「藍、唐突だけどあなたと私の身体を、境界を使って繋いだわ」
「……はァ」
紫がそんなことを言い出した時、藍はどうして、という領域を超えて、最早どうでもいいから、というような感情であった。紫の宣言通り、藍の右手が紫に握られていて、傍目からは繋がれているように見える。
「手を繋いでるだけに見えますけど」
「繋いでるだけに見えても、繋がってるのよ。例え指先だけでもいいけれど、身体の一部を共有していないと」
「いないと?」
「離れた部分から神経が引きずり出されるわ」
「……はァ」
想像しただけで痛みが襲いそうだが、藍は妖怪で痛みには慣れているのでそこまでではなかった。面倒そうにそう呟いただけだった。
「まぁ、紫様がそうしたいなら、構いませんが」
「……どうして、って聞いてくれないの?」
面倒だなこの主人はと思ったけれど、藍は黙っていた。
「実を言うとね、こないだ同じことを霊夢と魔理沙にやってみたの。気紛れに」
「聞いてないけど言うんですか」
「その過程を記録したものがこちらになります」
紫は結界を広げて藍に示した。そこは神社の内側で、霊夢と魔理沙が手を繋いで座っていた。どうしてかセピア色で、どうやら現在のものとは違うようだった。紫は大妖怪で境界を操るから、過去から映像を引っ張ってくることもできるのだろうと、藍は想像した。
『あぁ? つまり勝手に私と霊夢の身体が繋げられたってことか?』
『ちょっと嘘でしょ、なんで魔理沙と』
それから二人は互いに顔を見合って、再び画面のこちら側を向き直った。あぁ、過去というよりも、紫の記憶なのかと藍は思った。
『身体のどこか一部が触れていれば大丈夫だけど、離れると……』
『離れると?』
『神経が引きずり出されるわ』
『うわっ! 痛っ! 背中ぞくーってしたよ、聞いただけで痛くなる。それで、いつ終わるんだ、それは。おい、曖昧な笑みをするんじゃない。フェードアウトしてくんじゃない。おい!』
紫の姿が見えなくなった二人は、困った顔をして再び顔を見合わせた。魔理沙が困ったように頬を掻いて、霊夢はふいと顔を背けた。
『困ったな。どうしようか、霊夢』
『知らないわよ。ほんとに……どうして魔理沙と』
とりあえずお茶でも飲みましょうかと二人は頷き合う。二人しててくてくと台所に歩いてゆき、その後ろに紫の視界がついてゆく。
『全部片手でやらなくちゃいけないの、面倒だわ。ほんとにもう、紫ったら……』
『手伝うぜ。これか?』
『あら。気が利くのね、ありがと』
『私だってその場にいたら手伝いくらいする』
『いつも私にやらせてばかりだから、そんな風には見えないわ』
『湯飲み出しておくぜ』
『……魔理沙は戸惑わないのね』
『あぁ? 仕方ないだろう。あいつの気紛れのことだから、いつ終わるかは分からん。もしかしたらあいつがそう言っただけで、本当は繋いですらいないのかもしれない。ほら、こんな簡単に離せるだろう?』
魔理沙はゆっくりと指を、人差し指どうしを残して開いた。それから、慎重に離れないように、再び手を握った。何かにおののくように、霊夢がその手を見詰めている。
『な。縛られているみたいに強制されている訳じゃないんだから、縛っているのは紫の言葉と、想像する痛みだけだ。本当だったら、って試すなんてことは出来ないから、あいつがまたひょっこり顔を出して外したわよ、って言うまでは、こうしてるしかないだろ』
あいつ、そういうのが巧みだよな。魔理沙が呆れたように言って、天井を仰いだ。霊夢は黙ったまま、頷いて床を見ている。
『しかし、こうしてると無意識の内に手を離しちゃいそうなもんだけど、なんだか握ったままに慣れちゃってるな。なんか、昔っからこうしてたみたいな……それにしても、霊夢と出会った頃はもっと無邪気に……手を握りあってた気がするぜ。まぁ、子供だったからなんだが。最近はそんなことはなくなったから、久しぶりだな、こういうの』
『ほんとにもう……』
霊夢が呟くように言い、魔理沙が困ったように微笑んで霊夢の髪に触れて、そっと撫でた。
『そんなに怒ってやるなよ、紫のこと。ほんの気紛れなんだろうし。相手が私で悪いが、そんなに気にしてくれるなよ。私はこういうの、嫌いじゃないから』
『……わ』
