Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

異界まで三里

2012/04/01 18:10:09
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 もくじ

白無垢
峠越え
異界まで三里


 魂魄五郎らが城下町にたどり着いてより、四刻といくばくかの時が流れた。
 草木も眠る丑三つどき。
 峠から見えた、博麗神社でのことである。
 闇があたりを覆いつくしているために、そこが神社のどこだか判らない。が、屋内ではあるらしかった。
「霧雨屋が“例のモノ”を持ち帰ったのう」
 男の声がする。
「はい」
 答えたのは女だった。
「あいもかわらず鏡獣は役にたたん」
「そうとも言えますまい、霧雨屋についていた剣士が、たいした手練で妖術までつかったとか」
「ふむ」
 部屋の外で木の葉が鳴っている。
「相手が悪かったということか」
「ええ」
「その剣士、何者だろ?」
「さて……」
「向こうにつくかな」
「おそらく。人ならばそうでしょう」
 男が短くうなった。
 衣擦れと器どうしがかち合う音がしている。闇のなか酒を酌み飲んでいる。
 ほどなくして、男が口を開いた。
「“例のモノ”を使い巫女が動けるようになれば、ここを守るのに今の手勢ではこころもとないな」
「そうですね、新たな駒を連れて来なくてはなりますまい」
「当てが、あるか」
「いいえ。しかし、私には探し物が得意な者がついています。その者に協力していただければおそらく……」
 男はそれに答えない。しきりに盃をあけている。やがて静かにいった。
「うむ。やはりおぬしは頼もしいな、八雲」
 暗闇のなか女の笑い声が、忍びやかに転がった。
「ことを始めるにあたり、早いにしくはありますまい。私はこれよりすぐに、その方を訪ねて参りましょう」
 女が言い終わるか終わらないかのうちに風が吹いた。
 それっきり辺りは静寂につつまれた。
 しばらくして、
「狐め……」
 男がぽつりといった。




 それから七日の時が過ぎた。
 その日。
 魂魄五郎と霧雨屋政が命がけで抜けてきた峠道を辿り来る、ふたつの人影があった。
「かぁみぃ、し、ら、さ、わぁ!」
 ふたりのうちで、遅れている方が声をはりあげた。男である。
 呼ばれた方の娘、上白沢鈴音は顔をしかめた。
「変な呼び方すんなや」
 ちょっぴり苛立ちをふくんだ声で返したが、後ろから付いて来る男には一瞥もくれない。もういちど呼ばれたけれど、黙ってどんどん先へ進んで行く。つんとすまして顔をあげた。
 頭上をおおう木々の合間に、青味を増した春の空があった。
 ちいさな空から吹き下りてくる風が、鈴音の長い黒髪や白い着物の裾を、ふわりふわりともてあそんでいる。
 おしろいとは無縁であろう少女の顔のなか、険悪に細められていた目が、不意にくりっと丸くなったのは、いままで背中を追ってきていた男の足音が、ふっつりと途絶えたからだった。
 今一度、目が細くなり、口がムッとすぼめられる。横一文字に切り揃えられた前髪の下で眉が怒っていた。
 鈴音は、前進を止めると膝を胸に引き寄せて、ころりと背中へでんぐりがえった。


