※『第7回稗田文芸賞』『第8回稗田文芸賞』を読まれていない方は先にそちらからどうぞ。
文学賞異変!? ―博麗霊夢×伊吹萃香、文学賞ブームをメッタ斬り!―
未だ醒めやらぬ幻想郷の文芸ブーム。その中で、第126季はまさに《文学賞異変》とも言うべき年となった。睦月のパチュリー・ノーレッジ賞の設立を契機として、これまで稗田出版の主催する稗田文芸賞のみだった文学賞が次々と新規に創設。空前の文学賞ブームが巻き起こったのである。
そんな雨後の筍のごとく乱立した文学賞を、毎度おなじみ博麗霊夢&伊吹萃香のコンビが今回も容赦なくメッタ斬り! どの賞がどんな作品に受賞し、どのような賞になっていくのか?そしてこの文学賞ブームがもたらすものは? 幻想郷の文芸ブームはどこへ行き着くのか!?
<新設文学賞一覧>
パチュリー・ノーレッジ賞(スカーレット・パブリッシング主催、毎年睦月発表)
選考委員:パチュリー・ノーレッジ
賞金:なし(紅魔館付属図書館永久利用パス)
第1回受賞作:米井恋『サブタレイニアン・ラブハート』(旧地獄堂出版)
八坂神奈子賞〈小説部門〉(鴉天狗出版部主催、毎年卯月発表)
選考委員:八坂神奈子、姫海棠はたて、伊吹萃香、永江衣玖
賞金:六十貫文
第1回受賞作:大橋もみじ『白狼の咆哮』全6巻(鴉天狗出版部)、船水三波『大海原の小さな家族』(命蓮寺)
稗田児童文芸賞(稗田出版主催、毎年葉月発表)
選考委員:上白沢慧音、八雲藍、聖白蓮
賞金:二十貫文
第1回受賞作:宇津保凛『イカロスは太陽の夢を見る』(旧地獄堂出版)
幻想郷恋愛文学賞(博麗神社主催、毎年霜月発表)
選考委員:レティ・ホワイトロック、風見幽香、東風谷早苗
賞金:十貫文
第1回受賞作:マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(博麗神社)
萃香 まーなんというか、《パチュリー・ノーレッジ賞》創設のニュースが出た時点で予想した通りの展開になったねえ(苦笑)。いや、《八坂神奈子賞》はもう少し前から創設の噂はあったけどさあ。ていうかこの霊夢までその片棒担いでるし。
霊夢 あによ、人の勝手でしょ。ていうかあんたも片棒担いでるじゃない。
萃香 実際なんで《幻想郷恋愛文学賞》なんて作ったのさ? 自分で選考委員やるわけでもないのに。
霊夢 稗田文芸賞じゃ、アリスの奴いつまで経っても獲れなさそうだしねえ。
萃香 救済策? それじゃパチュリーと一緒じゃんよ(苦笑)。
霊夢 宣伝よ宣伝。《候補作》より《受賞作》の方が箔が付くでしょ。
萃香 うわ、堂々とマッチポンプ宣言! いいのそれで?
霊夢 言っておくけど、アリス……アイリスを選んだのは選考委員のレティと幽香と早苗だからね。私は選考にはノータッチよ。
萃香 ホントかなあ(苦笑)。んじゃ、順序は逆になるけど先に幻想郷恋愛文学賞から見ていこうか。その名前通り、一年間に発表された恋愛小説から最優秀作を選ぶ賞だね。第一回は候補作がマーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』、虹川月音『膝の上の君』、厄井和音『くるくる回るオルゴール』、青娥娘々『肢体』。この候補作って霊夢が選んだんだよね?
霊夢 阿求にも手伝ってもらったけどね。
萃香 まあ、今年出た恋愛小説の中からならわりと無難なセレクトだと思うけど。でも青娥娘々の『肢体』だけ浮きすぎじゃない?(苦笑) 付き合った恋人が必ず早死にしちゃう主人公が、その死体を保存して自分の惹かれたパーツをつなぎ合わせて理想の恋人を作ろうとする話。いや面白いし確かにある意味究極の恋愛小説だけどさあ。他の三つと並べると羊の檻に紛れ込んだ狼だよ(笑)。
霊夢 恋愛小説賞って言ったって、似たようなのばっかりじゃ面白くないじゃない。
萃香 うーん(苦笑)。選評がこないだ発表されたけど、その青娥娘々は早苗が推したんだね。人間が喜ぶような話かなあ? いや早苗の感性が人間の標準だとは思わないけど(笑)。そういやなんで特に作家やってるわけでもない早苗が選考委員に入ってるの? 恋愛小説賞で人間枠なら阿求でいいじゃん。
霊夢 阿求に頼もうとしたら幽香に反対されたのよ。選考委員は重労働だから、これ以上阿求に無理させないで頂戴、って。
萃香 過保護だねえ(苦笑)。
霊夢 ま、別に選ぶのは普通の読者でもいいんじゃない、ってのは思ってたからね。一般読者代表よ、早苗のやつは。
萃香 一般……? まあいいか。選評見ると、早苗はアイリスと青娥娘々推し、幽香がアイリスと厄井和音推し、レティがアイリスと虹川月音推しで、三人とも推したアイリスが受賞か。ま、『ドールハウスにただいま』は評判もいいし、私も別に結果に文句は無いけど。稗田文芸賞の候補作発表もそろそろだけど、あわよくばそっちとの二冠狙い?(笑)
霊夢 さて、ね。
萃香 稗田文芸賞は別の機会に語るとして、その稗田出版も新しい賞作ったね。稗田児童文芸賞。対象は期間内に発表された「児童・若者を対象とした小説作品」。ジュヴナイルが今まで稗田文芸賞にスルーされてたし、いいんじゃない?
霊夢 慧音の要望らしいわよ。もともと寺子屋で勝手に推薦図書みたいなの作ってたらしいんだけど、子供向けの作品書いてる作家にも励みになるような賞が必要じゃないかって。
萃香 おお、先生らしいことしとる(笑)。で、自分で選考委員もやってるわけだ。他の委員が藍と白蓮ってのも解りやすいね。で、受賞作が宇津保凛のイカロスシリーズ最終巻、『イカロスは太陽を夢見る』。まあ、これしかないだろうって選択かな。実質的にはイカロスシリーズ三部作への受賞だろうね。
霊夢 稗田文芸賞でスルーするには勿体ない作品だったし、いいんじゃない?
萃香 だねえ。ただまあ、イカロスシリーズはいい作品だけど、良くも悪くも「大人が子供に読ませたくなる」って感じだから、実際子供受けはどうなのかね? 子供はもっと門前美鈴の『風雲少女・リンメイが行く!』みたいな軽くて読みやすい冒険活劇が好きなんじゃないの?
霊夢 大人が子供に求めるものと、子供が求めてるものは食い違うものよ。
萃香 ま、大人の推薦図書は子供からは敬遠されるものだよね(苦笑)。
霊夢 ていうか、軽くて読みやすい冒険活劇が好きなのってあんたとか文じゃないの?
萃香 うるさいなあ。
霊夢 で、あんたが噛んでる《八坂神奈子賞》はどうなのよ?
萃香 小説部門とノンフィクション部門があるんだけど、私が噛んでるのは小説部門の方だね。稗田文芸賞に絡んでる文への対抗で、はたてが強引に神奈子を説得して作ったそうだよ(笑)。対象は「エンターテインメント性に満ちた、意欲的な娯楽小説」。わりと文学性重視の稗田文芸賞への完全なカウンターだね。面白けりゃなんでもよし。
霊夢 ああ、作ったのってあのホタテだか掘っ立てだかいう天狗の方なのね。
萃香 文が選考委員やりたがりそうな賞を作って、仲間に入れないっていう嫌がらせなんだろうね(笑)。
霊夢 醜い争いねえ。候補作のうち、船水三波『大海原の小さな家族』と門前美鈴『そして大地は眠る』のふたつは稗田文芸賞の落選作。残りが因幡てゐ『月夜に跳ねる、跳ねるはウサギ』と大橋もみじ『白狼の咆哮』全六巻、小松町子『幽霊屋台の縁日騒動』。……改めて見ても、見事にあんたが好きって言ってた作品で固まってるわねえ。
萃香 だってそういう作品を評価する賞なんだから仕方ないじゃんさ!
