた不可解さを増していた。
 そして「永遠亭」に着いたところで疑惑は確信に変わった。すぐ寺に戻るよう一輪に言われたのを無視して盗聴を試みたのだが、雲山が見張っていて近づけない。代わりに使役する子鼠を忍び込ませようとするのも連絡が途絶えて久しい。おそらくこれが目的だったのだろう、「調査」は選定、「事故」は口実だったのだ。
 だがそんなことは今ではさして重要ではない、問題はその中身だ。一輪は極秘に蓬莱人と接触し何をなそうというのだ。巨大な入道雲が目を光らせて宝を守っている。ナズーリンは膨れ上がった好奇心を押さえつけられて悶々としながら、古ぼけた屋敷を睨んでいた。

「おい鼠、そこで何をしている」

 後ろの茂みから声がした。ナズーリンは驚いて振り返りそうになるも、瞬時に自分を落ち着かせて逃げ出そうとする。しかしその前に尻尾をぐいっと掴まれてしまった。

「な、何をするのかね? 無礼じゃないのかい?」

 言葉こそ高圧的だが表情は完全に怯えきって冷めている。ナズーリンのような力の弱い妖怪はえてして、危険を避けるために相手の力量を即座に読み取る術を身に付けている。そのおかげで背後の者が遥かに格上の存在であることはわかっていた。これも一輪が仕組んだことだろうと思うと彼女が憎らしく思えた。

「ま、待ちたまえ……鼠の肉は美味しくないんだ。私を見逃してくれたなら君にはもっと上等な肉を振る舞おう。金銀財宝を所望するのであれば探してやろうじゃないか。なぁに私はそういう能力なんだ。お安い御用さ」

 ナズーリンがペラペラと命乞いの文句を並べていると、尻尾から手が離れた。しめたとばかりにペンデュラムを後方に投げつける。先手必勝、そして逃げるが勝ちである。肉の千切れる音を合図に駆け出そうとしたその瞬間、ナズーリンの視界が真っ暗になり、体が宙に浮く。そして尻餅をついて光が戻った時には、目の間に人が立っていた。

「うわっ!」
「無礼なのはお前の方じゃない。私じゃなかったら無事じゃないね」

 話しかけてきた相手は気怠そうに腹に開いた穴を指差す。その次にはみるみる傷が塞がって元通りになった。ナズーリンは勢いよく地面に頭を擦りつけた。

「ご、ごめんなさいごめんなさい……刺客かと勘違いしたばかりに、大変ご無礼仕りました藤原妹紅様ァ!」
「あぁん? こんなの慣れっ子だからいいっていいって。大袈裟だなぁ」

 妹紅と呼ばれた白髪の少女はニタニタと笑った。彼女は竹林に住む蓬莱人の一人で、かれこれ千三百年は生きている。無論その素性はナズーリンも調査済みだ。

「別に取って食うつもりもないから安心して、どうぞ。それにしてもこんなところで何をしているんだ? 一月前からよく見かけるけど。チーズならこの辺にはないよ」
「いや……私はちょっと地質調査が趣味でね……」

 今までの行動を把握されていたのがナズーリンには少し驚きであった。しかしこう訊いてくるということは詳細を悟られていないことの表れであるからして、安心して誤魔化してみた。もっともナズーリン自身どうしてここの調査をやらされているか知らないし知りたいところであるのだが。
 そこでナズーリンは思い切って妹紅から情報を得ることを考えた。彼女が蓬莱人と言えど「永遠亭」とは敵対関係にあることは知っていたので、ならば利用できるのではないだろうかという判断である。一輪と繋がっていた時のリスクも承知していたが、持ち前の好奇心の方が上回った。このままじっと眺めているのに耐えられなくなっていたのだ。スカートに付いた土を払って立ち上がるなりナズーリンは質問した。

「ところでお嬢さん、近頃この辺でおかしなことってなかったかい?」
「おかしなこと? さぁ。お前がいることくらいだよ。だから気になっていたの」
「あぁ……じゃあ他に誰か見かけたとか。例えばほら、あそこの」

 そう言ってナズーリンは竹を背にして身を隠しつつ、茂みの向こうの雲山に指差した。

「なんだありゃ。ちょっと見覚えがないな……それにしてもなんだ、そいつは調査とやらに関係あるのか?」

 妹紅は怪訝な視線を向ける。内心ビクビクしていたナズーリンだが、気取られないよう平坦な声を作った。

「いやまぁその。別件でね。じゃあ雲居一輪という名に聞き覚えはあるかい? あの入道を従えている者だ。彼女、永遠亭に何の用だろう」

 雲山を知らないということは一輪のことも知らないだろうと、あまり期待せずにナズーリンは問いかけた。ところが妹紅はそれ以来黙りこくった。全く想定外の反応にナズーリンはどうすればいいかわからなくなり、次第に地雷原に飛び込んでしまったのではと不安を増していく。ようやく妹紅は重い口を開いたが、また予想だにしない言葉が飛び出した。

「雲居一輪、か。まさか……な。いや、あり得る話か……」
「な!? どういうことだい? もしかして君の知り合い? 一体どういう関係なんだ?」

 たまらずナズーリンは質問攻めにする。慌てるなと言わんばかりに妹紅はゆったり腰を落として胡坐をかいた。

「多分、同姓同名の別人じゃなきゃあ……鼠、お前も座れ」

 言われるがままにナズーリンは正座する。妹紅はもっと楽な姿勢でいいと彼女の足を崩させた。一回深呼吸をすると、声を低くして語り始めた。

「ちょっと長い話になるけどいい? まぁ聞いてくれ。そしてできれば、できればでいいが……後で彼女に伝えてくれないか?」
「何だい?」
「私の懺悔をだよ」







◆西暦八××年 大和



 京がこの地より北に移ってじきに百年、一向に戻る様子を見せないのに対して、雲居一輪は数年で故郷に帰ってくることになった。
 だが人間にとって、しかも成長期の少女にとってはたった一年でも経てば見違える。村を出た頃の彼女はまだ小さくその腕はちょっと掴んだだけでも折れてしまいそうだったが、すっかり背も伸び、体つきも逞しくなった。そういうわけで彼女は、久しぶりに会う者達に自分が自分だと認識してもらえるかどうか不安に思っていたりした。
 だが大多数の人間は一輪の容姿などで彼女かどうかを判別しない。その頭上を見上げれば一目瞭然だからである。

「女だァヒャッハー! いっただっきまぁす!」

 一輪が林道を歩いていたところ、突如として脇から人一人分くらいの身の丈はある巨大な蟷螂が躍りかかった。このいかにも知能の低そうな下等妖怪は哀れである。その目は一人の少女しか捉えていなかったからだ。もう少し視野が広ければ手を出すこともなく助かったであろう。
 妖怪が獲物を狩ろうと腕を振るわんとした時、天空から降りてきた拳骨に叩き潰された。そいつは地面と一体化して、もはや原形を留めていない。ふんっと一輪は鼻を鳴らした。

「身の程知らずが、出てこなければやられなかったものを。雲山、ご苦労さん」

 いつの間にやら一輪の後ろには中年男性の顔をかたどった大きな入道雲が控えていた。彼、雲山は見越入道というれっきとした妖怪である。そして雲居一輪と言えば、入道を従えた天下無双の妖怪退治屋として広く名の知れた存在だった。

「今日だけで九体目か。やけに多い、妙だわ……やっぱり雲山もそう思う……成程、関係あるかもねぇ」

 雲山の声は普通の人間には聞き取ることができない。彼の意思でそうしている。だが主人の一輪に対しては別だ。傍からは一輪が一人芝居しているようにしか見えないがちゃんと会話は成立している。

「……ならば急いだ方がい……ん?」

 一輪はまた歩き出そうとするところを止めて、耳を澄ました。決して雲山の声を聞き取るためではない。ガサッと物音がしたからだ。それはちょうどさっきの妖怪が現れたのと逆側から聞こえてくる。次第に音が大きくなるにつれて緊張が走る。雲山は拳を構えて新手の襲撃に備えていた。
 しかし一輪と雲山の前に飛び出したのは妖怪ではなく、人間だった。しかも一輪と同い年か、それより下くらいの少女である。だがその髪は不思議と老婆のように真っ白。ボロボロに千切れた服を纏いどこぞの野盗のような身なりであったが、顔立ちは端正でまるで貴族の姫君のような品も備えていた。
 目と目が合う。少女の瞳は燃えているかのように赤く、ギラギラと光っていた。一輪は声をかけようとするが、それを避けるように少女は長い髪をなびかせて走り去った。呆気にとられる一輪だったが、白髪の娘を追おうとする雲山の動きに気づき、制止した。

