桜咲く空の下、二人
「お花見?」
アリスが縫い物の手を止めて、隣の私に顔を向ける。
「そうそう。神社の桜、そろそろ満開だぜ。明日みんなで宴会やるんだ。たまにはアリスも行かないか?」
「シャンハーイ!」
リビングの深く沈むソファーに座って、私はアリスの人形を膝の上に立たせて遊ぶ。
桜はやっぱり日本人にとってはなんだか特別で、この季節はどうしても浮かれ気分になってしまう。
宴会はよくやるけど、お花見っていうのは今しかできないし。普段あまり顔を出したがらないアリスだけど、もしかしたら行かないかなってちょっと期待してみた。
「んー……そうねぇ……」
あまり気が乗らないのか、考え込んでいるみたい。
まあ、ノリノリで行くって言ってくれるとは思ってなかったけど。たまにはこういう集まりに顔を出したらいいと思うし、それにアリスと桜を見たいななんて思ったんだけどな。
そんなに考えないで、とりあえず来てみればいいのに。
しばらく考えを巡らせていたアリスが顔を上げる。
「やめておこうかな。やっぱりああいうところ苦手だし」
出てきたのはそんなつれない返事。申し訳なさそうに笑顔を作る。
「えー。せっかく今年最初のお花見だぜ?」
「んー……でも、私は魔理沙みたいに人が多いの得意じゃないから。ごめんね」
そう言って作業に戻ってしまう。
「みんなもアリスと呑みたいって言ってたぜ。霊夢も、たまに来たらいいのにって言ってたし」
「じゃあ、霊夢にもごめんねって伝えといて」
食い下がる私に、顔も上げずにそっけない返事。
「咲夜なんかごちそう用意するって言ってたし」
「うーん……それは気になるけど、でもいいわ」
「プリズムリバーたちとかミスティアも来るとか……」
「あいつらはうるさいから嫌」
むー。なかなかうんと言ってくれないな。ちょっと宴会に顔出すくらいいいじゃないか。
「たまに外出ないと不健康だぜ。暗くなっちゃうし」
あ、しまったぜ……
なかなか思ったとおりの回答がもらえなくて、ついそんな嫌な言い方をしてしまった。
案の定、アリスは少しむっとしたように顔をあげた。
「お生憎様。私は人間じゃないからそんな簡単に身体壊しません。それにずっと引きこもってるわけじゃないからね」
「わかってるよ……」
ちょっと反省。
アリスは「はぁ……」とわざとらしく大きなため息を吐く。
「大体どうして今回に限ってそんな食い下がるのよ」
「別に今回に限った話じゃないぜ。みんなと一緒に呑んだら楽しいじゃないか。アリスも一緒だったらもっと楽しいぜ」
「別に……私は一人でも楽しいし。そのほうが気楽でいいし」
そんな事を言い出す始末。
「それに、アリスと満開の桜を見たいなって思っただけだよ」
「そう……なの」
アリスがまたちょっと俯いて、なにか考えてるみたい。
まあいいや。これ以上言っても逆効果かもしれない。来たくなったら来るだろう。
膝に乗っていた人形を抱き上げて、立ち上がってからソファーに下ろす。
「とにかく明日、博麗神社だから」
「あ、ちょっと……」
リビングを出て、玄関に立てかけて置いたほうきを手にとる。
「じゃあなー」
「もー! 行かないからねー」
リビングから届くアリスの怒ったような声。
ちょっと苦笑い。
玄関を出て、ほうきにまたがって空へ浮かび上がる。一気に高度を上げて、小さく見えるアリスの家を見下ろす。
「まったく、アリスにも困ったものだぜ」
まあでも、確かにアリスが宴会に顔を出しても、結局すみっこの方で所在なさげにぽつんとしてしまうような気もする。
あんまり行きたくないって言うのもわかる気はするぜ。
もしアリスの気が変わって明日宴会に顔を出して来たら、私が近くにいてアリスの相手をしてやろう。
うん。それはいいな。
明日がちょっと楽しみになってきた。
「やばいぜー。もう始めてるんだろうなー……」
すっかり寝坊してしまった。
全速力でほうきを飛ばす。地上の景色はどんどん後ろへ流れる。
昨日の夜はなんだかなかなか眠くならなくて、しょうがないからって始めた研究がまずかった。ついつい夜ふかししちゃって……
いつの間にか机で寝てしまってたらしくて、起きるともうお昼近く。太陽も随分高く昇ってる。変な格好で寝てたから背中が痛い。
朝っぱらから呑んでるような連中だから、もうきっとすっかり出来上がっちゃって、宴もたけなわといったところだろう。