霊夢 まあいいけど。でも受賞作が『白狼の咆哮』なのはちょっとお手盛りじゃないの? 完結のご祝儀受賞ってのはまあ、解らなくもないけど。いきなり二作受賞で『大海原の小さな家族』と同時受賞ってのも、そういう印象薄める作為を感じるんだけど。
萃香 私ゃ『そして大地は眠る』を推したんだよう。散々迷ったけどさあ。
霊夢 で、撃沈したと。
萃香 いけると思ったんだけどなぁ……。文が否定してたからはたては乗ってくれると思ったのに、はたては最初から『白狼』一点推しだったし、神奈子の名前の賞だから神奈子が乗ってくれれば勝てたんだけどなあ。
霊夢 ああ、『大海原』が獲ったのは神奈子が推したからなのね。
萃香 ぐぬぬ。どれも好きな作品だけに半端に嬉しいのが余計に悔しい……。門前美鈴はこのまま賞に縁の無い作家生活が続くのかねえ。
霊夢 伊吹萃香賞でも作ればいいじゃない。
萃香 うるさいなあ(苦笑)。
霊夢 で、最後。今年のこの流れの元凶、《パチュリー・ノーレッジ賞》。
萃香 これについてはもう語る必要無くない?(苦笑) ま、一応説明しておくと、一昨年の第7回稗田文芸賞で、パチュリーは米井恋の『インビジブル・ハート』を推しまくったんだけど、他の委員の猛反対であえなく撃沈。そんで去年、米井恋の新作『サブタレイニアン・ラブハート』をパチュリーはもう出た直後から絶賛しまくってて、第8回で候補に挙がったら今度こそと意気込んでたんだけど、候補にさえしてもらえなかった(苦笑)。選考会を欠席するぐらいショックだったみたいで、選評でも候補作の選定にさんざん文句つけて、んで結局自分で賞をつくって表彰することにしたと(笑)。
霊夢 ま、遅かれ早かれこんなことになりそうな気はしてたけどねえ。
萃香 確かに、米井恋みたいなとんがりまくった才能は、合議制の賞じゃ評価されにくいからね。そういうのを評価しうる賞を作ろうってこと自体はいいんだよ。ただ経緯が経緯だから、単にパチュリーの憂さ晴らし賞って言われてるのがなんとも(苦笑)。
霊夢 というか、実質米井恋にあげるためだけに作った賞でしょ、これ。来年どうすんのかしら?
萃香 さあ、どうすんだろね(笑)。ま、延々と「受賞作無し」が続く賞があってもいいんじゃないの?(苦笑) もしくは重複受賞を認めて、米井恋が新作出し続ける限り受賞し続ける賞にするとか(笑)。
霊夢 なんでもいいわよ、もう。
萃香 そんなわけで、今年の新設文学賞をざっと振り返ってきたわけだけど。
霊夢 さて、本家本元の稗田文芸賞はどうすんのかしらね?
萃香 まあ、基本的には今まで通りやるんじゃない? 《八坂神奈子賞》も《幻想郷恋愛文学賞》も選考委員は被ってないから、稗田文芸賞の方は別に気にしないんじゃないかね。
霊夢 パチュリーの奴はどうするのかしらね、これ。
萃香 これからはパチュリーの推す作品はパチュリー賞でやれって言われるのかね(苦笑)。
霊夢 結局それってパチュリーの肩身が狭くなっただけじゃない。
萃香 私に言われても知らんよ(苦笑)。
(文々。新聞 師走5日号3面より)
第9回稗田文芸賞候補作発表
幻想郷文芸振興会は17日、第9回稗田文芸賞の候補作を発表した。
今回は6作品がノミネート。今年新設された《幻想郷恋愛文学賞》の受賞作であるマーガレット・アイリス氏の『ドールハウスにただいま』などが名を連ねた。
選考会は25日、人間の里の稗田邸にて行われる。
候補作は以下の通り。
マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(博麗神社)
大橋もみじ『盤上の将を射よ』(鴉天狗出版部)
厄井和音『くるくる回るオルゴール』(稗田出版)
小松町子『動物屋敷の仙果さま』(是非曲直庁出版部)
古明地さとり『六花』(旧地獄堂出版)
幽谷響子『リピート・アフター・ミー』(命蓮寺)
(文々。新聞 師走18日号1面より)
博麗霊夢&伊吹萃香の第9回稗田文芸賞メッタ斬り!
今年もこの季節がやってきた! 毎年恒例、天下御免のメッタ斬りコンビが、今年も稗田文芸賞候補作を徹底的に叩っ斬る! 果たして今年の栄光は誰の手に?
◆受賞レース予想&作品評価
(◎…本命 ○…対抗 ▲…大穴 評価はA~Eの五段階)
霊夢 萃香
◎A ○B マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(稗田出版)4回目
○B -A 大橋もみじ『盤上の将を射よ』(鴉天狗出版部)3回目
-B -C 厄井和音『くるくる回るオルゴール』(稗田出版)2回目
-B -B 小松町子『動物屋敷の仙果さま』(是非曲直庁出版部)2回目
▲C ○A 古明地さとり『六花』(旧地獄堂出版)初
-C -C 幽谷響子『リピート・アフター・ミー』(命蓮寺)初
◆マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(博麗神社)4回目
予想…霊夢◎ 萃香○ 評価…霊夢A 萃香B
霊夢 (予想シートを見て)ん? あんた、本命印なし?
萃香 んー、悩んだんだけど、結局どれが本命か決められなかった。ま、豊作だった前回に比べるとちょっと小粒だしねえ。別に悪いラインナップじゃないんだけど。案外受賞作無しもあるんじゃないかと思って、今回は敢えて本命無しで。
霊夢 ま、確かに小粒っちゃ小粒よね。でも今回はアリス、じゃないアイリスでしょ。
萃香 自分とこで賞あげたばっかりじゃん!(苦笑) まあ、世間的に見ても確かに今回はマーガレット・アイリスが本命なんだろうけどさ。『ドールハウスにただいま』は、第1回幻想郷恋愛文学賞も取った恋愛小説。ドールハウス職人の主人公が、自分の作るドールハウスにぴったりの人形を作る人形師に恋をするパートと、ドールハウスの中での意志をもった人形同士の恋を描くパートが同時進行で描かれて、ラストであっと言わせるちょっとトリッキーな作品だね。初期に『マスカレード・スコープ』とか『ビスクドールの柩』でやってたのを、最近メインで書いてる恋愛小説に持ち込んでみた感じの。
霊夢 昔の作品に比べたら、さすがに随分達者になったんじゃない? 去年候補にならなかった『嘘つき人形は魔法で踊る』も良かったけど、今回はちょっと感心したわ。最後の仕掛けも、単なるちゃぶ台返しじゃなく、最後の最後で物語の意味を反転させた上で、そこまでの些細な違和感を綺麗に片付けてきっちりまとまる構成になってるし。
萃香 おお、霊夢がアイリスを褒める褒める(笑)。うん、実際上手くなったと思うよ。心理描写を流す作風はいつも通りだけど、情景や登場人物のちょっとした仕草で感情を表現するのがすごく巧みになった。ただ、その分だけ映像的すぎるって言われるのかも。
霊夢 それはさすがに難癖じゃない? 心理描写をくどくど書き連ねるだけが小説でもないでしょうに。
萃香 まあ、そうなんだけど。あと、基本的にこういうトリッキーな作品は今まであまり受賞してないってのも気になるかな。前回の『土の家』と『雲の上の虹をめざして』も、その前の『輪廻の花』も、物語自体はシンプルな構造だし。
霊夢 ま、パチュリーが推すでしょ。慧音もこれなら文句言わないだろうし、あとは阿求あたりが味方につけばすんなり決まるでしょ。
萃香 で、さらに売れて神社も潤って万々歳?(笑)
霊夢 誰も損しないんだからそれでいいじゃない。
◆大橋もみじ『盤上の将を射よ』(鴉天狗出版部)3回目
予想…霊夢○ 萃香- 評価…霊夢B 萃香A
萃香 さて、お次は第1回八坂神奈子賞受賞者の大橋もみじ。と言ってもアイリスと違ってこっちは受賞作じゃ無く、その後に出た書き下ろしの新刊だね。落ちこぼれの白狼天狗が、大将棋と出会ってその才能を開花させていく様を描いた将棋小説。
霊夢 むしろこっちに八坂神奈子賞あげれば良かったんじゃないの?
萃香 それは言っても仕方ないじゃん(苦笑)。ま、実際まさにそういう問答無用で面白い将棋エンターテイメントだね。大将棋のルールはめちゃくちゃ複雑だから、そのへんの説明はだいぶ流してるんだけど、そのせいか新しい駒がどんどん出てきて局面が二転三転していく様がすごいスリリングに書けてる。スペルカードの応酬みたいだよね(笑)。
霊夢 私も大将棋のルールはさっぱりだけど、それでも面白く読ませるんだからよく出来てると思うわよ。軽いから、慧音あたりがうるさいかもしれないけど、阿求あたりも好きそうだし。これなら文も特に文句言わないんじゃない?