「私もちょっと気になるけど、まぁ訳有りでしょ、深入りしない方が良さそうな。それより村が心配だわ。さぁ、一刻も早く」

 駆け足で一輪は歩き始めた。しかし雲山は動かないまま、その場で少女の消えた方を見つめていた。後ろに気配がしないので何度も振り返っては呼んだが、雲山は応答すらしない。とうとう一輪は折れた。

「じゃあお先に失礼しますからねぇ! ったく何なのよいきなり、私よりあんな子の方に惚れたってーのぉ……」

 肩を大袈裟に揺らしながら土を蹴る一輪を見送って、雲山はふぅと深く溜息をついた。
 彼が後を付いていかなかったのは何も白髪の少女が気になったわけではない。たまたま一輪から距離を取るのにいいタイミングに過ぎなかったのである。実のところ、一輪が故郷からの手紙を受けて帰ることになった時からこの機会を窺っていた。
 はたして自分が一緒にいることが一輪の為になることか。雲山は彼女に退治されて付き従うようになって以来、ずっと頭の片隅にこの疑問を持ち続けていた。確かに自分が守ることで彼女は身を脅かされなくなった。妖怪退治屋としての名声も富も得た。ところが見方を変えれば、自分を連れた彼女が化物として住処を追われ危険な外の世界に飛び込むこともなかっただろう、妖怪退治屋などで生計を立てずに済んだだろう、とも言える。故郷に帰るのに数年の時をまたぐ必要もなかったはずだと。
 此度の件で雲山はこうも考えた。ここで自分がいなくなれば一輪は元のあるべき暮らし、普通の人間としての暮らしに戻れるのではないかと。そういうわけで一旦距離を取ったわけである。けれどもやはり彼女のことが気にかかるので、時間を置いたらチラッと様子を見に行くことにもした。
 さてそれまではやることがない。雲山は結局さっきの少女を探すことにした。何だか本当に浮気しているみたいで後ろめたさを感じつつも、妖怪にとって目的を見失い暇を持て余すことは死に等しく、何か行動せずにはいられなかったのである。人間とコンビを組み時には同胞に手をかける彼も、この点ではどうしようもなく妖怪でしかなかった。





「おぉ、よくぞ帰ってきてくださいました。ええと……今は雲居殿、でしたかな」
「いやいや、昔のように呼び捨てでも」
「そんな滅相もない! 貴方様の活躍は村の皆も聞き及んでおります、ささっどうぞこちらへ」
「おい、雲居殿がお帰りなすったぞ! 御馳走を用意せい!」
「はは……」

 日が暮れる前には目的地へと着いた一輪だったが、大勢の大人達に迎えられて少々困惑していた。このような扱いを受けることは職業上珍しくなかったが、かつて追い出された身としては心変わりしたかのような好意的な態度に面喰うのも仕方がない。

「あの時はすまんかった。入道を連れているものだから、貴方様も妖怪の仲間にされたものだと……」

 その件については一輪にしても思うところが無きにしも非ずであったが、村の者がしきりに謝るので許す気になった。

「いやまぁ、いいんですよ。過ぎたことですし」

 その夜はもうお祭りであった。主賓の一輪を囲んで村の若い衆が酒や猪の肉を振る舞い、飲んで踊って騒ぐ。宴もたけなわというところで一輪は長老に呼ばれ、そっと人の輪を抜けた。
 二人は適当に雑談をしながら村の外れへと向かう。その先には小さな村に似つかわしくない立派な寺が建っていた。そこは一輪にとっても馴染みの場所であった。何しろ彼女は三つで両親を病で亡くしてから、この寺の和尚に保護されていたのだから。
 和尚は孤児である一輪に仏の教えと一人で生き抜く術、そして妖怪退治の技を叩き込んだ。その厳しさは時に苛烈を極め一輪は何度か彼を恨んだこともあったが、おかげでどこかで野垂れ死ぬこともなく今の自分があると深く感謝していた。
 その育ての親が急死したという知らせがそもそもの発端であった。手紙をよこした和尚の弟子によれば、一輪に受け取ってほしい遺品があるらしい。そういうわけで数年ぶりの帰郷を決意したのである。

「それで和尚様が私に渡したいものって何なんでしょう?」
「さぁ? 儂は詳しいことを聞いておらんでなぁ。新しい僧正殿に訊いてみぬことには」
「後任の方ってどなたでしょう?」
「んん……なんと言いますかまぁ……」

 長老の曖昧な返事に一輪は少し不審に思ったが、もう寺の目の前にまで来ているので中に入ればわかることだと足を速めた。
 勝手知ったる我が家に踏み込んで、一輪は懐かしさとある種の寂しさを覚えた。だが本堂の前に待ち構えている見知らぬ法師の姿が目に留まった瞬間、それらは言いようのない不安に塗り潰されてしまった。法師は一輪と長老に気づくと、一礼して話しかけてきた。

「長老さぁんお待ちしておりましたよぉ。そちらの方はぁ?」
「雲居一輪殿です。玄庵殿」
「おぉこれがあの有名な入道使いのぉ……失礼本体が居られないので気づきませんでしたぁ。私ここを任された玄庵と申しますぅ」
「貴方が後継の方でしたか。よろしく」

 一輪はねっとりとした口調の法師にあまり良い印象を受けなかった。どことなく不誠実で僧侶らしくない、それは彼女の記憶にある尊敬すべき和尚と比較しての評価でもあった。

「ところで入道の方はぁ?」
「皆を怖がらせてはいけないと外で待機させておられるそうです」

 長老が代わりに受け答える。これより前に同じことを長老が訊いた際、一輪はしれっと嘘を吐いた。雲山が依然追いかけてこない理由を彼女は知る由もない。こう嘘を吐くことで彼が戻ってこないのではないかと暗澹とするのを無意識的にセーブしていた。

「長老さぁん、この件については説明されましたぁ?」
「いや、まだでして……その」
「話が違うじゃないですかぁ? ねぇ。降りてもいいんですよぉ?」
「す、すみませぬ。どうか……」
「まぁいいですけどぉ実際に見てもらった方が早いですしぃ? あぁ立ち話も何なのでどうぞ」

 一輪は二人の会話に不穏なものを感じ取っていたが、言われるがまま本堂の中に入る。始めは真っ暗で何も見えなかったが、玄庵がハッと声を放つと一斉に蝋燭の火が灯った。法術の類であろう。そうして明らかになるなり一輪は驚きの声を上げた。

「なっ!? これは一体……!」

 彼女が目にしたのは一面に横たわる子供達の姿であった。ところどころ知っている顔がいて、彼らが自分と同じく和尚に引き取られた孤児であることは即座にわかった。皆表情は苦しそうで、肌は真っ赤に爛れている。

「妖怪の毒にやられたんですよぉみなさん。お気の毒にぃ」
「実は雲居殿……前の僧正殿もこれが原因で……」

 長老の話によれば、ある時寺を妖怪が襲い皆してそいつの瘴気に当てられたという。その際和尚は妖怪と格闘して殺されたらしかった。ちょうど客人として村を訪れた玄庵がこれを退治したもののそれで解決というわけにはいかなかった。どうもその妖怪も毒に犯されていて、媒介に過ぎなかったようだ。
 一輪はひどく動揺していた。ここにいる者達は言ってみれば彼女の家族である。そんな彼らが明日をも知れぬ命と聞けば、和尚の遺品整理どころではない。

「それで何か手はないの? この子達を助けるためなら私、何だってするわ!」
「そ、それですが一つだけ」
「あるんですよぉ。まぁ危険すぎるので今までどうしようもなかったんですがねぇ」

 玄庵の語気にいやらしさを感じた一輪は苛立ちを抑えきれず捲し立てた。

「危険? はん、それで我が身可愛さにこんな幼い子らの命を見捨てるだなんて、人間のやることじゃあないわ! まぁいいわよ貴方達はそうしてれば、方法だけ教えてくれればいいから。何といっても私は妖怪すら避けて通る雲居一輪様よ! もし解毒剤をどこぞの鬼が持っていたとしても奪い取ってみせるわ……で!」

