Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

願はくは、花の下にて……~伍・庭掃除と蝶~

2012/02/25 23:04:25
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 はらり、はらり。

 春を象徴する桜の花も、そろそろ終わりの時期が近付いていた。
 一本の木が落とす花びらはそれほど多くはないものの、そこは天下の桜の名所。庭の至る所で散っていく花びらを集めたなら、ちょっとした山なんて簡単にできてしまうだろう。
「はぁ」
 妖忌はそれらが未だ地面に敷き詰められている様を見て、その日何度目かのため息をついた。朝から庭の掃除を言いつけられ、一刻ほど箒を手の中で遊ばせているのだが、一向にはかどっている気がしないのだ。
 ――ほら、綺麗でしょ。きっと、あなたも気に入ると思うわ。
 最初に境内を案内された時、あの人はそう言ってこの桜の庭を見せた。
 確かに、視界全てを覆い尽くす薄紅色の花々は、風雅な事物に疎い妖忌でも大いに圧倒された。ただ見ているだけで、こんなにも華やかな気分にさせてくれる物に、彼は生まれて初めて出会った。
 だが、こうして実際に庭の世話をさせられていると、話は別だ。どれだけ掃いても、どんどん落ちてくる花びらは、厄介者以外の何物でもなかった。
 それに、と妖忌は真上にある枝を眺めた。たくさんの花の中には、小さな新芽が顔を覗かせている。その瑞々しい緑は、春が持つ柔らかさには似つかわしくなく、ひどく悪目立ちしていた。妖忌は顔をしかめて、新芽から目を逸らした。
「あら、手が止まっていますよ。ちゃんとお仕事をしていないと、叱られるのではなくて?」
 不意に後ろから、ゆったりとした気持ちの悪い声に呼びかけられる。振り返ってみると、予想通り、この寺で一番会いたくない存在がいた。
 気味の悪い金髪、まともな感性では着られない派手な異国風の衣装、そして特徴的な胡散臭い笑み――隙間妖怪の八雲紫だ。広げられた鮮やかな扇の端からは、いやらしく吊り上った唇が覗いていた。
「何の用だ、妖怪。人に見られるとまずいんじゃないのかよ」
「そろそろ、桜も終わりねぇ。由々子からは花が散るまで会いに来てくれればいいって言われてるけど、どうしようかしら?」
 こちらの問いに答えることなく、全く違う問いを投げかけてくる紫。相変わらず、この妖怪の振る舞いはいちいち鼻につく。妖忌は徹底的に無視を決め込み、地面を掃き始めた。
 対する紫も、何事も無かったかのように話を続ける。
「こうして見ると葉桜も案外悪くないものね。けど、あなたはそうでもないみたい。そんなに葉桜がお気に召さない?」
 先程まで考えていたことを見事に言い当てられ、妖忌は紫を強く睨んだ。紫は何も言わず、ただ楽しそうに微笑んでいた。
 紫の言う通り、妖忌は葉桜という物が嫌いだった。柔らかい色合いの花の中に混じる緑色の葉っぱが、人の世に放り込まれた異質の存在である半人半霊の自分と重なって見えるのだ。
 妖忌は、まだ六つの頃に両親を妖怪に襲われて亡くしていた。幼くして庇護者を失った彼は生きるためには何でもやった。戦場で拾った太刀を片手に盗みを繰り返し、必要があれば人殺しですら厭わなかった。
 そんな妖忌は、自分から両親を奪った妖怪を殊更に憎んでいた。いつしか、仇を取ろうと我流ではあるが剣の修行をしてみたり。母がくれた『ようき』という名前に、『妖』を『忌む』などと字を当ててみたり。顔合わせで紫に対して執拗に噛みついていたのもそのためである。
「木のことなんて何も思わない。勝手な想像を語るな」
「あら、人間には意識していない物を意図的に視線から逸らすなんて器用な真似は出来ないんではなくて。ましてや半分しかないあなたでは」
 ふふっ、とわざわざ声に出して笑ってくる紫に、妖忌の箒を握る手には力が入った。
 やめよう、こいつと話していると余計に虫の居所が悪くなる。そっぽを向いて庭掃除に集中しようとすると、いきなり目の前に紫の生首が現れた。
「わっ!」
 妖忌はみっともない声を上げて尻餅をついてしまった。宙に浮かぶ紫の生首はその情けない姿にくすくすと笑いをもらす。
 境界を操り、空間の隙間から神出鬼没に現れる。奴がそんな隙間妖怪であることは分かっていたはずなのに、いざ目の当たりにするとやはり驚いてしまう。
「目の前にある事実から目を背けているだなんて、やはりあなたは愚かね」
「ど、どういう意味だ!」
 声が上擦る。妖忌はまだ先程の衝撃から立ち直れないまま、聞き返した。
「葉桜は花と葉がごちゃまぜになっている状態。いわば春と夏の境目ともいえる。その意味も考えず、ただ見るままに否定し、中途半端にあるということに何の価値も見いだせないようでは、あの子の傍にいるなんておこがましいにも程があるわ」
「な、何で由々子様の話が出てくるんだよ!」
「あら、私は由々子だなんて一言も言ってないけど」
「っあ……!」
 かっ、と顔が熱くなって、いまにも口から何か飛び出そうになる。
 よく考えれば分かりそうな物である。紫がこの寺でまともに話す相手など、この妖忌か、由々子ぐらいしかいない。加えて、妖忌自身も由々子以外にはあまり近づこうとしていなかった。
 ただし、そんなことが分かっていれば、彼は彼女にからかわれるようなへまもなく、
「黙れぇ! この性悪妖怪めがぁぁぁぁ!!」
 箒で思いっきり殴りかかるような愚行を犯すはずもなかった。
 紫は箒が当たる直前に、隙間の中へ頭を引っ込めた。渾身の一撃を避けられた妖忌は、勢いそのまま前に突っ伏した。
「いってぇ……」
 したたかに打ちつけた鼻を押さえながら立ち上がると、どこからともなく憎らしい笑い声が聞こえた。
「ふふふ、あなたが怠けていたことは黙っといてあげるわ。だから早く仕事に戻りなさいな」
 辺りを見回すと、八雲紫の姿はすっかり見えなくなっていた。
「どこにいる! 隠れてないで出てこい!」
 幾ら妖忌が叫んでも、彼女は裾の影一つすら見せることはなかった。
 完全に気配が消えた後でも、妖忌は警戒は解かずにいた。以前、やっといなくなったと安心していたところを、背筋を指でなぞられて飛び上がったことがあったのだ。
 本当にいなくなったと確信できる程時間が過ぎると、安心するとともに、また沸々と怒りが込み上げてきた。庭を見れば、心なしかさっきより地面に広がる花びらの量が増えている気がする。妖忌は勢いよく立ちあがって、箒を地面に叩き付けるようにして花びらを掃き始めた。


