生まれた瞬間の記憶は確かにある。それは人が視る夢に似ていた。
気分はあまり良いとは言えない。
深い海の底か、大空の雲の中か。それとも太陽の光の下に立っているのか、闇夜の中を彷徨っていたのか。
いずれにせよ、視界は良好ではなかった。
いや、視覚という機能はそこでは意味を持たない。
何もないのだから、当然だ。
唯々、水のような風のような、そんな何かの奔流に身を任せていた。
「今度の幻想郷はどのようなところだろうか?」
私は、そんなことを繰り返し夢想していた。
身の丈の三倍以上もありそうな、とても大きな扉の前。
それに向かって手を伸ばしたとき、閻魔様は言った。
「――毎回言っていることだが、そこでは、時間と空間の把握はできない。というより、人の理解を超える場所だ。だから、ここはどこなのだろうと問うてはならないよ。すれば、君の精神が崩壊するよ。なに、すぐ終わる。ちょっとの我慢さ――」と。
承知しているとでも言うかのように、私は頷いた。
そして、その頑丈そうな扉を両の手で触れた。
鉄の扉はひんやりと冷たかった。けれど、決して重たいとは感じなかった。
ガコン、ギィー。
騒々しい鉄の軋む音を立てながらも、扉はすんなりと行く道を開いてくれた。
扉の先を覗く。
何と言うこともない、ただひたすらに真っ暗である。
正確に言えば、何もないと言うべきかもしれないが。
目を瞑ったときの感覚に近いように思える。
しかし、私は躊躇せず、振り返りもせず、ゆるりと一歩を踏み出す。
すると身体がふわりと浮いた。
いや、落下したとも言えるし、横に流されたとも言えるか。
ともかく、上も下も右も左もわからない、そんな時空間でふよふよと漂っていたのである。
そして、今に至るわけだ。
さて。さすがに何もせず、いや何もできずにただそこに在るのには少々飽きてきた。いつになったら幻想郷に行けるのだろうか。
すると、いきなり身体が浮き上がる感覚があった。
小さな光が差し込む。眼球は久しぶりのそれを捉える。
目の内側が熱く、眩しい。つい顔をしかめてしまった。
意識が身体に纏い始めた。
それに合わせて、徐々に自分の身体の全容を、曖昧ながらも認識し始める。
どこからか音が聞こえる。宗教的な建物によくある鐘のような、重苦しい音。
どうやら、性別と容姿などといった諸々の構成が決定したようだ。
は? 頭脳?
明晰に決まっているじゃないか。
稗田の家系舐めんな。
ということで、第九代目、稗田阿求。無事に転生完了。
鐘の音はその合図だったようだ。
ふと、目を開けると、丘の上に立っているようだった。
思考に混乱は見当たらなかった。
どうやら成功したようだ。
とりあえず、能力の確認をしてみる。周りの風景を確認すると、私は目を瞑ってみた。
うん。寸分違わず、記憶している。
『一度見たものを忘れない』という能力は無事に引き継がれたらしい。
身体も特に問題ない。ちゃんと思った通りに動く。
それから、身体をまさぐってみる。どうやら生物学的にはメス……じゃなくて女性のようだ。
ということは、少し身体能力が落ちるかもしれない。
さて、容姿は鏡もないから、確認できない。ただ、今の幻想郷が背丈の平均が一メートル以下の小人の世界でなければ、おそらく大柄ではないだろう。
しかし何故、丘の上にいるのだろうか。少し落ち着こう。
そうだ。試しに素数を数えよう。素数こそ、孤独な数字。いや、虚しさが増すかもしれない。
趣向を変えて、世界について考えてみよう。
世界というのは自由にできているわけではない。世界=自由だとしたら、それは世界ではない。ただの混沌だ。世界は言葉や文化のようなルールが存在して、初めて世界というものが在るのだ。たとえば、目の前に落ちているこの「石」。もし、「石」という言葉(概念)がなければ、この「石」というのは地面の一種になってしまうかもしれない。あるいは、砂という概念に含まれてしまうかもしれない。そのように考えていくと、この世界は区切りがないと、とても曖昧なものになってしまう。だから、ルール、規則、コード、秩序……まぁ呼び方は何でも良いが、主観的に区切るものがない限り、世界は存在しないと言える。
少々極論だったろうか。落ち着こう私。
ここでちょっと現実と向き合うとしよう。
「それで、ここは……どこ?」
確か、自分の屋敷に華麗に転生する手筈だったはず。
