※この話は、同作品集内「私と、彼女と、小さな恋(前編)」の続きとなっております。先にそちらに目を通して頂けると幸いです。
妖怪の山の山頂から麓までを流れる川。ちゃぷんと音を立てて、私は川の水につかる。まだ暑さの厳しい残夏でも、川の水は冷たくて気持ちがいい。
「はー……」
二人でお昼ご飯を食べたあと、仕事があるらしい文さんとはすぐに別れた。憧れていたヒトと一緒で楽しかったはずの昼食だが、私は途中からの会話をあまり覚えていない。
「……文さん、好きな人いるのか」
――初恋がまだ、続いているんです。
そう言った時の文さんの表情と、言葉が私の頭の中にずっと残っていて、他のことが頭に入らなくなった。
自分から聞いたくせに、勝手に落ち込んでるなんて……。
「ばかだな、私」
ぶくぶくと息を吐き出しながら水に沈んでいく。川、というか水は好きだ。水中はなぜだか落ち着く。私が河童だからかもしれないけれど。
「だいたいさ、昨日までは話したことすらなかったのに」
文さんは、今までは見てることしか出来なかった憧れのヒトだ。そんなヒトと一緒にご飯を食べて、隣に座って、話が出来て……十分すぎるじゃないか。これ以上を望むなんて、欲張りすぎだよ。昨日までは、見てるだけでもいいって思ってたくらいなんだから。
「……そうだ、今までは、見てるだけで良かったじゃないか」
見てるだけでよかった。ずっと遠くから眺めてた。気づいてもらえないような遠くから。それが随分と近くなった。隣にいることが出来た。喜ばしいことじゃないか、これ以上何を望むっていうんだ私は。
……欲張るのはやめよう。話せるだけでも奇跡なんだから。
沈んでいた身体を起こして水面に頭を出す。日暮れにはまだまだ早いけど、もう家に帰ろう。
そうして帰宅するために川の上流に目を向けると、何やら紅いものが流れてきた。近付いてくるそれはどうやら人型に見える。一体何だろう……って。
「静葉様!?」
流れてきた紅いものは、秋の二柱の片割れ、紅葉の神様と呼ばれる秋静葉様そのヒトだった。
「何やってるんですかっ」
「おお、河城の」
静葉様は川に流されるのをどうとも思っていないのか流れに身を任せたまま仰向けの状態で私を見る。とりあえずこのまま流されていくと先にある滝から落ちてしまうので静葉様には起き上って頂く。
「神様が変なことしてると信仰減っちゃいますよ?」
「大丈夫じゃ。わしらは二柱じゃからな」
「それって穣子様頼りすぎじゃ……」
「妹の方がしっかりしとるからのう」
駄目だこの神様。
「むう、神に向かって駄目とか言うでない」
「さりげなく心読まないでください」
静葉様はすごいのかすごくないのかよくわからない。神様なんだからすごいんだろうけど。
「いくら神でも心を読むなど出来んよ。お主は顔に出るからのう」
そう言って静葉様は軽快に笑った。なんだか気恥ずかしくなって、私は露骨に話題をずらす。
「それで、何で川を流れていたんですか?」
「……河童の気持ちになっていた」
「は?」
神様を前に失礼だっただろうか。でも、静葉様の言われたことが理解できなかったから仕方ない。
「河童は川を泳ぎますよ?」
河童の川流れなんていう諺もあるけど、基本的に河童は川を泳ぐ生き物だと思う。
「いや、河童は川に流されておるよ」
静葉様が私に背を向ける。水に湿ったお月さま色の髪がふわりと揺れて、なんだかすごく綺麗に感じた。
「感情という名の川に流されておる」
「……それは、どういう「のう、河城の」
私の言葉を遮って静葉様は言った。
「夏が、終わるな」
紅葉の神様がいう言葉は私には難しくて、いつもいつも理解出来なかった。昔から、ずっと――。
「夏が終われば秋がくる。秋はわしらの季節じゃ」
くるり。振り向いた静葉様は人間の子供のように楽しそうに笑っていた。
「河城の。まだ先の話じゃが、秋の祭りに主もくるといい。また、昔みたいに騒ごうぞ」
「……気が向いたら、行きます」
「待っとるよ」
