鳴き声は、夏の日暮れとともに
- 2012/09/01 00:51:53
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魔力を帯びた箒が、そしてその持ち主たる普通の魔法使いが、幻想郷の空をゆっくりと駆ける。
非常に珍しいことに、その時の魔理沙には目的が全く無かった――本当に、珍しいことに。
「くぁっ――うっあっ、背筋が、ぱきぱき、言ってるぜ――」
空を飛びながら、箒の上で上半身を大きく伸ばす。疲れた魔理沙の体を回復させようと、体の節々で血流が循環する。
さっきまで、魔理沙は自宅にこもりっきりで、研究に取り組んでいたのだ。
ほとんどの時間を魔導書の解読に費やしていた。時折思い出したように動きだし、小規模な実験をしては結果をメモに書き留めていた。
もちろん、途中で生活に必要な最低限の休憩は挟んでいたが、それでも家の中にこもりっきりの生活を――
「ええと、五日くらいは経ってる、よな?」
魔理沙の自宅は魔法の森にある。日差しもあまり差し込まない鬱蒼とした森の中なので、昼でも薄暗い。
加えて、魔理沙自身、最近は最低限の仮眠を挟むだけのハードなスケジュールで引きこもっていたので、時間の感覚が随分曖昧になっていた。
「で……何も考えずに出てきたけど、どーするっかなー」
魔法の森を飛び出したのは、何のことは無い、研究が行き詰まったからだ。ずいぶん集中して研究を進めていたのだが、さすがに五日ぶっ続けはそろそろ限界だった。
溜めこんだ鬱憤を晴らしたくて、だだっ広い大空に飛び出してみたまでは良かったものの――
繰り返すが。
特に、目的は無かったのだった。
「うーむ、不覚だぜ。この霧雨魔理沙さんが、暇を持て余すとは」
フットワークの軽さからたまに勘違いされるが、魔理沙は基本、暇人では無い――少なくとも本人はそう思っている。
常に自分の規範に基づいて目的を定め、その目的を達成するために全力を注ぐ。もしも強い目的が無くても、手っ取り早い目的を見定めてその目的に邁進する。
紅魔館に本を借りに行く時、博麗神社を冷やかしに行く時、妖怪の山に忍び込む時、宴会に繰り出す時、などなど。
どんな時でも、目的のために動くことに躊躇いや迷いが無い、それが霧雨魔理沙――のはず、なのだが。
「いかんせん、時間がなあ……そろそろ夕飯時か。でも、まだおなか空いてないしな」
空を見上げると、青かった空は夕暮れに徐々に赤く染まりだし、赤と青の境界線がゆっくりと動いているところだった。まぶしい日差しの明るさが柔らかくなっていく情景は感慨深いものもあるが、それだけで全てに満足できる気分でもない。
また、夕飯を食べる気分ではないということの他に、夕飯をたかりに行くにしてもタイミングが悪いというのもある――霊夢だろうとアリスだろうと、そろそろ夕飯の準備には取り掛かっているはずだ、もしかしたらすでに食べ始めているかも知れない。そんなタイミングでいきなり押しかけて、夕飯をもう一人分用意しろと言っても、追い返されるかスルーされるだけだろう。
「んーー、うーーーー……」
目的がはっきりしないと気持ちが悪い。どこに行くかも定まらないまま、ふらふらと飛び進む。
紅魔館に押し掛ける、キノコ採集に出かける、妖怪の山に乗り込む、人里、永遠亭、命蓮寺……いくつもの目的候補が、浮かんでは消える。
違うなぁ、と魔理沙は思う。どこに行くとしても、今はしっくり来ない。
気分じゃないのだ。
魔理沙は、疲れている。
特に、魔法研究に疲れているというのが大きい。今は魔法からは出来る限り思考を切り離したい――魔理沙が魔法使いである限り魔法からは逃れられないが、そこはそれ、単に気分の問題である。
そんなわけで、なるべくなら派手な弾幕戦も控えたいし、魔法研究のためにお宝を拝借しようという気分も起きない。
……となると。
「うーん、もうどこでもいいし何でもいいから冷やかしにいくか? テキトーに暇をつぶせそうなところは……」
一番無難なのは、香霖堂辺りだろうか、いやそれとも――と、魔理沙は疲れた頭でだらだらと思考を巡らせながら。
ふと。
気付く。すう、と、息を吸い込む。
おややっぱり、と改めて思う。
「なんだか、涼しいな?」
季節は夏――の、はずだった。
幻想郷の気候について、魔理沙の記憶は五日前で止まっている。あの日は雲一つ無い青空で、日の差しにくい魔法の森でさえじめじめと蒸し暑かったのを、よく覚えている。