 のらりくらりとした調子だった玄庵も流石に気圧されたか、真面目そうにハッキリとした声で説明する。

「それがですね、世の中には万能の薬というものがあるのですよ。火の鳥ってご存知ですか? 燃え盛る翼を持った神獣。その肝を煎じて飲めばあらゆる病苦を滅することができるとか」
「朱雀のこと? そんなの伝説上の……」
「目撃されたんですよ、しかもこの近辺で。おかげで火の鳥の肝を狙う妖怪共も集まってきて、お蔭で迂闊には近づけないというわけですが」

 あぁ、と一輪は手を叩いた。通りでこの一帯で妖怪と遭遇することが多かったのかと。その経験は火の鳥がいるという情報の信憑性を高めた。問題はそれを捕まえてきたところで実際に効果があるか、ということになる。

「本当に、その火の鳥の肝というのがあれば、皆助かるんでしょうね?」

 いまいち信用できない相手だからこその念押し。疑われるのは玄庵としてもいい気がしないのか、眉を八の字に曲げて訴える。

「勿論ですよぉ。これでも私ぃ朝廷公認の妖怪退治屋でもありますから。法術も中々のものでしょう? ねっ長老さぁん」
「玄庵殿の言うことは本当ですかと」
「疑ってすみません。それでは今すぐ火の鳥の捜索に向かいます」
「い、今すぐ!?」

 二人は驚いて一輪を引き留めるそぶりを見せるが、彼女は気にも留めず踵を返した。

「一刻も争うことですし」
「し、しかし雲居殿。夜明けを待った方がいいのでは? 夜は妖怪共がうろうろしておるし、それに酒も入っておられるし……」
「あの程度飲んだうちに入りません。それに今の時間の方がかえって好都合でしょう。こちらに確固たる手掛かりがない以上、獲物を追う魑魅魍魎共の中に飛びこむのが手っ取り早い。心配ご無用!」

 なぜなら私はあの雲居一輪なのだから、と言い残して彼女は颯爽と立ち去った。それを見つめる玄庵はもう隠す必要もないとばかりに邪悪な笑みを浮かべていた。長老がコホンと咳払いをする。

「手筈通り、ですかな」
「いやぁ、それ以上ですねぇ。天は我ら人間に味方しておられる。今日まで経を唱え続けた甲斐がありますわ」

 蝋燭の火が消え、男達は闇に溶けた。救いを求める子供達の呻き声はもう誰にも届かない。





 草木も眠る丑三つ時。夜の森林はどこまでも暗く、月明かりさえ背の高い木に遮られて満足に届かない。
 しかし一輪の動きに迷いはない。彼女は職業柄夜間の活動にも慣れているし、妖気を肌で感じ取ることができた。化物共に悟られないよう距離を保ちながら、彼らの獲物、即ち火の鳥を追う。

「全く雲山の奴、どこほっつき歩いているのよ……いいけど」

 村を飛び出した後、まず最初に一輪は雲山との合流を図ったのだが一向に彼が現れる様子はなく、苛立ちながらも先に妖怪の群れを見つけたのでそちらを優先することにした。これまでにも互いに分かれて行動したことはなくはない。一輪一人で妖怪を仕留めたこともあった。そんな経験を彼女は思い出しながら、自分を叱咤した。雲山がいなくてもこの程度たいしたことはないと。
 とはいえどんどん妖気が濃くなるにつれて、一輪は一層慎重になる。当初の予想よりも遥かに多くの妖怪が集まってきているのを感じて否応がなしに緊張の汗を垂らす。

「キイエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!」

 静寂は突如として破られる。一匹の妖獣の雄叫びを合図に、一斉に人外共は我先にと獲物を求めて疾駆する。それに混じって一輪も声の聞こえた方を目指した。
 途中妖怪同士が争いを起こしていて、混戦状態になっていた。その合間を縫うように一輪はひた走る。中には彼女に気づき襲い掛かる者もいたが、隠し持っていた短刀を急所に投げつけて返り討ちにした。その辺は流石百戦錬磨の妖怪退治屋と言うべきか、単独行動時に狙われることを想定して日頃武器を持ち歩けるだけ備え付けていた。

「おいネーチャン! 手を組もうぜ!」

 そんな一輪の腕を見込んで声を掛けてくる者がいた。生い茂る木の三倍くらいはありそうな巨大な白蛇の妖怪である。職業柄一輪は罠ではないかと警戒するが、杞憂であった。そいつは乗れと言わんばかりに体を寄せてきた、彼女が危害を加えないと信用して。彼女の方もならば利用するにこしたことはないと白蛇にしがみ付いた。

「短い間だろうけどよろしく、蛇さん」
「おう! 背中は任せたからな」

 若い蛇妖怪は猛スピードで地上の妖怪を薙ぎ倒しながら進む。しかし巨体故に目立ちやすく、空中を飛ぶ怪鳥の的になっていた。これらを撃ち落とすのが一輪の役割と言うわけである。
 即席で組んだ相方の背中に、一輪はどことなく雲山を見出して安心感を抱いた。しかしその気の緩みが彼を失わせることになった。
 前方の木から一匹の鎌鼬が白蛇の首を掻っ切ろうと飛び出してきた。一輪の投擲は少し遅れて間に合わず、大蛇の頭部がスパッと切り落とされ鮮血を吹いた。残った胴体はドサッと倒れ、彼女の小さな体は放り出される。地面に叩き付けられた痛みに呻く。

「っだぁっ! ぢぐしょうめっ! 私のせいでクソッ!」

 すぐに痛みよりも怒りが一輪の中で沸き起こった。戦場で油断した自分、ほんの少しの間とはいえ行動を共にした仲間を死なせた自分への怒りである。無残に転がっている彼の首を一輪は直視できなかった。怪我自体は幸いたいしたことはなかったが、精神的には深手を負っていた。
 しかし嘆いたところでどうしようもない。一輪は頭を切り替えて周囲の把握に努めた。すると、二匹の餓鬼が人間を襲っているのが目についた。しかもその今にも食い殺されようとしている人間には見覚えがあるではないか。

「あの時の……馬鹿、こんなとこにいるから……」

 髪の白い少女なんてそうそういるものではない。間違いなく帰郷途中に出くわしたあの少女である。一輪の性格上これを見過ごすことはできなかった。何しろ直前に白蛇を死なせてしまった後悔が残っている。短刀が残り一本しかないことを確認すると、それを右手に握りしめて飛び出した。

「うらぁぁぁぁああぁあぁぁぁあああぁぁぁぁぁあぁ」
「な!? なんじゃてめぎょえッ」

 自分を鼓舞するように一輪は叫びながら、少女を羽交い絞めにしていた鬼の頭部を撃ち抜いた。少女の白い髪が真っ赤に濡れる。

「剣拾え! こっちに来い!」

 一輪は少女に向かって命令した。一瞬呆気に取られていた少女だがすぐに指示に従って短刀を拾い、一輪の元へと走る。もう一匹の餓鬼が逃すまいとそれを追う。一輪もそうはさせまいと相手に向かって駆けた。
 鬼に追いつかれそうになった少女は咄嗟の判断で短刀を相手に振りかざす。それは命中しなかったが、小鬼はたじろいで尻餅をついた。その隙に一輪が少女に追いついて短刀を受け取り、そのまま飛びかかってトドメの一撃を下した。
 だが安心するには早い。すぐさま新手が二人の前に姿を現した。二足で立っているが顔は狼のソレで、身長は一輪の倍くらいのワーウルフだった。

「その白子を寄越せ」
「お断り……と言ったら?」
「然らば死すべし」

 ワーウルフの男は言うより早く殴りかかってきた。それを一輪は屈んでかわし、脇腹を斬りつける。そのまま致命傷を狙う彼女だが、半妖は後ろに跳躍し距離を取った。

「やるではないか貴様……ぬぉ!」

 様子を窺おうとしていたワーウルフを、突然横から別の妖怪が体当たりして弾き飛ばした。そいつの見た目は牛に似ていたが、角が五本あった。それだけじゃない。ぞろぞろと化物の類がその場に集まってくる。

「旦那ぁ抜け駆けは良くないぜ」
「なーなー俺も混ぜてくれよーなー」
「祭りの場所はここかぁ?」
「貴様ら……おい、奴らどこ行った!?」

 妖怪達が邪魔し合っているうちに一輪は白髪の少女を連れてその場から逃げ出していた。いくら百戦錬磨の一輪と言えど多勢に無勢。それにやはり雲山の不在がネックであった。一輪はいまだに戻らない相方を恨めしく思いながら、懸命に走る。妖怪達もすぐに気付いて追いかけてきた。

