私ナズーリンは、命蓮寺が人里に腰を据えてから定期的に足を運んでいる場所がある。
人里から歩くことしばし、魔法の森の入り口辺りに居座る自称古道具屋“香霖堂”。
私達が心から尊敬する聖人、聖白蓮の復活に際して関わり合うことになった店であり、
その際に私と店主の間で“
そんな風にいつも通りにいつも通りの場所へ足を運ぼうとしたときに私に声を掛けてきたのは寺の神代理にして我が主人の寅丸星。
玄関先で靴を履いていたときに、あの人はぱたぱたと妙に軽い足音をさせながら駆け寄ってきた。
女性の姿をしている割には高めの身長のその身体を折りたたんで、私の顔に顔を近づける。
「ナズーリン、ナズーリン。今日は私も付いて行ってかまいませんか?」
「そりゃあ構わないけれど。面白いかどうかは保証しかねるよ」
ご主人は「大丈夫です」と頷くと、出かける用意をするためかまたぱたぱたと自室に向かって小走りに向かっていった。
私は溜息をひとつついて履きかけた靴を脱ぐ。
準備の時に注意しないと、あの人はよく忘れ物をする。
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「失礼、店主は居るかな?」
こんこんこん、とノックを三回。くたびれた木製の扉の向こうから返事が返ってこないのを確認してから押し開いた。
どの道返事は期待していない。ここの偏屈店主は品物の鑑定をやっているか、本を読んでいるか寝ているか。
どれにしても返事なんか期待できたものではない。ノックは単なる習慣だった。
しかしながら、今日に限っては店主の行動はそのいずれでもなく、
「やあ、いらっしゃい。ナズーリン」
「あら、命蓮寺の賢将殿。お久しぶりでございます」
明らかに何処かで見たことのあるが見たことのない少女と親しげに話している姿が目に入った。
たまに博麗の巫女や白黒魔法使い、それから本を読んでる鳥の妖怪などはここで見るが、いやはや“彼女”をここで見ることになろうとは。
「お邪魔だったかな?」
「いや、客が来たなら仕事が優先だよ」
カウンターの上の茶菓子と湯呑を脇に退けながら、香霖堂店主、森近霖之助は眼鏡越しにこちらを見やった。
今の今まで向い合って話していた“彼女”も脇に下がる。
にこりと優雅に笑ってはいたが、その瞳には少しばかり不満の色が見え隠れしていた……ふぅん。
「今日もいつも通りかい?」
「ん。それから今日は連れが一人、ね」
私はそう言うと、玄関の外で興味津々にフタ付きの箱(電子レンジというものらしい。物を温められるとか何とか)を弄り回していたご主人に声を掛けた。
ご主人が店内に足を踏み入れたのを見計らい、二人に紹介する。
「寅丸星。命蓮寺で毘沙門天の代理をしている私の主人だ。
ご主人、こちらは森近霖之助。まあ世話になっていると表現してもいいかな」
「こちらとしてはサービスしていると言っていいくらいなんだがね」
細面のその顔をしかめて霖之助がボヤく。
まったく。そんな程度のことは宝塔を買い取った時のボッタクリでチャラだ。
「よろしくお願いします、毘沙門天の御弟子様に来ていただけるとは光栄です」
「ああ、いえいえ! 私もまだまだ未熟者、どうぞ楽にして普段通りに接してください。
こちらこそ、いつもナズーリンがお世話になっております」
「む……では遠慮なく。よろしく頼むよ」
お互い妙に腰の低い態度でぺこぺこと挨拶を交わす。
まあ、ご主人はいいさ。昔は謙遜すら出来ずに“立派な毘沙門天の代理”として振舞わざるをえなかったんだ。
神様だって一山いくらの幻想郷、性分通りの優しくて丁寧な振る舞いに戻ったって構うまい。
問題は霖之助の方だ。コイツ、明らかにご主人毘沙門天様の代理――――財宝神としての性格を持っているから態度を変えている。
趣味人の癖に一丁前に商売に欲を出すなんて生意気もいいところだ。
と、そこでご主人が“彼女”に向き直った。
まあ顔見知りである。適当に挨拶でも交わして――――そんな私の考えは、甘すぎた。
「お久しぶりです、寅ま「はて、御嬢さんは何処かでお会い致しましたかね?」
きょとんとした顔のご主人の一言に、“彼女”の顔があっけに取られたような表情を作る。
うん、まあ、以前命蓮寺を訪れた時とはずいぶん姿が違うから、勘違いも無理は無いかも知れない。
ご主人と同じ程度の高さだった背丈は三分の二くらいまで縮んでいて、あの良い意味で少女と呼ぶのが躊躇われるような風格が随分となりを潜めているのだから。
とは言え、基本的な顔形の造形は変わっていないのだから気づいたっていいだろうに。
ご主人はしばらくその虎柄の頭を左右に捻ってから、ぽんと両の掌を打った。
「ああ! そうか、八雲紫さん――――」
そうそう。
「八雲紫さんの、娘さんですね!」
どんがらがっしゃんと実に古典的な音を立てながら、私は自分の顔面を近くの瓦落多に叩きつけていた。
なんというか、あまりに致命的なうっかりに意識が飛びかけて、反射的に痛みで気付けを行ったのだと思う。
ご主人は寺に来た子供と遊んでやる時のふにゃっとした極度に優しい笑顔で呆然とした“彼女”の頭を撫でていた。
「いやあ、お母様には命蓮寺と人里との仲介で随分と助けてもらいました! お母様によく似て利発そうで可愛いですよ!
