「30秒で異変を解決して。でないと幻想郷は滅びるわ」
草木も眠る丑三つ時。
枕元に現れた紫の一声は、霊夢に殺意の衝動をもたらすには十分だった。
博麗の巫女とて一応は人間だ。ご飯は食べるし、夜になれば寝る。
異変となれば縦横無尽に空を駆け、妖怪を駆逐する彼女も、普段は立派な乙女なのである。
邪魔するもののない快適な眠り。その最高潮の部分で起こされる悲しみ。
実際にやられた人ならば分かると思うが、その苦しみと絶望、恨みは底知れない。
霊夢は布団から飛び起き、グーで殴りかかる。
「ちょっと紫。いきなり叩き起こしておいてなんなのよ……」
「いたた……ほらもう五秒過ぎたわよ。もう一度言うけど本当に滅びるわよ?」
「っていったって異変の気配感じないんだけど!」
「おほほ」
巻きあげた布団をひらひらさせ、紫は笑う。その顔面をもう一度殴打して、霊夢は歯ぎしりした。
「きゃん!?」
「うぎぎ」
続けて殴りかかった霊夢は、怒りながらも泣きたくなった。
眠かった。異変とかどうでもいいから寝たかった。博麗の巫女も少女だ。24時間戦える企業戦士ではない。
そのあたりに気をつけてほしいと思うのだが、目の前の妖怪には全く通じない。
「ちなみに私は紫じゃないわ。いわずと知れたスーパービューティ、境界の美少女ユカーリよ」
「いや、わけわかんないから」
「貧乏人は嫌いって設定だそうだけど、貴方が本当に貧乏だからそれはナシにしてあげるわ」
「帰れよ」
まだ夢を見ているのかもしれないので、おもいきり頬をつねってみる。
「いたっ!? なんで私をつねるのよ」
「いや、なんとなく」
「ま、いいわ。あと10秒しかないし、外に出て世界が滅びる様を見て納得しなさい」
「はいはい。じゃああと15秒だけ起きててあげるわ」
さっさと帰ってほしかったが、邪険に扱うと余計に絡まれそうだったので諦めた。
ったくなんなのよ、と呟きつつも障子を開き、縁側に足を進める。
世界が滅びるなんて、バカにするにも程がある。
それも残り10秒だ。あり得ないだろう常識的に考えて……。
まぁ要は見ればいいのだと霊夢は開き直った。
妖怪なんて単純な精神の生き物だ。
くだらない冗談に騙されてやれば満足するだろうと、内心で吐き捨てる。
帰らなければボコボコにすればいいだけのことだった。
そう、思ったのだが――
「え?」
障子を開けた先、見上げた空に、真っ赤な岩があった。
いや、岩というにはでかすぎる、視界を覆うほどに巨大な、燃え盛る隕石。
ごうごうと風が唸り、衝撃波で木々が弾き飛ばされていく。それはまさに世界終焉の様相だ。
「残り5秒」
「え? ちょ、え!?」
紫の淡々としたカウントを聞き、焦りが極限に達する。
いや待て何かがおかしい。さっきまで静かに寝ていたというのに。
「あ、わかった。これ夢ね。そう夢よ」
今度はちゃんと自分の頬をつねってみるが、しっかりと痛かった。
「ゼーロ」
「あっ――」
紫の呆れたような宣告を最後にして、視界に光が満ちる。
その日、幻想郷は消滅した。
* * *
気がつくと、霊夢は真っ白な空間にいた。
神社はおろか畳も布団も見当たらない。衣服は寝起きのまま、真っ白な装束だ。
「あーあ、私の幻想郷壊れちゃった」
横には呆れた表情の紫が浮かび、扇子片手にぶつくさ文句を言っている。
その言葉が暗に霊夢を非難しているようで、思わずカチンときた。
護符片手に、勢いよく食ってかかる。
「壊れちゃった♪、じゃないわよ! なにあの隕石、唐突すぎるじゃない!!」
「だから異変だっていったじゃない。災厄の星、空から降ってくる魔王よ」
紫が楽しそうに笑う。
一方、霊夢は怒り心頭だった。無理もない。
いきなり叩き起こされて異変解決に駆り出されれば誰だってそうもなろう。
「異変を解決するのは巫女の役目よね。それができないなら駄目巫女よ駄目駄目巫女」
