‘七色の人形遣い‘アリス・マーガトロイドは、途方に暮れていた。
正面を直視できず、視線だけを左に向ける。
和室独特の温かみある白い壁に、今は奇妙な圧迫感を覚えた。
次に、右側へと頭を傾ける。
住人の作だろう、口を閉じ艶やかに笑む少女の絵が一枚、張り出されていた。
右下に『菫』と署名されたその絵に描かれているのは、幼妖兎の飼い主であり、此処永遠亭の主、‘永遠と須臾の罪人‘こと蓬莱山輝夜だった。
「アリス、ねぇ、アリス・マーガトロイド?」
「……なにかしら、蓬莱山輝夜」
「もう、失礼なヒト」
非難する言葉の割に耳朶を擽るような甘い響きに、アリスは、頭が揺さぶられる様な感覚を受けた。
「ぐーらぐら」
「本当に揺すってるんじゃない!」
「よーやく、こっち向いたわね。ほんと無礼なヒト」
揺らされていた手を邪険に払うアリスだが、どうにも相手の思うつぼだったようだ。
‘こっち‘とは正面のことではない。
アリスは少し顎を引いただけだ。
つまり、視線を下に向けた。
先に前を見れなかったのは、そうすると嫌でも輝夜の頭頂部が見えてしまうからである。
(無礼なのは貴女の方でしょうに)
(あぁでも、場合によってはご褒美なのかしら)
(場合と言うか、ヒト……うどんげや幼妖兎は喜びそうね)
喜ぶなんてものじゃない。
ともかく、一度空咳を打ち、アリスは現状を訴えた。
「……あのね輝夜、近い」
アリスが途方に暮れている訳は、そう、何故だか輝夜が自身の膝に身を預けていることに起因していた。
彼女たちは、友達と言う単純明快な関係だ。
その結びつきには何の打算もない。
輝夜が願いアリスが受け入れた。唯それだけのこと。
今日のアリスの訪問も、友達の家に遊びに来たと言うだけだ。
輝夜の私室に通されて酒や肴を楽しんでいると、気がつけば、こう言う態勢になっていた。
脚と脚が触れ、腕に腕が絡まれ、肩に頭を乗せられている。
「ふと思ったけど、この格好、アリスが殿方だったら物議をかもしそうね」
「今更何を。と言うか、だから、近いんだって」
「所謂対面座もがもが」
注釈。アリスは、脚を崩した横座り、俗称お姉さん座りをしている。
決して胡坐をかいている訳ではない。
故に、入っていないのである。
否、そもそも入るものがもがもが。
「大体、何時の間にこっちにきてたのよ」
落ち着かない視線を自身で意識しつつ、アリスは険を含んだ言い方で問うた。
‘こっち‘とはアリスの座っている場所だ。
当初、輝夜は向かい側にいた。
「あら、アリス・マーガトロイドはそんなことも解らないのかしら」
揶揄の言葉を返す輝夜。
その顔に浮かぶのは、艶のある笑み。
形の良い丸い目が、挑発するかのように細められる。
感情が促されているのを捉えながら、それでもどうにか抑えつけ、アリスは再度片手を振った。
「いいわ、教えてあげる。
私は、‘永遠と須臾の罪人‘蓬莱山輝夜。
私の‘力‘を応用すれば、時間も空間も手の内よ」
絡ませていた腕を解き、指を二本、アリスの顎にあてがって、輝夜が言う。
笑みの質が変わっていた。
艶のあるものから、力のあるものに。
