ある日、私は公園に居た。赤錆びたブランコとささくれ立って塗装の禿げたベンチしかない公園。
雲が程よく浮かんでいる青空から差し込む太陽の温かさに目を細めていると、強い気配を感じた。
「お、ようやく気付いたのかね」
掛けられた声に振り向くと、人はいない。
でっぷりと太った黒猫が公園に建てられているべトン製の塀の上に丁寧に箱座りをしているだけだった。
「空耳か………」
「そんなわけないだろう」
今度ははっきりと、その黒猫が口を開いて私に語りかけていたのだと理解した。口調と見た目がやけに合致している。
「お前は?」
「先に名を言うのが礼儀だろうが、それくらいも分からんのかね君は」
猫のくせに高圧的で尊大な態度が癪だが、正論だから自分の名を名乗る。すると猫は二度三度うなずいて自分は猫又だと言った。
「ついてきたまえ、君に見せたいものがあるんだ」
「仕事があるんだが」
「放っておきたまえ」
良く肥えた巨体を塀からおろして、そいつは歩き出した。私にも仕事はあるのだが、内心こいつの見せたいものに興味があったからあとをついて歩く。
しかし、太っているくせしてやけに足の速い猫だ。やはり妖怪化しているからだろうか。
「ところで、私に見せたいものってなんだ」
「吾輩と同じ、猫又だよ」
簡単な返答を聞いて、私はさらに質問を重ねたがそいつはそれ以来ぷっつりと返事を返してこない。
春の木漏れ日の中、そいつは時々足を止めては鼻を鳴らしたり、欠伸をしながら私の前を歩いて行った。
「おい、見せたいものがあるんだろう、早く案内しろ」
ちょうど八度目の小休止で私はとうとう声を荒げてしまった。しかし、そいつは一向に悪びれる様子はない。
「急かさないでくれたまえ。そんなんだから君たちは吾輩たち猫又や狸よりも早々に消えてしまったんだ」
そうして暫く歩いて行くと、大きな木が一本立っている小高い丘の上に辿り着いた。
近づいてみると、木の根元に幼い猫が一匹寝ていた。尾っぽが二股に分かれているあたり、小さいが立派な猫又だろう。
「つい昨日変化したんだ」
そいつは私の後ろに座り込みながら呟いた。
「この子を私に見せてどうしろと?」
「育て、護って欲しい。吾輩たちの最後の希望なんだ」
これまでの流れから、大凡の見当はついた。きっと、もう潮時なのだろう。
「淋しいなぁ」
「君も、そう思うかね」
私は黙ってその幼い猫又を抱き上げた。小さく寝息を立て、きっと良い夢を見ているのだろう、何も知らず、無垢そのもの。
「頼む、その子を君たちの世界へ連れて行って欲しい」
「それは良いが、お前はどうするんだ?」
「佐渡に行く。もう潮時だとあそこで眠りこけている狸どもに伝えに」
その顔から、本心だということが分かった私はそいつに提案をした。
「なぁ、それが済んだら、こっちに来ないか」
「良いのかね?なら早々に出立せねば」
上機嫌に歩いていこうとするそいつを私はいったん呼びとめた。そいつは面倒臭げに私に振り向く。
「名前を教えて欲しい」
「猫又だよ」
「いや、君自身の名だよ、教えてくれ」
「あぁ、そうか。吾輩は……………」
「……………さま、らんさまー」
「………ん、あぁ橙」
目を覚ますとそこには私の式がいた。いつの間にか眠っていたのだ。
「藍様、本落とされてましたよ」
「あ、ありがとう」
私は橙から本を受け取ると、大きな欠伸を一つする。
とても懐かしい夢を見た、橙が知らない橙のことを、久しぶりに思い出した。
「そんなに眠いならお布団でも敷いてきましょうか?」
「まだ昼だ、そんなことはしなくていいよ」
「あ、じゃあ私お茶淹れてきます」
橙がお茶を淹れに台所へ向かった時にもう一度私は本の表紙を眺めた。すると、あの時と同じ文言がそこに印刷されていた。
「あぁ、あの時もふざけた返し方だったなぁ………」
