「それでは、講義を始めるわ。まず一番最初に確認するけれど、ココにいる皆さんは私、八雲紫の講演、"幻想郷概論”を受けにいらしているので間違いないかしら?」
導師服を身に纏った金髪の少女が問う。返事は無いが、そんなものだろう。八雲紫と名乗った少女は確認するように頷くと、先を続ける。
「この講義は途中退室自由よ。つまらないと思ったら直ぐに出て行ってかまわないわ。自由選択科目だから、単位がいらないと思ったら途中で出席しなくなってもかまわない。講義の価値はあなた達が決めるの。ただし私語は厳禁」
紫は大教室のずらりと並んだ机、そこにびっしりと詰めてかけている受講生を切れ長の流し目で一瞥した。もちろん、誰一人彼女に逆らおうとする者はない。
「では、はじめさせてもらうわ。まずは基礎知識の確認だけど……。幻想郷というのは、この世界から忘れ去られたものがそれでもなお存在するために作られた楽園ということはご存知よね? そしてその境界は幻想と現実を分ける結界によって仕切られている。
幻想郷に入るにあたり、結界について知ることは何よりの近道になる。アテもなく山を彷徨うのなんかよりもずっとね。ここまで異議は無いかしら?
……無いようね。では結界論について少し触れるわ」
よいしょっ、と小さく声を漏らして彼女は椅子から立ち上がり、チョークを取って黒板の左上に"結界”の二文字を書いた。ノートがパラパラとめくられる音、シャーペンやボールペンの筆音があわただしく教室内に広がる。
「はい、そこ。一番前のあなた。結界って言ったら何を想像するかしら?」
紫は椅子に戻るとその目の前に座っていた青年を指して質問を行う。
「えーっと、バリアー、みたいな……」
「バリアーっていうのは具体的には?」
学生の回答をさらに一歩深く掘り下げる質問。
「見えない壁です」
「壁というのはつまり、ぶつかれば痛い物理的な効力を持つ壁のことかしら?」
「はい」
そこまで回答を得ると、紫はまた立ち上がって黒板の左端に歩み寄り先ほど書いた"結界”の下に"○物理的な障壁”と書き加えた。
「彼は見えない壁と言ったけれど……物理的な干渉を遮断する壁。つまり今あなた達を囲っている教室の壁も、力場によるバリアーと同種の物に含めて考えましょう」
コンコン、と紫は黒板を叩く。
「この結界のイメージは間違いではない。けれどはっきり言って、こういう意味での結界は最近のメディアによって植えつけられた部分が大きい。アニメや漫画の影響が少なからずあるわ」
彼女は黒板の"物理的な障壁”の部分に括弧をつけてくくる。
「では結界とはなんなのかを少し考えてみようかしらね」
一番上の結界の二文字に、赤のチョークで線を引っ張る。筆箱の開く音があちこちから聞こえ、それが収まるまで彼女は10秒ほど間を置いて再び話し始めた。
「この結界という2文字。一文字目はどういう意味を持っているかしら」
そこのあなた。と、今度は3列目に座っている少女を指した。
「はい、結ぶという意味です」
「そう、結ぶということ。では2文字目は?」
「世界……でしょうか」
「概ね合っているわね。ではこの2文字を合わせると……」
赤線から矢印を引っ張り。
「むすぶ、せかい。世界を結ぶものということになるわ。さて、さっきの彼女も首を傾げていたように、結ぶの意味は分かるけど世界のほうがいまいちあいまいよね」
世界、を赤く○で囲み、そしてそこで聴講生らに向き直る。
「さて、ここで質問。私は今この文字を赤く囲んだわ。何故だか分かるかしら、2列目、緑の服のあなた」
「それが重要だからです」
「その通り。これが結界よ。このマルの中と外では世界が違う。このマルの中の情報は、マルの外の情報よりも高次なものであるという意味を持たせたわけ」
そして彼女は世界から線を引っ張り"意味の違う空間”と書き加える。
「この文字をマルで囲わなかった場合、世界という字は周りの字と同じ空間に存在している。つまり、他の雑多な情報と混同される。けれどもそれを避けるために、あなた達はここにマルをつけ、"より高次な価値のある情報”が入る空間を……世界を出現させたわけ」
少し難しくなってきたかしら? と彼女は可憐な笑みを浮かべて首を傾げた。見た目には17そこそこの少女にしか見えないのだが、彼女の頭脳はとてもその外見相応とは思えない。
