Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

てゐの幸せ

2012/10/14 19:01:17
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 秋のある日のことである。
 仕事をサボって兎達と遊んでいたてゐは、永琳の怒号を耳にした。

「おっと。あれがバレたか?」
 心当たりは多い。
 てゐは足音を忍ばせて永遠亭に上がり、陰からそっと様子を窺った。
 叱られていたのは鈴仙である。何かミスをやらかして薬の原料を無駄にしたらしい。
(なーんだ)
 ゆるゆると吐息する。
 鈴仙のしおれた顔つきを眺めていると心がうずいた。ちらり、ちらり、てゐは物陰から身を乗り出し、口に手を当ててニタニタと笑った。
 それに気付いたらしい。鈴仙が声を荒くした。
「……て、てゐに言ってくださいよ。あいつがサボったせいで手が回らなくなったんですから!」
 永琳は冷たい声音で返す。
「貴女の責任よ。言い訳しない」
 名目上、兎達を束ねるのは鈴仙の役目である。
「それとも貴女には部下の管理ができないのかしら?」
「……」
「どうなの、うどんげ?」
 永琳に容赦はない。
 下手に反抗すれば降格され、鈴仙はてゐの下に置かれるであろう。地上の野兎などと共に、てゐの命令を聞くという立場は、
「……私が間違っていました。以後気を付けます」
 月人として受け入れられるものではなかった。
(あとでからかってやろっと)
 てゐは苦笑して立ち去った。


 翌日のことである。
 てゐはのんびりと仕事をしていた。
「ゴマをすっては大国さま~。もみ手をすっては大国さま~」
 パアっと朝陽の注ぐ縁側に腰掛けて、草の実などをすりつぶしている。風が冷たい。さらりさらりと羽毛がなびくのを感じながら、のろりのろりと手を動かしていた。至って平穏である。ところが昼近くになり、突如として永琳の怒号が鳴った。
「またか」
 チェッ、と舌打ちして、声のする方へと駆けた。

 永遠亭で扱う薬の中には、百年もの熟成を要する物から、精製後は半刻も経たず効能を失う物まである。それらは輝夜の能力によって維持されており、地下の薬蔵にて保管される。
 その薬蔵で永琳は怒鳴っていた。
「貴女にはこの薬がどれほど貴重な物か分からないの?」
 昨日と同じようなミスがあったらしい。何の液体が零れたのか薬蔵の床は濡れ、目にまで沁みる悪臭が立ちこめていた。
 鈴仙は黙ってうなだれている。
「顔を上げなさい」
「……」
「なぜ同じ失敗を繰り返すの?」
「それは、そのう……不注意で……」
「あらそう。貴女にとっては、注意を払う気も起きない、つまらない仕事だったのね」
「違います! 昨日、眠れなくて」
「それが言い訳になると思う?」
「だ、だって」
「だってじゃありません!」
 また怒号が鳴り響き、鈴仙は怯えて下を向いた。
(まいど、不器用なやつ)
 てゐは溜めていた息を押し殺すようにして吐出した。

「なぜミスが生じたのか分かるかしら?」
 永琳は何かにつけて厳しい。
「ええと、ですから、夜更かしで」
「違う。そうなった元を辿りなさい。貴女の何が悪かったの?」
「……いや、昨日、てゐが……」
「違う。昨日も今日も、回避できたミスを犯したことが分からないの? 貴女自身の考えの浅さ、至らなさを自覚なさい」
「……」
 説教は長々と続き、鈴仙は口を閉ざして時が過ぎるのを耐えている。
 離れた物陰で、
「叱ってもらえてるんだ。噛みしめなよ」
 てゐが呟いた。
 それが聴こえたらしい。鈴仙は一瞬、カッと火の点いたような面をしたが、
「……申し訳ありません。不注意でした」
 永琳に睨まれては、小さくそう答えるのが精一杯だった。
「昨日、言ったわよね」
「……」
「てゐは後でお仕置きするとして、それでも貴女の責任は変わらないのよ。本当に分かってる?」
「……」
「ふう。言うだけ無駄なのかしら」
 ぐっと押し黙っている鈴仙を前に、永琳は嘆息した。
 その隙を見て、
(冗談じゃないやい。とばっちりはごめんだ)
 てゐはそろりと逃げ出し、この日は竹林の奥の隠れ家に引きこもった。