『 異界まで三里 』



 斜めに入る光の帯が、いく筋も重なって、林のなかは独特の明るみをたたえている。
 白く濁る光の中、よく手入れをされた杉たちは、筆と墨でもって荒々しく引かれた線のように、どれも間違いなく天にむかって伸びていたけれど、そういう木々の間の中途半端に高いところに、白い振袖を身につけた少女の姿がぽつんとあった。
 身体をまるめ膝を抱いた鈴音が、逆さまになって浮かんでいる。
 黒い瞳が、ひとつ所をじっと見据えているが、その視線の行きつく先に、細々とつづく道に腰を下ろす男の姿があった。
 視線に気づいた男が、ゆっくりと顔を上げる。
 墨で染めたような旅装束に身をつつんだ、七尺(2.1m)ゆたかの大男である。
 それが大股を開けて石段にどっかりと座っている。年の頃は、二十代の半ばといったところであろうか。背は高いが顔がちいさくて、全身が引き締まっているから、巨漢らしい威圧感がほとんど感じられなかった。
 好奇心に満ちた少年の目をして、空飛ぶ小娘を見返している。
「門左、あんた、なにしてんの?」
 と不満げな声で鈴音がいった。
 とたんに男、森近門左衛門は、人懐こい笑顔になった。
「いっぷく」
 と手にしていた竹の水筒を持ち上げて、咽喉を鳴らして水を飲んだ。
「疲れたん?」
「それはねえな。ぴんぴんしてるぜ」
「ほな、なに呑気に座ってんの。うっちゃ急いでんのやで」
 外見だけならば箱入りの娘にも見える鈴音が、がんばって怖い声をだした。
 ――もうちょっとで魂魄はんに追いつくのに……。
 足止めなんて食らいたくない。
「まあ、ちょっと話をしようぜ。上白沢の先生よ」
 と懐をさぐった門左衛門が、取り出した煙管を咥えてフッと吹いた。
「話? なんや、改まって……」
 鈴音は、膝を抱えたまま横むきに身体をまわし、頭を上にした。手に持っていた市女笠のふちで口もとを隠して、探るような目つきになった。
「こみいったことやったら、もうじき町に着くさかい、それからにせえへん?」
「そのことだよ」
 といって、うつむいた門左衛門が、腰から外した煙草入れから刻みをつまんで煙管に詰めた。
「道もねえこの先に町なんかあるのかって話さ」
「なんやて?」
 鈴音は、驚いた顔をした。
「道やったらあるやろ」
「ねえよ」
 短くいって門左衛門は煙管を吸い付けた。うまそうにゆっくりと飲んで、満足げに吐きだした。
「いまさっき道から外れたじゃねえか。それで、どういう訳だと聞こうにも、呼びかけて振り向きもしねえ」
 と足許の石を煙管の頭で叩いた。吸殻がころりと落ちて、その残り火が積もった枯れ葉に燃え移る。見る間に音を立てて炎があがりはじめた。
 それで、門左衛門はへらへらと笑っている。
「あんた!」
 鈴音は目を吊りあげて大きな声をだした。
「あんた何してんの、はよ消し。山火事になっえ」
 言われて門左衛門は、なぜだか消すのを渋っていたけれど、やがて面倒くさそうに大きなワラジの裏で火を踏みつぶした。
 それを怖い目で見ていた鈴音が、はっとした。空中で丸くなっていたのが、身体を伸ばして辺りを見まわした。黒々とした瞳に光が凝っている。
「妙や……」
 まばたきするたびに景色が違ってくるらしい。林立する杉の古木が、てんでばらばらに右に動き左に動き、近くなり遠くなる。
 そうして、景色の変化がなくなったとき、宙に浮かぶ鈴音の真下から前後にのびていた細い道が消えていた。門左衛門が腰を下ろしていたのは、石段ではなくてただの石ころだった。

 鈴音は、呆然としている。
 その視界をかすめて細長い獣が地を走った。狐である。ただの狐ではなく、あやかしだった。あやかしといえども獣には違いない。だから門左衛門がつけた火に恐れをなして逃げたのである。鈴音は、かすかにうめいた。
 ――気ぃが急いてたゆうて、十三夜にもなって狐に化かされるやなんて……。
 肩を落とし、門左衛門を見遣る。
 ――さすが公儀隠密や。さりげなく狐を追っ払いよった。
 と感心した。
 実は、森近門左衛門は、いにしえより帝の近くにありながら、そのいっさいが謎につつまれた上白沢家の秘密を探るために近づいてきた、隠密なのである。
 これは、鈴音が半妖の身に秘めたる能力によって、知り得た事実だから、間違いない。
 それを追い払わずにいるのは、新月前後の弱い身体を守るのに、屈強な男の腕をあてにできることが何物にも変えがたいからだった。
 けんかをして家を出てきた娘にとって家の秘密など、わが身の安全と比べれば兎の毛ほどの価値もないのである。