「この紙の上に本来存在しなかった空間を出現させ、紙にもともと存在する空間に結びつけた。それが、文字をマルで囲うという行為……結界を引くという事」
彼女は教壇を降りて教室の端に歩み寄り壁に手をかけた。
「この教室の壁もそう。雑多な日常空間の中に、授業や講義、講演を行うための"学術世界”を出現させ日常世界の中に留めおくための結界といえるわね。物理的な効果なんて、それに付随しているだけ。たとえばこの大教室の壁が全面紙で出来ていても殆ど効果は変わらないでしょうね」
紫はこつこつと黒板の前に戻ると、黒板に向き直り。
「こういうのを意味的結界、あるいは論理的結界と言うわ。中には精神的結界、という人もいる」
ずいぶん前に書いた"(物理的な障壁)”の下に○意味的・論理的結界(精神的結界)と書き加えた。
「では、結界のあのバリアー的側面はどこから来るかと言うと。たとえば今、こうして講義している間は私以外は誰も教壇に立とうとはしないわよね? なんで? 4列目、黒い服のキミ」
「はい。それは私たちが今講演を受ける側の立場にあるからです」
「そう、そういうこと。この教壇はどういう意味を持つ結界かというと、"教導者が立つ場所”という意味の世界を作り出しているわけね。これは裏を返すと"教導者以外は立つべからず”となる。よってあなた達はココに立つことが出来ないでいるわけね。
私が講演を始めるときに禁止したことは一つ。私語厳禁。別に立ち歩き禁止とは言っていない。けれどあなた達は、教壇という結界、あるいは自分の座っているべき席というのに縛られて動かない。これが結界の成すバリアー的な性質よ」
紫は椅子を立つと教壇を降りて、机の間を歩き出した。
「教導者である私は、あなた達が超えることの出来ない結界を悠々と跨いで行き来することが出来る」
机間指導のように歩き回りながら彼女は説明を始める。
「これは物理的結界にはない利点ね。意味的・論理的結界はこのように、"その結界が許すもの”は通過させることが出来る」
大教室の階段席の前辺りで彼女は踵を返し、教壇の椅子に戻って腰を下ろす。
「この結界の基準は、結界の管理者が緩めることが出来る。たとえば私がこの中の一人を呼び出して教壇に立たせたら、それは"例外を許可する”という形で結界を緩めたことになるわね。
で、その基準というものは管理者の力によって不本意に緩み、強くなる。たとえば、ものすごくこわ~い妖怪である私が「立ちあるいたら食べちゃうぞ☆」って言うのと、完全にナメられている女教師が「立ち歩かないでよ~!」と言うのとでは、結界の果たす意味は同じでもその強さがまったく異なるのね。
ここが意味的・論理的結界の弱点。結界の持つ意味を定義する人の強さ、パワーで結界の威力も変わってしまうということ」
紫は立ち上がって、再び黒板にチョークを走らせる。
物理的結界とは:壁などの実体を持った障壁
物理的結界の利点:壁自体の能力に依存するので誰にでも使える。
物理的結界の欠点:融通がきかない。結界の設置者ですらそれを何らかの手段で迂回しなければならない。文字通り全てを拒絶する壁。設置するのがそもそも大変。
意味的・論理的結界とは:法律や不文律などの定める境界
意味的・論知的結界の利点:高度な分別機能アリ。設置が簡単。
意味的・論理的結界の欠点:使用者の能力が問われる。
「さらに、今言ったことに加えてもう1点、意味的結界には弱点がある。結界を破ったものに対して、結界の定める罰を与えなければならない……つまり維持コストが掛かるということ。たとえば私が、私語をしたものを喰い殺すという意味的な結界を作った場合。実際にそれを実行しないと結界は意味を無くす。どんなに満腹でも、どんな疲れててもその人を殺して食べなければ結界は崩壊するのよ」
そう書き加え、そして彼女は一旦黒板の右端の卓に置いておいたお茶を飲んで一息ついた。
「で、こうしてみると意味的、論理的結界のほうが複雑で高度なものであると言うことが一目に分かるでしょう。幻想郷の博霊大結界はこっちのほう。
で、意味的・論理的結界のところに、法律や不文律など、と書いたのはどういうことか分かるわね?
