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地底時代の話だ。封獣ぬえは聖輦船の舳先{へさき}に腰かけることが好きだった。魚雷で撃沈されたみたいな有様になっているボロっちい船は、決して見晴らしが好いわけではない。甲板から望むことが出来るのは、真っ黒で扁平な岩盤の連なりばかりだ。ただ座りごこちだけは、そんじょそこらのソファじゃ敵わぬぇくらいに完璧で、どうにも暇を持て余した日和などは、よく羽を休めがてら留まりに出かけたものだった。
腰を落ち着けて五分も経つと、落盤の予兆のように低いうなり声がひとつ、船室へと続く扉から飛んでくる。侵入者を撃退すべく出航したムラサ船長その人で、メガホンがない分だけ怒鳴り声も高らかに警告してくる。ここで振り向きざまに舌を出してやると、次の瞬間には十中八九、戦艦の砲撃よろしく沈没アンカーがうなりを上げる。ひらりと身をかわしたその時から「さァ、追いかけっこの始まり始まり!」と相成るわけで、つまり地底を舞台にした壮大な逃走劇の幕が切って降ろされる。このように村紗水蜜をからかってやることもまた、ぬえの地底時代の暇つぶしのひとつだった。
上記のようなことを日常茶飯事で繰り返していたものだから、当然ながら舟幽霊からは蛇蝎のごとく嫌われた。からかうサルとほえるイヌ、犬猿の仲とは正にこのことで、ふたりの紛争の構図は地上へ脱出して命蓮寺に住みついた現在も、形を変えて継続されている。早い話が――意地の張り合いだ。
ぬえの目の前に水蜜がいる。年明けの正月のこと、まだ午前中の頃合いだ。ところは命蓮寺のお茶の間で、大掃除の時分に張り替えた畳の香りもかぐわしく、庭には粉雪がちらついて久しい。水蜜には新年を祝ってハツラツに過ごそうという気遣いは微塵もないらしく、ナマケモノでさえ驚嘆すべき寝正月を満喫してはばからない。夏色の眩しいセーラー服はこたつの布団にすっぽりと覆われている。頭を出している位置は縁側の方面であり、新春の朝日がつやのある黒髪に注がれていて、ちょいとばかし美人さんに見えるのは、ぬえにとっては口惜しいことだった。
それはそれとして――ぬえは眉をひそめる。意地悪い気持ちがつくつくと湧き上がってくる。そのこたつの位置は私の特等席だ。いわば命蓮寺の舳先なのだ。縁側向きが一番にぽかぽかと暖かいのだ。ぬえはムラサ船長の水兵服をむんずとつかみ、強引に布団から脱出せしめた。あとは適当に畳に転がしておく。そして水蜜の代わりにこたつに潜り込んだ。白蓮に押しつけられた買い物のために、朝っぱらから人里までひとっ飛びしたせいで、寒くて寒くて仕方がなかったのだった。
まくら代わりに使用されていた座布団は、そのまま流用することにした。やはりナマケモノのようにごろんと寝返りを打つと、座布団から懐かしい、甘い香りがかすかに漂ってきた。それは水蜜の髪のにおいだった。ぬえは薄目を開けて、寒気にさらされている水蜜の背中を見つめる。いつかと同じ……広いのか狭いのか、よう分からん背中だった。その真っ白いセーラー服に、いったい何度、正体不明の種を仕込んでやったんだっけ。
アンカーをぶん投げるとき。柄杓を振り回すとき。地上に焦がれて嗚咽を漏らしたとき。確かに過ごし尽くした、ふたりの間に起こった出来事。年も改まったというのに、こいつとの関係は少しも改まる気配がない。互いに心の席を取り合ってばかりいる。それを悲しいと思うことも、寂しいと思うことも、どちらもぬえは厭{いや}だった。ごめんだった。欠伸のせいで視界が滲む。ちょうど深海に引きずり込まれるかのように、水蜜のセーラー服までもが霞んで消えた。
