ある晴れた晩夏の昼下がり。視界の端に何かが落ちてくるのを捉えた。興味本位で近付いてみると、その何かは綺麗な黒い羽で作られた使いこまれた羽ペンだった。
「すみません」
頭上から声が降ってくる。爽やかな、夏の風のような声。
私は、この声を知っている。この声の主を知っている。
「それ、私のペンなんです」
ふわりと、私の目の前に着地してそのヒトは、昔からずっと、私が憧れていたヒトで――。
「拾ってくださってありがとうございます」
「あ、あの!」
風のように爽やかで、太陽のように眩しい、そんな顔で笑うその人に。
「と、友達になってください……!」
私はとっさにそう言った。
***
「落し物をね、拾ったの! もうこれはチャンスだ!って思ってね、ダメ元で言ったんだけど、「私でよければ」って!」
妖怪の山、山頂から麓までを繋ぐ川の中腹程にある滝のその裏。哨戒天狗の仕事場兼休憩場所で、私は興奮気味に昨日の出来事を話していた。
「はーもー心臓しんどい……」
「……ねえ、にとり」
それまで黙って私の話を聞いていた親友が、あきれ顔で私の顔を覗き見た。
「何? 椛」
「にとりって、本気であの人のこと好きなんですか?」
「そうだけど……なんで?」
「いや、その……」
言いづらそうに、椛はもごもごと口を動かす。
答えるように急かせば頭を掻きながら呟くように言った。
「ただ騒いでるだけかと」
「何それっ、ひどいや椛っ」
「だってほら、相手があの人ですから……」
「う……」
……そうなのだ。私の想い人は、ミーハーなファンがとっても多く、近付くことすら難しい。
私の想い人――射命丸文さん。
山を治める天狗の中でもかなり上位の烏天狗様。でも気取らず優しくて。天狗仲間の間で流通しているという新聞でも、他の天狗と違って過大な誇張をせず、しっかり裏の取れた事実だけを記事にするという真面目さに、加えて容姿端麗、頭脳明晰。何より、飛んでいる時の姿の美しいこと……。正直、一目惚れだった。
「我ながら高望みだって思ってるけどさ……」
私は河童で、彼女は烏天狗様。身分も住んでる場所もずっと違うから、話す機会なんてないと思ってた。だけどせっかくあの時、そんな貴重な機会が訪れたんだから……。
「にとり!」
「ひゅい!?」
急に名前を叫ばれて思わず硬直する。し、心臓に悪いなあ。
「ななな、何椛」
「何、じゃないですよ。射命丸様とお昼一緒するんじゃないんですか?」
「え……わ、もうこんな時間っ」
滝の裏に設置してある河童製の古びた置時計を見ると、もうそろそろ午の刻になろうかという時間になっていた。これはまずい、あの方を待たせることになってしまう。
「ごめんありがとー! 行ってくる!」
「お気をつけて」
椛に別れを告げて急いで滝を出る。急げば待ち合わせ時間には十分間に合うはず。
「……あのヒトのどこがいいんですかね」
急いでいた私の耳には椛のそんな呟きは届かなかった。
***
待ち合わせの丘に、彼女はもう来ていた。
「射命丸様っ」
「にとりさん!」
背を向けていた彼女が私の方に振り向くと同時に風が吹いた。優しい風の香りが鼻腔を満たす。
「こんにちはー」
「ここ、こんにちはぁっ!」
緊張しすぎて声が上ずってしまった。やだ恥ずかしい埋まりたい。穴掘って入りたい。
「そんなに緊張しなくていいんですよ? にとりさん」
射命丸様が苦笑を浮かべてそう言った。
あうう……恥ずかしい……。でも射命丸様、苦笑いでもきれいだなぁ……。
なんて自分で考えたことにまた恥ずかしくなって地面に頭を打ちつけたい衝動に駆られる。
射命丸様に変な河童だって思われたくないからやらないけど。でももう思われてるかもしれない。へこむ。
「それからにとりさん。「射命丸様」はやめませんか?」
「え、でも、」