「くっ」
言いたい放題の紫。だが、霊夢は言い返せない。
異変を解決するのは、いつだって博麗の巫女の仕事だからだ。
それが夜だろうが昼だろうが、厳冬の猛吹雪だろうが、灼熱の業火マントルだろうが変わらない。
「ああもう、やりゃいいんでしょやりゃ!」
結局最後は折れる。それが博麗の巫女の宿命だ。
草木も眠る丑三つ時、巫女は異変を逃がさない。
「ああ、言い忘れてたけど今回はスキマの使用を許可するわ。じゃ、がんばってね」
紫がひらひらと手を振る。
途端、霊夢の視界に光が満ちた。
* * *
気がつけば博麗神社にいた。きちんと敷かれた布団の上で、霊夢は腕を組んで立っている。
これがゲームの始まりか、と思った途端、凛とした紫の声が響いた。
『残り25秒』
時間が過ぎていく。
今度は失敗してなるものか。その思いで、霊夢は口を開く。
「紅魔館につないで! あの悪魔のところまでね!」
オーダーと同時に世界が開く。その空間をくぐりぬけた途端、生温かい風が肌をなでた。
窓が一つもない洋室。赤一色に彩られた室内に悪魔がいた。
椅子に腰かけ、今まさにティータイムといった様相のレミリアは、宙から現れた来客に目を丸くしている。
「あんたね! わけわかんない隕石落そうとしてるのは!!」
側にメイドの姿がないことを確認し、霊夢は床に着地する。
異変なんて、大抵は自己顕示欲の高すぎる妖怪の仕業。
であれば過去に異変を起こしたおバカさんである可能性も高い。
が、帰ってきたのは冷めきった視線だった。
「……は?」
「異変! アンタ犯人! オーケー!?」
「いや、意味分かんないから」
気だるげな感じで紅茶をすするレミリア。
ここにきて、霊夢の心に焦りが生まれた。
異変レーダーはまったく反応しない。となればレミリアは犯人ではない可能性が高い。
ひょっとしなくても、いきなり失敗したか。
とはいえ、せっかくなので倒しておくことにした。
「ああもういいわ。あんた倒して終わりにするわ」
「まぁ、なんだかわからないけど、私が犯人なのは間違いないわ」
「なんだ。やっぱりあんたが犯人じゃない」
「異変と言えば私だからね。他の連中さしおいて勝手な真似はさせないよ」
ゆっくりと立ち上がるレミリア。
その背後に陽炎を見た霊夢は思わず身構える。
「それにタダで帰れると思ってないわよね。ティータイムの邪魔をしてくれたんだから」
見つめられたら凍ってしまいそうな紅い視線を投げかけ、レミリアは笑う。
その姿を見つめ、霊夢は息をのむ。
「ちょうどよかった。さぁやるわよおバカな悪魔!」
札を手に飛びかかる霊夢。身構えるレミリア。
今まさに両者が交差する。
瞬間、世界に光が満ちた。
* * *
気がつけば霊夢は真っ白な世界にいた。
目の前にいたはずのレミリアは消え去り、代わりに紫がたたずんでいる。
「あれ……?」
「あれ、じゃないわよ。過ぎたのよ30秒」
「え、あ、うん」
どうやら熱中しているあまり時間の経過を忘れてしまったらしい。
我ながら不甲斐ないと、霊夢は頭をかく。
こうなるとテンションもガタ落ちだ。
さっさと終わらせて寝ようと思ったのに、やる気がでなくなる。
「時間がたりないのよねぇ」
「大丈夫よ、時間の境界も操れるから。でもそれに応じたお賽銭は貰うからそのつもりで」
「……上等じゃない。誰がやったかしらないけど、こんな異変考えた奴ボコボコにしてやるわ」
「でも、神社のお賽銭なんて実質ゼロだから、時間巻き戻せないのよね」
「何それ駄目じゃない!」
「とりあえず、やってみなさいよ」
「あ、はい」
紫に言われるがまま、呆然と札を構える霊夢。
何かがおかしいが、今は言われるままにやるほかなかった。
* * *
その後、霊夢は怪しそうな連中を倒して回った。
竹林の姫様に、冥界のお嬢様。山の上の神社に地獄の奥深く、人里近くの寺……。
