餃子・オン・ステージである。
広いテーブルの上には、ずらりと焼き餃子が並んでいた。何人前だろうか。とりあえず、数えるには少なくとも腕が十本ほど必要そうだ。
「さ、どうぞ」
「どうぞ言われても。何祭りなのよこれ」
隣に立ち、例のごとくの涼しい声で告げる咲夜に対して、ただ一人テーブルにつくアリスは、ともあれツッコミを入れるところから始めた。
頼みごとがある、と咲夜に呼び出されて、何事かとやってきたら、これである。
「あ、心配しなくても、これがお礼の先払いなんてわけじゃないから、気にしないで」
「一応安心しておくわ」
「あと、タレとラー油もちゃんとあるから」
「それは別に心配してなかったけど」
「ラー油もあるから」
「なんで被せてきたのかわからないけど。で、とりあえず、餃子だけ、と」
「オンリー・ギョウザです」
「英語にされても。私が食べるの?」
「ぜひ」
「……まあ、ありがたくいただいておくわ。お茶はあると嬉しいんだけど」
「紅茶でいい? それともラー油?」
「ぜひとも紅茶でお願いしたいんだけど。お茶じゃない選択肢を入れないで欲しかったんだけど」
「レモンかミルクかラー油入れる?」
「入れるかっ! ……いや、ミルクは欲しいけど。どこの世界のお茶にラー油が入るのよ」
「ラーティ」
「それっぽく言われても」
「すぐにお持ちしますわ」
「ミルクティだからね! 一応念押ししておくけどね!」
「……ごちそうさまでした」
「あら、もういいの? まだまだたくさんあるんだけど」
「私をニンニク漬けにしたいのかあんたは」
餃子は、美味しかった。
間違いなく美味しかった。その意味では、十分に満足である。改めて咲夜の腕前に感動したほどだ。が、どれだけ美味しくても、こればかりを延々と食べていれば、飽きる。
「お土産として、魔理沙にも持っていってあげない? 喜ぶんじゃないかしら」
「冷めちゃうし。それなら魔理沙も誘ったほうがいいんじゃ」
「とりあえず、ラー油だけでも持っていってあげない?」
「かなりありえない選択肢なんだけど!」
ふう、と息を吐く。
餃子だけでも、これだけ食べれば腹は相当に膨れる。アリスはゆっくりと顔を上げて、咲夜のすまし顔を覗き込む。
「で? お願い事って、余りまくってるラー油の処分とか?」
「……」
アリスがまっすぐに言うと、咲夜は表情を動かすこともなく、ただ沈黙した。
数秒。微動だにせずアリスの顔を見つめてから、ゆっくりと首を横に倒した。
「魔界人は、心を読む能力まで身に着けているの?」
「わかるわっ! どんだけラー油強調してたと思ってんのっ!」
「魔界怖い」
「魔界関係ない!」
「アリスこわい」
「怖くないっ! ……怖くないからね?」
一度張り上げた声を落として、言い直す。わざわざ若干引きつった笑顔を浮かべながら。
ふむう、と咲夜は意味のよくわからない相槌を打った。
「アリスは、怖いと言われるのをずいぶんと気にする、と……」
「うっ……い、いいじゃない、色々あるのよ、色々」
「ふむ。人形劇のときとかに、子供に怖がられたりすると面倒だから、とか」
「……まあ、そんなところ」
「もしくは部屋が人形まみれなのを人間に見られてものすごく気味悪がられてそれ以降よそよそしくされた経験があるとか」
「……そんな感じのことも、なくはないけど」
「普段人と普通に話すときはあんまり表情出さないでクールに話すから、実はアリス自身が人形なんじゃないかなんて噂を立てられたりしてトラウマになってるとか」
「あんたこそエスパーかっ!? そんなこともあったわよ! ていうかどんだけここに食いついてきてるのよっ! ラー油の話でしょ!?」
「ラー油? 飲む?」
「飲むかっ!!」
とりあえずまずは片付けを、ということで咲夜が皿を片付ける。
約三秒で。
「……で、そもそも、なにがあったらラー油がそんな余る状態になるのよ」
当然の疑問をアリスが切り出す。
確かに調味料の中では余りやすいほうかもしれないが、大量に余るというシチュエーションは考えにくい。自分で作ったのであればある程度はありうるか。
「安かったのよ」
アリスが色々と想像している間に、シンプル極まりない返答が返ってきていた。
「……は?」
「安かったの。かなり。なんか事情があって大量に入荷しちゃって、仕方ないから大安売りだって、言ってた」
「はあ」
「で、買った」
「はあ」
「ラー油といえば、餃子でしょう。他に思い浮かばないし」
「まあ……そうね」
「で。まさかお嬢様に餃子を食べさせるわけにはいかないでしょ」
「……」
アリスは咲夜の言葉に、一瞬首を傾げかけたが、すぐにその意味に気づいて、あっと声を上げた。
「そうよ! なんか違和感あるなあって思ってたけど! なんで吸血鬼の家で普通に餃子作ってるのよっていうかニンニク入れてるの!?」
「ニンニク入れたほうが美味しいでしょ?」
「美味しいとか美味しくないとかじゃなくて! あなたの主人はそれで大丈夫なの?」
「だから、お嬢様には餃子は出してないのよ。ただでさえ最近ニンニクの匂いがするって悲しそうな顔してるのに」
「……うん。ちょっと待って。まとめさせて」
「?」
「えー、あなたは、ラー油を買った」
「うん」
「ラー油といえば、餃子である」
「そうよね」
「餃子は、ニンニクを入れないと、物足りない」
「当然」
「吸血鬼は、ニンニクが苦手である」
「常識ね」
「あなたの主人は、吸血鬼である」
「そこも、疑ってはいないわ」
「なんで買った!? なんでラー油買った!?」
「安かったから」
「やだこれだけ時間かけて平行線……泣きそう」
「ちなみにパチュリー様も油っこいのが苦手で。妖精メイドはそもそも気が向いたときしか物食べないから消費能力はなし」
「……」
もう一度、何度か繰り返してきたツッコミを入れたくなるアリスだったが、それが無意味であることはもはや明確であった。よって、ここはぐっと我慢である。
「……美鈴さんは? あの子なら、喜んで食べそうだけど」