ムラサのうめき声。寒そうで辛そうで。子猫のように丸くなっている。眠りに落ちるぬえの、最後の知覚だ。やっぱり止めておくんだった、邪魔するんじゃなかったと後悔することが、果たして出来たのだろうか、そこまでは記憶に残ることはなかった。
いちどだけ。そう一度だけのこと。いつも通り我が物顔で船首を独占していたぬえのそばへ、水蜜が黙りこくって近づいてきたのだ。ぬえは驚いたそぶりを見せることもなく、隣に座ろうとする水蜜のために、すこし席を譲ってやった。水蜜は愛用のアンカーをぬいぐるみのようにかき抱いていた。ぬえも思い出の品である三叉に分かれた槍を、両手で胸に引き寄せていた。どちらからとも声をかける機会が見つからなくて、ただ湿った息を岩盤に溶かしては、互いの得物が放つおぼろげなきらめきに瞳の光を注いでいた。ルビーのような紅{べに}と、ヒスイのような碧{へき}との二色。
その視線が交わった時に、ぬえは意を決して声をかけた。
「ムラサ」
と。
初めて彼女の名前を知ったのはいつだったか。いつ名前を聴いたのだったか。それは思い出せないが、ぬえにとっての「ムラサ」の始まりは、間違いなくこの時、この瞬間だった。それから続いて「ぬえ」という、河原に散らばっている平たい石に真珠を転がしたような、そんな声が薄暗がりに響いた。つたない声が生ぬるい空気を震わせて、陽炎{かげろう}のように岩壁のうわべをたゆたう。
それ以上の会話はなかった。ぬえが飽いて飛び去るまで、ひとことも。羽をはためかせながら、ぬえは試しに聖輦船の方を振り返ってみた。水蜜がこちらを真っ直ぐに見つめていたので、さっと視線を前へと引き戻した。けれども、あのヒスイの輝きに惹かれて、また振り返ってしまう。また眼が合う。なんどもなんども。岩盤の向こうに気持ちをやり過ごすまで――なんどでも。しばらくの間、心臓の動悸が伝えてくる気持ちの確かさを、ぬえは汗ばんだ手のひらに感じていた。
目が覚める。日当たりはすでに去っている。太陽は天を頂いており、縁側に差し込む光も彼方に去っていた。時刻はすでに昼餉間近になっていた。おつかいで買ってきたお餅を思う存分に食えると思うと、腹がやっぱりナマケモノのように、グルルと唸{うな}る。
ムラサはお茶の間の何処にもいない。すでに起きていたらしい。台所から調子はずれの口笛が聞こえてくる。ぬえも身体を起こそうとしたのだが、ふとした違和感に気づいて静止した。寝相が酷かったのだろうか、頭の位置が座布団の端まで寄っていた。ぬえの頭の隣には、水蜜のトレードマークである船長帽が何食わぬ顔で鎮座している。眠るまえよりも色濃い香りがした。甘い甘いにおい、潮のささやきもかすかに聞こえて。
ぬえは帽子を手に取る。人差し指を引っ掻けて風車のようにくるくる回しながら、お茶の間を後にして台所へと移った。“おしるこ”のかぐわしさが鼻を突き抜けて、胃袋のなかで暴れた。目の前で水蜜が鍋をかき混ぜている。帽子の代わりに三角巾。イカリのマークが入った可愛らしい三角巾だ。ムラサは、こちらに気づいているはずだった。でも振り向くことはしない。おたまのステンレスのきらめきを、じっと眺めている。あるいは“おしるこ”の暗い水面を。
……今度は、ぬえは迷わなかった。
「ムラサ」
水蜜は振り向いた。
「なによ、ぬえ」
すかさず、ぬえはキャプテン帽を片手で差し出した。水蜜はいつもの表情で応戦してくる。意地を張ろうとして強張った顔。形を変えながらも継続している、私たちのカタチ。ぬえは帽子を軽く、上下させてみた。水蜜は手を伸ばしてこない。仕方がないな。ぬえは心のうちで、少し笑いを漏らす。時間をかけて深呼吸。二色三対の羽を気持ちだけ広げて、ぬえは春の綿毛のようにふわりと浮かんだ。両手を差し出して、三角巾に帽子を被せる。もう落ちないようにと、力を込めて。ムラサは、まるで初めて帽子を身につけた女の子のように、さわさわと白い生地を撫でていた。ぬえは黒いワンピースのすそを握った。