もう一度大きく欠伸をして、私は縁側から腰を上げることにした。
雲が程よく浮かんでいる青空から差し込む太陽の温かさに目を細めていると、強い気配を感じた。
「お、ようやく気付いたのかね」
掛けられた声に振り向くと、人はいない。
でっぷりと太った黒猫が公園に建てられているべトン製の塀の上に丁寧に箱座りをしているだけだった。
「空耳か………」
「そんなわけないだろう」
今度ははっきりと、その黒猫が口を開いて私に語りかけていたのだと理解した。口調と見た目がやけに合致している。
「お前は?」
「先に名を言うのが礼儀だろうが、それくらいも分からんのかね君は」
猫のくせに高圧的で尊大な態度が癪だが、正論だから自分の名を名乗る。すると猫は二度三度うなずいて自分は猫又だと言った。
「ついてきたまえ、君に見せたいものがあるんだ」
「仕事があるんだが」
「放っておきたまえ」
良く肥えた巨体を塀からおろして、そいつは歩き出した。私にも仕事はあるのだが、内心こいつの見せたいものに興味があったからあとをついて歩く。
しかし、太っているくせしてやけに足の速い猫だ。やはり妖怪化しているからだろうか。
「ところで、私に見せたいものってなんだ」
「吾輩と同じ、猫又だよ」
簡単な返答を聞いて、私はさらに質問を重ねたがそいつはそれ以来ぷっつりと返事を返してこない。
春の木漏れ日の中、そいつは時々足を止めては鼻を鳴らしたり、欠伸をしながら私の前を歩いて行った。
「おい、見せたいものがあるんだろう、早く案内しろ」
ちょうど八度目の小休止で私はとうとう声を荒げてしまった。しかし、そいつは一向に悪びれる様子はない。
「急かさないでくれたまえ。そんなんだから君たちは吾輩たち猫又や狸よりも早々に消えてしまったんだ」
そうして暫く歩いて行くと、大きな木が一本立っている小高い丘の上に辿り着いた。
近づいてみると、木の根元に幼い猫が一匹寝ていた。尾っぽが二股に分かれているあたり、小さいが立派な猫又だろう。
「つい昨日変化したんだ」
そいつは私の後ろに座り込みながら呟いた。
「この子を私に見せてどうしろと?」
「育て、護って欲しい。吾輩たちの最後の希望なんだ」
これまでの流れから、大凡の見当はついた。きっと、もう潮時なのだろう。
「淋しいなぁ」
「君も、そう思うかね」
私は黙ってその幼い猫又を抱き上げた。小さく寝息を立て、きっと良い夢を見ているのだろう、何も知らず、無垢そのもの。
「頼む、その子を君たちの世界へ連れて行って欲しい」
「それは良いが、お前はどうするんだ?」
「佐渡に行く。もう潮時だとあそこで眠りこけている狸どもに伝えに」
その顔から、本心だということが分かった私はそいつに提案をした。
「なぁ、それが済んだら、こっちに来ないか」
「良いのかね?なら早々に出立せねば」
上機嫌に歩いていこうとするそいつを私はいったん呼びとめた。そいつは面倒臭げに私に振り向く。
「名前を教えて欲しい」
「猫又だよ」
「いや、君自身の名だよ、教えてくれ」
「あぁ、そうか。吾輩は……………」
「……………さま、らんさまー」
「………ん、あぁ橙」
目を覚ますとそこには私の式がいた。いつの間にか眠っていたのだ。
「藍様、本落とされてましたよ」
「あ、ありがとう」
私は橙から本を受け取ると、大きな欠伸を一つする。
とても懐かしい夢を見た、橙が知らない橙のことを、久しぶりに思い出した。
「そんなに眠いならお布団でも敷いてきましょうか?」
「まだ昼だ、そんなことはしなくていいよ」
「あ、じゃあ私お茶淹れてきます」
橙がお茶を淹れに台所へ向かった時にもう一度私は本の表紙を眺めた。すると、あの時と同じ文言がそこに印刷されていた。
「あぁ、あの時もふざけた返し方だったなぁ………」
もう一度大きく欠伸をして、私は縁側から腰を上げることにした。