とにかく片っ端から倒した。
みなノリノリで『自分がやった』と高らかに宣言していたが、実際は全部外れだった。
33回ほど幻想郷が滅んだ。
* * *
目の前に岩があった。
周囲を包むのは灼熱の大気。強烈に圧縮された空気は熱を持った暴風となって辺りを吹き荒れる。
隕石が落ちてくる空。
その中空で、霊夢は静かにたたずんでいた。
じっと正面を見据え、札を構える。
落ちてくるのはただの岩ではない。灼熱の炎に包まれた直径一キロを越える隕石だ。
受け止めることはおろか、破壊だって難しい。押し返すなんて無謀な代物。
それでも霊夢は小さく息を吐き、ひるむことなく突っ込んだ。
飛び散る火花。響き渡る破砕音は、暴風によってかき消される。
展開された陰陽玉が七色に輝き、結界の札が嵐のように舞い踊る。
「ちょっと何するつもり?」
どこからか紫の声が聞こえた。
呆れたような、驚きを含んだ声。きっと馬鹿にしているのだろう。
それでも霊夢は歯を食いしばり、隕石に全力を叩きこんだ。
「ふざけんじゃないわよ! たかが石っころ一つ、夢想天生で押し出してやる!」
「馬鹿なことはやめなさい」
「やってみなければわからないッ!」
そんな簡単に諦める精神構造など持ち合わせてはいなかった。
ざらざらした岩の表面へと両手を押し付け、ひたすらに踏ん張る。
何をしようとしているのかは一目瞭然。霊夢はこの巨大な隕石を止めようとしていた。
いや、ただ止めるだけでなく、押し返そうと。
30秒以前にこんな代物を受け止めるのは困難なのだが、今の霊夢は頭が回っていなかった。
というか、失敗しすぎてイライラの頂点である。
「ストレスで飛んじゃったのかしら……のこり15秒」
「あんたほど急ぎすぎもしなければ、制限時間に絶望もしちゃいない!!」
「とはいえ、小惑星の落下は始まっているのよね」
「博麗の巫女は伊達じゃない!!」
残り5秒。緊張が最大に達する。
その時、不意に隕石にかかる力が消失した。
「やったっ、とまった――!?」
霊夢の歓喜とは裏腹に、隕石は再び動き出す。
叫び声を上げるよりも早く、視界は真っ白に染まり、全てが消えていった。
* * *
「はぁ……はぁ……」
気がつけばまた真っ白な空間にいた。
だだっ広いホールのような世界には、呆れた様子の紫がぽつんと浮かんでいるだけである。
つまるところ失敗だ。
その事実を悟った瞬間、霊夢の全身から力が抜けた。
「はい34回目。なっさけないわねぇ」
「いやもう無理でしょこれ! 大体、月の馬鹿姉妹まで張り倒したのになんで解決しないのよ! 30秒で綿月KOとか前人未到よ!? 他に手なんてないじゃない!」
「だからって力づくで隕石押し返せば、魔理沙あたりが『霊夢にだけいい思いはさせないぜ』とか『幻想郷が駄目になるかならないかなんだ、やってみる価値はあるぜ』とか助けに来るとおもった? 馬鹿じゃないの?」
「うっさい!」
叫ぶも、霊夢としても自分の行動に嫌気がさしていた。
お賽銭がない以上、紫の時間操作はあてにならない。
異変解決のためには、犯人を30秒で倒さなければならないが、相手だって名のある妖怪だった。
敵に合わせて綿密な戦略を立てないといけないから、白い世界の滞在時間も多くなる。
回数こそ34回だが、ゲームオーバー後の考察タイムを時間に入れれば、プレイ時間はゆうに二時間を超えていた。
寝首をかいた回数は数知れず。
進めども進めども進展のない戦いに、さすがの霊夢も疲れ果てている。
「だいたい30秒なんて無理ゲーよ!」
もう嫌だった。
札を投げ捨て、真っ白い地面に寝転がってばたばた暴れる。
博麗の巫女としてのメンツもなにもなかった。
「いやいや霊夢。ゲームってのはクリアできるように作られてるものよ?」
「時間巻き戻せない時点で詰んでるじゃない!!」
