Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

私の手を引いて遠く

2012/12/15 00:23:36
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「一緒に行こう」と彼女の言う。
「少し休もう」と言えない私は、ひどく臆病で、弱虫なやつだと思った。


 サナトリウムに押し込められていた日々がよほど窮屈だったのか、大学に戻ってきてからの彼女は今まで以上に活動的で、精力的だった。歩調がどことなく弾んでいるように見えるばかりでなく、まっすぐに前を向いたひとみは、ともすれば新しいサッカーシューズを買ってもらった少年のようにきらきらと輝いている。実際、彼女の心境はそれに近いものがあるのだろうと私は思う。負傷を機にいっそう力を増した彼女の異能。幻想と現実を思いのままに往来するその力は、まだ不安定で不確かなものだけれど、いっとう愉快な“おもちゃ”であることに変わりはなくて。今までできなかったことが可能になった時、新しいことに挑戦する機会を得た時、人は誰だって浮き足立って喜ぶものだ。どこまででも行けるような気になって、それを実際に試してみたくなる。私の友人はまさに今、そういった夢中の真っ只中にいた。
 だからこそ、そんなふうに無邪気に振る舞う友人を制止することなんて私にできるはずもなくて。彼女の情熱に水を挿すには、私はあまりにも彼女の近くに居すぎたのだ。もしも私が、あと半年でも彼女と過ごした時間が短かったのなら、そんな酔狂を前に「待った」と口を挟むことができたのかもしれない。あるいは、親しい間柄でさえなかったのなら、夢見心地もたいがいにしろと怒鳴り散らしていたのかも。――だけれども、そうはできない理由が私にはあった。それは他でもない、私自身が彼女の夢の証人だったから。彼女が恍惚として語る空想や幻想が、決して絵空事の話ではないと判ってしまっていたから。この世の理屈や常識では測りきれないものの存在が、私自身の心に焼きついてしまっている以上、彼女の世界を否定するためにはまず自分の記憶を疑ってかからなくてはならなくて。それだけはどうしても、認めたくなかった。彼女と、彼女と共に在った自分にうそはつきたくなかった。楽しかったのだ、私は。彼女と二人で過ごしたこの数年余り、日々は万華鏡のようにきらめいて、くすみがかっていた世界を華やかに彩ってくれた。それは曇り空が晴れて満点の星空が顔を覗かせるのにも似て、私の目に、胸に、私の居場所はここなのだと知らしめてくれるようで。
 今だって、そう。「はやく行きましょう」と、そんな穏やかな言葉と共に、私の目の前には白い掌が向けられている。週末の倶楽部活動。幾度となく繰り返してきた私たちの日常。夢を現実のものとして掴むことのできるこの手は、今度はいったい私をどんな世界へと導いてくれるのだろう。いや、考えるまでもなく、それはとても素晴らしい場所に違いない。失われたはずの美しい風景や、見たこともない魔法の力の存在する幻想の国。冒険と浪漫がそこにある。あるということを私は知っている。今までだって何度も経験してきたことじゃないか。今さらになって手を取らない理由なんてない。ないはずなんだ。
 なのに。
 どうして。
 差し出された手を握り返そうとする私の指先の動きはひどく緩慢で、ねじの切れ掛かったぜんまいのように震えてさえいる。胸の奥底に、得体のしれないよどんだものがちりちりと燻っているようで、ひどく気分がよくない。すっかり腰が引けてしまって、顔を上げることさえ重苦しくて、私を見据える彼女の表情もついに見上げることができなかった。……いや、その視線こそ、私を射竦めているものの正体なのだとさえ考えてしまう。なにをそんな、ばかげている。気ごころの知れた友人を前に、どうして身構える必要なんてあるんだろう。情けないと思う反面、しかし体は思うように言うことを聞かず、胸に圧し掛かる重圧は時間が過ぎるにつれて息苦しさを増すばかりで。
 そんなふうにまごつく私を見かねたのか、もう待っていられないとばかりに、彼女の手がぬるりと伸びてくる。その蛇にも似た動きに反射的に腕を引っ込めそうになって、けれども私が怖気づくよりも先に彼女の指先は私の手に絡みついていた。触れ合った肌を通じて伝わる体温が、それが辛うじて現実のものであることを私に教えていた。
「さぁ、行きましょう。あなたがぐずぐずしてるから、もう電車に遅れそうよ」
 そう言って、彼女は私の手を引いて歩き出す。一度足を踏み出してしまうと、後のことはもう、惰性だった。彼女の歩幅や歩調は体の方が覚えてしまっていて、それを機械的になぞるだけで私は自然と彼女について行くことができた。ただひとつ、いつもと違うことがあるとすれば、そこにはもうすでに私の意思はないということ。今日どこへ向かうのかを私は知らない。どんなものを食べ、どんな景色を見て、どんな世界を歩くのか……。ううん、どこへ行きたいかだなんて、私にはもうわからなくなってしまっていたのだ。ただ彼女について行くだけで精一杯だった。彼女が私の一歩前を歩くようになった。彼女が私の手を引いて歩くようになった。彼女と、並んで歩くことができなくなってしまっていた。なにかがずれはじめていることには、とうの昔に気付いている。彼女がサナトリウムから帰ってきた日。彼女の目の色が、いっそう深みを帯びたあの日から、私と彼女との間には薄い膜のようなものが一枚張り詰めているように思えてならなくて。それは私だけが意識している距離感。私の心に根ざした、ほんのわずかな未知への畏怖。それはきっと人間であれば誰しもが抱く当然の感情に違いない。だってそうでしょう。この世に怖くないものなんてひとつもない。度を過ぎた現実も、五感を越えた現象も、すべて行きつくところは、ただひとつ。


 ねぇ、メリー。少しだけ休もうよ。
 そんなに急いで向こうへ行くことはないんだよ。
 あんまり遠くは、帰ってこれなくなっちゃうよ。





 ……こわいんだよ、メリー。

 “そこから先”は、おそろしい……





 声にならない声に、気付いてもらえるわけもなく。
 彼女は振り返らずに私の手を引いたまま、まっすぐに歩く。
 ふと、このまま自分がどこか遠い場所へ攫われてしまうような、そんな気がした。
息抜きにかいてみました。イザナギ物質で、いろいろ空想できて、たのしかったです。
うぇあ
コメント



1.3削除
こんな秘封もありですね。
息抜きでこの文を書けるとは羨ましい。
2.奇声を発する程度の能力削除
これは良い秘封
3.名無しな程度の能力削除
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