「……ごめん」
云ってやった。私は云ってやったぞ。そう思った。でもムラサは、やっぱりムラサで、腰をつかんで強引に床に引きずり下ろしてきた。あの日とおなじ、ヒスイのきらめきが、ぬえの胸を弓矢のように射抜いた。
「台所では飛ばないこと。なんかい云えば分かるのよ」
ばかぬえ、と付け加えて、水蜜は鍋の方へと視線を戻してしまう。その様を見て、ぬえは無性に腹が煮え立った。本当に腹が立ってきたのだ。
「ぬ、ぬぁによ、ばかムラサ」
「云ったわね、こいつ」
「そっちが先じゃないのっ」
「元はと云えばあんたが!」
「ムラサのにぶちん!」
「この分からず屋ぁ!」
羽を振り回して威嚇するぬえに対抗して、ムラサは“おたま”を振りかざしてきた。ふたりはぽかぽかと殴り合う。昼餉を頂きに参上した面々が、騒ぎを聞きつけて特殊部隊よろしく台所に突入してくる。またかまたか、と呆れの嘆息。両肩に腕を回されても、足を使って気持ちのぶつけ合いを続けた。二人の紛争は、今年も終わりを迎えない。仲好く白蓮の頭突きを喰らって、こたつに寄り添うように放り出された。おでこがくっ付きそうなくらいに近づいた顔と顔を睨み合って、眠くなるまで「ばか」と云い合い続けた。
……地底時代の話だ。ぬえは聖輦船の舳先に腰かけることが好きだった。だからムラサ船長との争いは絶えることがなかったけれど、数百年を経て、ようやく改まる兆しを見せ始めた。「こたつで一緒に眠る時くらいは停戦しましょう」と――そう協定が結ばれたのは正月も終わらぬ頃合いで、だから今年は、ふたりそろって寝正月になった。
オチャノマ紛争2013
地底時代の話だ。封獣ぬえは聖輦船の舳先{へさき}に腰かけることが好きだった。魚雷で撃沈されたみたいな有様になっているボロっちい船は、決して見晴らしが好いわけではない。甲板から望むことが出来るのは、真っ黒で扁平な岩盤の連なりばかりだ。ただ座りごこちだけは、そんじょそこらのソファじゃ敵わぬぇくらいに完璧で、どうにも暇を持て余した日和などは、よく羽を休めがてら留まりに出かけたものだった。
腰を落ち着けて五分も経つと、落盤の予兆のように低いうなり声がひとつ、船室へと続く扉から飛んでくる。侵入者を撃退すべく出航したムラサ船長その人で、メガホンがない分だけ怒鳴り声も高らかに警告してくる。ここで振り向きざまに舌を出してやると、次の瞬間には十中八九、戦艦の砲撃よろしく沈没アンカーがうなりを上げる。ひらりと身をかわしたその時から「さァ、追いかけっこの始まり始まり!」と相成るわけで、つまり地底を舞台にした壮大な逃走劇の幕が切って降ろされる。このように村紗水蜜をからかってやることもまた、ぬえの地底時代の暇つぶしのひとつだった。
上記のようなことを日常茶飯事で繰り返していたものだから、当然ながら舟幽霊からは蛇蝎のごとく嫌われた。からかうサルとほえるイヌ、犬猿の仲とは正にこのことで、ふたりの紛争の構図は地上へ脱出して命蓮寺に住みついた現在も、形を変えて継続されている。早い話が――意地の張り合いだ。
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ぬえの目の前に水蜜がいる。年明けの正月のこと、まだ午前中の頃合いだ。ところは命蓮寺のお茶の間で、大掃除の時分に張り替えた畳の香りもかぐわしく、庭には粉雪がちらついて久しい。水蜜には新年を祝ってハツラツに過ごそうという気遣いは微塵もないらしく、ナマケモノでさえ驚嘆すべき寝正月を満喫してはばからない。夏色の眩しいセーラー服はこたつの布団にすっぽりと覆われている。頭を出している位置は縁側の方面であり、新春の朝日がつやのある黒髪に注がれていて、ちょいとばかし美人さんに見えるのは、ぬえにとっては口惜しいことだった。