「それはあなたが貧乏なのが悪いの」
「さらっと責任転嫁するんじゃないわよ。大体なによこのクソゲー、考えた奴アホでしょ」
「謝って! 二部上場企業に今すぐ謝って!!」
ものすごい形相で胸倉をつかむ紫。
「っと、私としたことが取り乱したわ」
「そのキャラつくってるでしょ……」
こほん、と咳払いをした紫が、霊夢に向き直る。
「でもね霊夢。ゲームってのはちゃんとクリアできるものよ?」
「そんなわけないじゃない」
「どんなムリゲーでもクリアしてる人はいるのよ。初代金閣寺とか、ひきこもりで五双龍とか花子さんとか。だからノーマルすらクリアできないってのはいいわけよ。大空魔術のlunaticじゃあるまいし」
「そ、それはそうだけど」
「フハハ、せいぜい頑張るんだな」
「……」
「やめて、無言で札構えないで」
焦る紫に対し、霊夢はひどく冷静だった。
別に怒りで構えたわけでもなかった。不満があるわけでもない。
頭の奥、何かが告げている。異変を解決に導く力、博麗の巫女としての勘が明確な答えを持ちつつある。
それは頭の中、混沌の空間で結晶化し、一つの輪郭を持った。
「……そうよ」
「霊夢……?」
「おかしいと思ったのよ。隕石とか滅亡とか30秒とか」
周囲の空気が冷えた。霊夢は殺意を持った目を、虚空に浮かぶ紫へと向ける。
それこそが明確な答え。狩るべきものがいったい誰なのかを示している。
「そもそもこのゲームを企画した馬鹿はいったい誰? 目の前にいるじゃない」
考えてみれば単純だった。
この世界を好き勝手に移動し、ゲームを管理している存在。
そんなものは一人しかいない。
「元凶は紫、あんたよ!」
「ふ……ふふ」
霊夢の指摘に、紫が困ったような、笑ったような表情を浮かべる。
「正解よ霊夢、犯人はヤスよ! ていうか今更よね。でも30秒で私がたおせるかし――」
「死ねぇ!!」
直後、ありったけの怒りを込めた渾身の右ストレートが紫の顔面に炸裂した。
「げふっ、む、無駄なことを……すぐにゲームオーバーよ……ってえ、あ、あれ?」
慌てる紫だが、一向に世界が切り替わらない。
「残念でした。この真っ白い空間、時間流れてないみたいなのよねぇ」
封魔針を指の間に挟んだ霊夢が、素敵な笑顔で紫へとにじり寄る。
「ここでボコボコにしてスタートしたらどうなるかしら」
「あの、それルール違反……」
「え、何、聞こえない」
「れ、霊夢さん?」
「覚悟、できてるわよね?」
「ひえぇ……」
世界に絶叫と光が満ちた。
* * *
幻想郷の端に位置する寂れた建物、博麗神社。
朝も近い時刻とあって、空が白み始める頃、霊夢はまだ布団の中でまどろんでいた。
紫のお遊びに付きあったせいでクタクタだった。
夢のような世界での出来事とはいえ、精神的にかかる負荷は否定できない。
起床時刻までは時間があるのだからのんびりしていようと思った結果だった。
どのくらいそうしていただろうか。
ごろり、と何気なく寝がえりを打ったとき、何かが顔に降りかかってきた。
避けようにも執拗にまとわりつく紙。
しばらく耐えていた霊夢だが、やがて我慢できなくなって飛び起きる。
「うるぁ!!」
「あ、起きた」
薄暗く、静寂に包まれた室内。そこには紫がいた。
顔には胡散臭い笑みを張り付け、手にした半紙をひらひらさせている。
「じゃじゃーん」
手にした紙には『巫女600』と書かかれた文字。
それが意味するところは、新しいゲームの予感だ。
「やっぱり30秒じゃつまらないじゃない? 現実の朝まではまだ時間もあるし、私ヒマだし、楽しむわよ」
「は……」
霊夢は悟った。もはや語る言葉はない。
「あら、どうしたの?」
「犯人はヤス!!」
次の瞬間、有無を言わさぬ夢想封印が、紫を神社の外へと吹っ飛ばしていった。
草木も眠る丑三つ時。