萃香 いや、どうだろう(苦笑)。八坂神奈子賞でハブられたこと根に持ってそうだからなあ。
霊夢 それ、受賞者は別に悪くないじゃない。
萃香 これ推すんだったら『白狼の咆哮』がこっちの候補になったときも推してるよ。
霊夢 あー。
萃香 私は好きな作品だし、希望としちゃ獲ってくれれば嬉しいんだけどさあ。八坂神奈子賞に続いて一年で二度も大橋もみじが賞を獲るなんて生意気だ、とか言って文が猛反対しそうな気しかしない(苦笑)。
霊夢 心が狭いわねえ。
萃香 広かったら『うちの上司が横暴なんですけど。』のときに獲ってるよ(笑)。
◆厄井和音『くるくる回るオルゴール』(稗田出版)2回目
予想…霊夢- 萃香- 評価…霊夢B 萃香C
霊夢 で、こっちはアイリスが獲った第一回幻想郷恋愛文学賞の落選作。稗田文芸賞でまたアイリスとやり合うことになるとはねえ。
萃香 この候補入りはどうなんだろうねえ。別にこれ単体として見ればそう悪い作品じゃあないけど、『ドールハウスにただいま』と一緒に候補にするこたあ無いよねえ。……って、そういや前に候補になったときも厄井和音に対してそんなこと言ってた気がする(苦笑)。
霊夢 まあ、作品としては『ドールハウスにただいま』の方が上でしょ。
萃香 それは私も同感。あげる気無いなら候補にしなきゃいいのに……。いや、でも、もしアイリスがあのラストの仕掛けとかに難癖つけられて消えればこっちの可能性あるのかな。
霊夢 アイリスのよりは解りやすい、ってか王道の恋愛小説だからねえ。
萃香 手作りのオルゴールだけを残して消えた恋人を主人公が探して回るんだけど、いつもすんでのところで会えなくて――っていうパターンを繰り返す話。探して探して探し続けて、でも会えないでいるうちに恋人のことをだんだん忘れてしまいそうになる主人公の哀しみが、回るオルゴールの上で永遠に追いかけっこを続ける人形に乗せて語られて。あ、そういえば人形対決だ(笑)。
霊夢 こっちはアイリスと違って心理描写をきっちり書き込むタイプね。主人公の孤独感なんかはよく書けてるんじゃない。ちょっとくどくて中盤だれるけど。恋人を探す場面がちょっとミステリーっぽいのは、前の候補作もそんな感じだったわね。ま、いい話だし、阿求あたりこういうの好きかもね。わりとベタだし、『雪桜の街』路線で。
萃香 でもさー、話がベタなパターンの繰り返しなのはまあいいとして、結局主人公がふりだしに戻って諦めて立ち止まってたら相手の方が一周して戻ってくるっていうこのオチはどうなのよ?(笑) さすがに脱力じゃない? 恋人が消えた理由も結局きちんと説明してないし。
霊夢 恋人が消えた具体的な理由は別に説明しなくてもいいんじゃないの? この話の主眼は「どうして恋人が消えたか」じゃなく「どうしてここまでして自分は恋人を探し続けるのか」っていう主人公の心理描写だし。
萃香 うーん、ま、でも受賞は無いだろうね。というかこれ入れるんだったら、それこそ青娥娘々の『肢体』を候補にした方がまだ面白かったのに。ま、うん、次行こう次。
霊夢 あんた相変わらず恋愛小説苦手ねえ。
萃香 うっさいなあ、もう。
◆小松町子『動物屋敷の仙果さま』(是非曲直庁出版部)2回目
予想…霊夢- 萃香- 評価…霊夢B 萃香B
霊夢 なーんかこの「仙果さま」って知ってる奴のような気がするのよねえ。
萃香 あれ、霊夢もそう思うの? 私もなーんか知り合いのような気がするんだよなあ。
霊夢 あんたも? ふうん……ま、ともかく。山奥に立つ、動物だらけの大きな屋敷に暮らす正体不明の少女「仙果さま」の元に、悩み事を抱えた連中がやってきて、仙果さまがそれを解決してやるっていう短編連作ね。仙果さまには秘密があって、最終的には依頼人が仙果さまの秘密を解き明かすっていう話になって。
萃香 第7回の候補だった『そして、死神は笑う。』と似た雰囲気の作品だよね。仙果さまがなんだかズレてて、説教臭いくせに失敗も多くて七転八倒しながら問題解決に奔走するあたりは笑って読めるんだけど、なーんかやっぱり知り合いのような気が……。
霊夢 (無視して)ま、『そして、死神は笑う。』で獲れなかったんだから、これで受賞は無いでしょ。似たようなタイプの連作だけど、こっちのがさらに軽いし。ていうかこれジュヴナイルじゃないの?
萃香 もともと小松町子の作風はそっち寄りだしねえ(苦笑)。軽さ自体は前回『土の家』が獲ったからそんなにネックにはならないと思うけど、『土の家』が地底社会を描くっていう通底したテーマがあったのに対して、こっちは仙果さまのキャラクターで読ませる連作だから、浅いってことは言われちゃいそうかなあ。そのへんの深い浅いで評価する作品じゃないと思うけど。こういうの推すとすれば文か幽々子だと思うけど、受賞させるには決定打に欠ける感じ。
霊夢 猫の描写にもうちょっと力入れてれば藍と阿求が推したかもしれないけど。
萃香 それはどうだろう(苦笑)。
◆古明地さとり『六花』(旧地獄堂出版)初
予想…霊夢▲ 萃香○ 評価…霊夢C 萃香A
萃香 さて、刊行当初から書評家筋では評判だった、今回の注目株。
霊夢 これ、ねえ。うーん。
萃香 ジャンル的にはミステリーだけど、凝った構成の話でね。詳しく語ってったら時間かかるから実際に読んで貰った方が早いんだけど(苦笑)。ざっくり説明すると、全体が六つの手記で構成されていて、順番に読んでいくと手記の書き手たちが少しずつ関わったひとつの事件がだんだん明らかになっていくんだけど、それぞれの記述が矛盾し合って、最終的にいったい誰が真実を語っていたのか、そもそも本当に事件があったのか、どの手記が現実でどの手記が創作なのか、なんだかよく解らないまま終わる。とまあ、そういう構造だけなら先行作も既にあるんだけど、びっくりするのはその文体。
霊夢 六つの手記で、文体が全然違うのよね。
萃香 そう、まるで六人の作家で合作したみたいな文体変化。幽々子みたいな美文体があったかと思ったら、慧音みたいな堅苦しい文章があって、かと思えば魔理沙みたいな軽快な文章だったり、レティみたいな感傷的な文体だったり。その六つの文体が通して読むと無理なく溶け合ってる。描写のひとつひとつもものすごく気が配られてるし。
霊夢 そこが一番の評価ポイントなんでしょうけど、私としちゃ作者のこと考えるとあんまりそれで評価する気にはならないのよねえ。要するに既存の作家の文体模倣でしょ? さとりならそのぐらい何でもなく出来るんじゃないの?
萃香 いや、弾幕の再現と文体模倣はベクトルが違うでしょ(苦笑)。模倣だとしても、このレベルで他人の文体を自分のものにするってのは相当なもんだよ。
霊夢 そういうもんかしらねえ。
萃香 実質的に、マーガレット・アイリスに対抗するならこれじゃない? 作風的にパチュリーがこれを推さないわけがないし、幽々子も好きそう。文体意識の高い作品だから文章にうるさい慧音がこれ推す可能性も十分ある。ただまあ、あの二人が同じ作品を推す光景があんまり浮かばないんだけど(苦笑)。
霊夢 あのふたりが和解するのかしら? そのへん読めなくて、私は大穴扱いなんだけど。藍あたり反対しそうな気もするし、文もあまり好きそうじゃないし。
萃香 藍? あー、こういう主観の不確実性を前に出した作品を受け付けない可能性はあるか。『忘我抄』の読み解きでもパチュリーの意見にだいぶ反論してたしねえ。
霊夢 ここんとこずっと一般向けの作品が獲ってるしねえ。こういうパチュリーや幽々子路線の作品に揺り戻しはあるのかしら? パチュリー賞でやれ、って言われそうな気もするけどね。
◆幽谷響子『リピート・アフター・ミー』(命蓮寺)初
予想…霊夢- 萃香- 評価…霊夢C 萃香C
霊夢 これ、敢えて候補にするほどの作品?