それにしても紫さんにこんな大きなお子さんが居たとは驚きで――――」
「寅丸さん」
南蛮渡来の
「はい、何でしょう霖之助さん」
「どういう勘違いかは知らないが、彼女は八雲紫本人だよ?」
ぎしりと音を立てて、香霖堂内部の空気が硬直する。
“彼女”――――即ち境界に潜む大妖“八雲紫”は、引きつった笑顔でご主人を見ていた。
心なしか、八雲紫の背丈が大きくなったような気がした。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
「ごめんなさいすいません本当に申し訳ありませんッ!」
ひたすら涙目で頭を床に叩きつけながら、ご主人は八雲紫に謝り続けていた。
からくり仕掛けのように規則的にがんがんと頭を叩きつけ続けるその動作に、明らかに八雲紫は引いている。
自覚はないのだろうがあまりにも効果的な謝り方だった。見てるこっちが逆に謝りたくなってくるほど痛々しい。
……情けなくなんてなってないぞ、うむ。
八雲紫が「もういいから、こっちこそ色々ごめんなさい」と悪くもないのに謝りだす段に至ってようやくご主人は土下座の体制を崩して立ち上がる。
そのタイミングとべそっかきの表情もなんというか芸術的だ。相手に責めようという気を起こさせない間の取り方。わざとやってんじゃないだろうかこの人。
「ふむ。確かに紫はちょくちょく姿が変わっているが、僕の店に来るときは大抵この姿だ。だからこっちが基本で必要なときに“大きさ”を変えてるものと理解していたが。
ひょっとして、この姿のほうが珍しいのかい?」
何やら興味深げに霖之助がこちらに問うてくる。
しかし香霖堂での八雲紫はいつもこの姿なのか……これは中々、面白い話だ。
思わずヒクつく頬を何とか顔筋で抑えこんで、答えた。
「ああ、人里でもたまに見かけるがもっと大人の姿だね。背も高いし、体格も違う。
宴会で他の連中の話を聞いても彼女を“小さい”なんて言っている奴は見た試しがないね」
普段の八雲紫なら、巫女や白黒と並んだら親子とまでは言わなくてもそこそこの歳の差があるように見えただろうが、
今ここに居る八雲紫とあの二人を並べたならばきっと「同い年くらいだろう」と誰もが予測を立てるに違いあるまい。
それくらいに、八雲紫は
霖之助は天井の方を見ながら細い顎を軽く撫でる。彼がものを考えるときの癖だ。
「妖怪というのは姿を変えるものだが、大概の場合は相手を驚かせたり正体を隠すために行うものだ。
どちらにせよ、僕も君もが彼女を“八雲紫”だと認識している以上は化けることに意味はないだろう。正体が秘されていないのだから」
「妖怪は能動的に姿を変えるばかりではないさ。私達妖獣や人間と違って妖怪はこころと身体が相互に影響し合うものだからね」
人間だって、気分が落ち込めば体調を崩す程の影響を身体に与えるのだ。
妖怪ほど精神的な次元に存在を預けているのならば、心の持ちよう一つで外見にすら大きな影響を与えうる。
「と言うことは、香霖堂には紫が子供の姿になるような精神状態に陥らせる何か、があると?」
「……気づいていないのはまあ、君らしいか。それはだね――――」
と、そこで八雲紫が私達の間に割って入った。いつもの胡散臭い笑顔――になりそこねた必死な顔で、身振り手振りを交えながら話題を切りにかかる。
「そんな話は、その、今はあまり大事ではないでしょう?