枕元に現れた紫の一声は、霊夢に殺意の衝動をもたらすには十分だった。
博麗の巫女とて一応は人間だ。ご飯は食べるし、夜になれば寝る。
異変となれば縦横無尽に空を駆け、妖怪を駆逐する彼女も、普段は立派な乙女なのである。
邪魔するもののない快適な眠り。その最高潮の部分で起こされる悲しみ。
実際にやられた人ならば分かると思うが、その苦しみと絶望、恨みは底知れない。
霊夢は布団から飛び起き、グーで殴りかかる。
「ちょっと紫。いきなり叩き起こしておいてなんなのよ……」
「いたた……ほらもう五秒過ぎたわよ。もう一度言うけど本当に滅びるわよ?」
「っていったって異変の気配感じないんだけど!」
「おほほ」
巻きあげた布団をひらひらさせ、紫は笑う。その顔面をもう一度殴打して、霊夢は歯ぎしりした。
「きゃん!?」
「うぎぎ」
続けて殴りかかった霊夢は、怒りながらも泣きたくなった。
眠かった。異変とかどうでもいいから寝たかった。博麗の巫女も少女だ。24時間戦える企業戦士ではない。
そのあたりに気をつけてほしいと思うのだが、目の前の妖怪には全く通じない。
「ちなみに私は紫じゃないわ。いわずと知れたスーパービューティ、境界の美少女ユカーリよ」
「いや、わけわかんないから」
「貧乏人は嫌いって設定だそうだけど、貴方が本当に貧乏だからそれはナシにしてあげるわ」
「帰れよ」
まだ夢を見ているのかもしれないので、おもいきり頬をつねってみる。
「いたっ!? なんで私をつねるのよ」
「いや、なんとなく」
「ま、いいわ。あと10秒しかないし、外に出て世界が滅びる様を見て納得しなさい」
「はいはい。じゃああと15秒だけ起きててあげるわ」
さっさと帰ってほしかったが、邪険に扱うと余計に絡まれそうだったので諦めた。
ったくなんなのよ、と呟きつつも障子を開き、縁側に足を進める。
世界が滅びるなんて、バカにするにも程がある。
それも残り10秒だ。あり得ないだろう常識的に考えて……。
まぁ要は見ればいいのだと霊夢は開き直った。
妖怪なんて単純な精神の生き物だ。
くだらない冗談に騙されてやれば満足するだろうと、内心で吐き捨てる。
帰らなければボコボコにすればいいだけのことだった。
そう、思ったのだが――
「え?」
障子を開けた先、見上げた空に、真っ赤な岩があった。
いや、岩というにはでかすぎる、視界を覆うほどに巨大な、燃え盛る隕石。
ごうごうと風が唸り、衝撃波で木々が弾き飛ばされていく。それはまさに世界終焉の様相だ。
「残り5秒」
「え? ちょ、え!?」
紫の淡々としたカウントを聞き、焦りが極限に達する。
いや待て何かがおかしい。さっきまで静かに寝ていたというのに。
「あ、わかった。これ夢ね。そう夢よ」
今度はちゃんと自分の頬をつねってみるが、しっかりと痛かった。
「ゼーロ」
「あっ――」
紫の呆れたような宣告を最後にして、視界に光が満ちる。
その日、幻想郷は消滅した。
* * *
気がつくと、霊夢は真っ白な空間にいた。
神社はおろか畳も布団も見当たらない。衣服は寝起きのまま、真っ白な装束だ。
「あーあ、私の幻想郷壊れちゃった」
横には呆れた表情の紫が浮かび、扇子片手にぶつくさ文句を言っている。
その言葉が暗に霊夢を非難しているようで、思わずカチンときた。
護符片手に、勢いよく食ってかかる。
「壊れちゃった♪、じゃないわよ! なにあの隕石、唐突すぎるじゃない!!」
「だから異変だっていったじゃない。災厄の星、空から降ってくる魔王よ」
紫が楽しそうに笑う。
一方、霊夢は怒り心頭だった。無理もない。
いきなり叩き起こされて異変解決に駆り出されれば誰だってそうもなろう。
「異変を解決するのは巫女の役目よね。それができないなら駄目巫女よ駄目駄目巫女」
「くっ」
言いたい放題の紫。だが、霊夢は言い返せない。
