「……あの、さ」
「んー?」
「そんなにジッと見られると、作業し辛いというかなんというか」
「えー」
机に向かって作業をするにとりの真横に、はたてがちょこんと座っている。そしてジッと、にとりを見つめている。正しくは、にとりの作業を見つめているのだが。そんな状況が数分続き、にとりはその視線に耐えられなくなった。
緊張やら照れやら羞恥やら、色んな感情がにとりには厳しいものだった。見るのはやめて欲しいと言うにとりに対し、しかしはたては不満そうな声を上げる。
「にとりがおっけーしてくれたんじゃん。ちゃんと見ないと、ネタ纏められないし」
「いや、そうだけどさぁ……」
そう、ちゃんとにとりは了承をしていた。
きっかけは、珍しくはたてがにとりの家にやって来たことから始まる。はたてが「取材の練習に付き合ってくれ」とお願いをしに来たのだ。なんでも、今までの念写だけでなく、直接取材も今後は視野に入れていきたいとのことだった。けれど、いきなり本番は失敗してしまうかもしれないので、まずにとりを練習に一日取材させて欲しいと申し出た。にとりは実際に記事にはしないことを条件に、了承した。
そして現在に至る。
「だって、こんな至近距離でジッと見られるとは思わなかったし……。と、とりあえず、ちょっと離れてくれると嬉しいかな」
「えぇーにとり私のこと嫌いなの?」
「あー……むしろ好きだからこそ近いと困るっていうか照れるっていうか……」
小さな声でごにょごにょと言うにとりの声は、はたてには聞こえなかった。はたては小首を傾げて、頭に疑問符を浮かべている。
にとりはわざとらしく咳をし、横に居るはたてを両手でぐいっと押した。
「ま、まぁほら、とにかく! そんなに見られちゃ、ちゃんとできるものもできなくなっちゃうから、ね?」
「ふむふむ、にとりは見られると集中できないタイプ、と……」
「そんなのメモらなくていいから」
「これは河童という種族だから? それとも、にとりがただ恥ずかしがり屋なだけ? 多分後者よね、うん」
「別に恥ずかしがりってわけじゃないし、だからちょっとメモらないでやめて」
はたてから手帳を奪おうとするが、はたては頭上高くに腕を伸ばして回避する。にとりよりもはたての方が身長が高い為、ぴょんぴょん飛び跳ねても届かない。
うぐぐと悔しそうな表情をするにとりに、はたてはおかしそうにけたけたと笑う。
「しゅ、取材協力してあげないぞっ!」
「ん、ごめんごめん。でもさー作業している姿を見てちゃダメって、私どうすれば良いの?」
「それは……どうやって取材をするか考えるのも、立派な練習だよ」
「あっ! なんかずるい! 誤魔化された感じなのに、正論だからずるい!」
「そうだ、そろそろお昼だし軽くご飯にする? 私は作業を中途半端にしたくないから、ちゃちゃっとおにぎりにしちゃうけど。はたて、何か食べたいものある?」
「あ、私もおにぎりで良いわよ。そんなにお腹空いてないしね……って、違う! 露骨に話を逸らさないで――」
「それじゃ、私は台所行くから。あ、一応言っておくけど、机の上にある機械は弄らないでおくれよ? まだ途中だからね」
「そんなもの、勝手に触ったりしないわよ」
「うん、知ってる、はたてはそういうことしないって。ま、一応だよ。触られるのが嫌とかじゃなくて、はたてが怪我しないようにってことで」
そう言って、にとりは台所へと姿を消した。はたては一人、部屋に残される。
あまりにとりの家は訪れないため、思わずきょろきょろと見渡してしまう。数えるくらいしか来たことがないが、それでもはたては一つだけ分かっていることがあった。
「また増えてる……」
そう、にとりの部屋は毎度訪れるたび、何かしら機械が増えている。それはにとりの部屋のスペースを、それなりに奪っている。小さい物から大きい物まで、様々な機械が置いてある。そのどれも、はたてには一体どんな使い道を持つものなのか分からない。見慣れたもの、印刷機やカメラ機材などは分かるが。
ちらりと机の上に目をやる。にとりがさっきまで弄っていた、手のひらサイズの機械だ。やや丸みを帯びた形をしたそれは、小さな画面が一つとボタンがいくつか付いている。色は薄い緑色だ。外見からでは、使い道がさっぱり分からない。
興味を無くしたはたては、ごろんと仰向けになる。足を組んで、自分のカメラを弄り始めた。文のカメラと違い、はたてのカメラは撮ったものをデータとしてカメラの中に保存しておくことができる。なんとなく、カチカチとボタンを押して、過去の写真を眺める。とは言っても、ほとんどが念写で撮ったものなのだが。
「ん、お待たせー。って、なんで横になってるの?」
「なんとなく」
「いやまぁ、良いけどさ――あ、やっぱ良くない。その、はたて、えっと……見えてるよ」
「何が?」
「仰向けになって、足なんて組んでるから、スカートの中が」
「あー……別にいいや、にとりしか居ないし。私は気にしない」
「そこは気にしようよっ!? いやむしろ、是非とも気にしてよ! 私は気になっちゃうよ! ほら、起き上がらないと、おにぎりあげないよ」
「むぅ、仕方ないわねぇ」
はたてはのそのそと起き上がり、おにぎりを一つ受け取る。にとりはさっきと同じように、机の前に座った。
そしてお互いに、おにぎりをぱくっと一口。シンプルなどこにでもあるようなおにぎりだから、特別美味しい不味いというわけでもない。そのため、二人とも特に感想を言わずに、ただただ黙ってもきゅもきゅと食べる。