それはそれとして――ぬえは眉をひそめる。意地悪い気持ちがつくつくと湧き上がってくる。そのこたつの位置は私の特等席だ。いわば命蓮寺の舳先なのだ。縁側向きが一番にぽかぽかと暖かいのだ。ぬえはムラサ船長の水兵服をむんずとつかみ、強引に布団から脱出せしめた。あとは適当に畳に転がしておく。そして水蜜の代わりにこたつに潜り込んだ。白蓮に押しつけられた買い物のために、朝っぱらから人里までひとっ飛びしたせいで、寒くて寒くて仕方がなかったのだった。
まくら代わりに使用されていた座布団は、そのまま流用することにした。やはりナマケモノのようにごろんと寝返りを打つと、座布団から懐かしい、甘い香りがかすかに漂ってきた。それは水蜜の髪のにおいだった。ぬえは薄目を開けて、寒気にさらされている水蜜の背中を見つめる。いつかと同じ……広いのか狭いのか、よう分からん背中だった。その真っ白いセーラー服に、いったい何度、正体不明の種を仕込んでやったんだっけ。
アンカーをぶん投げるとき。柄杓を振り回すとき。地上に焦がれて嗚咽を漏らしたとき。確かに過ごし尽くした、ふたりの間に起こった出来事。年も改まったというのに、こいつとの関係は少しも改まる気配がない。互いに心の席を取り合ってばかりいる。それを悲しいと思うことも、寂しいと思うことも、どちらもぬえは厭{いや}だった。ごめんだった。欠伸のせいで視界が滲む。ちょうど深海に引きずり込まれるかのように、水蜜のセーラー服までもが霞んで消えた。
ムラサのうめき声。寒そうで辛そうで。子猫のように丸くなっている。眠りに落ちるぬえの、最後の知覚だ。やっぱり止めておくんだった、邪魔するんじゃなかったと後悔することが、果たして出来たのだろうか、そこまでは記憶に残ることはなかった。
□ □ □
いちどだけ。そう一度だけのこと。いつも通り我が物顔で船首を独占していたぬえのそばへ、水蜜が黙りこくって近づいてきたのだ。ぬえは驚いたそぶりを見せることもなく、隣に座ろうとする水蜜のために、すこし席を譲ってやった。水蜜は愛用のアンカーをぬいぐるみのようにかき抱いていた。ぬえも思い出の品である三叉に分かれた槍を、両手で胸に引き寄せていた。どちらからとも声をかける機会が見つからなくて、ただ湿った息を岩盤に溶かしては、互いの得物が放つおぼろげなきらめきに瞳の光を注いでいた。ルビーのような紅{べに}と、ヒスイのような碧{へき}との二色。
その視線が交わった時に、ぬえは意を決して声をかけた。
「ムラサ」
と。
初めて彼女の名前を知ったのはいつだったか。いつ名前を聴いたのだったか。それは思い出せないが、ぬえにとっての「ムラサ」の始まりは、間違いなくこの時、この瞬間だった。それから続いて「ぬえ」という、河原に散らばっている平たい石に真珠を転がしたような、そんな声が薄暗がりに響いた。つたない声が生ぬるい空気を震わせて、陽炎{かげろう}のように岩壁のうわべをたゆたう。
それ以上の会話はなかった。ぬえが飽いて飛び去るまで、ひとことも。羽をはためかせながら、ぬえは試しに聖輦船の方を振り返ってみた。水蜜がこちらを真っ直ぐに見つめていたので、さっと視線を前へと引き戻した。けれども、あのヒスイの輝きに惹かれて、また振り返ってしまう。また眼が合う。なんどもなんども。岩盤の向こうに気持ちをやり過ごすまで――なんどでも。しばらくの間、心臓の動悸が伝えてくる気持ちの確かさを、ぬえは汗ばんだ手のひらに感じていた。
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目が覚める。日当たりはすでに去っている。太陽は天を頂いており、縁側に差し込む光も彼方に去っていた。時刻はすでに昼餉間近になっていた。おつかいで買ってきたお餅を思う存分に食えると思うと、腹がやっぱりナマケモノのように、グルルと唸{うな}る。