「堅苦しいのあまり好きじゃないんです。出来れば名前で呼んで欲しいな、と」
烏天狗様を私みたいな河童ごときが名前で呼ぶなんてとんでもない。
そんな恐れ多いこと、私には出来ない。こうして話していられることだって奇跡みたいなものなのに。
「射命丸様は、烏天狗様で……私は……」
うまく言葉に出来ない。ただ、私がためらっているのがわかったのか射命丸様は手を自分の顎に当てて「ふむ」と少し考え事をするそぶりを見せた。
「にとりさん、質問です」
ぴっ、と人差し指を立てて私の目の前にかざす射命丸様。
「は、はい」
「友人から様付けで呼ばれるのって、どう思います?」
「それは……いや、かなあ……あっ」
「そう、そういうことです」
私の回答に満足したのか彼女はにっと口角を少し上げる。そしてすぐ困ったような表情になった。
「名前で呼んではもらえませんか?」
正直、まだまだすごくためらっている。けれど、彼女の困ったようなこの表情は私のせいなのだと思うと、胸が締め付けられて……。
「じゃ、じゃあ……」
ほんの少し勇気を振り絞って。
「あ……文、さん……」
「はい、良く出来ました」
にっこりとほほ笑む射命丸様――文さんを見て、太陽みたいに笑う人だなぁなんて、思ったんだ。
***
持参した敷物を丘の中でも平らな場所に広げ、その上でお弁当を並べた。
今朝早起きして作った自信作だ。とは言っても、混ぜご飯にきゅうりの漬物、焼いた川魚など普通のものが詰め込まれているだけだが。豪勢でもないがそれほど質素というわけでもない。そんなお弁当だ。
「わー、にとりさん料理お上手なんですね!」
「そ、そんなことないですよ!」
褒められて嬉しいけどそれ以上にとても照れくさい。おそらく赤くなっているだろう頬をどう隠そうかと首をせわしなく左右に動かしていると文さんの持ってきた昼食が目に入った。小さな葉っぱの包みには、大きなお結びが二つだけ乗っている。
「文さんはお結びだけ、ですか?」
「恥ずかしながら料理はからっきしでして……」
「そうなんですか?」
意外だ。文さんって私より年上だし、料理とかそういう家事全般上手そうなイメージがあったけど……。
そんな文さんだが、なにやら私のお弁当にかなり熱い視線を送っている。えっと……。
「食べますか?」
「いいんですか!?」
ものすごくキラキラした目で見つめられた。
「おいしい! おいしいですにとりさん!」
文さんは私の作ったおかずを本当においしそうに頬張っている。
なんだか、かっこいいイメージばっかり持っていたけど……文さんってかわいい人なんだな……。
幸せそうにご飯を頬張る文さんを見ていると、なんだか急に、聞いてみたくなった。
「文さんって、恋人さんとかいないんですか?」
「ぶっ」
頬張っていたお米を文さんが盛大に吹いてしまった。
「けほっけほっ! とうしたんですかいきなり」
「す、すみません。文さん素敵なヒトだから、料理作ってくれるような恋人さんがいるのかなって……」
「あー……残念ながらいませんねー」
「そうなんですか? 意外だなー」
本当に意外だ。だって文さんは妖怪の山の中でも老若男女色んなヒトから人気があるはずだから。それこそ同じ烏天狗様に恋人さんがいたっておかしくないのに。
だけど、恋人がいないという文さんの言葉に安心している私がそこに存在していた。こうして一緒にご飯を食べて、お話しているだけでも十分すぎるのに、これ以上何を望んでいるんだろう、私……。
我ながら、ばかだなあって、思っちゃう。
「あ、でも……」
次いで彼女が放った言葉に、私は強く、強く、胸を締め付けられた。
「好きな人はいますよ」
「……え?」
「初恋がまだ、続いているんです」
そう言った文さんは、今日見た中でも一番綺麗で、愛しいものを見つめるように微笑んでいた――――。