そういえばアリスは来るのかな? やっぱりいつものように家にいるような気がする。
ちょっと遠回りだけどもうどうせ遅刻だし、アリスの家を見てから行こうかな。
スピードを緩めて大きく旋回。魔法の森がぐるりと回る。
アリスの家まではそんなに遠くない。もう一度スピードを上げていく。
鬱蒼とした森の中の細い切れ目のような林道を目印にして一直線に進むと、ぽっかりと 小さく開けた広場のような所に、アリスの家の青い屋根が見えた。
ゆっくりと降りていって玄関の前で着地。
ドンドンドン! と勢いよくドアをノックする。
「アリスー! 迎えに来たぜー!」
大きな声で呼ぶ。だけど返事はない。
おかしいなー。きっといると思ったんだけど。
「アーリースー! いるんだろー? 宴会行こうぜー!」
ドンドンドン! もう一度ノック。やはり返事はない。
うーん……中に人の気配もないし、やっぱりいないのか……
うるさいわねぇ、とか言いながら出てくるかなとか思ったけど拍子抜けだぜ。人里かどこかに出掛けてるのかもしれない。
いないならしょうがない。桜見たかったけどなぁ。
少し残念な気持ちでアリスの家を後にする。
ほうきで空に飛び上がると、ゆるゆると神社を目指した。
「あ……あれ……?」
博麗神社が近づいてきて見えてきたのは何十人も集まった人間や妖怪。でも、すぐに目に入った。
きれいな金色の髪と赤いヘッドドレス。青いワンピースに白いボレロ。見間違うわけもなく、あれはアリスだ。
なんだよ。来てるじゃないか……
アリスの周りには何人かの輪ができていた。そこにはなんだか混ざりに行きにくくて、 そこから一番離れた反対側に着地。
ちらっと覗きみると、アリスは慧音や咲夜なんかと呑んでるみたいだ。
私に気づいたのかアリスがこっちを向きかける。私はつい、瞬間的に目を逸らしてしまう。
……あ、あそこにしよう。
手近に見つけた霊夢に声を掛け、横に座る。
「遅かったじゃない。もうみんなだいぶ前から始めてたわよ」
「あー、ちょっと寝坊しちゃってなー」
「だらしない。まあいいからとりあえず呑みなさいよ」
霊夢から白いお猪口を手渡されてお酒を注がれる。
「おっとっと……」
溢れそうになる前に口元に運んで一気に呑み干す。
ふわっと香るお酒の甘い香り。
でもその後の喉を焼くような感覚の方が、なんとなく今の気分かもしれない。
もっとお酒呑みたい。
「おかわり!」
空いたお猪口を差し出すと、すぐになみなみと注がれる。
「いい呑みっぷりねぇ。宴会はこうでないと」
ごきげんな霊夢が勢い良く注いだお酒が零れそうなので、慎重に口をつけて一口すする。
それにしても、なんの話をしてるんだろうなー……
気になるけどアリスの周りはなんだかたくさん人がいて、ちょっと行きにくい。
「今日は人多いな。こんなに大勢いると思わなかったぜ」
「今年最初のお花見だからね」
霊夢はそう言って嬉しそうにお酒を呑む。
「私はおいしいお酒と食べ物があればなにも文句はないわよ。あ、後片付けはちゃんとやってもらうからね」
「はいはい」
かんぱーいと言いながら霊夢とお猪口を軽く合わせる。上機嫌の霊夢を見ながら、私もお猪口を空ける。目の前のお重から芋の煮物をひとつまみ。霊夢にお酒を注いで、お返しに私にも注いでもらう。どんどんお酒呑みたい。
ちらっとアリスの方を見る。普通に楽しそう。
なんだ。心配する必要なんてなかったんだな。
「珍しい奴も来てるしなー」
「ん?」
霊夢が私の視線の先を見やる。
「あー、そうね。アリスが来るとは思わなかったわ。あんたが誘ったんじゃないの?」
「誘ったは誘ったんだけど。来たくないって言ってたんだけどな」
「へー、そうなの?」
お猪口の中で揺らぐお酒に視線を落とす。磁器の白さとお酒が反射する桜色。
ちょっと華やかすぎる感じがして一気に飲み干す。
「ほんとによくわからないぜ。ひねくれ者だよな……」
「ひねくれてるねぇ。そうかしら」
「ひねくれてるだろー。だったら最初から来るって言ってくれればよかったのに」
「来たくないって言ったのも本当だし、来たかったのも本当なんじゃないの?」
「なんだそれ。よくわからないぜ」
目の前の徳利から手酌でお酒を注ぐ。
「手酌は出世しないわよ?」
「別にそんなの困らないぜ」
時々アリスの笑い声が聞こえてくる。向こうの輪で楽しそうだな。