秋の祭り。紅葉が鮮やかな時期に人里近くで行われている、いわば収穫祭のようなものだ。まだ私が肉体的にも精神的にも幼かったころは行っていたけど、一人で生活出来るようになってからはもう行っていない。何年行ってないかもわからないくらいだ。
「静葉様は気が早いなぁ……」
いつの間にかいなくなってしまった神様を思い浮かべながら、私はそう呟いた。
もうじき夏が終わる。でも、紅葉が彩るにはまだ、早かった。
***
あっという間に夏が終わった。
今年は秋の入りが早い。葉っぱはまだ色づいてはいないけど、夏の暑さはとうに消え去った。涼しくて過ごしやすい、そんな季節がきた。
秋は好きだ。一年の中で一番。食べものはおいしいし、空気は澄んでいるし、夜はながいし、月だって綺麗だ。なによりも一番、葉っぱが色づいて山が紅く染まっていくのが、鮮やかで、綺麗で、大好きだった。ずっと昔から秋が好きなのは変わらない。
「文さん!」
「こんにちは、にとりさん」
待ち合わせの丘に、文さんはもう来ていた。彼女はいつも私よりはやくここにいる。早めに来ているつもりだけれど、どうしてか私が先に着いたことはない。
初めてお昼を一緒に過ごしたあの日から、文さんとは週に数回一緒に昼食を摂るようになった。
「今日のお弁当はなんですかー?」
「今日は山菜がたくさん採れたので、山菜の天ぷらです!」
「おお、今日の分もおいしそうですねぇ」
一緒に食べる時は文さんのお弁当も私が作るようになった。代わりに文さんは人里で買ったお菓子だとか、発明に使えそうな珍しいものだとかを私に持って来てくれるようになっていた。
「いやー、やっぱりにとりさんの作るご飯はおいしいですねー」
「そ、そんなことないですよ」
「そんなことありますよ! こんなにおいしい手料理、少なくとも私は他に知りません!」
「て、照れるなあ……えへへ」
いつも文さんは私の料理を褒めてくれる。ものすごく照れるというか恥ずかしいんだけど、おいしいと言って綺麗に平らげてくれる文さんを見てるとすごく嬉しくもなる。
こんなに幸せでいいのかな、私……。
「……ところで、にとりさん。ふと思ったのですが」
「はい、何でしょう?」
「にとりさんはその、恋人がいらっしゃるんで?」
「えええっ!?」
文さんの突然の発言に頭の中がパニックになる。
い、一体どうして、いや私も前に聞いたことあるけどあれ以来今までそういう話になったことなかったし……。
私が喋れなくなっているのを見かねたのか文さんが苦笑交じりで聞いた理由を教えてくださった。
「にとりさん料理お上手ですからあの、恋人さんがいてその方に作っているからなのかなと思いまして」
「そそそうなんですか。えっとその、恋人とかはいない、です。料理は昔お母さんみたいな人に教えてもらって覚えたので……」
「あやや、そうなのですか。これはまた見当違いのことを聞いてしまいましたね……失礼しました」
「い、いえー」
恥ずかしそうに頬を掻く文さん。なんというか、友人として接するようになってから彼女の可愛らしい一面ばかりをよく見ている気がする。いや、可愛らしい文さんも魅力的だし素敵なのだけれども。
「しかしまあ、にとりさんに料理を教えた方はさぞかししっかりされた方なんでしょうねー」
「え? そんなことはないと思います、けど」
私に料理やその他家事などを教えてくれたふたりを思い浮かべる。ひとりはしっかりしてるようにも思えるが、もうひとりは突拍子もないことをしたりふらりといなくなったりしていてとてもじゃないがしっかりしているなんて言えやしない。
けれども文さんはすごく綺麗に微笑んで……。
「こんなに美味しくて愛情のこもった料理は、教える人がしっかりした人でないと教えられませんよ」
なんでだろうか。自分を褒められた時より、すごく嬉しく思えた。親ばかならぬ娘ばかなのか私は。
「っと、ごちそうさまでした!」
そんなふうに話しながらも文さんはお弁当を完食していた。ご飯粒ひとつ残っていない。相変わらず綺麗に食べてくれる。
「今日もとってもおいしかったです。ありがとうございますにとりさん!」
「お口に合ってよかったです」