お茶くらいなら私が入れますから、霖之助さんはほら、お客様に応対してはどうかしら?」
「霊夢と魔理沙には黙らせておいたのに」なんてぶつくさ言いながら、店の奥に引っ込んでいく八雲紫。
見た目相応に精神年齢も下がっているのか、普段の優雅さ胡散臭さは彼女からすっぱりと抜け落ちていた。
いや、多分この話題でないのなら彼女も見た目以外は普段通りの態度で要られたに相違ない。
そりゃあまあ、「彼女はこんな子供の姿になってしまうほど、君に気を許しているのさ」なんて、女なら当人の前で言われたくはないだろうけど、ね。
さて、何はともあれ応対してくれるのなら用事を済ますとしようかな。
「ふむ、気になるところだが……まあいいか。
ナズーリン、君の用事はいつものでよかったね。寅丸さんもこちらへどうぞ」
「あ、はい」
霖之助に薦められて、私とご主人は店のカウンターの前に置かれた椅子に腰掛ける。
私は腰に結わえた革袋をカウンターの上でひっくり返すと、中から雑多な小物がバラバラと落ちてきてカウンターの上に広げられた。
私は命蓮寺の一員ではあるが、同時に様々な“宝”を探しだすダウザーとしても活動をしている。
探しだしたものは大概命蓮寺のために使うのだが、それにしたって“ウチで持っていたって役に立たないもの”は少しずつだが確実に溜まっていく。
そういうモノの処分が、私がここに足を運ぶ目的だ。
――――最初にここに来たときは、切羽詰まっていたのでふっかけられたのと殆ど変わらぬ値段で宝塔を引き取るハメになった。
アレは、私にとって屈辱である。霖之助は実のところ商売がヘタな単なる趣味人と知ってからは尚更に。
だからこそ、今日も私は勝負に来たのだ。
「さあ、霖之助。
真っ当な商売人が効いたら呆れ果てそうな宣戦布告を彼に叩きつけてやる。
その時の霖之助と私は、きっと似たような顔をしていたに違いない。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
……しかしながら、今日のところはリベンジならずで終わってしまいそうであった。
「ふむ、水晶……それも魔法の森産のものか」
「ええ、あそこの水晶は魔力を多く含みます。それもこの小ささでこの魔力の量、ナズーリンでなければ見つけられないであろうシロモノですよ」
「その貴重さは理解しているよ……この値段で」
「冗談を言わないでいただきたい。市場価格ならこれだけ足してもまだ破格でしょう」
「需要と供給さ、僕にはそこまで欲しいものではない。出せてこれくらいかな」
「店主さんは霊夢さんや魔理沙さんの服を繕ってあげているそうですね? この水晶はしっかりと加工すれば強い力になる護符になります。これくらい出せるでしょう?」
「残念ながら、僕はそこまで腕が良くなくてね。このへんで手を売ってもらえないかな?」
「魔理沙さんは欲しがるとおもいますから、これくらい払ってもお釣りは返ってきますよ」
目の前の算盤の珠をぱちぱちと上下に動かし合いながら、霖之助とご主人はちらりちらりと視線で牽制しあう。
空気はピリピリと張り詰め、まるで剣士が刀を突き合わせているような剣呑さが香霖堂を支配する。
私と八雲紫はその場から完全に弾き出されてしまって、隅の方でちびちびと茶を啜っていた。
「貴女のご主人、もっとのんびりとした方かと思っていましたけれど」
なんとかしなさいよ、とばかりに横目でこちらを見てくる八雲紫。
少し機嫌が悪いのか、私がここに来た時より2㎝ほど背丈が伸びていた。
「うむ、ご主人のプライドが刺激されたようだね、色々と」
ご主人の能力は“財宝の集まる程度の能力”。あの人の身の回りには自然と価値ある物、財宝が集まってくる。
毘沙門天の弟子として開眼したその能力をご主人は大層嬉しがり、その能力で集まってきた財宝もまた愛した。
尤もその財宝に関する愛とは「その価値を理解し、かつ真に必要とする者に使われること」という大変利他的なものであり、手元にはあまり残らないのだけれど。