異変を解決するのは、いつだって博麗の巫女の仕事だからだ。
それが夜だろうが昼だろうが、厳冬の猛吹雪だろうが、灼熱の業火マントルだろうが変わらない。
「ああもう、やりゃいいんでしょやりゃ!」
結局最後は折れる。それが博麗の巫女の宿命だ。
草木も眠る丑三つ時、巫女は異変を逃がさない。
「ああ、言い忘れてたけど今回はスキマの使用を許可するわ。じゃ、がんばってね」
紫がひらひらと手を振る。
途端、霊夢の視界に光が満ちた。
* * *
気がつけば博麗神社にいた。きちんと敷かれた布団の上で、霊夢は腕を組んで立っている。
これがゲームの始まりか、と思った途端、凛とした紫の声が響いた。
『残り25秒』
時間が過ぎていく。
今度は失敗してなるものか。その思いで、霊夢は口を開く。
「紅魔館につないで! あの悪魔のところまでね!」
オーダーと同時に世界が開く。その空間をくぐりぬけた途端、生温かい風が肌をなでた。
窓が一つもない洋室。赤一色に彩られた室内に悪魔がいた。
椅子に腰かけ、今まさにティータイムといった様相のレミリアは、宙から現れた来客に目を丸くしている。
「あんたね! わけわかんない隕石落そうとしてるのは!!」
側にメイドの姿がないことを確認し、霊夢は床に着地する。
異変なんて、大抵は自己顕示欲の高すぎる妖怪の仕業。
であれば過去に異変を起こしたおバカさんである可能性も高い。
が、帰ってきたのは冷めきった視線だった。
「……は?」
「異変! アンタ犯人! オーケー!?」
「いや、意味分かんないから」
気だるげな感じで紅茶をすするレミリア。
ここにきて、霊夢の心に焦りが生まれた。
異変レーダーはまったく反応しない。となればレミリアは犯人ではない可能性が高い。
ひょっとしなくても、いきなり失敗したか。
とはいえ、せっかくなので倒しておくことにした。
「ああもういいわ。あんた倒して終わりにするわ」
「まぁ、なんだかわからないけど、私が犯人なのは間違いないわ」
「なんだ。やっぱりあんたが犯人じゃない」
「異変と言えば私だからね。他の連中さしおいて勝手な真似はさせないよ」
ゆっくりと立ち上がるレミリア。
その背後に陽炎を見た霊夢は思わず身構える。
「それにタダで帰れると思ってないわよね。ティータイムの邪魔をしてくれたんだから」
見つめられたら凍ってしまいそうな紅い視線を投げかけ、レミリアは笑う。
その姿を見つめ、霊夢は息をのむ。
「ちょうどよかった。さぁやるわよおバカな悪魔!」
札を手に飛びかかる霊夢。身構えるレミリア。
今まさに両者が交差する。
瞬間、世界に光が満ちた。
* * *
気がつけば霊夢は真っ白な世界にいた。
目の前にいたはずのレミリアは消え去り、代わりに紫がたたずんでいる。
「あれ……?」
「あれ、じゃないわよ。過ぎたのよ30秒」
「え、あ、うん」
どうやら熱中しているあまり時間の経過を忘れてしまったらしい。
我ながら不甲斐ないと、霊夢は頭をかく。
こうなるとテンションもガタ落ちだ。
さっさと終わらせて寝ようと思ったのに、やる気がでなくなる。
「時間がたりないのよねぇ」
「大丈夫よ、時間の境界も操れるから。でもそれに応じたお賽銭は貰うからそのつもりで」
「……上等じゃない。誰がやったかしらないけど、こんな異変考えた奴ボコボコにしてやるわ」
「でも、神社のお賽銭なんて実質ゼロだから、時間巻き戻せないのよね」
「何それ駄目じゃない!」
「とりあえず、やってみなさいよ」
「あ、はい」
紫に言われるがまま、呆然と札を構える霊夢。
何かがおかしいが、今は言われるままにやるほかなかった。
* * *
その後、霊夢は怪しそうな連中を倒して回った。
竹林の姫様に、冥界のお嬢様。山の上の神社に地獄の奥深く、人里近くの寺……。
とにかく片っ端から倒した。