こうして綺麗に食べてもらえると、作った側としては嬉しいものだ。いつもは作ってもひとりで食べるだけだからつい手抜きにしちゃったりするけど、こうやって誰かに食べてもらうとなると気合が入って作るのも楽しいし。
「にとりさんをお嫁さんにするヒトは毎日この美味しい手料理が食べられるんですねぇ。羨ましいものです」
「お、お嫁さんだなんて……っ」
まだ相手もいないのに、というか文さんからそんなふうに言われちゃったら私照れるしかないじゃないですかー!
という声に出せない言葉を胸の内で叫ぶ。今日はなんだかドキドキしてばっかりだ。
「……お嫁さんだったら、私より文さんをお嫁さんにしたいっていうヒトの方が多そうですけど」
「私ですか? いやいやそんな物好きな方はいないと思いますよー。料理だって出来ませんし容姿だって特別いいわけでもないですし」
文さんの容姿が良くないっていうなら他の誰の容姿がいいっていうんだ。こんなに美人でなおかつ凛々しくてかっこいいというのに。山のみんなから羨望の眼差しで見られてる自覚ないのかな……?
「それに……」
少し声のトーンを落として、文さんは自嘲気味に呟いた。
「私は、告白する勇気もない、情けなくて格好悪い、意気地無しの天狗ですから」
あまりにも悲しそうな表情で、諦めたような口調で文さんがそんなことを言うから。
「そんなことないです!!」
私は大声で、そう叫んでいた。
「にとりさん……?」
「文さんは、勇敢で、誠実で、優しくて……山のみんなが憧れる天狗様です。第一、告白なんて怖くて当たり前なんですよ……? だから、文さんは情けなくなんてありません。格好悪くなんてないです」
自分でも滅茶苦茶なことを言っている気がする。けれど、私が憧れている文さんに、大好きな文さんに、あんな表情をしてほしくなかった。諦めないで欲しかった。こんな言葉をかけるのは私のエゴなのかもしれないけれど。
「そんな文さんに告白されて、断る人なんているわけないじゃないですか!」
こんなに素敵な人から想われて、それで気持ちを告げられたのなら、断る理由がわからない。断るヒトなんているわけない。むしろいたら私がぶっ飛ばす。
「……あ、その、私……」
一気に捲し立てたところで我に返る。うわわわ……かなり恥ずかしいこと言ったんじゃ私……。絶対文さん引いてる、「気持ち悪い河童だ」って思われたかも……。穴掘って埋まりたい。ここから今すぐ逃げ出したい。
勢い良く俯いて、でもどうしても気になってちらりと目線だけを上げて文さんを見つめる。
目を見開いて唖然としていた彼女は、だんだんと真面目な表情に変わっていき……そして、大きな声で笑い始めた。
「ぶはっ、あは、あはははは!」
今度は私が呆然としてしまう。
そんな私を置いてけぼりに、文さんはひたすら笑っている。
「も、もうなんで笑うのさっ」
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。
「いやいやすみません」
ようやく笑いが収まった文さんは笑いすぎて出てきた涙を手で擦って、私に向き直った。
「今までそんなふうに言われたことなかったもので、嬉しくて……ありがとうございます、にとりさん」
文さんが私の頭に手を置いた。帽子越しに感じる彼女の手の温もりと、「ありがとう」と向けられた言葉に、私は何故だか、無性に、泣きたくなった。
これ以上格好悪いところを見せたくなくてどうにか涙は我慢したけど。
「――そういえば」
お弁当箱なんかを片づけて、もうそろそろお開きかなという時。
「にとりさんは好きな人、いないんですか?」
文さんからの質問に、答えるのを一瞬躊躇した。
「……います」
「え、そうなんですか? 同じ河童のお仲間さんです? それとも他の妖怪の方とか」
……なんで、そんなに嬉しそうに。
記者魂が揺さぶられるのか、ただ単に恋愛の話が好きなだけの女の子心なのか、楽しそうに、明るく話す文さんの姿にチクチクと心が痛む。
「内緒です」
「あや、それは残念です」
ちぇー、と唇を突き出す文さんは子供っぽくて可愛い。
……拗ねてるのかな?