 何がどう作用するのか、流れというものは妙に続くことがある。
 また翌日のことである。
「あ、永琳。ごめんなさい」
 永遠亭の主、輝夜は三人を見るなりそう言った。というのも、地下の薬蔵から薬瓶がいくつも消えてしまい、そのことでてゐと鈴仙が揃って叱られていたのである。
「私がやったの。昨日は珍しく地下の戸が開いてたんだもの。入ったら薬瓶が割れてたから、元に戻しておいたわ。覆水盆に還る、よ。ついでに古い薬にも力が効いてるか確かめたくて、いくつか持ち出したんだけど……」
 なくなった薬瓶は全て輝夜の部屋にあるという。永琳はしかめていた眉をぱっと開き、頭を下げて自らの不手際を詫びた。
 てゐ達には一言もない。
「いいけどさ、お師匠さま。わたしゃ叱られ損だよ」
 横目に鈴仙を見ると、日頃はぴんと張っている背筋がぐにゃりと折れて、指先がきつく力んでいる。
(やれやれ)
 てゐは大きく欠伸するふりをして、溜まった息を深々と吐き流した。

 薬瓶を棚に戻した後、永琳が謝罪した。
「疑ってすまなかったわ、うどんげ」
「いえ……」
「でも貴女ももう少し周りに注意なさい」
「……」
「今の件だって、貴女が薬を割ったこと、戸を開けっぱなしで離れたこと……物事の原因は必ず自分にあるのだから」
「……」
 鈴仙の声は弱々しく、聞き取れるものではなかった。
「え、なに?」
「どうして……」
「ちょっと、聞いてるの?」
 何日も続けて責められ、疲れていたのだろう。
 問い詰められるほどに反応は不明瞭となり、やがて大きく鼻をすすり、涙を零し、鈴仙は静かに泣いた。
「ちょ、ちょっと」
「だって……どうして、私ばっかり……」
 ここ永遠亭において鈴仙はかけ離れて幼い。

 永琳は嘆息した。
「泣くんじゃありません。それと、いい?」
「……」
「全ての物事は、因果を辿れば必ず己に帰結する。誰が悪いかと考えるならば、自分が悪いのよ。貴女も、貴女の何が悪かったのか、何を改善するべきなのか、もう一度よく考えなさい」
 鈴仙は無反応だった。
 しばらく永琳は途方に暮れたような顔をした。永琳という人は、およそ他人に対して悪意などを持たない。この時は、
「そんなだから、仲間と故郷を見捨てて逃げ出すのよ」
 言葉が過ぎた。それだけである。

「あっ……」
 てゐは思わず顔を上げた。
(お師匠さま。違う)
 言おうとして声が出なかった。
 辺りがピンと緊張し、息が重たくなっていく。
(お、と。まずい)
 悪い予感がした。
 鈴仙は伏し目がちに話す。いつであったか、その理由を訊ねたところ、
「私の眼を直視した人は心が狂うからよ。別に、相手を気遣うとかじゃなくてさ。声なんてどうとでも届けられるのに、一々話す相手に狂われたら面倒くさいじゃない」
 などと言っていた。
 その鈴仙が真っ向から永琳を見据えた。涙を指に取り、しゃっくりを一度鳴らして、甲高く擦り切れるような声で言った。
「あ、は、は、は
 私は脱走兵、仰る通りです
 いつの時も役に立てない臆病者
 どうせどうせ自分勝手な卑怯者だもん
 でも師匠、師匠だってね……」