半分ほど食べた辺りで、にとりが口を開いた。
「さっき、何してたのさ? カメラ弄ってたみたいだけど、もしかしてカメラ調子悪い?」
「違う違う、そういうのじゃないわ。ただちょっと、久し振りに古い写真とか眺めてただけ。にとりがこのカメラ作ってくれたわけだけど、私がこれで一番最初に撮った写真って、なんだか覚えてる?」
はたてにそう言われ、にとりは少し考える。はたての口調から、にとりが居るときに撮ったということは分かる。しかし、何しろ随分と前のことだ。詳しく覚えているかと言われると、怪しいところだった。
真面目に思い出そうしているにとりだが、口の端にご飯粒が付いているせいで、真面目さに欠ける。はたてにはそのことが分かっていたが、あえて指摘しなかった。もうしばらく、気付いていないにとりを眺めていよう。そんなちょっぴり意地悪なことを思いながら、なんとか笑いを堪えた。
「……ごめん、思い出せないや。なんだろ? 部屋の写真とか山の風景とか?」
「はっずっれー! 正解はにとりでしたー」
「へ? え、そうだっけ?」
「うん、私が初めは製作者であるにとりを撮りたいって言ったから。にとりは少し嫌がってたけどね、せっかくの初めてなんだからもっと良いものを撮れって言ってた。でも私がどうしてもって言ったら、渋々撮られてくれたのよ。ほら、見てよこの写真」
はたてが画面を見せると、にとりは思わず口に含んでいたおにぎりを噴き出しかけた。画面には、ぶすっとした表情で笑ってすらいない、にとりの写真が映っていた。にとりは自分のことながら、これは酷いと思った。
そして何気なく、あくまでも自然を装いつつ、にとりはカメラへと手を伸ばす。しかし、はたてはそれを予想していたかのように、すぐさま腕を上に上げることで回避した。
「……なんで触らせてくれないのさ」
「だってにとり、これ消そうとするでしょ」
「うぐっ……いやだって、そんな酷い写真消して欲しいに決まってるだろう?」
「酷くないよ。私にとって、これは割と嬉しい一枚だったりするのよ」
「一番初めに撮った写真だから思い入れが深いのは分かるけど、お願いだから消して欲しいな」
「いやいや、そうじゃなくってさ。にとりって、あんまりこういう不機嫌な様子、見せないじゃない? なんて言うか、我慢するタイプと言うか遠慮するタイプと言うか優しすぎるタイプと言うか。だからこうやって曝け出してくれるの、嬉しいなって」
「……そんな嬉しいものかね」
「私は嬉しいよ? 遠慮無しに喜びも怒りも哀しみも楽しみも、全部曝け出してくれるっていうのは。だからさ――」
「へ?」
はたてはそっと手を伸ばして、にとりの口元に付いている米粒を指で取った。そしてその指についた米粒を、ぱくっと食べて笑う。
「もっとフランクに接してくれて良いのよ?」
「~っ!」
かぁっと顔が熱くなるのを、にとりは感じた。そんなにとりを指差し「にとり顔真っ赤」と、はたてはけらけら無邪気に笑う。
にとりは帽子をぎゅっと深く被って、顔が見られないようにした。
「つ、ついてたなら言ってよ! そ、それと! 山で河童よりも上の立場である天狗様に、これ以上砕けて接することなんて……」
「でも文や椛には、私にする以上に砕けた接し方してるじゃん?」
「文も椛も、それなりに長い付き合いだしねぇ……それに河童を利用じゃなく、仲良くしようとする天狗様なんて立派な変わり者さ。本来なら、今はたてとこうして接しているような感じのことを他の天狗様にもしたら、それだけで恐ろしいことだよ」
「昔ならともかく、今の妖怪の山はそこまでじゃないと思うけど」
「あはは、確かにそうかもしれない。けどね、うん、染み付いた上下関係ってのは、そう簡単に消えないものさ。例えば、この山から姿を消した鬼が目の前にまた現れたら、私たち河童も君たち天狗様たちも、恐れを抱くだろう?」
「私は別にだけど」
「……あぁ、はたては鬼相手に積極的に取材しちゃうようなタイプだったね。けど、大天狗様や天魔様に言われているだろう? 鬼との接触は控えろと。普通は怖いんだよ」
そう言えばそんなこと言われたことあったな、とはたては思い出す。それでもはたては、鬼の四天王と呼ばれる萃香や勇儀相手に、ネタを求めたこともあったが。他の天狗たちからすれば、はたてのそんな行動は命知らずや愚者のように思えるだろう。
文や椛も変わり者ではあるが、はたても充分変わり者だ。
「にとりは天狗が怖い?」
「怖いよ。けど、文や椛は怖くない」
「私のことは?」
「怖くないよ。でも、ちょっと怖いかな」
「何それ」
「私は弱いから。君たち天狗様みたいな、力は持ってない。唯一の取り柄は、機械を弄れることくらい。そんな弱さをはたてが知って、私を嫌いにならないかが少し怖い――って、いたっ!?」
にとりの言葉を遮るように、はたてが額にチョップをした。そこそこの強さで。
額を押さえながら、何をするのさと言いたげなにとりの視線に、はたては不機嫌そうな表情で返す。
「私がそんなことで、嫌いになるようなやつに感じた? 自分より力が弱いからって、それだけで嫌いになるようなやつに? だとしたら、心外ね」
「……ごめん」
「にとりはさ、もう少し自分に自信を持っても良いと思うよ。私にできることがにとりにはできないかもしれないけど、にとりにできることが私にはできない場合だってあるんだから。唯一の取り柄が機械弄り? ならその取り柄を誇りに思えば良い。胸を張って、自分の得意なことだって。他の誰よりも優れていることだって、言えば良いのよ」