これは、意味的結界の作動原理を端的に表したものなの。つまり"結界を通って良いものとよくないもの”を定め、その決まりを破ったものには結界にあらかじめ定められている罰が適用されるという一連の流れね。大体の結界はこれで理解できる」
黒板の左端が埋まってきたため、今度は真ん中の列に二文字、例題と書く。
「ではここで、相手の物理攻撃から身を守る意味的結界を作ってみましょう。霊夢がガードの時に出すアレね。まず必要なものは何かしら? 5列目のあなた」
「えーっと、線とかです」
「そうね。境界を定める必要がある。この場合は、体の周り、半径1メートル程度の円としましょう」
紫はよいしょ、としゃがみ込むと手に持ったチョークで床に円を描いた。この場で実際に結界を張るつもりなのだろう。
「では次は? 6列目、スーツのあなた」
「罰を定めます」
「ちょっと順番が逆になるわ。その前に……」
「あ、はい。通っていい物とよくない物を決めます」
「そう、その通り。この場合は、自分に害をなすもの、としましょうかね」
彼女は足元の円の円周上に、この円の内側に私を傷つける恐れがあるものは進入できない、と書き加える。
「字の種類は正直なんでもいいわ。結界の管理者がそれを読めればいい。相手が読めなくても、宣言したルールはもうここに存在する」
立ち上がるのが面倒なのか、彼女はしゃがみ込んだまま続ける。
「そしてそれが破られた場合の罰を宣言する。この場合はちょっと難しいかもしれないから私がこのまま答えを書くわ」
進入してきたものの持つ運動エネルギーと同量のエネルギーを真逆のベクトルに働かせる。彼女の書いた答えは、実に単純だった。同じだけのエネルギーをぶつけてそれを相殺すればいい、と言う話だ。
「で、もちろんこれだけでは結界は動かない。何故だかは、当然分かるわね? この結界には何の力も掛かっていない。つまり、罰を実行するだけの力が無い。そこで、私が罰を代行するか、この結界自体に私の妖力を導引することで、結界は機能するわけね」
罰を実行する際のエネルギーは八雲紫の妖力を使用する。罰の適用判断は結界自体が定めた基準により自動で行われる。
この2文を書き足し、彼女は立ち上がった。
「出来たわ。ちょっと誰か、私を殴ってみなさい」
余裕たっぷりの表情で、彼女は教室を見回す。当然ながら誰も出てくるはずも無く、しんと静まり返り誰一人物音を立てようとしない。
「しょうがないわね……藍~!」
彼女がそう呼びかけると、大教室の階段席の奥、最上段の空間が割れた。かと思えば、それを観察する間もなくその裂け目から金色の矢が飛び出した。それは空を裂き、一瞬送れた音を引き連れて教室を一直線に飛びぬけ、紫の懐へと飛び込んでいく。
そして何事かと理解する前に、聴講生らはガキィィン! という激しい音に鼓膜を打たれた。高度なエネルギー同士がぶつかり合い、その一部が音として放散されたのだと、全てが終わってから彼らは気がつく。
「えーこの通り、防御成功ね。亜音速での突進を受けてもびくともしないわ」
彼女が呼んだ藍という生き物が、足元に現れた隙間に没収されて退場する。するとそこには、傷一つ無く、それどころか髪一つ乱れぬままの八雲紫が立っていた。
