“妖怪を殺すものは退屈である”
妖怪達の街幻想郷は眠らない。
日が沈み人間達が早々に寝静まると魑魅魍魎が騒ぎ出す。夜は墓場で運動会、などと流行歌として口ずさまれるように、この地では毎晩人外どもの宴が開かれる。何しろ彼らにとっては暇を持て余すことは死と同義であるからして、毎日が飲茶でなければならない。
今宵妖怪の山の麓にある天狗所有のカジノに数多の妖怪が集まった。賭け事は彼らにとって主要な娯楽の一つである。もっとも施設に入りきらないほどの数が押し掛けたのは今日が初めてであった。何故かというと幻想郷を牛耳る名士達がこぞって集まり一大ゲームを行うという噂があったのだ。そんな滅多にないことが起こるということで見物客を多数動員したわけである。
急遽各部屋の障子が取り払われ大きな一つのホールとなった会場の中央には、長い机が一つ置かれていて、その上にはゲームで使うと思われる0から80まで書かれた9×9マスの数字の表が敷かれていた。さらに机を取り囲むように十二体の、今回のゲームに参加すると思われる妖怪が座っていた。
その顔ぶれたるや、豪華の一言に尽きる。少なくともその半数は幻想郷最強クラスの大妖怪。それらが遊びとはいえ勝負するというのだから、並々ならぬ緊張感と期待感が周囲を覆っていた。
「……蓬莱山輝夜」
十二体のうち一体、眼鏡をかけた男性が静かに声を発する。周りは一斉に名前を呼ばれた黒髪の少女へと注目した。永遠亭の姫君、蓬莱山輝夜。高貴さの中に狂気を秘めた雰囲気をまとう彼女は、優雅な手つきで表の8の字に自分のチップを置いた。
「私は八番に賭けるわ」
進行役と思われる眼鏡の男は輝夜にその根拠を尋ねた。
「勘よ。だって私はあの子のことよく知らないもの。けれど八という数字は夜を意味する。あの子が夜を生きるようになる、というのであればそれは八が相応しいと思わない?」
「縁起を根拠にするなんて、まるで貴方は生きた化石ですね」
輝夜の隣に座する天狗が茶々を入れる。それを聞いて輝夜はククッとあくまで余裕を含んだ笑いをして返した。
「そう、ここ幻想郷では化石は生きている。ならば賭け事に魔術的根拠を求めるのも有効と言えるのではなくて、ねぇ? 化石仲間さん」
「……他の天狗と一緒にしてもらっては困ります。何せ私は幻想郷最速にして最新を追う」
「射命丸文」
眼鏡の男が話を遮るように重々しい口を開く。呼びかけられた天狗、射命丸文は軽やかに自分のチップをポケットから取り出すと、辺りを見回してからチップを掴んだ方の手を大きく掲げて宣言した。
「では私は三番で。根拠に関しては機密事項としておきます、が皆さんに言っておきます。今回の賭けはどれだけ情報を持っているかがカギですよ。勝負は事前に集めた情報量によって決まるのです。あ、私に便乗して同じ番号にかけてもらっても全然構わないですがね! その際には一言連絡お願いします」
長々と喋り終えるとわざと音が鳴るように表の3の字にチップを叩き付けた。相手を小馬鹿にするような彼女のパフォーマンスに対し一気に周囲から野次が飛んでくる。
「引っ込め自信過剰な天狗め」
「取材口調で下手に出てるのが最高にムカつくわ」
「外れろ―」
一方文当人は周りの罵声も馬耳東風といった感じで涼しい顔で聞き流していた。自分の賭けに自信があったのも勿論だが、こうして相手を煽り頭に血を上らせて正常な判断を鈍らせる作戦、そして観客へのパフォーマンス精神、それらを含めて彼女の賭けのスタイルであった。
それにここの賭博場は彼女のホームグラウンドでもある。オーナーとは古い付き合いだし入り浸っていることもあって裏事情にも通じている。よって多少アウェーなムードを喚起してやった方がバランスが取れて良いだろうと考えていた。こうした場の空気の調整を行いつつ存在感を示そうと演出するのが、天狗社会の一員であり、目立ちたがりの新聞記者でもある射命丸文という妖怪であった。
「……上手く立ち回るねぇ天狗は。あそこまで煽られてやつに近い数字を賭けるやつはそうそう出てこない。今回の賭けは若い数字に集中しそうな気配があったしねぇ。やっぱり任せて正解だったでしょ」
「そうかい? 神奈子はあのお喋り天狗を買い被りすぎじゃない?」
観衆に混じって守矢の二柱、八坂神奈子と洩矢諏訪子が会話していた。今回二柱は直接賭けに参加せず、自分達の勢力下にある妖怪達を支持、という形で賭けていた。それはこの二柱に限らず、これを見物しに来ている者たちはそれぞれ参加者の誰が勝つか、と勝手に場外で賭けを始めていた。
「神奈子が天狗に賭けるなら私は別のやつに賭けちゃおうかなー」
「あら裏切り?」
「どっちが勝っても『守矢の勝ち』には変わらない。だったらいいじゃんその方が面白いし」
「それもそうねぇ。じゃあ次のやつにでも賭けるかい?」
神奈子は文の隣を指差した。
「あいつ、はええと確か……」
「アリス・マーガトロイド」
眼鏡の男が向かいの席の金髪碧眼の少女に向かって声をかける。“七色の人形遣い”アリス。その名で知られる通り彼女は人形を器用に操ってチップを運ばせる。机の上に立った人形は軽くお辞儀をした後表の10の数字にチップを置いた。
「私は十番にベット。あいつはまだまだ未熟よ。早くて十年なんじゃない?」
そう言ってアリスは文の方を軽く見る。その眼は無言で文の集めた情報とやらは間違っていると指摘していた。挑発。もっとも文は安易に乗るつもりはない。それを無視することにして笑顔の仮面を被った。するとアリスの左隣の方が口を開いた。
「君は天狗が過大評価をしていると思っているようだが君こそ過小評価というものではないか?」
「何ですって?」
怪訝な表情でアリスは視線を変える。その先にはかの聖人その人が不敵な笑みを浮かべていた。
「……豊聡耳神子殿」