 ぐっと肘で顔をぬぐい、深く呼吸をした。

「な、なぜですか?
 貴女は月の頭脳、八意様です
 それがなぜ、貴女ほどの方が……罪を犯したのです?
 いつだって先を予見している貴女なのに……
 蓬莱の薬を作れば姫様がどうするか
 月の使者を殺せばどうなるか
 なぜ分からなかったのです?
 あ、貴女のような御方が!
 いや、本当は、分かっていたのでしょう
 分からないはずがない
 分かっていて、分かっていたのに、姫様を、罪人にした
 そう、貴女のせいだ
 姫様も、月の使者を殺したのも……
 そうでしょう
 貴女でさえ……なのに、私なんか……
 なのに、姫様にばっかり優しくて……」

 はたして気が触れたのか、後の方は呂律が乱れ、言葉は切れ切れとなり意味が通るものではなかった。
 そして時が過ぎた。
 地下室は冷めている。
 喉が枯れたかして鈴仙の声は途切れた。最後は袖口でごしごしと瞳を拭い、能力を発現させると、すうっと溶け込むように姿を消して去った。
 そして地下室にはてゐと永琳、輝夜が残された。

(どーしよ)
 てゐはそっと辺りの表情を探った。
 輝夜は平然としており、何を考えているものか見当がつかない。それより永琳である。
(この人でも疲れるんだなあ)
 くたびれた老婆のような顔をして、鈴仙のいない虚空を力なく見つめている。いかに慰めるべきか、思考を巡らせた。
 そんな中、
「てゐ」
 言ったのは輝夜である。
「悪いけど、鈴仙を捜しに行ってもらえる?」
「ん、それは……いいけど」
 てゐは躊躇した。思うに、鬱憤を吐いて吐き散らした鈴仙については、今は放っておいても良い。
「姫様はどうするのさ?」
「ここで永琳といるわよ」
「それは」
「ん?」
「いや、だいじょぶかなって」
 悪い流れが続いている。永琳、輝夜。二人を残して行って良いものか、判断がつかない。
「平気よ」
「そう?」
「貴女はあの子といてあげなさい。私は大丈夫だから」
「なんで、そう言えるのさ」
「私のそばには永琳がいてくれるもの」
 そう言って輝夜は視線を移し、にこりと微笑んだ。
 視線の先には永琳がいる。

 てゐは苦く笑って、この場は二人に任せることにした。
「はいはい。ほんじゃ、行ってきまあす」
 音もなく跳躍して階段を越えた。そしてダッと駆け出した時、
「ごめんなさい。うどんげを……お願い」
 下から弱々しくそう頼まれるのを聴いた。
 振り返らず、外へ出た。


 鈴仙の能力は小難しい。てゐが聞いたところによると、あらゆる物質は波の性質というものを持っており、鈴仙はその波に干渉することで光や音、精神などといった質の現象を操るのだという。
「もし本気で隠れられたら探しようがないけどね。なぁに、すぐ見つかるさ」
 鈴仙に落ちゆく先などない。
 てゐは、集めた二百余の手下に号令をかけた。
「さあ行け。見事あいつを発見した子には、ごほーび弾むよ!」
 一斉に兎達が飛び跳ね、四方八方へと散っていく。妖怪兎の何匹かに番を任せて連絡を頼むと、自身は隠れ家でくつろいだ。
「すぐに見つかるさ」
 しかしこの日、鈴仙が見つかることはなかった。

 濃い霧が立ちこめていた。
 帰り着いた永遠亭はがらんとしていて、足音ばかりが深と響いた。
 どの部屋を開けても誰もいなかった。
「てゐ」
 しわがれた女の声が聴こえた。そちらへ行くと縁側に見知らぬ老人が腰掛けていた。
 老人が訊いてきた。
「うどんげは見つかったかい」
 首を横に振ると、老人は深く嘆息した。
 てゐは老人に向かって、ここで何をしているのかと尋ねたが、返答はなかった。訝しみつつ、この屋敷の主人の居場所を知らないかと訊くと、老人は力なく呟いた。
「輝夜は月に帰ったさ」
 てゐは不審に思い、老人の素性を尋ねた。
「私はね、罪人だよ」
「……」
「いやはや、老いた。地上の穢れの中では永くは生きられない」
「……」
「本当はね、てゐ。私は蓬莱の薬は呑まなかったのさ。だから止まった歴史の中で輝夜と過ごしてきた」
「……」
「誰も、お前のようには生きられないよ。うどんげだって――」
 てゐは何故だか無性に怖くなり、耳に両手を押し当てて声の出る限り喚き散らそうとした。しかし声は出なかった。老人の声は遮られることなく、耳元でささやくが如く聴こえた。
「もう誰も生きてはいない。あれから本当に長い時間が過ぎた……結局、お前ひとりだよ。ここで永遠に生きるのは」
 言い終えると老人の体は粉のようになって崩れ、風に吹かれて散った。
 明るくなり、すうっと霧が引いてゆく。
 廃屋となった永遠亭にいるのは、てゐひとりであった。