「い、いや、別に誰よりも優れているわけじゃあ」
「少なくとも、私よりは長けているでしょ? 私のカメラ、にとりがメンテナンスしてくれなきゃダメだし。というか、未だに私このカメラの機能ちゃんと使いこなせてないし。パノラマって何って話だし」
「なんか微妙に話逸れてきてない?」
「あーだからもうっ! とにかく! 私が言いたいのは、私相手に遠慮とかしないで良いのよってこと!」
「……別に遠慮とかしてるつもりは、そんな無いんだけどね。大体これ以上砕けた接し方って、一体どうしたらいいのさ?」
「え? えーあーうーん……」
特に深く考えていなかったのか、頬を人差し指でかきつつ何かを考えている様子のはたて。
それを見て、にとりは思わず苦笑いを零す。
「にとり、一緒にお風呂入ろうか!」
「何がどうなってその結論に至ったのさ!?」
はたてが良いことを思い付いたと言わんばかりの笑顔でそう言うが、にとりからすればわけが分からない衝撃発言だった。思わず持っていたおにぎりを投げつけそうになるくらいには、衝撃だった。
「裸の付き合いってやつかな。大丈夫、ちゃんとにとりの背中を流してあげるから、安心して」
「いやいやいや絶対入らないからね!?」
「それで夜は一緒のお布団で寝るとか! うん、なんかこれ凄く親密っぽい気がする! ナイスアイディアだと思わない?」
「とりあえず一旦落ち着こうか。そもそもはたて、今日何をしに来たのか覚えてる?」
「え? にとりとお風呂入りに?」
「うん、明らかに目的忘れてるよね。取材の練習に来たんでしょう?」
「……あぁっ!」
話が逸れたりなんやりで忘れてましたといった様子のはたてに、にとりは苦笑いを零す。
「で、でもほらっ、これも一応取材みたいな感じじゃない? にとりが天狗をどう思ってるか的な! 河童が天狗に抱く感情は……みたいな!」
「それまた今更な記事になるねぇ」
「うぐぐっ……今回は実際に記事にしないし練習だから良いのよ!」
「うん、まぁ別に悪くはないと思うけど」
確かに、ある意味取材のようなものだった。間違いではない。河童が天狗に対して、何をどう思っているかなんて妖怪の山では今更な情報ではあるが、練習なのでそこは特に気にする点でも無かった。
「さて、と」
いつの間にやらおにぎりを食べ終わっていたにとりは、再び機械を弄り始めることにした。さっきみたいに至近距離でジッと見られるのは耐えられないが、今ならはたてはまだおにぎりを食べ終わっていないので、にとりの方へと集中できていない。
今のうちに作業を進めてしまおう、とにとりは思った。
「ねぇ、それって何の機械なの? 用途が全く想像できないんだけど」
はたては疑問に思っていたことを訊いてみる。すると「んー……」と、聞いているのかいないのか曖昧な返事が返ってきた。にとりが本気で作業に集中した場合、こういうことがたまにある。周りの声がしっかりと耳に入らない状態、周りで何が起きているのか気にしていない状態だ。
こうなってしまったにとりには、並大抵のことじゃ関心を向けてくれない。それを知っていたはたては、さてどうしたものかと考える。
「その機械の名前は?」
「ぎゃおっち」
「用途は」
「外の世界の携帯育成ゲーム。恐竜を飼うことができるゲーム」
「何それ怖い」
一体この小さな機械の中に、恐竜とはどういうことなのか。はたてにはいまいちよく分からなかった、その機械にはさほど興味があったわけでもないので、よしとした。
重要なのは、にとりの反応を確かめることだった。スルーされるかなと思いきや、簡潔にだが返答をしてくれている。これなら会話が成立する、とはたては思った。
「にとりー」
「うんー」
「聞いてる?」
「うんー」
「きゅうり好き?」
「好きだよー」
「文のこと好き?」
「好きだよー」
「椛のこと好き?」
「好きだよー」
「私のこと好き?」
「好きだよー」
「じゃあ今夜一緒にお風呂入ろうか」
「うん、入ろ――って、ストップ!」
完全に頷く前に、にとりはハッと我に返った。はたては少しだけ、悔しそうな顔をしている。
「あと少しだったのに……惜しい」
「惜しいじゃないよ! 何をさらっと、とんでもないことぶちこんでくるのさっ!」
「まぁいいや。まだ夜じゃないし」
「何その、夜なら一緒に入るよね的な言い方。入らないからね? ちゃんと一人で入ってね?」
「あ、お風呂使うことってことには突っ込まないのね。ついでに泊まっていくつもりだけど」
「……うち、布団一つしかないよ」
「いいよ、適当な椅子か何かで寝るから」
「この時期、夜は冷えるだろう? そんなことしたら、風邪引いちゃうよ」
「それは一緒に寝ても良いよーみたいなお誘い?」
「ばっ……! ち、違うよ! 私の布団使って良いよってこと!」
「そこまで図々しくできないわよ。それはにとりが使って」
「私なんかよりも、はたてが――痛っ!」
にとりが言葉を言い終えるよりも先に、はたてが「そぉい!」とチョップをした。本日二度目の姫海棠チョップだ。その拍子に、にとりの帽子がずり落ちてしまった。
にとりがちらりと視線をやると、はたてはむすっとした表情。
「自分を『なんか』なんて言わない」
「ぅ……け、けどこの場合は仕方ないと言うか……」
「おーけい、分かったわ。仕方ないから、間を取って二人で一緒に寝ることにしましょう。うん、それが良いわね」
