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第10回稗田文芸賞

2013/02/05 16:16:02
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第10回稗田文芸賞に霧雨魔理沙さんの『いじわる巫女と三匹の妖精』

 第10回稗田文芸賞は23日、人間の里・稗田邸にて選考会が行われ、霧雨魔理沙さんの『いじわる巫女と三匹の妖精』(博麗神社)が受賞作に決まった。授賞式は来月10日、博麗神社にて行われる。
 今回の選考会の模様について、選考委員の西行寺幽々子氏は「選考委員それぞれの推す作品、反対する作品が分かれて、各作品についてじっくり話し合うことになったわ~。三輪さんは誰からも票が入らなかったんだけど、あとはバラバラでね~。全員一致での決定は出来そうになかったから受賞作なしにするかっていう話にもなったんだけど、最終的に投票で一番点数の多かった作品にしよう、っていうことになって、私と慧音さんの2人が○、残り4人が△で合計4点の魔理沙に決まったわ~。魔理沙の作品は以前の作品のような若々しいエネルギーのほとばしりは無いけれど、元から持っていた世界の優しさが、ただ甘いだけでなく、人間観察、妖怪観察の深まりによって味わいが豊穣になった、その進境を高く評価したいと思うわ~」とのんびりと語った。
 霧雨魔理沙さんは、魔法の森に暮らす人間の魔法使い。第120季に『星屑ミルキーウェイ』でデビューし高い評価を得た。稗田文芸賞はこれまで三度候補になるも落選しており、4度目の正直での受賞となった。受賞作の『いじわる巫女と三匹の妖精』は、神社に住み着いた3匹の妖精の視点から、神社の巫女や人里の人間、人里周辺の妖怪たちの関わりを通して幻想郷の姿を描いた短編連作。
 選評は来月15日発売の《幻想演義》如月号に全文掲載される。


霧雨魔理沙さんの受賞のことば
 あー? 私が受賞? おいおい、冗談きついぜ。……え、マジで? いや嘘だろおい、今回は富士原モコと永月夜姫で鉄板だってみんな言ってただろ! いや、そりゃ嬉しくないわけじゃないけどさ、どんなリアクションすればいいんだよ?(帽子で顔を隠しながらしばらく考え込み) え、マジで私なのか? いやいや、うん、むしろ私が貰って当然だぜ! 今まで3回も落とされたんだからな。ここらで断ってやるのも面白いけど、慧音あたりが怒って倒れても困るから、里の寺子屋の子供たちのために貰っといてやるぜ。
 賞金? 今までの記事でも思ったけど下世話なこと聞くもんじゃないぜ? ま、魔法使いは何かと入り用なんでな。今後の研究費用としてありがたく使わせてもらうさ。

(文々。新聞 師走24日号 1面より)