余計にくさくさした気分になって、ついつい呑みを重ねてしまう。
「まったく。今日は機嫌が悪いわね。こんな気持ちのいい日なんだから、もうちょっと楽しそうにしなさいよ」
「別に機嫌悪くなんてないぜ。お酒が呑みたい気分なだけだ」
「ふーん。まあいいけどね」
霊夢がもう一本徳利を持ってきて私に注いでくれる。
「魔理沙ぁ? 機嫌悪いのか?」
私たちのやり取りを聞いていたみたいで、萃香が混ざってきた。
「うるさいなー、悪くないぜ!」
「呑め呑めー! そういう時は呑むに限るよ!」
萃香とも乾杯して、一気呑み。
それにしても、さっきから調子よく呑んでる割には、なんだかあんまり酔ってこない。
ついつい気になって、霊夢や萃香と話しながらも自然とアリスの方に視線を向けてしまう。
なんだか楽しそうにしてるな。
全然平気じゃないか。宴会とか苦手って言ってたのに。近くにいてやろうと思ってたけど、必要なかったんだな。むしろそんな事考えてた自分は馬鹿みたいだ。
どうしても考えがぐるぐると自己否定の流れで、せっかくのお花見なのに楽しめない。
私はそんななのにアリスは……
お酒の入った座った目でじっと見てしまう。
と、私の視線に気づいたのかアリスがこちらをちらっと見た。
目が合って、アリスが私にそっと手を振ってくる。
私は……反射的にまた目を逸らして、俯いてしまった。
なにしてんだ? 私……
後悔の気持ちが湧いてくる。
様子を見ようとちょっと目を上げると、お猪口を手にしたアリスがこっちに近づいてきていた。
「魔理沙、機嫌悪いの?」
心配するような口調で聞いてくる。
「別に。機嫌悪くなんてないぜ」
「いや、その返事がもう機嫌悪そうなんだけど」
アリスが苦笑する。
なんだか自分が情けなくなってきた。
「もう。構わなくていいよ」
「そう? じゃあね」
「あ……」
あっさりと元の輪の中に戻ろうとするアリスを思わず呼び止めてしまった。
アリスが振り返ってかわいく小首を傾げる。
「ん?」
そうだ、せっかくアリスとお花見に来てるんだから。
今日の駄目な自分はなかったことにして、少しだけがんばろう。
「あー……ちょっと桜を見に行こうぜ」
お猪口を持って立ち上がる。
冷やかすような視線が集まる。気づかないふりしよ。みんなこっち見るなよな。
アリスの服の袖口を掴むようにして、みんなの輪から少し離れた神社の裏手の一番大きな桜の木の下へ連れて行く。
そよ風が揺らした桜の花びらが、陽の光を淡いピンク色に透かす。
「きれいだなー」
なにも考えずにつぶやいてしまったけど、ちょっと間が抜けてたかなと思って少し気恥ずかしい。
「ふふ。そうねー……」
アリスはそんな私の内心にも気づかずに、同じように桜を見上げて微笑んでいた。
「アリスさ……」
「なに?」
「どうして来ようと思ったの?」
「え? だって魔理沙が桜見ようって言ったから」
さも意外という顔でアリスが答える。
なんだ。そうだったんだ。最初からアリスは私と会うために来てたんだ。
なんて空回り。
「あは、あはははは!」
どうしようもない自分がおかしくて、声を出して笑ってしまった。
ひどい一人相撲で、不機嫌そうにぶんぶくれて。
なにしてんだろうな、私。
「なに笑ってるの? 魔理沙が言ったんじゃない、桜見ようって。せっかくだからって来てあげたのになんかずっとむくれてるんだもん。全然こっち見ないし。
……そうだ、だいたいなんでずっと不機嫌だったのよ」
怒ったアリスが眉をしかめる。
「んー……? 忘れちゃったぜ」
「なによそれ」
「もういいんだよ。ほら、桜きれいだぜ?」
心の中でくすぶってる後悔や反省はとりあえず全部押し込んで、アリスに笑いかける。
せっかく気の合う友達になれたから、きれいな桜を一緒に見たかったんだ。
ただそれだけだぜ。
「ほんと、きれいねー。春っていいわね」
「そうだなー、来年もみんなでお花見しようぜ」
「そうね。来年もね」
やっぱり春は特別な季節で、アリスにとっても特別な季節になるといいな。
ふんわりと暖かい、すこし浮かれたような気分の季節。
「あ、アリス、乾杯しようぜ」
「うん、乾杯」
二人でお猪口をちんっとあわせて、くいっと飲み干す。
甘い香りが心地良く広がる。
ふぅっと息をつくとアリスと目があって、どちらからともなく笑いあう。
春の風が、桜と私たちをくすぐっていった。
良かった