「何がどうなってそれがベストになったの!?」
「一緒にお風呂やお布団……うん、夜が楽しみだわ」
「話を聞いて!?」
にとりの言葉は、にははーと笑うはたての耳には届いて無かった。にとりだって別に、嫌では無い。お風呂だって一緒に寝ることだって、むしろ嬉しいことだ。ただ、嬉しさよりも羞恥が余裕で勝る。
なんとかして止めなければ危ない主に私の身が持たない、そんなことを本気で思いながら、にとりは引き攣った笑みを浮かべた。
◇◇◇
「はたて、狭くない?」
「ん、大丈夫。にとりは?」
「大丈夫だよ。おやすみ」
「おやすみ、にとり」
暗闇の中、二人の声。結局、一緒にお風呂とはならなかったが、一緒に寝ることにはなった。互いに布団の譲り合いを続けた結果、なんやかんやで一時間近く経ってしまったため、仕方なく一緒の布団で寝る結論に落ち着いた。
ただ、どうしても恥ずかしさがあったため、にとりは一つお願いをした。それは互いに、背を向けて寝ることだ。顔を見なくて済むから、恥ずかしさが半減するということである。なので、二人は今、互いに顔が見えない状態で布団にくるまっている。布団は決して大きく無いので、ほんの少し、背中が触れ合ってしまう。
布団の暖かさとは違う、別の温もりが背中を通して伝わる。
「……ねぇ、はたて。もう寝た?」
その問いかけに、はたてはどう返答すべきか少し悩んだ。にとりの声のトーンからいって、何か言い辛そうなことを言いたそうに感じたから。にとりが臆病なところがあるのは、知っている。きっとここで起きていると返答したら、にとりは話そうとしたことを誤魔化すだろう。だが狸寝入りなんてして、にとりの話したいであろうことを聞いてしまうのは、少し騙しているような感じで気分が悪いものがある。はたてはそう思い、少しの間悩んだ。
その悩んでいる時間は、一分ほどだったか。その間の沈黙を、にとりは『はたては眠っている』と取ったらしく、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「ありがとう。今日はたてが言ってくれた言葉、嬉しかった。そんなすぐには変われないと思うけど、努力はするよ。もう少し自信を持てるように。胸を張れるように。私なんかが――いや、私がはたての傍に居ても、良いように……」
「っ!?」
にとりの言葉に、はたての体が動いた。
恥ずかしがり屋、臆病、そんなことは知ったところでは無い、こんなことを言うにとりが悪いんだ。はたてはそう思い、気が付けばにとりを後ろからギュッと抱き締めていた。
にとりはびくりと体を震わせる。起きていたこと、聞かれていたこと、抱き締められていること、いろんな事実が頭の中をぐるぐると駆け巡り、体がかぁっと熱くなるのを感じていた。
「ばか。にとりのばーか」
「な、なな何をっ! というか、起きてたのっ!?」
「えぇ、起きてたわよ。何よ、私の傍に居ても良いようにって。私は好きで、にとりの傍に居るの、居て良いも悪いも無いわよ。にとりが拒否するならともかく」
「わわ分かったからとりあえず少し離れてくれると嬉しいないやむしろ私が布団から出る!」
「させないわよ、そのためにこうやって抱き締めてるわけだし」
はたてがにとりを抱き締めたのは、きっとにとりなら起きてることが分かれば布団から飛び退くだろうと思ったからだ。
こうして後ろから抱き締められている今、にとりは逃げ出すことができない。
「んーそれじゃあまぁ、改めておやすみなさい」
「このまま寝る気!?」
「にとり温いし、気持ち良いからこのままで」
「~っ!?」
くぁ~と欠伸をして、はたてはふぅと息を吐いた。その息が、にとりの髪にかかる。
背中から感じる吐息、ふにゅりと柔らかい胸、そして心地良い体温、それらの全てがにとりの羞恥を加速させる。やけに騒がしい鼓動が、はたてにばれてないか不安だった。
「おやすみ、にとり」
穏やかな声で、はたてが言った。
にとりは心の中で「寝れるかー!?」と叫んでやった。
◇◇◇
「それじゃあにとり、またいつか泊まりに来るわね」
「そこは取材に来る、じゃないの?」
「あぁうん、そうそう取材に。忘れてないわよ、うん」
目が覚めて朝食を済ませると、はたてがそろそろ帰ると言い出した。
にとりは見送りに、はたてと一緒に外へ出た。冬の冷たい風が、二人を容赦なく攻め立てる。
「あはは、まぁはたてさえ良ければ、泊まりに来なよ。私はいつでも歓迎するよ」
「本当? お風呂一緒に入る?」
「それはもういいから! 入らないからね!」
「ちぇー。さて、と……そろそろ行くわね」
「風邪引かないようにねー」
「にとりもね」
そう言って、はたては黒い翼を大きく広げ、空を翔けて行った。にとりはその様子を、はたての姿が小さくなるまで見続けていた。
そして完全に見えなくなると、ふぅとため息を吐き、家へと戻る。
「なんだか色々疲れたなぁ……」
はたてが居なくなって、一気に疲れがやってきた。緊張やら恥ずかしさやらがあったからだろう。
それでも、悪い気はしない。むしろ、昨日の出来事を思い出して、口元が自然と緩みさえする。
誰に見られるわけでもないのに、にとりは帽子を深く被る。そして小さく一つ、笑みを零した。
「んー?」
「そんなにジッと見られると、作業し辛いというかなんというか」
「えー」
机に向かって作業をするにとりの真横に、はたてがちょこんと座っている。そしてジッと、にとりを見つめている。正しくは、にとりの作業を見つめているのだが。そんな状況が数分続き、にとりはその視線に耐えられなくなった。
