ぽかぽかと暖かい日差しが庭を照らしている。
その中で一人、物干し竿に洗濯物を干す影ひとつ。
「はぁ~。今日もいい天気ですねぇ」
中庭には自分以外誰もいない。日はすで中天を越えているこの時間に洗濯物を干すようなメイドは紅魔館にはいない。
「はぁ~、パチュリー様ももうちょっと早く起きてくださるといいんですけど……」
中庭で服を干しているのは小悪魔であった。
干しているのはパチュリーの服。年がら年中パジャマで過ごしているパチュリーはあまり服を変えようとしない。さすがに小悪魔が見かねて数日ごとに取り替えているが、当の本人が嫌がるのだ。
今日も、風呂に入れた後ごねるパチュリーを新しいパジャマに着せ替え、古いのを洗濯し、こうして干しているのだった。
「それにしても今日はいい天気ですねぇ」
雲ひとつない青空に、涼しい風。快晴とはこの事を言うのだろう。
中庭のベンチにへたりと座り込んで大きく伸び。
「ん~~~~~~っ! はー、いい気持ちー」
悪魔らしからぬセリフであるが、毎日毎日図書館に篭りっ放しで滅多に外にでることのない小悪魔にとっては、外に出れたこと自体が幸福。
特に最近は図書館の整理やパチュリーの世話に加え、妹様の後始末までさせられることが多いので疲労は倍以上になっていた。
「ふあわぁぁぁ、ちょっと眠くなってきましたねぇ……」
そよ風にたなびいて暖かそうなシーツを一枚取ると折りたたんで枕代わりにする。
「ちょっとだけ、ちょっとだけ……えへへ」
中庭のベンチで気持ちよさそうに小悪魔は眠りについた。
ふと体に寒気を覚えて小悪魔は目を覚ました。
「ううう、どのくらい寝てたんでしょうか……」
見上げれば快晴だった空はどこへやら。黒ずんだ雲が一面を覆い尽くしている。
「わわわ、一雨きそうですね。早く取り込まないと」
物干し竿を見れば、シーツも干しっぱなし。中の人間は誰も気づいていないのだろうか。
「もー、皆さん。サボりすぎですってば!」
パチュリーのの服は適当に洗濯籠に放り込む。籠を手に引っ掛けるとシーツを取り込む。
すべての部屋のシーツとはいかないが、なにせ量が多い。何度かに分けて取り込んでいると最後の数枚というところでとうとう雨が振り出してきた。
「わひゃ、急がないと~」
慌ててシーツを取り込み館の中へ飛び込む。と同時に雷鳴と光。続いてどしゃぶりの雨が降って来た。間一髪、本振りになる前に取り込めた。
「ふー、危ないとこでした。それにしても……」
辺りを見わたすが誰もいない。本来なら洗濯担当のメイドがおっとり刀でやってきそうなものだが、廊下は静まり返っている。
「それに、なんだか暗過ぎませんか?」
廊下に備え付けられている水銀灯がついていない。窓のない紅魔館では常時つけっぱなしなのだが珍しいこともあるものだ。
「壊れてるんでしょうかねぇ。とりあえず詰め所に行けば誰かいるでしょう」
これでも悪魔である。暗闇で目が見えないなどということがあるものか。
取り込んだシーツが皺にならないうちに畳み、両手で持って歩き出す。結構な量だがたいした重さではない。
足元に気をつけながらゆっくり歩くこと五分。詰め所に到着。
「皆さーん。雨が降ってるんで洗濯物取り込んで……あれ?」
詰め所の中には人っ子一人いなかった。それどころかここにも明かりがついていない。
シーツを机に置いて、隣の給湯室も覗くが誰もいない。
ここに来て小悪魔も不審に思い始める。紅魔館でメイドが誰もいないという自体はまずありえない。この詰め所に来るまでに五分。歩いて五分といえば結構な距離である。それだけの距離で明かりがついていないという異常に気づかないメイドはいない。
「いつもなら咲夜さんが見つけるはずなんですが……」
いつでもどこにでもいるような気配をさせている頼りのメイド長。なのに今日というか今に限ってはその気配すら感じられない。
「とりあえず図書館に戻りがてら誰か探してみましょう」
だが小悪魔の予想を裏切り、メイドどころか毛玉にすら遭遇しない。
これはなにかのドッキリなのだろうか。いぶかしんだまま図書館へ戻ってくる。
その大きな扉を開けた先にあったのは、暗闇。
常時図書館付きのメイドもいない。パチュリーもいない。
「パチュリー様ー! みんなどこですかー!」
叫んでも図書館の広大な空間に虚しく響くだけ。
まずは明かりを確保しようと、魔法で光球を作り周囲へ飛ばした小悪魔の目に映ったのは異様な光景。
がらんどうの本棚。天井や壁にも立ち並ぶ巨大な本棚のすべてが空になっている。
やけに胸の鼓動が大きく聞こえる。
不安に駆られながらパチュリーの部屋を目指す。だがそこにあるのもがらんどうの部屋。
本が散らかったベッドも、紅茶をよくこぼしていた机も、唯一お気に入りの絵も、すべてが消えていた。
ふらふらと数歩あとずさる。
信じられない信じたくない。パチュリー様が消えてしまうなんて。
不安に駆られるまま図書館を飛び出し屋敷中を徘徊する。
玄関。来客を知らせるベルもなく、カーペットすらない。
廊下。足元を照らす明かりは全て消えうせ、殺風景な廊下はだめだと咲夜が設置した花瓶も消えている。
食堂。食事時になれば多くのメイド達でにぎわうこの場所も、ただただ机と椅子が並んでいるだけ。
寝室。咲夜の寝室。一度入ったことがあるがイメージに合わず小物などが置かれた女の子らしい部屋。今はただの四角い箱。