今、輝夜が浮かべている笑みは、統べる者のソレだった。
アリスは再度、片手を振った。
「なによぅなによぅ、ちゃんと聞きなさいよアリス!」
一転して駄々っ子のように唇を尖らせる輝夜。
アリスの顎に当てていた指を頬に這わせる。
続けて、むにと引っ張った。
「喧しい」
痛みを伴わないじゃれつきに戸惑いを覚えつつ、やはりアリスはその手を払う。
「貴女の‘力‘は知っている。
そも、さっきのは質問じゃないし。
貴女の言う‘応用‘を非難しているの」
言って、アリスは、彼女たちを覆う布を摘まんでみせる。
その厚手の布は、所謂炬燵布団と呼ばれるものだ。
輝夜の移動手段は匍匐前進で、要は炬燵の中を潜ってきた。
今の状態は、つまりこう言うことだ――絡み合う少女たち IN KOTATU。
「皮肉が通じなかったかしら?」
潜っている時についたのだろう、輝夜の髪につく綿埃を払いつつ、アリスは半眼を向けた。
「まさか。勿論、解っていたわよ」
「……いい笑顔ねこの畜生」
「っぷはぁ、お酒美味しーい」
今日の輝夜はとても自由だ。
やたらと楽しそうな輝夜に、アリスの口が引きつく。
冷静さを失えば、更に相手の思うつぼだと認識していた。
裏腹に、思う――友達と言う間柄で、駆け引きを意識するのはどうなのだろう。
アリスは、瞳を閉じ思考を展開し、自身の躊躇いに瞬時に判断を下した――(意識すべき、ね)。
輝夜の行いは、怒りを覚えさせようとするものだった。
その理由は、アリスにして見当がつかない。
だからこそ乗る訳にはいかなかった。
「アリス、ねぇアリス・マーガトロイド」
決意を固め、アリスは目を開く。
映り込んできたのは、輝夜の笑み。
これ以上はないと言うほどの、笑顔。
「……なぁに、蓬莱山輝夜」
気付けば、前髪が触れ合っている。
或いは、今度こそ本当に、‘力‘が使われたのかもしれない。
目を離せない自身に心の内で舌打ちし、アリスもまた、迎え撃つように笑った。
――結果論で言えば、アリスの選択は間違いだった。輝夜を真正面から捉えてはいけない。そう、彼女は適当にいなすべきだったのだ。
「私ねぇ、酔っちゃったみたい」
(貴女がそんな程度で酔うはずがないでしょう)
「それになんだか寒くなってきたわ」
(抜けてる! それお酒抜けてきてる証拠!)
「ねぇだから、温めて」
(炬燵のスイッチを強に……あぁ足が伸ばせない!)
「アリス、ねぇアリス。
他の誰かや何かじゃヤぁよ。
アリス、貴女に温めて欲しいの」
(まずは首筋から鎖骨に舌を……じゃない! まずいまずいまずい!?)
「さぁアリス、触れ合い、舐め合い、そして、貪り合いましょう」
「ぶっ!? ノー子作り! ノーボディラブトーク!」
「やだアリス、女の子同士で子作りは出来ないわ」
満面の笑みで揚げ足を取る輝夜に、アリスの何処かがぶちりと切れた。
「っんな問題じゃないでしょう!?
大体何よさっきから喧嘩売っているみたいに!
珍しく遊びに来たんだから、もっと和やかに話し合いましょうよ!
そうよ、初めて貴女に呼び出された時、言ったじゃないの!