緊張やら照れやら羞恥やら、色んな感情がにとりには厳しいものだった。見るのはやめて欲しいと言うにとりに対し、しかしはたては不満そうな声を上げる。
「にとりがおっけーしてくれたんじゃん。ちゃんと見ないと、ネタ纏められないし」
「いや、そうだけどさぁ……」
そう、ちゃんとにとりは了承をしていた。
きっかけは、珍しくはたてがにとりの家にやって来たことから始まる。はたてが「取材の練習に付き合ってくれ」とお願いをしに来たのだ。なんでも、今までの念写だけでなく、直接取材も今後は視野に入れていきたいとのことだった。けれど、いきなり本番は失敗してしまうかもしれないので、まずにとりを練習に一日取材させて欲しいと申し出た。にとりは実際に記事にはしないことを条件に、了承した。
そして現在に至る。
「だって、こんな至近距離でジッと見られるとは思わなかったし……。と、とりあえず、ちょっと離れてくれると嬉しいかな」
「えぇーにとり私のこと嫌いなの?」
「あー……むしろ好きだからこそ近いと困るっていうか照れるっていうか……」
小さな声でごにょごにょと言うにとりの声は、はたてには聞こえなかった。はたては小首を傾げて、頭に疑問符を浮かべている。
にとりはわざとらしく咳をし、横に居るはたてを両手でぐいっと押した。
「ま、まぁほら、とにかく! そんなに見られちゃ、ちゃんとできるものもできなくなっちゃうから、ね?」
「ふむふむ、にとりは見られると集中できないタイプ、と……」
「そんなのメモらなくていいから」
「これは河童という種族だから? それとも、にとりがただ恥ずかしがり屋なだけ? 多分後者よね、うん」
「別に恥ずかしがりってわけじゃないし、だからちょっとメモらないでやめて」
はたてから手帳を奪おうとするが、はたては頭上高くに腕を伸ばして回避する。にとりよりもはたての方が身長が高い為、ぴょんぴょん飛び跳ねても届かない。
うぐぐと悔しそうな表情をするにとりに、はたてはおかしそうにけたけたと笑う。
「しゅ、取材協力してあげないぞっ!」
「ん、ごめんごめん。でもさー作業している姿を見てちゃダメって、私どうすれば良いの?」
「それは……どうやって取材をするか考えるのも、立派な練習だよ」
「あっ! なんかずるい! 誤魔化された感じなのに、正論だからずるい!」
「そうだ、そろそろお昼だし軽くご飯にする? 私は作業を中途半端にしたくないから、ちゃちゃっとおにぎりにしちゃうけど。はたて、何か食べたいものある?」
「あ、私もおにぎりで良いわよ。そんなにお腹空いてないしね……って、違う! 露骨に話を逸らさないで――」
「それじゃ、私は台所行くから。あ、一応言っておくけど、机の上にある機械は弄らないでおくれよ? まだ途中だからね」
「そんなもの、勝手に触ったりしないわよ」
「うん、知ってる、はたてはそういうことしないって。ま、一応だよ。触られるのが嫌とかじゃなくて、はたてが怪我しないようにってことで」
そう言って、にとりは台所へと姿を消した。はたては一人、部屋に残される。
あまりにとりの家は訪れないため、思わずきょろきょろと見渡してしまう。数えるくらいしか来たことがないが、それでもはたては一つだけ分かっていることがあった。
「また増えてる……」
そう、にとりの部屋は毎度訪れるたび、何かしら機械が増えている。それはにとりの部屋のスペースを、それなりに奪っている。小さい物から大きい物まで、様々な機械が置いてある。そのどれも、はたてには一体どんな使い道を持つものなのか分からない。見慣れたもの、印刷機やカメラ機材などは分かるが。
ちらりと机の上に目をやる。にとりがさっきまで弄っていた、手のひらサイズの機械だ。やや丸みを帯びた形をしたそれは、小さな画面が一つとボタンがいくつか付いている。色は薄い緑色だ。外見からでは、使い道がさっぱり分からない。
興味を無くしたはたては、ごろんと仰向けになる。足を組んで、自分のカメラを弄り始めた。文のカメラと違い、はたてのカメラは撮ったものをデータとしてカメラの中に保存しておくことができる。なんとなく、カチカチとボタンを押して、過去の写真を眺める。とは言っても、ほとんどが念写で撮ったものなのだが。
「ん、お待たせー。って、なんで横になってるの?」
「なんとなく」
「いやまぁ、良いけどさ――あ、やっぱ良くない。その、はたて、えっと……見えてるよ」
「何が?」
「仰向けになって、足なんて組んでるから、スカートの中が」
「あー……別にいいや、にとりしか居ないし。私は気にしない」
「そこは気にしようよっ!? いやむしろ、是非とも気にしてよ! 私は気になっちゃうよ! ほら、起き上がらないと、おにぎりあげないよ」
「むぅ、仕方ないわねぇ」
はたてはのそのそと起き上がり、おにぎりを一つ受け取る。にとりはさっきと同じように、机の前に座った。
そしてお互いに、おにぎりをぱくっと一口。シンプルなどこにでもあるようなおにぎりだから、特別美味しい不味いというわけでもない。そのため、二人とも特に感想を言わずに、ただただ黙ってもきゅもきゅと食べる。
半分ほど食べた辺りで、にとりが口を開いた。
「さっき、何してたのさ? カメラ弄ってたみたいだけど、もしかしてカメラ調子悪い?」
「違う違う、そういうのじゃないわ。ただちょっと、久し振りに古い写真とか眺めてただけ。にとりがこのカメラ作ってくれたわけだけど、私がこれで一番最初に撮った写真って、なんだか覚えてる?」