みなノリノリで『自分がやった』と高らかに宣言していたが、実際は全部外れだった。
33回ほど幻想郷が滅んだ。
* * *
目の前に岩があった。
周囲を包むのは灼熱の大気。強烈に圧縮された空気は熱を持った暴風となって辺りを吹き荒れる。
隕石が落ちてくる空。
その中空で、霊夢は静かにたたずんでいた。
じっと正面を見据え、札を構える。
落ちてくるのはただの岩ではない。灼熱の炎に包まれた直径一キロを越える隕石だ。
受け止めることはおろか、破壊だって難しい。押し返すなんて無謀な代物。
それでも霊夢は小さく息を吐き、ひるむことなく突っ込んだ。
飛び散る火花。響き渡る破砕音は、暴風によってかき消される。
展開された陰陽玉が七色に輝き、結界の札が嵐のように舞い踊る。
「ちょっと何するつもり?」
どこからか紫の声が聞こえた。
呆れたような、驚きを含んだ声。きっと馬鹿にしているのだろう。
それでも霊夢は歯を食いしばり、隕石に全力を叩きこんだ。
「ふざけんじゃないわよ! たかが石っころ一つ、夢想天生で押し出してやる!」
「馬鹿なことはやめなさい」
「やってみなければわからないッ!」
そんな簡単に諦める精神構造など持ち合わせてはいなかった。
ざらざらした岩の表面へと両手を押し付け、ひたすらに踏ん張る。
何をしようとしているのかは一目瞭然。霊夢はこの巨大な隕石を止めようとしていた。
いや、ただ止めるだけでなく、押し返そうと。
30秒以前にこんな代物を受け止めるのは困難なのだが、今の霊夢は頭が回っていなかった。
というか、失敗しすぎてイライラの頂点である。
「ストレスで飛んじゃったのかしら……のこり15秒」
「あんたほど急ぎすぎもしなければ、制限時間に絶望もしちゃいない!!」
「とはいえ、小惑星の落下は始まっているのよね」
「博麗の巫女は伊達じゃない!!」
残り5秒。緊張が最大に達する。
その時、不意に隕石にかかる力が消失した。
「やったっ、とまった――!?」
霊夢の歓喜とは裏腹に、隕石は再び動き出す。
叫び声を上げるよりも早く、視界は真っ白に染まり、全てが消えていった。
* * *
「はぁ……はぁ……」
気がつけばまた真っ白な空間にいた。
だだっ広いホールのような世界には、呆れた様子の紫がぽつんと浮かんでいるだけである。
つまるところ失敗だ。
その事実を悟った瞬間、霊夢の全身から力が抜けた。
「はい34回目。なっさけないわねぇ」
「いやもう無理でしょこれ! 大体、月の馬鹿姉妹まで張り倒したのになんで解決しないのよ! 30秒で綿月KOとか前人未到よ!? 他に手なんてないじゃない!」
「だからって力づくで隕石押し返せば、魔理沙あたりが『霊夢にだけいい思いはさせないぜ』とか『幻想郷が駄目になるかならないかなんだ、やってみる価値はあるぜ』とか助けに来るとおもった? 馬鹿じゃないの?」
「うっさい!」
叫ぶも、霊夢としても自分の行動に嫌気がさしていた。
お賽銭がない以上、紫の時間操作はあてにならない。
異変解決のためには、犯人を30秒で倒さなければならないが、相手だって名のある妖怪だった。
敵に合わせて綿密な戦略を立てないといけないから、白い世界の滞在時間も多くなる。
回数こそ34回だが、ゲームオーバー後の考察タイムを時間に入れれば、プレイ時間はゆうに二時間を超えていた。
寝首をかいた回数は数知れず。
進めども進めども進展のない戦いに、さすがの霊夢も疲れ果てている。
「だいたい30秒なんて無理ゲーよ!」
もう嫌だった。
札を投げ捨て、真っ白い地面に寝転がってばたばた暴れる。
博麗の巫女としてのメンツもなにもなかった。
「いやいや霊夢。ゲームってのはクリアできるように作られてるものよ?」
「時間巻き戻せない時点で詰んでるじゃない!!」
「それはあなたが貧乏なのが悪いの」