「待たんかいボケェ!」
「邪魔すんなハゲ殺すぞ」
「んだとぉハゲって言った方がハゲじゃお前が逝ねや!」
「おいお前らやめろこの雑魚共」

 追手が一枚岩でなく次第に同士討ちを始めたのは一輪達にとって幸いであった。普通は人間の足だとすぐに追いつかれてしまう。もっともいつ混乱を抜け出した妖怪の手に捕まるかわからず、依然として危機的状況には変わりなかった。

「ったく雲山の馬鹿馬鹿馬鹿、この子と一緒じゃなかったの? 早く来てよ……」

 一輪は愚痴を漏らすがやって来たのは雲山でなく醜悪な小鬼だった。思いのほか足が速く、その手は少女の腕を掴むほどに迫っていた。

「あっ!」
「しまっコイツ」
「デュフフフ肝イタダクゼェアッ……ホギャアアアアアアチィィィィィ!」

 ところが小鬼は突如として炎に包まれ燃え散った。何事かと一輪は驚く。気が付けばそこらかしらで火災が起きており、真っ暗なはずの森の中は昼間のように明るい。妖怪達は火消しに躍起になっていて、一輪達を追うどころではなかった。

「近くに狭い洞窟があって寝床にしている。今なら行ける」

 ここで初めて白髪の少女が口をきくなり、先程までと逆に一輪の手を引っ張った。戸惑いながらも一輪は後を付いていく。燃え盛る炎を振り返り見て、彼女は言葉を漏らした。

「火の鳥……」





 少し走った先には少女の言った通り洞窟があった。入口は子供一人が入れるぐらいの大きさしかなく、成程隠れ家に相応しいという感想を一輪は抱いた。
 中は入口と比べれば多少広いもののそれこそ二人が寝るスペースがあるくらい。当然最初は真っ暗で何も見えなかったが、白髪の少女がパチンと指を鳴らすと松明に火が灯った。その動作で一輪はあの時小鬼を燃やしたのは彼女だという考えに至った。

「貴方、只者ではなさそうね。同業者?」

 玄庵のことを思い出していたのは言うまでもない。白髪の少女は始め質問の意図を測りかねていたが、自分が使った術に対する反応だと気付いて答えた。

「あぁ、こんなのはたいしたことない。私でも使えるような初歩的な仙術だもの」
「仙術? 仙人なの?」

 仙人の肉は妖怪の大好物だ。彼女がそうであるならば襲われていたのも納得がいくと一輪はひとりでに頷いた。しかし少女は首を横に振る。

「まさか。私が仙人? ははは、こんな見た目の仙人がいるものか。火を扱うのは一人で生きていくのに必要だから身に付けただけだ。それ以外のことは何にもできないよ」
「一人で、生きてきた……」
「そう。ずっと。人とは暮せないから」

 少女は自嘲気味に嗤う。目を引く白髪に赤眼の姿に一輪はなんとなく事情を察した。察したつもりになったというのが正しいのだが。
 そんな一輪の同情の視線に気づいた少女は目を逸らした。

「ところでお前こそ何者だよ。見ず知らずの私を何で助ける? 目的は何? お金ならないよ」
「私は雲居一輪。人を助け妖怪を退治するのが仕事なの。こう見えて結構腕が立つと評判よ。だから安心して、絶対貴方を守ってみせるから」
「ふーん、人を助けるねぇ。私のことは助けなくていいのに」
「お金の心配? それなら無用よ。払えないからといって目の前で襲われている子供を見捨てる薄情者とは違うから」
「ああそう……じゃあ勝手にして。でも私寝て起きたら出て行くけど」

 そう言って少女は気怠そうに伸びをした。普通の人間は深い眠りに落ちている時間である。一輪も長旅や妖怪との死闘で疲労しきっていたので今にも寝てしまいそうだったが、気力で持ち堪えていた。こんなところで寝ている時間はない、子供達の命は明日をも知れないのだからと。
 しかし目の前の少女とてそんな子供達同様命の危機に晒されている。しかも自分と似た境遇かもしれないと思うと、一輪は彼女をこのまま放置しておくことができなかった。それに彼女から何か有益な情報を得られるのではないかという期待もあった。
 どことなく近寄りがたい雰囲気を醸し出す白髪の少女に一輪はどう話を切り出そうかと考えていたが、意外に少女の方から話しかけてきた。

「妖怪の癖に妖怪を殺して平気なのね?」

 質問の内容の突飛さに一輪は困惑する。

「どういう意味? 私は妖怪じゃない、人間よ。見てわからない?」
「あまりに妖怪臭いからてっきり。見た目人間でも人間とは限らないし」

 一輪は妖怪に間違えられてに少しムッとするが、雲山のことを思い出してそのせいかと勝手に納得した。少女は雲山のことなど覚えていなかったのだが。

「でもまぁ、人間だからと言って平気ってわけでもないかな。ただ誰かを守るには、危害を加える者を倒さねばならない。誰か、には私自身も含むわ。生きていくために魚や鳥を獲るのと一緒で、命の選択に迫られてる……ちょっと言い訳がましいけど」

 この話題は少女の勘違いを指摘して終わらせても良かったが、なんとなく一輪には妖怪を殺して平気という部分が引っ掛かって、それについても見解を述べておくことにした。
 少女はしばらく考え込んでいたが、それでこれについては本当に終わりで、次の質問に移した。

「貴方、一人?」

 一輪が意図を量りかねて無言でいると、少女は家族とかいないのかと補足する。

「家族、かぁ。血の繋がった相手ならいないわ。おしょ……育ての親も近頃亡くなった」
「そう」
「でも一緒に育った寺の皆もいるし、あと今はちょっと喧嘩ってわけでもないんだけどね、別々に行動してるけど腐れ縁みたいなやつもいるの。だから私は一人じゃないかな」
「そう……いいわね」

 一瞬少女が寂しそうな表情をしたのを一輪は見逃さなかった。そして彼女がボソッと「私と違って」と呟いたのを聞き取って居たたまれなくなった。
 ふと一輪はもし自分が和尚に引き取られなかったら、雲山を従えていなかったらとシミュレートして、その結果を目の前の相手に重ね合わせる。そうするとますます何とかしてやりたいと思うようになっていた。

「ねぇ、良かったら貴方も家族にならない?」
「えっうぇっ!?」

 少女は不意を突かれて素っ頓狂な声を上げた。狭い洞穴の中ゆえ反響して音が重なる。一輪は彼女の手を取って言った。

「この山林付近に村落、私の故郷なんだけど、に大きめのお寺があって、そこで孤児の皆が生活してる。頼めばきっと貴方も住まわせてもらえると思うわ。用事を済ませたら私も顔出すし。どうかな」
「断る」

 即答だった。今度は一輪の方がきょとんとする。白髪な少女は申し訳なさそうに俯く。その肩はかすかに震えていた。

「駄目なんだ。言ったでしょ、私は人とは生きていけない。生きていけなかったんだ。だから、一人でいる。一人でいい」
「でも、それじゃあ辛いんじゃないの……」
「別に。仕方のないことだし」

 一輪には詳しい事情はよくわからない。けれど彼女が痩せ我慢しているように見えて仕方がなかった。その小さな体の震えは大きくなる一方だったからだ。
 実のところ少女は一輪にこう言われて嬉しい気持ちがあった。だからこそ提案に応じることが出来なくて悲しくなる。自然と涙が流れそうになったので口を開けて欠伸のふりをした。
 すると、少女の白髪顔は一輪の胸に埋もれた。突然抱きつかれて驚き引き剥がそうとするが、思いの外力が強く叶わなかった。もっとも人肌の暖かさに安心感を覚えた少女は抵抗をやめ受け入れる。やがて一輪の方から手を離す頃には、体の震えなどは止まっていた。代わりに涙がボロボロと流れて止まらない。

「何なのよ。やめてよ。困るのよ」

 それでもひねくれ者の少女は突き放すよう言葉だけ取り繕った。その必死さ加減に一輪はクスリと笑みを漏らす。

「『勝手にした』までよ」
「ああそう!」
「私も、多分同じだから」
「……そう」

 それから少女の纏う雰囲気が少し柔らかくなった。夜も遅いのに二人の会話は途切れることなく続けられる。
 彼女は妹紅と下の名だけ明かして、自分の身の上について少しながら語った。内容は疎遠だった父への複雑な感情や、そんな父の人生を振り回した憎い女にした悪戯についてなどである。父や彼にまつわる人物と別れてからは孤独に暮らしていることも何となく匂わせていた。

