『座ると運気が上がります!』
ふむ?
里に買い出しに来た時であった。店先にそんな文言が書いてあったので儂は顔を寄せて、店先に置かれた木製の椅子を眺めた。ただの木製の椅子じゃった。
困ったのう。何も、変わったものには見えぬ。じゃが、儂は座ることにした。つまらぬと切り捨てるのは無粋というもの。店の者が見えれば声を掛け、聞いて、いかに中身のない話じゃろうとくだらぬと笑うのが良い。どんなつまらぬことだろうと楽しむのがこのマミゾウ姐さんの流儀であろう。
丁度疲れも溜まっておったところじゃったから、それはそれで都合が良かった。荷物の入った布袋を地面に降ろして、は、と息を吐き、肩をぐりぐりと按摩した。
「疲れたのぅ」
それにしても。里に儂を買い出しに行かせるとは、命蓮寺の連中も大したもんじゃ。あそこの連中からすれば儂はだらだらとしておるだけの食客だからのう。
儂はぼうっと目をつぶって、ここに来るまでのことを思い出してみた。
『響子、お金持った?』
『うん。持った持った。行こ行こ、ぬえ』
儂は起き抜けで、瓢箪を持って、部屋としてあてがわれておる客室を抜け出したところであった。廊下では命蓮寺のろり担当が二人して、戯れておったのじゃった。儂も混ざろうとした訳ではないが、その気ままな様子に誘われて、軽い気持ちで声を掛けたのじゃ。
『二人とも、出掛けるのかの?』
『あ、マミゾウだ』
『マミゾウさんっ。ちょっと買い物に、行ってきますっ』
『ほほう。気をつけて行ってくるが良いぞ』
縁側に出てひなたぼっこでもしようと思っていたのじゃ。起き抜けであったし、動く気分でもなかったからの。幸い晴れ渡っておるが風は涼しいし、だらだらと酒を飲むには最高の日和じゃった。
『マミゾウも行けばいいんじゃん』
『ぬ?』
『あ! マミゾウさん、良かったら手伝ってもらえませんか? 少し、買わなくちゃいけないもの多くって。ぬえにも頼んだんだけど、足りないかもしれないの』
『ぬぅ』
『縁側でお酒飲んでだらだらしてるなら、いいじゃん』
昔から連れ合ってきただけのことはある。ぬえは儂のことを見透かしておった。ふむ。面倒ではあるがまぁ、その面倒さも気怠さも一興であるか。
『よいぞ。じゃが、相応の見返りはあるんじゃろうな?』
『そうだね。甘味屋で一杯なんてどう?』
『ほっほっほ。ぬえも気が利くようになったのう』
『やったね響子、マミゾウが奢ってくれるってさ』
『ほんとですか? やったぁ!』
バナナサンデー。ハニートースト。カスタードプリン。抹茶ケーキ。餡蜜。みたらし団子。葛切り。ミルフィーユ。クレープ。
並べ立てられるすいーつの名前で、まるで花が咲き乱れるかのごとくに美麗に過ぎる二人の会話を聞きながら、後ろをついて里まで来たのじゃったな。
瞳を閉じておっても、風が吹き抜けてゆく気配を感じることができた。止まって、座り込んでおると風は涼しく感じられたが、陽光の下歩いておると苛まれておるかのように暑かった。もう夏じゃのう。こないだまで春だったと思うたのにのう。
目を開けると、人の良さそうな作務衣姿の青年が儂の横に立っておった。目を開けると笑いかけてきて、益々人の良さそうな表情になって、儂に透明な切り子細工の湯飲みを手渡してくれた。「有り難い」一も二もなく受け取り、口元で傾ける。熱の籠もった身体に、よく冷えた茶が心地よい。中でたゆたっておった薄緑の液体が、さらりとした喉越しの感触を残してゆく。湯飲みを日にかざし、炎の揺らめくような湛えられた水と、見事な装飾の切り子細工を眺めた。腕の良い職人が作ったもののようだの。儂は湯飲みから青年へと目を移した。
「近頃はめっきり暑くなったのう」
「えぇ。まだまだ暑くなりますね」
うひ、小さく呻くと、青年は笑い、その場で僅かばかり佇んでおった。ふむ。小道具屋のようじゃが、退屈なのかもしれぬ。流行っておらぬのだろうか、と思うよりも、これが幻想郷の流儀なのじゃろうの。儂は草履を脱いで右足を上げ、左足の上に置いた。
「のぅ、店の者よ。儂は一つ聞きたかったんじゃがのう、この運気とは何なのじゃ?」
「あぁ、特別な意味はないんですよ」
なんじゃ、やはりか。まぁ、どうでも良いがの。儂は僅かな落胆と共に、再び湯飲みを傾けた。温度は急速に温く感じられる。
「そこに座るのが好きだったお婆ちゃんがいましてね。そのお婆ちゃんの口癖だったんですよ。ここはわしの場所じゃ、ここにおるお陰でこの年まで生きてこれた、って」
「ふむ。それはそれは、由緒あるお席なのじゃな。しかし、それでは、そのお方が来た時に邪魔ではないのかの」
「数年前に亡くなりました」
ふむ。少し、失言であったかの。年月には勝てぬ。自然の理とは言え。
「悪かったの」
「お婆ちゃんがいなくなるとき、何か残したいな、と思って。書いたんです。ここに座る人が、そのお婆ちゃんみたいに長生きして幸せしてくれればいいなって」
青年は照れ臭そうに笑っていた。随分と大事にしておったんじゃのう。笑って話すようになれたのにも、時間がかかったのかもしれぬ。青年に見えておったが、思ったより若くはないのかもしれぬ。
「鎮魂には最善であろうよ」
儂は一度立って、手を合わせた。ここに来たばかりで、お主の顔も知らぬ。じゃが、誰もが敬意を払っておる。ここに座り、椅子のことを気にした者は皆、知っておるのだ。