ムラサはお茶の間の何処にもいない。すでに起きていたらしい。台所から調子はずれの口笛が聞こえてくる。ぬえも身体を起こそうとしたのだが、ふとした違和感に気づいて静止した。寝相が酷かったのだろうか、頭の位置が座布団の端まで寄っていた。ぬえの頭の隣には、水蜜のトレードマークである船長帽が何食わぬ顔で鎮座している。眠るまえよりも色濃い香りがした。甘い甘いにおい、潮のささやきもかすかに聞こえて。
ぬえは帽子を手に取る。人差し指を引っ掻けて風車のようにくるくる回しながら、お茶の間を後にして台所へと移った。“おしるこ”のかぐわしさが鼻を突き抜けて、胃袋のなかで暴れた。目の前で水蜜が鍋をかき混ぜている。帽子の代わりに三角巾。イカリのマークが入った可愛らしい三角巾だ。ムラサは、こちらに気づいているはずだった。でも振り向くことはしない。おたまのステンレスのきらめきを、じっと眺めている。あるいは“おしるこ”の暗い水面を。
……今度は、ぬえは迷わなかった。
「ムラサ」
水蜜は振り向いた。
「なによ、ぬえ」
すかさず、ぬえはキャプテン帽を片手で差し出した。水蜜はいつもの表情で応戦してくる。意地を張ろうとして強張った顔。形を変えながらも継続している、私たちのカタチ。ぬえは帽子を軽く、上下させてみた。水蜜は手を伸ばしてこない。仕方がないな。ぬえは心のうちで、少し笑いを漏らす。時間をかけて深呼吸。二色三対の羽を気持ちだけ広げて、ぬえは春の綿毛のようにふわりと浮かんだ。両手を差し出して、三角巾に帽子を被せる。もう落ちないようにと、力を込めて。ムラサは、まるで初めて帽子を身につけた女の子のように、さわさわと白い生地を撫でていた。ぬえは黒いワンピースのすそを握った。
「……ごめん」
云ってやった。私は云ってやったぞ。そう思った。でもムラサは、やっぱりムラサで、腰をつかんで強引に床に引きずり下ろしてきた。あの日とおなじ、ヒスイのきらめきが、ぬえの胸を弓矢のように射抜いた。
「台所では飛ばないこと。なんかい云えば分かるのよ」
ばかぬえ、と付け加えて、水蜜は鍋の方へと視線を戻してしまう。その様を見て、ぬえは無性に腹が煮え立った。本当に腹が立ってきたのだ。
「ぬ、ぬぁによ、ばかムラサ」
「云ったわね、こいつ」
「そっちが先じゃないのっ」
「元はと云えばあんたが!」
「ムラサのにぶちん!」
「この分からず屋ぁ!」
羽を振り回して威嚇するぬえに対抗して、ムラサは“おたま”を振りかざしてきた。ふたりはぽかぽかと殴り合う。昼餉を頂きに参上した面々が、騒ぎを聞きつけて特殊部隊よろしく台所に突入してくる。またかまたか、と呆れの嘆息。両肩に腕を回されても、足を使って気持ちのぶつけ合いを続けた。二人の紛争は、今年も終わりを迎えない。仲好く白蓮の頭突きを喰らって、こたつに寄り添うように放り出された。おでこがくっ付きそうなくらいに近づいた顔と顔を睨み合って、眠くなるまで「ばか」と云い合い続けた。
……地底時代の話だ。ぬえは聖輦船の舳先に腰かけることが好きだった。だからムラサ船長との争いは絶えることがなかったけれど、数百年を経て、ようやく改まる兆しを見せ始めた。「こたつで一緒に眠る時くらいは停戦しましょう」と――そう協定が結ばれたのは正月も終わらぬ頃合いで、だから今年は、ふたりそろって寝正月になった。
~ おしまい ~
ふたりの微妙で暖かい関係がたまりません
明けましておめでとうございます! ムラぬえ!
互いの顔を見ては喧嘩してばかりいる二人が
その裏で確かな絆を築いている、その様子に暖かな気持ちになりました。