「ということは貴方はここにずっと住んでいるわけではないの?」

 少女の生家がかつての藤原京の辺りだと聞いて一輪は口を挟んだ。妹紅は頷く。

「そうね、ここへは最近来たところ」
「こんな妖怪だらけのところにわざわざ? 危ないわよ」
「どこへ行ったってそんなもんよ。私のいるところに妖怪が集まるというか」

 妖怪が集まる、という言葉が一輪には気にかかった。ここ一体に大量の妖怪が溢れているのは玄庵曰く火の鳥の肝を狙ってのことである。彼女は当初の目的を思い出して、妹紅から情報収集を試みた。

「じゃあ、火の鳥っていう神獣を見ていない? その名の通り体を燃やしている鳥らしいのだけど。お願い、私その鳥を捕まえなきゃいけないの。何でもいい、知っていることを教えて欲しい」
「火の鳥? さ、さぁ。何のことかわからないな。多分見ていないと思うよ。きっと見てない。そういや焼き鳥食べたくなってきたなー」

 妹紅の声色は明らかに不自然なものだった。まるで子供が悪戯を親に隠そうとするような。一輪は不審に思って問い詰めようとするが彼女はそれを阻止せんとばかりに告げた。

「ごめんなさい。私もう寝るから話しかけないで。おやすみ」

 妹紅は背中を向けて横になったきり、一輪の質問に応じることはなかった。
 村で聞いた話、実際に体験したこと、彼女とのやりとり。それらを整理していくうちに一輪の頭の中には一つの考えが思い浮かんだ。始めはあまりにも突拍子もないと一蹴しようとしたが、よくよく考えれば辻褄が合ってしまうのだった。
 妖怪達はどうしてあそこまでただの人間の少女に執着していたのか。妖怪達の狙いは火の鳥という話だった。少女は最近この洞穴に住み着いたという。火の鳥が目撃されたのもここ数日に集中しているらしい。小鬼は少女の「肝」をいただくと言った。必要なのは万能薬たる火の鳥の「肝」である。火を扱う少女と火の鳥。彼女は自分で言っていたではないか、「見た目人間でも人間とは限らない」と。

「貴方が、火の鳥?」

 無防備に眠る妹紅に向かって、一輪は問いかける。返事はない。だがすでに一輪はそうに違いないと確信していた。そして、「命の選択」を迫らんとする運命を呪った。
 火の鳥の肝を持ち帰らなければ寺の子供たちは死ぬ。だがそうすれば目の前の少女、の形をした火の鳥、は死ぬ。肝を抉られて平気な生き物を一輪は見たことがないし、常識としてそうだった。
 血に飢えた刃がギラリと光る。この時ほど一輪は剣を恐ろしく思ったことはなかった。それでも手が勝手にソレを握ってしまう。答えは最初から決まっていたのである。ゆえに自己嫌悪するのだ。
 一人の犠牲で大勢を救う、それが必ずしも正しいとは思っていなかったが、そう考えれば思考放棄できるから楽だと一輪は知っていた。けれどもそうやって安易な選択に逃げようとする自分を強く嫌悪せざるにはいられなかった。

「絶対守るんじゃなかったの?」

 一輪は自身に問いかける。いや嘲笑う。と言っても危機的状況の「家族」を見殺しにできるはずもないのだ。

「この子だって家族じゃなかったの?」

 一輪は自嘲を繰り返す。先刻までの浅はかな言動を思い出しては左手で自分の頬を打つ。しかし凶器を握りしめた右手は刻一刻と妹紅の華奢な体へ接近していく。もう止まらない。何もかもが止まらない。
 広がる闇が、小さな世界の灯火を飲み込んだ。





「嘘吐き」





 雲山は早々に妹紅を見失った後もしばらく落ち着かない様子で辺りをうろついていたが、夜も深まる頃合いにはとうとう我慢しきれなくなって一輪の様子を見に向かった。しかしタイミングが悪く、ちょうど入れ違いとなった。
 外には羽目を外して酔い潰れた若者達が転がっているのみだ。雲山は一輪がいないかと一軒一軒回ったが、当然収穫なしであった。おかしい、自分より先にこの村に着いているはずなのに、と彼は困惑する。それが彼女の身に何か起こったのではないかという疑惑に変わるのはそう時間がかからなかった。
 せめて誰か起きている者がいれば一輪の行方について何かしらの手掛かりを掴むことができるのに、雲山は悔しく思いながら動き回っていると、村外れの寺の傍にある小屋から幽かに灯りが漏れているのに気付いた。渡りに船。彼は期待と不安をないまぜにしながらそこに潜り込んだ。
 ところで雲山はどのように家屋に侵入するかというと、体を極端に小さくして隙間を通るのである。彼はそういう能力の持ち主だった。ただし変えられるのは体のサイズだけで、狸のように別の姿に化けたりはできない。よって中の人間に気づかれぬよう、米粒程度の大きさを保った。
 小屋の中には五人の人間がいた。いずれも中年から壮年にかけての男でやはり一輪はいない。そのうちの一人、袈裟を着た坊主は玄庵で、他の四人は長老とそれに準ずる者達であった。起きている者がいて幸いに思う反面、こんな夜中に集まって会話しているという異様な事態に不穏なものを感じ取り、雲山は天井に隠れて様子を窺うことにした。

「全くもって聞けば聞くほど恐ろしいですな。あの寺の坊主がそんな大それた野望を抱いてたとは」
「せやせや、まさか妖怪を味方にして村を乗っ取ろうなんてな。いやここだけやないですやろ。国自体を引っくり返すって……怖い怖い」
「けれどあの和尚はここにいる玄庵殿が導いてくれたおかげで退治できたではないか。本当に有難いことです」
「んふふ、礼には及びませんよぉ。私はかつての師の恐るべき陰謀を止めたかっただけなんですからぁ」

 村人達が口々に言うのを聞いて、玄庵はにまぁと笑ってみせた。周りも同調して頷く。
 ところが一人だけ腑に落ちないというような顔をしている者がいた。この中では一番年若い男である。彼はそのまま疑問を口にした。

「しかし子供達まで毒殺する必要はあったのか? あの子達に罪はない。親玉を倒せば済む話……ではないのか玄庵殿」
「いやいや、彼らは和尚の教育を受けているんですよぉ? いずれ第二の雲居一輪となるんですよぉ? そうなったら手が付けられない。危険分子は抹殺すべきでしょう、違いますぅ?」
「んむ、確かに玄庵殿の言う通りであるが……その雲居だって妖怪退治をしているという噂で……」

 言いよどむ男を玄庵は小馬鹿にしながら一蹴する。

「まさかぁ、話を額面通り受け取るんですかぁ? それが奴らの手口ですよ騙されちゃあいけません。あの娘は人間の味方のふりをしているだけなんです自分の力を喧伝しているに過ぎないんですってばぁ。妖怪ではなく我々人間に矛先を向けたなら、太刀打ちできると思いますか思っちゃうんですか!?」
「いや……それはその」
「なぁに破戒僧の手先ですよぉ。人間じゃあない、最早妖怪です。情け無用、殺らなきゃ殺られますから。哀れそういう目に遭った人達を嫌というほど見てきましたんでねぇ」
「流石は本職の方。吾作、おぬしは甘いぞ。そんな考えで家族を守れるか」

 長老にもたしなめられて年少の男は黙った。彼は先日三人目の子が生まれたばかりで長男もまだ幼く可愛がっていたため、寺の孤児の処遇に同情するのも無理はなかった。

「ならば奴もすぐに殺せばよかったのでは? わざわざ火の鳥の肝を取ってこいなどと回りくどいやり方を取る必要が感じられませんな。化物同士潰し合いをさせる、その考えはよろしいでしょう。しかし、万が一このまま逃げられたりしたらまずいことになるのは承知ですかいな」

 さっきのやり取りを受けて長老の傍に控える長い髭を蓄えた男が発言した。玄庵は笑顔を崩さず答える。

「大丈夫ですよぉ、逃げるだなんてことは考えもしない性格でしょう」
「でも戻ってきたらどうされます? また手を打たねばならなきゃいけないですな」
「大丈夫です。戻ってこれませんよ。保険として遅行性の毒は盛らせてもらいましたし、妖怪の群れに飛び込んで仕舞です」
「しかし火の鳥の肝というのは万能薬だそうじゃないですか。もし手に入れられたら厄介では?」
「あぁアレ……実はですねぇ全部デタラメなんですよぉ。そんなものはなぁい! 五人の貴公子はなよ竹のかぐや姫が出した難題を解けましたぁ? 彼女は幻を死ぬまで探し続けるんです。ンフフ、まぁこの前の山火事を見て思いついたことなんでぇもしかしたら本当にいるかもしれませんがねぇ。いたら傑作ですけどッ!」