 妖忌で一通り遊んだ紫は、誰もいない廊下の縁側に腰掛けていた。早朝の廊下は西向きになっていて日差しもないので、一人っきりの静かな朝を存分に楽しむことが出来た。
 あの日、由々子が半人半霊の子など飼いたいと言った時はどうしようかと思ったが、いまのところ何も問題はないようだ。あれはせいぜい数十年程度しか生きていないから大した力もないし、西行妖と由々子の関係についても気が付いていない。
 よく由々子に懐いているようだから、余計な事をしないかどうかだけが心配だったが――西行妖を伐ったりだとか妖怪はそんな簡単には死なない――こうしてたまに玩具にしつつ監視していれば心配はないだろう。
 牙をむき出しに由々子の傍で唸っている妖忌を想像して、くすりと笑いがこぼれる。
そうだ、由々子はどこにいるかしら。不意に思い至って、紫は腰を上げて板張りの廊下を歩きだした。
この時間ならまだ朝のお勤めだろうか。親孝行な彼女は毎朝きちんと両親のために念仏を唱えることを欠かさなかった。
 妖忌の一件以来、由々子に会いたくなる回数が増えた気がする。前はこんなに朝早く来て欠伸をかみ殺したり、自分からわざわざ探しに行ったりすることもほとんどなかった。
 この変化の理由は自分でも分からない。ただ、あの子の笑顔を思い浮かべると、身体がそわそわして仕方がないのだ。
「あら?」
 大きな蝶が一羽、紫の目の前をひらひらと飛んでいく。鮮やかな竜胆色が、目を惹きつける。
 何となしに、紫はその蝶の後を追いかけてみることにした。特別蝶に思い入れがあるわけでも、その美しさに心ひかれたからというわけでもない。本当にただの気紛れだった。
 蝶は不規則な軌道を宙に描き、奥へ奥へと紫を誘うかのように飛んでいく。
 手を伸ばせば、ひょい、と避け。
 立ち止まれば、その場で音も無く浮き続ける。
 簡単に追いつけそうなのに、決して手を触れさせない、微妙な距離を漂っている。
 不意に、蝶がその姿を消してしまう。誰かの部屋の前だった。襖は閉めきられており、何者の侵入をも拒んでいた。
 ――しくしく、しくしく。
 けれども、紫は取っ手に手をかけた。誰かに呼ばれた気がした。
 ――しくしく、しくしく。
 この部屋の中で、誰かが、泣いている……?