萃香 そう言いなさんなって(苦笑)。まあ私もこれ入れるなら青娥娘々の『肢体』で良かったと思うんだけど。それだと幻想郷恋愛文学賞と候補が重なりすぎるってことなんだろうけどさ。これも別に悪いとは言わないけどさ、うーん。
霊夢 妖怪が人間の赤ん坊を拾って育てるんだけど、人間に見つかって引き離されて――っていう、話自体はどっかで見たような展開なんだけど。赤ん坊が、主人公の言葉を反芻して覚えていく過程の描写にやたら力を入れてるのが特徴ね。攫われた赤ん坊が成長してからを描く後半部では、その教えられた言葉の反芻が後半の鍵になる。
萃香 ラストシーンはいいよね。結局再会できずに終わるんだけど、最後育てられた子供が山に向かって育ての母の名前を叫ぶと、どこからかヤマビコのように自分の名前が返ってきて、それまでずっと同じ言葉の反芻だったのが、最後に互いを呼び合って終わる。育ての母に矛盾した感情を抱えていた子供が、それで救われるっていう。
霊夢 ま、ね。それがあるから「良い話だったなー」っていう満足感はあるけど、それだけって言っちゃえばそれだけなのよねえ。前半は見所があんまり無いから退屈だし。このラストに繋げるために必要だってのは解るけど、言葉を教えていく過程がちょっとくどいし。
萃香 そのへん、もう少しコンパクトにまとめられる話だよねえ。阿求あたりが気に入ってくれるかもしれないけど、まあ、受賞は無いかな。
◆ まとめ ◆
萃香 実質的に、マーガレット・アイリスと古明地さとりの一騎打ちじゃない? 慧音とパチュリーがどっちかで意気投合してくれればすんなり決定だと思うけど、これまで散々やり合ってきたふたりだから、問題はそう簡単に結束してくれるかどーか(苦笑)。どっかで決裂すれば第六回みたいに受賞作無しも十分ありそう。パチュリーがさとり、慧音がアイリス一点推しで譲らなくなるとか(笑)。
霊夢 でも、去年パチュリーが推した二作が受賞してるから、今年もパチュリーの勝ちになるのかしらねえ。それより、今回の動向を握るのは文だと思うけど。文の好きそうな話が大橋もみじぐらいっていうのがどう転ぶか。今までの傾向からして、アイリスやさとりを推すとも思えないし。案外小松町子あたりに行って撃沈するのかしら。
萃香 なんだかんだで今回も割れそうだなあ。
霊夢 幽々子、藍、阿求はどこ行くかしらね。
萃香 阿求は案外、厄井和音とか幽谷響子に行くかもねえ。藍は今回SFが無いから読めない。文々。新聞の書評でもSFとジュヴナイル担当だからねえ。幽々子は……過去に推してたのは大橋もみじと小松町子だけど、素直にそこ行くかなあ。正直藍以上に読めない(苦笑)。
霊夢 割れて揉めたら、なんだかんだでアリスに落ち着くんじゃないの。
萃香 さてさて、どうなることやら。
(文々。新聞 師走22日号 3面文化欄より)
第9回稗田文芸賞に古明地さとりさんの『六花』
第9回稗田文芸賞は25日、人間の里・稗田邸にて選考会が行われ、古明地さとりさんの『六花』(旧地獄堂出版)が受賞作に決まった。授賞式は来月7日、地底・旧都にて行われる。
選考会の模様について、選考委員のパチュリー・ノーレッジ氏は「今回は二作受賞にすべきかで意見が割れ、文学賞が乱立する昨今の文芸界の中における稗田文芸賞のあるべき姿にまで討議は及んだわ。……ゴホッ、最終的には、他の文学賞は関係無く、候補作の中で最も優れたものを選ぼう、という意思確認の上、『六花』が投票によって選ばれ……ゲホッ、ゲホッ」と喘息の発作まじりに語った。また、パチュリー氏と上白沢慧音氏が握手をする場面が見られた。
古明地さとりさんは、地底の旧灼熱地獄跡地に建つ地霊殿の主。デビュー作での稗田文芸賞受賞となった。『六花』は、六つの手記によってひとつの事件を語る技巧的なミステリー。
選評は来月15日発売の『幻想演義』如月号に全文掲載される。
古明地さとりさんの受賞のことば
「今回は初めての作品でこのような光栄な賞をいただき、大変嬉しく思います。小説を書くということは、個人の心の有り様と真摯に向き合うことだと考えます。私は他人の心を読むことができますが、それは私という主観を通した認識でしかない、ということを常に胸に留め、心というものに向き合った作品を今後も書いていきたいと思います」
(文々。新聞 師走26日号1面より)
《選評》
『読み』『書く』という行為 パチュリー・ノーレッジ
近年、稗田文芸賞の選考会において、私と上白沢慧音委員が対立するのが、一種名物のような扱いになっていると聞いた。今回、名物としてそれを期待されている読者がおられた場合、先に申し訳ないと断っておこうと思う。今回、私は慧音委員とともに同じ作品を受賞作として推した。今回、受賞と相成った『六花』である。
六つの手記から、ひとつの事件を多角的に描き出すという構成を持った本作は、しかし技巧的なミステリーの範疇に留まらず、『読む』という行為、『書く』という行為に対してきわめて自覚的であり、叙述と読解の相克を克明に描出した、高度に文学的な構造をもっている。メタフィクション、アンチミステリーの構造と、文体に対する高い意識をもって、『小説』という媒体そのものへの批判的見地から、物語性を一度解体したのち再構築してみせる手腕に舌を巻いた。本作の構造についての詳細な解説は紙幅が足りないため別の機会に譲るが、あらゆる『読み』を許容し、同時に拒絶しつつ、『書く』という行為そのものの意味をも問いかける本作は、幻想郷の文芸を代表する作品として、稗田文芸賞に相応しい。近年の、物わかりの良い優等生的な作品が受賞する傾向を否定するわけではないが、やはり第二回で『クロック』ではなく『桜の下に沈む夢』を送り出した、それが本来の稗田文芸賞の姿であろうと、私は信ずる。その意味で、この上なく理想的な受賞作を迎えることができたことを、喜ばしく思う。
最終投票に残ったのは、他に『ドールハウスにただいま』と『盤上の将を射よ』であった。『ドールハウスにただいま』は、残念ながら相手が悪かったとしか言いようが無い。技術的に格段の進歩が見られ、受賞作としても恥じることのない秀作であるが、『マスカレード・スコープ』で見られたような挑戦的な作風が影を潜め、お行儀の良い作品に留まっているのが惜しまれる。この小説技術を持って、再び彼女の挑戦的な作品を見たいと、一読者として切に思う。
『盤上の将を射よ』は、一気通読の上質なエンターテイメントであり、こちらも『六花』が無ければ受賞作として推されたかもしれない。この二作にはまこと不運であったという他無いが、両氏はそれぞれ別の文学賞において必要十分の評価を与えられていることを踏まえれば、多くの文学賞が並立することの意義もまた見えてこよう。
その他の作品については簡単に。『くるくる回るオルゴール』と『動物屋敷の仙果さま』はいずれも読みやすく、そつなくまとめられた作品であるが、それだけではやはり、稗田文芸賞の受賞作としては及ばない。手癖で「書けてしまう」ことは、ある意味で不幸だ。「何を」書くかについて、作者は常に自覚的でなければならない。『リピート・アフター・ミー』はその意味で自覚的な面は見られたが、いささか技術的な拙さが目に付いた。
新たな文学賞が次々と設立される今、稗田文芸賞の果たすべき役割が問われている。幻想郷文芸振興会代表として、『六花』の受賞をもって、その問いへの答えとしたい。
文体六重奏の深い味わい 西行寺幽々子
以前の選評で、執筆は料理に似ている、という話をしたけれど、その例えに従えば、文体というものはまさに味付けそのもの。誰でも、その人にしか出せない味がにじみ出るのが、文体というものだと思うわ。逆に言えば、文体に味が無ければ、小説は無味乾燥になってしまうもの。個々の善し悪しや好き嫌いは、また別としてね。
その点で、今回の受賞作になった『六花』には驚いたわ。全く味わいの違う六つの文体を、ひとりの作家がこうも自在に使い分けられるものかしら。同じ材料を、同じように調理しながら、全く違う味付けで六種類の料理に仕立てたうえ、それぞれの味の違いが読み比べるごとに舌の上で異なるハーモニーを奏でる、まさに文体の六重奏。それぞれの文体は――自分で言うのもなんだけれど、たとえば二番目の手記の文体は私に似ているように――どこかで読んだことのある文体にも思えるけれど、それは瑕疵ではなく、むしろその全てを自家薬籠中のものとしていることそのものが、この作品の唯一無二の《味》であると思うわ。気持ちよく推すことの出来る作品が受賞作に選ばれるというのは、やはり嬉しいものね。
最終投票で『六花』に敗れた二作、『ドールハウスにただいま』と『盤上の将を射よ』も美味しい作品で、今回の選考会も楽しかったわ。『ドールハウスにただいま』は、以前に候補になったあの不思議な『マスカレード・スコープ』を、もう一度、今度はちゃんと最後に料理が出てくる形で作り直した作品、という印象を受けたわ。前は最後が空っぽで肩すかしを食らったけれど、今回は美味しい料理をちゃんと食べられて、私は満足。選考会でも『六花』の次に推したのだけれど、受賞させてあげられなかったのはちょっと残念ね。
『盤上の将を射よ』は、大盛りのこってりしたとんこつラーメンみたいな、幸福な満腹感をおぼえられる楽しい作品。でも、ちょっと大盛り過ぎて、食べ終わる頃には麺がのびてしまう感じがしたわ。トッピングが多いのは嬉しいけれど、サービスにも限度は必要ということかもしれないわね。
そのほかの作品では、『動物屋敷の仙果さま』が、お茶菓子のような素朴な味わいで、個人的にはお気に入り。選考会ではわりとあっさり落ちてしまったのだけれどね。前に候補になった『そして、死神は笑う。』もそうだったけれど、こういう箸休め的な作品の味わいは、こういう賞では評価されにくいのかもしれないわね。