「そうね。三日目くらいまでは喜んでたわ。四日目から明らかに表情が翳ってきてたから、この感触だと一ヶ月が限度かなって感じだけど」
「限度三回くらい超えてるでしょそれ!? きついと思った時点でやめてあげて!?」
「というわけで、平和裏に解決するために、ラー油をうまく消費する手段を考えてほしいのよ」
「あーうんよくわかったわ。わからないことばっかりだけどよくわかったわ」
ぐったりと疲れた声で、アリスは呟いた。
なにかを諦めたような響きがそこにあった。
「でも、一番簡単なのは、売っちゃうか、知り合いに配ることじゃないかしら」
「そうなんだけどね。ラー油って、そんなたくさん使うものじゃないでしょ。いっぱい貰っても、困るじゃない?」
「そうねなんで買うときにそこに思い至らなかったのか恐ろしく疑問ね」
「というわけで、餃子以外にお勧めのメニューはないかしら。大量にラー油を消費しつつ、まったく辛くないものが理想なんだけど」
「もう帰ってもいいかしら」
「そこをなんとか」
「いやいくらなんでも辛くなるのは仕方ないでしょ……そこは認めてもらわないと」
「お嬢様、辛いものも苦手なのよ」
「だからなんでラー油買ったのー!?」
耐え切れない悲鳴が、広いダイニング――食堂と呼ぶべきその空間に、響き渡った。
「えー」
またお茶を飲んで少し落ち着いてから、アリスは咲夜に向かい合う。
とりあえず咲夜が立ったままだと話がしにくいとのアリスの要求により、二人とも椅子に座って話をすることになった。
「わかりきった結論を言えば、そんな都合のいいメニューは私は知らないわ」
「魔界の叡智を集めてなお、不可能だと?」
「あなたは魔界をなんだと思ってるの……」
「あ、それじゃ、魔法の研究の材料に使えたりしない?」
「……私も魔法使いとしてそこまで歴史があるわけじゃないけど、ラー油を使う魔法っていうのは、聞いたことないわね……」
一応は真面目にこれまでに出会った魔法を思い出しつつ、頭を抱えてアリスは答える。
「なんか、武器にならなりそうな気がするけど」
「武器」
「いや、うん。そんな真面目に受け取られても困るけど。魔法よりはまだ可能性が……あるようなないような」
「ふむ」
咲夜は視線を下げて、手を口元に添える。
なるほど、と呟く。
「確かに。ラー油を塗ったナイフで心臓を刺せば、確実に人は死にそうね」
「そうね。ラー油全然関係ないけどね」
咲夜の提案はさておくとしても、ナイフにラー油というのはなくもない発想だな、とアリスは口には出さず思うのだった。滑りはよくなりそうだし、なにより傷口からラー油が入り込んでくると思うと、かなり、気持ち悪い。ぜひとも、そんなことはやってほしくない。
「――ともかく、いきなり大量に使うなんて無茶な話よ。そんなアイデアもないし、私にはちょっと手が出そうにないわ」
「そう……」
「……」
「……」
「……ま、まあ、ちょっとは調べてみるけど、ね。最悪の場合、油は油なんだし、燃料にはなるんじゃないかしら。たぶん屋外で使ったほうがいいと思うけど。間違ってもランプには入れないほうがいいとは思うけど」
ほんの少し視線を下げて、微動だにしない咲夜の様子を見て、アリスは慌ててフォローを入れる。ほとんど反射的な言葉だった。
「ありがとう。さすがアリスね、頼りになるわ」
「あ……うん……いや、あんまり期待しないでね」
きっとアリスの言葉を引き出すための計算通りの沈黙だろう、と当人も後から気づきつつも、悪い気はしないから困ったものである。
アリス・マーガトロイドは、人に頼られると、弱い。
「それで、珍しく赤い料理ばっかりなんだな」
「そういうわけ」
魔理沙が昼食をアリス宅でとること自体は珍しくはない。が、いかにも辛そうな料理がテーブルに並ぶのは、魔理沙にとっても初めて見る光景だった。
「脂っこいし、こればっかりだと体にもあんまりよくなさそうだな」
「……そうね」
アリスの創作料理はバリエーション豊かではあったが、やはりラー油を使用している以上は、油が多くなることは避けられない。しかも辛味が強いため、どうしても味が単調にならざるを得ない。ラー油の消費というのは、やはり難題であった。
「魔法に使えないもんかな」
辛い、辛いと言いつつ、魔理沙は美味しそうにアリスの昼食を食べる。そろそろ食べ終わるという頃に、魔理沙は言い出した。
アリスは、少し目を丸くして魔理沙を見つめる。
「咲夜と同じこと言ってる」
「おお。さすがだな、私と同じ発想に至るとは、あいつも魔法使いとしての素質があるな」
「私にはなかった発想なんだけど」
「きのこが使えるんだから、ラー油が使えてもおかしくはないだろ」
「そう……そう……かしら……」
きのこさえ使うことはないアリスではあったが、仮に使うとして、ラー油と同列に見ていいものだろうか、という疑問が拭えないのだった。
頭を抱えていると、よし、と魔理沙は言った。
「試してみるか、いろいろ。どうせ余ってるなら遠慮なく使ってもいいだろうしな」
「うーん。どういう使い方になるの……?」
「そりゃ、いろいろだ。なんでも物は試しだぜ。たとえば……傷薬に使う薬草をラー油漬けにしてみるとか」
「……まずは自分で試してね?」
「お、おう。あ、発火剤に添加してみるのはありじゃないか。なんとなく効きそうな気がするだろ?」
「……まあ。なんとなく」
そんな会話を繰り広げている間に、食事は終了する。
辛いものばかりということで、お茶は温めだ。
「ああ。なるほど」
いつもは魔理沙には緑茶なのだが、今日は断りなくミルクティだった。飲んでみて魔理沙は納得する。辛いもののあとは、このほうがいいのだと、よく理解できた。舌の痛みがはっきりと和らぐ感じがする。
「さすがアリスだな。こういう気遣いは、抜かりない。ごちそうさま。……ありがとうな」
「あ……う、うん、当たり前のことだから、うん」
魔理沙の言葉に、アリスは慌てたように手を振って応える。頬はほんのりと朱に染まっている。