だから自宅にいる間もずっと、暑いのを我慢して――暑気対策と湿気対策を駆使しながら――研究に取り組んでいた。魔理沙自身、暑さをそこまで苦にしない体質だというのもある。
けれど。
こうして、夕方に外に出て、空に上がってみると。
「おお、風が気持ちいい……そういえば心無しか、日が沈むのがちょっと早い気がするぜ」
涼風が、真正面から魔理沙の顔にぶつかる。帽子と髪をはためかせて、後ろへと通り過ぎる。無意識に、風上のほうに向かって飛んでいたらしい。
風の涼しさと夕日の暖かさがそれぞれに魔理沙の身を包み、疲れた体に染み渡る。
すうう、と、深く息を吸い込んだ。
新鮮な空気がのどを通じて肺腑に吸収され、血流を活性化させて、肌の隅々まで行き渡っていく。
「ああ……なんか、いいなぁ」
気持ちがいい。
静かな世界。
涼しい大気。
赤と青を織り交ぜた、薄雲の向こうの晴れ空。
そしてそれらに彩られた、幻想郷の美しい景色。
今の魔理沙にとっては、全てが新鮮に思える。
まるで、自分のためだけに用意されたかのような、とてつもなく贅沢な空間――
「そうか、もうこんなに涼しくなってたんだな……」
そんな風に、目的も無く遊覧飛行を楽しんでいたからだろう。
魔理沙はそこで偶然にも、それに気づいた。
「ん?」
やや遠く――草原の、まばらに立った木のそばに。
夕焼けの下、ぽつんとたたずむ人影がいた。
無視しても良かったが――何となく、ささやかな好奇心に駆られて、近づいてみる。
ゆっくりと距離を詰めると、人影が誰かもわかる。
「おお、リグルじゃない――か……」
と、かけようとした声が、思わず尻すぼみになった。
リグルは。
泣いていた。
と言っても、子供のように泣きじゃくっているわけではない。
静かに。
声をあげず、しゃくり上げることも無く。
涙を流していた。
両の眼から落ちた涙が、頬をたどり、顎をつたう。
目を伏せて、静かに泣いている、蟲の少女。
その両手には。
何か、小さな蟲の死骸が、一つだけ、ぽつんと。
「…………リグル」
「えっ?」
気を遣って――何に気を遣ったのかは自分でもよくわからないまま――魔理沙が声をかける。
すぐ側に降り立っていたことに気付かなかったのだろう。リグルがようやく、涙に濡れた顔を上げた。
「ひっ、うわっ、ち、ちょっと、ちょっと待って」
「あ、悪い、邪魔したか?」
「いや、邪魔なんかじゃないけど――か、顔、今、泣いてて、恥ずかしい、から」
慌てて袖で顔をぬぐうリグル。
別に恥ずかしがるようなものじゃないのに、と魔理沙は思った。
「何を、やってたんだ?」
「え、うん、その……この子が、ね」
「ん……」
魔理沙が、リグルの手元を覗き込む
蝉だ。
蝉の死骸が、一つだけ、リグルの手の中にあった。
「蝉?」
「うん」
「死んだのが哀しくて、泣いてたのか?」
言いながら、それは違うだろうな、と魔理沙は思った。
「うーん……哀しいのかな、私は。うん……まあ、哀しくないって言えば、嘘になるけど」
「そっか。なら、なんだ?」
静かな会話だな、と思った。
こんなにひっそりと、素朴な受け答えをするのは、いつ以来だろう。
「あのね。この子……最後の、蝉だったの」
「最後?」
「うん。最後まで鳴いてた蝉」
「ああ……そうか」
やっと気づいた。
こんなにも涼しくて、静かなのは。
蝉の鳴き声が、聞こえなかったからだ。
魔法の森でも、うるさいくらいだったはずの、蝉の大合唱が。
今はどこからも、聞こえてこない。
「この子ね、地面から出てくるのが一番遅かったんだ。みんなからは出遅れたけど、それでも頑張って、大きな声で鳴いてた」
「ああ」
蝉が鳴くのは、もちろん子孫を残すためだ。
原始的で純粋な、生きるための目的。
「ちゃんと子供は残せたんだよ。それでも、もっと子供を残したいと思って、最後まで頑張って、鳴いてた」
「ああ」
「蝉って、すっごい貪欲なんだ。たった一週間くらいしか地上に出られないから――その時間を、全ての力を振り絞って、生きるためだけに生きるの」
「そうか。凄いな、蝉って」
本当に素直に、魔理沙はそう思った。
素直に心情を吐露するリグルにつられたのかも知れないが、それでも、本当に凄いと感心したのだ。
「うん……あのね、魔理沙」
「なんだ」
「今日のお昼のあたりで、もう……生き残ってるのは、この子だけだったの」
「…………ああ」
「他の仲間はみんな、死んじゃって……全部のメスが、卵を産み終わって、いなくなってて」