私たちはお友達、重なり合うのはノーセンキュー!」
口を開け、唾が飛ぶのもお構いなしに、アリスは叫んだ。
言葉に一切の嘘はなく、駆け引きもへったくれもない。
ただただ思う全てを輝夜へとぶつけた。
そして、肩で息を吐きながら、輝夜の反応を待った。
返されたのは、静かな、穏やかな微笑。
アリスの胸中が後悔で占められる。
行動故か、発言故か。
否、それらよりもなお強く、策に嵌ったと言う感覚が強かった。
「怒ったわね、アリス。
だけど、私の方がもっと怒っているの。
どうしてと言う顔をしているわね、憎らしいわ」
そう。輝夜が引きだそうとしていたものは、アリスの怒りであり、その言葉だった。
「貴女が言ったように、私たちはお友達。
私だって、和やかにお話がしたかったわ。
それはもう、きっと、貴女が思っている以上にね」
だと言うのに――呟き、頬を膨らませる輝夜。
ここにきて、漸く、アリスは輝夜の意図を把握した。
だからこそ、口が引きつる。
この流れはまずい。
思った時には顔を背けてしまっていて、それはつまり、自身に非があると認めることと同義だ。
「だと言うのに、アリス。
『珍しく』、そうね、その通りだわ。
だって、貴女はちっとも遊びにきやしないんだもの」
だから、輝夜は怒っているのだった。
アリスの頬につぅと汗が流れる。
ぐうの音も出ないほど、輝夜の言う通りなのだ。
友達になってからは一度遊んだきり、アリスは輝夜を訪れていない。
(だけれど……)――咄嗟に浮かんだ反論を、アリスは考えることなく口にする。
「貴女だって、ウチに来りはしていないわ」
直後、更に顔を背けた。
墓穴を掘ったと言う自覚がある。
この面倒くさい友人が、その反論を予想していない訳がない。
やはりと言うべきか、輝夜が即座に迎撃する。
「そうね、それもその通り。
貴女は一人暮らしで色々と忙しいでしょうから、遠慮していたの。
あぁ、ひょっとしたら貴女もそう言う配慮をしてくれていたのかしら」
こつりこつりと軽くぶつけられる額が、輝夜の本音を伝えていた――『してないわよねぇ』。
限界ぎりぎりまで背けている顔が、アリスの心中を物語っていた――『あぃ』。
「……思えば、遠慮も配慮も必要ないわよね。
だって、私たちはお友達なんですもの。
うぅん、ともかく……」
それでもなお、輝夜は追撃の手を緩めない。
「ともかく、アリス、貴女は、あれから二度ほど此処に来ているでしょう?」
事実だった。
アリスは‘此処‘永遠亭を訪れている。
一度目は鎮痛剤を受け取りに、二度目は今でも服用している胡蝶夢丸のためだった。
「でも、だって!」
袋小路に追い込まれる感覚を深く味わいつつ、アリスは、最後の切り札を叩きつける。
「輝夜、貴女はその日、いなかったじゃない!」
「一度目はね。でも、二度目は?」
「oh……」
全てを出し切り息を吐くアリスの表情は、それはもう清々しいほどに爽やかだった。
「oh……、じゃなくて、応えなさいアリス」
「良い発音ね、まるでネイティブみたい」
「ありがとう。で?」
にこりと笑む輝夜。
負けじとアリスも微笑んだ。
互いに、今日一番の笑顔と言えた。
自身の両頬に窄められた指が向けられているのを横目で捉えつつ、アリスは、応えた――。
「うん、なんとなく面倒だった」
アリスさんをかばう訳じゃないけれど、ほら、友達だからこそ、そう言う時もあるよね?
「面倒って! 面倒って!」
「ふぎ、痛い痛いわ、輝夜!?」
「私の心を踏みにじった罰よ! この、この!」
割かし本当に痛いと感じながら、それでもアリスは輝夜の言う所の罰を受け入れた。
当日の光景を想像してみる。
門番の兎に自身の来訪を告げられ、輝夜は自室で待機していたのだろう。
机には、来客用の茶と茶請け、或いは酒とつまみだったのだろうか。
こんなことを話そう、あんな遊びをしよう――輝夜はきっと、楽しみにしていた。