アリス・マーガトロイドは、正面から褒められると、弱い。
「先生、お願いします」
「どーれ」
ここは魔理沙の家、実験室。
最初の台詞は魔理沙のもの、続く台詞はもう一人の魔法使い――聖白蓮のものである。
アリスは少し離れたところから、実験を見守ることにした。
――その、少し前。
「変り種の魔法といえば、あいつだな、あいつ。魔界から来た」
「え? 私……じゃない、よね。……ああ、聖さん?」
「それだ。あいつの魔法は面白いぜ。いや、アリスの魔法も面白いんだが、白蓮のはもっと独創的でな。さすが本家魔界育ちという感じがするな、二人を見てると」
「……そう、かしら。私はかなり正統派なほうだと思うけど」
「アリスは魔法自体はそうかもな」
先日、帰る前に魔理沙が語っていたことだった。
新しい魔法の研究するならヒントになるぜ、と自信持って言っていた。
「あいつは、魚を使った魔法もいっぱい持ってるって言ってたからな。幻想郷じゃ新鮮な魚は川のものしか獲れないから使う機会がない、ってちょっと寂しそうだったけど」
「……魚の……魔法……?」
「魔界は何にもないが海の幸は豊富だったから簡単に手に入るらしくてな。それで、せっかくだから魔法に利用してみたらしい」
「魚の魔法」
「そんな不思議そうな顔で見られても、私もあんまり詳細は知らないからな。攻撃魔法との相性も悪くないらしいぞ、レーザーとか」
「魚レーザー」
「だから私にそんな顔を向けられても――」
「というか彼女僧侶なんじゃないの……」
「僧侶だって魔法に魚くらい使いますって言ってた」
「ちょっとなに言ってるかわかんない」
というわけで、当の聖白蓮の登場である。
「私もラー油を使うのは初めてですね。ただ、使えると思いますよ、十分」
「……使えるんだ」
鍋を覗き込みながら話す白蓮の話に、アリスはぽつりと返す。
ええ、使えます。白蓮は今度は断言する。
「調味料を魔法に使うのは珍しくありませんからね。それぞれに個性が出て面白いですよ」
「聞いた覚えがないんだけど、私は」
「しょうゆが基本ですが、塩だともうちょっとあっさりした感じ、味噌だと温かくて濃厚な感じに仕上がりますね」
「魔法の話よね? 魔法の話で間違いないのよね?」
「ラー油は存在感が強いので気をつけて扱わないといけませんが、しょうゆにも味噌にも合いそうですね。今回は味噌で行きましょう。ピリ辛味噌、ですね。うふふ」
「魔法の実験してるのよね?」
白蓮は手元に銀色の皿を揃えていく。皿には草や粉、骨といった魔法研究ではよく使われるものが入っている。手順を見ていると、やはり魔法の実験だとわかる。
「香草、ねぎ、生姜、それから鶏だ。これで間違いないな?」
……
やはり魔法の実験だとわかる。
「ありがとうございます。これで、いけますね」
「よし、やるか」
「はい。と言っても、最初はこれをじっくり煮込むだけですけどね。焦らず、ゆっくりとやるのがコツです」
「火力は?」
「水がたっぷりなので、最初は強めで」
「了解だぜ」
「さて、これは丸一日煮込むことになりますので、触媒のほうの準備をしましょう」
「おう。小麦粉だな」
「はい。大変ですが、水と混ぜていっぱい捏ねましょう」
「ねえ魔法作ってるのよね?」
というわけで、丸一日鶏の骨を中心とした魔法薬を煮込んで、味噌とラー油がベースの増強剤を作り、最後に小麦粉と水を混ぜ合わせて捏ねて棒状に切りそろえた触媒を茹で上げて、全てを混ぜて完成である。
「はい、できました! 追尾ミサイル強化用の丸薬です」
「なんで!?」
アリスは全身と出せるだけの声をもってツッコんだ。
「おお? どうしてあの材料で追尾ミサイル強化になるんだ?」
「ラー油がポイントですね。あの辛さはミサイル弾との相性がいいはずです」
「いや……それ以前になんでその調理法……じゃない、調合法で、丸薬になるの……」
「うまくいったかどうかはまだ検証が必要ですが、発想は合ってると思います。ぜひとも結果をまたお伝えしていただければ」
「おう、すぐに試してくるぜ」
「……ふふ。ラー油は初めてでしたが、まだまだ面白い使い方はできそうですね。今度、魔界時代の仲間たちにも教えてあげましょう」
「えー……あなたと、同じような研究をしてた人が、魔界にも、いるんだ?」
「います。特にリーダー格だった『スパイス・マスター』鈴木は、私などではとても及ばない発想力で、創作魔法の世界を大きく広げていったものです」
「誰」
「創作魔法は、魔界でも私たちの地方だけの文化でしたからね。アリスさんがご存じないのは仕方がないかと思います。でも、きっと、彼はいずれ魔界に名を残す大魔法使いになりますよ」
「……」
どうやら自分は魔界出身のクセに、魔界のことをまだまだわかっていないらしい。
軽いめまいを覚えながら、アリスはしばらく帰らぬ故郷に思いを馳せるのだった。
これにて無事解決かといえば、そんなこともなく。
白蓮の独創的な魔法も、結局ラー油の消費量自体はあまり多くなく、さほど根本的な解決にはなっていないのだった。
「うーん……」
アリスは、地下の一室、通話機の前で迷っていた。
通話機は魔界に通じている。この部屋のみ、魔界と特殊な回線で接続しているのだ。故郷に万が一のことがあったとき、あるいはその逆のときのことを考えて準備された装置だ。魔界の内部、少なくともアリスがいた魔界の都市部では電話は普通に普及しているが、幻想郷には存在しない。そのため、魔法の力でこの通話機と魔界の回線の間を橋渡ししているのだ。
白蓮の話を聞くにつれて、やはり魔界の知恵は借りてみるのがいいのだろうか、という気になっていた。アリスが知らなかっただけで、魔界には調味料を魔法に使う一派がいるのだ。その彼らに使ってもらうのであれば、合理的な解決方法だと言えよう。
……が。
「……めったに使わない回線を使う用事が、ラー油って。ラー油って……」
特に定期連絡をしているわけでもないため、事実、片手で数えられるほどしか使用していない。向こうからしてみれば、かかってくれば、とても重要な用件だと思うだろう。