《選評》


真摯な自己批評性  パチュリー・ノーレッジ

 今回は久しぶりに選考委員全員の意見がはっきりと分かれ、白熱の議論が交わされた。『雲海の守護者』を除く五作品それぞれを強く押す委員があり、それぞれの文学観を元に議論百出、結果として個人的に推した作品を受賞させることは叶わなかったものの、有意義な選考であったと思う。
 受賞作となった『いじわる巫女と三匹の妖精』は、これまで三度にわたり受賞を逃してきた霧雨魔理沙氏の、真摯な自己批評性が受賞に繋がったと言っていいだろう。『星屑ミルキーウェイ』や『フェアリーウォーズ』が、娯楽小説としての質の高さは多くの人に認められながらも本賞を逃してきたのは、彼女の作品の根底に、世界に対する甘えがあったからに他ならない。世界は自分に優しいのであるという無邪気な信頼はときに美しくも映るが、自己と世界に対する批評性の欠如は、物語の底を浅くする。その点、本作もさらりと一読しただけでは、特に深みのないほのぼのとした日常小説に思える。だが、直接的にこそ描かれないものの、妖精の無邪気な視線が鋭くえぐり出すのは、人間の営み、妖怪の営みが生み出す陰の部分だ。世界はただ優しいだけではない、その陰影を浮かび上がらせてはっきりと見つめ、しかしそれでも世界の美しさを、人間と妖怪、妖精が通じ合えることを正面から語る。そこに本作における、彼女のはっきりとした自己批評性がある。彼女と個人的に関わりのある身としては、願わくばその自己批評性を普段の振る舞いにも適用してほしいものだが、兎も角、彼女の幻想郷文芸へのこれまでの貢献も含めれば、功労賞的な趣きこそあるが、これを機に作家としていっそうの進境を期待するものである。
 私が個人的に最も強く押したのは、水橋パルスィ氏の『緑色の眼をした私』である。自己批評性による進境という意味では、よりはっきりとそれが現れていたのはこちらであろう。以前候補になった際に指摘された独りよがりな自己愛を、今回は敢えて真正面から扱い、諧謔的に描くことで過去の作品に対する彼女なりのアンサーともなっている。惜しくも受賞に至らなかったのは、鬼気迫る嫉妬描写を支えるべき日常、語り手の周囲の人物の描写が弱かったことが挙げられよう。本作で向けられた自己に対する眼差しを、今度は他者まで向けたさらなる傑作を期待したい。
 この二作に限らず、自己批評性は今回の候補作の多くに共通するテーマであった。作者の自伝的小説である『永遠の途中で』もそのひとつであるが、これはいささか長すぎて焦点がぼけてしまった感は否めない。全ての出発点であるはずの過去の罪に対する掘り下げが、永遠を生きる苦しみにすり替えられ、何が罪であったのか、その点が宙に浮いてしまった。著者の全てを注ぎ込んだ力作であるのは間違いないが、自分自身の生きてきた時間の全てを、まだ著者自身が有機的に繋ぎ切れていないのが本作の不完全性に繋がっている。『永遠の途中で』というタイトルからして、その不完全性こそが主題であると見なすべきでは、という意見もあったが、それならば本作で受賞するより、そこに対して著者が答えを出したときにこそ受賞すべきでは、という意見もあり、私は後者に賛同するものである。
 規定の紙幅が既に尽きているが、もう少しご容赦願いたい。もう一作、『バイバイ、スプートニク』もまた、著者の代表作『あの月の向こうがわ』に対するアンサーであるという意味で自己批評性の高い作品である。が、『あの月の向こうがわ』のあの賛否両論を集めた結末の蛮勇に快哉を叫んだ者としては、本作でそれにいかにも読者に納得を促すような解答をつけてしまったことが残念でならない。賛否を集めたが故の解答であろうが、絶賛とともに多数の《否》を集めたことにこそ、前作の最大の価値があった。一般的にはこの解答が歓迎されるのであろうが、大衆性に迎合することで前作の小説としての最大の価値は貶めてられてしまった。それを彼女自身が良しとするのであれば、残念ながら彼女の作品は私の評価するものではない。
 残る二作は簡単に。『腐乱ドール』は、破綻した倫理観、異常を正常として描く筆致は『肢体』同様であるが、小説技術的にはあまりにお行儀が良すぎる。非常に質の高いホラー短編集ではあるが、彼女の作品の魅力は逸脱にこそある。既存の小説作法も、その倫理観に則って破壊してしまって頂きたい。『雲海の守護者』は今回の候補作の中に入れられたのが不幸であっただろう。それなりに楽しめる娯楽作ではあるが、厳しく言えば凡庸である。このフィールドは既に幻想郷にも実力ある先達が多い。作家として独自の武器を考えることを勧めたい。