 襖を一気に開くと、強烈な香りに思わず口を手で覆った。部屋は嫌になるぐらい強い、死の匂いで充満していた。
「ゆか、り……?」
 真っ暗な部屋の中には由々子がいた。畳に座り込み、虚ろな視線を紫に投げかけている。
 紫が声をかけようとすると、奥に人影がもう一つあるのに気が付いた。二十歳過ぎの娘が壁に寄りかかり、足を崩して座っている。頭巾を被っているところを見ると、尼僧の一人らしい。
 紫の視線に気付くと、由々子は何か言いたげに口を開いたが、すぐにうつむいてしまった。その動きと、部屋に充満している死の匂いで、紫は理解した。
「それ、桜が殺した死体?」
 肯定を表すように、由々子の肩が小さく跳ねる。異能持ちの彼女以外に、この匂いに耐えられる人間はいないだろう。
「ずいぶんと綺麗なのね。外傷も見当たらないし、まるで眠っているみたい。確かに“死に誘われた”という表現がぴったりね」
 どんな顔をして死んでいるのか、冷たい肌に手を伸ばそうと女の遺体に近づいた。
「やめて」
 由々子のその声は鋭く、針のように尖っていた。
「別に取って喰おうなんて考えてないわよ。ちょっと挨拶しようと思っただけ」
 紫の軽い物言いにも、彼女はうつむいたまま身動き一つしなかった。紫はその小さな身体を抱き寄せ、耳元でささやいた。
「どうしてそんなに落ち込んでいるの。あなたの責ではないわ。父君が愛した桜が妖怪変化に変わったからといって、由々子に何の関係があるというの」
 白い、しなやかな指が艶のある黒髪をすくたびに、冷たい死の匂いが香り立つ。
「人間の生はとても短いわ。それがほんの少し早まってしまっただけじゃない。だいいち、仏教に帰依してるってことは、現世に愛想を尽かしてしまってるってことじゃないの? それが最後に、この世のものとも思えない、美しい桜に出会えたのだから――」
 突然、それまでおとなしかった由々子が乱暴に紫の腕を振り払った。紫にとって、人間の子供の力など大したことはなかったが、由々子の明らかな拒否は彼女を強く打ちのめした。
「紫に何が分かるっていうの」
 うつむく彼女の声はいままで聞いたことのないほど静かで、冷たかった。
「人よりも長く生きて、人を簡単に殺して、人なんかよりずっとたくさんの美しい物を見てきた、あなたみたいな妖怪なんかに」
 声が発せられるたびに、部屋の空気はどんどん冷えていくように感じられる。紫は無意識に自分の体をかき抱いていた。
 由々子が顔を上げる。暗い怒りを称えた瞳が紫を貫く。
「最後は……最後なのよ。おいしい物も食べられなくなるし、楽しいお話もきけなくなって、その美しい桜だって二度と見ることが出来なくなるのよ。
 そんなことも理解出来ない紫なんかが、わたしのことを分かったように言わないで」
 はっきりとした由々子の怒りに触れ、紫は困惑していた。なぜ、由々子がここまで桜が殺した死体に固執するのか、全くもって分からなかった。
「由々子、落ち着いて。私の言い方が悪かったわ。でも、本当にあなたは悪くないのよ。だから、そんなに――」
 紫はそこで言葉を切った。異様な物を目の端に捉えたからだ。
 蝶だ。
 先程見たのと同じ、竜胆色の蝶が宙を舞い、紫の視線を釘付けにする。
「だめっ!」
 突然、由々子が血相を変え、蝶を捕まえようと手を伸ばす。しかし、蝶は巧みにその手をかわし、紫の前を横切る。紫は手を出し、その蝶を止まらせる。触れた部分に冷気が沁み込んでくる。これは幽霊の一種だ。
 蝶が飛び立つ。巻き散った鱗粉からはよく澄んだ、濃い死の匂いがした。


『妖怪桜』

『桜に魅せられた歌聖』

『歌聖の娘』

『同じ死の匂い』

『目の前の死体』

『桜が殺す』

『責任を感じる由々子』

 最後に、萃香の言いかけの言葉が思い出された。

『――なんでも、最近じゃ西行妖みたいに』

 西行妖みたいに、なに?


