「フフフ、困ったことになったわ……」
手を伸ばせば両の壁に届く程の小さな部屋。
部屋の中央には白い陶器の椅子が一つ備え付けられている。普通の椅子と違うのは、中央部分が深い窪みになっており水が流れる仕組みになっていることだろうか。
その椅子の後ろには水のたまったタンクがあり、取っ手を捻ることで水が流れる様になっている。
さらにその背後の壁にはピンク色の可愛らしい時計が掛けられており、チクタクと一定の間隔で時間を刻んでいる。
天井には換気用のダクトが設けられており、窓は無い。窓があれば当然光が差し込む。
吸血鬼の住む館においてそれは欠陥住宅と言っても差し支えないだろう。
家の中である種、最も安らぐはずの空間で気がついたら灰になっていた、なんて笑い話にもならない。
唯一の出入り口である木製のドアにはドアノブと一体式の鍵がついている。
小さな鍵でありながら、今はまるで博麗の巫女の如き絶対的な存在感をはなっていた。
陶器の椅子に座り、頭を抱え、
「鍵が壊れた……」
私、レミリア・スカーレットはうな垂れながら呟いた。
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座ったまま無言で前方に手を伸ばす。
ドアノブを握り、一呼吸置いてから意を決してゆっくりと捻った。
"ガチンッ"と金属がぶつかりあう独特の不協和音が鳴る。
諦めてドアノブから手を離し、再度頭を抱えた。
「落ち着け……。落ち着くのよ私……。ツェペシュの末裔はうろたえないっ」
まずは状況を整理しよう。
窓、無し。
出口、ドアのみ。
ドア、開かない。
鍵、壊れてる。
オゥ……ぶろーくんまいはーと。
「ていうか陶器の椅子ってなによ! それっぽく言ってみても状況はかわらんわ!」
手を振り上げながら宙に向かって叫ぶ。
現在位置、トイレ。
普段ならば心休まるこの空間も、いまや焦燥感を募らせるだけである。
ドアにかけられたカレンダーの赤い丸が無駄に腹立たしい。厭味か。
「単純な解決策としては、やはり鍵を壊すことかしら」
鍵のある位置を見据え、腕に少し力を入れてながら呟いた。
簡素な物ではあるが一体式の為、鍵だけを壊すというのは些か難しい。
となればドアノブごと破壊するしかない。
となればそれはドアを破壊するということである。
「────咲夜に怒られる……」
以前一度だけ咲夜を怒らせてしまったことがある。
目の笑ってない笑みを顔に貼り付けナイフを持ったまま、こちらに真っ直ぐゆっくりと背筋よく歩いてくる様は、ホラー物にでてくる吸血鬼や殺人鬼よりもよっぽどモンスターだった。
それ以来、私は彼女を絶対に怒らせまいと心に誓ったのだ。
窓の無い個室で光が差し込んでいないにも関わらず、私は真っ白な灰になったかの様にうな垂れた。
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「グングニル……。いや、ここはクレイドルの方がカッコイイか?」
数分前に自分で言ったことを撤回し、もういっそ大人しく怒られた方が精神的にいいのではないか、と思い直した私は如何にカリスマを迸らせながらドアをぶち抜くか考えていた。
クレイドルからの勢いを利用したスカーレット土下座。うん、いいかもしれない。
「お嬢様?」
「せぷてっ!」
突然ドア越しに声をかけられ、驚きすぎて謎な声が出てしまった。
それはともかくとして今の声はまさか、
「さ、咲夜?」
「はい。何度かノックはさせて頂いたのですが、お返事がなかったので声をおかけしました」
考えに耽っていたせいかノックの音は全然聞こえていなかった。