しかし、幾ら待っても待ち人は来ず、ただただ時間だけが過ぎてゆく。
まさか来ないのだろうか、いやそんなはずはない、あぁだけれど。
いいえ、信じて待ちましょう、だって私たちはお友達だもの、ねぇアリス。
そう思われていたこと、そう思ってくれていることを、自惚れではなく、アリスは感じた。
だから、思う。
「もう、輝夜可愛い」
「反省しなさーっい!」
「ふぎぎ、ふぎぎぎ!?」
わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。
暫くして。
肩で息をしながら、乱れた服やら髪やらを整える二名。
けれども未だ輝夜の怒りは収まっていないようで、膨れ顔を続けていた。
一手早く整い終えたアリスは、そんな輝夜の頬を突きつつ、言う。
「この顔が見れるなら、また当分放っておこうかしら」
「貴女ねぇ……」
「冗談よ」
じとりと半眼を向けてくる輝夜に、アリスはくすりと笑う。
勿論、本気で言っている訳ではない。
返される反応を楽しんでいた。
そして、続く輝夜の動きもまた、心底可愛らしいと思う。
「んっ」
撥音とともに突き出される小指。
その理由を聞く必要はなかった。
だから、自身も小指を差し出す。
(ほんともう、可愛いんだから)――確かに、アリスはそう思った。
「流石に私も針千本を飲みたくはないわね」
「あら、そんな甘いものじゃなくてよ?」
「まぁ恐ろしいこと」
小指と小指が絡まる。
「指きりげんまん」
視線と視線がぶつかり――
「遊びに来なかったら」
――次の一瞬、アリスの視界から輝夜が消えた。
耳に、輝夜の呼気が伝わる。
鼻を、輝夜の髪の香りが覆う。
頭が、輝夜の存在を、否応なく、求めた。
思考が混乱する真っ只中で、アリスは、一つの認識を刻み込まれた――輝夜を、真正面で捉えてはいけない。
「本当に、おとしちゃうんだから」
ぞくり。
背が凍り、心が震える。
その言葉に意味は幾つかあるが、問い返す必要はない。
たった一つの制約で、アリスは心臓を鷲掴みにされたかのような感覚を覚えた。
輝夜の表情は推測できる。
笑っているのだろう、とアリスは断じた。
けれど、その笑みを想像できない、形容する言葉が見当たらない。
ほんの少し視界をずらせば推測は裏付けられ、浮かばない想像は現実として突き付けられる。
けれど、だけれど、輝夜を真正面で捉えられない。
『おとす』。
なんと甘美で暴力的な響き。
その暁には、地位も名誉も全てを捨てて、この少女を求めてしまうのだろう。
古の貴人たちのように、そして、‘月の頭脳‘のように。
――そうね。
同意のような呟きが聞こえ、アリスは我にかえる。
気付けば、また輝夜と額合わせになっていた。
口元は笑んでいるが、目は閉じられている。
絡み合う小指越しに、アリスは輝夜を見た。
「『遊びに来ない』範囲を決めましょう。
三か月……うぅん、貴女も何かと忙しいでしょうし。
四か月、うん、百二十日あれば、そのうちの一日くらい貰っても良いわよね」
持ちかけられた提案に、アリスは心の内で苦笑する。
長いスパンは、輝夜のためでもあり、アリスのためでもあるのだろう。
実際にどうこうするというのはさておいて、約束を違えれば、罰を実行に移さなくてはならない。
それは、輝夜にとって、曰く『数少ない友達』をヒトリなくすことと同義だった。
「ね?」
「ええ」
「じゃあ」
アリスにしても同じことが言える。
少なくとも、輝夜には、『おとす』自信があるのだ。
だから、その提案は、輝夜なりのアリスへの配慮なのだろう。
そこまで考え、アリスは、浮かべていた笑みを、意識して不敵なものに変えた。
(そう、配慮)
(ふざけないで、輝夜)
(私たちはお友達、そんなものは必要ないわ)
「指、きった」
約束を交わし、指が離れ、輝夜の目が開く。
輝夜は、心底嬉しそうに笑んでいた。
そんな彼女に、アリスも、笑顔で言ってのける。
「うん、行けたら行くわ」