歴史的偉人を前にして本来公平さを保たねばならない進行役も思わず敬称をつけてしまう。神子は名を呼ばれると全く無駄のない動作ですぐさま表にチップを置いた。
「彼女にはすぐにその願いを叶える力が備わっている。一番」
0を除くもっとも若い数字にチップが置かれたことで周囲にどよめきが巻き起こった。ある者は驚嘆しある者は悲嘆しある者は感嘆した。
「……あらあら大きく出たわね」
アリスがすぐさま悪態をつく。神子は不敵な笑みを崩さず言い返した。
「『新入り風情がわかったような口をきく』かい? 長い付き合いだとしても理解力のない者には一生相手のことを知ることはできんよ。ええ? 幼き魔法使い」
「お前……ッ!」
アリスは思わず掴みかかろうとするが一瞬底知れぬ威圧感を神子の隣の僧侶から感じ取り、手を引っ込める。神子も余計なことをと左隣をチラッと睨んだ。
「聖白蓮」
名前を呼ばれたこの僧侶、封印を解かれ幻想郷に姿を現して以来、その勢力を拡大しつつある大魔法使いであった。一見物腰柔らかそうな印象を与えるが敵対する者には容赦も慈悲もないことで知られている。そして滲み出る膨大な魔力が周りに貫録を示していた。そんな彼女がチップを置いた先には意外な数字が示されていた。
「それでは四十八番でお願いできますか」
今までの四人から遠く離れた数字に賭けた白蓮に観客はおろか眼鏡の男も驚いた様子で、すぐさま根拠は何かと訊いた。
「彼女は人であることを望み、今はきっと人でいられるでしょう。ですがいずれ老いの恐ろしさに気づく。その時になってようやく彼女は決断する、と私は考えています」
「それは君自身の経験ですかね?」
神子が揶揄するように口を挟む。
「その言葉、そのままそっくりお返しいたします」
目的は同じ不老不死だったとはいえそれに至るために歩んだ道もその結果としての現在の立場も正反対の二人はすこぶる仲が悪かった。柔和な表情を崩さないものの白蓮は喧嘩腰で応答し神子もまた同様の姿勢を取った。
「自分の欲望が為にその道を求めた君と一緒にされちゃ困るな、破戒僧」
「貴方こそ自分の偽善にいい加減気づいたらどうです? 聖人紛い」
一気に空気がピリピリし始め、一緒即発の状態が築かれる。賭け事の場ではその性質上こういう緊張に包まれることは常であったが今回はなにせ幻想郷のパワーバランスの一角を担う大妖怪の集まりである。下手すると大戦争が勃発して幻想郷が滅茶苦茶になりかねない。妖精の馬鹿騒ぎなどとは次元が違うのである。
異様な雰囲気に観衆も雑談をやめ辺りは静まり返る。この場を取り仕切っているとはいえ格上の相手の間に割って入る度胸がなく困っている眼鏡の男。そうした状況の中、ふいにぐぎゅううっという大きな腹の音が鳴り響いた。
「あら御免あそばせ。私お腹がすいちゃって……ちゃっちゃと回して終わらせちゃいましょうよ、ね?」
音を鳴らした参加者の一人が間抜けな声を周りにかけた。神子と白蓮の二人も興が削がれたという感じで剥き出しの敵対心を引っ込め、緊張が解かれる。場が再び観衆のざわめきに満たされて元の空気を取り戻していった。進行役は咳払いを一つするとズレた眼鏡を押し上げて次の参加者の名を呼んだ。
「河城にとり」
「ひゃい!?」
白蓮のすぐ隣でいまだ震えていたにとりは素っ頓狂な声を上げた。妖怪の山に住む河童である彼女は賭け事よりは相撲の方が好きであった。神奈子の差し金で参加することになったものの他のメンツと比べて浮いていることは明らかだった。
「あーあ可哀想に委縮しちゃってるじゃない。あいつの枠を私にくれたら良かったのにさー」
諏訪子はチラッと神奈子の方を見る。
「いやいや、彼女はこのゲームの流れを変える重要な駒にして抑止力。まぁ見てなさいな」
「どういう意味?相変わらず神奈子の考えることはよーくわからないわ」
余裕たっぷりに言う神奈子に呆れて諏訪子は欠伸をするふりをした。そんな二人のやり取りをよそににとりはおっかなびっくり自分のチップを表上に置いた。
0。もっとも若い数字であるがそれ以上に今回のゲームにおいては特殊な番号であることを意味していた。
「ひぇぇ来る場所間違えちゃったよ……あ、一応ここに賭けておくよ。そもそもあいつはそんな風にならないんじゃないかなと。まぁ私の願望と言われてしまえばおしまいだけど」
これで半数がそれぞれチップを置き終え、折り返し地点を迎えた。始めはどういうゲームか知らずに見に来た野次馬もいたが、そろそろその内容を理解し始めていた。単純な数字当て、それは見ての通りだが問題はその対象だ。ここでの数字はイコール年数を示す。それはどうもある人間がいて、そいつが人間じゃなくなるまでにかかる時間のことのようだった。ちなみに0はNothing、対象が人間をやめない、である。実質0は80の次の数字であった。
多少の開きはあると言えど短い年数に賭けたのが四体、長い年数がかかる、あるいは一生そのままと読んだのが二体。現時点で期待値は低い数字となっている、だが……
「大体神奈子の言った通りになってるけど、本当にこの先ゲーム展開が変わるのかい?」
「えぇ。ここで河童が零番の前例を作った。これで残りの連中も何人かは零番に賭けてくるはず。もっともこのゲームの正体が明かされるにつれてバラバラになっていくと思うけどね」
「正体も何もただの当てずっぽう大会じゃ……ん?」
首を傾げる諏訪子を神奈子はニヤニヤした目つきで見やる。やがてハッと神奈子の意図に気づいて諏訪子は興奮気味に言った。
「あーあーあー! そうゆうことかぁ! 成程ねぇ……じゃあ私は次のやつに賭けるわ。そう言うことならあいつ、というかあそこは最有力候補じゃないの」
「そう上手くいくかしら?」
クスクスと笑う神奈子。諏訪子も一緒になって笑みを溢す。
「あそこの二柱、何がおかしいんだろ」
「さぁな、おいそろそろ次が呼ばれるぞ」