『くるくる回るオルゴール』と『リピート・アフター・ミー』の二作品は、しっかり手間をかけて作られているのはよく解るけれど、少し調味料の配分に再考の余地があるんじゃないかしら。悲しいけれど、作品という料理を食べる読者には、作者がどれだけの手間暇をかけたかは全く関係のない話。出来上がったものの味わいを見て、不要な味付けは取り除く勇気も、作り手には必要なことなのね。
個性の土台 上白沢慧音
寺子屋で指導する子供たちには、年長になると、里や寺子屋の規則を破ったり、奇抜な格好をしたりして「個性」を主張する者が、常に一定数現れる。そういった子供たちに、私はいつもこう言い聞かせることにしている。個性というものは、外見や行動ではなく、その人の根っこの部分に現れるものだ。あなたは、あなたにしかなれない。あなたという根っこがしっかりしていれば、奇抜なことをしなくても、周りはあなたを認めてくれるのだ、と。
小説にも、同じことが言えよう。小手先の技巧で読者を驚かせたところで、根の細い作品が長く心に残ることはない。しっかりした土台、芯をもった作品こそが、長い年月に耐え、読み継がれていくはずだ。
その意味で、今回の受賞作となった『六花』を、私ははじめ評価しなかった。六種の文体を自在に使い分ける、文章に対する類い希な意識の高さに感心はしたものの、それ故にこの作品からは、書き手の根っこが見えてこなかった。ただ文章を弄ぶパズルのようにも思え、またパチュリー委員の好む奇抜なだけの作品か、と一度は本を閉じたのである。
しかし、そのほかの候補作を読み、もう一度『六花』を手に取ったところで、「なぜこの作者は、このような書き方をしたのだろうか」という疑問がわき起こった。どんな作品も、読めばある程度、作者の意図するところは透けて見えるものだ。しかし、『六花』にはそれが全く見えなかったのである。
本作は、手記という主観を通した文章を並立することで、個々の心理のすれ違いを描くのが主題であると一般には言われている。しかし、それを描くならば、敢えてこのような文体模倣のスタイルを取る必要はあるまい。既に指摘されていることだが、本作で使用される文体には、既存の作家の明らかな模倣が見てとれる。その模倣の技術は確かであるが、それ故に本作は文体模倣の印象の方が強くなってしまい、心理のすれ違いはその陰に隠れてしまう。
だとすれば、本作の主題は、この文体模倣にこそある、と私は考える。本作の文体は、いずれも既存作家の模倣であり、作者である古明地さとり氏の独自の文体と呼べるものは一切登場しない。複数の視点から描き真相を明記しないミステリーも、既に先行作が存在する。この作品は、言ってしまえば全てが借り物なのだ。
肥大化する自意識をもてあまして「個性」を主張する子供たちの、その「個性」は往々にして借り物である。友人や上級生、あるいは大人の模倣をして、当人はそれを「個性」と言い張る。それは彼らが、肥大化した自意識を支えられる自己の根っこを持たないからだ。だから目に見える枝葉にすがり、それを己だと言い張るしかない。
そう、『六花』に描かれているのは、まさにその、模倣によってしか自己を主張できない者の苦悩である。『六花』において、作者自身の姿は文体模倣という枝葉に隠され、明記されることのない真相の裏側でひっそりと震えているのだ。膨らみ続ける自己承認欲求と、それを支えられない不安定な自我のはざまで怯える子供のように。
個性とは、確かな土台の上にしか成立しえない。己の根っこを成長させた者の目に、土台なき者は幼稚に映る。しかし、それは誰もが通ってきた道であるのだ。大人のすべきことは、枝葉の下に隠れた、未成熟な根っこを見いだし、見守ることに他ならない。その意味で、私は選考会で『六花』を推した。この作者の、模倣という枝葉に巧妙に隠された根に、受賞という光を授け育てることが、選考委員としての使命であると感じたのだ。
紙幅が尽きたため、それ以外の作品への論評は他の委員に任せたい。次は選考委員ではなく一読者として、古明地さとり氏の根っこの見える新作を待ちわびたいと思う。
誰のための選考なのか 八雲藍
昨年、この稗田文芸賞の選考委員という大役を任ぜられるに際して、主は私に対してこう語った。「稗田文芸賞は予想なのよ」と。絶対的な公式の存在しない小説の価値を合議によって定めるという不確実性に満ちた選考会の結果は、未証明の公式を予想として提唱するのと同じ。だとすれば、その公式を証明するのは、受賞作を読む読者であるし、そうでなければならない。
しかし、果たしてこの稗田文芸賞は、読者のための予想を為しえているのであろうか。敢えて言うなれば、稗田文芸賞とは誰のために選ばれているのであろうか――その疑問は、選考会を終え、こうして選評を書いている今も、未解決の問題として私の中に留まっている。
今回、受賞作として選ばれたのは古明地さとり氏の『六花』であった。本作については、パチュリー委員、幽々子委員、慧音委員の三人が、それぞれの公式に基づいて受賞作と予想し、それぞれの立場からその価値を熱弁された。その詳細は三氏の選評を参照いただくとして、ここで重要なのは、稗田文芸賞の選考委員は六人である、という点である。そして、前回の選考会に参加して解ったことだが、受賞には委員の過半数の同意が原則となっているようだ。前回、慧音委員と文委員が反対した『雲の上の虹をめざして』に受賞の栄誉を与えられたのは、私、阿求委員、パチュリー委員の三人が推し、幽々子委員が受賞に同意したことで過半数を満たしたからである。『六花』も同様に、三人が強く推し、阿求委員の同意によって過半数を超え受賞となった。――だが、この「過半数が評価した」という事実は、そのまま読者全体に敷衍するには、いささか統計的に分母が少なすぎると言わざるを得ない。
また、本賞の選考委員を務める六名は、実作者であり、日頃から文章に慣れ親しんだ読み巧者である。無論、高度な数式を子供が理解できないように、実作者や読み巧者でなければ評価し得ぬ価値はあろう。しかし、数式は操る者が理解していれば良いが、小説はそうはいかない。三途の川幅を求める数式の価値は、数学を知らぬ者は解らなくても困らないが、広く読まれる小説の価値が、実作者や読み巧者でなければ解きほぐせぬ難題であるべきだろうか。
パチュリー委員は難解な文学理論を駆使し、慧音委員は「作者のためにも受賞させるべきである」と言った。無論、それぞれの価値の公式を私に否定する資格も権利もありはしない。しかし、パチュリー委員の駆使する文学理論を理解できる読者は少数であろうし、慧音委員の言い分をとれば、作品が評価されることが励みにならぬ作者などいないだろう。稗田文芸賞が作者のために与えられるものなら、極論すれば受賞作は「何でもいい」ということになりはしないだろうかと、私は疑問に思う。
選考会という形式そのものへの疑念ばかり記しても選評にはならないことは重々承知している。私個人は、大橋もみじ氏の『盤上の将を射よ』を受賞作と予想した。波瀾万丈の痛快な娯楽作であり、おおよそ小説の面白さについての一般的な公式において、最大公約数に近いであろうこの作品こそ、読者のための予想として相応しいと考えたからである。六人という分母の中での合意を得られなかったが、そのことで私の『盤上』に対する予想は揺るがない。選考会での合意と、私個人の予想。そのどちらが正しいかの証明は、やはりこれから読まれる読者にゆだねたい。
文学性への回帰の意義とは? 射命丸文
睦月に発表された《パチュリー・ノーレッジ賞》の設立以降、それを待ちわびていたかのように、様々な文学賞が幻想郷に乱立することとなりました。今回、稗田文芸賞の選考会にあたっては、先の受賞作発表でパチュリー委員が述べられたように、「他の文学賞は関係無く、候補作の中から最も優れたものを選ぶ」という合意は結ばれましたが、結果だけを見れば、やはり他の文学賞――特に、《八坂神奈子賞》と《幻想郷恋愛文学賞》の影響は避けがたかった、と言うべきではないかと思います。
今回受賞作となった『六花』は、体裁こそミステリーですが、内容的には明らかにパチュリー氏や幽々子氏の流れを汲む文学的な――いささか難解な作品であることは確かでしょう。ここしばらく、文学性と娯楽性の両立した優等生的な作品が選ばれてきましたので、久しぶりに昔の方向性に戻ったというべきなのでしょうが、文芸自体がまだ発展途上だった第二回の頃ならいざ知らず、これだけ幻想郷に文芸が広まり、その好みが多様化した現在において、正直に申し上げてあまり一般受けしなさそうな作品を選ぶのは、稗田文芸賞の将来を考える上では果たして最良の選択であろうかと思う次第であります。また、このタイミングで前述の二賞の受賞者をともに落選させたことも、かえって両賞の存在感を際立たせてしまった気もしましょう。まあ、こんな心配は私の杞憂であって、他の委員は本当に他の文学賞のことなんてあまり気にしていないのかもしれませんが。何しろマイペースな人ばかりなものですから、なんとも。
個人的には、ここは《幻想郷恋愛文学賞》受賞作でもあるマーガレット・アイリス氏の『ドールハウスにただいま』を選ぶのが、稗田文芸賞の近年の方向性にも合致し、また既に九回の伝統をもつ幻想郷最初の文学賞としてあるべき懐の深さであろうと考え、推したのですが、意外なことにあまり他の委員の同意は得られませんでした。もちろん、私個人としてもアイリス氏の今までの作品の中ではもっとも優れていると感じた上での推挽でありましたが、本来なら推してくれたであろう委員が皆『六花』に流れてしまってはどうにもなりませんでした。残念至極。せめて阿求委員が最終投票で推してくれれば二作受賞に持ち込めたかもしれなかったのですが、まあ言っても詮無い話ですね。