「すみません」
頭上から声が降ってくる。爽やかな、夏の風のような声。
私は、この声を知っている。この声の主を知っている。
「それ、私のペンなんです」
ふわりと、私の目の前に着地してそのヒトは、昔からずっと、私が憧れていたヒトで――。
「拾ってくださってありがとうございます」
「あ、あの!」
風のように爽やかで、太陽のように眩しい、そんな顔で笑うその人に。
「と、友達になってください……!」
私はとっさにそう言った。
***
「落し物をね、拾ったの! もうこれはチャンスだ!って思ってね、ダメ元で言ったんだけど、「私でよければ」って!」
妖怪の山、山頂から麓までを繋ぐ川の中腹程にある滝のその裏。哨戒天狗の仕事場兼休憩場所で、私は興奮気味に昨日の出来事を話していた。
「はーもー心臓しんどい……」
「……ねえ、にとり」
それまで黙って私の話を聞いていた親友が、あきれ顔で私の顔を覗き見た。
「何? 椛」
「にとりって、本気であの人のこと好きなんですか?」
「そうだけど……なんで?」
「いや、その……」
言いづらそうに、椛はもごもごと口を動かす。
答えるように急かせば頭を掻きながら呟くように言った。
「ただ騒いでるだけかと」
「何それっ、ひどいや椛っ」
「だってほら、相手があの人ですから……」
「う……」
……そうなのだ。私の想い人は、ミーハーなファンがとっても多く、近付くことすら難しい。
私の想い人――射命丸文さん。
山を治める天狗の中でもかなり上位の烏天狗様。でも気取らず優しくて。天狗仲間の間で流通しているという新聞でも、他の天狗と違って過大な誇張をせず、しっかり裏の取れた事実だけを記事にするという真面目さに、加えて容姿端麗、頭脳明晰。何より、飛んでいる時の姿の美しいこと……。正直、一目惚れだった。
「我ながら高望みだって思ってるけどさ……」
私は河童で、彼女は烏天狗様。身分も住んでる場所もずっと違うから、話す機会なんてないと思ってた。だけどせっかくあの時、そんな貴重な機会が訪れたんだから……。
「にとり!」
「ひゅい!?」
急に名前を叫ばれて思わず硬直する。し、心臓に悪いなあ。
「ななな、何椛」
「何、じゃないですよ。射命丸様とお昼一緒するんじゃないんですか?」
「え……わ、もうこんな時間っ」
滝の裏に設置してある河童製の古びた置時計を見ると、もうそろそろ午の刻になろうかという時間になっていた。これはまずい、あの方を待たせることになってしまう。
「ごめんありがとー! 行ってくる!」
「お気をつけて」
椛に別れを告げて急いで滝を出る。急げば待ち合わせ時間には十分間に合うはず。
「……あのヒトのどこがいいんですかね」
急いでいた私の耳には椛のそんな呟きは届かなかった。
***
待ち合わせの丘に、彼女はもう来ていた。
「射命丸様っ」
「にとりさん!」
背を向けていた彼女が私の方に振り向くと同時に風が吹いた。優しい風の香りが鼻腔を満たす。
「こんにちはー」
「ここ、こんにちはぁっ!」
緊張しすぎて声が上ずってしまった。やだ恥ずかしい埋まりたい。穴掘って入りたい。
「そんなに緊張しなくていいんですよ? にとりさん」
射命丸様が苦笑を浮かべてそう言った。
あうう……恥ずかしい……。でも射命丸様、苦笑いでもきれいだなぁ……。
なんて自分で考えたことにまた恥ずかしくなって地面に頭を打ちつけたい衝動に駆られる。
射命丸様に変な河童だって思われたくないからやらないけど。でももう思われてるかもしれない。へこむ。
「それからにとりさん。「射命丸様」はやめませんか?」
「え、でも、」
「堅苦しいのあまり好きじゃないんです。出来れば名前で呼んで欲しいな、と」