観客達は机を挟んで輝夜の正面に向かい合っている七番目の少女の方へ注目を高めていた。
「……パチュリー・ノーレッジ」
座席列の端から端へと呼びかける声が放たれる。悪魔の棲む館、紅魔館。普段はそこで引き籠って魔法の研究に明け暮れている通称“動かない大図書館”が今動く。
「じゃあ私は七番。本当は何番でもいいんだけどねぇ、どうせうちにはレミィがついてるし」
気怠い様子で表にチップを置くパチュリー。その発言に他の参加者達が驚きの目で見る。誰もがその意図を問おうとした。最初に口を開いたのは自分の手番が終わってからは静観を決め込んでいた文だった。
「それはどういう意味で?」
パチュリーはまるで周りなど眼中にないというような投げやりな口調で返答する。
「どうもこうもこれはそういうゲームってことよ。こんなもの、純粋な賭けでもなんでもない。それがわからないんじゃ土俵にすら立てないわよっと」
「ハァ? どういうことよ! ……ははぁん、アンタ、それブラフでしょ。その手には乗らないわよ」
アリスは勝手にそう言うと自分で納得する。しかしパチュリーはそんなアリスを見下すように言い放つ。
「私の手に乗らなくて結構。お前などお呼びではない」
「……パチェ後で磔刑」
「貴方の犬度は91点。よく吠えるから」
魔法使いは基本的に自尊心の高い生き物だ。客観的に見てどうかはともかく基本的に同族相手には自分が上、相手が下という主観を前提として話す。アリスとパチュリーの関係も典型的なそれであった。
「ブラフとは私には思えないが……ところで“れみい”とは一体?」
今度は神子が質問する。パチュリーはそのおかしさに思わず吹きそうになるが堪えつつ「幸運の女神……」とまで言って結局吹き出した。神子以外の参加者もつられて爆笑する。可哀想な新参者は顔を真っ赤にしてどういうことだと怒った。
「あぁごめんなさいね、レミィは私の」
「霍青娥」
空気を読まず、あるいは読んだ上でか、眼鏡の男は何食わぬ顔で次の参加者の名前を呼ぶ。笑い声に包まれるという異様な雰囲気の中でも涼しい顔をしている少女、いや少女というにはあまりに妖艶な、霍青娥はチップを置く前に右手を挙げて口を開いた。
「親に確認してもよろしいでしょうか?ここでの『対象が人外になる』の定義について。人間のまま死んで幽霊になったとしてもそれは『対象が人外になる』に当てはまります?もしくは仙人や天人になったりも含まれますかね?」
ここにきてゲームルールに関する質問が飛び出す。男は眼鏡を弄りながら答える。
「あ……いいや、種族魔法使いに限定される。すまない説明不足だったね」
他の大体の参加者にとっては自明のこととはいえ幻想郷に来て日の浅い青娥にはわからないのも当然だったと彼が謝る。
「なんと! それをあらかじめ言っておかぬか! 今知ったわ」
同じく新参者の神子が抗議する。だがそれを青娥が遮る。
「神子様、これでよいのです。今のタイミングで」
「……何かを企んでいるか。わかった」
神子と青娥が繋がっているのは周知の事実。もっとも実態は互いの目的のために利用しあう仲であったが。神子は青娥のことを信頼はしていなかったが信用はしていた。邪仙として彼女がこれまでに成してきた所業の数々を考慮して。
青娥は男に礼を言いつつ自分の手番を始めた。
「成程よくわかりましたわ。では零番で。その方が色々とやりやすいもの」
空気がガラッと変わる。冷たい微笑みをたたえる青娥に周囲は異質なものを感じ取った。もっともこの時点で彼女の意図を完全に理解していた者は少ない。その中で唯一リアクションを取ったのがパチュリーであった。彼女は血相を変えて隣の青娥の方を向く。
「……」
「パチュリー?」
「……私だけ……そう」
パチュリーはさっとあたりを見回すと自分以外に反応したものがいないことを知り、なんでもなかったという風に下を向いた。しかしこの彼女の振る舞いによって多くの者が何かとんでもないことになってきていると認識するに至った。とはいえその詳しい内容を把握するのは次の参加者の発言を待たなければならなかった。
「古明地こいし」
「はーい」
名前を呼ばれた九番目の妖怪少女、古明地こいしが元気よく返事する。
「あれ、あんなやついたっけ」
「古明地妹? 今気づいたぞ」
見物人が不思議に思うのも無理はない。彼女は無意識を操るという稀有な能力でもって自分の存在感を消すことができるのだ。他者との関わりを好まないが故に身に着けた処世術である。
だがそれは一度姿を現せば周りとの衝突が避けられないことの裏返しでもあった。そういう危うさを持ったこの幼い妖怪はにとり・青娥のチップに自分の物を重ねた後、案の定とんでもないことを口走った。
「私も同じく零番ね。あの子は私の愛すべき死体になるの。だから人間やってる間に殺さないとね!」
その場に戦慄が走る。ある者は顔を引きつらせある者はため息交じりに、またある者は怒りを滾らせてこいしを見る。あるいは同じように青娥を見る者もいた。
「そうはさせるものか!」
にとりが怒声を上げる。それに対しこいしは何でそういう反応をされるのかわからないと困惑した。
「あら、貴方も零番でしょ。そんな怖い顔しないで、お互い仲良くしようよ」
机を挟んで向かい側のにとりに握手を求めて手を差し出すこいし。しかしにとりはその手を憎々しげに叩き払う。
「ふん、私は賭けなんてどうだっていいんだ。けど盟友を殺すというのであれば話は別だ。私はあんたの敵になるよ」
「独り占めしたいってわけね! 素敵よそういうの」
基本的にこの妖怪相手に話は通じない。アリスや白蓮も始めこそこいしを睨んでいたもののやがて無駄だと悟るとそれをやめた。
「……ぶっ飛んでるねぇアレ。それはそうと、これがこのゲームの定石ってやつかい?」