 はっと目が覚める。
「くそっ、変な夢見た」
 朝である。
 連絡を待つうちに寝てしまったらしい。てゐは妙に威勢良く跳ねとび、永遠亭への帰途についた。
「鈴仙のあほバカまぬけー! 泣き虫、よわむし、ウサギもどきのすっとこどっこーい!」
 大声で喚きながら、薄暗い竹林をひとり駆け抜けた。

 永遠亭に入り、
「たっだいまー」
 明るい調子で言ったが返事はなく、静まり返っている。
「ひーめっさまー?」
 呼びかけると、いやに不機嫌そうな声が返ってきた。てゐはどすどすと歩いて部屋の前まで行き、断りも入れずに襖を開いた。
「ただいま!」
 輝夜は畳の上にだらしなく寝転がり、片手に菓子をつまんでいる。
「おかえり。鈴仙は?」
「まだ。見つからなかった」
「ふーん……困ったものね」
「で、どしたの?」
「何が」
「ご機嫌よろしくないようで。お師匠さまと何かあった?」
「ん~……」
 輝夜は少し考えたのち、おいでおいでと手招きをした。そして上体を起こしてあぐらをかき、てゐを捕まえると膝の上に抱きかかえた。
「はなせー」
「ほうら。暴れない暴れない。これあげるから」
 砂糖菓子が口の前に運ばれてくる。てゐは白い指先ごとぱくりとくわえた。
「いいこいいこ。もふもふ」
「もっとくれい」
「あげるから、しばらくこのままでいなさい」
 輝夜はてゐの兎耳をいじり倒しながら、小一時間ほど愚痴を吐いた。その多くは千年以上も昔の話であった。

(要するに……)
 ようやくのことで膝から解放されて、てゐは思案した。
(だいたい鈴仙の言った通りってわけか)
 永琳を騙して蓬莱の薬を飲み、地上へ追放されるのが輝夜の狙いだった。
 そんな輝夜の考えなど永琳は見抜いていたという。話に乗ればどうなるか、百も承知であった。それでも永琳は輝夜の頼みを聞き入れて、蓬莱の薬を作り、最終的には輝夜ともども地上に堕ちている。
(姫様ひとり罪人にして放っときゃいいのに……ま、それができる人でもないのか)
 はあっとてゐは嘆息した。
「罪作りにもほどがあらあ」
「仕方ないのよ、彼女は科学者だから。好奇心には逆らえないし、蓬莱の薬自体に罪があるわけでもないのよ」
「いや、いや。そうじゃなくて」
「ん?」
「貴女が、ですよ。全部の元凶そのものじゃないですか」
 てゐは非難を込めて視線を送った。
 しかし輝夜はくすりと笑って言う。
「そうねえ。親しい人を罪人にしてしまうのは、美しさゆえの業というものでしょうね」
 冗談のつもりらしい。
 てゐには笑えなかった。