小骨の取れた清々しい気持ち  西行寺幽々子

 実を言うと、第三回のときに『星屑ミルキーウェイ』を落としてしまったことは、ずっと喉に刺さった小骨のような感覚として残っていたわ。第三回は私が初めて参加した選考会だったけれど、受賞作はひとつだけだと思っていたから『満月を喰らう獣』の方を推したのだけれど、今にして思えば別に受賞に強く反対する理由もなかったから、猛烈に推したふたりを立てて一緒に獲らせてあげれば良かったなあ、と。今回、『いじわる巫女と三匹の妖精』で魔理沙に受賞させてあげられたことで、今はようやく小骨が取れたような、清々しい気分でいるところ。
 今回の作品を私が受賞作として推したのは、ただ綺麗にデコレーションするだけが、作品を美味しく見せる手段ではないということを、作品を通して示してくれたことが一番大きいわ。苦みや辛み、あるいは塩気があるからこそ、甘みが引き立つのだということ。パチュリー委員はそれを自己批評性による進境と言っていたけれど、私は自分自身を掘り下げたというよりは、彼女の見聞が、その目に映る世界が、その舌に覚えた味が広がった結果だと思うわ。甘いお菓子の大好きな子供から、苦いコーヒーの飲める大人になったということかしら? 砂糖とミルクを入れたコーヒーが一番だと言うほほえましさはご愛敬。子供であることの全てを否定する必要はないのだから、苦くて甘いこの作品こそが、彼女の成長の印であると思うわ。
 もう一作、私は『腐乱ドール』を推したのだけれど、こちらは受賞に僅かに及ばなくて少々残念。料理の過程を、食材の解体から読者に見せつけるみたいな悪趣味さはあるけれど、見た目は綺麗に仕立てた中にクセになる味を仕込んでいて、楽しい作品集だったわ。生と死に対する感覚が重苦しくないのも好感が持てるところね。生きるも死ぬも、あんまり重苦しく考えてばかりだと胃もたれしてしまうと思うのだけれど、寿命のある人間にとってはそれは胃もたれしないといけないものなのかしらね。
 その胃もたれ感が強かったのが、『永遠の途中で』。殺人という罪に対する贖いと、罰として与えられた永遠の命、そして復讐となると、トンカツ・チキンカツ・メンチカツの三段重ねみたいな重さがあるわ。その重さこそがこの作品を支えている原動力というのは理解できるのだけれど、そんなに深刻に考えなくてもいいんじゃないかしら、と言ってあげたいわね。『緑色の眼をした私』の語り手にも同じようなことを言ってあげたいと思ってしまうのは、私が亡霊で老成してしまったということかしら? 歳は取りたくないものだけれど。
 『バイバイ、スプートニク』は、実は前作を読んではいたのだけど内容を綺麗さっぱり忘れてしまっていて、読み終わってから前作のことに気付いたの。もちろん単体で読んでも美味しくはあったのだけれど、前作と合わせてこその価値のある作品というのが引っかかってしまって。前作と一緒に候補になっているなら兎も角、これ単体で賞をあげるのは何か違うんじゃないかしら、と思って票を投じるのを躊躇ってしまったわ。ごめんなさいね。
 ああ、もう残り行数が無いわ。『雲海の守護者』はお茶菓子にはちょうどよかったけれど、残念ながらそれ以上のものではなかったとだけ。



私人として、選考委員として  上白沢慧音

 まず初めに断っておきたいのは、私は『永遠の途中で』の作者である富士原モコ氏と非常に親しい間柄にあるということだ。そして、彼女の自伝的小説である本作の中には、明らかに私をモデルとしている人物が、それも重要人物として登場している。そういう意味で、私はあまりに私人として作者とこの作品に近すぎ、この作品を公に論じる資格が無い。
 これまで、富士原モコ氏の作品は公私を別として書評で取り上げてきたが、今回このような作品に対し、稗田文芸賞選考委員という公の立場で私が議論に参加するのは不適切であろうと、今回の選考会を辞退することも考えた。最終的には阿求委員の要望もあり、『永遠の途中で』に関する議論には参加せず、投票では賛成票も反対票も投じない、という条件で参加することにした。それはそれで候補作全てに対して公平性を欠いたかもしれないと今にして見れば思うが、結果の出てしまった今更になって言っても詮無い話ではある。ともかく、この選評でもこれ以上『永遠の途中で』については触れないので、ご了承願いたい。
 さて、受賞作である。今まで私は霧雨魔理沙氏の候補作について、作品世界が未成熟であるとして受賞に反対してきたが、今回、『いじわる巫女と三匹の妖精』について、私は初めて氏の作品を推した。それはひとえに、本作がそれまでの無邪気な寓話的世界観から一歩進み、その目で現実を見据えたからに他ならない。しかも、妖精の視点を通すことで、その現実にリアリスティックな不透明性を与えたことが、作品全体に深みを与えている。寺子屋の子供たちを見ていれば思うが、子供は子供なりに、大人の社会の理屈を理解してはいなくても、その本質を無邪気な視線で見抜き、また子供自身の振るまいが大人の社会の投影ともなる。その事実を、作者は自然の具現である妖精の視線を通して同様に描くことで、幻想郷における人間と妖怪の関わり合い、人間社会の陰の部分を、純粋な視線で見つめ、そして幻想郷そのものと重ね合わせるという離れ業を演じたのである。作中に登場する妖精たちは、何度も人間にいたずらを仕掛け、いじわる巫女に何度退治されても懲りることがない。それは何度も自然を克服しようとしてきた人間と自然の関わり合いの象徴であり、妖精たちの底抜けの純粋さ、全てを見つめる澄んだ眼差しは、そのままこの世界を包み込む自然そのものの美しさであるのだ。四季折々の風景描写に少し気取りがちなきらいはあるが、そこに力を入れていることこそ、本作が描きたかったことは明瞭である。結末で三匹の妖精はいじわる巫女に受け入れられて友達となる、その結末にこそ、人間と自然のあるべき姿が示されているのだ。文句のない受賞といえよう。
 もう一作、私は永月夜姫氏の『バイバイ、スプートニク』を推した。こちらも、これまで私は彼女の作品に対して厳しいことを繰り返し述べてきた。特に本作と対になる『あの月の向こうがわ』の結末に対して強く批判したことを覚えておられる方もいるかもしれない。本作は、その結末に至った裏側を綴る作品であり、前作で消化不良を起こしていたあらゆる要素が本作で氷解する。パチュリー委員は読みの多様性を捨て去ったと言ってそのことを批判したが、私は本作をもって前作の物語にきちんと決着をつけ、読者の疑問に答えを提示したことを高く評価したい。何事もはぐらかし、なあなあで済ませればいいというものではない。読者の読解力を信頼するといえば聞こえはいいが、それは単に読者に解釈を丸投げするということであり、生み出した作品に対する作者としての責任の放棄である。解る人だけ解ればいい、というのは多くの場合作者の怠慢に過ぎないのだ。本作は私と藍委員、阿求委員で強く推したが、残る三氏の反対により受賞させることは叶わなかった。前作を候補にしなかったことは本賞の失点とよく語られるが、本作で受賞させられなかったこともまた本賞の失点となるのではあるまいか。
 規定の枚数を超過しているので、残る作品には簡単に触れる。最初に落とされた『雲海の守護者』は、稗田児童文芸賞の方にエントリーされるべきであっただろう。『緑色の眼をした私』は、嫉妬心という誰しも持っている感情を深く掘り下げた作品であるが、その嫉妬心を一面的にしか描いておらず、受賞作としては推しかねた。過度な嫉妬が身の破滅を招くのは事実であるにしても、嫉妬のエネルギーは負から正に転換しうることも描かねば嫉妬心の本質を描いたとは言えまい。『腐乱ドール』は、こういう読み物が存在すること、こういうものを楽しむ読者がいることは否定しないが、それは隠れてこっそり楽しむべきものであり、稗田文芸賞という公の賞を与えて表の世界に晒し上げるべきものではないという、その一点に尽きるだろう。