「そうね。これは賭けに見えて実際には賭けた後様々な手段を用いて対象を誘導するゲーム。そういう意味では零番に賭けて明日にでも対象をぶっ殺してしまうのが一番手っ取り早い。諏訪子、祟り神としての能力を生かすなら奴らとつるむのが理論上最適よ」
諏訪子は首を大きく振る。
「冗談よせやい。私に早苗から友達を奪うなんて非道な真似できるもんか」
「同感。まぁ零番は一枚岩にならないように河童という楔は打ち込んであるけど、然らば最大の脅威は奴になるわね」
そう言って神奈子はこいしの右隣の呆けた表情で上を向いている亡霊姫を指差した。
「西行寺幽々子……西行寺さん、君の番だよ」
「おなかすいたわ」
そう不満を溢す西行寺幽々子に威厳など感じられないが、これでも冥界を統べる大妖怪にして死を操るという規格外の能力を持つ化物である。神奈子が彼女を「最大の脅威」と称したのは紛れもなくその能力を持つが故であった。自由自在に人を殺せるこの亡霊少女が零番に賭けた時、ゲームは始まる前からほぼ終わったことになる。
それを幽々子本人も承知である。その上で彼女は周囲の予想に反する行動を起こした。
「零番……と言いたいところだけど私が零番に賭けちゃったら明日にでも決着がついてしまうわ。それじゃあ勝っても詰まらないもの。そうね、穴場を狙って三十三番とかどう?」
そう言って空白の30番台にチップをポンっと置くと観客の中にいる神奈子と諏訪子に向かってニッコリと微笑みかけた。
「良かったね神奈子。こっちの目論見はバレバレっぽいけど」
「……やはり脅威だわアレは。真っ先に潰しておくべきね」
「同感」
諏訪子は頷いて一足先に姿を消す。ゲームはもう始まっている。気が付けば溢れんばかりの妖怪で犇めき合っていた会場にぽつ、ぽつと隙間ができ始めていた。
「八雲紫」
最後から二番目になってようやく幻想郷の最高権力者との呼び声も高い妖怪の賢者のお出ましである。二度に渡る月面戦争や博麗大結界による幻想郷の隔離を指揮し、一説にはスペルカードルール制定にまで関わったとされる彼女は何かあるごとに黒幕として名が上がる。今回のカジノゲームについても恐らく此奴の発案だろうということは周りも薄々感じていた。
表の15の数字が書かれたマスに突然紫のチップが出現する。その数字自体にはもはやそれほど意味はない。
「これは一人の哀れな少女の生を弄ぶ余興。得られるものは競争相手を出し抜く優越感、そして退屈を殺す尊い時間よ」
彼女は芝居がかった口調で語り始める。
「それで私は十五番に誘導することをここに告げる。諸君らは我ら十二人の誰か、あるいは誰でもない、に賭けるがいい! 幻想郷に住むものであれば誰にでも参加する権利が有る! 各々自分の持てる全てを尽くして挑むがよい!」
「いいだろう、載せられてやろうじゃないか。ただし最後に笑うのはお前じゃない、この私だ」
紫の演説に応えるように神奈子は独り言を漏らす。それは群衆の雑音の一つとして蓄積された。熱狂する百鬼を前に紫は一呼吸置いてから高らかに宣言した。
「さぁ今宵始まるわ、弾幕ごっこに代わる新時代のアソビ、霧雨カジノロワイヤルが!」
会場は拍手喝采に包まれる。誰もが熱に浮かされたのかのように最上級の娯楽の到来を持て囃した。この狂気と狂喜の宴の中央で、輝夜は文はアリスは神子は白蓮はにとりはパチュリーは青娥はこいしは幽々子は紫は、そして最後の一人はそれぞれの思いを胸に秘め戦いに臨もうとしていた。
「ではラストワードをお願いしますわ。森近霖之助」
紫はこれまで進行を司ってきた眼鏡の男性、骨董屋「香霖堂」店主、森近霖之助にバトンを渡す。全員の注目が一斉に注がれる。霖之助はコホンと一つ咳払いをすると静かに、けれど力強くチップを表に置いて言った。
「では最後に僕も賭けよう。十二番にベットだ。これにてこの場は閉会、ゲームは開始ということでいいかね。諸君らの健闘を祈る。解散!」
***
その翌日の朝、店を開けようと準備をする森近霖之助の前に霧雨魔理沙が現れた。昨日の今日と言うことで霖之助は彼女の来訪に少し動揺したが、すぐに彼女からミニ八卦炉の予備の製作を頼まれていたことを思い出して、平静の落ち着きさを取り戻して言った。
「やぁ魔理沙、例の物を取りに来たんだね。できてるよ」
「流石香霖、仕事が早くて助かるぜ」
屈託なく笑う魔理沙を見て霖之助は申し訳ない気持ちになる。何しろ自分達妖怪はこれから彼女をオモチャにしようと言うのだから。親を務めたのは彼にとって本意ではなかったが、我関せずで紫らに全部やらせるとそれこそどうなるかわかったものではない。
「それで予備の八卦炉だけど今の君に合わせて出力を80%アップさせた他緋々色金にガンダリウムγを混ぜて強度を上げておいたよ」
こうして彼女により強力な武器を手渡すのは、彼女の命を狙う妖怪たちから身を守れるようにという狙いがあった。安っぽい贖罪だと霖之助は内心自嘲する。こうして魔理沙を気遣うそぶりを見せる裏であのカジノゲームに参加して楽しみを享受したりあわよくば賭けに勝って大金をせしめようなどと考えている自分がいるじゃないかと。
「ガンダ……何だ? そこまで頼んだ覚えはないんだが。なんか気持ち悪いな」
「いや、お得意先だからね。ちょっとしたサービスさ。御代はいらないよ」
遠慮ならいらないぜと言う魔理沙に遠慮なんかしてないさと答える霖之助。このやり取りは二人の間で通例となっていた。
「ふーん。十二円ぐらい期待してるんじゃないかと思ったぜ。まぁいいや有難うな。夜道には気をつけとくぜ。じゃあな」
魔理沙はミニ八卦炉を受け取ると珍しくすぐに帰った。開きっぱなしのドアの先をしばし見つめる霖之助の顔は青ざめ汗がだらだらと流れていた。
「『十二』円だって? ……遊ばれているのは僕らの方かもしれないな」
“退屈を殺すものは人間である”
妖怪達の街幻想郷は眠らない。
