虚しいな。東風谷早苗はネットゲームをプレイしながら、他人事のように考える。
本日は、自分たちが幻想郷へ旅立つ日だ。なぜ現世での残りわずかな時間を、もっと有意義に過ごせないのか。
いまの早苗には外需と内需がない。
今日一日は外出禁止だ。本日の正午をもって、守矢神社は敷地ごと幻想郷へ移転する。
その時、守矢神社にいなければ、現世に取り残されてしまうのだ。
また、もう電話会社とは解約済みでケータイも繋がらない。
幻想入りを待たずして、早苗はすでに社会から切り離されているのだ。いまの彼女には外需がない。
しかも、こんな日に限って、家事の当番が一つもない。朝食、昼食の支度は諏訪子さまが、掃除洗濯は神奈子さまの担当だ。
幻想入りが決まり、義務教育から解放されたことで、勉強することもできない。
ないないづくしで内需もなく、早苗は完全に要らない子と化していた。
詮方なく、早苗は自室でネットゲームをソロプレイしている。
アバタ―をマウスで操作して、敵キャラに殴りかかり、経験値を稼いでいる。レベルが上がった。
彼女は首をひねった。自堕落な己に対する疑義を差し引いても、違和感が拭えない。
何か大切なことを忘れているような―
早苗はふと気がついた。
神奈子さま曰く、最先端の家電品は幻想郷に持ち込むことが出来ず、現世に残るらしい。
ノートパソコンのデータを紙にプリントアウトする作業は既に終えてある。
だが、もっと大切なことがあった。パソコンの初期化だ。
幻想入りすれば、自分は一家で失踪したことになる。警察も調査に乗り出すはずだ。
このパソコンが見つかれば、当然中身も調べられるだろう。
ハードディスクに残っている個人的なデータが、あんな画像や、あんなサイトへのリンクが、見ず知らずの誰かに晒されるのだ。
想像しただけで、死にたい気分になる。
早苗は時計を確認した。気づけば、守矢神社の幻想入りまであと二時間を切っていた。
果たして、間に合うのだろうか。自分はあと二時間で、このパソコンのデータを消し切ることが出来るのだろうか。
だが、やるしかない。これには己の全ての尊厳が掛かっているのだ。
早苗は決死の情熱をもって、パソコンのデータを"ゴミ箱"に移す作業をはじめた。ドラッグ&ドロップ。ドラッグ&ドロップ―
――そして、およそ一時間半後。
早苗はパソコンの前で、やり遂げた表情になっていた。パソコンの中にある個人的なデータを、すべて"ゴミ箱"へ移し替えることに成功したのだ。
もう何も怖くない。
時計を見ると、幻想入りまで残り三十分ジャストだった。随分とぎりぎりまで手こずらされたが、いまは全て達成感にかわっている。
「お~い、さなえ。そろそろだぞ~」居間の方から諏訪子さまの呼ぶ声が聞こえてきた。
「は~い、いま行きま~す」応えて、早苗は席から立ち上がった。
ノートパソコンの電源を切り、自室を出る。
◆◆◆◆◆
早苗が居間に着くと、座卓の前に神奈子さまと諏訪子さまが座っていた。早苗も正座する。
「しかし、あと二十分でこの世ともお別れだな」神奈子が感慨深げに言った。
「まるで死ぬような言い方しない下さいよ」早苗は苦笑いした。「ちょっと、お引っ越しするだけじゃないですか」
諏訪子は両目を眩しげに細めた。「早苗、あなたも随分と成長したねえ」
「そんな―」早苗は不意打ちに頬を赤らめた。
「いや成長した」神奈子は頷いた。「こういう人生の節目に、平静を保つのは大の大人でも難しいものさ」
早苗は顔の前で手を振った。「いやいや、私も先程まで慌ててたんですよ」
神奈子は優しく笑った。「ならば、早苗は私と一緒だな」
「神奈子さまと?」早苗は意外そうに言った。
「ああ、私でも慌てることがある。特に今日は酷かった」
