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「こんばんわ」
「……おはよ」
温もりに、抱えられている気がした。
「待っていたの?」
「読書ついで。罪悪感とか謝礼が欲しくてしていた訳じゃない」
「事実として聞いただけよ」
「待ってた」
「よろしい」
しなやかな指が髪を滑る。よく出来ました、とでも言われているような加減。
そんなモノを求めていたつもりは無いので、少し疎ましげに払った。
ああ何を無粋な────本音の嘆きだけは、隠れない。
「……いい寝つきだったようね」
「そう? 寝ていたから、詳しい事は」
「いつも以上に温かいから。赤ん坊でも、こんなにいい体温していたかどうか」
「代謝がいいのよ、きっと」
「……代謝、ねぇ」
軽く、頬をつまむ指は面白半分に伸ばしたり、縮めたり。
「羨ましいのでしょう」
「ええ、とっても」
弄り回していた動きを止め、撫でるように包まれる。
「手つきが卑猥、そこはかとなく」
「この程度でそんな形容していいのかしら」
「これだから人間は。すぐ発情の方向に持っていく」
「元人間が何を言ってるのか」
「あくまで元。今の私はそれ以上よ。超越者なの」
「いやらしさが?」
「発情関係から離れて頂戴」
夜気を孕んだ風が傍らを過ぎる。
火照る錯覚に佇む私を冷ましてくれるようで、ありがたい。
窓辺の席がお気に入りだった事に感謝しよう。
「いやらしさはともかく、本当に人外って気がしない。貴女は」
「慣れすぎたのよ」
「──どちらが?」
「どちらも、ね」
私は元が付いて、彼女は朱に交わり過ぎて──素養の方も、あったかも知れない。
「嫌い? 規定に収まらず、計れない異端は」
「その規定の基準が明確で、普遍の不変を信じられるモノならば、どうだったか」
「新世界でも創りなさい。全てが支持をしてくれる」
「身に余る業ね。寂れ者同士で肩を寄せ合って……そのついでにこんな鈍色の夢を繰り広げていれば、丁度いいわ」
「そう。……そうね」
あまり良い色ではないけれど、たまに覗き込む分には話のタネで収まる。
いい趣味よ、全く。
「意外よ、結構。傷の舐め合いじみた集まりが、そんなに気に入ってたなんて」
「解釈ね。私はそれほど悲観はしていない。素敵でしょう? この環境」
「悪趣味極まった問いはまさしく罠である。閉口すべし」
「一番に罠へ引き込んで欲しい性格のクセをして」
「誰の話でしょうか」
「追い詰められたいのならそう言えばいいのよ?」
「好みじゃあない、興味ではあるけど」
「残念。無理強いは旨くないものね」
魅力のある誘いならば厭う事はないと、言っているのに。
腰に回っていた腕が伸びると、指先を絡められた。──少し、冷たい。
「……体、冷やさない? こんな場所で着の身着のまま、ぽつねんと」
「赤子紛いの体温と聞いたけど」
「体感。貴女の」
「……それ程長くいた訳でも、何より、魔法遣いは冷血なの。地獄の炎にくべられても心からの哄笑で遂げられるように」
「ああ、温度がほとんど分からないって話」
「ヒトをなんとも思わないのよ、徹底して」
「孤独でも、他人が気にならないと言うことかしら」
「そんな繊細、魔道にそぐわないでしょう」
「可愛らしいとは思うけど」
「…………可愛い魔法遣いがいいの? 随分な夢想だことね」
「ひねていても、好きになれるなら」
「可愛が前提なのは結局揺るがない、と」
「それはもちろん」
「卑しいメイド」
「全てのメイドが如何わしいような言い方は止しなさいな」
「自分は?」
「可愛い魔法遣いに現を抜かしたい卑しいメイドですわ」
「俗物ね」
「言われると思った」
ぺちっ、と。
軽快な音の割りに感触はほとんど無く、ああ叩かれたという認識だけを与える見事な嗜め。
流石とするべきか。手馴れている──扱いは全くもって不服だけど。
「まぁ……俗物でない貴女には、要領の得ない趣向でしょうけど」
「そうでもない。産み落とした人形達を可愛がる感動くらいは持ち合わせている」
「自画自賛な上に無機物対象と同列に語られるのは嫌味かしら」
「可愛いとは思えない? 人形には」
「そうねぇ…………ひねくれが作った物でもそれなりに見えるのは、如何な補正やら」
「若い頃から素直に馴染んでないと、老いてから苦労するわよ」
「素直に可愛い、って?」
「言いたいのなら」
「聞きたいのであれば」
「作り手の欲求として、当然ではあるわね」
「そう。つまり?」
「……今度、家に来なさい。自慢話で腹一杯にさせてやる」
「あら、それは楽しみ」
嬉々として。
愉快な声音は、いずれにしても隠されない。
一体何が、それ程までに可笑しいのだろうか。いやらしい奴。
いつの間に再開したのか、もうだいぶ前から髪の上を滑っている手の動きには諦めている。
私の匂いで呼吸をするように後頭部に預けられた唇が、歪む。
疲れているのだろうか。
「…………本。置いてくるわ、そろそろ」
「あら、お帰りかしら」
「そう。ここは過ごしやすいけど、寝起きするには慎みがない」
「ページに涎をかけるくらい無防備だったのに」
「……何処にシミがあるのよ」
「もちろん拭いておきましたわ」
「どうやって」
「聞きたいのなら」
「いい、ロクな結末が待ってなさそうだから」
「失礼な言い草、まったく」
嘆息もこなれた様子で、迷うことなく私の背を支える。
肩に置かれた手の温度が名残惜しいのは、錯覚ではないはず。
振り返ってやっと見た、今日初めての顔は──僅かにだけど、眠そうな青い瞳を揺らめかせている。
差し支えがあるだろうに、何を律儀にこんな端の通路外れまで来たのやら。
確約など、有って無いようなモノだというのに。
月明かりを背負った姿はそれでも、微塵の疲労などもないと訴えていて。
「……自慢話」
「ん」
「聞かせてやるから」
「そうね」
忘れるはずがない、と。笑みで首肯を。
なら大丈夫だ。
私は、今日も一人で、穏やかに。
「また、いつか」
「ええ、いつか」
一度くらいは、笑顔を向けて。
お休み、咲夜。
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