日が沈み人間達が早々に寝静まると魑魅魍魎が騒ぎ出す。夜は墓場で運動会、などと流行歌として口ずさまれるように、この地では毎晩人外どもの宴が開かれる。何しろ彼らにとっては暇を持て余すことは死と同義であるからして、毎日が飲茶でなければならない。
今宵妖怪の山の麓にある天狗所有のカジノに数多の妖怪が集まった。賭け事は彼らにとって主要な娯楽の一つである。もっとも施設に入りきらないほどの数が押し掛けたのは今日が初めてであった。何故かというと幻想郷を牛耳る名士達がこぞって集まり一大ゲームを行うという噂があったのだ。そんな滅多にないことが起こるということで見物客を多数動員したわけである。
急遽各部屋の障子が取り払われ大きな一つのホールとなった会場の中央には、長い机が一つ置かれていて、その上にはゲームで使うと思われる0から80まで書かれた9×9マスの数字の表が敷かれていた。さらに机を取り囲むように十二体の、今回のゲームに参加すると思われる妖怪が座っていた。
その顔ぶれたるや、豪華の一言に尽きる。少なくともその半数は幻想郷最強クラスの大妖怪。それらが遊びとはいえ勝負するというのだから、並々ならぬ緊張感と期待感が周囲を覆っていた。
「……蓬莱山輝夜」
十二体のうち一体、眼鏡をかけた男性が静かに声を発する。周りは一斉に名前を呼ばれた黒髪の少女へと注目した。永遠亭の姫君、蓬莱山輝夜。高貴さの中に狂気を秘めた雰囲気をまとう彼女は、優雅な手つきで表の8の字に自分のチップを置いた。
「私は八番に賭けるわ」
進行役と思われる眼鏡の男は輝夜にその根拠を尋ねた。
「勘よ。だって私はあの子のことよく知らないもの。けれど八という数字は夜を意味する。あの子が夜を生きるようになる、というのであればそれは八が相応しいと思わない?」
「縁起を根拠にするなんて、まるで貴方は生きた化石ですね」
輝夜の隣に座する天狗が茶々を入れる。それを聞いて輝夜はククッとあくまで余裕を含んだ笑いをして返した。
「そう、ここ幻想郷では化石は生きている。ならば賭け事に魔術的根拠を求めるのも有効と言えるのではなくて、ねぇ? 化石仲間さん」
「……他の天狗と一緒にしてもらっては困ります。何せ私は幻想郷最速にして最新を追う」
「射命丸文」
眼鏡の男が話を遮るように重々しい口を開く。呼びかけられた天狗、射命丸文は軽やかに自分のチップをポケットから取り出すと、辺りを見回してからチップを掴んだ方の手を大きく掲げて宣言した。
「では私は三番で。根拠に関しては機密事項としておきます、が皆さんに言っておきます。今回の賭けはどれだけ情報を持っているかがカギですよ。勝負は事前に集めた情報量によって決まるのです。あ、私に便乗して同じ番号にかけてもらっても全然構わないですがね! その際には一言連絡お願いします」
長々と喋り終えるとわざと音が鳴るように表の3の字にチップを叩き付けた。相手を小馬鹿にするような彼女のパフォーマンスに対し一気に周囲から野次が飛んでくる。
「引っ込め自信過剰な天狗め」
「取材口調で下手に出てるのが最高にムカつくわ」
「外れろ―」
一方文当人は周りの罵声も馬耳東風といった感じで涼しい顔で聞き流していた。自分の賭けに自信があったのも勿論だが、こうして相手を煽り頭に血を上らせて正常な判断を鈍らせる作戦、そして観客へのパフォーマンス精神、それらを含めて彼女の賭けのスタイルであった。
それにここの賭博場は彼女のホームグラウンドでもある。オーナーとは古い付き合いだし入り浸っていることもあって裏事情にも通じている。よって多少アウェーなムードを喚起してやった方がバランスが取れて良いだろうと考えていた。こうした場の空気の調整を行いつつ存在感を示そうと演出するのが、天狗社会の一員であり、目立ちたがりの新聞記者でもある射命丸文という妖怪であった。
「……上手く立ち回るねぇ天狗は。あそこまで煽られてやつに近い数字を賭けるやつはそうそう出てこない。今回の賭けは若い数字に集中しそうな気配があったしねぇ。やっぱり任せて正解だったでしょ」
「そうかい? 神奈子はあのお喋り天狗を買い被りすぎじゃない?」
観衆に混じって守矢の二柱、八坂神奈子と洩矢諏訪子が会話していた。今回二柱は直接賭けに参加せず、自分達の勢力下にある妖怪達を支持、という形で賭けていた。それはこの二柱に限らず、これを見物しに来ている者たちはそれぞれ参加者の誰が勝つか、と勝手に場外で賭けを始めていた。
「神奈子が天狗に賭けるなら私は別のやつに賭けちゃおうかなー」
「あら裏切り?」
「どっちが勝っても『守矢の勝ち』には変わらない。だったらいいじゃんその方が面白いし」
「それもそうねぇ。じゃあ次のやつにでも賭けるかい?」
神奈子は文の隣を指差した。
「あいつ、はええと確か……」
「アリス・マーガトロイド」
眼鏡の男が向かいの席の金髪碧眼の少女に向かって声をかける。“七色の人形遣い”アリス。その名で知られる通り彼女は人形を器用に操ってチップを運ばせる。机の上に立った人形は軽くお辞儀をした後表の10の数字にチップを置いた。
「私は十番にベット。あいつはまだまだ未熟よ。早くて十年なんじゃない?」
そう言ってアリスは文の方を軽く見る。その眼は無言で文の集めた情報とやらは間違っていると指摘していた。挑発。もっとも文は安易に乗るつもりはない。それを無視することにして笑顔の仮面を被った。するとアリスの左隣の方が口を開いた。
「君は天狗が過大評価をしていると思っているようだが君こそ過小評価というものではないか?」
「何ですって?」
怪訝な表情でアリスは視線を変える。その先にはかの聖人その人が不敵な笑みを浮かべていた。
「……豊聡耳神子殿」
歴史的偉人を前にして本来公平さを保たねばならない進行役も思わず敬称をつけてしまう。神子は名を呼ばれると全く無駄のない動作ですぐさま表にチップを置いた。