1+1の証明  八雲藍

 しばらく前から寺子屋で子供たちに算術を教えているが、子供たちから訊かれて答えに困る質問のひとつが、「1+1はどうして2なのか」という問いだ。高等数学を用いて1+1が2であることを証明することはできるが、子供にそれを理解しろというのは酷である。子供に教える算術では、結局「1+1は2であるという決まりなのだ」という説明以外はしようがない。
 それは何も数学だけに限った話ではない。子供から「どうして?」と訊かれて、「そういうものだから」としか答えられずに困ってしまった経験は、子供と関わり合ったことのある大人ならば皆一度はあるのではないか。あらゆる事象は様々な要因が絡まり合って成立しており、世界の理の全てを見通し説明することは不可能に近い。思考停止してはいけないと解っていても、日々の忙しさに難しい問題からは目を背けてしまうというのはよくある話だろう。
 受賞作となった霧雨魔理沙氏の『いじわる巫女と三匹の妖精』は、妖精視点からの純粋な疑問を通して、多くの人里の人間が無意識に目を逸らし、思考停止しているだろう問題に問いを投げかけている。1+1の証明のように、普段当たり前に処理していることに対して根本的な疑問をぶつけられた読者は困惑し、目を逸らして表面上のほのぼのとした物語だけを味わってこの作品を読み終えてしまうかもしれないが、どうか目を逸らさずに、1+1がなぜ2であるのかを考えるきっかけにしてほしい一作である。
 今回の選考会は委員の間で大きく意見が分かれ、稗田文芸賞という命題について、それぞれの読みによって今回も六者六様の予想が提出された。特に激しく意見が分かれたのが、私の一番に推した永月夜姫氏の『バイバイ、スプートニク』であった。SF要素はややイメージが先行して理屈が追いつかない欠点こそあるが、あざといまでに読者の感情の揺さぶり方に長けたエンターテインメントとして、また表裏一体の関係にある前作『あの月の向こうがわ』の完結編として、一読者として夢中になって読んだ。前回の受賞作『六花』が難解なものであったからこそ、今回は本作のような明快なエンターテインメントを評価すべきではないかと私は予想したのだが、パチュリー委員、幽々子委員はともかく、射命丸委員が難色を示したのは全くの意想外であった。彼女ならば絶対にこれを推すと踏んでいたのだが、かように小説の読解というものは数学のように論理的にはいかぬものである。受賞させることは叶わなかったが、その決定が正しかったか否かは、これから読者によって証明されていくであろう。
 『永遠の途中で』は、著者がその半生を見つめ直した渾身の力作であることは疑いようがない。しかし、作中で提示される罪と罰、復讐と赦し、苦しみからの救済といった要素が論理的な繋がりに欠け、未完成であるという印象を受けた。『緑色の眼をした私』と『腐乱ドール』は、どちらも深刻なことをコミカルに描いてブラックな笑いを醸し出す佳品であるが、前者は非論理的な感情の暴走と対になる論理性が不足しており、後者は逆に論理性が過ぎて非論理的な不気味さが薄れてしまった感がある。『雲海の守護者』は正統派の冒険活劇であり楽しく読めるが、物語に詰め込む要素はもう少し整理した方がいいのではないかと思うところだ。