そんな訳でご主人は愛する財宝を正しく評価するために目利きの修行を熱心に重ねた。今では私だってかなわないほどに様々な物品の“価値”に詳しいといっていい。
対して商売人とは、物品の価値を値切って安く手にいれて高値で他人に売りつけ儲けを得る仕事である。
物の価値に妥協しないご主人とそれを値切ろうとする商売人と。熾烈な闘いが始まるのは必然であった。
濃い目の緑茶をまた一口。互いの知識と誇りを白刃として切り結ぶご主人と霖之助をしばし眺める。
ちらと横目で八雲紫を見て、思わず吹き出しそうになった。
なんとまあ不機嫌そうな顔だ。
「睦言の邪魔をしたかな?」
「……命蓮寺の妖怪達は幻想郷でも珍しい良識派揃いと思っていましたけれど」
「世の中うまく出来ていてね、いい方にも悪い方にも、偏ると揺り戻しがあるものなんだよ。
いつも胡散臭げなくせに優雅で煌びやか、ひとつの隙も見せないような大妖怪の弱みを見つけたおかげで今の私はすこぶる気分がいい。
それも、所謂ひとつの“乙女の悩み”というやつであると来た日には鼻歌でも歌い出したくなるようなスガスガしいイイ気分だ。
思わず調子にのってニヤニヤ下品な笑みを浮かべてやろうとするが、顔が引き攣ってうまくいかなかった。笑い過ぎだろうか。特に額のあたりが引き攣っている。
八雲紫が私を見て「天邪鬼」と一言呟いた。何を言っているのかよく分からない。
彼女は眉間に少しだけシワを寄せて、ご主人と霖之助を見ていた。
結局それからたっぷり一刻ほどもやりあって、ご主人と霖之助の決闘は無事に終わりを迎えた。
あれだけシビアにやりあっていたのが嘘のように、ニコニコ笑いあって店の品物について語り合っている。
あれか、年頃の男二人が河原で殴り合った後にお前もやるなお前こそなんて言って笑いあうようなものか。
申し訳ないが私にはそのノリは無理だ。
とりあえず茶請けの羊羹をひとつ摘む……むむ、これは。
「人里の『辰屋』の羊羹じゃあないか。いつもの食べ物かすら怪しいお茶請けは何処に行ったんだい?」
里でも評判の和菓子屋である。小さな店で数も作らないので大概は行列に並んだ挙句買い逃すハメになるようなシロモノだ。
霖之助は私の言葉を聞いて、片眉をぴぃんと跳ね上げた。
「美味いとは思っていたがそんなにいいものだったのかい? 紫が持って来たものなんだが」
「人様の家に持っていくのだからコレくらいは用意しますわ、私でも」
なんともまあ見えっ張りなとも思ったが、確かに美味かったので文句はない。どれ、もう一切れ……。
と、カタンと音を立てて、ご主人の手からフォークが落ちた。
「な、ナズーリン、ナズーリン、大変です! 忘れ物をしました!」
ああ、ご主人はいつもの様に慌て始める。最近はもう特段慌てることもなく対応できるようになってしまった。
「なんだい? ちり紙か家の鍵か、それとも財布?」
「違います! 挨拶にお菓子を買っていこうと思っていたのに忘れていたんです!」
なんだ、そんなことか。
「そこまでかしこまる相手でもなし、今更いらないよそんな物」
「そうもいきません! 人間関係は最初の一歩が肝心なんです! 親しき仲にも礼儀ありです!」
言いたいことは分からなくもないが、本当にそこまで気負うような大した奴ではないのだがなあ。
と思うのだがご主人としてはそこそこ大事な問題だったらしく、すっかり落ち込んで小さくなってしまった。
店に来て一発目の失敗のせいで、今日は随分とナイーブらしい。
霖之助と八雲紫が「どうしたらいい?」と言わんばかりの表情でこちらを見ている。
私に聞かれても、困る。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
そんな訳で涙目になってしまったご主人のフォローに入ったのは、霖之助だった。
「これから商品の仕入に出かけるのだけれど、そのついでに無縁塚の仏様の供養をしていただけないでしょうか」
と(彼なりに)気遣った口調で告げると、表に出てリアカーの準備を始めたのである。