 ――そやけど……。
 もし、あのまま狐に化かされ続けていたら、どうなっていただろう、と鈴音は考える。きっと、延々と山の中をさ迷い、挙句もっと致命的な“化かし”にやられていたに違いない。
 それを救ったのが門左衛門だった。
「門左」
「ああ?」
「でかした」
 そんな風におお威張りで言ったのは、どんな態度でお礼を言ったらいいのか判らなくて、開き直ったからである。
 ――ちょっと偉そう過ぎたかな?
 とおもったから、おわびに、にっこりと笑ってみせた。
「へっ」
 門左衛門は、ぷっと吹いた煙管を布で軽く手入れして懐にしまいこんだ。
「先生よお。俺は、ただ煙草を吹かしただけだぜ」
 しなやかに立ちあがって、くるりと背を向けた。
「行こうぜ。急いでるんだろ」
 と向こうに見えている本当の道へ、大股に歩いていく。
 ――照れとる。
 鈴音はくすりと笑って、手にしている市女笠を、ぴこぴこと振りはじめた。ひとつ振るごとに小さくなって、仕舞いに手の平くらいのおおきさになった。
 煎餅みたいになった笠を袂にしまった鈴音が、腕を開いてひらりと身をひるがえした。そうして、燕をおもわせる鋭さで空気のうえを斜めに滑りおりて、門左衛門に追いつくと、なんにも言わないでいきなりその背中に負ぶさった。
「なんだよ?」
 門左衛門が呆れたような顔を振りむかせた。その歩みは露も乱れていない。
「お礼や」
「ガキに抱きつかれたって、うれしかねえよ」
「そんなんとちゃうわ」
 と鈴音は、門左衛門の首のうしろに、すぼめた口をそっとつけた。
「おいおい」
 今度はさすがに門左衛門も慌てた。何かにけつまずいている。
 それには構わないで、鈴音は頬をふくらませ、ふぅと息を吹いた。
 とたんに門左衛門の身体が一気に広がって、紙風船のように丸々と膨らんでしまった。
「うわっ、うわっ……」
 と目を白黒させる門左衛門が、地面で低く弾みながら、南瓜のへたみたいになった腕をじたばたとさせている。
「お礼に楽さしたるから、じっとしとき」
 にっこりと目を細めた鈴音が、門左衛門の襟首をむんずとつかんで、片手でひょいと持ち上げた。
 そうして、そのまま道まで飛ぶと、ぐんと上昇して、梢の隙間から林の上空へと飛びだしていった。




 うそみたいに大きな山が、空を押し上げている。
 鈴音は、その山を見下ろしてみたいような気持ちで上昇していたから、うっかりかなりの高さにまで昇ってしまった。ふと気がついて下を見たら、あんまり高かったので、ひっと声がでた。慌てて昇るのを止めた。
 門左衛門が、おかしそうに笑い声をあげている。鈴音の頬がちょっぴり赤くなった。
「門左」
「ん?」
「はじめて空飛んだ気分はどうえ?」
「悪かねえなあ」
「怖ないの?」
「いいや、いい気分だね。見ろよ町があんなに小さく見える」
「ほんまやね……ちょっと昇り過ぎたわ」

 眼下に望まれる城下町は、樫の葉っぱの形をして山々の谷間に窮屈そうに納まっている。それは深緑の荒波にもまれる小船のようでもあった。
 町の西方には神社を頂いた小山があり、神社の北西にそびえ立っているのが例の巨山だった。
 それにしても不思議なのは、神社の西側にも川に沿って盆地があるのに、そこに人の暮らす様子が見えないことである。神社の東と西で、土地の空気がまるで違っているようだった。
「地図にねえ町、地図にねえ神社に、地図にねえ山だ」
 門左衛門が低い声をだした。
「ふーん」
 ちょっと興味がわいたから、町や山について調べてみることにした。
 もちろん妖怪の能力を用いる。
「山が容魁(ようかい)山で町は容魁山東やね。あと神社は博麗さんや」
「ん? 町の名前は聞いたことがあるな。確か……金山だ。石見の守の頃からあるらしいぜ」
 といった門左衛門が、馬鹿でっかいクシャミをした。ずるずると鼻をすすっている。
 鈴音は、少し首をかしげた。
「寒いん?」
「む。いやあ、別に……」
 ブルブル震えながら、やせ我慢をする門左衛門に、鈴音は呆れた顔をした。
「それやったら、ええけど……ほな、行こか」
「ちょっと待ってくれ」
「なんや」
「小便がしてえ」
「へっ?」
「もう長くはもたねえらしい……」
「なにカッコつけてんの……って。ち、ちょっと我慢しとき。いま、おり降りるさかい」
 といって鈴音は、下に目を走らせた。ちょうど降りるのに手ごろな広場が、林のなかに四角く拓かれている。空飛ぶ娘は、一目散に広場へと向かった。