「そ、そう。心配掛けさせたわね。それで何の用かしら」
私は鍵が壊れた事や焦りを気取られない様に返事を返した。
ここで正直に言えば解決な気がするが、言えやしない。トイレに閉じ込められたなんていうのは私のプライドが言わせてくれない。
「……。いえ。中々戻られないので、もしやお身体の具合がよろしくないのではと思いまして」
そう言われて時計を見ると、トイレに篭ってから小一時間ほど経過していた。
まさかこんな所で心を折られるだなんて、一時間前の私は予想だにしなかっただろう
「大丈夫だ、問題ない。私の事はいいから自分の仕事に戻りなさい」
「そう、ですか。分かりました。……それでは失礼します」
咲夜の足音が完全に聞えなくなる頃には、私は顔を手で覆って俯いていた。
「意地張らなきゃよかった……」
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「フフ、これで右手の三連勝ね。さあ後が無いわよ左手?」
ドアごと破壊するのを放棄した私は、現実も放棄してスカーレット式一人じゃんけんに興じていた。
若干視界が霞んで見えるのは気のせいに違いない。スカーレットアイは透視力なのだから。
あー、なんで私こんな所でこんなことしてるんだろうなー。
キッチンの戸棚に奥にあったケーキを勝手に食べたのがいけなかったのか。
それとも昨日の夕飯のスープに入っていた人参を残したのが悪かったのだろうか。
こっそり皿の端に除けておいた筈なのに、パチェに見つかって咲夜に告げ口されてしまった。
今度腹いせとして、図書館の椅子に接着剤を塗りこんでおこうかと思っている。
『動かない大図書館』より『動けない大図書館』の方が幾分か健康的じゃないか? 「あぁ、動けないんじゃあ仕方ないよなあ」的な感じで。
大体あのもやしっ娘ときたら何が、「従者が健康を考えて作ってくれている料理を残すのは御当主としてどうなのかしらね」よ。人の健康を心配する前に自分の心配をしろと言いたい。
ああ、健康といえば、トイレに篭ってからずっと下着を脱いだままなので若干お腹が冷えてきた気がする。
「お姉さま?」
ふと軽いノックの音と共に誰かに呼ばれた。
誰かに、と言っても私の事を姉と呼ぶ存在は一人しかいない。
「フラン?」
「うん……。ねぇ」
そういえばここ一ヶ月ほどだろうか、フランドールの様子もどこか変だ。なんというか、浮ついた感じがするのだ。
食事の時、たまに私の方をチラチラと覗き見ては俯いて、を繰り返しているし、話の最中も終始返事がふわふわしていて今いち要領を得なかった。
気のせいか、私から隠れるようにこそこそと何かしているような気配もある。
姉である私としては可愛い妹が離れていった様で寂しい気持ちもあるが、それ以上に大人しくなってくれたようで嬉しくもあった。
「……お姉さま?」
「うん? 何かしら」
「えっと、あのね? ……や、やっぱりなんでもない!」
やはりよく分からない。フランドールは一体何をしたいのだろうか。
確かに暴れ回って屋敷を破壊するよりは大人しくしてくれているほうがいい。
だがしかし、いくら大人しいといってもコミュニケーションが上手くとれないのはまた別の問題である。
──大人しく?
「じゃあまたあとでねお姉さまっ」
「待ちなさいフラン!」
その時、かつてないスピードで私の脳細胞が目まぐるしく駆け巡っていた。
──窓の無い密室。
──壊れた鍵。
──壊せないドア。
──大人しくなったフランドール。
──閉じ込められた私。
多種多様な要素が混ざり解け合い、私はある一つの作戦をはじき出した!