しかしラー油である。
無駄に気が重い。
……まあ、困りごとではある。放っておいても解決しそうにない。魔界に頼れば解決するのかという保障もないのだが、白蓮の様子を見る限り、数少ない希望ではあるのだ。
「……もしかすると、魔界はたまたまラー油が不足してて困ってる、なんてことも、あるかもしれないし」
ラー油が不足するという状況が想像できないが、アリスは自分に言い聞かせるように呟いて、通話機を手に取った。
「アリス、久しぶりね! 元気してる? ちゃんと食べてるー? 魚が恋しくない? こっちはね、いまカツオが旬で美味しいのよ。帰ってきたらいっぱい食べられるわよ。そうそう、新茶はまだ残ってる? そろそろまた送ったほうがいいかしら? 山のほうのお茶も今年は出来がよくてね、そっちも試してみてもいいと思うわ。これがまた大豊作で余ってるくらいで。あ、野菜はどう? 足りないものはない? トマトは手に入りにくいんじゃない? 言ってくれればなんでも送るからね。アリス、みかんも好きよね。まだシーズンじゃないけど頑張れば冷凍物だって送れるから遠慮しないでね。それと――」
「あ、あのっ」
繋がったとたんに、これである。喋る間もない。
いつもこんな感じだとはいえ、今日はさらにマシンガンだった。久しぶりだったということもあるのだろう。
「あ、ごめんね、なにかお話があるのかな?」
「……うん。そんな、たいした話じゃないんだけど」
あまり深刻に構えられるよりは、切り出しやすいとも言える。通話機の前で苦笑いを浮かべながら、アリスはここで一呼吸置いて、ストレートに切り出した。
「ラー油のいい使い道って、知らない?」
アリスの言葉に対して、少しの間、声は戻ってこなかった。
珍しい、と思い、言葉を補足すべきだろうかと考えているところで、ようやく返事が返ってきた。
「そっちでもラー油が流行ってるの?」
「え?」
「不思議ねー。こっちでも少し前からブームになってるのよ。創作魔法っていうのが雑誌で紹介されてね。そこで最新作として、今までにないラー油を使った魔法のレシピがあって」
通話機の向こう側から聞こえてくる予想外すぎる言葉に、アリスは、ああ思考が飛ぶというのはこういうことなのか、と実感していた。
「……それって、もしかして鈴木さんとかいう」
「アリスも知ってるんだ。そう、鈴木シェフの」
「シェフって言った今?」
「ただ、ラー油が足りてないのよ。だから試したくても試せない人が多くて」
「足りてない? ……足りてないって? 言った? 本当?」
「うん。間の悪い話なんだけどね。鈴木シェフが量産試験のためにいっぱいラー油買い占めただけど、思ったほど使わないことがわかったからまとめて問屋さんに売っちゃったんだって。で、問屋さんがそのまま所在不明でどこかに消えちゃった、という展開みたい」
「……」
さすが魔界の神、情報通だと言うべきか。むしろ、神の割にマスコミ程度なのはどうなのかと言うべきか。情報はほぼ伝聞系である。
しかし今は細かい点などどうでもよかった。魔界では、ラー油が足りていない。それが一番重要な情報である。そんなことがありえたのである。
「……魔界怖い」
「え?」
「いえなんでも。いい情報が聞けたわ。あのね実は――」
「完璧な解決。さすがアリスね」
咲夜はいつもどおりの冷静な声で言いながら、お茶を出した。
「……普通のお茶よね? これ」
「いいえ、高級茶葉ですわ」
「いやクオリティの話じゃなくてね」
「特急で煎れてきましたわ」
「速度の話でもなくてね」
念のため匂いをかいでみる。上等な紅茶の香りだ。とはいえ、咲夜は食品魔改造のプロである。油断はできない。美味しければそれでいいという考え方もなくはないのだが。
覚悟を決めて飲んでみる。……美味しかった。普通に。いや、普通以上に。
「結果はよかったけど、正直言って、偶然でしかないわ。たまたま、魔界でラー油魔法が流行ってて不足してただけ」
「やっぱり、魔界凄いということで」
「……もはや否定できない」
「でも言っておくけど、紅魔館も凄い」
「なんでいきなり張り合ってきた」
「ニンニクの匂いと辛い匂いに少し涙目になりながらも私の実験料理を止めなかったお嬢様凄い」
「それは自主的にやめてあげてねっ!?」
「『技術の進歩に、多少の犠牲は付き物だよ。構うことはないさ』――お嬢様凄い」
「やだちょっとかっこいい」
「涙目で」
「やだ絶対無理してる……」
後でレミリアの頭でも撫でにいってあげようかと思ってしまう。
間違いなく拒否されるだろうが。
「――ふう。ともあれ、これで解決ね。お疲れ様」
偶然とはいえ、依頼を解決したことは事実である。仕事の後のお茶は美味しい。
確かに高級茶葉なのだろう、いい香りだ。紅魔館ではお茶に外れはない。普通は。余計なことしなければ。
「もう一杯、注いでくるわね」
「いえ、もう結構よ。美味しいけどね。そろそろ図書館のほうに寄っていきたいし」
「もう一杯」
「なんでここで押してきた」
「せめて二杯」
「増やすな」
「実はお茶が余っていて」
「安くても必要以上に買うな! 頼むから!」
「お茶の魔法とか」
「あるかっ! …………うん、ある、かもしれないから、あとで聞いてみる」
アリス・マーガトロイドは、成長する。
広いテーブルの上には、ずらりと焼き餃子が並んでいた。何人前だろうか。とりあえず、数えるには少なくとも腕が十本ほど必要そうだ。
「さ、どうぞ」
「どうぞ言われても。何祭りなのよこれ」
隣に立ち、例のごとくの涼しい声で告げる咲夜に対して、ただ一人テーブルにつくアリスは、ともあれツッコミを入れるところから始めた。
頼みごとがある、と咲夜に呼び出されて、何事かとやってきたら、これである。
「あ、心配しなくても、これがお礼の先払いなんてわけじゃないから、気にしないで」
「一応安心しておくわ」
「あと、タレとラー油もちゃんとあるから」