「彼女にはすぐにその願いを叶える力が備わっている。一番」
0を除くもっとも若い数字にチップが置かれたことで周囲にどよめきが巻き起こった。ある者は驚嘆しある者は悲嘆しある者は感嘆した。
「……あらあら大きく出たわね」
アリスがすぐさま悪態をつく。神子は不敵な笑みを崩さず言い返した。
「『新入り風情がわかったような口をきく』かい? 長い付き合いだとしても理解力のない者には一生相手のことを知ることはできんよ。ええ? 幼き魔法使い」
「お前……ッ!」
アリスは思わず掴みかかろうとするが一瞬底知れぬ威圧感を神子の隣の僧侶から感じ取り、手を引っ込める。神子も余計なことをと左隣をチラッと睨んだ。
「聖白蓮」
名前を呼ばれたこの僧侶、封印を解かれ幻想郷に姿を現して以来、その勢力を拡大しつつある大魔法使いであった。一見物腰柔らかそうな印象を与えるが敵対する者には容赦も慈悲もないことで知られている。そして滲み出る膨大な魔力が周りに貫録を示していた。そんな彼女がチップを置いた先には意外な数字が示されていた。
「それでは四十八番でお願いできますか」
今までの四人から遠く離れた数字に賭けた白蓮に観客はおろか眼鏡の男も驚いた様子で、すぐさま根拠は何かと訊いた。
「彼女は人であることを望み、今はきっと人でいられるでしょう。ですがいずれ老いの恐ろしさに気づく。その時になってようやく彼女は決断する、と私は考えています」
「それは君自身の経験ですかね?」
神子が揶揄するように口を挟む。
「その言葉、そのままそっくりお返しいたします」
目的は同じ不老不死だったとはいえそれに至るために歩んだ道もその結果としての現在の立場も正反対の二人はすこぶる仲が悪かった。柔和な表情を崩さないものの白蓮は喧嘩腰で応答し神子もまた同様の姿勢を取った。
「自分の欲望が為にその道を求めた君と一緒にされちゃ困るな、破戒僧」
「貴方こそ自分の偽善にいい加減気づいたらどうです? 聖人紛い」
一気に空気がピリピリし始め、一緒即発の状態が築かれる。賭け事の場ではその性質上こういう緊張に包まれることは常であったが今回はなにせ幻想郷のパワーバランスの一角を担う大妖怪の集まりである。下手すると大戦争が勃発して幻想郷が滅茶苦茶になりかねない。妖精の馬鹿騒ぎなどとは次元が違うのである。
異様な雰囲気に観衆も雑談をやめ辺りは静まり返る。この場を取り仕切っているとはいえ格上の相手の間に割って入る度胸がなく困っている眼鏡の男。そうした状況の中、ふいにぐぎゅううっという大きな腹の音が鳴り響いた。
「あら御免あそばせ。私お腹がすいちゃって……ちゃっちゃと回して終わらせちゃいましょうよ、ね?」
音を鳴らした参加者の一人が間抜けな声を周りにかけた。神子と白蓮の二人も興が削がれたという感じで剥き出しの敵対心を引っ込め、緊張が解かれる。場が再び観衆のざわめきに満たされて元の空気を取り戻していった。進行役は咳払いを一つするとズレた眼鏡を押し上げて次の参加者の名を呼んだ。
「河城にとり」
「ひゃい!?」
白蓮のすぐ隣でいまだ震えていたにとりは素っ頓狂な声を上げた。妖怪の山に住む河童である彼女は賭け事よりは相撲の方が好きであった。神奈子の差し金で参加することになったものの他のメンツと比べて浮いていることは明らかだった。
「あーあ可哀想に委縮しちゃってるじゃない。あいつの枠を私にくれたら良かったのにさー」
諏訪子はチラッと神奈子の方を見る。
「いやいや、彼女はこのゲームの流れを変える重要な駒にして抑止力。まぁ見てなさいな」
「どういう意味?相変わらず神奈子の考えることはよーくわからないわ」
余裕たっぷりに言う神奈子に呆れて諏訪子は欠伸をするふりをした。そんな二人のやり取りをよそににとりはおっかなびっくり自分のチップを表上に置いた。
0。もっとも若い数字であるがそれ以上に今回のゲームにおいては特殊な番号であることを意味していた。
「ひぇぇ来る場所間違えちゃったよ……あ、一応ここに賭けておくよ。そもそもあいつはそんな風にならないんじゃないかなと。まぁ私の願望と言われてしまえばおしまいだけど」
これで半数がそれぞれチップを置き終え、折り返し地点を迎えた。始めはどういうゲームか知らずに見に来た野次馬もいたが、そろそろその内容を理解し始めていた。単純な数字当て、それは見ての通りだが問題はその対象だ。ここでの数字はイコール年数を示す。それはどうもある人間がいて、そいつが人間じゃなくなるまでにかかる時間のことのようだった。ちなみに0はNothing、対象が人間をやめない、である。実質0は80の次の数字であった。
多少の開きはあると言えど短い年数に賭けたのが四体、長い年数がかかる、あるいは一生そのままと読んだのが二体。現時点で期待値は低い数字となっている、だが……
「大体神奈子の言った通りになってるけど、本当にこの先ゲーム展開が変わるのかい?」
「えぇ。ここで河童が零番の前例を作った。これで残りの連中も何人かは零番に賭けてくるはず。もっともこのゲームの正体が明かされるにつれてバラバラになっていくと思うけどね」
「正体も何もただの当てずっぽう大会じゃ……ん?」
首を傾げる諏訪子を神奈子はニヤニヤした目つきで見やる。やがてハッと神奈子の意図に気づいて諏訪子は興奮気味に言った。
「あーあーあー! そうゆうことかぁ! 成程ねぇ……じゃあ私は次のやつに賭けるわ。そう言うことならあいつ、というかあそこは最有力候補じゃないの」
「そう上手くいくかしら?」
クスクスと笑う神奈子。諏訪子も一緒になって笑みを溢す。
「あそこの二柱、何がおかしいんだろ」
「さぁな、おいそろそろ次が呼ばれるぞ」
観客達は机を挟んで輝夜の正面に向かい合っている七番目の少女の方へ注目を高めていた。