はたてにそう言われ、にとりは少し考える。はたての口調から、にとりが居るときに撮ったということは分かる。しかし、何しろ随分と前のことだ。詳しく覚えているかと言われると、怪しいところだった。
真面目に思い出そうしているにとりだが、口の端にご飯粒が付いているせいで、真面目さに欠ける。はたてにはそのことが分かっていたが、あえて指摘しなかった。もうしばらく、気付いていないにとりを眺めていよう。そんなちょっぴり意地悪なことを思いながら、なんとか笑いを堪えた。
「……ごめん、思い出せないや。なんだろ? 部屋の写真とか山の風景とか?」
「はっずっれー! 正解はにとりでしたー」
「へ? え、そうだっけ?」
「うん、私が初めは製作者であるにとりを撮りたいって言ったから。にとりは少し嫌がってたけどね、せっかくの初めてなんだからもっと良いものを撮れって言ってた。でも私がどうしてもって言ったら、渋々撮られてくれたのよ。ほら、見てよこの写真」
はたてが画面を見せると、にとりは思わず口に含んでいたおにぎりを噴き出しかけた。画面には、ぶすっとした表情で笑ってすらいない、にとりの写真が映っていた。にとりは自分のことながら、これは酷いと思った。
そして何気なく、あくまでも自然を装いつつ、にとりはカメラへと手を伸ばす。しかし、はたてはそれを予想していたかのように、すぐさま腕を上に上げることで回避した。
「……なんで触らせてくれないのさ」
「だってにとり、これ消そうとするでしょ」
「うぐっ……いやだって、そんな酷い写真消して欲しいに決まってるだろう?」
「酷くないよ。私にとって、これは割と嬉しい一枚だったりするのよ」
「一番初めに撮った写真だから思い入れが深いのは分かるけど、お願いだから消して欲しいな」
「いやいや、そうじゃなくってさ。にとりって、あんまりこういう不機嫌な様子、見せないじゃない? なんて言うか、我慢するタイプと言うか遠慮するタイプと言うか優しすぎるタイプと言うか。だからこうやって曝け出してくれるの、嬉しいなって」
「……そんな嬉しいものかね」
「私は嬉しいよ? 遠慮無しに喜びも怒りも哀しみも楽しみも、全部曝け出してくれるっていうのは。だからさ――」
「へ?」
はたてはそっと手を伸ばして、にとりの口元に付いている米粒を指で取った。そしてその指についた米粒を、ぱくっと食べて笑う。
「もっとフランクに接してくれて良いのよ?」
「~っ!」
かぁっと顔が熱くなるのを、にとりは感じた。そんなにとりを指差し「にとり顔真っ赤」と、はたてはけらけら無邪気に笑う。
にとりは帽子をぎゅっと深く被って、顔が見られないようにした。
「つ、ついてたなら言ってよ! そ、それと! 山で河童よりも上の立場である天狗様に、これ以上砕けて接することなんて……」
「でも文や椛には、私にする以上に砕けた接し方してるじゃん?」
「文も椛も、それなりに長い付き合いだしねぇ……それに河童を利用じゃなく、仲良くしようとする天狗様なんて立派な変わり者さ。本来なら、今はたてとこうして接しているような感じのことを他の天狗様にもしたら、それだけで恐ろしいことだよ」
「昔ならともかく、今の妖怪の山はそこまでじゃないと思うけど」
「あはは、確かにそうかもしれない。けどね、うん、染み付いた上下関係ってのは、そう簡単に消えないものさ。例えば、この山から姿を消した鬼が目の前にまた現れたら、私たち河童も君たち天狗様たちも、恐れを抱くだろう?」
「私は別にだけど」
「……あぁ、はたては鬼相手に積極的に取材しちゃうようなタイプだったね。けど、大天狗様や天魔様に言われているだろう? 鬼との接触は控えろと。普通は怖いんだよ」
そう言えばそんなこと言われたことあったな、とはたては思い出す。それでもはたては、鬼の四天王と呼ばれる萃香や勇儀相手に、ネタを求めたこともあったが。他の天狗たちからすれば、はたてのそんな行動は命知らずや愚者のように思えるだろう。
文や椛も変わり者ではあるが、はたても充分変わり者だ。
「にとりは天狗が怖い?」
「怖いよ。けど、文や椛は怖くない」
「私のことは?」
「怖くないよ。でも、ちょっと怖いかな」
「何それ」
「私は弱いから。君たち天狗様みたいな、力は持ってない。唯一の取り柄は、機械を弄れることくらい。そんな弱さをはたてが知って、私を嫌いにならないかが少し怖い――って、いたっ!?」
にとりの言葉を遮るように、はたてが額にチョップをした。そこそこの強さで。
額を押さえながら、何をするのさと言いたげなにとりの視線に、はたては不機嫌そうな表情で返す。
「私がそんなことで、嫌いになるようなやつに感じた? 自分より力が弱いからって、それだけで嫌いになるようなやつに? だとしたら、心外ね」
「……ごめん」
「にとりはさ、もう少し自分に自信を持っても良いと思うよ。私にできることがにとりにはできないかもしれないけど、にとりにできることが私にはできない場合だってあるんだから。唯一の取り柄が機械弄り? ならその取り柄を誇りに思えば良い。胸を張って、自分の得意なことだって。他の誰よりも優れていることだって、言えば良いのよ」
「い、いや、別に誰よりも優れているわけじゃあ」
「少なくとも、私よりは長けているでしょ? 私のカメラ、にとりがメンテナンスしてくれなきゃダメだし。というか、未だに私このカメラの機能ちゃんと使いこなせてないし。パノラマって何って話だし」