 玄庵は下品に大笑いした。周りの者達はそれに若干引き気味であったが、彼は構わず大袈裟に手を叩く。
 あまりに自分の思い通りに事が運ぶので、玄庵には愉快で仕方がなかった。彼は全部がデタラメだと言ったが、それは前任の和尚が邪悪な企みを持っていてそのために孤児を育てている、という部分からそうなのである。彼は気に食わない兄弟子を陥れるために村人を利用していたのであった。そんな自分の嘘に一向に気づかない周囲の愚鈍さが、彼にとっては面白おかしかった。
 だがそれも十分堪能しきったか、玄庵は再び真面目な顔を取り繕った。

「まぁ万が一、の時の為にこうして待機してもらっているわけですが。ご安心を、雲居一輪を見つけたら私が始末しますから」

 その時天井が弾け飛んだ。五人は何事かと慌てふためき見上げたなら、そこには巨大な顔の形をした雲が渦巻いていた。その形相はさながら荒ぶる不動明王で、この世の全ての怒りを体現しているようである。眼力だけで人を殺せそうな凄みがあったが、事実五人のうち最初に彼を見上げた背の高い男の首はすでに転がっていた。

「見越入道……!? 馬鹿な何故ここにい」

 そう叫ぶ途中で長老の体も血達磨になった。残る長髭の男と年少の男は恐怖のあまり腰が砕けて、その場で痙攣していた。当然すぐ彼らも肉片と変わる。玄庵だけは我に返り逃げ出そうとするが、それも巨大な掌に抑えられてなすすべがなくなった。

「こんんんのド外道おおおおおおおがああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 雲山は怒声を張り上げる。彼は一輪にのみ口を開くことを固く決めていたが、それを破ってでもこの男にだけは直接怨嗟の言葉をぶつけずにはいられなかったのだ。

「一輪は、あの子はずっと故郷に帰る日を、家族と再び暮らせる日を夢見ていたんだぞ! そのために人を救い、人であることを示してきたのだ! それを貴様らは、そんなあの子の思いを踏みにじったんだぞ! 帰る場所も家族も夢も全て全て全て!」

 しかし玄庵も負けじと感情剥き出しで言い返そうとする。

「な、何もかも奪われたのは私の方だぁ! 私の輝かしい出世街道をあんの腐れ坊主が邪魔しやがったんだぞ! おかげで妖怪退治なんて下の仕事やらされて、それでも富と名声を得られるならと頑張ったのに、今度は坊主の娘が邪魔を……だからだから、私には復讐する権利がなぁ」
「黙れ!!!!」

 雲山は一喝して拳を強く握る。玄庵の体の骨はバキバキと折れ、内臓はグチャグチャになった。流石の玄庵も根を上げ、恐怖と絶望に飲み込まれた。

「ぎぃやぁぁあぁひぃひひ人でなしぃ、助けっ助けてぇ」
「そんなどうでもいい逆恨みでこのような仕打ちを平然とやってのけたなぁ? いいだろう、ならば同じ目に遭わせてやる。人でなしだと!? 貴様らこそ人でなしだ! 地獄へ堕ちろ下種共!」

 そして雲山は相手が原形を留めなくなるほど握り締めた。けれども彼の激情は膨れ上がるばかりで、この粗末な小屋では受け止めきれなかった。そう広くない村はすぐに怒りと嘆きでできた雲に覆い被さられてしまう。すでに住人達の多くは爆音で目が覚めて、外に飛び出しては天を仰いでしまった。そうした者には例外なく雷が降り注ぎ、その身を塵へと返した。
 とにかく逃げ出そうとする者には鉄槌が下った。赤い水たまりがあちらこちらにできて、まるで血の雨が降った後のようである。家屋も片っ端から破壊された。まるで台風が通った後のようである。雲山はすでに災厄そのものと化していた。
 最後に一輪を育てた寺院が倒壊し、彼女の兄弟姉妹は死と引き換えに苦しみから解放された。かくしてこの村は一夜にして滅ぼされた。地獄に堕ちろと言いながら地獄を築いた一人の男は、勝利ではなく敗北の雄叫びを上げる。彼は哭いた。ただただ哭いて、それでも涙が枯れたなら、この廃獄を後にした。
 一輪を守る。それが彼に残された唯一の行動原理にして存在理由であり、希望だった。





 空がだんだん白ずんでいくにつれて、一輪の足取りも重くなっていった。
 彼女は洞窟を出てからちょっとして、体調が異常を来していることを自覚した。確かに疲労や眠気はあったがそれにしては体が熱い。四肢にも痺れを感じる。症状は急激に悪化して、いつの間にか歩くのも精一杯な状態になった。
 それでも一刻も早く村へ向かわねばならないという使命感に急かされて無理を通してきたが、流石に自分がくたばっては元も子もないと一輪は木陰に座り込んだ。幸いこの時間ともなると野良妖怪も姿を潜める。幹にもたれて一息つきながら、熱にうかされた頭でこうなった要因を考えていた。

「ハァ、罰が当たった、のかしら、ねぇ……いや、まさかあの時、毒?」

 独り言を呟きながら、一輪は自分も寺の子供達と同じ状態にある可能性に思い当たった。妖怪の毒には病気のように感染するタイプの物もあることを経験上知っている。瘴気に当てられたという説明を思い出しそれを根拠とした。もっともそうであるならば、一緒に寺にいた長老や玄庵だって無事で済まないはずである。だが彼女は疑問に思う前に、彼らも覚悟の上だったのだろうと好意的に解釈してしまった。
 平時の一輪であるならばもっと思考を巡らせることもできたのであろうが、生憎高熱で意識が散漫だったのだから仕方がない。それにこれからどうするか、の方が優先事項だった。
 今の体力では村までもちそうにない、そう判断した一輪は苦肉の策として左手に握りしめていたものを一口齧った。火の鳥の肝。それが話に聞く通りの万能薬なら効き目があるはずだと。
 だが少しも楽にならない。むしろ胸が苦しめられるだけであった。それを口にする、ということ自体今の一輪にとって毒でしかなかった。それでも「命の選択」を行った以上、後には引けないのである。二口めには急に熱が引いて楽になった。ただし胸の痛みは増す一方だった。
 わずかにだが体力の回復を感じた一輪は立ち上がり、再び歩き出そうとしたその時。前触れなく辺りを火に囲まれた。すぐ傍の木は根元から燃えて崩れ、一輪に襲い掛かる。すんでのところで彼女はかわすが、その瞬発跳躍に力を使い果してしまい、ふらついて地面に衝突した。
 なんとか上半身を起こすと、強烈な光が差し込んだ。ちょうど日の出の刻である。だが眩しいのも一瞬で太陽はすぐに影に遮られた。その影はだんだん大きくなっていく。
 太陽を背にして一輪の方へ向かってくる者は人の形こそしていたが、背中からは炎が翼のように噴出して、周囲の木をバタバタ倒している。その姿はまさに伝説の火の鳥であった。一輪は目を離すことができなかった。驚きのあまり動くことも忘れる。何故ならそいつの髪が真っ白だったからだ。

「ありえ、ない……ありえない。そんな、だって、だって! 確かに私が!」
「殺した」

 一輪の言葉を相手は口にした。彼女は愕然とする。目の前に、死んだはずの、いや彼女の手で殺したはずの、妹紅が立っていたのだから。

「よくも殺してくれたな……私嬉しかった。家族にならないかって言ってくれて嬉しかった。結局父上は私を見てくれなかったから。貴方に抱かれて嬉しかった。人の温もりなんて生まれてから一度も与えられなかったから。だから私、初めてこの人になら打ち明けてもいいやって思ったんだ、私の正体。なのに、なのにぃ! 妖怪共と一緒で、私が蓬莱人だってことを知ってて、最初から肝を狙って、助けるふりして近づいて! よくもよくもよくも、よくも騙してくれたなァァァァァァァァ!!」