「なお、この手の結界はさっきも言ったように力を使うわ。結界にぶち当てられた運動エネルギーに対して、こっちも同じだけの力を使っているわけ。故に、霊力や妖力が少ない状態で高エネルギー攻撃を受けると結界は破られるわね。いわゆるガードブレイクというのはそういうこと」
彼女は先ほどの攻撃を防いだ圧倒的な壁の境界をすいと跨いで椅子に戻る。
「さて、結界がどういうものか分かってきたかしら? ここで軽くまとめておきましょう」
○結界とは、通常世界に少し違う世界を結びつける(作り出す)ためのもの。
○意味的・論理的結界は法を用いてそれを実現するもの
○意味的・論理的結界は通すものと通さないものを決めている
○結界を運用するには法に対する罰が必要。
○罰を実行できる力が必要
「ではまとめが終わったところで尋ねてみましょう。博麗大結界を通り抜けるつもりだったらどうすればいい? そこのあなた。そう、8列目の」
「結界が決めている、通すものになればいいんですね?」
「そういうこと。たまに、幻想郷は外とは完全に隔絶されていると思い込んでいる人がいるけれどそれは間違いよ。結界があると言うことは、その結界を通過できる資格さえあれば入ることはできると言うこと。入る時とは条件こそ違うものの出る時も然りよ。逆に条件に合わないものが結界を超えようとした場合、罰が下る。博麗大結界の場合は結界の反対側へ転送される等ね。
そして、今までの話を聞いていれば分かると思うけれど……条件に適合しないものが強引に結界を超えようとした場合は結界の管理者との力比べになる。つまり、私と霊夢を同時に相手取ることになる。博麗大結界を破って幻想郷に入ろうと言う考えを持っている人は早いうちに諦めておいたほうが身のためね」
そこまで彼女が語ったところで、丁度終業のチャイムが鳴った。今までなんとなく張り詰めていた空気が僅かに緩む。
「ん、では今回はこれまで。次回は結界を越えるための条件やそれ以外の進入方法について解説するわ。手元の感想カードに質問と授業の感想を書き込みなさい。それを持ってして出席とします。では、以上」
導師服を身に纏った金髪の少女が問う。返事は無いが、そんなものだろう。八雲紫と名乗った少女は確認するように頷くと、先を続ける。
「この講義は途中退室自由よ。つまらないと思ったら直ぐに出て行ってかまわないわ。自由選択科目だから、単位がいらないと思ったら途中で出席しなくなってもかまわない。講義の価値はあなた達が決めるの。ただし私語は厳禁」
紫は大教室のずらりと並んだ机、そこにびっしりと詰めてかけている受講生を切れ長の流し目で一瞥した。もちろん、誰一人彼女に逆らおうとする者はない。
「では、はじめさせてもらうわ。まずは基礎知識の確認だけど……。幻想郷というのは、この世界から忘れ去られたものがそれでもなお存在するために作られた楽園ということはご存知よね? そしてその境界は幻想と現実を分ける結界によって仕切られている。
幻想郷に入るにあたり、結界について知ることは何よりの近道になる。アテもなく山を彷徨うのなんかよりもずっとね。ここまで異議は無いかしら?