「つまり私が言いたいのはね、共犯者ってわけよ」
 珍しく言葉が荒い。
「私は永琳を利用したけど、それはお互い様。お互いに都合が良かったの。どっちが悪いかなんて問題は存在しない。そうでしょ?」
「はあ」
「てっきり向こうもそのつもりだと思ってたわ。なのにさ……」
 昨日、永琳は自身にだけ罪があると言って譲らず、ついには、今のまま仕えて永遠に償いを続けるなどと宣うに至り、輝夜の神経は逆撫でにされたらしい。
「ひどいと思わない? 長年連れ添ってきた人に裏切られたわ」
「そーねー」
 てゐにはいまいち分からない。
 喧嘩の原因などはおよそ勘違いによるものであり、はたから見れば、
(バカバカしい)
 些細なことである。

「話は分かったから、とっとと仲直りして下さいませ」
「やーよ」
「どうしてさ」
「……たとえばね」
「うん」
「永琳、許してあげないわ。やっぱり貴女が全部悪いのよ。これからも私に仕えて償いをし続けなさい……って言うの?」
「うーん」
 永琳はそのつもりかもしれない。
「そうはいかないでしょ」
 輝夜はくすくすと笑った。
「おっとっと、姫様ぁ」
「何かしら」
「騙されませんよ。こんなの言い方次第だ。姫様ならもっと上手い言い回しなんていくらでも思いつくでしょうに」
「うふ。買いかぶりよ」
「なよたけのかぐや姫……」
「あら懐かしい」
「口先三寸で人を手玉に取るなんて、それこそお手のものでしょ」
「ひどいわー。ひとを悪女みたいにー」
「……」
 らちがあかない。てゐは攻め手を変えた。
「どうすれば仲直りしてもらえます?」
「そうねえ」
「ちょいと幸運くれて進ぜますからさ、それと交換っていうのはどう?」
「いやよ味気ない」
「今ならもと光る竹の一本もサービスしますよ」
「いらないってば」
「じゃあさ、じゃあさ」
「もう、待ちなさい……貴女はどうしてそう、人の仲なんか取り持とうとするの?」
「えっ……?」
「余計なお世話。いい? そもそも他人の貴女には関っ係ないの。何のメリットもない話なんだから、これ以上首突っ込まないで」
「……」
「あ、え。てゐ?」
 てゐはぼろぼろと涙を零した。
「だって、いやだよ。こんなの、淋しいの。な、仲良くできた方がいいに決まってら。それに……」
 これは嘘ではない。
「それに、私はね、あなたとも家族のつもりでした」
 嘘ではない。
 てゐほどに永く生きられる者は少ない。永い時をひとりで過ごしてきた。
 蓬莱山輝夜、八意永琳。そして、鈴仙・優曇華院・イナバ。彼らに逢えたことは二度とは得難い幸運だと想っている。
 手放したくなかった。
「ずっと……皆と、いたいだけだよ」
 てん、てん、と床が濡れた。
 他人事ではない。だが、
「わ、分かったわよ。私の負けよ」
 そう聞いた途端、けろりとして笑った。
 てゐにとって涙を流す程度はかわいい真似である。



 てゐの能力は優しい。曰わく、幸運を与える程度のものだという。
 しかしてゐは誰かに幸運を与えるとき、大体はイタズラなどを仕掛けて台無しにしてしまう。幸運を与えるだけで済ませれば良いものを、後に決まって悪さをする。
 ある時のこと。
「なんで?」
 と訊かれたことがある。
「あっは、そりゃそうさ。ひとの幸せなんて知ったこっちゃないもん」
「おいコラ……」
「いやほんと。だってね、何が幸せかなんて人それぞれだ。私の思うのとは違うもん。知ったこっちゃあないのさ」
「じゃ、あんたは何が幸せなのよ?」
「決まってるよ、鈴仙……」
 てゐはこの時も嘘で答えた。
(決まってる。誰かが近くにいてくれて、その人と一緒に歳老いてゆける。そんだけだ)
 などとは決して吐かない。
 てゐが与えられるのは一時の運でしかない。迷いの竹林から抜け出れば自然と消えてしまうほどの短い幸運である。
「あーあ。私にありったけ幸運くれるならさ、月都の人たち全員から、私に関する記憶がみーんな消え去ってくれれば良いのに」
「これだから鈴仙はさ……知らないね」
 ひとと出逢うことが運であるなら、ほんの一瞬の幸運であろう。
 それで十分だとてゐは思っている。