「それは別に心配してなかったけど」
「ラー油もあるから」
「なんで被せてきたのかわからないけど。で、とりあえず、餃子だけ、と」
「オンリー・ギョウザです」
「英語にされても。私が食べるの?」
「ぜひ」
「……まあ、ありがたくいただいておくわ。お茶はあると嬉しいんだけど」
「紅茶でいい? それともラー油?」
「ぜひとも紅茶でお願いしたいんだけど。お茶じゃない選択肢を入れないで欲しかったんだけど」
「レモンかミルクかラー油入れる?」
「入れるかっ! ……いや、ミルクは欲しいけど。どこの世界のお茶にラー油が入るのよ」
「ラーティ」
「それっぽく言われても」
「すぐにお持ちしますわ」
「ミルクティだからね! 一応念押ししておくけどね!」
「……ごちそうさまでした」
「あら、もういいの? まだまだたくさんあるんだけど」
「私をニンニク漬けにしたいのかあんたは」
餃子は、美味しかった。
間違いなく美味しかった。その意味では、十分に満足である。改めて咲夜の腕前に感動したほどだ。が、どれだけ美味しくても、こればかりを延々と食べていれば、飽きる。
「お土産として、魔理沙にも持っていってあげない? 喜ぶんじゃないかしら」
「冷めちゃうし。それなら魔理沙も誘ったほうがいいんじゃ」
「とりあえず、ラー油だけでも持っていってあげない?」
「かなりありえない選択肢なんだけど!」
ふう、と息を吐く。
餃子だけでも、これだけ食べれば腹は相当に膨れる。アリスはゆっくりと顔を上げて、咲夜のすまし顔を覗き込む。
「で? お願い事って、余りまくってるラー油の処分とか?」
「……」
アリスがまっすぐに言うと、咲夜は表情を動かすこともなく、ただ沈黙した。
数秒。微動だにせずアリスの顔を見つめてから、ゆっくりと首を横に倒した。
「魔界人は、心を読む能力まで身に着けているの?」
「わかるわっ! どんだけラー油強調してたと思ってんのっ!」
「魔界怖い」
「魔界関係ない!」
「アリスこわい」
「怖くないっ! ……怖くないからね?」
一度張り上げた声を落として、言い直す。わざわざ若干引きつった笑顔を浮かべながら。
ふむう、と咲夜は意味のよくわからない相槌を打った。
「アリスは、怖いと言われるのをずいぶんと気にする、と……」
「うっ……い、いいじゃない、色々あるのよ、色々」
「ふむ。人形劇のときとかに、子供に怖がられたりすると面倒だから、とか」
「……まあ、そんなところ」
「もしくは部屋が人形まみれなのを人間に見られてものすごく気味悪がられてそれ以降よそよそしくされた経験があるとか」
「……そんな感じのことも、なくはないけど」
「普段人と普通に話すときはあんまり表情出さないでクールに話すから、実はアリス自身が人形なんじゃないかなんて噂を立てられたりしてトラウマになってるとか」
「あんたこそエスパーかっ!? そんなこともあったわよ! ていうかどんだけここに食いついてきてるのよっ! ラー油の話でしょ!?」
「ラー油? 飲む?」
「飲むかっ!!」
とりあえずまずは片付けを、ということで咲夜が皿を片付ける。
約三秒で。
「……で、そもそも、なにがあったらラー油がそんな余る状態になるのよ」
当然の疑問をアリスが切り出す。
確かに調味料の中では余りやすいほうかもしれないが、大量に余るというシチュエーションは考えにくい。自分で作ったのであればある程度はありうるか。
「安かったのよ」
アリスが色々と想像している間に、シンプル極まりない返答が返ってきていた。
「……は?」
「安かったの。かなり。なんか事情があって大量に入荷しちゃって、仕方ないから大安売りだって、言ってた」
「はあ」
「で、買った」
「はあ」
「ラー油といえば、餃子でしょう。他に思い浮かばないし」
「まあ……そうね」
「で。まさかお嬢様に餃子を食べさせるわけにはいかないでしょ」
「……」
アリスは咲夜の言葉に、一瞬首を傾げかけたが、すぐにその意味に気づいて、あっと声を上げた。
「そうよ! なんか違和感あるなあって思ってたけど! なんで吸血鬼の家で普通に餃子作ってるのよっていうかニンニク入れてるの!?」
「ニンニク入れたほうが美味しいでしょ?」
「美味しいとか美味しくないとかじゃなくて! あなたの主人はそれで大丈夫なの?」
「だから、お嬢様には餃子は出してないのよ。ただでさえ最近ニンニクの匂いがするって悲しそうな顔してるのに」
「……うん。ちょっと待って。まとめさせて」
「?」
「えー、あなたは、ラー油を買った」
「うん」
「ラー油といえば、餃子である」
「そうよね」
「餃子は、ニンニクを入れないと、物足りない」
「当然」
「吸血鬼は、ニンニクが苦手である」
「常識ね」
「あなたの主人は、吸血鬼である」
「そこも、疑ってはいないわ」
「なんで買った!? なんでラー油買った!?」
「安かったから」
「やだこれだけ時間かけて平行線……泣きそう」
「ちなみにパチュリー様も油っこいのが苦手で。妖精メイドはそもそも気が向いたときしか物食べないから消費能力はなし」
「……」
もう一度、何度か繰り返してきたツッコミを入れたくなるアリスだったが、それが無意味であることはもはや明確であった。よって、ここはぐっと我慢である。
「……美鈴さんは? あの子なら、喜んで食べそうだけど」
「そうね。三日目くらいまでは喜んでたわ。四日目から明らかに表情が翳ってきてたから、この感触だと一ヶ月が限度かなって感じだけど」
「限度三回くらい超えてるでしょそれ!? きついと思った時点でやめてあげて!?」
「というわけで、平和裏に解決するために、ラー油をうまく消費する手段を考えてほしいのよ」
「あーうんよくわかったわ。わからないことばっかりだけどよくわかったわ」
ぐったりと疲れた声で、アリスは呟いた。
なにかを諦めたような響きがそこにあった。
「でも、一番簡単なのは、売っちゃうか、知り合いに配ることじゃないかしら」