……無いようね。では結界論について少し触れるわ」
よいしょっ、と小さく声を漏らして彼女は椅子から立ち上がり、チョークを取って黒板の左上に"結界”の二文字を書いた。ノートがパラパラとめくられる音、シャーペンやボールペンの筆音があわただしく教室内に広がる。
「はい、そこ。一番前のあなた。結界って言ったら何を想像するかしら?」
紫は椅子に戻るとその目の前に座っていた青年を指して質問を行う。
「えーっと、バリアー、みたいな……」
「バリアーっていうのは具体的には?」
学生の回答をさらに一歩深く掘り下げる質問。
「見えない壁です」
「壁というのはつまり、ぶつかれば痛い物理的な効力を持つ壁のことかしら?」
「はい」
そこまで回答を得ると、紫はまた立ち上がって黒板の左端に歩み寄り先ほど書いた"結界”の下に"○物理的な障壁”と書き加えた。
「彼は見えない壁と言ったけれど……物理的な干渉を遮断する壁。つまり今あなた達を囲っている教室の壁も、力場によるバリアーと同種の物に含めて考えましょう」
コンコン、と紫は黒板を叩く。
「この結界のイメージは間違いではない。けれどはっきり言って、こういう意味での結界は最近のメディアによって植えつけられた部分が大きい。アニメや漫画の影響が少なからずあるわ」
彼女は黒板の"物理的な障壁”の部分に括弧をつけてくくる。
「では結界とはなんなのかを少し考えてみようかしらね」
一番上の結界の二文字に、赤のチョークで線を引っ張る。筆箱の開く音があちこちから聞こえ、それが収まるまで彼女は10秒ほど間を置いて再び話し始めた。
「この結界という2文字。一文字目はどういう意味を持っているかしら」
そこのあなた。と、今度は3列目に座っている少女を指した。
「はい、結ぶという意味です」
「そう、結ぶということ。では2文字目は?」
「世界……でしょうか」
「概ね合っているわね。ではこの2文字を合わせると……」
赤線から矢印を引っ張り。
「むすぶ、せかい。世界を結ぶものということになるわ。さて、さっきの彼女も首を傾げていたように、結ぶの意味は分かるけど世界のほうがいまいちあいまいよね」
世界、を赤く○で囲み、そしてそこで聴講生らに向き直る。
「さて、ここで質問。私は今この文字を赤く囲んだわ。何故だか分かるかしら、2列目、緑の服のあなた」
「それが重要だからです」
「その通り。これが結界よ。このマルの中と外では世界が違う。このマルの中の情報は、マルの外の情報よりも高次なものであるという意味を持たせたわけ」
そして彼女は世界から線を引っ張り"意味の違う空間”と書き加える。
「この文字をマルで囲わなかった場合、世界という字は周りの字と同じ空間に存在している。つまり、他の雑多な情報と混同される。けれどもそれを避けるために、あなた達はここにマルをつけ、"より高次な価値のある情報”が入る空間を……世界を出現させたわけ」
少し難しくなってきたかしら? と彼女は可憐な笑みを浮かべて首を傾げた。見た目には17そこそこの少女にしか見えないのだが、彼女の頭脳はとてもその外見相応とは思えない。
「この紙の上に本来存在しなかった空間を出現させ、紙にもともと存在する空間に結びつけた。それが、文字をマルで囲うという行為……結界を引くという事」
彼女は教壇を降りて教室の端に歩み寄り壁に手をかけた。
「この教室の壁もそう。雑多な日常空間の中に、授業や講義、講演を行うための"学術世界”を出現させ日常世界の中に留めおくための結界といえるわね。物理的な効果なんて、それに付随しているだけ。たとえばこの大教室の壁が全面紙で出来ていても殆ど効果は変わらないでしょうね」
紫はこつこつと黒板の前に戻ると、黒板に向き直り。
「こういうのを意味的結界、あるいは論理的結界と言うわ。中には精神的結界、という人もいる」
ずいぶん前に書いた"(物理的な障壁)”の下に○意味的・論理的結界(精神的結界)と書き加えた。
「では、結界のあのバリアー的側面はどこから来るかと言うと。たとえば今、こうして講義している間は私以外は誰も教壇に立とうとはしないわよね? なんで? 4列目、黒い服のキミ」
「はい。それは私たちが今講演を受ける側の立場にあるからです」