「なんか微妙に話逸れてきてない?」
「あーだからもうっ! とにかく! 私が言いたいのは、私相手に遠慮とかしないで良いのよってこと!」
「……別に遠慮とかしてるつもりは、そんな無いんだけどね。大体これ以上砕けた接し方って、一体どうしたらいいのさ?」
「え? えーあーうーん……」
特に深く考えていなかったのか、頬を人差し指でかきつつ何かを考えている様子のはたて。
それを見て、にとりは思わず苦笑いを零す。
「にとり、一緒にお風呂入ろうか!」
「何がどうなってその結論に至ったのさ!?」
はたてが良いことを思い付いたと言わんばかりの笑顔でそう言うが、にとりからすればわけが分からない衝撃発言だった。思わず持っていたおにぎりを投げつけそうになるくらいには、衝撃だった。
「裸の付き合いってやつかな。大丈夫、ちゃんとにとりの背中を流してあげるから、安心して」
「いやいやいや絶対入らないからね!?」
「それで夜は一緒のお布団で寝るとか! うん、なんかこれ凄く親密っぽい気がする! ナイスアイディアだと思わない?」
「とりあえず一旦落ち着こうか。そもそもはたて、今日何をしに来たのか覚えてる?」
「え? にとりとお風呂入りに?」
「うん、明らかに目的忘れてるよね。取材の練習に来たんでしょう?」
「……あぁっ!」
話が逸れたりなんやりで忘れてましたといった様子のはたてに、にとりは苦笑いを零す。
「で、でもほらっ、これも一応取材みたいな感じじゃない? にとりが天狗をどう思ってるか的な! 河童が天狗に抱く感情は……みたいな!」
「それまた今更な記事になるねぇ」
「うぐぐっ……今回は実際に記事にしないし練習だから良いのよ!」
「うん、まぁ別に悪くはないと思うけど」
確かに、ある意味取材のようなものだった。間違いではない。河童が天狗に対して、何をどう思っているかなんて妖怪の山では今更な情報ではあるが、練習なのでそこは特に気にする点でも無かった。
「さて、と」
いつの間にやらおにぎりを食べ終わっていたにとりは、再び機械を弄り始めることにした。さっきみたいに至近距離でジッと見られるのは耐えられないが、今ならはたてはまだおにぎりを食べ終わっていないので、にとりの方へと集中できていない。
今のうちに作業を進めてしまおう、とにとりは思った。
「ねぇ、それって何の機械なの? 用途が全く想像できないんだけど」
はたては疑問に思っていたことを訊いてみる。すると「んー……」と、聞いているのかいないのか曖昧な返事が返ってきた。にとりが本気で作業に集中した場合、こういうことがたまにある。周りの声がしっかりと耳に入らない状態、周りで何が起きているのか気にしていない状態だ。
こうなってしまったにとりには、並大抵のことじゃ関心を向けてくれない。それを知っていたはたては、さてどうしたものかと考える。
「その機械の名前は?」
「ぎゃおっち」
「用途は」
「外の世界の携帯育成ゲーム。恐竜を飼うことができるゲーム」
「何それ怖い」
一体この小さな機械の中に、恐竜とはどういうことなのか。はたてにはいまいちよく分からなかった、その機械にはさほど興味があったわけでもないので、よしとした。
重要なのは、にとりの反応を確かめることだった。スルーされるかなと思いきや、簡潔にだが返答をしてくれている。これなら会話が成立する、とはたては思った。
「にとりー」
「うんー」
「聞いてる?」
「うんー」
「きゅうり好き?」
「好きだよー」
「文のこと好き?」
「好きだよー」
「椛のこと好き?」
「好きだよー」
「私のこと好き?」
「好きだよー」
「じゃあ今夜一緒にお風呂入ろうか」
「うん、入ろ――って、ストップ!」
完全に頷く前に、にとりはハッと我に返った。はたては少しだけ、悔しそうな顔をしている。
「あと少しだったのに……惜しい」
「惜しいじゃないよ! 何をさらっと、とんでもないことぶちこんでくるのさっ!」
「まぁいいや。まだ夜じゃないし」
「何その、夜なら一緒に入るよね的な言い方。入らないからね? ちゃんと一人で入ってね?」
「あ、お風呂使うことってことには突っ込まないのね。ついでに泊まっていくつもりだけど」
「……うち、布団一つしかないよ」
「いいよ、適当な椅子か何かで寝るから」
「この時期、夜は冷えるだろう? そんなことしたら、風邪引いちゃうよ」
「それは一緒に寝ても良いよーみたいなお誘い?」
「ばっ……! ち、違うよ! 私の布団使って良いよってこと!」
「そこまで図々しくできないわよ。それはにとりが使って」
「私なんかよりも、はたてが――痛っ!」
にとりが言葉を言い終えるよりも先に、はたてが「そぉい!」とチョップをした。本日二度目の姫海棠チョップだ。その拍子に、にとりの帽子がずり落ちてしまった。
にとりがちらりと視線をやると、はたてはむすっとした表情。
「自分を『なんか』なんて言わない」
「ぅ……け、けどこの場合は仕方ないと言うか……」
「おーけい、分かったわ。仕方ないから、間を取って二人で一緒に寝ることにしましょう。うん、それが良いわね」
「何がどうなってそれがベストになったの!?」
「一緒にお風呂やお布団……うん、夜が楽しみだわ」
「話を聞いて!?」
にとりの言葉は、にははーと笑うはたての耳には届いて無かった。にとりだって別に、嫌では無い。お風呂だって一緒に寝ることだって、むしろ嬉しいことだ。ただ、嬉しさよりも羞恥が余裕で勝る。
