この話は、『うまれかわったら』の前の話になります。
どちらを先に読んでいてもあまり変わらないと思います。
始まりがいつだったか。
思い出せないのは、些細なことだったからだろう。
きっかけなんて、きっとそんなものだ。
桜が咲いたから。十五夜だから。年末だから。時には暑いからというだけのこともある。
とにかく何らかの理由をつけては(もちろんそんなものもなく人が集まったら自然とそうなることも多いけど)神社では頻繁に宴会が開かれる。
たちの悪いことに、ごく一部を除いて参加者は好きなだけ飲んで騒ぐと片付けもせず帰っていく。
そうなると片付けは神社の主と良心的な一部だけになり。
「何が『桜を見に来た』よ。酒飲んで喋ってるだけで誰も見てないじゃない」
「はいはい。わかったから横になってなさい」
今日みたいに巫女が酔いつぶれて、残った参加者が一人だけということも少なくない。
「そういや、あんた飲んでた?」
「全然。お嬢様に言われれば飲んだでしょうけど、何も言われなかったし。飲みたい気分でもなかったしね」
「もったいない。萃香が持ってきた上物だったのに」
「日本酒はあまり飲まないから、飲んだってわからなかったわよ」
「ワイン派?」
「まあね」
洗い物終了。大まかな掃除は先に済ませてあるから良し、と。
非番の美鈴を連れて来たのは正解だった。仕事だったら神社は明日まであの状態だっただろう。アリスがいたら帰ったかもしれないけど。
「さくやー」
間延びした声に振り返ると、茶の間で寝転がった霊夢が手招きしていた。
お茶を淹れようと火にかけていたやかんをおろして傍に行くと、おそい、と文句が飛んできた。
「お茶飲むでしょ?」
「ん、飲む。ねぇ咲夜」
だるそうに身体を起こして、もっとこっちにと招く。
「ここ座って」
「ここ?」
「そう」
膝が付きそうなぐらいの位置。そこに腰を下ろすと、霊夢は私の三つ編みを解いた。手櫛で梳かし、三つの束に分けて編み直す。
「…………上手ね」
「あいつ小さい頃下手だったから、代わりに私がやってたの」
「魔理沙? 付き合い長いの?」
「まあね……っと、できた」
ほら、と見せられたそれは本当に酔っているのか疑うほど丁寧に編まれていた。
「久々にやったけどまあまあね。慣れってすごいわ」
満足げに頷いてもう一方にも伸ばしてきた手を遮る。
「待った」
「何よ」
「私にもやらせて」
「……まあ、いいか」
しゅる、とリボンが解かれ、艶やかな黒髪が広がった。改めて見てみると結構長い。
触れてみると思ったよりさらさらしていてひっかからない。クセがなくて、太すぎず細すぎない。なんとも羨ましい髪だ。
「手入れは?」
「してない。面倒だし」
「それでこれなの。羨ましい限りね」
「あんたくせ毛だもんね」
「毎朝大変なのよ」
「私は毎朝楽よ。適当に括るだけだし」
「あなたは『括る』っていうのね。はい、できた」
「ん。じゃあ、あんたは何て言うの?」
霊夢が顔をこちらに向けて、その拍子に三つ編みが揺れた。
「結う」
「なるほど」
さっきまで私が触れていたところへ手をやり、束を前に持ってくる。
「上手い」
「毎朝自分でやってるから。でも他人のだと難しいのね」
「質も量も違うからね」
毛先をくるくると弄び、大きな欠伸を一つ。
「ねむい」
「欠伸は手で隠しなさい」
「別にいいじゃない、客がいるわけでもなし」
「私は何なのよ」
「さあ? 少なくとも客ではないわね。客なら賽銭の一つでも入れるものでしょう」
「残念ながら持ち合わせがないので」
「本当に残念だわ。…………ぁふ」
「手をあてなさいって」
「んー……」
聞いているのかいないのか、曖昧に返事をして卓袱台に突っ伏した。
「あ、こら、そこで寝ないの」
「卓袱台冷たくて気持ちいー」
「せめて布団に入りなさい」
「やだ」
「お茶は?」
「……飲む」
眠たげに目をこする霊夢は子供のようで、早くしないと寝そうだった。
時を止めたことも忘れて、足早に台所へ戻った。
*
結局霊夢はお茶を飲んですぐそのまま眠ってしまい、神社を出たのは早朝だった。
非番のはずの美鈴が門のそばに立っていて、私に気付くとにこりと笑った。
「お疲れ様です、咲夜さん」
「非番じゃなかったの?」
「この時間の番の人がまだ寝てて」
「起こせばいいのに」
「まあ、そうなんですけどね」