この言葉を与えられた瞬間の姫様の表情を表現できない筆者をお許しください。
「ッリース!」
「ふぎぎ、痛い痛いわ、輝夜!?」
「なによその、この、こ、もぉ、もーぉっ!」
輝夜の口から迸る、意味のない言葉たち。
代わりとばかりに身体で訴える。
貴女の思いは伝わった、と。
裏腹な言葉を裏腹な態度で返し、互いを互いに友と認める少女たちは、こうして心の交流を続けるのであった――。
《Q:体の交流は?》
「……あ、この状態って所謂乳合わせね!」
「あのね輝夜、友達として言わせてもらうけど、どうかと思う」
「私も貴女も大きくはないけれど、こう密着して腰を締め付けられ、られ、アァァリスブリーカァァァ!?」
《A:ほどほどにね》
正面を直視できず、視線だけを左に向ける。
和室独特の温かみある白い壁に、今は奇妙な圧迫感を覚えた。
次に、右側へと頭を傾ける。
住人の作だろう、口を閉じ艶やかに笑む少女の絵が一枚、張り出されていた。
右下に『菫』と署名されたその絵に描かれているのは、幼妖兎の飼い主であり、此処永遠亭の主、‘永遠と須臾の罪人‘こと蓬莱山輝夜だった。
「アリス、ねぇ、アリス・マーガトロイド?」
「……なにかしら、蓬莱山輝夜」
「もう、失礼なヒト」
非難する言葉の割に耳朶を擽るような甘い響きに、アリスは、頭が揺さぶられる様な感覚を受けた。
「ぐーらぐら」
「本当に揺すってるんじゃない!」
「よーやく、こっち向いたわね。ほんと無礼なヒト」
揺らされていた手を邪険に払うアリスだが、どうにも相手の思うつぼだったようだ。
‘こっち‘とは正面のことではない。
アリスは少し顎を引いただけだ。
つまり、視線を下に向けた。
先に前を見れなかったのは、そうすると嫌でも輝夜の頭頂部が見えてしまうからである。
(無礼なのは貴女の方でしょうに)
(あぁでも、場合によってはご褒美なのかしら)
(場合と言うか、ヒト……うどんげや幼妖兎は喜びそうね)
喜ぶなんてものじゃない。
ともかく、一度空咳を打ち、アリスは現状を訴えた。
「……あのね輝夜、近い」
アリスが途方に暮れている訳は、そう、何故だか輝夜が自身の膝に身を預けていることに起因していた。
彼女たちは、友達と言う単純明快な関係だ。
その結びつきには何の打算もない。
輝夜が願いアリスが受け入れた。唯それだけのこと。
今日のアリスの訪問も、友達の家に遊びに来たと言うだけだ。
輝夜の私室に通されて酒や肴を楽しんでいると、気がつけば、こう言う態勢になっていた。
脚と脚が触れ、腕に腕が絡まれ、肩に頭を乗せられている。
「ふと思ったけど、この格好、アリスが殿方だったら物議をかもしそうね」
「今更何を。と言うか、だから、近いんだって」
「所謂対面座もがもが」
注釈。アリスは、脚を崩した横座り、俗称お姉さん座りをしている。
決して胡坐をかいている訳ではない。
故に、入っていないのである。
否、そもそも入るものがもがもが。
「大体、何時の間にこっちにきてたのよ」
落ち着かない視線を自身で意識しつつ、アリスは険を含んだ言い方で問うた。
‘こっち‘とはアリスの座っている場所だ。
当初、輝夜は向かい側にいた。
「あら、アリス・マーガトロイドはそんなことも解らないのかしら」
揶揄の言葉を返す輝夜。
その顔に浮かぶのは、艶のある笑み。
形の良い丸い目が、挑発するかのように細められる。
感情が促されているのを捉えながら、それでもどうにか抑えつけ、アリスは再度片手を振った。
「いいわ、教えてあげる。
私は、‘永遠と須臾の罪人‘蓬莱山輝夜。
私の‘力‘を応用すれば、時間も空間も手の内よ」
絡ませていた腕を解き、指を二本、アリスの顎にあてがって、輝夜が言う。
笑みの質が変わっていた。
艶のあるものから、力のあるものに。
今、輝夜が浮かべている笑みは、統べる者のソレだった。
アリスは再度、片手を振った。
「なによぅなによぅ、ちゃんと聞きなさいよアリス!」