「さらっと責任転嫁するんじゃないわよ。大体なによこのクソゲー、考えた奴アホでしょ」
「謝って! 二部上場企業に今すぐ謝って!!」
ものすごい形相で胸倉をつかむ紫。
「っと、私としたことが取り乱したわ」
「そのキャラつくってるでしょ……」
こほん、と咳払いをした紫が、霊夢に向き直る。
「でもね霊夢。ゲームってのはちゃんとクリアできるものよ?」
「そんなわけないじゃない」
「どんなムリゲーでもクリアしてる人はいるのよ。初代金閣寺とか、ひきこもりで五双龍とか花子さんとか。だからノーマルすらクリアできないってのはいいわけよ。大空魔術のlunaticじゃあるまいし」
「そ、それはそうだけど」
「フハハ、せいぜい頑張るんだな」
「……」
「やめて、無言で札構えないで」
焦る紫に対し、霊夢はひどく冷静だった。
別に怒りで構えたわけでもなかった。不満があるわけでもない。
頭の奥、何かが告げている。異変を解決に導く力、博麗の巫女としての勘が明確な答えを持ちつつある。
それは頭の中、混沌の空間で結晶化し、一つの輪郭を持った。
「……そうよ」
「霊夢……?」
「おかしいと思ったのよ。隕石とか滅亡とか30秒とか」
周囲の空気が冷えた。霊夢は殺意を持った目を、虚空に浮かぶ紫へと向ける。
それこそが明確な答え。狩るべきものがいったい誰なのかを示している。
「そもそもこのゲームを企画した馬鹿はいったい誰? 目の前にいるじゃない」
考えてみれば単純だった。
この世界を好き勝手に移動し、ゲームを管理している存在。
そんなものは一人しかいない。
「元凶は紫、あんたよ!」
「ふ……ふふ」
霊夢の指摘に、紫が困ったような、笑ったような表情を浮かべる。
「正解よ霊夢、犯人はヤスよ! ていうか今更よね。でも30秒で私がたおせるかし――」
「死ねぇ!!」
直後、ありったけの怒りを込めた渾身の右ストレートが紫の顔面に炸裂した。
「げふっ、む、無駄なことを……すぐにゲームオーバーよ……ってえ、あ、あれ?」
慌てる紫だが、一向に世界が切り替わらない。
「残念でした。この真っ白い空間、時間流れてないみたいなのよねぇ」
封魔針を指の間に挟んだ霊夢が、素敵な笑顔で紫へとにじり寄る。
「ここでボコボコにしてスタートしたらどうなるかしら」
「あの、それルール違反……」
「え、何、聞こえない」
「れ、霊夢さん?」
「覚悟、できてるわよね?」
「ひえぇ……」
世界に絶叫と光が満ちた。
* * *
幻想郷の端に位置する寂れた建物、博麗神社。
朝も近い時刻とあって、空が白み始める頃、霊夢はまだ布団の中でまどろんでいた。
紫のお遊びに付きあったせいでクタクタだった。
夢のような世界での出来事とはいえ、精神的にかかる負荷は否定できない。
起床時刻までは時間があるのだからのんびりしていようと思った結果だった。
どのくらいそうしていただろうか。
ごろり、と何気なく寝がえりを打ったとき、何かが顔に降りかかってきた。
避けようにも執拗にまとわりつく紙。
しばらく耐えていた霊夢だが、やがて我慢できなくなって飛び起きる。
「うるぁ!!」
「あ、起きた」
薄暗く、静寂に包まれた室内。そこには紫がいた。
顔には胡散臭い笑みを張り付け、手にした半紙をひらひらさせている。
「じゃじゃーん」
手にした紙には『巫女600』と書かかれた文字。
それが意味するところは、新しいゲームの予感だ。
「やっぱり30秒じゃつまらないじゃない? 現実の朝まではまだ時間もあるし、私ヒマだし、楽しむわよ」
「は……」
霊夢は悟った。もはや語る言葉はない。
「あら、どうしたの?」
「犯人はヤス!!」
次の瞬間、有無を言わさぬ夢想封印が、紫を神社の外へと吹っ飛ばしていった。
欲をいえば各犯人候補の描写が欲しかったです。
紅魔館に飛んだときはいつかの隕石のようにフランドールに破壊してもらうためだと思ったら