しかし私一人では完遂することは不可能だ。そう、その作戦には我が自慢の妹であるフランドールの能力が必要不可欠なのだ。
「フラン、貴女に一つ、手伝って欲しいことがあるわ」
「な、なに?」
全ての問題点を、そしてこの現状を打開する天才的発想に相応しい作戦名を、勢いよく便器から立ち上がり私は高らかに宣言した。
「『プロジェクト・シュリュセルスカーレット』よ!」
ドアの向こうでフランドールは、「またか」とでもいうように頭を抱えてうな垂れる気配がした。
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「で、そのしゅりゅしぇ……、しゅりゅせりゅ……、なんとかスカーレットってなんなの?」
「フフフ、よく聞いてくれた! 『シュリュシェリュシュカーレット』とはすなわち『赤き鍵』、これはこの作戦の要でもあるフランドール、貴女のことであり更には私をこの空間に閉じ込めている原因である憎き鍵そのものでもあるわ!」
「言えてないし内容を聞いたんだしこの鍵別に赤くないし。そもそもお姉さまトイレに閉じ込められてたの? ……ぷぷっ」
「わ、笑ったわね、今笑ったわね!? いいフラン? この事は我がスカーレット家の最高機密事項よ! 棺桶の中までもっていきなさい!」
「ウンワカッター。それで私はどうすればいいの? ブルーレットお姉さま……ぶぷふっ」
「言っとくけどファミリーネームはお前にもダメージいくからな! それよりも作戦内容を教えるわ!」
自分で言った呼び方がツボに入ったらしく、小さな笑いが漏れ続けてるフランドール。
そんな彼女に聞こえる様に、私は作戦内容を説明した。
「といっても作戦はいたって簡単なものよ。元凶であるこのドアについている鍵。それのみを貴女の能力で破壊するのよ!」
「なるほどなーそういうことね。でも私、そんなに細かく制御できないよ?」
「その点は大丈夫。今のフランなら出来る筈よ!」
そう、最近のすっかり大人しくなった、すなわち精神的に最高潮に落ち着いている今のフランドールならば、これまで振り回すだけだった、あらゆるものを破壊する能力を支配下に置くことも可能なはず。
つまりピンポイントで鍵のみを破壊できる。
つまりドアを壊さなくて済む。
つまり! 私が咲夜に怒られなくて済む!
そしてここから出れればこちらのもの。何食わぬ顔で出て行き、鍵は最初から壊れていて閉まらなかったと咲夜か美鈴に伝えて取り替えて貰えばいい。出来れば美鈴で。
フフフ、トイレに閉じ込められて便器に座ったままの半泣きの吸血鬼なんていなかったのよ!
「さあ、一思いにやりなさいフラン!」
「うーん、やってはみるけどトイレごと吹き飛んでも文句言わないでよ?」
──風が、変わった。
ドアと床にある数ミリの隙間を除けば完全に密室であるにも関わらず、私は強い空気の流れを感じた。
存在感。はたまた威圧感。先程までの弛緩したものとは明らかに違うソレはフランドールの殺意ともいえる能力発動の気配を纏い、一点へと矛先を向けていく。
全てのモノをすべからく破壊するその圧倒的な力を向けられて尚、鍵とドアは悠然と私たちの前に立ちはだかっている。
私は便器に座ったまま目を閉じ心を集中させる。すると向こう側で必死に能力を制御しようとしているフランドールの姿が、まるで目の前にいるかの様に鮮明に見える。そして、その力の流れも。
(やはり拡散してしまってるか)
運命を操る程度の能力。
フランドールの能力を剛とするならば、私の能力はいわば柔。彼女が『目』を握るように私は『線』を絶つ。
『線』とは、即ち可能性。
「──っ!」
やはり小さな鍵の『目』を見つけるのは困難な様で、フランドールは苦悶の表情を浮かべた。
あまり時間的にも余裕はない。ひとたび気を抜けば彼女の能力は恐らく今にでも暴発し、トイレごと私を粉砕するだろう。
彼女が目視できない鍵の『目』を見つける為にはなった力場。そこからコントロールしきれずに広がった力。
私はその力から、鍵以外へと繋がる『線』を指でなぞり、絶ち切った。