「そう、そういうこと。この教壇はどういう意味を持つ結界かというと、"教導者が立つ場所”という意味の世界を作り出しているわけね。これは裏を返すと"教導者以外は立つべからず”となる。よってあなた達はココに立つことが出来ないでいるわけね。
私が講演を始めるときに禁止したことは一つ。私語厳禁。別に立ち歩き禁止とは言っていない。けれどあなた達は、教壇という結界、あるいは自分の座っているべき席というのに縛られて動かない。これが結界の成すバリアー的な性質よ」
紫は椅子を立つと教壇を降りて、机の間を歩き出した。
「教導者である私は、あなた達が超えることの出来ない結界を悠々と跨いで行き来することが出来る」
机間指導のように歩き回りながら彼女は説明を始める。
「これは物理的結界にはない利点ね。意味的・論理的結界はこのように、"その結界が許すもの”は通過させることが出来る」
大教室の階段席の前辺りで彼女は踵を返し、教壇の椅子に戻って腰を下ろす。
「この結界の基準は、結界の管理者が緩めることが出来る。たとえば私がこの中の一人を呼び出して教壇に立たせたら、それは"例外を許可する”という形で結界を緩めたことになるわね。
で、その基準というものは管理者の力によって不本意に緩み、強くなる。たとえば、ものすごくこわ~い妖怪である私が「立ちあるいたら食べちゃうぞ☆」って言うのと、完全にナメられている女教師が「立ち歩かないでよ~!」と言うのとでは、結界の果たす意味は同じでもその強さがまったく異なるのね。
ここが意味的・論理的結界の弱点。結界の持つ意味を定義する人の強さ、パワーで結界の威力も変わってしまうということ」
紫は立ち上がって、再び黒板にチョークを走らせる。
物理的結界とは:壁などの実体を持った障壁
物理的結界の利点:壁自体の能力に依存するので誰にでも使える。
物理的結界の欠点:融通がきかない。結界の設置者ですらそれを何らかの手段で迂回しなければならない。文字通り全てを拒絶する壁。設置するのがそもそも大変。
意味的・論理的結界とは:法律や不文律などの定める境界
意味的・論知的結界の利点:高度な分別機能アリ。設置が簡単。
意味的・論理的結界の欠点:使用者の能力が問われる。
「さらに、今言ったことに加えてもう1点、意味的結界には弱点がある。結界を破ったものに対して、結界の定める罰を与えなければならない……つまり維持コストが掛かるということ。たとえば私が、私語をしたものを喰い殺すという意味的な結界を作った場合。実際にそれを実行しないと結界は意味を無くす。どんなに満腹でも、どんな疲れててもその人を殺して食べなければ結界は崩壊するのよ」
そう書き加え、そして彼女は一旦黒板の右端の卓に置いておいたお茶を飲んで一息ついた。
「で、こうしてみると意味的、論理的結界のほうが複雑で高度なものであると言うことが一目に分かるでしょう。幻想郷の博霊大結界はこっちのほう。
で、意味的・論理的結界のところに、法律や不文律など、と書いたのはどういうことか分かるわね?
これは、意味的結界の作動原理を端的に表したものなの。つまり"結界を通って良いものとよくないもの”を定め、その決まりを破ったものには結界にあらかじめ定められている罰が適用されるという一連の流れね。大体の結界はこれで理解できる」
黒板の左端が埋まってきたため、今度は真ん中の列に二文字、例題と書く。
「ではここで、相手の物理攻撃から身を守る意味的結界を作ってみましょう。霊夢がガードの時に出すアレね。まず必要なものは何かしら? 5列目のあなた」
「えーっと、線とかです」
「そうね。境界を定める必要がある。この場合は、体の周り、半径1メートル程度の円としましょう」
紫はよいしょ、としゃがみ込むと手に持ったチョークで床に円を描いた。この場で実際に結界を張るつもりなのだろう。
「では次は? 6列目、スーツのあなた」
「罰を定めます」
「ちょっと順番が逆になるわ。その前に……」
「あ、はい。通っていい物とよくない物を決めます」
「そう、その通り。この場合は、自分に害をなすもの、としましょうかね」
彼女は足元の円の円周上に、この円の内側に私を傷つける恐れがあるものは進入できない、と書き加える。