「にとりさんも告白すればいいのに」
私より一歩先を行く文さんが、背を向けたままそう言った。
「にとりさんに告白されて、断るヒトなんていませんよ」
どうして、そんな言葉を。
そんなこと――。
「だって、にとりさんすごくいいヒトですもん」
あんたが言うな――――っ!
***
寝床にひとり転がって、無気力に天井を見上げる。
わかってる、悪いのは私だ。文さんは悪くない。
見てるだけでいいなんて言っておいて、全然よくないじゃないか。だいたい、見てるだけでいいなら、最初から友達になってなんて言わない。
「じゃあ、どうすれば良かったの……?」
――好きなら好きってはっきり言うべきだった?
だって遠かったんだ、好きなんて言えるわけがないよ。
「わかんないよ……」
考えられなくて、考えたくなくて、私は……。
まどろみの中へ、落ちていった。
妖怪の山の山頂から麓までを流れる川。ちゃぷんと音を立てて、私は川の水につかる。まだ暑さの厳しい残夏でも、川の水は冷たくて気持ちがいい。
「はー……」
二人でお昼ご飯を食べたあと、仕事があるらしい文さんとはすぐに別れた。憧れていたヒトと一緒で楽しかったはずの昼食だが、私は途中からの会話をあまり覚えていない。
「……文さん、好きな人いるのか」
――初恋がまだ、続いているんです。
そう言った時の文さんの表情と、言葉が私の頭の中にずっと残っていて、他のことが頭に入らなくなった。
自分から聞いたくせに、勝手に落ち込んでるなんて……。
「ばかだな、私」
ぶくぶくと息を吐き出しながら水に沈んでいく。川、というか水は好きだ。水中はなぜだか落ち着く。私が河童だからかもしれないけれど。
「だいたいさ、昨日までは話したことすらなかったのに」
文さんは、今までは見てることしか出来なかった憧れのヒトだ。そんなヒトと一緒にご飯を食べて、隣に座って、話が出来て……十分すぎるじゃないか。これ以上を望むなんて、欲張りすぎだよ。昨日までは、見てるだけでもいいって思ってたくらいなんだから。
「……そうだ、今までは、見てるだけで良かったじゃないか」
見てるだけでよかった。ずっと遠くから眺めてた。気づいてもらえないような遠くから。それが随分と近くなった。隣にいることが出来た。喜ばしいことじゃないか、これ以上何を望むっていうんだ私は。
……欲張るのはやめよう。話せるだけでも奇跡なんだから。
沈んでいた身体を起こして水面に頭を出す。日暮れにはまだまだ早いけど、もう家に帰ろう。
そうして帰宅するために川の上流に目を向けると、何やら紅いものが流れてきた。近付いてくるそれはどうやら人型に見える。一体何だろう……って。
「静葉様!?」
流れてきた紅いものは、秋の二柱の片割れ、紅葉の神様と呼ばれる秋静葉様そのヒトだった。
「何やってるんですかっ」
「おお、河城の」
静葉様は川に流されるのをどうとも思っていないのか流れに身を任せたまま仰向けの状態で私を見る。とりあえずこのまま流されていくと先にある滝から落ちてしまうので静葉様には起き上って頂く。
「神様が変なことしてると信仰減っちゃいますよ?」
「大丈夫じゃ。わしらは二柱じゃからな」
「それって穣子様頼りすぎじゃ……」
「妹の方がしっかりしとるからのう」
駄目だこの神様。
「むう、神に向かって駄目とか言うでない」