 さて。
 輝夜と永琳の仲直りは失敗した。

 一度は和解に向かった二人だが、互いに譲らないまま再び喧嘩となり、挙げ句、輝夜までもが家出をする事態に至った。
「バイバイ、永琳」
 最後にそう言って能力を発現し、輝夜は去った。
「ちくしょう。出られん」
 てゐは永遠亭ごと、おそらくは永琳と共に、奇妙な空間に閉じ込められている。

 てゐ一人で道に立っていた。
 木造の廊下がまっすぐ前後に伸びている。左右はどちらも障子戸が延々と並んでおり、そこから漏れる薄明かりで足元がぼうっと浮かんで見える。どれほど歩いても変化はなく、永遠亭が無限に広がっているかのようだった。
 かたん。
 てゐは適当な障子を開けて中に入った。
 部屋には行灯がひとつ置いてある他は何もなく、壁に映し出された影が揺れているばかりである。しかしその影は大小二人の人間らしき姿を形作っており、大人と子供が遊んでいるかのように楽しげに揺れ動いていた。
(あの時と同じか)
 てゐには見覚えがある。数百年の昔にも、どういう次第かこの永い廊下に迷い込んだことがある。そして二人に出会い、共にすごしてきた。
 そして今ふと気付いた。
(そうか。あの時は分からなかったが、この影は師匠と姫様か)
 果てしなく続く左右の小部屋、どこを開けても二つの影が仲良く揺れていた。

 てゐは歩き飽きて、適当な小部屋で腰を降ろした。そのままごろりと横になり、無理やり大きく欠伸をした。
 ここでは疲労も眠気も存在せず、腹も減らない。そういう造りであるらしい。
「ああ。良いなあ」
 ぽつりと言った。
「永遠に生きるならこういう場所がいい」
 行灯は相変わらず、いつとも知れぬ情景を映し出している。
「生きるのなんか飽きちゃったもんよ。昔はなんでも愉しかったさ。そうさ・・・昔は良かった。ここなら誰にも邪魔されず、ずっと素晴らしい思い出に浸っていられる。永遠に良い夢を見ていられるんだ! あっはっは。なんて幸せなんだ」
 てゐには分からない。
 ダッ。
 と跳ね起きた。
「くそ! 私はいやだ!」
 障子を叩き開けて叫んだ。

「師匠、聞けぇっ
 私は師匠が好きだ
 姫様も好きだ
 鈴仙だって、好きだ
 だっ、だから、みんなといたいんだ」

 返事はない。てゐは続けた。
 なぜか無性に悔しかった。

「ああ、くそ! くそう!
 永遠なんてあるもんか
 師匠だっていつか死ぬよ
 姫様だってきっと死ぬ
 鈴仙なんか明日にも死んでらあ
 蓬莱の薬なんぞ勘違いだ
 喧嘩の理由なんて勘違いも甚だしい
 みんなみんな、勘違いだ
 私だってそうさ……幸せなんて分かるもんか
 でも
 一緒にいたいと思う
 それだけは嘘じゃない」

 その時、てゐの目の前ににゅっと腕が伸びてきた。その腕はもがくように動いて障子紙をびりびりと破き、格子を掴むと乱暴に戸を引き倒した。
「てゐ、うるさい」
 鈴仙である。その背後には外の景色が覗いて見える。
 永遠の術による空間を破って入ってきたらしい。
「鈴仙、どうやって……?」
「知るか。運が良かったんでしょ」
 鈴仙は破れた空間を両手でつかみ、思いっきり押し広げた。すると辺りはガラスが割れるように砕けていき、一瞬真っ白い光が疾ったかと思うと、全ての小部屋は霧となって消えた。
 視界が悪い。
「あれ? なんか、よく見えない」
「……ふん。人のこと言えたもんか。この泣き虫」
 鈴仙は悪態を吐いた。
 ごしごしと目をこすり、辺りを良く見回せば、見慣れた永遠亭である。