一転して駄々っ子のように唇を尖らせる輝夜。
アリスの顎に当てていた指を頬に這わせる。
続けて、むにと引っ張った。
「喧しい」
痛みを伴わないじゃれつきに戸惑いを覚えつつ、やはりアリスはその手を払う。
「貴女の‘力‘は知っている。
そも、さっきのは質問じゃないし。
貴女の言う‘応用‘を非難しているの」
言って、アリスは、彼女たちを覆う布を摘まんでみせる。
その厚手の布は、所謂炬燵布団と呼ばれるものだ。
輝夜の移動手段は匍匐前進で、要は炬燵の中を潜ってきた。
今の状態は、つまりこう言うことだ――絡み合う少女たち IN KOTATU。
「皮肉が通じなかったかしら?」
潜っている時についたのだろう、輝夜の髪につく綿埃を払いつつ、アリスは半眼を向けた。
「まさか。勿論、解っていたわよ」
「……いい笑顔ねこの畜生」
「っぷはぁ、お酒美味しーい」
今日の輝夜はとても自由だ。
やたらと楽しそうな輝夜に、アリスの口が引きつく。
冷静さを失えば、更に相手の思うつぼだと認識していた。
裏腹に、思う――友達と言う間柄で、駆け引きを意識するのはどうなのだろう。
アリスは、瞳を閉じ思考を展開し、自身の躊躇いに瞬時に判断を下した――(意識すべき、ね)。
輝夜の行いは、怒りを覚えさせようとするものだった。
その理由は、アリスにして見当がつかない。
だからこそ乗る訳にはいかなかった。
「アリス、ねぇアリス・マーガトロイド」
決意を固め、アリスは目を開く。
映り込んできたのは、輝夜の笑み。
これ以上はないと言うほどの、笑顔。
「……なぁに、蓬莱山輝夜」
気付けば、前髪が触れ合っている。
或いは、今度こそ本当に、‘力‘が使われたのかもしれない。
目を離せない自身に心の内で舌打ちし、アリスもまた、迎え撃つように笑った。
――結果論で言えば、アリスの選択は間違いだった。輝夜を真正面から捉えてはいけない。そう、彼女は適当にいなすべきだったのだ。
「私ねぇ、酔っちゃったみたい」
(貴女がそんな程度で酔うはずがないでしょう)
「それになんだか寒くなってきたわ」
(抜けてる! それお酒抜けてきてる証拠!)
「ねぇだから、温めて」
(炬燵のスイッチを強に……あぁ足が伸ばせない!)
「アリス、ねぇアリス。
他の誰かや何かじゃヤぁよ。
アリス、貴女に温めて欲しいの」
(まずは首筋から鎖骨に舌を……じゃない! まずいまずいまずい!?)
「さぁアリス、触れ合い、舐め合い、そして、貪り合いましょう」
「ぶっ!? ノー子作り! ノーボディラブトーク!」
「やだアリス、女の子同士で子作りは出来ないわ」
満面の笑みで揚げ足を取る輝夜に、アリスの何処かがぶちりと切れた。
「っんな問題じゃないでしょう!?
大体何よさっきから喧嘩売っているみたいに!
珍しく遊びに来たんだから、もっと和やかに話し合いましょうよ!
そうよ、初めて貴女に呼び出された時、言ったじゃないの!
私たちはお友達、重なり合うのはノーセンキュー!」
口を開け、唾が飛ぶのもお構いなしに、アリスは叫んだ。
言葉に一切の嘘はなく、駆け引きもへったくれもない。
ただただ思う全てを輝夜へとぶつけた。
そして、肩で息を吐きながら、輝夜の反応を待った。
返されたのは、静かな、穏やかな微笑。
アリスの胸中が後悔で占められる。
行動故か、発言故か。
否、それらよりもなお強く、策に嵌ったと言う感覚が強かった。
「怒ったわね、アリス。
だけど、私の方がもっと怒っているの。
どうしてと言う顔をしているわね、憎らしいわ」
そう。輝夜が引きだそうとしていたものは、アリスの怒りであり、その言葉だった。
「貴女が言ったように、私たちはお友達。
私だって、和やかにお話がしたかったわ。
それはもう、きっと、貴女が思っている以上にね」
だと言うのに――呟き、頬を膨らませる輝夜。
ここにきて、漸く、アリスは輝夜の意図を把握した。
だからこそ、口が引きつる。