「…………」
「それでも、この子は鳴いてたの。他に仲間がいなかったとしても――他に、生きる方法を知らなくって」
「それは、でも」
もしかしたら、それは愚かなことだったのかも知れない。
最後の時、他の仲間がみんないなくなっていることは、誰の目にも明らかで。
その蝉が最後まで鳴き続けることには、何の意味も無かったのかも知れない。
だけど。それでも――
「この子は、最後まで、頑張ってたんだ」
「……そうだな」
「魔理沙は……魔理沙には、この子の声は、聞こえた?」
「いや。あいにく、さっきまで魔法の森にこもってたからな」
「そう……」
少しだけ、またリグルがうつむいた。
だからというわけでもないが、魔理沙は言葉を繋げた。
「でも、わかるぜ」
「え?」
「こいつは最後まで、自分の生きたいように生ききったんだろ? そういうのは、わかる」
「あ……」
「こいつらの命は、もしかしたら……私よりも、もっと、輝いていたのかも知れないな。
少し、羨ましい。それから、ちょっとだけ……憧れる」
魔理沙自身、少しは、自分が生き急いでいる自覚がある。
立ち止まってなんていられないし、追いかける目標には事欠かない。いつだって全力を出していたいし、自分を恥じることは何一つとして無い。
それでも。
たまには、こうやって立ち止まることもあるし。
立ち止まって――自分よりも物凄い速さで命を燃やしきった生き物を、見送るのも、いいかも知れない。
「ありがとう、魔理沙……」
「なあ、リグル」
「ん?」
「聞かせてくれよ、お前の気持ちを……この蝉を見て、どんな気持ちになったのかを」
「…………」
それは、言葉にすることが難しい、混ぜこぜの感情だったのだろう。
それでも、魔理沙に伝えるために――あるいは自分でそれを確かめるために、リグルは静かに、声を紡いだ。
「私は……うん。ほんのちょっと、哀しい。
この子が死んじゃうのが、哀しい」
「ああ」
「それと……それ以上に、寂しい。
もうこの子に会えなくなるのが、寂しい」
「ああ」
「あのね、それから……嬉しいよ。
この子が、一生懸命に最後まで生きてくれたのが、とっても嬉しい」
「ああ」
「とっても……とっても、誇らしいの。
この子が……この子たちが生きたことは、とても凄いことなんだって、それが、誇らしい」
「ああ」
「それから、それからね!」
そこで、リグルは一度、言葉を切った。
すう、と息を吸い込んでから。
ありったけの思いを込めて、両手の中でじっと眠る蟲の亡き骸に、声をぶつけた。
「ありがとう!」
「…………」
「生きてくれて、ありがとう! 私に出会ってくれて、ありがとう! 声を聞かせてくれて、ありがとう! 姿を見せてくれて、ありがとう!」
リグルは、また泣いていた。
泣きながら、声を上げていた。
その声は、決して、泣き声ではなかった。
「最後まで、生きてくれて……本当に、ありがとう……!」
「……そうか」
「……魔理沙」
リグルが、顔を上げた。
涙に濡れて、ぐしゃぐしゃになった、ひどい顔。
綺麗だと、魔理沙は思った。
「私はね、忘れないよ。この子のことを、忘れない」
「そうだな」
リグルなら、そうなんだろう。絶対に忘れない。そう魔理沙は思った。
「この子たちのことを――私が会ったみんなのことを、私は、忘れない」
「そうだな……お前は、全部の蟲と、一緒に生きてるんだもんな」
「うん!」
頷いて、リグルが笑う。
涙に濡れた笑顔は、何のてらいも無い心からの笑顔だった。
/
会話の時間は短かったはずだし、その後の、穴を掘って埋めるだけの時間は、もっと短かったはずだ。
なのに気づけば、辺りは薄暗くなっていた。
夕焼けの残滓が周りの景色に、橙色の明るさをほんの少しだけ残している。
「これで良し」
「埋めるだけか? 墓とか作ってやらなくていいのか」
「全部の蟲のお墓を作ってたら、幻想郷中がお墓で埋まっちゃうよ」
「なるほど、そりゃそうだ」
一瞬、その光景を思い描いて、魔理沙は苦笑した。ホラーを通り越して、笑い話にしかならない。
「それにね、魔理沙。埋めるだけで、この子たちにとっては充分なの――別に、土の上に放り出しておいても構わないくらい」
「へえ?」
「この子たちは死んで、体は土の養分になって、自然に還るから……そしてその自然の中で、蟲たちは生きていくの」
「なるほど、サイクルだな。蟲たちは自然と共に生きてるわけだ」
あるいは、と魔理沙は思う。