彼の言う“仕入”とは、結界が緩んで外の世界とと交わりやすくなっている無縁塚――文字通り、無縁仏の墓地になっている――にて外の世界のものを拾ってくることを指す。
そのついでとして、無縁塚に流れ着いた(あるいは引き寄せられたか、捨てられたか)無縁仏の弔いもやっているらしい。
結局のところ、死者の荷物を漁る言い訳として行なっている供養としか思えないが、まあ霖之助なりに考えるところもあるのだろう。
ご主人も自分の領分の仕事を受けたことで随分とやる気が出たらしく、鼻息も荒く霖之助に付いて店を出ていく。
と、なれば私もついて行かざるを得ず、八雲紫は何も言わずとも霖之助の引くリアカーの荷台にちゃっかり座っていた。
魔法の森を迂回し彼岸花も枯れた再思の道を抜けて小一時間、無縁塚は紫色の花を咲かせるという話のある桜の枝も寂しい、寒々とした場所だった。
気温は低く、風は冷たい。しかし背筋を走り抜ける寒気は、きっとそう言った物理的な要因によるものではないのだろう。
ここは少しばかり、霊的に過ぎる。霖之助もよくこんな所に一人で通えるものだ。
私達が読経して無縁仏達を弔うと、背筋の冷たさは幾分か和らいだ。迷わず三途へ向かってくれたらよいのだが。
その後すぐに霖之助は無縁塚を漁りにかかった。ご主人も何やら楽しそうにそれに付き合っている。
ダウザーである私としてもこういう「宝探し」は嫌いではないので、付き合うことにした。
無縁塚は外との境界が薄い、というのは本当のようだ。少し探せば何かしら得体のしれないものが落ちている。
外の世界の道具はプラスチックで出来ているものが多いが、これは材料の石油とやらが沢山取れるからなのだろうか。
まあ本当に石から油が採れるなら、そこらの石から搾りたい放題だろうし。
しばらく無心で散策を続ける。
そしてリアカーに物がそこそこ溜まってきた頃に、霖之助が「うおっ?!」と驚いたような声を上げた。
「どうしたんだい?」
へっぴり腰の霖之助に近づく。足元を凝視しているのを見るに何かしら見つけたようだが。
――――む、これは。
「しょっちゅう居るんだろう? いちいち腰を抜かしてどうする」
「いきなり目が合えば驚くさ。これでも半分は人間だからね」
そこに横たわっていたのは、人間にとってはある意味最も身近な“仏様”だった。
細やかな粒子の砂で薄汚れたマントを纏い、顔は同じ色合いの布でぐるぐる巻きにされている。
布の間からのぞく肌の色、髪質、瞳の色から見ておそらくは異人。縋るように外の世界の鉄砲と覚しきものを抱きしめていた。
もはや瞬かぬその瞳は、濁った色でじっとこちらを睨みつけている。血液で赤く染まった腹部は、乾いていた。
「外の世界から流れてきたのか」
「戦士、なのだろうね。死したことも忘れ去られて、こっちへ流れてきたんだろう。
……すまないが手伝ってくれ。弔ってあげよう」
戦士、ね。外の世界は未だに戦を忘れられないらしい。
もっとも、遊びという形で争いを違うものに貶めるなんて無茶苦茶は、幻想郷でもなければ通用しないのだろうけれど。
「こっちの鉄砲は?」
「ウチで扱っていい商品には見えないね。それに、最期まで彼に付き添った相棒だ。一緒に弔うのが礼儀だろう」
そう言って、霖之助は“仏様”を抱えようと手を伸ばす。
私は足の方を抱え上げようと位置を変える。そうして“仏様”の足を抱えあげようとしたところで。
“仏様”の血の気の引ききった色の右手が、霖之助の腕を掴んだ。
「~ッ?!」
霖之助の喉から声にならない悲鳴が漏れる。“仏様”は――否、死体は――人間ではあり得ない方向に腕の関節を螺子曲げて霖之助の手首を確かに掴んでいた。
濁ったままの瞳で霖之助を睨めつけるそいつは確かな憎悪と呪いを込めて、左の手で鉄砲を掴む。
ぺき、ばき、ぼきと音を立てて死体の左腕が持ち上がって、銃口を霖之助に向け、トリガーを引く。
すべての動作は私達の驚愕によって生まれた一瞬の空白に捩じ込まれ、私の反応は何もかもが終わった後にしか間に合わない。
BANG! BANG! BANG!