なんとかして止めなければ危ない主に私の身が持たない、そんなことを本気で思いながら、にとりは引き攣った笑みを浮かべた。
◇◇◇
「はたて、狭くない?」
「ん、大丈夫。にとりは?」
「大丈夫だよ。おやすみ」
「おやすみ、にとり」
暗闇の中、二人の声。結局、一緒にお風呂とはならなかったが、一緒に寝ることにはなった。互いに布団の譲り合いを続けた結果、なんやかんやで一時間近く経ってしまったため、仕方なく一緒の布団で寝る結論に落ち着いた。
ただ、どうしても恥ずかしさがあったため、にとりは一つお願いをした。それは互いに、背を向けて寝ることだ。顔を見なくて済むから、恥ずかしさが半減するということである。なので、二人は今、互いに顔が見えない状態で布団にくるまっている。布団は決して大きく無いので、ほんの少し、背中が触れ合ってしまう。
布団の暖かさとは違う、別の温もりが背中を通して伝わる。
「……ねぇ、はたて。もう寝た?」
その問いかけに、はたてはどう返答すべきか少し悩んだ。にとりの声のトーンからいって、何か言い辛そうなことを言いたそうに感じたから。にとりが臆病なところがあるのは、知っている。きっとここで起きていると返答したら、にとりは話そうとしたことを誤魔化すだろう。だが狸寝入りなんてして、にとりの話したいであろうことを聞いてしまうのは、少し騙しているような感じで気分が悪いものがある。はたてはそう思い、少しの間悩んだ。
その悩んでいる時間は、一分ほどだったか。その間の沈黙を、にとりは『はたては眠っている』と取ったらしく、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「ありがとう。今日はたてが言ってくれた言葉、嬉しかった。そんなすぐには変われないと思うけど、努力はするよ。もう少し自信を持てるように。胸を張れるように。私なんかが――いや、私がはたての傍に居ても、良いように……」
「っ!?」
にとりの言葉に、はたての体が動いた。
恥ずかしがり屋、臆病、そんなことは知ったところでは無い、こんなことを言うにとりが悪いんだ。はたてはそう思い、気が付けばにとりを後ろからギュッと抱き締めていた。
にとりはびくりと体を震わせる。起きていたこと、聞かれていたこと、抱き締められていること、いろんな事実が頭の中をぐるぐると駆け巡り、体がかぁっと熱くなるのを感じていた。
「ばか。にとりのばーか」
「な、なな何をっ! というか、起きてたのっ!?」
「えぇ、起きてたわよ。何よ、私の傍に居ても良いようにって。私は好きで、にとりの傍に居るの、居て良いも悪いも無いわよ。にとりが拒否するならともかく」
「わわ分かったからとりあえず少し離れてくれると嬉しいないやむしろ私が布団から出る!」
「させないわよ、そのためにこうやって抱き締めてるわけだし」
はたてがにとりを抱き締めたのは、きっとにとりなら起きてることが分かれば布団から飛び退くだろうと思ったからだ。
こうして後ろから抱き締められている今、にとりは逃げ出すことができない。
「んーそれじゃあまぁ、改めておやすみなさい」
「このまま寝る気!?」
「にとり温いし、気持ち良いからこのままで」
「~っ!?」
くぁ~と欠伸をして、はたてはふぅと息を吐いた。その息が、にとりの髪にかかる。
背中から感じる吐息、ふにゅりと柔らかい胸、そして心地良い体温、それらの全てがにとりの羞恥を加速させる。やけに騒がしい鼓動が、はたてにばれてないか不安だった。
「おやすみ、にとり」
穏やかな声で、はたてが言った。
にとりは心の中で「寝れるかー!?」と叫んでやった。
◇◇◇
「それじゃあにとり、またいつか泊まりに来るわね」
「そこは取材に来る、じゃないの?」
「あぁうん、そうそう取材に。忘れてないわよ、うん」
目が覚めて朝食を済ませると、はたてがそろそろ帰ると言い出した。
にとりは見送りに、はたてと一緒に外へ出た。冬の冷たい風が、二人を容赦なく攻め立てる。
「あはは、まぁはたてさえ良ければ、泊まりに来なよ。私はいつでも歓迎するよ」
「本当? お風呂一緒に入る?」
「それはもういいから! 入らないからね!」
「ちぇー。さて、と……そろそろ行くわね」
「風邪引かないようにねー」
「にとりもね」
そう言って、はたては黒い翼を大きく広げ、空を翔けて行った。にとりはその様子を、はたての姿が小さくなるまで見続けていた。
そして完全に見えなくなると、ふぅとため息を吐き、家へと戻る。
「なんだか色々疲れたなぁ……」
はたてが居なくなって、一気に疲れがやってきた。緊張やら恥ずかしさやらがあったからだろう。
それでも、悪い気はしない。むしろ、昨日の出来事を思い出して、口元が自然と緩みさえする。
誰に見られるわけでもないのに、にとりは帽子を深く被る。そして小さく一つ、笑みを零した。
はたてさんは大好きなのですが、中々書けなかったりしますっ。
>>2様
はたてさんは笑顔かつ良い意味で馴れ馴れしいのが似合いそうですねっ。
>>奇声を発する程度の能力様
ありがとうございます。
>>4様
はたてさんみたいな人が友達にいたら、毎日が楽しいでしょうね!
>>3様
仲が良くないと、作り出せない空気ですよねっ。
>>6様
距離感って美味しいと思うのです! ありがとうございますありがとうございますっ!
こんな感じで翻弄する側のはたては良いね。アクティブさが良いと言うか。