神奈子は後頭部を掻いた。「いや私としたことが、うっかりパソコンのデータを消去し忘れててな。今の今まで、ツールでデータを消してたところさ」
「ん、ツールって何のことですか?」早苗は不思議そうに尋ねた。
「パソコンのデータを完全に消去するためのツールさ。ネットでフリーで落とせるぞ。あれで消さないと、初期化してもデータは残るんだ」
「初期化? ゴミ箱に入れることですか?」
「え? ゴミ箱を空にしても、パソコンのデータは消えないぞ。何故なら、ハードディスクに残ってるからな」
神奈子は再び後頭部を掻いた。「しかし、今回は色々と紙一重だったよ。私のパソコンには最新核爆弾の製造方法とかが普通に入ってるからね」
「あはは、馬鹿だねー」などと諏訪子が相槌を打つ。神奈子が「本当だよ」と応えて―
早苗は席から立ち上がった。
◆◆◆◆◆
早苗は慌てて自室に駆け込んだ。まだよく分からないが、神奈子さまの話を聞くに、自分のノートパソコンにはまだデータが残っているらしい。
あんな画像やこんなサイトへのリンクが、まだ残っているらしい。
時計を確認する。時刻は十一時五十分。幻想入りまで、あと十分も残っていない。
早苗は必死で頭を回転させた。パソコンのデータを、ツールとやらで消去するのは、もう時間的に無理だ。
ならば、残された方法は一つだ。パソコンを外的に壊すのである。
早苗は押し入れから、お茶のペットボトルを取り出した。キャップを外して、中身をノーパソの上にぶっかける。
いや駄目だ。これだけではショートなど起こらない。早苗はパソコンの電源を入れた。
いや駄目だ。パソコンは普通に起動している。壊れる気配がない。
パソコンを両手で掴み上げて、机の上に叩きつけた。物物凄い音がした。だがパソコンは正常に起動していた。
もう一度パソコンを机の上に叩きつけた。画面が壊れた。だが、本当に壊れた気がしなかった。
パソコンを床にたたきつける。パソコンが足の指にあたった。己の口から悲鳴が漏れた。
その悲鳴を雄叫びで上書きして、首を振りながら、パソコンをあっちこっちにに叩きつけた。どこをどうしたか、頭を打った。
痛い痛い痛い。頭から血が出ているらしい。だが怯まない。パソコンを掴み上げて―
「――早苗、何してるの!」
諏訪子さまの声がした。だが怯まない。烈渾の気合を込めて、パソコンをあちこちに叩きつける。部屋のあちこちが破砕していく。
「早苗、どうしたの早苗!」
神奈子さまの声が聞こえる。だが怯まない。パソコンをあちこちに叩きつける。部屋のあちこちがはじけ飛ぶ。
「うわああっ。早苗がおかしくなったああー」
「ごめんよお、ごめんよ、早苗。現世を離れるとか言い出してえ!」
……。
◆◆◆◆◆
守矢神社の縁側で、早苗が目が覚ますと、諏訪子の顔が近くにあった。
「諏訪子さま? ここは?」
「幻想郷よ。私たちは結界を超えて、遂にこの地へたどり着いたの」
諏訪子は膝枕の上の早苗の顔を、慈母のように優しく撫でた。
「いつの間に?」
「何も覚えてないの?」
「ええ、まったく」
早苗は、不思議そうに諏訪子の顔を覗き込んだ。諏訪子は、死んだ魚のような目をしていた。
なんというか……ご愁傷様早苗ちゃん?
PCであれこれやってるぽい割にはゴミ箱に移してはい消去完了!
とか早苗ちゃんまじ早苗。
読了後に焦燥感が残る作品でした。
きっとこの早苗さんと同じような恐怖を感じたからだね。
ゴミ作品で時間を無駄に消費される側のことも少しは考えて欲しいかも。
そこのところを詳しく教えてくれ。
僕はどうしたらいいんだろ…
何となく早苗さんの気持ちが分かる
けども、外の世界に未練は残りっぱなしだろうなあ…
クラウド?知らんよ
タコスさんもお疲れ様です。