 広場は、見事な杉の古木を惜しげもなく切り倒して開かれた馬場だった。
 だから、端っこに生え残っている木々もやっぱり立派である。
 空気が抜けて、もとの体型にもどった門左衛門は、そのうちの一本の裏に隠れて用を足しはじめたが、それが立てるはしたない音に、鈴音は頬をぷっと膨らませた。
 満月期には、非常に耳と鼻が利くようになる鈴音である。幼い頃に妖怪の血が目覚めてからはずっとそうだったから、その気になれば特定の音と臭いを意識の外に追いやることぐらいはできる。けれど、門左衛門の人に対する遠慮のないことに腹がたった。
「もっと奥行ってせえや」
 と険悪な声でわめいた。
「ああ、悪い。もう出ちまってるから無理だわ」
「もう……」
 などとやっていると、馬場の真ん中のあたりで不気味な声がした。
「おまえらああ」
 腹の底に響く低い声で、言葉尻が妙にかすれている。
「おまえらて、うちらのことか?」
「他にいねえんじゃねえか」
 林のほうを向いていた鈴音は、身を返して馬場のほうを見た。
 が、誰もいない。
 乾いた土が真昼の陽射しを白っぽく照りかえしているばかりである。
 ふと、その一部分に影が差したように見えて鈴音は顔をあげた。けれど、上空にはなにもない。やがて影が地面のうえに広がって、厚みがでてきたから、それはもう影ではなく黒い何かだった。
「なんやろ?」
「なにがだよ?」
「なんかおんねん」
 ふたりが言葉を交わしていると、布の下でうずくまっていたモノがムクリと起きあがるように、黒い何かが縦に伸びあがった。
 その中程が横向きに裂けて、赤い内側をのぞかせたが、牙のようなギザギザが並んでいるから口であるらしい。
 口のうえに、ふたつの小さな丸が並んで、異様な光を帯びているのは目なのだろう。
「こむすめえ、にいげえるなよお」
 言いながら黒い奴は、揺れつつ不規則に形を変えた。そうするうちに耳が生え、足が生え、尻尾が生えて、犬のできそこないみたいな、みっともない獣ができあがった。おおきさは牛ぐらいだろうか。
 実はこいつ、霧雨屋に焼き払われた赤獅子のなれの果てである。
「おれがあ、こわいかあ」
 黒い奴は、ふたりが黙っているのが、自分を怖れてのことだとおもったらしい。
 いきがって笑いだした。
「おまえなんか怖ないわ!」
 鈴音が大声で言い返して、くちびるを尖らせた。
「門左はそこに居とき」
 というと、ずいっと前にでた。
 胸を張って片手を腰にあて、帯の前をポンと打った。
「わざわざあ、くわれやすいところへでてきたか」
「なんやおまえ、うちを食べるんか?」
「くう」
「やれるんやったら、やってみい」
 鈴音が挑発すると、黒い奴の身体がいっきに膨らんだ。
「こむすめがあああ!」
 叫び、赤い大口を開いて、飛び掛かかろうと身を沈めた。
 瞬間、鈴音が、すっと指を差した。
 黒い奴がびくりとする。そのまま金縛りに固まってしまった。
「うがああああああ! また、これかああぁぁ……」
「満月の時分で残念やったな」
 といった鈴音が、頭をさげて地面にフッと息を吹いた。吹かれた地面に穴があき、そこから何かが地中を伝って黒い奴に向かっていく。それが、音でわかる。
「地を吹く風は、我が喜びの心にて真円」
 鈴音の声にあわせて、地中の音が黒い奴のまわりを周回しはじめ、やがてその円状の軌道に沿って地面が陥没した。
「荒ぶる炎は、怒りの心。五つの棘をなす」
 と手を振り上げると、袖口からひとかたまりの炎が走り出て地表を這ってゆき、さっきの円の中に五芒星を成して燃えつづけた。
 黒い奴は、動けないどころか声もあげられないらしい。
「汝、我が哀しみなり。哀しみに髪は伸び、髪は伸び……」
 鈴音の髪が、海中の藻のようにうねりながら逆立ち、ゆっくりと伸びて、牛よりも大きな巨体を、ぐるぐる巻きにしてしまった。そうして、髪はプッリと切れたけれど、動くのを止めないで、地面の五芒星へと手をのばした。
 とたんに髪に火が燃え移り、黒い奴が火達磨になった。盛んに炎をあげる頭上に陽炎が立ち、どうもその中から何かが現れてくるようである。
「おまえには地獄がお似合いや。汝の頭上に開くは、我に安楽をもたらす門」
 と鈴音がいった。
 そのときである。
 鮮やかに晴れあがっていた空が、青の一片も残さずに暗転した。