この流れはまずい。
思った時には顔を背けてしまっていて、それはつまり、自身に非があると認めることと同義だ。
「だと言うのに、アリス。
『珍しく』、そうね、その通りだわ。
だって、貴女はちっとも遊びにきやしないんだもの」
だから、輝夜は怒っているのだった。
アリスの頬につぅと汗が流れる。
ぐうの音も出ないほど、輝夜の言う通りなのだ。
友達になってからは一度遊んだきり、アリスは輝夜を訪れていない。
(だけれど……)――咄嗟に浮かんだ反論を、アリスは考えることなく口にする。
「貴女だって、ウチに来りはしていないわ」
直後、更に顔を背けた。
墓穴を掘ったと言う自覚がある。
この面倒くさい友人が、その反論を予想していない訳がない。
やはりと言うべきか、輝夜が即座に迎撃する。
「そうね、それもその通り。
貴女は一人暮らしで色々と忙しいでしょうから、遠慮していたの。
あぁ、ひょっとしたら貴女もそう言う配慮をしてくれていたのかしら」
こつりこつりと軽くぶつけられる額が、輝夜の本音を伝えていた――『してないわよねぇ』。
限界ぎりぎりまで背けている顔が、アリスの心中を物語っていた――『あぃ』。
「……思えば、遠慮も配慮も必要ないわよね。
だって、私たちはお友達なんですもの。
うぅん、ともかく……」
それでもなお、輝夜は追撃の手を緩めない。
「ともかく、アリス、貴女は、あれから二度ほど此処に来ているでしょう?」
事実だった。
アリスは‘此処‘永遠亭を訪れている。
一度目は鎮痛剤を受け取りに、二度目は今でも服用している胡蝶夢丸のためだった。
「でも、だって!」
袋小路に追い込まれる感覚を深く味わいつつ、アリスは、最後の切り札を叩きつける。
「輝夜、貴女はその日、いなかったじゃない!」
「一度目はね。でも、二度目は?」
「oh……」
全てを出し切り息を吐くアリスの表情は、それはもう清々しいほどに爽やかだった。
「oh……、じゃなくて、応えなさいアリス」
「良い発音ね、まるでネイティブみたい」
「ありがとう。で?」
にこりと笑む輝夜。
負けじとアリスも微笑んだ。
互いに、今日一番の笑顔と言えた。
自身の両頬に窄められた指が向けられているのを横目で捉えつつ、アリスは、応えた――。
「うん、なんとなく面倒だった」
アリスさんをかばう訳じゃないけれど、ほら、友達だからこそ、そう言う時もあるよね?
「面倒って! 面倒って!」
「ふぎ、痛い痛いわ、輝夜!?」
「私の心を踏みにじった罰よ! この、この!」
割かし本当に痛いと感じながら、それでもアリスは輝夜の言う所の罰を受け入れた。
当日の光景を想像してみる。
門番の兎に自身の来訪を告げられ、輝夜は自室で待機していたのだろう。
机には、来客用の茶と茶請け、或いは酒とつまみだったのだろうか。
こんなことを話そう、あんな遊びをしよう――輝夜はきっと、楽しみにしていた。
しかし、幾ら待っても待ち人は来ず、ただただ時間だけが過ぎてゆく。
まさか来ないのだろうか、いやそんなはずはない、あぁだけれど。
いいえ、信じて待ちましょう、だって私たちはお友達だもの、ねぇアリス。
そう思われていたこと、そう思ってくれていることを、自惚れではなく、アリスは感じた。
だから、思う。
「もう、輝夜可愛い」
「反省しなさーっい!」
「ふぎぎ、ふぎぎぎ!?」
わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。
暫くして。
肩で息をしながら、乱れた服やら髪やらを整える二名。
けれども未だ輝夜の怒りは収まっていないようで、膨れ顔を続けていた。
一手早く整い終えたアリスは、そんな輝夜の頬を突きつつ、言う。
「この顔が見れるなら、また当分放っておこうかしら」
「貴女ねぇ……」
「冗談よ」
じとりと半眼を向けてくる輝夜に、アリスはくすりと笑う。
勿論、本気で言っている訳ではない。