そして、全ての力は自ずと鍵へと収束し、
「見つけた!」
フランドールの手の中へとおさまった。
そして彼女は、
「きゅっとしてえぇぇぇ──」
その手に持った『目』を──
「──ドカーン!」
──力強く握り締めた。
ばきんっ
と、金属の砕ける音が聞こえた。
私は息を飲み、ドアノブを握り回した。
そのまま押すとドアは音も立てずにゆっくりと開いた。すると粉々に砕け散った鍵だったものだけが地面に落ち、けたたましい音を響かせた。
そして私は数時間ぶりに外の空気を吸うことができた。
「お、お姉さま。わた、私」
外に立っていたフランドールが信じられないという表情で自分の掌と私を見比べる。
「私は何もしてないわよ」
事実だ。私がしたのはただ可能性を剪定しただけだ。
フランドール自身が頑張らなければ、彼女の放たれた能力は残された『線』を辿ることも無く消滅しただろう。
だから、私は何もしていないのだ。
「やればできるじゃないの。フラン」
手の掛かった自慢の妹の頭を、微笑みながら撫でてやる。
彼女は顔を手で覆い隠し、一言だけ叫んだ。
「パンツ穿いてよ!」
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「いやあトイレの鍵は強敵だったわ。マジで」
「咲夜を呼べばよかったのに」
下着とスカートを穿いた私は、改めてフランドールと歓喜の抱擁をしていた。
「トイレに閉じ込められたなんて言えないわ。恥ずかしいじゃないの」
「あー、それもそうね……。ぷぷっ」
「ま、また笑ったわねっ! ……ふふ、うふふふ」
自分で思っている以上に気が張っていたのだろう。外に出れたことで緊張が解けて、私もつられて笑ってしまった。
今の状況でなら、今のフランドールになら聞けるだろうか。
「ねえフラン。最近様子がおかしいけれど、何かあったの?」
「……じゃあ、私からも一つ聞いていい?」
「何?」
「戸棚のケーキ、食べた?」
ああ、あれはフランドールのだったのか。
しかし思い返せばあのケーキを食べたせいでお腹が痛くなり、トイレに閉じ込められるはめになった気がする。
「ええ食べたわ、ごめんなさいね。でもあれ、少し古かったのか痛んでたみたいだ。おかげでこんなことに」
「あれ今朝私が作ったの」
「…………」
神の祝福よりも不吉な言葉が聞こえた。
私が口を開こうとすると、それを遮る様に脇腹の辺りからメリッという骨が軋む音が鳴った。
私を抱きしめているフランドールの腕が、より締めつけを増している。
この数秒で尋常ではない量の冷や汗を流し始めた私を気にする事無く、彼女は続けて言った。
「先月くらいから咲夜に作り方を教わってたんだ。それで、今日お姉さまの誕生日だから一人で頑張って作ったんだけど……。そう、そういうこと言うんだ」
フランドールの腕に籠められた力が更に増す。
私は彼女の肩をタップしつつ、なんとか声を絞り出した。
「フラっ……ちょぉ落ちつっ……」
あ、ダメだこれ、折れる。
しかし今のフランドールには、私の骨が折れた程度では容赦という慈悲はなかった。
いやむしろ一思いにやってくれるのが慈悲なのだろうか。
「ぎゅっとしてぇぇぇ──」
最早フランドールに私の言葉が届くことは無い。
そして目の前にいる半泣きの吸血鬼は、私に対して処刑宣告を下した。
「──どかああああああああああん!」
「せぷてッ──────────!」
フランちゃん可愛い
楽しんでいただけたようで何よりです
あれ・・・お嬢様の可愛さとカリスマ的なものを全面に押し出したはずなのに・・・
フランちゃんの人気に嫉妬
久しぶりに持ち帰りたいおぜうさまでした、ありがとうございます。
すりかえておいたのさっ!(頭皮的な意味で)
お持ち帰るともれなくあちらこちらに接着剤が塗りたくられます。
>>9さん
ありがとうございます
どちらかというとレミフラですが、そう言ってもらえると嬉しいです
パンツの色は勿論紅ですよね?
次回はお嬢様が咲夜さんに気づかれないように鍵を取り替える話です
すいません嘘です
フリフリがついていたら、素晴らしいと思います