「その娘を殺したのは、あなたなの」
 口からこぼれ落ちたその問いは、幾つもの検証を重ねた論理的思考の上に生まれたものではない。ただ、ふと思いついただけのことだけであった。 
 だが、由々子の表情は一変した。顔は青ざめ、唇を振るわせ、目も引き裂けんばかりに見開いている。
「わたしは……」

 たったそれだけのことで、紫は悟った。
 先程、自分が訊いたことが事実であると。
 この十にも満たない少女が人を殺めたのだと。

「由々子っ」
「来ないで!」
 声の限りを尽くしたような叫びと共に、死蝶が現れる。一羽どころではない。何羽も、何羽も、竜胆色の幽霊が形を取って、少女の肌や髪から生まれ出る。死に誘う蝶の群れは紫と由々子の間に集まり、二人を隔てる壁となる。
「出てって」
 蠢く羽の奥から、彼女が言う。
「お願いだから、ここから出てってよ」
 その声はか細く、今にも消えてしまいそうなほど小さかったが、はっきりと聞こえた。
「紫の顔なんて二度と見たくない」
 由々子の赤く腫れた瞳が死を誘う羽の中で光る。
 紫が最後に見たのは、その眼から零れ落ちる一粒の雫だった。




 どこにあるのか分からない、人気のない屋敷。その一室には十五畳にも及ぶ広い主の部屋があった。
 紫はそこへ逃げ込むように隙間から転げ出た。この屋敷は紫の持家であり、由々子から離れたい一心で出た先がそこであった。
 冷え切った身体が暖気を取り込もうと、息が荒くなる。思っていたよりもあの部屋に溜まった死の冷たさは紫の身体を痛めつけていたようで、いまになって震えがやってきた
 身体の回復を図りながら、紫は先程のことを思い返していた。
 由々子から漂ってきた死の匂い。あれは、西行妖と同じ“死に誘う程度の能力”を持っているがゆえの匂いだったのだ。おそらくは死霊を操っていた能力が何らかのきっかけで上位互換されたのだろう。
 だが、どうして由々子にもその能力が発現したのか分からない。父親が桜の下で死んだからか。ということは、西行妖の意志が関わっているのだろうか。ならば何の目的で。
 答えの出ない問いを考えていると、ようやく温まった身体に今度は重苦しい倦怠感が襲ってきた。冷たい畳の上にうつ伏せになったまま動くことができない。
 重たくなった頭は、この状況はおかしいと告げていた。たかが木の妖怪一体の妖力にあてられただけで、自分がここまで憔悴するはずがない。
 いや、そもそも何故自分が逃げてくるような真似をしたかも分からない。あのまま由々子に誘われたとしても、紫は死にはしなかったはずだ。西行妖自体の力はかなりの物とはいえ、あれはまだ化けてから十数年程度の時しかたっていない。ましてや、実際に対面した由々子はその力を借り受けしている身でしかない。ならば何故?

――紫の顔なんて二度と見たくない。

「あっ」
 そうだ、あの時。
 身体が震えたのも、あの場から逃げたくなったのも、由々子が怒りを表してからだ。
 寝返りを打って、天井を見つめる。確かにあるはずの木の問目は良く見えず、黒い影だけが漂っていた。
「そっか、嫌われたと思ったんだ」
 暗闇からはあの時の由々子の涙が落ちてきた。
 続きました。

 やっぱり三か月ぶりです……むしろ、これは三月に一本ペースを守るべきなのでは、とか思い始めました。
 もう折り返し地点超えましたけど。

 幼忌……じゃない、ショタ妖忌はもっと流行って良いと思います。

 そんなこんなで、お読みいただきありがとうございました。
レイカス
https://twitter.com/kusakuuraykasu
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