「なんや?」
 これは鈴音の術ではない。
 色のなくなった地上から、ゆっくりと光がうしなわれ、やがて暗闇に包まれた。
 満月の頃には闇がまったく苦にならない鈴音の目が利かなくなったから、ただ暗くなったというわけではないらしい。
「なんだあ」
 と黒い奴の不安そうな声がした。金縛りが解けている。地獄送りの術もかき消されていた。
 一抹の静寂があり、どしんと音が響いた。まるで、間近に雷が落ちたような、胸をどんと突かれたと感じるほどの重く強い音だった。
 同時に、
「ぐぎゃあああああ!」
 魂切る悲鳴が響き渡った。
 それで、急に目の前が明るくなったとおもったら、鈴音と門左衛門のすぐ側に人魂に似た青白い炎が、ひとつずつ浮いている。
 狐火であった。
 狐火が、ふたりを誘うようにゆっくりと馬場の真ん中へと飛んでいく。目で追ってゆくと、なにかが闇のなかにぼんやりと浮かびあがってきた。
 黒い奴がいる。
 黒い奴は、無様に潰されていた。
 そして、その上に立つ、人影があった。
 青白い炎が近づくにつれて、人影から闇が払われ姿がはっきとしてくる。
 唐風の衣に身を包んだ女だった。
「すげえ美人じゃねえか」
 門左衛門の口から感嘆の声が漏れた。
 その言葉に、唐様の着物をまとった女は微笑んだが、ややあごを傾けただけで、たまらなく妖艶な姿を作っている。
 女に流し目をくれられて門左衛門が身震いしたのもうなずける。鈴音の目から見ても、ぞっとするようなところのある女だった。
 なによりも感心すべきは、その白い肌である。
 水を浴びれば、ことごとくを玉にして弾いてしまいそうなほど凝脂に照っていながら、つゆもギラついておらず、珠の光沢をたたえている。頬のあたりがやや上気しているのが白さを際立たせ、滑らかなうなじが衣のなかで動く肉体を想像させた。
 ――白面
 短く切り揃えられた金色の髪は、この時代の日本においては、かなり異様なものである。が、だからこそ、その美しさは無二のものであり、心をとらえて放さない。髪の先が軽く曲がって襟首や頬、または額にかかっているのが、なんとも女性らしく可愛げであった。そうなれば、頭のうえの獣耳とて、あばたもえくぼとなる。
 ――金毛
 ふらふらと飛んで行ったふたつの狐火が、女の肩のうえあたりに落ち着いたとき、やや輝きが増したようである。それで、女の背後で揺らめいていた大きなものが、闇のなかに浮かびあがった。
 髪とおなじ色をした巨大な狐の尾が、数えてみれば九本ある。それぞれが、別々の意志をもった生き物であるかのように、まったく同調しないで、しなやかに動いていた。
 ――九尾の狐