巡り合わせという難しさ  射命丸文

 賞には巡り合わせというものが確実に存在します。たとえば前回、『六花』とぶつかってしまったために受賞を逃した『ドールハウスにただいま』のように、高い評価を集めながらもライバルが強力すぎて受賞を逃した、そんな作品は稗田文芸賞の九回の歴史の中にも幾度もありました。その中でも、最も巡り合わせに恵まれなかったのが霧雨魔理沙さんでありましょう。第三回では歴史的大傑作『星屑ミルキーウェイ』が僅差で『満月を喰らう獣』に敗れ、第五回では意欲作『星盗人と鏡の国の魔女』で候補になりましたが相手が『天照戦記』では勝ち目はなく。第八回でも名作『フェアリーウォーズ』であと一歩まで受賞に迫りながら『土の家』と『雲の上の虹をめざして』に打ち倒されと、三度に渡り苦汁をなめてきた、その心情は察するに余りあります。今回も候補作のラインナップを見た時点では、大方の人が予想した通り、富士原モコさんと永月夜姫さんの一騎打ちになるであろうと私も思いました。それがまさかの魔理沙さんの単独受賞になるのですから、世の中解らないものです。
 受賞作となった『いじわる巫女と三匹の妖精』に関しては、個人的には魔理沙さんの作品の中でも地味な部類の話でありますし、『星屑ミルキーウェイ』を落としてこれで受賞させるのはまーたどこかの八坂なんとか賞主催を調子に乗らせそうな気はするのですが、だからといってまた落とすのも可哀想な話ではありますし、受賞には反対しませんでした。内容に関しては、強く推した幽々子委員や慧音委員に任せることに致しましょう。
 巡り合わせという意味では、今回不運だったのが大本命と言われていた富士原モコさんと永月夜姫さんでしょう。私はモコさんの『永遠の途中で』を受賞に相応しい力作として推したのですが、いの一番に推すと思っていた慧音委員が棄権されてしまった結果受賞を逃すことにりました。読み応えは抜群で思った以上にエンターテインメント性も高い、大変な労作だったたけになんだか非常に申し訳ない気分であります。一方、永月夜姫さんの『バイバイ、スプートニク』に関しては、落ちた理由の一端は私が反対したことなので、これまた申し訳ない。ですが、何と言いますか……私は、前作である『あの月の向こうがわ』は非常に好きでして、本作も大変楽しみにしていたのですが、この話は前作の結末を知っていると、物語のありとあらゆる要素が悲劇の布石であると知った上で読み進めることになるので、前作を好きであるほどに読むのがあまりに辛く苦しいのです。読みながら「もうやめてください、読んでる私が先に死んでしまいます」と叫んでしまったぐらいでして、どうして娯楽小説を読んでこんな身を切り裂かれるような辛い思いをしなければならないのかと……。それ自体がこの小説の力だというのは重々承知しているのですが、「一番面白かった小説を推す」という自分のポリシーから、読むのが一番辛かったこの本を推すことはできませんでした。
 代わりに私がもう一作推したのは、青娥娘々さんの『腐乱ドール』です。確かにいかにも慧音委員が顔をしかめるような露悪趣味が鼻につくところはありますが、破綻した倫理観が醸し出すブラックな笑いの中に、周到に伏線を張り巡らせ、四編全てにサプライズを用意する贅沢な短編集となっており、今回の候補作で一番素直に読んで面白かったこれは小説技術的にも受賞に相応しいと思ったのですが、もうひとつ賛同を得られませんでした。残念。
 水橋パルスィさんの『緑色の眼をした私』もブラックユーモアを感じさせる佳作でしたが、こちらは自分自身への嫉妬に狂う語り手に共感できる選考委員がいなかったことが敗因でしょうか。『雲海の守護者』はキャラクター描写に光るところはありますが、それ以外はこれといって強みが無かったという感じですかね。