地下室。フランの部屋。入り口の魔法陣は解かれ、せめてもの慰みにと小悪魔がプレゼントした積木が転がっている。
レミリアの部屋。宝石をちりばめた豪華な机や椅子。その他贅を尽くした当主にふさわしい部屋。そこも全てが色褪せ何も無かったかのように存在していた。
半ば恐慌状態になりながら全ての部屋を回り、全ての廊下を駆け抜け、戻ってきたのは図書館の前だった。
「はぁ……はぁはぁ……皆、どこへいっちゃったんですか……?」
自分が昼寝している間になにがあったというのだろう。何故皆いなくなってしまったんだろう。
考えても考えても答えはでなかった。
図書館のエントランスホール。
食堂から持ってきた椅子と机とティーセット。
小悪魔は一人紅茶を飲んでいた。みんながどこへいったかなんて幾ら考えても答えはでなかった。
だから、いつも通りお茶を用意して待つことにした。
机の上にかカップが二つ。小悪魔の分とパチュリーの分。
カップの紅茶が冷めるたびに中身を入れ替える。もう何度目だろうか。
自分は捨てられたのかもしれない。そう考えるたびに小悪魔は泣きそうになった。確かによくドジは踏むし、魔理沙の進入強奪は一向に止められない。それでも、それでもパチュリーの言う事だけはちゃんと守ってきた。
あの日あの時パチュリーに使い魔として召喚されてからもう数十年。見捨てられるほど出来の悪い悪魔だったろうか。
時折悪戯はしたし、暴走して分身してしまったりと色々迷惑はかけた。けれどもパチュリーは口では叱りつつも笑って許してくれた。あれは嘘だったとでもいうのだろうか。
「ぐす……。パチュリさまぁぁ……」
顔を伏せる。もうこれ以上泣かないということに耐えられそうに無い。
小悪魔の涙が堰を切ろうとしたときだった。
小悪魔の耳にパチュリーの声が聞こえたような気がした。
慌てて顔をあげて辺りを見渡す。だが、パチュリーの影も形もない。だが確かに聞こえたのだ。パチュリーの声が。
心を集中して念じる。よく考えれば自分はパチュリーと契約しているのだ。もしパチュリーが小悪魔をいらないと思うなら契約破棄として自分はまた魔界の底に戻されるはず。
しかしこうしてこの場にいるということは、パチュリーは生きているという事。見捨てられていないということ!
念じる。強く強くパチュリーのことを。そして――。
「小悪魔!!」
「パチュリー様!」
小悪魔の想いが通じたのだろうか。小悪魔の前にパチュリーが現れる。
「小悪魔。よかった――まだ無事のようね」
「パチュリーさまー!」
思わず抱きつこうするが、パチュリーをすりぬけ地面にダイブ。
「小悪魔。まったく悪魔なのに悪魔に憑かれてどうしようもない子ね」
「は、はぁ?」
一体どういうことだろうか。小悪魔が首をかしげると同時に小悪魔の背中から黒い煙が立ち昇る。
『後一歩というところで惜しい惜しい。だが――小さい悪魔は俺のものだ!!』
「夢魔ごときが何を偉そうに。小悪魔は返してもらうわよ」
パチュリーが手元に一枚のスペルカード。
「悪夢は終わりよ小悪魔。昼寝にしては寝過ぎだわ」
そしてカードがまばゆいばかりの閃光を発し。小悪魔の意識はそこで途切れた。
まばゆい光を瞼に感じ小悪魔は目覚めた。
「う、うーん。ここは……?」
目を開けた先には心配そうに覗き込む咲夜とフランドール。
「ようやく起きたわね。まったくあまり迷惑をかけるんじゃないわよ」
「小悪魔大丈夫? 悪夢は破壊できた?」
小悪魔にはなにがなにやらさっぱりわからない。なにかとても怖い夢をみていた気はするがなにも思い出せないのだ。
「えーっと、私どうしたんでしょうか……?」
聞いてみると咲夜があきれた声で教えてくれた。
「図書館の掃除の最中に、フラン様が危険な魔道書を開放してしまってね。それで近くにいたあなたはフラン様を庇って……。それっきり目が覚めないから皆して心配していたのよ」
「うー、小悪魔ごめんね?」
言われてみればそんな事もあったような気がする。だが、夢と現実の区別がいまだ曖昧でよく思い出せない。
「とりあえず動けるようならパチュリー様のとこへいきなさい。あなたを目覚めさせたのはパチュリー様なんだから」
そう言われてみれば夢の中でパチュリー様に助けてもらったような気がする。どちらにせよ咲夜がいうからには本当なのだろう。それに無性にパチュリーに会いたかったのだ。
ベッドから起き上がるとふらふらとエントランスに向かう。
そこでパチュリーはいつものように紅茶片手に本を読んでいた。
「あの……パチュリー様?」
恐る恐る声を書ける。しかしパチュリーは黙ったまま。
「パチュリー様?」
聞こえていないのだろうか、再度呼びかける。だが、パチュリーは微動だにしない。
「……パチュリー様!」
何か急に不安に駆られ大声で呼んだ。
「――うるさいわよ小悪魔。ちゃんと聞こえてるわ。まったく。夢魔に取り付かれるなんて本当に悪魔の端くれなのかしらあなた」
叱られているのに何故だかパチュリーの言葉が優しくて。思わず小悪魔はパチュリーに抱きついてしまった。
「どうしたのよ急に。――ほんとにあまえんぼうなんだから」
自分の腕の中で泣きじゃくる小悪魔をあやすように、パチュリーはその頭を撫でるのだった。
しかしこぁはかわいいなぁ