 感情の昂ぶりに応じて妹紅の翼は天まで届きそうな程に伸び、灼熱が背後の木々を蒸発させた。その様子は一輪を探し回っていた雲山も当然目にし、そこに彼女がいて危険な目に遭っていると瞬時に見当を付けて向かう。思いの外距離が離れていることに舌打ちしつつ。
 どうか自分が行くまで無事でいてくれ――そんな彼の祈りも空しく、妹紅は今まさに一輪をその手に掛けようとしていた。

「私は蓬莱人、だから死なない。けどすごく痛いんだ。切り裂かれる時は痛くて痛くて仕方ない。心を突き刺された痛みは、決して癒えないの。今も痛い、すごく痛い。じゃあどうすればいい? どうすればいいのよぉ! ねぇ! 貴方も同じ目に遭わせてやりたいなぁ、そしたら治る気がするよッ!!」

 妹紅は抉れるほどに胸を強く押さえて叫ぶ。彼女の体は全身炎に巻かれていたが、皮膚は焼け爛れる前に再生し、その不死身さを明らかにしていた。ただし顔だけは絶えず零れる涙が燃焼そのものを食い止めていた。
 炎を纏ったまま妹紅は一歩一歩近づいて、ついには一輪を押し倒した。高温の猛火は瞬く間に伝わって、一輪の体をじわじわ溶かしていった。

「燃えろ燃えろ、何もかも燃えてしまえ! 燃えて燃えて、失くしてしまえ!」
「……い」
「熱い? 痛い? 苦しい? 私だって」
「ごめん、なさい」
「えっ?」

 予想外の言葉に妹紅は目を丸くする。一輪は身を焼かれる苦痛に耐えて、ひたすら謝辞を述べた。

「ごめんなさい和尚さん、私駄目な子でした。ごめんなさいみんな、助けられなくて。ごめんなさい雲山、もう会えない」
「クソッさっさとく」
「ごめんなさい妹紅、まず貴方を助けなきゃいけなかったんだ。私間違えた。ごめんね。傷つけて、ごめん。許してくれなくていい。だから私を」

 一輪は最後の力を振り絞って腕を伸ばし、そして妹紅の体を優しく抱きとめた。両手は炎の翼に一瞬で溶かされてしまうが、それでも一輪は踏ん張って妹紅を離さないようにした。もっともほんの数秒のことであったが。灰を吸い込みすぎて言葉は勿論、焼け爛れて人の形を留めておくのも難しくなってきた。
 一方で妹紅はひどく混乱していた。てっきり一輪が恨み節を並べる物だと思っていた。そうして当然だとして彼女を痛い目に遭わせていた。それなのにこの反応はなんだ。どうして私を、余計苦しむのに、あの時みたいに――
 そうして妹紅は一輪に抱かれた感触を思い出す。その時感じた安心感を思い出す。それからさらに彼女は思い出していた。その体ゆえ人間から嫌われずっと孤独に生きてきたこと、さらにもっと遠い記憶の、そう不死身の怪物と化す以前、行き倒れとなるところを助けてくれた男のことを。そしてそうにもかかわらず、男を殺してしまったことも。それから死ぬほど後悔したことも。死にきれない彼女の後悔は永遠だ。

「私こそごめん……だからいかないでぇ……やだぁ……もう一人はやだよぉ……」

 涙の洪水は燃え盛る炎を飲み込んだ。妹紅の腕は無意識のうちに自身の体を貫いて、新鮮な肝の欠片を抉り取っていた。それを砕いて黒ずんだ一輪の口と思しき場所に流し込む。しかし時同じくして、彼女の心音は停止した。
 妹紅がパニックを起こして揺さぶるものだから、一輪の体はボロボロ崩れていく一方だった。流石の妹紅も我に返って動きを止めると、諦めの境地に至ってわんわん泣いた。
 ところが妹紅の泣き声だけが響いていたはずが、傍でバクンと音が鳴った。一輪の死体からである。その音を妹紅はあまりによく知っていた。止まった心臓が再稼働する音、すなわちリザレクションの合図。一輪は今まさに蘇生したのだ。
 蓬莱人の肝を一口すれば大人になれず、二口すれば病苦を忘れ、三口すれば完全に不老不死の蓬莱人となる。一輪はすでに二口めまで済ませていたので間に合ったというわけだ。焼け焦げた肌はどんどん崩れていくが、代わりに元の綺麗な肌に覆われる。欠けた部分は埋め合わされ、醜く爛れた顔も次第に本来の端整さを取り戻していく。呼吸もしている。戻らないのは意識だけであったがそれも時間の問題だった。
 その様子を見て妹紅は泣きやみ、ひどく喜んだ。しかしそれも最初だけで、すぐに取り返しのつかないことをしてしまったという後悔に襲われた。引き出したままの過去の記憶、蓬莱人になったことで悲惨な目に遭った記憶が頭の中を駆け廻る。そんな過去はそのまま目の前の少女の未来となるだろう。しかも私は自らの意志でそうなったのだから仕方がない、だが彼女は望んだか? 私の勝手な都合じゃないか――そう思うと、妹紅は己の罪深さに唖然とせざるをえなかった。
 恩人を身勝手に殺し身勝手に生き返らせ身勝手に同類にしてしまった、その上罪の重さに耐えきれずこの場から逃げ出そうと考え始めている、そんな自分を妹紅はこの時ほど嫌悪することはなかった。けれど彼女の足は一歩、また一歩と一輪から離れていく。
 その時だった。遠くから獣の咆哮のような音が鳴り響く。妹紅にはそれが「一輪」と聞こえた気がした。そして次には太陽へ向かって走り出していた。彼女は無我夢中で駆けた。そうする以外の術をこの不器用な娘は知らなかったのだ。
 空はもう青々としている。ここまで来ると間の悪さも天下一級だが、雲山が一輪の下に辿り着いたのもその直後であった。気を失っているだけと知るやいなや、彼は安堵して相棒の身を抱えた。





 雲居一輪が目を開けると、一瞬強烈な光に眩んだがすぐに見慣れた顔が遮った。

「アレ、雲山? なんで……貴方も死んだの?」

 そう言って体を起こした矢先、一輪は鈍痛に襲われて頭を押さえた。それで自分が生きていることに気づいたが、そもそもなぜ自分が死んだと思ってしまったのかがわからない。火の鳥の肝を運ぶ途中体力の限界を感じ休んだところまでは覚えていたが、それ以降の記憶を漁ろうとすると痛みが増すばかりなのでひとまず諦めた。
 ただ雲山にもう二度と会えない、そんな思いをしたことは確かに覚えてるのだから、一輪は嬉しさのあまりふわふわな雲山の体に抱きついた。照れたのか、薄紫色の入道雲は上気して赤色に近づく。彼はまず相手を一人にしたことを詫びた。すると彼女も相手を頼らずとも一人で物事を解決できるという思い上がりへの反省を口にした。

「私にはやっぱり貴方が必要だわ。お願い、これからも一緒にいてくれるかな」

 雲山は即座に首を縦に動かした。それから少し神妙な顔をして、一輪を抱えて上空に舞い上がる。彼は見てもらいたいものがあるとしてある一点を指差した。彼女がその方向に顔を向けたなら、視界に荒廃した村の姿が飛び込んできた。
 言われるまで一輪はそれが自分の故郷の成れの果てだとは気付かなかった。それほどの変わりようであるから仕方ない。風が腐敗した屍肉の香りを運んできて、彼女は顔をしかめる。雲山は村人達が彼女を罠にかけて殺そうとしていたこと、そして自分が彼らを皆殺しにしたことを包み隠さず話した。
 一輪は雲山の説明を全て聞き終わると長い溜息を付いた。それに対して雲山は謝罪の言葉を繰り返すが、一輪としては彼を責めるつもりなどはなかった。

「いや雲山が謝ることじゃないよ。雲山は悪くない。私もその場にいたら正気でいられなかっただろうし、最初から誰も救えなかったんだし。まぁ何というかその、それじゃあ今まで私がやってきたことって何だったんだろうなって。何だか馬鹿らしくなって。何の為に生きればいいんだろう……」

 そう言ってまた一輪は溜息を付いて考え込む。しばらくして彼女は何かを決心したのかコクっと頷くと、再び口を開いた。

「とりあえずね、妖怪退治屋は今日でやめようと思う。今回の件でほとほと嫌になった。それから人間の世界で生きるか、それとも貴方達妖怪の世界で生きるか、考え直そうと思う。そういうわけで旅をしたい。自分の生き方を決める旅を」