生きていくということ  稗田阿求

 この頃、歳を重ねるごとに、自分に残された時間というものに思いを馳せるようになってきた。阿礼乙女の寿命は三十年に満たない。それ自体を嘆くことはないが、残された時間で自分に何ができるだろう、という問いは、今の私にとっては切実な問いかけである。
 今回の候補作の中で、私が強く推した二作は、生きていくということに対して非常に対照的な描き方をした二作であった。その片方、『永遠の途中で』は、永遠の命を得てしまった人間の苦しみと、そこからの僅かな救いが描かれる。本作については、主題が不明瞭であるという意見が強くあったが、その不明瞭さこそが本作の本当の主題なのではあるまいか。千年以上を生きてなお、自分自身と完全な意味で向き合うことが困難であるという事実こそが。そして本作の語り手のように、永すぎる時間に感情が摩耗していくならば、阿礼乙女が転生を繰り返すのは人間性を失わず、己自身について答えを得てしまわぬためなのかもしれない。
 もう一作、『バイバイ、スプートニク』は逆に、あまりに短すぎる生を描いた。ロケットに乗せられたライカ犬のように、待ち受ける運命を知らないが故の喜劇性が、前作『あの月の向こうがわ』の存在により全てを了解している読者には果てしない悲劇性と映る。その対比は鮮やかであり、運命に翻弄されながらもそれを受け入れ、絶望の淵にあってなお前を向き続ける力強さに私は強く胸を打たれた。どちらの作品も受賞させることは叶わなかったが、私自身のこれからの生き方について、どちらも大切な道しるべとなってくれるであろう作品として、大事に抱えていきたいと思う。
 『緑色の眼をした私』は、作者の身につまされるエッセイを愛読している者としては、とうとう自虐路線に走ったかと苦笑の漏れる作品であった。それなりに楽しくは読めるのだが、自虐的である分だけ切実さのようなものがもうひとつ感じられないのが惜しまれた。
 『腐乱ドール』はホラー短編集の秀作であり、特に「耳子」は他人に無い能力を持つ者のひとりとして非常に身につまされる。ただ、慧音委員や藍委員も指摘していたが、悪趣味な要素を売りにせずとも確かな個性と小説技術を持っているだけに、グロテスクさ以外の表現手段を模索してほしいと思う。
 『雲海の守護者』は、個人的に主人公の船長と相棒の拳士の関係性には多大な魅力を感じるのだが、全体的にはキャラクター小説に留まってしまっているのが惜しまれる。説教臭いのは悪いとは言わないが、説教をするならもう少し説教の内容について作中で掘り下げてほしい。
 最後に、今回の受賞作となった『いじわる巫女と三匹の妖精』は、私はあまり強くは推さなかった。私のエッセイを読まれている方はご承知であろうが、私はいたずら者の妖精は嫌いである。そして本作の主人公である三匹の妖精は、まさにその私の嫌いな妖精のど真ん中だ。だからダメ、と言ってしまうのはさすがに狭量なので避けるが、途中まではやはり主人公たちに苛立ってしまうのは否定のしようがない。最終的には良い話になるのだが、人間と妖精が手を取り合う結末にするなら、妖精のしてきたいたずらについても巫女が退治するだけでなくきちんとした処理をしてほしいと思うのは、やっぱり私の心が狭いのであろうか?

(『幻想演義』如月号 特集「第十回稗田文芸賞全選評」より)