「そうなんだけどね。ラー油って、そんなたくさん使うものじゃないでしょ。いっぱい貰っても、困るじゃない?」
「そうねなんで買うときにそこに思い至らなかったのか恐ろしく疑問ね」
「というわけで、餃子以外にお勧めのメニューはないかしら。大量にラー油を消費しつつ、まったく辛くないものが理想なんだけど」
「もう帰ってもいいかしら」
「そこをなんとか」
「いやいくらなんでも辛くなるのは仕方ないでしょ……そこは認めてもらわないと」
「お嬢様、辛いものも苦手なのよ」
「だからなんでラー油買ったのー!?」
耐え切れない悲鳴が、広いダイニング――食堂と呼ぶべきその空間に、響き渡った。
「えー」
またお茶を飲んで少し落ち着いてから、アリスは咲夜に向かい合う。
とりあえず咲夜が立ったままだと話がしにくいとのアリスの要求により、二人とも椅子に座って話をすることになった。
「わかりきった結論を言えば、そんな都合のいいメニューは私は知らないわ」
「魔界の叡智を集めてなお、不可能だと?」
「あなたは魔界をなんだと思ってるの……」
「あ、それじゃ、魔法の研究の材料に使えたりしない?」
「……私も魔法使いとしてそこまで歴史があるわけじゃないけど、ラー油を使う魔法っていうのは、聞いたことないわね……」
一応は真面目にこれまでに出会った魔法を思い出しつつ、頭を抱えてアリスは答える。
「なんか、武器にならなりそうな気がするけど」
「武器」
「いや、うん。そんな真面目に受け取られても困るけど。魔法よりはまだ可能性が……あるようなないような」
「ふむ」
咲夜は視線を下げて、手を口元に添える。
なるほど、と呟く。
「確かに。ラー油を塗ったナイフで心臓を刺せば、確実に人は死にそうね」
「そうね。ラー油全然関係ないけどね」
咲夜の提案はさておくとしても、ナイフにラー油というのはなくもない発想だな、とアリスは口には出さず思うのだった。滑りはよくなりそうだし、なにより傷口からラー油が入り込んでくると思うと、かなり、気持ち悪い。ぜひとも、そんなことはやってほしくない。
「――ともかく、いきなり大量に使うなんて無茶な話よ。そんなアイデアもないし、私にはちょっと手が出そうにないわ」
「そう……」
「……」
「……」
「……ま、まあ、ちょっとは調べてみるけど、ね。最悪の場合、油は油なんだし、燃料にはなるんじゃないかしら。たぶん屋外で使ったほうがいいと思うけど。間違ってもランプには入れないほうがいいとは思うけど」
ほんの少し視線を下げて、微動だにしない咲夜の様子を見て、アリスは慌ててフォローを入れる。ほとんど反射的な言葉だった。
「ありがとう。さすがアリスね、頼りになるわ」
「あ……うん……いや、あんまり期待しないでね」
きっとアリスの言葉を引き出すための計算通りの沈黙だろう、と当人も後から気づきつつも、悪い気はしないから困ったものである。
アリス・マーガトロイドは、人に頼られると、弱い。
「それで、珍しく赤い料理ばっかりなんだな」
「そういうわけ」
魔理沙が昼食をアリス宅でとること自体は珍しくはない。が、いかにも辛そうな料理がテーブルに並ぶのは、魔理沙にとっても初めて見る光景だった。
「脂っこいし、こればっかりだと体にもあんまりよくなさそうだな」
「……そうね」
アリスの創作料理はバリエーション豊かではあったが、やはりラー油を使用している以上は、油が多くなることは避けられない。しかも辛味が強いため、どうしても味が単調にならざるを得ない。ラー油の消費というのは、やはり難題であった。
「魔法に使えないもんかな」
辛い、辛いと言いつつ、魔理沙は美味しそうにアリスの昼食を食べる。そろそろ食べ終わるという頃に、魔理沙は言い出した。
アリスは、少し目を丸くして魔理沙を見つめる。
「咲夜と同じこと言ってる」
「おお。さすがだな、私と同じ発想に至るとは、あいつも魔法使いとしての素質があるな」
「私にはなかった発想なんだけど」
「きのこが使えるんだから、ラー油が使えてもおかしくはないだろ」
「そう……そう……かしら……」
きのこさえ使うことはないアリスではあったが、仮に使うとして、ラー油と同列に見ていいものだろうか、という疑問が拭えないのだった。
頭を抱えていると、よし、と魔理沙は言った。
「試してみるか、いろいろ。どうせ余ってるなら遠慮なく使ってもいいだろうしな」
「うーん。どういう使い方になるの……?」
「そりゃ、いろいろだ。なんでも物は試しだぜ。たとえば……傷薬に使う薬草をラー油漬けにしてみるとか」
「……まずは自分で試してね?」
「お、おう。あ、発火剤に添加してみるのはありじゃないか。なんとなく効きそうな気がするだろ?」
「……まあ。なんとなく」
そんな会話を繰り広げている間に、食事は終了する。
辛いものばかりということで、お茶は温めだ。
「ああ。なるほど」
いつもは魔理沙には緑茶なのだが、今日は断りなくミルクティだった。飲んでみて魔理沙は納得する。辛いもののあとは、このほうがいいのだと、よく理解できた。舌の痛みがはっきりと和らぐ感じがする。
「さすがアリスだな。こういう気遣いは、抜かりない。ごちそうさま。……ありがとうな」
「あ……う、うん、当たり前のことだから、うん」
魔理沙の言葉に、アリスは慌てたように手を振って応える。頬はほんのりと朱に染まっている。
アリス・マーガトロイドは、正面から褒められると、弱い。
「先生、お願いします」
「どーれ」
ここは魔理沙の家、実験室。
最初の台詞は魔理沙のもの、続く台詞はもう一人の魔法使い――聖白蓮のものである。
アリスは少し離れたところから、実験を見守ることにした。
――その、少し前。
「変り種の魔法といえば、あいつだな、あいつ。魔界から来た」
「え? 私……じゃない、よね。……ああ、聖さん?」
「それだ。あいつの魔法は面白いぜ。いや、アリスの魔法も面白いんだが、白蓮のはもっと独創的でな。さすが本家魔界育ちという感じがするな、二人を見てると」