「お借りするぞ」
そうぽつりと言い、儂は再び座った。何の意味もないことじゃ。あまり多くの気をやるのも、良いことではない。湯飲みを青年に返し、煙管を取り出した。刻み煙草を詰めたところで、火がないのに気付き、ふむ、と悩んだ。
「火は」
「こちらに」
おいておらんかの、と言いかけたところで、青年はそれより先に燐寸を取り出していた。
「早いの」
「お婆ちゃんも良く吸っていましたから。……影響で僕まで吸うようになってしまって。僕も、一服、構いませんかね」
「儂を気にすることはいらん」
ぱくぱくと煙管を咥え、煙を肺に入れると、青年も巻き煙草をくわえ、燐寸を吸って火をつけた。燐寸を振って火を消し、木の籠を持って帰ってくる。灰を詰めた、陶器の灰皿が入っておった。
「何だか、お婆ちゃんのことを思い出します」
「馬鹿を言うな、今日来たばかりの者に。ここには何人もの、そのお婆ちゃんを懐かしむ者が座るのであろ。それに、何じゃ。このうら若き姿をした儂に、言うに事欠いて、お婆ちゃんとは。どう控え目に見ても妙齢の美女であろう」
青年は儂をまじまじと見、それから天を仰いではは、と心底、楽しそうに笑った。儂は笑うようなことを言ったかのう? 心底、傷付くぞう。とまあ嘯いてみても、実際のところが実際なのだから、特別気にしてはおらぬ。
「本当だ。どうしてだろう。あなたのような若い方に。でも、どうしてかよく似てる。姿形ではなくて、立ち振る舞いとか、雰囲気だとか……すごく、落ち着いていて、気を休めている、そんな風情がお婆ちゃんと重なっていて。……気を悪くしたかな。すみません」
「良い良い、そんなことを気にする儂ではない。実際儂も歳を取っておる。分かるであろう」
尻尾も耳も、隠そうともしていない。妖怪であっても、里におって、話が通じれば物怖じもしない。幻想郷の流儀であるな。佐渡でも、そうした人間がいないでもなかったが。
さて。少し、長居をしてしまったか。まだ吸えそうではあったが、儂は左手を添えて灰を捨て、熱の残る煙管を胸元にしまった。
「世話を掛けたのう」
「いえいえ。元々、のんびりしていられるように作ったのですから。もっと、ゆっくりしていって下さっても構わないのですよ」
「儂の方も連れがおっての。探しておるかもしれぬ。そろそろ、お暇させてもらうが、とは言え、ただ座っておっただけでは悪いのう」
儂は立ち上がり、荷物を提げて、店の中に入った。中には、棚が左右に二つずつ並び、正面に腰ほどの高さの陳列棚には、毛氈が敷かれ、その上に切り子の湯飲みが十ほど並べてあった。
「先ほどのは、お主の作であったか」
「はい」
色取り取りの切り子細工。湯飲みというよりは、グラスという方が相応しい。儂も幾度か眺めたが。儂はその一つを、無礼だとは思いながら持ち上げ、角度を変えて眺めた。どの角度から眺めても、切り口の深さは変わらず、均一に保たれている。並ぶ切り口も、僅かなズレもない。
良いものじゃのう。儂は、すっかり気に入ってしまった。
「二つほど頂こうかの」
「ありがとうございます」
「包まなくてもよいぞ。そのままで構わん」
儂は財布のがま口から紙幣と硬貨を手渡して、代わりに受けとった二つの細工を手の中で転がして、その感触を楽しみながら、確かめた。
「そういう訳でお主らにくれてやる」
「わー、ありがとうございます、マミゾウさん」
「そんな安物のより甘味がいい」
安物じゃとう。それなりに値は張ったわ。
待ち合わせ場所の甘味屋の前で、買い物を終えて、待たされてぶちぶち文句を言うぬえと大人しくなだめながら響子が、二人して待っておった。合流して店の中に入ってから、儂は二人にそれぞれ、グラスを手渡してやった。
「お主らは単純じゃのう」
「マミゾウだって単純じゃん。そんな謳い文句に引っかかって、湯飲み買わされちゃってさ。結局そのお店が得しただけじゃない」
「そのお婆ちゃんが、亡くなったあともお店を繁盛させようとしてるんですよ。そのお店の近くにずっといたのに、嫌いな訳ないから」
「そういう風に考えると美談に聞こえるよね」
もう、と笑いながら響子がグラスを懐にしまう。ぬえも、文句を言いながらも、きちんと袋に入れて、手提げの中にしまった。
「結局、運気上がってないよね」
「うむ。じゃが、運気とはそう簡単には上がらないものかもしれぬぞ。何年もして顕れてくるものかもしれぬ」
「私達の運気は上がりましたけどね」
うん? 私もぬえも、二人して響子を見る。
「その椅子を見て、座って、湯飲みを買って、私達にあげようかな、って思って。そういう風に繋がってて。そういうのがきっと、その店の運気なんですよ。これから、マミゾウさんがまた里に来たら、その場所を通じて、またいいことがあるかもしれません。また、マミゾウさんを通じて私達にも」
はは、とぬえが笑い、儂もくは、と笑った。煙管に火をつけると、チョコパフェが運ばれてくる。目を輝かせた二人が、我先にとスプーンをパフェに突き刺し始める。
店先の椅子に座って煙管をふかしてるマミゾウさんをがありあり浮かんで、なんとなく絵になるなーと思った。
マミゾウさんマジ人情狸
すごくマミゾウらしい雰囲気