「さりげなく心読まないでください」
静葉様はすごいのかすごくないのかよくわからない。神様なんだからすごいんだろうけど。
「いくら神でも心を読むなど出来んよ。お主は顔に出るからのう」
そう言って静葉様は軽快に笑った。なんだか気恥ずかしくなって、私は露骨に話題をずらす。
「それで、何で川を流れていたんですか?」
「……河童の気持ちになっていた」
「は?」
神様を前に失礼だっただろうか。でも、静葉様の言われたことが理解できなかったから仕方ない。
「河童は川を泳ぎますよ?」
河童の川流れなんていう諺もあるけど、基本的に河童は川を泳ぐ生き物だと思う。
「いや、河童は川に流されておるよ」
静葉様が私に背を向ける。水に湿ったお月さま色の髪がふわりと揺れて、なんだかすごく綺麗に感じた。
「感情という名の川に流されておる」
「……それは、どういう「のう、河城の」
私の言葉を遮って静葉様は言った。
「夏が、終わるな」
紅葉の神様がいう言葉は私には難しくて、いつもいつも理解出来なかった。昔から、ずっと――。
「夏が終われば秋がくる。秋はわしらの季節じゃ」
くるり。振り向いた静葉様は人間の子供のように楽しそうに笑っていた。
「河城の。まだ先の話じゃが、秋の祭りに主もくるといい。また、昔みたいに騒ごうぞ」
「……気が向いたら、行きます」
「待っとるよ」
秋の祭り。紅葉が鮮やかな時期に人里近くで行われている、いわば収穫祭のようなものだ。まだ私が肉体的にも精神的にも幼かったころは行っていたけど、一人で生活出来るようになってからはもう行っていない。何年行ってないかもわからないくらいだ。
「静葉様は気が早いなぁ……」
いつの間にかいなくなってしまった神様を思い浮かべながら、私はそう呟いた。
もうじき夏が終わる。でも、紅葉が彩るにはまだ、早かった。
***
あっという間に夏が終わった。
今年は秋の入りが早い。葉っぱはまだ色づいてはいないけど、夏の暑さはとうに消え去った。涼しくて過ごしやすい、そんな季節がきた。
秋は好きだ。一年の中で一番。食べものはおいしいし、空気は澄んでいるし、夜はながいし、月だって綺麗だ。なによりも一番、葉っぱが色づいて山が紅く染まっていくのが、鮮やかで、綺麗で、大好きだった。ずっと昔から秋が好きなのは変わらない。
「文さん!」
「こんにちは、にとりさん」
待ち合わせの丘に、文さんはもう来ていた。彼女はいつも私よりはやくここにいる。早めに来ているつもりだけれど、どうしてか私が先に着いたことはない。
初めてお昼を一緒に過ごしたあの日から、文さんとは週に数回一緒に昼食を摂るようになった。
「今日のお弁当はなんですかー?」
「今日は山菜がたくさん採れたので、山菜の天ぷらです!」
「おお、今日の分もおいしそうですねぇ」
一緒に食べる時は文さんのお弁当も私が作るようになった。代わりに文さんは人里で買ったお菓子だとか、発明に使えそうな珍しいものだとかを私に持って来てくれるようになっていた。
「いやー、やっぱりにとりさんの作るご飯はおいしいですねー」
「そ、そんなことないですよ」
「そんなことありますよ! こんなにおいしい手料理、少なくとも私は他に知りません!」
「て、照れるなあ……えへへ」