 昨日から今朝にかけて。
 永遠亭を飛び出した鈴仙は一晩寝たら妙にすっきりしてしまい、どうやって戻ったものかと思い悩みながら、ずっと永遠亭の様子を窺っていたらしい。
「ならもっと早く来なよ」
「うっさい。それより助けてあげたんだから、お師匠様に謝るの手伝いなさいよ」
「はあ? なんで私が」
 てゐは軽く失笑してみせた。
 二人で口喧嘩をしていると、
「うどんげ……」
 いつの間にやら永琳が近くに立っており、すっと頭を下げた。それより先に、鈴仙は見事な速さで土下座を構えている。
 二人は和解した。
 てゐは大きく欠伸をして、いかにも眠たげに目をこすった。


「だからね、永琳」
 輝夜である。
「そのさ、贖罪みたいな意識持つのはやめてって言ってんの」
「……」
 永琳は首を横に振った。平行線である。
「それがどんだけムカつくか、分からないものかしら? 薬を作ってくれた時、月の使者を殺してくれた時、私は嬉しかったわ。同じ罪を犯してくれる人、一緒にいてくれる人、そう思ってたわ」
「……」
「それがさ、私ひとりお姫様に持ち上げちゃってさ、自分は服役中ですってなツラされてたと知った日には、たまったもんじゃないわよ」
 輝夜はバシバシとちゃぶ台を叩いて言った。
「こら、お行儀が悪い」
 永琳は透き通った声で言う。
「輝夜」
 二人きりの時は、姫とは呼ばない。
「私の考えは今は変えようがないの。でも、先のことは分からないわ。もう永遠亭の歴史は動き始めてしまったのだから。だから……」
「なによ」
「今回の件は一旦忘れて、仲直りして欲しい。貴女がいないと淋しいもの」
「ちぇっ。都合のいい……」
 こうして二人の問題は先送りとなる。
 離れたところでてゐはひとり、にっと笑った。


――後日談

 永琳と鈴仙、二人は人里へ薬を売りに行くため、準備を整えていた。
「さあお師匠様、参りましょう。荷物は全て私めが持ちますゆえ」
「ちょっ。か、勘弁して下さいよう」
 師匠と呼ばれたのは鈴仙である。
 永琳はすでに荷を担ぎ、鈴仙が歩き出すのを待っている。

 ことは数日前、
「少しの間、みんなの立場を入れ替えてみようよ。なあに、ちょっとした遊びでさ」
 というてゐの発案を、輝夜が快諾したことによる。
 そしてくじ引きに従い、永琳は鈴仙の下につくこととなった。

「いってら~。がんばってねー」
 てゐは縁側で膝枕に顔をうずめつつ、適当に手を振った。
「えーりん、師匠の命令は絶対なんだから、逆らっちゃダメよう」
 輝夜はイタズラっぽく言って笑った。
「承知しておりますとも。さ、行きますか、お師匠様」
「へ、へぇい。……てゐ、覚えてろ」
 鈴仙が前に立ち、ぎくしゃくとしながら二人は人里へ向けて歩いていった。

 縁側に二人。
 ペット役の輝夜が尋ねた。
「それでお姫様、私はいつまで膝枕にされてればいいの?」
「ん~。もう少し」
「くじ引きのときさ……幸運とか使った?」
「さあ。知らない、知らない」
 秋のある日の話である。
はじめまして。永夜抄の少し後くらいの話です。
特に何も解決しませんが、少しなりと楽しんで頂けたらと思います。
かっぱ巻き風味
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
おおお、とても懐かしい方が。
何だか良いですねこういうの、良かったです
2.名前が無い程度の能力削除
このてゐ、良いなぁ。兎はやっぱり寂しがり屋なんだねぇ。
3.名前が無い程度の能力削除
おぉ! お久しぶりです
どこかドライなんだけどあったかいのがいい感じです
てゐ素敵!
4.名前が無い程度の能力削除
てゐといったらかっぱ巻き風味さんだと思っていた。久しぶりにあなたの作品が見れて嬉しいです。