 そのどちらを選んでも一輪を守ると雲山は誓いを立てた。そんな時ぐぅぅと場違いに間抜けな音が鳴る。一輪の腹の虫が暴れる音だった。まずは食事がしたいと言えば、雲山は彼女を連れて狩りへ向かった。
 一方でたなびく紫の雲を遠目で見ている者がいた。そいつは真っ白な長髪を翻して森の奥へと消えていく。真昼だというのに薄暗く、光の届かない先へと。
 ところでその後の一輪だが行く先々で入道使いの妖怪と見なされ、自身その道を行くことにする。いつの間にか年を取らなくなったのも妖怪の仲間入りを果たしたせいだろうと彼女は思っていた……がどこかで引っかかりも感じていて、疑問が浮かぶ度に燃える翼を生やした少女の姿が脳裏に現れるのであった。







◆西暦三九××年 地球



 人類が他の全ての生命を道連れに滅びてから五世紀ほどが過ぎた。この荒廃した地上に雲居一輪は一人いる。彼女は生きながら死んでいた、あるいは生きても死んでもいなかった。
 彼女が生きているとするならば、過去に生きている。無限にやってくる未来を、ただただ過去の回想で粉砕していた。体を動かすことも無くなって久しい。その瞳は固く閉ざされて汚染された荒野などを映してはいなかった。
 一輪は思い出す。燃える空、燃える太陽、燃える木々、燃える翼。一面赤の世界で、ただ髪だけは真っ白で無垢な少女が怒りと悲しみに焼かれる姿を。それは一輪が蓬莱人となる前に見た最後の光景だった。
 一輪は思い出す。敬愛する白蓮僧正から平手打ちを受けた時の感触を。口では一切語らなかったが、一輪にはその意図が痛いほど伝わったのだった。その日は蓬莱人であることの確証を得るために事故を装って自らの心蔵を抉ったが、もし自分が不老不死でなくそれで死に至ったとしても良いと思っていた。けれども彼女の涙を見て一輪は自分を軽んじ、そして自分を愛する者の思いを軽んじた罪の重さを自覚し、思い出す度悔いた。
 一輪は思い出す。白蓮が息を引き取った時の静けさを。誰よりも死を恐れそれを一度は拒絶した破戒僧の涅槃は、あまりにも安らぎに満ちていた。唯一無二の友人村紗水蜜と別れの挨拶をしたのもこの時で、幽霊船のキャプテンはその役目を全うすべく聖の魂を彼岸へと導く。そしてそれを見送るメメント・モリであり続けることが永遠に此岸に立つ一輪の役割だった。
 一輪は思い出す。初めて雲山と出会った月の綺麗な夜を。後に武勇伝として肝試しに見越入道を退治しに行ったと言いふらしたが、実際には偶然的なものであった。和尚に怒られて寺を飛び出したところ、足元しか見えない僧侶が現れたものだから顔を見ようとしたが、その前に和尚に教わった撃退呪文を口にしていた。何故そうしたのかと一輪自身ずっと疑問に感じていたが、無意識のうちに自分の未来も伴侶も得られる選択肢に気づいたのかもしれない。
 一輪は思い出す。人類最後の日、立ち昇る五つのキノコ雲の禍々しさを。そしてその後を追う雲山を。彼とて命に限りある普通の妖怪である。一輪のように死の灰を浴びても平気なわけではない。飲まず食わずで体を維持できるわけでもない。その上皮肉なことに存在理由たる「一輪を守る」は彼女が不死となった時点で無意味と化していたのだ。一輪が思い出せるのは彼を見送った際、当然の帰結として自分の心が壊れてしまったところまでである。
 そうして一輪は以前の記憶を何度も何度も再生し、幻想の中に居続ける。しかしこの世に覚めない夢などない。いくら目を背けようとしても現実は迫る。自分をないがしろにし続けてきた少女は、ついに本心を、自らの救済を求める願いを吐き出した。

「もう嫌だぁぁあぁ! 一人は嫌ぁぁぁぁあぁぁぁあああぁあぁぁぁぁあぁッ!!!! ずっと寂しかったんだ! 姐さん、ムラサ、寅丸さん、ナズーリン、寺の皆……雲山……誰でもいい、誰か私を見てぇ! 私に触れてぇ! 私を助けてぇ!!」

 しかし誰が応じることができるというのか。一輪の叫びは空しく響くだけである。せっかく開いた瞳にも、まだ無慈悲な月しか映っていなかった。
 けれども明けない夜だってない。数百年分の涙を流し尽くす頃には、希望が形となって現れたのだった。





 二人の蓬莱人を載せたロケットが打ち上げられてから五世紀ほどが過ぎた。この荒廃した地上に藤原妹紅は一人いる。彼女は故郷へと帰った宿敵を思いながら、毎晩月を見上げていた。最初の三百年こそ自分もそこへ行こうとして手段を探していたが、次の二百年にはすっかり諦めて当てもなく彷徨うだけになった。
 妹紅が旅を続けたのは心の奥底に期待があったからだ。もしかしたら生き延びている者がいて、密かに文明を築いているかもしれないと。しかし目にするのはいつだって廃墟、廃墟、廃墟であった。その都度落胆する彼女を月だけが慰めた。

「お前はいつだって憎たらしいほど美しいな」

 しかし妹紅は知っている。月は三千年前から相も変わらず輝いているように見えて、その実地球と同じ死の星と化していることを。それでもあの彼方の世界には、確かに旧知の相手が居るのだ。そう思えばこそ妹紅は月に対して昔と変わらぬ感情を抱く。

「お前も落ちてこいよ」

 月はけっして妹紅に従わない。故に彼女はそれを憎むし愛する。愛憎を向ける対象がいれば心が腐らずにすむことを知っていたから、今日も沈みゆく月を追いかけるのであった。
 けれどその日はどこか様子が違う、何かが起こる予感を妹紅は抱いていた。そしてそれは的中した。耳を澄ませば幽かに風の音以外の何かが聞こえてくる。それを懸命に拾ってみれば人の声であることがわかったのだから、妹紅は全速力で駆けだした。
 妹紅は思い出す。何もかも燃やしながら歩いた先にいた少女の姿を。彼女をも燃やし尽くしてしまったことを。そして取り返しのつかない罪を犯したことを。あの時の続きが今始まろうとしていた。
 その時一輪は昇る太陽を見た。妹紅は雲隠れする月を見た。二人はお互いの変わらぬ姿を見てしばし呆然としていたが、妹紅の方から一歩一歩近づけば一輪もまた立ち上がる。手と手が触れる距離まで縮まって、ようやく言葉を掛け合うことができた。

「一輪……雲居一輪よね」
「そう言う貴方は妹紅!?」

 感極まって妹紅は一輪の胸に飛び込んでわんわん泣いた。先程までで涙はすっかり枯れてしまって出ないが、一輪とて同じ気持ちだった。今度こそ、と思い妹紅は謝罪する。

「ごめんなさいごめんなさい……私のせいでこんな体にして、こんな目に遭わせて……それなのに逃げ出して、幻想郷でもずっと避けてて……でもずっと謝りたかったの! ごめんなさい一輪ごめんなさい……」
「いいのよ、これで良かったの……これで良いの……」

 泣きじゃくる妹紅の体を強く抱き返せば、彼女の温もりが伝わってくる。人は生きていくのに火を必要とするのであれば、少女達は今まさに命で命を燃やされ息を吹き返した。あぁ、生きているってなんて素晴らしいのだろう。それを教えてくれた相手に一輪は感謝する。

「貴方に会えて、良かった」
今年最初の投稿です。SSを書き始めてそろそろ一年経つので少しは上達しているといいのですが。
口授の一輪の記述とにらめっこしていて、どうやって妖怪の仲間入りを果たしたんだろう、そもそも本当に妖怪なのかな、と考えていたらこのような突飛な話ができあがってしまいました。本来妹紅との接点も何もなくて、しいて言うなら元ネタの年代が近いのと肝試しから連想できるかぐらい。今回は原作の改変具合にしろバイオレンス描写にしろパロディにしろ、ちょっとやり過ぎたかなと思っているのですがどうでしょう……それにしてもコンビの妖怪なのに雲居「一」輪という名前には皮肉めいたものを感じます。
ちなみに『火の鳥』では異形編が好きでした。手塚先生の構成力を見習いたいものですハイ。
宇佐城
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コメント



1.名前が無い程度の能力削除
おい王蛇いるぞw