返される反応を楽しんでいた。
そして、続く輝夜の動きもまた、心底可愛らしいと思う。
「んっ」
撥音とともに突き出される小指。
その理由を聞く必要はなかった。
だから、自身も小指を差し出す。
(ほんともう、可愛いんだから)――確かに、アリスはそう思った。
「流石に私も針千本を飲みたくはないわね」
「あら、そんな甘いものじゃなくてよ?」
「まぁ恐ろしいこと」
小指と小指が絡まる。
「指きりげんまん」
視線と視線がぶつかり――
「遊びに来なかったら」
――次の一瞬、アリスの視界から輝夜が消えた。
耳に、輝夜の呼気が伝わる。
鼻を、輝夜の髪の香りが覆う。
頭が、輝夜の存在を、否応なく、求めた。
思考が混乱する真っ只中で、アリスは、一つの認識を刻み込まれた――輝夜を、真正面で捉えてはいけない。
「本当に、おとしちゃうんだから」
ぞくり。
背が凍り、心が震える。
その言葉に意味は幾つかあるが、問い返す必要はない。
たった一つの制約で、アリスは心臓を鷲掴みにされたかのような感覚を覚えた。
輝夜の表情は推測できる。
笑っているのだろう、とアリスは断じた。
けれど、その笑みを想像できない、形容する言葉が見当たらない。
ほんの少し視界をずらせば推測は裏付けられ、浮かばない想像は現実として突き付けられる。
けれど、だけれど、輝夜を真正面で捉えられない。
『おとす』。
なんと甘美で暴力的な響き。
その暁には、地位も名誉も全てを捨てて、この少女を求めてしまうのだろう。
古の貴人たちのように、そして、‘月の頭脳‘のように。
――そうね。
同意のような呟きが聞こえ、アリスは我にかえる。
気付けば、また輝夜と額合わせになっていた。
口元は笑んでいるが、目は閉じられている。
絡み合う小指越しに、アリスは輝夜を見た。
「『遊びに来ない』範囲を決めましょう。
三か月……うぅん、貴女も何かと忙しいでしょうし。
四か月、うん、百二十日あれば、そのうちの一日くらい貰っても良いわよね」
持ちかけられた提案に、アリスは心の内で苦笑する。
長いスパンは、輝夜のためでもあり、アリスのためでもあるのだろう。
実際にどうこうするというのはさておいて、約束を違えれば、罰を実行に移さなくてはならない。
それは、輝夜にとって、曰く『数少ない友達』をヒトリなくすことと同義だった。
「ね?」
「ええ」
「じゃあ」
アリスにしても同じことが言える。
少なくとも、輝夜には、『おとす』自信があるのだ。
だから、その提案は、輝夜なりのアリスへの配慮なのだろう。
そこまで考え、アリスは、浮かべていた笑みを、意識して不敵なものに変えた。
(そう、配慮)
(ふざけないで、輝夜)
(私たちはお友達、そんなものは必要ないわ)
「指、きった」
約束を交わし、指が離れ、輝夜の目が開く。
輝夜は、心底嬉しそうに笑んでいた。
そんな彼女に、アリスも、笑顔で言ってのける。
「うん、行けたら行くわ」
この言葉を与えられた瞬間の姫様の表情を表現できない筆者をお許しください。
「ッリース!」
「ふぎぎ、痛い痛いわ、輝夜!?」
「なによその、この、こ、もぉ、もーぉっ!」
輝夜の口から迸る、意味のない言葉たち。
代わりとばかりに身体で訴える。
貴女の思いは伝わった、と。
裏腹な言葉を裏腹な態度で返し、互いを互いに友と認める少女たちは、こうして心の交流を続けるのであった――。
《Q:体の交流は?》
「……あ、この状態って所謂乳合わせね!」
「あのね輝夜、友達として言わせてもらうけど、どうかと思う」
「私も貴女も大きくはないけれど、こう密着して腰を締め付けられ、られ、アァァリスブリーカァァァ!?」
《A:ほどほどにね》
妖艶なようで子供のようでもある姫様マジかわいい。振り回されたり手玉に取ったりしてるアリスさんマジかわいい
ではでは、平然と期日を破られた姫様の、アリスおとし物語を期待期待ィ!
だけど所々オープンすぎや!