 足を揃えて立っている九尾の狐が、胸を抱えこむようにして袖口を合わせた。
 棒立ちになった鈴音と、木の陰から顔を出して様子をうかがっている門左衛門に向けられた目は、静かで好意的であるように見える。
 その足許で、うめくような声があがった。
「どけえええい。やくもおおお」
 足の下からはみだした黒い奴の頭が元通りに膨らみつつある。
 狐の目が、すっと細められた。
「おや、鏡獣さま。これは失礼いたしました」
 というや、ちょっと足を持ち上げて、つま先で黒い奴の頭を貫いた。
「とどめを刺してさしあげるのを忘れていましたね」
 にっこりと笑う。
 鏡獣と呼ばれた黒い塊が、音もなく崩れて塵となり、風に乗って闇のなかに消えていった。
「煤になった体を使いまわすより、いちど鏡まで帰ったほうが、復活も早いでしょう」
 といった狐が、笑ったままの顔を鈴音にむけた。
「少し話をしましょうか」
 といった。

「のぞむところや。藍狐」
「はて」
 藍狐が小首をかしげた。
「以前に、どこかで会ったかな?」
「いいや、初対面や」
「それでは何故? 藍という名は、いや、私は世に知られていないはずだけど」
「うっちゃ、なんでもお見通しなんや」
「ほう、それはすごいね」
 藍は、感情のこもらない声でいった。注意深く鈴音を観察している。
 鈴音は、むっとした。
「信じてへんやろ」
「さて……どうだろう」
 といって微笑んだのがいちいち艶やかで、またも門左衛門が生唾をのみこんだ。
「ところで娘さん」
「鈴音や」
「あなたは“合いの子”みたいだけど、すばらしい妖力を備えている。では、人と妖怪、どちらであるかと問われれば何と答える?」
「人間」
「ふむ。では、いまから妖怪になるつもりはないかしら」
「なんでやねん。嫌やわ」
「そう……」
 といった藍の姿が、少しぶれた。
「えっ?」
 瞬きしたら、もう目の前にいる。
 それが、鈴音の頭に向かって、上げた手を振り下ろしてきた。
 おおきな手が、闇となって顔に覆い被さってくる。
 ――つかまれる。
 とおもった。
 次の瞬間、鈴音は青い空間のなかを漂っていた。