美鈴は曖昧に笑って誤魔化した。優しすぎるのも考えものだ。
「そうそう、お嬢様から伝言が」
「伝言?」
「はい。『一日休みをやる』、と」
全然似ていない物真似を交えての言葉に眉が寄った。
今までの経験から、暇を出されるときは何かよくないことが行われている。半年前なんて、帰ったら館が半壊していた。
そうなることはわかっていても、言われたからには従わなければ。
「わかったわ。後は宜しく」
「死なない程度に頑張ります」
苦笑いしていたけど、明らかな疲れが見て取れた。
*
休みをもらえたからといって行くあてがあるわけでもないので、また神社に戻ってきた。
拝殿を素通りして社務所の裏へ回ると、意外なことに霊夢の姿が見えた。
声を掛けようと口を開いたところでさっと光が差して、反射的に目を細めかけて――見えたものに思わず瞠目した。
一つにまとめられた黒髪が、白いうなじが、小さな肩が、日の光を受けて輝いていた。
ぴんと伸びた背筋が朝の清澄な空気と相まって何か尊いもののように思えた。
……どれくらい経っただろうか。
くる、と霊夢が振り返って、小さく首を傾げた。
「何してんの?」
いつもの霊夢だった。
なんでもない、と首を振って詰めていた息を吐いた。
「へぇ、休みあったのね」
「基本的にはないけど、たまに、ね。ああ、帰るのが怖い」
あまり深く考えると頭痛がしそうだ。
溜息をつく私を不思議そうに見ながら、霊夢はお茶を啜った。
「休みってことは暇なの?」
「え? ……まあ、そうだけど」
霊夢は待ってました、と言わんばかりににやりと笑って立ち上がった。
何を言われるんだろう。面倒なことじゃないといいんだけど。
「じゃあさ――」
煮物を届けるよう頼まれて黒白のところへ行くとアリスがいた。ティーセットの並ぶテーブルの中央には焼き立てらしいクッキー。
「お、霊夢からか」
「貴方も飲む?」
「いただくわ」
上に積まれた本をどけて椅子を引っ張り出す。
埃を払って座ると、魔理沙がクッキーを口に放り込んだ。
「あいつ元気だったか?」
「相変わらずね」
「だと思った」
「『鍋は自分で持って来い』って言ってたわよ」
「ぅ……でも、ま、そろそろ一段落つくし、ちょうどいいか」
また一枚。飲み込んでから、魔理沙は私の髪を指差した。
「それ、どうしたんだ?」
「変?」
「いや、編み方がいつもと違うから」
「……よく見てるのね」
「観察って重要なんだぜ」
得意げに言って、また一枚。
「霊夢だろ?」
「わかるの?」
「昔はあいつに編んでもらってたんだぜ?」
「あー……」
なるほど、そういえばそんなことを聞いた気がする。
「あいつ、人の髪は触るくせに自分のは触らせてくれないんだよな」
「そうなの? 普通に触らせてくれたけど」
「へぇ……珍しいこともあるもんだな」
魔理沙の指がほとんど空になったティーカップを掴む。
「私でも触らせてもらえないのに」
そう言って魔理沙はわずかに残った紅茶を飲み干した。
カップをソーサーに戻す魔理沙の顔から一瞬見えた寂しさや悔しさは消えていて、見計らったかのようなタイミングでアリスがキッチンから戻ってきた。
お茶を飲んだり和食の作り方を教わったりして休日を過ごし、帰ってみると館は目も当てられない状態になっていた。
巨大な怪獣か竜巻でも通ったのかと思うほどの大惨事を元に戻すのは当然私の役目。
通常の仕事にプラスして修復を行うのは時を止めても難しく、やっと修復が終わったのは一週間ほど経った頃だった。
*
十日ぶりに神社に行くと、霊夢の髪が短くなっていた。
「…………」
「何ぼーっと突っ立ってんのよ」
「いや、髪……」
「髪? ……ああ、鬱陶しくなってきたから。」
肩の辺りで切りそろえられた髪が揺れる。そこにもうポニーテールもどきはない。
……もしかして、私はショックを受けているの? だとしたら何にだろう。髪が短くなったことか、それともそのせいで触れる口実がなくなったことか。
「あ、なくなった。お茶飲む?」
「……いただくわ」
こんなところでぼさっと立っていても仕方ない。
お邪魔します、と小さく呟いて靴を脱いだ。
通り抜ける風が熱を運んでいく。夏には少し早いが紅魔館ではもう「暑い」という声が聞こえてきている。洋館は風通りが悪いのだろうか。
「窓増やそうかな」
「死ぬわよ、あの吸血鬼」