『ん? 何だよ、霊夢』
『……わたし、だって』
いやじゃ……ない。霊夢は聞こえるか聞こえないかくらいで、こぼすように言った。俯いたまま。顔は見せない。
『……頭に触れてるから。手、離しても大丈夫だよな』
魔理沙は一人呟き、手を離して霊夢の背に手を回した。抱き寄せ、背中を優しく叩き、頭に回した手で頭を抱くように、魔理沙自身の身体に押しつけた。
『お前ってさ、時々本当に可愛いよな』
『な! ……何、を』
霊夢は、それ以上何も言えなくなって黙ったまま、魔理沙の背中に手を回した。はは、と魔理沙は笑った。
「……それで。どうして私は、他人のいちゃつきを見せられなくちゃいけないのですか」
「見たら分かるでしょう、つまり結果はこうなるということよ」
紫の視界はそこから時に早送りになり、時に必要な部分だけが編集されて、魔理沙と霊夢がそこからいかに手を繋いだままの数日を過ごして一緒に眠るかまでを映像にしていた。二人はトルコ行進曲のBGMに合わせて盛り上がったりしんみりしたりした。紫様は暇なのだろうか、いや暇なのだろうと考えてから私は何をしているのだろうと藍は今この瞬間の価値を見失った。
「つまり寝たいということですか」
「ちょっと待って、それは語弊があるわ。つまりね、二人は手を繋ぐことによってこうして仲良くなっていったのよ。そんな、寝たいだなんて、藍はもう……」
紫は赤くなって、もじもじした。藍は結界を見回ったりとかしないとなぁと、この先の予定を立てながら反射的に返事をした。
「つまりこういう過程を経たいと」
「過程は経たいけど、そういう、寝たいとかってことじゃないからね。最終的には……って何を言わせるのよ、藍の変態」
「紫様、私、これから結界の補修をしに行きます」
藍は強引に話を進めた。紫のペースに任せていればどこまでも話は終わりそうになかった。
「うん」
「いや、うん、じゃなくって……それに、紫様もついてくるということですよ。分かってますか?」
う、と紫は言葉を濁した。
「う、うんー……分かってるわよ?」
「それから買い物をして、帰ってきて夕食の準備をします。今日はそのくらいですが、明日は朝から洗濯をして朝食の用意をします。昼までの間に掃除をして、夕方はまた見回ります。毎日毎日。それを、紫様が一緒についてくるということですよ、大丈夫ですか」
「当然じゃない、藍と一緒なら全部やってのけるわよ!」
急に元気付いたのがやけくそなのか嘘なのか藍には分からない。
「分かりました」
それから三日ほどして。
「もうだめ」
紫はノイローゼになった。
藍はそれ見たことか、と思った。元から紫には向いていないのだ。だけど、その三日間、紫は手を離そうとはしなかった。
「ふん」
藍は紫の手を勢い良く離した。びちりと音を立てて神経が引きずり出された。紫様は馬鹿だと思った、本当に繋がなくってもいいのに。藍は、思ったよりも痛みを感じた。
「藍。あなた、指が」
「そう思うんなら本当に繋がないで下さい」
ふう、と息をついた。
「藍、平気なの」
「紫様、正直に言ってこんなことの相手は出来ません」
私は見下ろす先で、紫はびくりと肩を震わせた。
「わ、私は」
「それに、紫様に強制されて繋がれているのも気に入りません」
「……うぅ」
「ですから。紫様は、部屋で待っていればいいんです」
「うにゅ?」
「紫様に強制されなくても、私はいつでも紫様に呼ばれれば行くし、用事が終われば紫様の為に時間を使うと言っているんです。それ以上の何かが、必要ですか」
藍、と紫は呟いた。藍は言ってから、もしかしたら強制が必要なのは紫様自身ではないのかと思い始めた。紫様が、自分から私を求めるためにそうしたのじゃないのか。しかも、そのことに、自分自身気付いていなかったり、するのではないか。
藍は頭を抱えた。無駄な告白をしてしまった。全くこの人は。
「藍? どうしたの、やっぱり痛かった? ……舐めたらいいかしら、でも……ねえ、藍?」
全く、この人は。紫の泣きそうな顔を見ていると、藍は笑いそうになってくるのを感じている。
ただそれだけのことが麻呂にとって
恐怖であり、同時に存在の証明であった。
全力で探してもないんだぜ…
まさかスキマ送りされたなんてことはないですよね。