「ふむ」
 と手にした青い水晶玉をのぞきこんだ藍が、
「平時ならおまえのような者は歓迎なのだけど、いまは……ね」
 といって息をついた。
 そのとき。
 闇から滲み出たような影が、背後から音もなく藍に襲いかかった。
 門左衛門である。
 頭まで黒い布に包まれた門左衛門が、九本の尾を掻き分けて、狐火に光る直刀を藍の背中に突き立てた。
 はずが、全く手応えがない。手応えのないまま、肘までが藍の背中に飲みこまれた。
「なっ?」
 目を見開いた門左衛門の手首を何者かがつかんだ。とおもうや強いちからで引っ張られ、直後には、藍の前に横たわっている。
 それは刹那のことで、門左衛門には、
「何が……」
 起こったのか判らなかっただろう。
 実は、刃が藍の身に刺さらんとした瞬間に、その背に“暗い裂け目”が開いて、刀もろとも門左衛門の腕を飲みこんだのである。そして、手を引かれ、全身を裂け目に食われた門左衛門は、藍の目の前に開いた別の裂け目から吐きだされたのであった。
「くそっ」
 何が起こったか判らないままに門左衛門は立ちあがろうとしたが、ずしりとした重みを受けて、うつ伏せで地面に押さえつけられてしまった。
 何者かが背中を踏み、刀をつかんだほうの腕を手で押さえている。
 そいつのものらしい声が高いところから聞こえてきた。
「人間が相手だからと油断したわね藍」
 といった声は女のものだが、妖怪にちがいない。
「えっ」
 藍が驚いている。
「こいつの刀は、謂れのあるものよ。相当強いちからを秘めている。たぶんこれで斬られると我々でも傷がなかなか治らないでしょう……いまこの大事な時に、おまえが動けなくなると困るのに」
「すみません」
「済んだこと。以後注意なさい」
「はい……」
 さて、と背中を踏んでいる奴がいった。
「こんな物騒なものを持って、易々と藍の背後を取るお前は何者かしら?」
 と聞いてきたが、もちろん門左衛門は答えるつもりはない。ないはずなのに、
「俺は、森近門左衛門。公儀隠密だ」
 簡単に秘密をもらしてしまった。
「なっ?」
 おどろきに門左衛門の息が凍った。
 ――妖術を使われた気配もなかったのに……。
 これはどういうことか。
 ――いや、いまは考えているときじゃねえ。
 己の持っている幕府の秘密を吐かされるまえに、舌を噛み切ろう、と門左衛門は考えた。
 が、背中を踏む妖怪が、
「こんな時でなくとも、公儀に嗅ぎまわられるのは、おもしろくないわ。残念だけど、お前には消えてもらいます。そうね、この辺りの妖怪の餌になってもらおうかしら」
 と言ったので、考えを改めた。
 尋問を受けないですむなら、舌を噛む必要もない。
 ――最後まで、抵抗するまでだ。
 と思いなおした。
 が、森近門左衛門の彼らしい思考はこれが最後だった。
「しかし、不味そうねえ……これでどうかしら?」
 と女がいった瞬間、一瞬、気が遠くなった。
 そうして、
 ――あれっ、わたし何をしているのかしら?
 とおもった。背中を踏まれていたような気がするけれど、そんなことはなく、なんだか全身に布が被さっている。
「それじゃあ藍、行きましょうか」
 女の人の声がして、辺りが静まりかえった。




 真昼の陽光が降り注ぐ馬場に、少女は座りこんでいた。
 思考に前後のつながりがなくぼんやりとしている。
 つい今しがたまで、自分が強い忍者であるとおもっていたけれど、それが夢だったと気がついて、急に我に返った。
 ――ここは?
 何処だろう。
 辺りを見渡しても、あるのは杉の古木ばかりである。
 その首を巡らすわずかな動きに、身を包んでいた着物が肩を滑ってはらりと落ちた。
 はっとして、羽織りなおせば、てんで身に合わない大人の着物である。
 細い肩から身体のまえにだらりと垂れる着物の襟を、少女は内側から持ち上げてしげしげと眺めた。
 ――わたしは、いったい?
 誰なんだろう。名前を思い出そうとすれば、もやもやとしたものが思い浮かんでくるけれど、いくら意識を集中しても、それがはっきりとした形をとってくれない。根を詰めて考えるのに疲れてふと息を吐くと、同時に気が抜けて、心のなかに虚ろな空間が広がった。
 なんだか急に心ぼそくなった少女は、手に持っている襟に顔をうずめて、すすり泣きはじめた。