放たれた弾丸は三発。妖獣の反射神経ですら追いつかない音速の銃弾が霖之助に向かって放たれる。
私はようやく引き伸ばされた意識に肉体が追いついたが、弾丸を止めるには遅すぎる――――!
「分かれよ」
無縁塚に八雲紫の声が響く。声はいかなる呪力によってか音よりも疾い弾丸をはるかに上回る速度で疾走し、霖之助の眼前で具現化した。
彼の目の前の空間がパックリ避けて、混沌色をした“隙間”が弾丸を飲み込む。
それを確認した時には私はもう動き出していた。
L字に曲がったダウジングロッドを逆手に握り、肘をねじ込むようにしてロッドを死体の首に叩き込む。
琉球妖怪仕込みの
首は千切れて胴体から離れ、それでも霖之助を掴む手の握力は一切失われることはない。
「ご主人、頭だ!」
叫んだ時にはもう理解していたのだろう。ご主人は飛び出してきて転がる頭を素早く受け止め、抱き抱えながら法力を込める。
「喝ッ!」
ご主人の一喝と共に“法の光”が迸り、神聖な空気が場に満ちる。
頭に潜む何者かが一瞬で浄化され、霖之助を掴んでいた胴体の方もとたんに力を失った。
ぜい、ぜい、ぜいと、私と霖之助とご主人と八雲紫の荒い呼気の音だけがしばらく耳を撫ぜる。
最初に呼吸を整え切ったのは、私だった。
「……怨霊のたぐいかな?」
独り言じみた私の問いに、ご主人が頷いた。
「迷った霊が、仏様に憑いていたのでしょう。非常時とは言え、乱暴な祓い方になってしまいました」
それは仕方ないだろうと思った。
どのような存在であれ等しく救いあるべしと聖と私達は考えているけれども、それでも今生きている者の危機を見過ごしてまでという訳にはいかない。
ご主人は死体の――もとい“仏様”の――首を胴体の隣に置いた。
念仏をあげて、身体を使われた哀れな“仏様”の霊を慰める。
私はとりあえず、腰を抜かした霖之助を引っ張り起こしてやった。
「霖之助、生きてるかい?」
「な、なんとか、ね。正直死んだかと思ったが」
少しばかり青い顔で霖之助が呻く。こういう“人間らしい表情”はあんまり見せない男なので、珍しいものを見れたなとなぜだか面白くなってクスリと笑った。
いつの間にやら隣に現れた八雲紫が、ハンカチで彼の額にびっしり浮いた汗を拭ってやっている。
「少し向こうで休んでいなさいな、霖之助さん。後片付けは私達がやりますわ」
「紫が、かい? 構わない、僕の仕事で来たのだから、僕がやるさ」
「少しくらいは甘えなさいな、朴念仁」
「何故そんな言葉に僕が例えられるのかよく分からないな」
などと言いつつも、霖之助は素直にリアカーの方へと足を向けた。よほど疲れたのだろう。
「さて、お片づけをしましょうか、ナズーリンさん?」
「スキマにぽんと落として終わりと言うのはやめてくれよ?」
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
「……貴女はよく、香霖堂に来るのかしら?」
“仏様”を埋め、墓標替わりに彼の鉄砲を盛土に突き立てたところで八雲紫が問うてきた。
ご主人は粗方作業が終わった辺りで霖之助の様子を見に行ったので、私達二人だけだ。
「まあ、そこそこの頻度で」
「気をつけてあげて頂戴、時たま好奇心のせいでこういうことになるから」
「過保護だね」
少しばかりからかい気味に返してみたが、予想していたような反応は返ってこなかった。
静かに、静かに、八雲紫が続ける。
「彼には役割があるわ。彼に出来て、私にできないことがある」
「……霖之助に?」
「幻想になったものを幻想郷に馴染ませるのは彼の役割。本当の意味での
おかしな話だ。境界を操る大妖八雲紫は、外の世界と幻想郷を行き来していると伝え聞く。
外の世界を知り、幻想郷を知る八雲紫こそ両者の媒に相応しい存在ではないか。
「例えばその銃」
八雲紫が指さしたのは、“仏様”が後生大事に抱えていた鉄砲だ。
「名前は“AK-47”、用途は“標的を撃つこと”。それは霖之助さんでも分かること。でもね、私は余計なことも知っている」
八雲紫は墓に突き立てられた“AK-47”を軽く撫ぜた。