いつも文さんは私の料理を褒めてくれる。ものすごく照れるというか恥ずかしいんだけど、おいしいと言って綺麗に平らげてくれる文さんを見てるとすごく嬉しくもなる。
こんなに幸せでいいのかな、私……。
「……ところで、にとりさん。ふと思ったのですが」
「はい、何でしょう?」
「にとりさんはその、恋人がいらっしゃるんで?」
「えええっ!?」
文さんの突然の発言に頭の中がパニックになる。
い、一体どうして、いや私も前に聞いたことあるけどあれ以来今までそういう話になったことなかったし……。
私が喋れなくなっているのを見かねたのか文さんが苦笑交じりで聞いた理由を教えてくださった。
「にとりさん料理お上手ですからあの、恋人さんがいてその方に作っているからなのかなと思いまして」
「そそそうなんですか。えっとその、恋人とかはいない、です。料理は昔お母さんみたいな人に教えてもらって覚えたので……」
「あやや、そうなのですか。これはまた見当違いのことを聞いてしまいましたね……失礼しました」
「い、いえー」
恥ずかしそうに頬を掻く文さん。なんというか、友人として接するようになってから彼女の可愛らしい一面ばかりをよく見ている気がする。いや、可愛らしい文さんも魅力的だし素敵なのだけれども。
「しかしまあ、にとりさんに料理を教えた方はさぞかししっかりされた方なんでしょうねー」
「え? そんなことはないと思います、けど」
私に料理やその他家事などを教えてくれたふたりを思い浮かべる。ひとりはしっかりしてるようにも思えるが、もうひとりは突拍子もないことをしたりふらりといなくなったりしていてとてもじゃないがしっかりしているなんて言えやしない。
けれども文さんはすごく綺麗に微笑んで……。
「こんなに美味しくて愛情のこもった料理は、教える人がしっかりした人でないと教えられませんよ」
なんでだろうか。自分を褒められた時より、すごく嬉しく思えた。親ばかならぬ娘ばかなのか私は。
「っと、ごちそうさまでした!」
そんなふうに話しながらも文さんはお弁当を完食していた。ご飯粒ひとつ残っていない。相変わらず綺麗に食べてくれる。
「今日もとってもおいしかったです。ありがとうございますにとりさん!」
「お口に合ってよかったです」
こうして綺麗に食べてもらえると、作った側としては嬉しいものだ。いつもは作ってもひとりで食べるだけだからつい手抜きにしちゃったりするけど、こうやって誰かに食べてもらうとなると気合が入って作るのも楽しいし。
「にとりさんをお嫁さんにするヒトは毎日この美味しい手料理が食べられるんですねぇ。羨ましいものです」
「お、お嫁さんだなんて……っ」
まだ相手もいないのに、というか文さんからそんなふうに言われちゃったら私照れるしかないじゃないですかー!
という声に出せない言葉を胸の内で叫ぶ。今日はなんだかドキドキしてばっかりだ。
「……お嫁さんだったら、私より文さんをお嫁さんにしたいっていうヒトの方が多そうですけど」
「私ですか? いやいやそんな物好きな方はいないと思いますよー。料理だって出来ませんし容姿だって特別いいわけでもないですし」
文さんの容姿が良くないっていうなら他の誰の容姿がいいっていうんだ。こんなに美人でなおかつ凛々しくてかっこいいというのに。山のみんなから羨望の眼差しで見られてる自覚ないのかな……?