呆れたような声と共に湯呑みが置かれた。卓袱台の真ん中には饅頭の入った箱が置かれている。
「焦げるだけよ」
「そういう問題じゃない」
じゃあどういう問題なんだろう。涼しくなれば少しは快適になると思うんだけど。
熱いのを覚悟して湯呑みに口をつける。
「……あれ」
あまり熱くない。少し拍子抜けした。
「狗なのに猫舌って面白いわよね」
「猫みたいにごろごろしてるあなたには言われたくないわね」
「猫だって忙しいのよ」
「どうだか」
霊夢に倣って饅頭を咀嚼しながら湯呑みに触れてみる。
霊夢は私が猫舌なのを知ってる。それはさっきの会話でわかった。だけど私と対照的に霊夢は熱いお茶が好きなはず。
不精したのか、それとも。
「ちょっと失礼……っと」
時を止め、霊夢の湯呑みに手を伸ばす。
熱い。とてもじゃないが私には飲めない。
ついでに急須もみてみたがぬるめだった。
「ところで……ちょっと、何にやにやしてんのよ」
「いえ、別に?」
これが彼女なりの優しさなのだろう。そう思うと目の前のお茶が玉露のように思えた。
出がらしでなかったことに気付いたのは、湖の霧の向こうに館の門が見えてきた頃だった。
*
夏を過ぎれば秋が来る。
仕事があらかた片付いてしまったから神社へ足を運んだ。
この時期の境内は石畳が紅葉で染められて綺麗なんだけど少し歩きづらい。今日はもう掃いた後らしく、新たに降ってきた数枚しか残っていなかった。
「あら、こんなところに大きなゴミが」
「粗大ゴミは燃やせないのよ」
「ゴミは否定しないのね」
竹箒を持った霊夢が鳥居に寄りかかっていた。
「貴方は忙しそうね」
「落ち葉はすぐ積もるからねぇ。でもま、こんなもんでしょ」
社務所のほうへ歩き出した霊夢の少し後ろをついて行く。箒を用具入れに仕舞うと、少し困ったように私を見た。
「後ろついて来られるの、何か変な感じ。あんたのところの吸血鬼にでもなったみたい」
「霊夢は霊夢でしょうに」
「でも、普段並んで歩くじゃない」
言われてみればそうだ。夏に涼を求めて里に下りた時も霊夢は隣にいた。
職業柄か、私は人と並んで歩くことが少ない。大抵少し前か少し後ろを一定の距離を保って歩く。だからあの時は例外と言える。
髪に触れようとするのも、触れさせるのも、構いたくなるのも、霊夢だけ。
霊夢だけ、例外。
「何なのかしらね」
「何が?」
「なんでもない」
「あっそ」
急須を持って台所に消える後姿を目で追いつつもう少し考えてみる。
私だってすべてをがちがちに決めているわけじゃないけど、例外なんてそうそうない。そういうものを好まないから、というだけでなく、行動範囲があまり広くないのだから当然といえば当然だ。
……決まったことの中で動くというのは職上病だろうか。
そんな私が許容している彼女は一体何なのだろう。
どうして認めてしまえるんだろう。
「……嫌いじゃないから?」
いや、嫌いじゃない人なんて知り合いのほとんどが該当してしまう。
なら。
「……好きだから、か」
「何を?」
「そりゃ霊夢のこ、とっ?!」
びっくりしすぎて喉から変な音が出た。
思考に没頭するあまりいることに気付けなかったようだ。
ところで私、今とんでもないことを口走らなかった?
おそるおそる対面に座る霊夢と目を合わせる。
明らかに困惑していた。
「えっと……何て返せばいいの?」
「思ったとおりに」
反射的に答えた自分を殴るのとよく答えられたと褒めるのと、どちらがいいだろう。
霊夢は答えあぐねているようで、目がさっきからきょろきょろと落ち着きなく動き回っている。なんだろう、ほんと死にたい。
「思ったとおりに答えるなら……そう、なのかな」
「……………え?」
「つまり、まあ……私もあんたのこと、好きなのかもしれない」
かもしれない、とは、また曖昧な。
でもそれで十分だった。
「ありがとう」
「……ん」
霊夢は赤い頬を隠すように湯呑みを傾けた。
きっと何かが劇的に変わったりはしない。
ただこの感情が少し名前を変えるだけ。
手を繋ぐことすら躊躇う、隣にいるだけで満たされる、傍で見守っていたいと思う、この気持ちは――
キャラの心情がわかりやすくサクっと読めて良かった
イイヨイイヨー
恋心の前段階のような、淡い感情が可愛い。文章も読みやすくて好きです
……しかしこの後ふたりを待ち受ける運命を思うとうごごごご……!