「字の種類は正直なんでもいいわ。結界の管理者がそれを読めればいい。相手が読めなくても、宣言したルールはもうここに存在する」
立ち上がるのが面倒なのか、彼女はしゃがみ込んだまま続ける。
「そしてそれが破られた場合の罰を宣言する。この場合はちょっと難しいかもしれないから私がこのまま答えを書くわ」
進入してきたものの持つ運動エネルギーと同量のエネルギーを真逆のベクトルに働かせる。彼女の書いた答えは、実に単純だった。同じだけのエネルギーをぶつけてそれを相殺すればいい、と言う話だ。
「で、もちろんこれだけでは結界は動かない。何故だかは、当然分かるわね? この結界には何の力も掛かっていない。つまり、罰を実行するだけの力が無い。そこで、私が罰を代行するか、この結界自体に私の妖力を導引することで、結界は機能するわけね」
罰を実行する際のエネルギーは八雲紫の妖力を使用する。罰の適用判断は結界自体が定めた基準により自動で行われる。
この2文を書き足し、彼女は立ち上がった。
「出来たわ。ちょっと誰か、私を殴ってみなさい」
余裕たっぷりの表情で、彼女は教室を見回す。当然ながら誰も出てくるはずも無く、しんと静まり返り誰一人物音を立てようとしない。
「しょうがないわね……藍~!」
彼女がそう呼びかけると、大教室の階段席の奥、最上段の空間が割れた。かと思えば、それを観察する間もなくその裂け目から金色の矢が飛び出した。それは空を裂き、一瞬送れた音を引き連れて教室を一直線に飛びぬけ、紫の懐へと飛び込んでいく。
そして何事かと理解する前に、聴講生らはガキィィン! という激しい音に鼓膜を打たれた。高度なエネルギー同士がぶつかり合い、その一部が音として放散されたのだと、全てが終わってから彼らは気がつく。
「えーこの通り、防御成功ね。亜音速での突進を受けてもびくともしないわ」
彼女が呼んだ藍という生き物が、足元に現れた隙間に没収されて退場する。するとそこには、傷一つ無く、それどころか髪一つ乱れぬままの八雲紫が立っていた。
「なお、この手の結界はさっきも言ったように力を使うわ。結界にぶち当てられた運動エネルギーに対して、こっちも同じだけの力を使っているわけ。故に、霊力や妖力が少ない状態で高エネルギー攻撃を受けると結界は破られるわね。いわゆるガードブレイクというのはそういうこと」
彼女は先ほどの攻撃を防いだ圧倒的な壁の境界をすいと跨いで椅子に戻る。
「さて、結界がどういうものか分かってきたかしら? ここで軽くまとめておきましょう」
○結界とは、通常世界に少し違う世界を結びつける(作り出す)ためのもの。
○意味的・論理的結界は法を用いてそれを実現するもの
○意味的・論理的結界は通すものと通さないものを決めている
○結界を運用するには法に対する罰が必要。
○罰を実行できる力が必要
「ではまとめが終わったところで尋ねてみましょう。博麗大結界を通り抜けるつもりだったらどうすればいい? そこのあなた。そう、8列目の」
「結界が決めている、通すものになればいいんですね?」
「そういうこと。たまに、幻想郷は外とは完全に隔絶されていると思い込んでいる人がいるけれどそれは間違いよ。結界があると言うことは、その結界を通過できる資格さえあれば入ることはできると言うこと。入る時とは条件こそ違うものの出る時も然りよ。逆に条件に合わないものが結界を超えようとした場合、罰が下る。博麗大結界の場合は結界の反対側へ転送される等ね。
そして、今までの話を聞いていれば分かると思うけれど……条件に適合しないものが強引に結界を超えようとした場合は結界の管理者との力比べになる。つまり、私と霊夢を同時に相手取ることになる。博麗大結界を破って幻想郷に入ろうと言う考えを持っている人は早いうちに諦めておいたほうが身のためね」
そこまで彼女が語ったところで、丁度終業のチャイムが鳴った。今までなんとなく張り詰めていた空気が僅かに緩む。
「ん、では今回はこれまで。次回は結界を越えるための条件やそれ以外の進入方法について解説するわ。手元の感想カードに質問と授業の感想を書き込みなさい。それを持ってして出席とします。では、以上」
セリフなしチョイ役なのに藍しゃまの存在感がすごいww
自分も書いてみたいです
まぁ書くには勉強しなきゃなぁ^^;