◆受賞作決定と選評を読んで、メッタ斬りコンビの感想

萃香 勉強し直して参ります。
霊夢 誰に頭下げてんのよ。
萃香 いやー、こんな大外ししちゃったら予想屋の看板掲げてられないじゃん(苦笑)。まさか魔理沙の単独受賞なんて……。驚天動地、あんびりーばぼーな結果と言わざるを得ないよ。
霊夢 別にいいじゃない、何か賭けてるわけでもないんだし。ま、私もびっくりしたけど、本は今すごい勢いで売れてるし、神社に参拝客も増えたし、うちとしちゃ万々歳の結果だわ。
萃香 絶対獲ってほしくないとか言ってたくせに!(笑) というか増えたのって参拝客じゃなくて聖地巡礼客のような……。
霊夢 賽銭入れてってくれれば何でもいいのよ。
萃香 なんだかなー(苦笑)。ま、それはさておき、選評の方に触れようか。
霊夢 なんか今回、いつもより選評長くなってない?
萃香 あー、文から聞いたんだけど、前回の選評があまりに受賞作以外をスルーしすぎじゃないかってクレームがついたらしくて、規定枚数超過してもいいからなるべく全作品に触れようって申し合わせがあったらしいよ。
霊夢 なるほどねえ。しかし、見事に意見が割れたのねえ、今回。
萃香 だねえ。慧音が『永遠の途中で』への投票を棄権する可能性は考えてたけど、まさか『バイバイ、スプートニク』がここまで意見が割れるとは。まあ、パチュリーや幽々子の言い分は解るんだけど、文はせめて△入れてやれよと(苦笑)。
霊夢 パチュリーと幽々子が×なら文が△でも魔理沙に並べないんじゃないの?
萃香 あ、それもそうか。『永遠の途中で』はやっぱり長すぎて焦点がぼけることがネックになったみたいだね。たぶんモコは稗田文芸賞狙ってきてたと思うんだけど、報われないなあ(苦笑)。選評読む限り、惜しかったのはむしろ青娥娘々だったのかな。強く反対したのは慧音だけっぽいし。
霊夢 結局魔理沙に決まったのも、三輪雲衣以外の五作品のどれにするか決めかねて、議論してるうちにみんな疲れちゃって、一番反対意見の少なかった魔理沙でいいか、って落としどころになった感じよね。そういう決め方で獲ったんだとしたら魔理沙的にはどうなのかしら?
萃香 いいじゃん、受賞記念の打ち上げでも授賞式でもなんだかんだ言って嬉しそうだったしさ(笑)。あの受賞の言葉は後で慧音に散々怒られたみたいだけど(苦笑)。
霊夢 妖精と一緒で、調子に乗ると痛い目見るわよって話ね。
萃香 そいや、三月精も本読んだ人間に追い回されて大変そうだねえ。
霊夢 あいつら放っておくと何しでかすかわかんないから、誰かが常に構ってやってるぐらいでちょうどいいのよ。
萃香 向こうは霊夢に構ってほしいんだと思うけどなあ(苦笑)。
霊夢 別に構ってやってもいいのよ? 退治するけど。
萃香 はい、いじわる巫女はどこまでもいじわる巫女でしたとさ(笑)。どっとはらい。

(文々。新聞 睦月21日号 3面文化欄より)







○月×日
 オーナーからの指示で、『いじわる巫女と三匹の妖精』を追加搬入。そろそろ売れ行きが鈍ってきているので、これ以上の在庫を抱えると大量に返本しないといけなくなりそうなのだが……まあ、いざとなったらオーナーが責任をもって引き取ってくれるだろう。今も毎日変装して一冊ずつ買っていくけれど、よくやるものである。
 そういえば誰の仕業か知らないけれど、霧雨魔理沙コーナーにこっそり『緑色の眼をした私』や『世界なんて滅べばいいのに』を紛れ込ませるのは止めてほしい。棚差しに戻してもすぐまた置いていかれる。いたちごっこは疲れるし、間違えて買った人からクレームが既に二件ほど入っている。タイトルも作者名も表紙に書いてあるのだから間違える方もどうかとは思うが。何にしても、妖精の仕業めいたいたずらはほどほどにしてほしいところだ。


○月×日
 二階ホールで、霧雨魔理沙の稗田文芸賞受賞記念トークショーが開催。司会は例のメッタ斬りコンビで、モデルになった妖精たちもゲストで来ていてたいへん盛況だった。客席にはマーガレット・アイリスやパチュリー・ノーレッジの姿もあり、見つかってサイン攻めにあっていたらしい。ちょっと在庫過多になりかけていた『いじわる巫女と三匹の妖精』が減ってくれて、店としてもほっと一息。
 途中で鈴奈庵の小鈴ちゃんが店番を代わってくれたので私もちょっと様子を覗きにいったけれど、壇上よりもオーナーが後ろの方でこそこそしているのが気になって仕方なかった。霖之助さんがオーナーをからかって遊んでいるみたいだったけれど、紅白の巫女にしろ、人間のやることはよくわからないなあ、と思う。そういえばその紅白の巫女とすれ違ったけど、私のことは覚えてないみたいだった。ひどい。本返せ。いや霖之助さんがあとで読ませてくれたからいいんだけど。そのうちまた背後から不意打ちしてやる。
 あと、私の読みかけだった三輪雲衣の新刊の栞の位置を変えた人は怒らないから出てくるように。けちょんけちょんにしてあげるから、ね?