烏天狗様を私みたいな河童ごときが名前で呼ぶなんてとんでもない。
そんな恐れ多いこと、私には出来ない。こうして話していられることだって奇跡みたいなものなのに。
「射命丸様は、烏天狗様で……私は……」
うまく言葉に出来ない。ただ、私がためらっているのがわかったのか射命丸様は手を自分の顎に当てて「ふむ」と少し考え事をするそぶりを見せた。
「にとりさん、質問です」
ぴっ、と人差し指を立てて私の目の前にかざす射命丸様。
「は、はい」
「友人から様付けで呼ばれるのって、どう思います?」
「それは……いや、かなあ……あっ」
「そう、そういうことです」
私の回答に満足したのか彼女はにっと口角を少し上げる。そしてすぐ困ったような表情になった。
「名前で呼んではもらえませんか?」
正直、まだまだすごくためらっている。けれど、彼女の困ったようなこの表情は私のせいなのだと思うと、胸が締め付けられて……。
「じゃ、じゃあ……」
ほんの少し勇気を振り絞って。
「あ……文、さん……」
「はい、良く出来ました」
にっこりとほほ笑む射命丸様――文さんを見て、太陽みたいに笑う人だなぁなんて、思ったんだ。
***
持参した敷物を丘の中でも平らな場所に広げ、その上でお弁当を並べた。
今朝早起きして作った自信作だ。とは言っても、混ぜご飯にきゅうりの漬物、焼いた川魚など普通のものが詰め込まれているだけだが。豪勢でもないがそれほど質素というわけでもない。そんなお弁当だ。
「わー、にとりさん料理お上手なんですね!」
「そ、そんなことないですよ!」
褒められて嬉しいけどそれ以上にとても照れくさい。おそらく赤くなっているだろう頬をどう隠そうかと首をせわしなく左右に動かしていると文さんの持ってきた昼食が目に入った。小さな葉っぱの包みには、大きなお結びが二つだけ乗っている。
「文さんはお結びだけ、ですか?」
「恥ずかしながら料理はからっきしでして……」
「そうなんですか?」
意外だ。文さんって私より年上だし、料理とかそういう家事全般上手そうなイメージがあったけど……。
そんな文さんだが、なにやら私のお弁当にかなり熱い視線を送っている。えっと……。
「食べますか?」
「いいんですか!?」
ものすごくキラキラした目で見つめられた。
「おいしい! おいしいですにとりさん!」
文さんは私の作ったおかずを本当においしそうに頬張っている。
なんだか、かっこいいイメージばっかり持っていたけど……文さんってかわいい人なんだな……。
幸せそうにご飯を頬張る文さんを見ていると、なんだか急に、聞いてみたくなった。
「文さんって、恋人さんとかいないんですか?」
「ぶっ」
頬張っていたお米を文さんが盛大に吹いてしまった。
「けほっけほっ! とうしたんですかいきなり」
「す、すみません。文さん素敵なヒトだから、料理作ってくれるような恋人さんがいるのかなって……」
「あー……残念ながらいませんねー」
「そうなんですか? 意外だなー」
本当に意外だ。だって文さんは妖怪の山の中でも老若男女色んなヒトから人気があるはずだから。それこそ同じ烏天狗様に恋人さんがいたっておかしくないのに。
だけど、恋人がいないという文さんの言葉に安心している私がそこに存在していた。こうして一緒にご飯を食べて、お話しているだけでも十分すぎるのに、これ以上何を望んでいるんだろう、私……。
我ながら、ばかだなあって、思っちゃう。
「あ、でも……」
次いで彼女が放った言葉に、私は強く、強く、胸を締め付けられた。
「好きな人はいますよ」
「……え?」
「初恋がまだ、続いているんです」
そう言った文さんは、今日見た中でも一番綺麗で、愛しいものを見つめるように微笑んでいた――――。
続き待ってます
なんという高嶺の花、にとりがんばれ
続きが気になる。