「……パチュリー・ノーレッジ」
座席列の端から端へと呼びかける声が放たれる。悪魔の棲む館、紅魔館。普段はそこで引き籠って魔法の研究に明け暮れている通称“動かない大図書館”が今動く。
「じゃあ私は七番。本当は何番でもいいんだけどねぇ、どうせうちにはレミィがついてるし」
気怠い様子で表にチップを置くパチュリー。その発言に他の参加者達が驚きの目で見る。誰もがその意図を問おうとした。最初に口を開いたのは自分の手番が終わってからは静観を決め込んでいた文だった。
「それはどういう意味で?」
パチュリーはまるで周りなど眼中にないというような投げやりな口調で返答する。
「どうもこうもこれはそういうゲームってことよ。こんなもの、純粋な賭けでもなんでもない。それがわからないんじゃ土俵にすら立てないわよっと」
「ハァ? どういうことよ! ……ははぁん、アンタ、それブラフでしょ。その手には乗らないわよ」
アリスは勝手にそう言うと自分で納得する。しかしパチュリーはそんなアリスを見下すように言い放つ。
「私の手に乗らなくて結構。お前などお呼びではない」
「……パチェ後で磔刑」
「貴方の犬度は91点。よく吠えるから」
魔法使いは基本的に自尊心の高い生き物だ。客観的に見てどうかはともかく基本的に同族相手には自分が上、相手が下という主観を前提として話す。アリスとパチュリーの関係も典型的なそれであった。
「ブラフとは私には思えないが……ところで“れみい”とは一体?」
今度は神子が質問する。パチュリーはそのおかしさに思わず吹きそうになるが堪えつつ「幸運の女神……」とまで言って結局吹き出した。神子以外の参加者もつられて爆笑する。可哀想な新参者は顔を真っ赤にしてどういうことだと怒った。
「あぁごめんなさいね、レミィは私の」
「霍青娥」
空気を読まず、あるいは読んだ上でか、眼鏡の男は何食わぬ顔で次の参加者の名前を呼ぶ。笑い声に包まれるという異様な雰囲気の中でも涼しい顔をしている少女、いや少女というにはあまりに妖艶な、霍青娥はチップを置く前に右手を挙げて口を開いた。
「親に確認してもよろしいでしょうか?ここでの『対象が人外になる』の定義について。人間のまま死んで幽霊になったとしてもそれは『対象が人外になる』に当てはまります?もしくは仙人や天人になったりも含まれますかね?」
ここにきてゲームルールに関する質問が飛び出す。男は眼鏡を弄りながら答える。
「あ……いいや、種族魔法使いに限定される。すまない説明不足だったね」
他の大体の参加者にとっては自明のこととはいえ幻想郷に来て日の浅い青娥にはわからないのも当然だったと彼が謝る。
「なんと! それをあらかじめ言っておかぬか! 今知ったわ」
同じく新参者の神子が抗議する。だがそれを青娥が遮る。
「神子様、これでよいのです。今のタイミングで」
「……何かを企んでいるか。わかった」
神子と青娥が繋がっているのは周知の事実。もっとも実態は互いの目的のために利用しあう仲であったが。神子は青娥のことを信頼はしていなかったが信用はしていた。邪仙として彼女がこれまでに成してきた所業の数々を考慮して。
青娥は男に礼を言いつつ自分の手番を始めた。
「成程よくわかりましたわ。では零番で。その方が色々とやりやすいもの」
空気がガラッと変わる。冷たい微笑みをたたえる青娥に周囲は異質なものを感じ取った。もっともこの時点で彼女の意図を完全に理解していた者は少ない。その中で唯一リアクションを取ったのがパチュリーであった。彼女は血相を変えて隣の青娥の方を向く。
「……」
「パチュリー?」
「……私だけ……そう」
パチュリーはさっとあたりを見回すと自分以外に反応したものがいないことを知り、なんでもなかったという風に下を向いた。しかしこの彼女の振る舞いによって多くの者が何かとんでもないことになってきていると認識するに至った。とはいえその詳しい内容を把握するのは次の参加者の発言を待たなければならなかった。
「古明地こいし」
「はーい」
名前を呼ばれた九番目の妖怪少女、古明地こいしが元気よく返事する。
「あれ、あんなやついたっけ」
「古明地妹? 今気づいたぞ」
見物人が不思議に思うのも無理はない。彼女は無意識を操るという稀有な能力でもって自分の存在感を消すことができるのだ。他者との関わりを好まないが故に身に着けた処世術である。
だがそれは一度姿を現せば周りとの衝突が避けられないことの裏返しでもあった。そういう危うさを持ったこの幼い妖怪はにとり・青娥のチップに自分の物を重ねた後、案の定とんでもないことを口走った。
「私も同じく零番ね。あの子は私の愛すべき死体になるの。だから人間やってる間に殺さないとね!」
その場に戦慄が走る。ある者は顔を引きつらせある者はため息交じりに、またある者は怒りを滾らせてこいしを見る。あるいは同じように青娥を見る者もいた。
「そうはさせるものか!」
にとりが怒声を上げる。それに対しこいしは何でそういう反応をされるのかわからないと困惑した。
「あら、貴方も零番でしょ。そんな怖い顔しないで、お互い仲良くしようよ」
机を挟んで向かい側のにとりに握手を求めて手を差し出すこいし。しかしにとりはその手を憎々しげに叩き払う。
「ふん、私は賭けなんてどうだっていいんだ。けど盟友を殺すというのであれば話は別だ。私はあんたの敵になるよ」
「独り占めしたいってわけね! 素敵よそういうの」
基本的にこの妖怪相手に話は通じない。アリスや白蓮も始めこそこいしを睨んでいたもののやがて無駄だと悟るとそれをやめた。
「……ぶっ飛んでるねぇアレ。それはそうと、これがこのゲームの定石ってやつかい?」
「そうね。これは賭けに見えて実際には賭けた後様々な手段を用いて対象を誘導するゲーム。そういう意味では零番に賭けて明日にでも対象をぶっ殺してしまうのが一番手っ取り早い。諏訪子、祟り神としての能力を生かすなら奴らとつるむのが理論上最適よ」