 どれくらい、そうしていただろう。
 風が吹いている。
 生暖かい風だった。
 それが荒々しくなって、あたりがゴウゴウいいだしたので、少女は仕方なしに泣き濡れて赤らんだ面をあげた。
 辺りは薄暗かった。空が厚い雲におおわれている。
 何かが、聞こえた。
 笑っている。笑い声は、だんだん大きくなってくるようだった。
 少女は身を縮めて周囲を見まわした。
 その目のまえに、音も無くなにかが降り立った。
 風に乗ってきた枯れ葉が地面に落ちて、不思議とそこに引っ掛かったまま動かないということがある。そんなことを連想させる現れ方をしたそれは、大猿の妖怪、狒々(ひひ)だった。
 この峠道は彼等の縄張りなのだろうか。
 少女は、震えあがって動けない。
 それと見て狒々のほうは余裕たっぷりで、傍らをおどけるように跳び回りながら、猿の顔がキィキィ鳴くかわりに、ヒヒヒヒと笑った。
 やがて、狒々が少女の背後で足を止め、長い腕を伸ばしてその着物をひっつかんだ。食べるのに邪魔だから、除こうというのであろう。
 衣を引かれた少女が、きりきり舞いするように身体を回して、地に倒れこんだ。
 それが裸の身を力なく動かして、上体を起こしていくさまを眺めながら、狒々はにやにやとしていたけれど、不意に牙を剥いて威嚇の声とともに後ろに跳んだ。
 少女の手に、光る物があった。
 少女が、震える手に直刀を握り、大猿に向かって突きつけている。
 狒々が、駄々をこねるように握った両手を振り上げて、同時に振り下ろして地面を打った。それを二度三度くりかえして、ヒヒヒといっている。獲物から予想外の抵抗をうけて、かえって喜んでいるのである。
 不意に、風がうねって吹く向きが反転した。
 それを合図に、狒々が、ひとっ跳びで少女に襲いかかった。刀を打ち払ってふっ飛ばすと、腕をねじあげ、押さえつけるように肩をつかんだ。そうして、小さな頭に覆い被さるように顔を近づけるや、耳まで裂ける大口をばっくりと開いた。

 刹那。
 リィンと涼しい音がした。
 直後には、狒々の開いた口に五尺(約150cm)ほどの錫杖が突き立っている。
 狒々が脱力して、だらりと腕を垂れた。少女の身体が、ぐらりと傾いて地に崩れ落ちた。
 狒々は口から杖を生やして、そのまま立ち尽くしていたけれど、杖が蛇のようにうねって口のなかに呑みこまれてしまうと、はっと両手で口を押さえ、ついで腹に手をやった。

「腹が、ふくれましたか?」
 どこからともなく笑いを含んだ女の声が聞こえた。
 なんともいえない優しげな声音である。
 いつのまにか、馬場の入り口に僧衣をまとった人物が立っている。衣装からして僧侶であろうが、剃髪はしておらず頭巾の右側に緑の髪がのぞいて見えた。
 それが、ゆっくりと少女と狒々の元へ歩んでくる。
 狒々は、四つ足で立ってじっと動かず、女性に見惚れているようだった。地べたに座りこんだ少女は、そんな妖怪を恐れて、じりじりと後退った。
「足りないのなら、そら、これをお食べなさい」
 と尼僧が衣の袖をちぎって、差しだした。
 受け取った狒々は、なんの疑いもない様子で、袖を口に運び噛みはじめたが、噛むたびに段々と体がちいさくなるようである。それにつれて、風が止み、空が晴れ渡った。
 やがて狒々が、キィと鳴いた。もはやただの猿にしか見えない。
「もうお帰り」
 といわれると、たっと走って林のなかに飛びこんでいった。
 それを見送った尼僧が、少女に向き直ってしゃがみこんだ。
「さあ」
 と腕を開いた。
 少女が、せつなげな吐息をこぼし、よろめきながら立ちあがる。そうして、誘いこまれるように胸に飛びこんでいった。
「怖かったのでしょう。可哀想に」
 尼僧は、己の衣に包みこむように少女を抱きしめると、小さくはないその身体をふわりと抱き上げた。少女は、尼にしがみつきながら、安心しきったような顔でいたけれど、やがて眠りに落ちていった。
 そのやすらかな顔をのぞきこみ、慈愛に満ちた笑みを浮かべたこの女性、実は地蔵菩薩の化身である。
 関八州で密やかに祀られており、誰が呼んだか、年がら年中四季地蔵と称され愛されていた。化身でいるときは自らを四季映姫と名乗った。
 映姫が顔を上げ、行く手を見遣った。
 ――城下までは、一里半ほどですか。そして……。
 顔をやや西に向けて、厳しく引き締める。
「異界まで三里……」
 その声が力強かったので、少女が目を覚ましかけたところ、映姫はたちまち優しげな顔になって、
「町に着くまで眠っていればいいですよ」
 と母のような声でいった。

書き始めてから終わるまでに、一年かかりました。

2013.4.14 創想話の新生後、表示が変になっていたのを修正しました。
若星
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