じめじめとした梅雨の空気が肌に纏わりつく。
出先で降り出した雨は家に着く頃には本降りになって、上から下までぼとぼとになった。
濡れたままでは悪いと着替えついでにお風呂に入ったものの、溜まった疲れが出てきたのか髪を乾かす気力がない。
でも乾かさないと少し伸びた髪が首筋にへばり付いて鬱陶しい。
どうしようかな。
「乾かせばいいじゃない」
いつの間にか勝手に上がりこんでいた天狗が呆れ顔で言う。
なんとなく腹が立ったから髪の水分で湿った手拭いを投げつけて対面に腰を下ろす。
「だるいの」
「風邪?」
「ちょっと疲れただけよ」
ふむ、と手拭いを掴んだのと逆の手を顎にやって何か考え始めた。
今気付いたけどこいつ全然濡れてない。天狗だし風を纏って凌いだのかな。
「私が乾かしましょうか? 風を使えば早く済むだろうし」
「ん、お願い」
こういうのって何て言うんだっけ。渡りに船? よくわからないけどありがたく利用させてもらおう。
立ち上がって後ろに回った文の手が柔らかな風を纏って髪に触れた。
文の起こす風は梅雨の湿気を含まず爽やかで、しかも冷たくない。うん、いい感じだ。
「髪伸びたわね」
「うん。そろそろ切ろうかな」
水分の抜けてきた髪が首筋を撫でる。いつも乾ききらないうちに寝てしまうからなんだか変な感、
文の指が耳を掠めた。
「ひゃっ?!」
「どうかした?」
「……なんでもない」
絶対わざとだ。声が笑ってた。でも乾かされてる手前何も言えない。
「はい、お終い」
「もう?」
半信半疑で触ってみる。すっかり乾いていた。
「便利ね」
「お役に立てたようで何より」
振り返った先に微笑。細められた赤い目が明かりで輝いて見えた。
「ところで」
「うん?」
なんでだろう、急にとんぼの歌を思い出した。目が水色なのは青空を見たから、とかいうやつ。文が見たのは何なのかな。夕焼け? それとも
「いつもより体温が高いのは気のせいじゃないと思うんだけど?」
うわ、笑顔が怖い。
……そういえばさっきまで何考えてたんだっけ。
「だるいだけよ」
「熱があればそうなるわよ。まったく、体調管理ぐらい自分でやってもらいたいわね」
文の言葉が耳を通り抜けていく。聞こえてはいるんだけどその意味がわからない。
考えがまとまらなくて、話は聞こえてるのに内容が理解できない。
こういうの、前に体験したことがあるような。
「あー、うん……熱、あるかも」
「自覚するのが遅」
「じゃ後よろしく」
「え、ちょっと!?」
体調が悪い時はよく寝れば治るって言うしね。うん。だから眠ってしまおう。
意識が途切れる間際、天狗が何か言うのが聞こえた気がした。
*
「自分に感心するわ」
体温計を手に思わず呟いてしまった。
帰った時沈みかけていた太陽は真上に近い。
あれから半日以上眠り続けたようで、体調はよくなり平熱に戻っていた。
「何感心してるのよ」
「え?」
体温計から目を上げるとなぜかアリスがいた。しかも小さい土鍋の載ったお盆を持っている。
「文は?」
「寝てるんじゃないかしら。あ、台所借りたわよ」
「ありがと。お粥?」
「ええ。口に合うといいんだけど」
行儀が悪いけど布団に入ったまま食べることにする。
文は私が眠ってすぐアリスの家へ手下の鴉を送ってアリスを呼び出し、事情を説明して留守を頼んで永遠亭へ薬を貰いに行き、それをアリスに渡した直後倒れたらしい。
「少し前から忙しそうに飛び回ってたし、疲れてたんでしょうね」
そう言って膝に乗せた上海人形を撫でながら苦笑いした。
そういえば前に会った時新聞がどうこうと言っていた気がする。
「……文は?」
「隣の部屋に寝かせてるわ」
「そう。ごちそうさま、美味しかったわ」
洗い物はアリスに任せることにして布団を出る。
閉じた襖の向こうで誰かが身動ぎする気配を感じた。
「文、起きてる?」
一応呼びかけてみるが返事はない。まあ寝てても起きてても入るから関係ないんだけど。
部屋の真ん中に敷かれた布団から黒髪が覗いていた。少し掛け布団を捲れば寝顔が見えるだろう。
下手に話しかけたら起きてしまうかもしれない。でもどうしても一つだけ言いたかった。
「ありがとね」
うん、言えた。
後は……そうね、今度来た時お茶とお菓子を奮発しようかしら。
そう決めて起こさないよう静かに襖を閉めた。
「………………っ、ふぅ」
声を出さないよう詰めていた息を吐いて文は布団から顔を出した。
嬉しかった。
霊夢が顔を出してくれたことが、かけてくれた言葉が。
緩む頬を隠しきれずまた潜り込む。
当分布団から出られそうにない。
霊夢の知り合いの中でまともに看病してくれそうだったからかな?
布団の中でひっそり喜ぶ文ちゃんかわいいな