撫ぜた途端に、“AK-47”からドス黒い何かが溢れ出す。
悍ましく、恐ろしく、吐き気のするような殺意が揺らめく陽炎のように“AK-47”を包んで踊り狂う。
「その異名は、“最も人間を殺した兵器”」
“AK-47”から漏れ出るドス黒い何かは、おそらくはその異名を知る者たちの幻想で編まれているのだろう。
人を撃ち、人を殺して幾星霜、世界で最も人を殺したという言葉を皆が信じ、その信仰は鉄の塊に幻想を与えた。
この銃は、おそらく幻想郷に在れば神へと上り詰めるだろう。霊長殺しの幻想を纏った祟り神はきっと何よりも畏れられる。
「私はそのことを知ってしまっているから、幻想郷に馴染ませようとすればその幻想も持ち込んでしまう。
この子は最悪の大量破壊兵器という軛から、非常識の壁を超えてすら逃れられない」
溢れ出る“AK-47”の呪いは、八雲紫が手を離すと止まった。
――――八雲紫が、“外”を知るものが触れれば、コイツは再び霊長殺しとしての幻想を帯びるのだろう。
「だからこそ、霖之助さんがいい。名前と用途で根幹の存在を維持しながら、幻想郷に必要のない“意味”を呼び起こさない霖之助さんがいい」
霖之助がこいつを手にいれて名前や用途を知ったとしても、コイツに篭められた最悪の幻想は決して彼が知ることはない。
弄繰り回して考察して、そのうち正解かどうかもわからないような推測で、どういうものか決め付ける。
嗚呼、そうか、なるほど。そうすることで、外での定義を失うことで道具は初めて幻想郷のものになり、用途をそのままに平和で暢気な“幻想郷らしいもの”へと成り果てる。
それが、霖之助の役割と言う訳か。しかし、まあ、それは。
「なんとも残酷な話だ。一生懸命道具として役目を果たして積み上げた伝説が、偏屈店主のせいで全てパアとは」
「ええ、幻想郷はすべてを受け入れる。それはそれは残酷な話ですわ」
それが幻想郷ということなのだろう。この楽園で安らぐために、残酷なまでにバッサリと余分な情報を“幻想の彼方へ忘れ去る”。
残るのは己の存在ただひとつ、ここでは、それだけあれば楽しく生きていけるのだから。
「それで霖之助を気にかけていたわけだ、貴女は」
「それも、ね」
「それも、か」
それ以外にも、背丈が縮んで子供になるほど心を弾ませる何かを抱いているのだろうに。
全くこの大妖殿はわかりやすく素直じゃない。
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その日はリアカーを押して香霖堂へ戻ったところで帰ることにした。
霖之助と八雲紫、二人並んでの見送りを背に命蓮寺への帰路に着く。
帰り道に、ご主人が唐突に言ってきた。
「ナズーリン、ナズーリン」
「なんだい、ご主人」
「貴女が集めているものを売るのなら、香霖堂さんより人里の質屋の方に行くと良いですよ。
今日持っていったようなものならば、大概はもっといいお値段で買い取ってくれます」
何を言い出すのかと思ったら、この人は。
「知ってるよ」
「知ってますか」
「知っているとも」
なぜだかご主人に笑われた。「手強いですよ、頑張って」などとも付け加えてくる。
言われなくとも頑張るとも。あの偏屈店主をぎゃふんと言わせて
その想像での霖之助の困った顔の愉快さに心が弾む。
思わず子供っぽいスキップなど踏みながら、私は夕焼け空の下を命蓮寺に向かって駆けていった。
商談をしたのがナズではなく星ちゃんだと…
その発想はなかった
香霖堂でのゆかりんが小さい理由が良いですね。その解釈は素敵だ。
商才星ちゃんいいね
星ちゃんやり手で驚いたよ!
ナズも可愛いよ!よ!
半妖である店主がその役割を負っているのも皮肉が効いてる感じです。
それはともかく、こんなに素直に応援できる紫さんは久しぶりだねぇ。
星さんの言う通りこいつぁ手強い。頑張ってね!
祖国防衛用の使いやすい銃火器をつくったつもりが…
紫は嗤いたいのかもしれない、外の連中のしょーもなさを
こういう内容の充実した物を読んでしまうと、面白かっただけでなく少し悔しい気持ちもありますね