諏訪子は首を大きく振る。
「冗談よせやい。私に早苗から友達を奪うなんて非道な真似できるもんか」
「同感。まぁ零番は一枚岩にならないように河童という楔は打ち込んであるけど、然らば最大の脅威は奴になるわね」
そう言って神奈子はこいしの右隣の呆けた表情で上を向いている亡霊姫を指差した。
「西行寺幽々子……西行寺さん、君の番だよ」
「おなかすいたわ」
そう不満を溢す西行寺幽々子に威厳など感じられないが、これでも冥界を統べる大妖怪にして死を操るという規格外の能力を持つ化物である。神奈子が彼女を「最大の脅威」と称したのは紛れもなくその能力を持つが故であった。自由自在に人を殺せるこの亡霊少女が零番に賭けた時、ゲームは始まる前からほぼ終わったことになる。
それを幽々子本人も承知である。その上で彼女は周囲の予想に反する行動を起こした。
「零番……と言いたいところだけど私が零番に賭けちゃったら明日にでも決着がついてしまうわ。それじゃあ勝っても詰まらないもの。そうね、穴場を狙って三十三番とかどう?」
そう言って空白の30番台にチップをポンっと置くと観客の中にいる神奈子と諏訪子に向かってニッコリと微笑みかけた。
「良かったね神奈子。こっちの目論見はバレバレっぽいけど」
「……やはり脅威だわアレは。真っ先に潰しておくべきね」
「同感」
諏訪子は頷いて一足先に姿を消す。ゲームはもう始まっている。気が付けば溢れんばかりの妖怪で犇めき合っていた会場にぽつ、ぽつと隙間ができ始めていた。
「八雲紫」
最後から二番目になってようやく幻想郷の最高権力者との呼び声も高い妖怪の賢者のお出ましである。二度に渡る月面戦争や博麗大結界による幻想郷の隔離を指揮し、一説にはスペルカードルール制定にまで関わったとされる彼女は何かあるごとに黒幕として名が上がる。今回のカジノゲームについても恐らく此奴の発案だろうということは周りも薄々感じていた。
表の15の数字が書かれたマスに突然紫のチップが出現する。その数字自体にはもはやそれほど意味はない。
「これは一人の哀れな少女の生を弄ぶ余興。得られるものは競争相手を出し抜く優越感、そして退屈を殺す尊い時間よ」
彼女は芝居がかった口調で語り始める。
「それで私は十五番に誘導することをここに告げる。諸君らは我ら十二人の誰か、あるいは誰でもない、に賭けるがいい! 幻想郷に住むものであれば誰にでも参加する権利が有る! 各々自分の持てる全てを尽くして挑むがよい!」
「いいだろう、載せられてやろうじゃないか。ただし最後に笑うのはお前じゃない、この私だ」
紫の演説に応えるように神奈子は独り言を漏らす。それは群衆の雑音の一つとして蓄積された。熱狂する百鬼を前に紫は一呼吸置いてから高らかに宣言した。
「さぁ今宵始まるわ、弾幕ごっこに代わる新時代のアソビ、霧雨カジノロワイヤルが!」
会場は拍手喝采に包まれる。誰もが熱に浮かされたのかのように最上級の娯楽の到来を持て囃した。この狂気と狂喜の宴の中央で、輝夜は文はアリスは神子は白蓮はにとりはパチュリーは青娥はこいしは幽々子は紫は、そして最後の一人はそれぞれの思いを胸に秘め戦いに臨もうとしていた。
「ではラストワードをお願いしますわ。森近霖之助」
紫はこれまで進行を司ってきた眼鏡の男性、骨董屋「香霖堂」店主、森近霖之助にバトンを渡す。全員の注目が一斉に注がれる。霖之助はコホンと一つ咳払いをすると静かに、けれど力強くチップを表に置いて言った。
「では最後に僕も賭けよう。十二番にベットだ。これにてこの場は閉会、ゲームは開始ということでいいかね。諸君らの健闘を祈る。解散!」
***
その翌日の朝、店を開けようと準備をする森近霖之助の前に霧雨魔理沙が現れた。昨日の今日と言うことで霖之助は彼女の来訪に少し動揺したが、すぐに彼女からミニ八卦炉の予備の製作を頼まれていたことを思い出して、平静の落ち着きさを取り戻して言った。
「やぁ魔理沙、例の物を取りに来たんだね。できてるよ」
「流石香霖、仕事が早くて助かるぜ」
屈託なく笑う魔理沙を見て霖之助は申し訳ない気持ちになる。何しろ自分達妖怪はこれから彼女をオモチャにしようと言うのだから。親を務めたのは彼にとって本意ではなかったが、我関せずで紫らに全部やらせるとそれこそどうなるかわかったものではない。
「それで予備の八卦炉だけど今の君に合わせて出力を80%アップさせた他緋々色金にガンダリウムγを混ぜて強度を上げておいたよ」
こうして彼女により強力な武器を手渡すのは、彼女の命を狙う妖怪たちから身を守れるようにという狙いがあった。安っぽい贖罪だと霖之助は内心自嘲する。こうして魔理沙を気遣うそぶりを見せる裏であのカジノゲームに参加して楽しみを享受したりあわよくば賭けに勝って大金をせしめようなどと考えている自分がいるじゃないかと。
「ガンダ……何だ? そこまで頼んだ覚えはないんだが。なんか気持ち悪いな」
「いや、お得意先だからね。ちょっとしたサービスさ。御代はいらないよ」
遠慮ならいらないぜと言う魔理沙に遠慮なんかしてないさと答える霖之助。このやり取りは二人の間で通例となっていた。
「ふーん。十二円ぐらい期待してるんじゃないかと思ったぜ。まぁいいや有難うな。夜道には気をつけとくぜ。じゃあな」
魔理沙はミニ八卦炉を受け取ると珍しくすぐに帰った。開きっぱなしのドアの先をしばし見つめる霖之助の顔は青ざめ汗がだらだらと流れていた。
「『十二』円だって? ……遊ばれているのは僕らの方かもしれないな」
“退屈を殺すものは人間である”
魔理沙が妖怪になるか否かは霊夢の今後次第な気がするな。
次は短編でも良いので是非起承転結のある話を書いてほしいです