「……そう、かしら。私はかなり正統派なほうだと思うけど」
「アリスは魔法自体はそうかもな」
先日、帰る前に魔理沙が語っていたことだった。
新しい魔法の研究するならヒントになるぜ、と自信持って言っていた。
「あいつは、魚を使った魔法もいっぱい持ってるって言ってたからな。幻想郷じゃ新鮮な魚は川のものしか獲れないから使う機会がない、ってちょっと寂しそうだったけど」
「……魚の……魔法……?」
「魔界は何にもないが海の幸は豊富だったから簡単に手に入るらしくてな。それで、せっかくだから魔法に利用してみたらしい」
「魚の魔法」
「そんな不思議そうな顔で見られても、私もあんまり詳細は知らないからな。攻撃魔法との相性も悪くないらしいぞ、レーザーとか」
「魚レーザー」
「だから私にそんな顔を向けられても――」
「というか彼女僧侶なんじゃないの……」
「僧侶だって魔法に魚くらい使いますって言ってた」
「ちょっとなに言ってるかわかんない」
というわけで、当の聖白蓮の登場である。
「私もラー油を使うのは初めてですね。ただ、使えると思いますよ、十分」
「……使えるんだ」
鍋を覗き込みながら話す白蓮の話に、アリスはぽつりと返す。
ええ、使えます。白蓮は今度は断言する。
「調味料を魔法に使うのは珍しくありませんからね。それぞれに個性が出て面白いですよ」
「聞いた覚えがないんだけど、私は」
「しょうゆが基本ですが、塩だともうちょっとあっさりした感じ、味噌だと温かくて濃厚な感じに仕上がりますね」
「魔法の話よね? 魔法の話で間違いないのよね?」
「ラー油は存在感が強いので気をつけて扱わないといけませんが、しょうゆにも味噌にも合いそうですね。今回は味噌で行きましょう。ピリ辛味噌、ですね。うふふ」
「魔法の実験してるのよね?」
白蓮は手元に銀色の皿を揃えていく。皿には草や粉、骨といった魔法研究ではよく使われるものが入っている。手順を見ていると、やはり魔法の実験だとわかる。
「香草、ねぎ、生姜、それから鶏だ。これで間違いないな?」
……
やはり魔法の実験だとわかる。
「ありがとうございます。これで、いけますね」
「よし、やるか」
「はい。と言っても、最初はこれをじっくり煮込むだけですけどね。焦らず、ゆっくりとやるのがコツです」
「火力は?」
「水がたっぷりなので、最初は強めで」
「了解だぜ」
「さて、これは丸一日煮込むことになりますので、触媒のほうの準備をしましょう」
「おう。小麦粉だな」
「はい。大変ですが、水と混ぜていっぱい捏ねましょう」
「ねえ魔法作ってるのよね?」
というわけで、丸一日鶏の骨を中心とした魔法薬を煮込んで、味噌とラー油がベースの増強剤を作り、最後に小麦粉と水を混ぜ合わせて捏ねて棒状に切りそろえた触媒を茹で上げて、全てを混ぜて完成である。
「はい、できました! 追尾ミサイル強化用の丸薬です」
「なんで!?」
アリスは全身と出せるだけの声をもってツッコんだ。
「おお? どうしてあの材料で追尾ミサイル強化になるんだ?」
「ラー油がポイントですね。あの辛さはミサイル弾との相性がいいはずです」
「いや……それ以前になんでその調理法……じゃない、調合法で、丸薬になるの……」
「うまくいったかどうかはまだ検証が必要ですが、発想は合ってると思います。ぜひとも結果をまたお伝えしていただければ」
「おう、すぐに試してくるぜ」
「……ふふ。ラー油は初めてでしたが、まだまだ面白い使い方はできそうですね。今度、魔界時代の仲間たちにも教えてあげましょう」
「えー……あなたと、同じような研究をしてた人が、魔界にも、いるんだ?」
「います。特にリーダー格だった『スパイス・マスター』鈴木は、私などではとても及ばない発想力で、創作魔法の世界を大きく広げていったものです」
「誰」
「創作魔法は、魔界でも私たちの地方だけの文化でしたからね。アリスさんがご存じないのは仕方がないかと思います。でも、きっと、彼はいずれ魔界に名を残す大魔法使いになりますよ」
「……」
どうやら自分は魔界出身のクセに、魔界のことをまだまだわかっていないらしい。
軽いめまいを覚えながら、アリスはしばらく帰らぬ故郷に思いを馳せるのだった。
これにて無事解決かといえば、そんなこともなく。
白蓮の独創的な魔法も、結局ラー油の消費量自体はあまり多くなく、さほど根本的な解決にはなっていないのだった。
「うーん……」
アリスは、地下の一室、通話機の前で迷っていた。
通話機は魔界に通じている。この部屋のみ、魔界と特殊な回線で接続しているのだ。故郷に万が一のことがあったとき、あるいはその逆のときのことを考えて準備された装置だ。魔界の内部、少なくともアリスがいた魔界の都市部では電話は普通に普及しているが、幻想郷には存在しない。そのため、魔法の力でこの通話機と魔界の回線の間を橋渡ししているのだ。
白蓮の話を聞くにつれて、やはり魔界の知恵は借りてみるのがいいのだろうか、という気になっていた。アリスが知らなかっただけで、魔界には調味料を魔法に使う一派がいるのだ。その彼らに使ってもらうのであれば、合理的な解決方法だと言えよう。
……が。
「……めったに使わない回線を使う用事が、ラー油って。ラー油って……」
特に定期連絡をしているわけでもないため、事実、片手で数えられるほどしか使用していない。向こうからしてみれば、かかってくれば、とても重要な用件だと思うだろう。
しかしラー油である。
無駄に気が重い。
……まあ、困りごとではある。放っておいても解決しそうにない。魔界に頼れば解決するのかという保障もないのだが、白蓮の様子を見る限り、数少ない希望ではあるのだ。
「……もしかすると、魔界はたまたまラー油が不足してて困ってる、なんてことも、あるかもしれないし」
ラー油が不足するという状況が想像できないが、アリスは自分に言い聞かせるように呟いて、通話機を手に取った。