「それに……」
少し声のトーンを落として、文さんは自嘲気味に呟いた。
「私は、告白する勇気もない、情けなくて格好悪い、意気地無しの天狗ですから」
あまりにも悲しそうな表情で、諦めたような口調で文さんがそんなことを言うから。
「そんなことないです!!」
私は大声で、そう叫んでいた。
「にとりさん……?」
「文さんは、勇敢で、誠実で、優しくて……山のみんなが憧れる天狗様です。第一、告白なんて怖くて当たり前なんですよ……? だから、文さんは情けなくなんてありません。格好悪くなんてないです」
自分でも滅茶苦茶なことを言っている気がする。けれど、私が憧れている文さんに、大好きな文さんに、あんな表情をしてほしくなかった。諦めないで欲しかった。こんな言葉をかけるのは私のエゴなのかもしれないけれど。
「そんな文さんに告白されて、断る人なんているわけないじゃないですか!」
こんなに素敵な人から想われて、それで気持ちを告げられたのなら、断る理由がわからない。断るヒトなんているわけない。むしろいたら私がぶっ飛ばす。
「……あ、その、私……」
一気に捲し立てたところで我に返る。うわわわ……かなり恥ずかしいこと言ったんじゃ私……。絶対文さん引いてる、「気持ち悪い河童だ」って思われたかも……。穴掘って埋まりたい。ここから今すぐ逃げ出したい。
勢い良く俯いて、でもどうしても気になってちらりと目線だけを上げて文さんを見つめる。
目を見開いて唖然としていた彼女は、だんだんと真面目な表情に変わっていき……そして、大きな声で笑い始めた。
「ぶはっ、あは、あはははは!」
今度は私が呆然としてしまう。
そんな私を置いてけぼりに、文さんはひたすら笑っている。
「も、もうなんで笑うのさっ」
恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。
「いやいやすみません」
ようやく笑いが収まった文さんは笑いすぎて出てきた涙を手で擦って、私に向き直った。
「今までそんなふうに言われたことなかったもので、嬉しくて……ありがとうございます、にとりさん」
文さんが私の頭に手を置いた。帽子越しに感じる彼女の手の温もりと、「ありがとう」と向けられた言葉に、私は何故だか、無性に、泣きたくなった。
これ以上格好悪いところを見せたくなくてどうにか涙は我慢したけど。
「――そういえば」
お弁当箱なんかを片づけて、もうそろそろお開きかなという時。
「にとりさんは好きな人、いないんですか?」
文さんからの質問に、答えるのを一瞬躊躇した。
「……います」
「え、そうなんですか? 同じ河童のお仲間さんです? それとも他の妖怪の方とか」
……なんで、そんなに嬉しそうに。
記者魂が揺さぶられるのか、ただ単に恋愛の話が好きなだけの女の子心なのか、楽しそうに、明るく話す文さんの姿にチクチクと心が痛む。
「内緒です」
「あや、それは残念です」
ちぇー、と唇を突き出す文さんは子供っぽくて可愛い。
……拗ねてるのかな?
「にとりさんも告白すればいいのに」
私より一歩先を行く文さんが、背を向けたままそう言った。
「にとりさんに告白されて、断るヒトなんていませんよ」
どうして、そんな言葉を。
そんなこと――。
「だって、にとりさんすごくいいヒトですもん」
あんたが言うな――――っ!
***
寝床にひとり転がって、無気力に天井を見上げる。
わかってる、悪いのは私だ。文さんは悪くない。
見てるだけでいいなんて言っておいて、全然よくないじゃないか。だいたい、見てるだけでいいなら、最初から友達になってなんて言わない。
「じゃあ、どうすれば良かったの……?」
――好きなら好きってはっきり言うべきだった?
だって遠かったんだ、好きなんて言えるわけがないよ。
「わかんないよ……」
考えられなくて、考えたくなくて、私は……。
まどろみの中へ、落ちていった。
後編が楽しみです
この静葉様いいなぁ…。穣子様もこんな口調なんでしょうかねw
祭りには姉妹でお出でになっていただきたいものです。
後編もわくわくしながら待ってます
後編がとても楽しみです。