『盤上の将を射よ』は楽しい娯楽作ですが、肝心の大将棋描写の後出しジャンケンぶりがどうにも引っかかり、本来こういう作品を推すのは私の仕事なのですが、強くは推しかねました。『動物屋敷の仙果さま』と『くるくる回るオルゴール』は軽く読める作品だっただけに、『六花』のインパクトの前ではほとんど選考会でも黙殺状態になってしまったのが不憫でありましたが、確かにさくっと読める以上の感想が浮かばないのも事実。『リピート・アフター・ミー』は小説自体にまだ不器用さが目に付きましたが、阿求委員は随分とお気に召していたようなので、ある種の人間には強く訴えかける話かもしれません。
私と同じく『六花』の受賞に難色を示した藍委員は、選考会の終わりに「結局、私たちは何のために受賞作を選ぶのか?」という非常に根本的な問いかけを残していきました。その問いは、文学賞の増えたこれから先、もっと根源的に我々選考委員が向き合わねばならない問題なのかもしれませんね。
読書の道しるべとして 稗田阿求
今回、私は『リピート・アフター・ミー』に○をつけて選考会に臨んだ。妖怪に攫われた子供の物語は既に先行作がいくつも書かれており、その中で本作が飛び抜けたものであるかと言われれば、確かにそうではないかもしれない。しかし、終盤まで淡々とした筆致で押さえ込んできた感情を、ふたりが互いの名前をヤマビコのように遠い距離から呼び合うというラストシーンで爆発させる、そのカタルシスに私は一読、震えた。前半に起伏が少なく、言葉の反芻というラストシーンへ繋がる描写もいささか過剰でバランスが悪い、という他の委員の指摘は確かに頷けるものもあり、小説としての完成度では他の候補作には及ばないかもしれない。選考会でも孤立無援、最初の投票であっさり落とされてしまったが、しかし、このラストシーンだけでも本作は候補作として残されるだけの価値はあったと、私は思う。
さて、今年の幻想郷における文芸界の潮流は、今年の稗田文芸賞に対し、根源的な問いを投げかけてきた。即ち、複数の文学賞が並立する中で、稗田文芸賞はどうあるべきか、という問いだ。選考会において、今回の受賞作となった『六花』(本作については強く推した三氏の選評に任せることとする)に対し、藍委員が投げかけた言葉が印象深い。
「確かに貴方たちの言うように、これは優れた作品かもしれません。しかし、これが、貴方たちの言うような意味で『優れている』ことは、果たして読者に伝わるのでしょうか?」
幻想郷にはまだまだ少ないSF作品の書評を一手に手がけ、その価値の啓蒙に努めてきた藍委員のこの言葉は、幻想郷の文芸を牽引してきた今現在の地位に安住しかかっている稗田文芸賞のあり方について、非常に重要な示唆を孕んでいる。
第二回受賞作として、西行寺幽々子氏の『桜の下に沈む夢』を送り出した際も、「結局これはどういう話なのか?」と、人里の道行く人によく尋ねられたことを思い出す。『桜の下に沈む夢』も、今回の受賞作である『六花』も、優れた作品であることは私自身も疑ってはいない。ただ、その価値の理解には、ある程度以上の読書経験が必要であろうということも、また確かである。藍委員や文委員が『六花』の受賞に難色を示したのは、おそらくそういった懸念からであろう。稗田文芸賞受賞作が、少数の読み巧者のみが理解できるものであっていいのか、と。
私は、稗田文芸賞の発起人のひとりとして、その問いにはそう答えたい。「読み巧者がまだ幻想郷に少ないならば、それを増やしていくことが、出版人の役目ではないか」と。そして、稗田文芸賞はそのための道しるべであるべきではなかろうか。
大人の目から見れば他愛ないおとぎ話も、子供にとっては胸躍る読書体験であるように、ひとつの作品の個人にとっての価値もまた、「いつ読むか」によって変わりうる。私自身、数年前にはピンとこなかった作品が、最近読み帰すと実感を持って迫ってくる、といったことがあった。確かに、今回の候補作でいえば『六花』よりも『ドールハウスにただいま』や『盤上の将を射よ』の方が広い支持を集めるであろう。そういった読者に、『六花』の価値は理解されないかもしれない。しかし、『六花』の名は稗田文芸賞受賞作として残る。たとえ今『六花』の価値が広くは理解されなくても、その名が残る限り、いずれ少しずつ、その価値を理解する読者が増えていくように、私たちはより一層の文芸の振興をはからねばならないだろう。
(『幻想演技』如月号巻頭特集「第9回稗田文芸賞全選評」より)
◆受賞作決定と選評を読んで、メッタ斬りコンビの感想
萃香 いやー、歴史的和解が為されたね(笑)。文から聞いたんだけど、選考会後の打ち上げで慧音がすっごいニコニコしながら「今までのことは水に流して、今日は楽しく呑もう」ってパチュリーに絡んでたらしいよ(笑)。
霊夢 ま、それはいいんだけど、選評の内容が偏ったわねえ。藍と文はほとんど選考基準への文句ばっかりだし。アリス……じゃないアイリスなんか実質二番手なのに、あんまり詳しく触れてもらってないし、とことん運が無いというか。
萃香 大橋もみじもね。案の定、文は推さなかったみたいだし(苦笑)。阿求に強く推してもらえてる分、幽谷響子が一番美味しいポジだったのかも。んで、二冠狙いの目論見が失敗したわけだけど、そのへんいかがですか霊夢さん?(笑)
霊夢 私に訊かれてもねえ。ま、世の中そんなもんよ。
萃香 受賞作決定のときには「他の文学賞は関係無く」って言ってたけど、やっぱり同じ文芸界の話だから無関係じゃいられないよね。ま、『六花』にあげたこと自体はいいと思うけど、問題はこれからだよね。八坂神奈子賞や幻想郷恋愛文学賞と候補作が被ることはこの先もあるだろうし、どうすりあわせていくのやら。
霊夢 なるようになるんじゃない? 実際、そこまで細かく文学賞の詳細までチェックしてる読者もそんなに多くないでしょ。そんな大上段に構えなくても、今まで通りマイペースにやってきゃいいのよ。どうせ文句言う奴は何選んだって文句言うんだから。
萃香 そんな身も蓋も無いこと言いなさんなってば(苦笑)。
(文々。新聞 睦月20日号 3面文化欄より)
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幻想演技 水無月号(皐月15日発売)
《巻頭特集》
子供だけのものじゃない、ジュヴナイルの楽しみ――八雲藍×聖白蓮の選ぶ傑作十選
特別書き下ろし短編 宇津保凛『運び屋ニューク』 / 二ッ岩マミゾウ『天野ジャックは嘘をつかない』 / 星丸子虎『キャプテン・カリーの大脱走』
《連載小説》
大橋もみじ『白狼の咆哮〈第二部〉』
富士原モコ『永遠の途中で』
永月夜姫『バイバイ、スプートニク』
白岩怜『眠れない白雪姫』
風見幽香『白いヒマワリの咲く頃』
虹川月音『歩くような速さで』
《短編小説》
パチュリー・ノーレッジ『紙魚の泳ぐ海』
マーガレット・アイリス『球体関節の恋人』
秋静葉『焼芋事件』
青娥娘々『腐乱ドール』
《エッセイ》
伊吹萃香『孤独の呑んべえ』
豊聡耳神子『お話があれば順番に』
稗田阿求『縁側で猫と戯れて』
《評論》
往復書簡―『六花』を読み解く
第3回 上白沢慧音『パチュリー・ノーレッジ氏へ――『六花』の構造的読解に対する疑問』
書評 船水三波『天空の宝船』(評者…永江衣玖)
書評 黒谷ヤマメ『井戸の底にて空を見る』(評者…永月夜姫)
お求めは霧雨書店ほか各書店、または稗田出版通販事業部まで
文学賞異変!? ―博麗霊夢×伊吹萃香、文学賞ブームをメッタ斬り!―
未だ醒めやらぬ幻想郷の文芸ブーム。その中で、第126季はまさに《文学賞異変》とも言うべき年となった。睦月のパチュリー・ノーレッジ賞の設立を契機として、これまで稗田出版の主催する稗田文芸賞のみだった文学賞が次々と新規に創設。空前の文学賞ブームが巻き起こったのである。
そんな雨後の筍のごとく乱立した文学賞を、毎度おなじみ博麗霊夢&伊吹萃香のコンビが今回も容赦なくメッタ斬り! どの賞がどんな作品に受賞し、どのような賞になっていくのか?そしてこの文学賞ブームがもたらすものは? 幻想郷の文芸ブームはどこへ行き着くのか!?
<新設文学賞一覧>
パチュリー・ノーレッジ賞(スカーレット・パブリッシング主催、毎年睦月発表)
選考委員:パチュリー・ノーレッジ
賞金:なし(紅魔館付属図書館永久利用パス)
第1回受賞作:米井恋『サブタレイニアン・ラブハート』(旧地獄堂出版)
八坂神奈子賞〈小説部門〉(鴉天狗出版部主催、毎年卯月発表)
選考委員:八坂神奈子、姫海棠はたて、伊吹萃香、永江衣玖
賞金:六十貫文
第1回受賞作:大橋もみじ『白狼の咆哮』全6巻(鴉天狗出版部)、船水三波『大海原の小さな家族』(命蓮寺)
稗田児童文芸賞(稗田出版主催、毎年葉月発表)
選考委員:上白沢慧音、八雲藍、聖白蓮
賞金:二十貫文
第1回受賞作:宇津保凛『イカロスは太陽の夢を見る』(旧地獄堂出版)
幻想郷恋愛文学賞(博麗神社主催、毎年霜月発表)
選考委員:レティ・ホワイトロック、風見幽香、東風谷早苗
賞金:十貫文
第1回受賞作:マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(博麗神社)
萃香 まーなんというか、《パチュリー・ノーレッジ賞》創設のニュースが出た時点で予想した通りの展開になったねえ(苦笑)。いや、《八坂神奈子賞》はもう少し前から創設の噂はあったけどさあ。ていうかこの霊夢までその片棒担いでるし。
霊夢 あによ、人の勝手でしょ。ていうかあんたも片棒担いでるじゃない。
萃香 実際なんで《幻想郷恋愛文学賞》なんて作ったのさ? 自分で選考委員やるわけでもないのに。
霊夢 稗田文芸賞じゃ、アリスの奴いつまで経っても獲れなさそうだしねえ。
萃香 救済策? それじゃパチュリーと一緒じゃんよ(苦笑)。
霊夢 宣伝よ宣伝。《候補作》より《受賞作》の方が箔が付くでしょ。
萃香 うわ、堂々とマッチポンプ宣言! いいのそれで?