私は超絶クールに主の帰還を宣言し、その一方で英雄が凱旋したかのように周りは熱狂に包まれる。そんな中、テキトーにちょっと気の利いた文句でも一つ添えてやる。それで完璧。「幻想郷のブックマンが帰ってきたぞ」とお祭り騒ぎになるに違いない。実際、「神事」として認識されているようだし、それから……。
「はぁ……」
いや、今はそうあるはずだった状態とその先の仮定を空想しても仕方がない。
現状の把握から始めよう。
まず、自分が立ち尽くしているのはどこかの丘の上。それも吹きさらしの。
「随分と見晴らしの良い……こと……で……」
ああ、やばい。さすがにちょっと泣きそうである。
それでも辛い現実に負けずに、こぼれそうな涙をぐっとこらえて、私は周りを見渡す。
麓の方に光が見える。あそこを目指せばいいのだろうか。
「ああ、もう……」
人生は自分の思い通りには行かない。そのことは十分承知しているが、何も最初からこんな試練をぶつてこなくたっていいのではないだろうか。人生さん、貴方、時々は仕事をさぼってもいいのですよ。
と、悲嘆に暮れていると空から紙切れが落ちてきた。
「?」
それを空中で掴まえてみると、何事かが書かれていた。
「申し訳ないです。システム障害により、転生の座標位置を間違えてしまったようです。屋敷までの道のりは裏に記しておきましたので、恐縮ですが自力で向かってくださいです。。。」
読み終わると、私は空を見上げた。雨は降っていない。けれど、不思議なことに頬が濡れてきた。
それは自分がいる場所が分からないからではなかった。だって、自分のいる場所はその紙切れに書いてあるからだ。それよりも重大なことに気付いたのだ。というか何故、性別を確認した際、そのことに気が付かなかったのか。転生して早々、それは今世紀最大の謎になりそうだ。失敗というのは誰にでもあるわけで、それが何度も繰り返されるものでない限り、私はそう安易に憤怒したりはしない。たとえば、この転生という儀式は非常に高度なものである。だから、肉体も精神もまともに転生できただけでも、それは誇るべき偉業だと思う。それにこうしてちゃんと謝罪してくれている。怒る理由などない。
怒る理由はないが、ただ悲しかった。何故なら、私はこれでも文明人なわけで。
だから。
「せめて、下着だけでもちゃんと送ってほしかった……」
第九代目、稗田阿求。無事に転生完了……全裸で。
気分はあまり良いとは言えない。
深い海の底か、大空の雲の中か。それとも太陽の光の下に立っているのか、闇夜の中を彷徨っていたのか。
いずれにせよ、視界は良好ではなかった。
いや、視覚という機能はそこでは意味を持たない。
何もないのだから、当然だ。
唯々、水のような風のような、そんな何かの奔流に身を任せていた。
「今度の幻想郷はどのようなところだろうか?」
私は、そんなことを繰り返し夢想していた。
身の丈の三倍以上もありそうな、とても大きな扉の前。
それに向かって手を伸ばしたとき、閻魔様は言った。
「――毎回言っていることだが、そこでは、時間と空間の把握はできない。というより、人の理解を超える場所だ。だから、ここはどこなのだろうと問うてはならないよ。すれば、君の精神が崩壊するよ。なに、すぐ終わる。ちょっとの我慢さ――」と。
承知しているとでも言うかのように、私は頷いた。
そして、その頑丈そうな扉を両の手で触れた。
鉄の扉はひんやりと冷たかった。けれど、決して重たいとは感じなかった。
ガコン、ギィー。
騒々しい鉄の軋む音を立てながらも、扉はすんなりと行く道を開いてくれた。
扉の先を覗く。
何と言うこともない、ただひたすらに真っ暗である。
正確に言えば、何もないと言うべきかもしれないが。
目を瞑ったときの感覚に近いように思える。
しかし、私は躊躇せず、振り返りもせず、ゆるりと一歩を踏み出す。
すると身体がふわりと浮いた。
いや、落下したとも言えるし、横に流されたとも言えるか。
ともかく、上も下も右も左もわからない、そんな時空間でふよふよと漂っていたのである。
そして、今に至るわけだ。
さて。さすがに何もせず、いや何もできずにただそこに在るのには少々飽きてきた。いつになったら幻想郷に行けるのだろうか。
すると、いきなり身体が浮き上がる感覚があった。
小さな光が差し込む。眼球は久しぶりのそれを捉える。
目の内側が熱く、眩しい。つい顔をしかめてしまった。
意識が身体に纏い始めた。
それに合わせて、徐々に自分の身体の全容を、曖昧ながらも認識し始める。
どこからか音が聞こえる。宗教的な建物によくある鐘のような、重苦しい音。
どうやら、性別と容姿などといった諸々の構成が決定したようだ。
は? 頭脳?
