「か……ったりー」
法廷の机に足を投げ出し、くっちゃくっちゃとガムを噛みながら映姫は呟いた。
椅子の背もたれに体重を預け、ぐらぐらと倒れるか倒れないかのところを維持している。
「四季様ー、魂はいりまーす」
「あいよー」
小町の声に返事をし、しかし体勢を改める様子は全く無い。
そのままふよふよした白いもやのようなものを従えた小町が目の前までやって来る。彼女の差し出した一枚の書類を受け取り、それをぼんやりと眺めた。
「判決を」
「うむ」
映姫は懐から鏡を取り出して、その中を覗き込む。
「あぁいけませんねこれは。お地蔵様のお供え物つまみ食いしちゃったことありますね。これ万死に値しますよ。万回死なないといけませんよ」
くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃぐら、ぐら、ぐら。
「うそうそ、冗談ですよ。お地蔵様のお供え物は食べてもよござんす。ただし飢え死に寸前に限りますがね。まぁ飢え死に寸前だったんでセーフです。どう、びびっちゃいました?」
「魂は喋れませんよ」
「わぁーってるわよこまっちゃん。閻魔は魂の声が聞こえるの。耳じゃなくて魂で聞くのよ。まだまだ修行が足りないわね」
「さーせん」
「許す!」
ぺっちゃくっちゃぺっちゃくっちゃぐら、ぐら、ぐら。
「えーと何だっけ? あぁそうそう。えーとね、あなたの魂はですね、ヒッジョーにゼンコーを積んでるんでね、もう天国一択ですね。今輪廻の方順番待ちで六十年ぐらいかかりますから、それまで天国満喫しちゃって下さい。はい、よろ、しく!」
映姫は書類の上にどんと判子を押し付けると、それを小町に返してまたぐったりとした。
「じゃ案内しちゃって~」
「ほいさっさ」
小町の後について、その魂は出て行った。ただ、心なしかさっきよりも魂の色がくすんでいるような気がしたが、映姫は無視した。
死んでから学ぶこともある。世の中こんなもんだ、ということを閻魔様は身をもって示したのである。んなアホな。
くっちゃくっちゃくっちゃ、ぐら、がこ。
「四季様ー、魂はいりまーす」
「あいよー」
また同じように小町が魂を連れてくる。
「判決を」
「下そう」
鏡を覗く。しばらくして、映姫は首をひねった。
「こんなに可もなく不可もなくな人生そう無いわよ」
「悩みますか」
「うーん、まぁ善行積んでないんだから天国行かすのは癪だし、でも地獄落とす程のこともしてないし……あなたこんな生き方で楽しかったですか?」
魂に問いかける。返事は無い。しかし白いもやが小刻みに震えている。
小町は思った。これ絶対泣いてる。表情も声も無いけどこれ絶対泣いてる。
「あ、いいこと思いついた」
「何ですか」
「私が今噛んでるガム、これ膨らましたやつを指で触って、割れなかったら天国行きでいいわ」
「いいんですか」
「この方にギャンブルというものを教えてあげるのよ」
そう言って悪い笑みを浮かべる。
くっちゃくっちゃ……ぷ、くぅ~……。
映姫の口から紫色の風船が生まれる。皮が伸びてうっすら透明になる程まで膨らましたところで止めて、人差し指をそ~っと近づける。
ちょん。
割れなかった。
ぱふっ。はも、もぐくっちゃくっちゃ。
「はいセーフ! という訳で天国行き獲得おめっとござんます。ネクスト転生までヘブンをエンジョイしてプリーズ」
「本当に良かですか」
「よかよか! 案内プリーズ」
「了解プリーズ」
小町の後について出て行く魂。何だかめらめらと白いもやが滾っている。
見事天国行きを勝ち取ったそれは、死後にして初めてそのような駆け引きの面白さを知ったのだろう。閻魔様々である。
かち、かち、しゅぼ……ぷはぁー。くっちゃくっちゃ。ぐら、ぐら。
映姫はガムを口に入れたままタバコに火をつけると、思い切り煙を肺にためこめこんで一気に吐き出した。
ぼわわんと口から出てくる雲山……ではなくただの煙。
「やっぱ地獄でも良かったかなー、さっきの」
「四季様ー、魂はいりまーす」
「あいよー」
またまた連れて来られた魂。
「判決を」
「これ吸い終わるまで待って」
「あいさー」
タバコを口に咥えたまま鏡を見る。と、彼女の眉間に皺が寄った。
「ぱっはー、いやいやいやこーれはいかんですよあなた。いやホントマジでマジで。洒落んなってないですよ。ミジンコ程度に善行も積んでますけどね、こりゃあちょっと、ねぇ」
「どうします?」
「地獄行き!……と言いたいところだけど」
魂に向けてチッと舌打ちする。
「この魂さんもギャンブルやってたみたいね。ワンチャンあげようかしら。えーと……じゃあ椅子、椅子で決めましょか」
「椅子ですか」
「そ。私が今座りながらぐらぐら傾けてる椅子。私、机蹴るから、それで後ろに倒れちゃったら地獄行き。倒れなかったら天国でいいわ」
「さいですか」
映姫は背もたれに体重を掛けたまま、机に掛けた足をぐいっと伸ばした。その勢いで椅子が後ろに傾く。
ぐら、ぐら、ぐら……がたんっ。
少し速度は落ちたものの、結局椅子は耐え切れずにバタンと倒れた。
「痛ッ、いったぁ。頭打ったわ、この魂のせいでケガした。当然地獄行き、ざまみろおっぱっぴー。天国期待しちゃいました? 残念、世の中そんなに甘かないです。小町、閻魔暴行罪で刑さらに重くしといて」
「イエス、マム」
小町に引きずられていく魂。映姫はもはやそちらには一瞥もくれずに、またタバコに火をつけた。
すー、ぷはぁ……くちゃくっちゃくちゃ。
「ま、色々まわりくどいこと言ってみたけどねぇ」
くっちゃくっちゃすー、ぷはぁ。
「死んだ時点で地獄行きのやつは決まってんのよね」
映姫は一人先ほどの魂のことを思い浮かべて吹き出した。
ぷーくすくす。ふぅ。すー……ぱっはー。くっちゃくっちゃ。
「四季様ー、魂はいりまーす」
「あいよー」
見てるほうまで力が抜けてきました。
閻魔様はやっぱり貫禄あるな
後これはこれでアリだな