霊夢 言っておくけど、アリス……アイリスを選んだのは選考委員のレティと幽香と早苗だからね。私は選考にはノータッチよ。
萃香 ホントかなあ(苦笑)。んじゃ、順序は逆になるけど先に幻想郷恋愛文学賞から見ていこうか。その名前通り、一年間に発表された恋愛小説から最優秀作を選ぶ賞だね。第一回は候補作がマーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』、虹川月音『膝の上の君』、厄井和音『くるくる回るオルゴール』、青娥娘々『肢体』。この候補作って霊夢が選んだんだよね?
霊夢 阿求にも手伝ってもらったけどね。
萃香 まあ、今年出た恋愛小説の中からならわりと無難なセレクトだと思うけど。でも青娥娘々の『肢体』だけ浮きすぎじゃない?(苦笑) 付き合った恋人が必ず早死にしちゃう主人公が、その死体を保存して自分の惹かれたパーツをつなぎ合わせて理想の恋人を作ろうとする話。いや面白いし確かにある意味究極の恋愛小説だけどさあ。他の三つと並べると羊の檻に紛れ込んだ狼だよ(笑)。
霊夢 恋愛小説賞って言ったって、似たようなのばっかりじゃ面白くないじゃない。
萃香 うーん(苦笑)。選評がこないだ発表されたけど、その青娥娘々は早苗が推したんだね。人間が喜ぶような話かなあ? いや早苗の感性が人間の標準だとは思わないけど(笑)。そういやなんで特に作家やってるわけでもない早苗が選考委員に入ってるの? 恋愛小説賞で人間枠なら阿求でいいじゃん。
霊夢 阿求に頼もうとしたら幽香に反対されたのよ。選考委員は重労働だから、これ以上阿求に無理させないで頂戴、って。
萃香 過保護だねえ(苦笑)。
霊夢 ま、別に選ぶのは普通の読者でもいいんじゃない、ってのは思ってたからね。一般読者代表よ、早苗のやつは。
萃香 一般……? まあいいか。選評見ると、早苗はアイリスと青娥娘々推し、幽香がアイリスと厄井和音推し、レティがアイリスと虹川月音推しで、三人とも推したアイリスが受賞か。ま、『ドールハウスにただいま』は評判もいいし、私も別に結果に文句は無いけど。稗田文芸賞の候補作発表もそろそろだけど、あわよくばそっちとの二冠狙い?(笑)
霊夢 さて、ね。
萃香 稗田文芸賞は別の機会に語るとして、その稗田出版も新しい賞作ったね。稗田児童文芸賞。対象は期間内に発表された「児童・若者を対象とした小説作品」。ジュヴナイルが今まで稗田文芸賞にスルーされてたし、いいんじゃない?
霊夢 慧音の要望らしいわよ。もともと寺子屋で勝手に推薦図書みたいなの作ってたらしいんだけど、子供向けの作品書いてる作家にも励みになるような賞が必要じゃないかって。
萃香 おお、先生らしいことしとる(笑)。で、自分で選考委員もやってるわけだ。他の委員が藍と白蓮ってのも解りやすいね。で、受賞作が宇津保凛のイカロスシリーズ最終巻、『イカロスは太陽を夢見る』。まあ、これしかないだろうって選択かな。実質的にはイカロスシリーズ三部作への受賞だろうね。
霊夢 稗田文芸賞でスルーするには勿体ない作品だったし、いいんじゃない?
萃香 だねえ。ただまあ、イカロスシリーズはいい作品だけど、良くも悪くも「大人が子供に読ませたくなる」って感じだから、実際子供受けはどうなのかね? 子供はもっと門前美鈴の『風雲少女・リンメイが行く!』みたいな軽くて読みやすい冒険活劇が好きなんじゃないの?
霊夢 大人が子供に求めるものと、子供が求めてるものは食い違うものよ。
萃香 ま、大人の推薦図書は子供からは敬遠されるものだよね(苦笑)。
霊夢 ていうか、軽くて読みやすい冒険活劇が好きなのってあんたとか文じゃないの?
萃香 うるさいなあ。
霊夢 で、あんたが噛んでる《八坂神奈子賞》はどうなのよ?
萃香 小説部門とノンフィクション部門があるんだけど、私が噛んでるのは小説部門の方だね。稗田文芸賞に絡んでる文への対抗で、はたてが強引に神奈子を説得して作ったそうだよ(笑)。対象は「エンターテインメント性に満ちた、意欲的な娯楽小説」。わりと文学性重視の稗田文芸賞への完全なカウンターだね。面白けりゃなんでもよし。
霊夢 ああ、作ったのってあのホタテだか掘っ立てだかいう天狗の方なのね。
萃香 文が選考委員やりたがりそうな賞を作って、仲間に入れないっていう嫌がらせなんだろうね(笑)。
霊夢 醜い争いねえ。候補作のうち、船水三波『大海原の小さな家族』と門前美鈴『そして大地は眠る』のふたつは稗田文芸賞の落選作。残りが因幡てゐ『月夜に跳ねる、跳ねるはウサギ』と大橋もみじ『白狼の咆哮』全六巻、小松町子『幽霊屋台の縁日騒動』。……改めて見ても、見事にあんたが好きって言ってた作品で固まってるわねえ。
萃香 だってそういう作品を評価する賞なんだから仕方ないじゃんさ!
霊夢 まあいいけど。でも受賞作が『白狼の咆哮』なのはちょっとお手盛りじゃないの? 完結のご祝儀受賞ってのはまあ、解らなくもないけど。いきなり二作受賞で『大海原の小さな家族』と同時受賞ってのも、そういう印象薄める作為を感じるんだけど。
萃香 私ゃ『そして大地は眠る』を推したんだよう。散々迷ったけどさあ。
霊夢 で、撃沈したと。
萃香 いけると思ったんだけどなぁ……。文が否定してたからはたては乗ってくれると思ったのに、はたては最初から『白狼』一点推しだったし、神奈子の名前の賞だから神奈子が乗ってくれれば勝てたんだけどなあ。
霊夢 ああ、『大海原』が獲ったのは神奈子が推したからなのね。
萃香 ぐぬぬ。どれも好きな作品だけに半端に嬉しいのが余計に悔しい……。門前美鈴はこのまま賞に縁の無い作家生活が続くのかねえ。
霊夢 伊吹萃香賞でも作ればいいじゃない。
萃香 うるさいなあ(苦笑)。
霊夢 で、最後。今年のこの流れの元凶、《パチュリー・ノーレッジ賞》。
萃香 これについてはもう語る必要無くない?(苦笑) ま、一応説明しておくと、一昨年の第7回稗田文芸賞で、パチュリーは米井恋の『インビジブル・ハート』を推しまくったんだけど、他の委員の猛反対であえなく撃沈。そんで去年、米井恋の新作『サブタレイニアン・ラブハート』をパチュリーはもう出た直後から絶賛しまくってて、第8回で候補に挙がったら今度こそと意気込んでたんだけど、候補にさえしてもらえなかった(苦笑)。選考会を欠席するぐらいショックだったみたいで、選評でも候補作の選定にさんざん文句つけて、んで結局自分で賞をつくって表彰することにしたと(笑)。
霊夢 ま、遅かれ早かれこんなことになりそうな気はしてたけどねえ。
萃香 確かに、米井恋みたいなとんがりまくった才能は、合議制の賞じゃ評価されにくいからね。そういうのを評価しうる賞を作ろうってこと自体はいいんだよ。ただ経緯が経緯だから、単にパチュリーの憂さ晴らし賞って言われてるのがなんとも(苦笑)。
霊夢 というか、実質米井恋にあげるためだけに作った賞でしょ、これ。来年どうすんのかしら?
萃香 さあ、どうすんだろね(笑)。ま、延々と「受賞作無し」が続く賞があってもいいんじゃないの?(苦笑) もしくは重複受賞を認めて、米井恋が新作出し続ける限り受賞し続ける賞にするとか(笑)。
霊夢 なんでもいいわよ、もう。
萃香 そんなわけで、今年の新設文学賞をざっと振り返ってきたわけだけど。
霊夢 さて、本家本元の稗田文芸賞はどうすんのかしらね?
萃香 まあ、基本的には今まで通りやるんじゃない? 《八坂神奈子賞》も《幻想郷恋愛文学賞》も選考委員は被ってないから、稗田文芸賞の方は別に気にしないんじゃないかね。
霊夢 パチュリーの奴はどうするのかしらね、これ。
萃香 これからはパチュリーの推す作品はパチュリー賞でやれって言われるのかね(苦笑)。
霊夢 結局それってパチュリーの肩身が狭くなっただけじゃない。
萃香 私に言われても知らんよ(苦笑)。
(文々。新聞 師走5日号3面より)
第9回稗田文芸賞候補作発表
幻想郷文芸振興会は17日、第9回稗田文芸賞の候補作を発表した。
今回は6作品がノミネート。今年新設された《幻想郷恋愛文学賞》の受賞作であるマーガレット・アイリス氏の『ドールハウスにただいま』などが名を連ねた。
選考会は25日、人間の里の稗田邸にて行われる。
候補作は以下の通り。
マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(博麗神社)
大橋もみじ『盤上の将を射よ』(鴉天狗出版部)
厄井和音『くるくる回るオルゴール』(稗田出版)
小松町子『動物屋敷の仙果さま』(是非曲直庁出版部)
古明地さとり『六花』(旧地獄堂出版)
幽谷響子『リピート・アフター・ミー』(命蓮寺)
(文々。新聞 師走18日号1面より)
博麗霊夢&伊吹萃香の第9回稗田文芸賞メッタ斬り!