明晰に決まっているじゃないか。
稗田の家系舐めんな。
ということで、第九代目、稗田阿求。無事に転生完了。
鐘の音はその合図だったようだ。
ふと、目を開けると、丘の上に立っているようだった。
思考に混乱は見当たらなかった。
どうやら成功したようだ。
とりあえず、能力の確認をしてみる。周りの風景を確認すると、私は目を瞑ってみた。
うん。寸分違わず、記憶している。
『一度見たものを忘れない』という能力は無事に引き継がれたらしい。
身体も特に問題ない。ちゃんと思った通りに動く。
それから、身体をまさぐってみる。どうやら生物学的にはメス……じゃなくて女性のようだ。
ということは、少し身体能力が落ちるかもしれない。
さて、容姿は鏡もないから、確認できない。ただ、今の幻想郷が背丈の平均が一メートル以下の小人の世界でなければ、おそらく大柄ではないだろう。
しかし何故、丘の上にいるのだろうか。少し落ち着こう。
そうだ。試しに素数を数えよう。素数こそ、孤独な数字。いや、虚しさが増すかもしれない。
趣向を変えて、世界について考えてみよう。
世界というのは自由にできているわけではない。世界=自由だとしたら、それは世界ではない。ただの混沌だ。世界は言葉や文化のようなルールが存在して、初めて世界というものが在るのだ。たとえば、目の前に落ちているこの「石」。もし、「石」という言葉(概念)がなければ、この「石」というのは地面の一種になってしまうかもしれない。あるいは、砂という概念に含まれてしまうかもしれない。そのように考えていくと、この世界は区切りがないと、とても曖昧なものになってしまう。だから、ルール、規則、コード、秩序……まぁ呼び方は何でも良いが、主観的に区切るものがない限り、世界は存在しないと言える。
少々極論だったろうか。落ち着こう私。
ここでちょっと現実と向き合うとしよう。
「それで、ここは……どこ?」
確か、自分の屋敷に華麗に転生する手筈だったはず。
私は超絶クールに主の帰還を宣言し、その一方で英雄が凱旋したかのように周りは熱狂に包まれる。そんな中、テキトーにちょっと気の利いた文句でも一つ添えてやる。それで完璧。「幻想郷のブックマンが帰ってきたぞ」とお祭り騒ぎになるに違いない。実際、「神事」として認識されているようだし、それから……。
「はぁ……」
いや、今はそうあるはずだった状態とその先の仮定を空想しても仕方がない。
現状の把握から始めよう。
まず、自分が立ち尽くしているのはどこかの丘の上。それも吹きさらしの。
「随分と見晴らしの良い……こと……で……」
ああ、やばい。さすがにちょっと泣きそうである。
それでも辛い現実に負けずに、こぼれそうな涙をぐっとこらえて、私は周りを見渡す。
麓の方に光が見える。あそこを目指せばいいのだろうか。
「ああ、もう……」
人生は自分の思い通りには行かない。そのことは十分承知しているが、何も最初からこんな試練をぶつてこなくたっていいのではないだろうか。人生さん、貴方、時々は仕事をさぼってもいいのですよ。
と、悲嘆に暮れていると空から紙切れが落ちてきた。
「?」
それを空中で掴まえてみると、何事かが書かれていた。
「申し訳ないです。システム障害により、転生の座標位置を間違えてしまったようです。屋敷までの道のりは裏に記しておきましたので、恐縮ですが自力で向かってくださいです。。。」
読み終わると、私は空を見上げた。雨は降っていない。けれど、不思議なことに頬が濡れてきた。
それは自分がいる場所が分からないからではなかった。だって、自分のいる場所はその紙切れに書いてあるからだ。それよりも重大なことに気付いたのだ。というか何故、性別を確認した際、そのことに気が付かなかったのか。転生して早々、それは今世紀最大の謎になりそうだ。失敗というのは誰にでもあるわけで、それが何度も繰り返されるものでない限り、私はそう安易に憤怒したりはしない。たとえば、この転生という儀式は非常に高度なものである。だから、肉体も精神もまともに転生できただけでも、それは誇るべき偉業だと思う。それにこうしてちゃんと謝罪してくれている。怒る理由などない。
怒る理由はないが、ただ悲しかった。何故なら、私はこれでも文明人なわけで。
だから。
「せめて、下着だけでもちゃんと送ってほしかった……」
第九代目、稗田阿求。無事に転生完了……全裸で。
では私はさっそくこの阿求を保護しに行きますね。
この発想は無かったわ
ふつーは赤ん坊として生まれるからそりゃ全裸ですけどw
面白かったです。
物質転送のシステムを見直すべきだ、あるいは妹紅に教わるとか