「アリス、久しぶりね! 元気してる? ちゃんと食べてるー? 魚が恋しくない? こっちはね、いまカツオが旬で美味しいのよ。帰ってきたらいっぱい食べられるわよ。そうそう、新茶はまだ残ってる? そろそろまた送ったほうがいいかしら? 山のほうのお茶も今年は出来がよくてね、そっちも試してみてもいいと思うわ。これがまた大豊作で余ってるくらいで。あ、野菜はどう? 足りないものはない? トマトは手に入りにくいんじゃない? 言ってくれればなんでも送るからね。アリス、みかんも好きよね。まだシーズンじゃないけど頑張れば冷凍物だって送れるから遠慮しないでね。それと――」
「あ、あのっ」
繋がったとたんに、これである。喋る間もない。
いつもこんな感じだとはいえ、今日はさらにマシンガンだった。久しぶりだったということもあるのだろう。
「あ、ごめんね、なにかお話があるのかな?」
「……うん。そんな、たいした話じゃないんだけど」
あまり深刻に構えられるよりは、切り出しやすいとも言える。通話機の前で苦笑いを浮かべながら、アリスはここで一呼吸置いて、ストレートに切り出した。
「ラー油のいい使い道って、知らない?」
アリスの言葉に対して、少しの間、声は戻ってこなかった。
珍しい、と思い、言葉を補足すべきだろうかと考えているところで、ようやく返事が返ってきた。
「そっちでもラー油が流行ってるの?」
「え?」
「不思議ねー。こっちでも少し前からブームになってるのよ。創作魔法っていうのが雑誌で紹介されてね。そこで最新作として、今までにないラー油を使った魔法のレシピがあって」
通話機の向こう側から聞こえてくる予想外すぎる言葉に、アリスは、ああ思考が飛ぶというのはこういうことなのか、と実感していた。
「……それって、もしかして鈴木さんとかいう」
「アリスも知ってるんだ。そう、鈴木シェフの」
「シェフって言った今?」
「ただ、ラー油が足りてないのよ。だから試したくても試せない人が多くて」
「足りてない? ……足りてないって? 言った? 本当?」
「うん。間の悪い話なんだけどね。鈴木シェフが量産試験のためにいっぱいラー油買い占めただけど、思ったほど使わないことがわかったからまとめて問屋さんに売っちゃったんだって。で、問屋さんがそのまま所在不明でどこかに消えちゃった、という展開みたい」
「……」
さすが魔界の神、情報通だと言うべきか。むしろ、神の割にマスコミ程度なのはどうなのかと言うべきか。情報はほぼ伝聞系である。
しかし今は細かい点などどうでもよかった。魔界では、ラー油が足りていない。それが一番重要な情報である。そんなことがありえたのである。
「……魔界怖い」
「え?」
「いえなんでも。いい情報が聞けたわ。あのね実は――」
「完璧な解決。さすがアリスね」
咲夜はいつもどおりの冷静な声で言いながら、お茶を出した。
「……普通のお茶よね? これ」
「いいえ、高級茶葉ですわ」
「いやクオリティの話じゃなくてね」
「特急で煎れてきましたわ」
「速度の話でもなくてね」
念のため匂いをかいでみる。上等な紅茶の香りだ。とはいえ、咲夜は食品魔改造のプロである。油断はできない。美味しければそれでいいという考え方もなくはないのだが。
覚悟を決めて飲んでみる。……美味しかった。普通に。いや、普通以上に。
「結果はよかったけど、正直言って、偶然でしかないわ。たまたま、魔界でラー油魔法が流行ってて不足してただけ」
「やっぱり、魔界凄いということで」
「……もはや否定できない」
「でも言っておくけど、紅魔館も凄い」
「なんでいきなり張り合ってきた」
「ニンニクの匂いと辛い匂いに少し涙目になりながらも私の実験料理を止めなかったお嬢様凄い」
「それは自主的にやめてあげてねっ!?」
「『技術の進歩に、多少の犠牲は付き物だよ。構うことはないさ』――お嬢様凄い」
「やだちょっとかっこいい」
「涙目で」
「やだ絶対無理してる……」
後でレミリアの頭でも撫でにいってあげようかと思ってしまう。
間違いなく拒否されるだろうが。
「――ふう。ともあれ、これで解決ね。お疲れ様」
偶然とはいえ、依頼を解決したことは事実である。仕事の後のお茶は美味しい。
確かに高級茶葉なのだろう、いい香りだ。紅魔館ではお茶に外れはない。普通は。余計なことしなければ。
「もう一杯、注いでくるわね」
「いえ、もう結構よ。美味しいけどね。そろそろ図書館のほうに寄っていきたいし」
「もう一杯」
「なんでここで押してきた」
「せめて二杯」
「増やすな」
「実はお茶が余っていて」
「安くても必要以上に買うな! 頼むから!」
「お茶の魔法とか」
「あるかっ! …………うん、ある、かもしれないから、あとで聞いてみる」
アリス・マーガトロイドは、成長する。
じつにおもしろかったです。
アリス可愛い
タイトルからしてホイホイされた。
ボケツッコミが冴えてる。軽快なテンションでラストまでもってくる手腕は流石。
とても面白かったです
うん、ちょっとなに言ってるかわかんない
皆可愛いなーw
魔法とは……なんなんだろうか……w
スパイスマスター鈴木が完全に不意打ちだった
あとその問屋も誰だよ!
絶対にその問屋が黒幕だろ!
アリス可愛い!
おぜう撫で撫で。
聖が魚で魔法を使うと聞いてSSWを思い出したのは私だけでいい。
アリスは遠慮せずに思う存分撫でてあげるべき
>これがまた大豊作で余ってるくらいで。
神綺様もこういってるくらいだし。
……まさかこの大量のお茶は魔界産?
あ、霊夢にプレゼントしたらどうですか?
茹でたモヤシがないのか……。
もう咲夜さんとアリスで結婚すればいいんじゃないかな
良いラー油、じゃなかった、魔界、でもなかった、アリスでした……あれ?
お腹が空いてきた
苦労人だからかなw
アリスのツッコミはもはや芸術の域だな……
面白かったです。
まだスクロールバー半分も超えてなかったぜ…。
最初から最後まで楽しませていただきました。 アリスさん成長できてよかったね!
アリス可愛い。
近くに中華屋ないのに餃子食いたくなってきた……