幻想郷で最も、幻想郷に感謝しているのは、リグルかも知れない。
この雄大な自然に、そして自然と共に生きる蟲たちに、畏敬の念を捧げ、深く信仰しているのは、リグルなのかも知れない。
そして、そんなリグルだからこそ――
「なあ、リグル。二つ、思いついたことがあるんだ」
言って、魔理沙はひらりと箒にまたがった。
疲れは取れた。貴重なものを見せてもらった。活力が湧いてきた。
そろそろ、目的に向かって進みたくなってきた。
「ん、二つ? なに?」
「ああ。まず一つ目……」
その前に、言い残したくなった。
大事なものを見せてくれた、リグルのために。
ちょっと、お返しをしたくなったのだ。
「さっきの、蝉だけどな。あれはもしかしたら、最後まで鳴いてたのは、子供を残したかったからじゃないかも知れないぜ?」
「ええ? ちょっと、何言ってるかわからないんだけど」
「いや、もちろんそれもあるんだろうけどな。まあ、もしかしたらの話だ、気分を悪くするな」
「? ……で、なに?」
「お前だよ」
「え?」
「そいつはきっと、お前のために鳴いてたんだ……ずっと見ていてくれたお前に、ありがとうって、鳴いてたんだよ」
「――――!!」
リグルの頬が真っ赤に染まったように見えたのは、気のせいではなかっただろう。
嬉しさと、そんなことを言われることの恥ずかしさが、半々と言ったところか。
「もしかしたら……他の全部の蝉を代表する気持ちで、最後まで鳴いてたのかも知れないぜ?」
まあ、この一言が本当なら出来すぎだろう。蟲の一匹一匹に、そこまで高等な思考があるかどうか、魔理沙は知らない。
だが、ありがとうという想いがその蝉にあったのだと――そう言ったのは、実は結構本気だった。
「う、うん、ありがとう」
「おいおい、私は推測で代弁しただけだぜ。感謝されるいわれは無いな」
「でも、ありがとう……いいじゃない、そのくらい言わせてよ」
「そうかい、どういたしまして、だぜ。で、もう一つ――」
ふわり、と箒にまたがった魔理沙が宙に浮かぶ。
星が見えてきた夜空の下で。
魔理沙は、不敵な笑みを浮かべていた。
「お前の、蟲の地位向上ってやつ、あっただろ」
「え、うん。お、憶えてたの?」
「今思い出したんだ……あれな。楽しみになってきた!」
「え?」
「蟲の地位向上、ちゃんと実現させてみせろよ――なるべくなら、私が生きてるうちにな! そしたら、お前のこと、もっと見直してやるよ!」
その言葉が終わるか、終わらないかのうちに。
魔理沙は、箒を駆って空を飛び去って行った。
後に残されたリグルは、魔理沙の背中を目で追いかけて――
「うん! 約束する! きっと、絶対――魔理沙に、見せてあげるから――!」
夜空を飛び去っていく、魔理沙の後ろ姿に。
リグルは、ありったけの大声で、答えた。
それを背中で聞いて、魔理沙は笑い。
大声をあげたリグルもまた、魔理沙に負けないくらいの、満面の笑顔を浮かべていたのだった。
欲を言えば八月に間に合わせたかった。
そんな、ちょっと涼しくなってきた頃の、晩夏のお話でした。
ここまで読んでくださってありがとうございました。ほんの少しでも、読んでよかったと思っていただけたなら幸いです。
追記:皆さんありがとうございます。コメント返しです。
>1さん
光栄です。
ちなみに私は、「さらっと読める作品はジェネリックに投稿したい」という考えを持っているので、こちらはジェネリックに投稿しました。
具体的には20kb以内が目安です。
>2さん
リグルのSS自体が貴重ですからね。こればっかりはしょうがないです。
季節っていつの間にか過ぎ去っていきますよね……
>奇声を発する程度の能力さん
今回もそう言っていただけてありがたい限りです。次も頑張ります。
>4さん
そこまで気に入っていただいて、本当に嬉しいです。
>5さん
毎年、いつの間にか鳴き声が聞こえなくなってるんですよね……一時期の元気は無くなりましたが、今もまだ蝉は鳴いています。
>6さん
鳴き声が聞こえるうちに投稿したかった、というのもあります。
いつ頃まで聞こえているか、耳を澄ませて探ってみるのも一興だと思います。
>7さん
こちらこそありがとうございます。勿体無いお言葉です。
楔
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しかし、気付かないうちに蝉の季節ももう終わるのか…。
確かに100点入れたい……
蝉はまだ、今日も鳴いてますね。