(霧雨書店業務日誌 第127季より抜粋)
遅くなりました、第10回です。
前回から今回までの間に本家メッタ斬りの書籍が完結し、このシリーズの同人誌版が元ネタのお2人の手に渡ったりと、なんか色々ありましたが、中身はいつも通りでございます。
ところで阿求って109季生まれなら少なくとも今年で19歳ですよね?
浅木原忍
[email protected]
http://r-f21.jugem.jp/
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
魔理沙、やっと獲れたのか。色々と事情は複雑そうだけど、ともあれ受賞おめでとう!
2.奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.名前が無い程度の能力削除
面白かったですけど、この選ばれ方は選ばれた方も微妙ですねえ。
選考方法と選考基準に改善の余地がありそうw
4.名前が無い程度の能力削除
そうか、阿求ももうそんな歳か。
でも十代目の名前は阿斗になる可能性があるから、嫌がって気合いで長生きするかもね。体は割と頑丈そうだし頑張れ。

とりあえず、魔理沙おめでとう!
そして、親父さんにやや和んだ。もう和解しろよお前ら。
5.名前が無い程度の能力削除
前作と変わらずの力作お疲れ様です。今回も面白かったです。
6.名前が無い程度の能力削除
大変面白かったです!
もこたんはそろそろ審査員を鉈で襲撃してもいいw
7.Admiral削除
毎回楽しみにしております。
魔理沙やったね!受賞の言葉がいかにも彼女らしい。
選評も力はいってますが、なかでも幽々子様の選評がいかしてますね~。
萃香の「勉強し直して参ります。」にはワロタw書評家としては謙虚なんだなw
そして毎度の霧雨書店店員さん、まさか朱鷺子ちゃんだとは…気付かなかったです。
次回も楽しみにしてます!(もちろん作者様の他作品も!)

>稗田児童文芸賞は、少年少女を対象とした児童文学作品の優秀作を表象する賞。
表象→表彰ではないかと。
8.名前が無い程度の能力削除
同人誌版含めて純粋な人間がこの賞とったの初めてだな。
咲夜さんは第二回以降候補にあがらないし、早苗さんはどっちかというと八坂神奈子賞よりっぽいし…巫女さんは言わずもがなw
多分この作品を通じて一番批判したかったのは選考委員だったんじゃないかな?
未成熟の象徴である子供の視点を使ってる辺り、彼女なりの意趣返しっぽい。
これ魔理沙ににとっちゃ下手に落とされるよりもダメージきつそうに見えるのは俺だけ?
毎回見てて不安になるレベルのピュアさだからなー、表に出さないだけで相当な葛藤がありそう。
それにしても、星屑ミルキーウェイ本編はあと何年待てば読めるのか…
9.名前が無い程度の能力削除
これだけで楽しめますなーw
10.名前が無い程度の能力削除
ここまで票が割れるほどならば全部読んでみたいと思わせるほどの描写力に脱帽です
11.名前が無い程度の能力削除
恋愛文学賞の審査員がさりげなく早苗さんから小鈴に交代してるw
メッタ斬りコンビのパルスィ作品に対する見方に時間の流れを感じるなぁ…
12.名前が無い程度の能力削除
あっきゅんってマジで蛇蝎の如く妖精嫌うよな
あとパルスィは店のレイアウト勝手にイジるのやめろw
それにしてもヤマメって露出少ない割に確実に何かの賞とってくるな、新進気鋭だな
13.名前が無い程度の能力削除
パチュリーの渋々受け入れてる感がいいなあ
本当はもっといい作品を書いたときに賞をやりたいんだろうなあ

魔理沙は大きな目標を達成したわけだけど
今後はパチュリー賞を目指して変な作品を書き始めるんじゃなかろうか
何しろ賞品が賞品なわけでw
14.名前が無い程度の能力削除
毎度毎度レベルが高すぎるぞ。作り込みがおかしい、どうかしてる。
次も楽しみにしてる。
15.非現実世界に棲む者削除
魔理沙受賞おめでとう!
是非読んでみたいです。