今年もこの季節がやってきた! 毎年恒例、天下御免のメッタ斬りコンビが、今年も稗田文芸賞候補作を徹底的に叩っ斬る! 果たして今年の栄光は誰の手に?
◆受賞レース予想&作品評価
(◎…本命 ○…対抗 ▲…大穴 評価はA~Eの五段階)
霊夢 萃香
◎A ○B マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(稗田出版)4回目
○B -A 大橋もみじ『盤上の将を射よ』(鴉天狗出版部)3回目
-B -C 厄井和音『くるくる回るオルゴール』(稗田出版)2回目
-B -B 小松町子『動物屋敷の仙果さま』(是非曲直庁出版部)2回目
▲C ○A 古明地さとり『六花』(旧地獄堂出版)初
-C -C 幽谷響子『リピート・アフター・ミー』(命蓮寺)初
◆マーガレット・アイリス『ドールハウスにただいま』(博麗神社)4回目
予想…霊夢◎ 萃香○ 評価…霊夢A 萃香B
霊夢 (予想シートを見て)ん? あんた、本命印なし?
萃香 んー、悩んだんだけど、結局どれが本命か決められなかった。ま、豊作だった前回に比べるとちょっと小粒だしねえ。別に悪いラインナップじゃないんだけど。案外受賞作無しもあるんじゃないかと思って、今回は敢えて本命無しで。
霊夢 ま、確かに小粒っちゃ小粒よね。でも今回はアリス、じゃないアイリスでしょ。
萃香 自分とこで賞あげたばっかりじゃん!(苦笑) まあ、世間的に見ても確かに今回はマーガレット・アイリスが本命なんだろうけどさ。『ドールハウスにただいま』は、第1回幻想郷恋愛文学賞も取った恋愛小説。ドールハウス職人の主人公が、自分の作るドールハウスにぴったりの人形を作る人形師に恋をするパートと、ドールハウスの中での意志をもった人形同士の恋を描くパートが同時進行で描かれて、ラストであっと言わせるちょっとトリッキーな作品だね。初期に『マスカレード・スコープ』とか『ビスクドールの柩』でやってたのを、最近メインで書いてる恋愛小説に持ち込んでみた感じの。
霊夢 昔の作品に比べたら、さすがに随分達者になったんじゃない? 去年候補にならなかった『嘘つき人形は魔法で踊る』も良かったけど、今回はちょっと感心したわ。最後の仕掛けも、単なるちゃぶ台返しじゃなく、最後の最後で物語の意味を反転させた上で、そこまでの些細な違和感を綺麗に片付けてきっちりまとまる構成になってるし。
萃香 おお、霊夢がアイリスを褒める褒める(笑)。うん、実際上手くなったと思うよ。心理描写を流す作風はいつも通りだけど、情景や登場人物のちょっとした仕草で感情を表現するのがすごく巧みになった。ただ、その分だけ映像的すぎるって言われるのかも。
霊夢 それはさすがに難癖じゃない? 心理描写をくどくど書き連ねるだけが小説でもないでしょうに。
萃香 まあ、そうなんだけど。あと、基本的にこういうトリッキーな作品は今まであまり受賞してないってのも気になるかな。前回の『土の家』と『雲の上の虹をめざして』も、その前の『輪廻の花』も、物語自体はシンプルな構造だし。
霊夢 ま、パチュリーが推すでしょ。慧音もこれなら文句言わないだろうし、あとは阿求あたりが味方につけばすんなり決まるでしょ。
萃香 で、さらに売れて神社も潤って万々歳?(笑)
霊夢 誰も損しないんだからそれでいいじゃない。
◆大橋もみじ『盤上の将を射よ』(鴉天狗出版部)3回目
予想…霊夢○ 萃香- 評価…霊夢B 萃香A
萃香 さて、お次は第1回八坂神奈子賞受賞者の大橋もみじ。と言ってもアイリスと違ってこっちは受賞作じゃ無く、その後に出た書き下ろしの新刊だね。落ちこぼれの白狼天狗が、大将棋と出会ってその才能を開花させていく様を描いた将棋小説。
霊夢 むしろこっちに八坂神奈子賞あげれば良かったんじゃないの?
萃香 それは言っても仕方ないじゃん(苦笑)。ま、実際まさにそういう問答無用で面白い将棋エンターテイメントだね。大将棋のルールはめちゃくちゃ複雑だから、そのへんの説明はだいぶ流してるんだけど、そのせいか新しい駒がどんどん出てきて局面が二転三転していく様がすごいスリリングに書けてる。スペルカードの応酬みたいだよね(笑)。
霊夢 私も大将棋のルールはさっぱりだけど、それでも面白く読ませるんだからよく出来てると思うわよ。軽いから、慧音あたりがうるさいかもしれないけど、阿求あたりも好きそうだし。これなら文も特に文句言わないんじゃない?
萃香 いや、どうだろう(苦笑)。八坂神奈子賞でハブられたこと根に持ってそうだからなあ。
霊夢 それ、受賞者は別に悪くないじゃない。
萃香 これ推すんだったら『白狼の咆哮』がこっちの候補になったときも推してるよ。
霊夢 あー。
萃香 私は好きな作品だし、希望としちゃ獲ってくれれば嬉しいんだけどさあ。八坂神奈子賞に続いて一年で二度も大橋もみじが賞を獲るなんて生意気だ、とか言って文が猛反対しそうな気しかしない(苦笑)。
霊夢 心が狭いわねえ。
萃香 広かったら『うちの上司が横暴なんですけど。』のときに獲ってるよ(笑)。
◆厄井和音『くるくる回るオルゴール』(稗田出版)2回目
予想…霊夢- 萃香- 評価…霊夢B 萃香C
霊夢 で、こっちはアイリスが獲った第一回幻想郷恋愛文学賞の落選作。稗田文芸賞でまたアイリスとやり合うことになるとはねえ。
萃香 この候補入りはどうなんだろうねえ。別にこれ単体として見ればそう悪い作品じゃあないけど、『ドールハウスにただいま』と一緒に候補にするこたあ無いよねえ。……って、そういや前に候補になったときも厄井和音に対してそんなこと言ってた気がする(苦笑)。
霊夢 まあ、作品としては『ドールハウスにただいま』の方が上でしょ。
萃香 それは私も同感。あげる気無いなら候補にしなきゃいいのに……。いや、でも、もしアイリスがあのラストの仕掛けとかに難癖つけられて消えればこっちの可能性あるのかな。
霊夢 アイリスのよりは解りやすい、ってか王道の恋愛小説だからねえ。
萃香 手作りのオルゴールだけを残して消えた恋人を主人公が探して回るんだけど、いつもすんでのところで会えなくて――っていうパターンを繰り返す話。探して探して探し続けて、でも会えないでいるうちに恋人のことをだんだん忘れてしまいそうになる主人公の哀しみが、回るオルゴールの上で永遠に追いかけっこを続ける人形に乗せて語られて。あ、そういえば人形対決だ(笑)。
霊夢 こっちはアイリスと違って心理描写をきっちり書き込むタイプね。主人公の孤独感なんかはよく書けてるんじゃない。ちょっとくどくて中盤だれるけど。恋人を探す場面がちょっとミステリーっぽいのは、前の候補作もそんな感じだったわね。ま、いい話だし、阿求あたりこういうの好きかもね。わりとベタだし、『雪桜の街』路線で。
萃香 でもさー、話がベタなパターンの繰り返しなのはまあいいとして、結局主人公がふりだしに戻って諦めて立ち止まってたら相手の方が一周して戻ってくるっていうこのオチはどうなのよ?(笑) さすがに脱力じゃない? 恋人が消えた理由も結局きちんと説明してないし。
霊夢 恋人が消えた具体的な理由は別に説明しなくてもいいんじゃないの? この話の主眼は「どうして恋人が消えたか」じゃなく「どうしてここまでして自分は恋人を探し続けるのか」っていう主人公の心理描写だし。
萃香 うーん、ま、でも受賞は無いだろうね。というかこれ入れるんだったら、それこそ青娥娘々の『肢体』を候補にした方がまだ面白かったのに。ま、うん、次行こう次。
霊夢 あんた相変わらず恋愛小説苦手ねえ。
萃香 うっさいなあ、もう。
◆小松町子『動物屋敷の仙果さま』(是非曲直庁出版部)2回目
予想…霊夢- 萃香- 評価…霊夢B 萃香B
霊夢 なーんかこの「仙果さま」って知ってる奴のような気がするのよねえ。
萃香 あれ、霊夢もそう思うの? 私もなーんか知り合いのような気がするんだよなあ。
霊夢 あんたも? ふうん……ま、ともかく。山奥に立つ、動物だらけの大きな屋敷に暮らす正体不明の少女「仙果さま」の元に、悩み事を抱えた連中がやってきて、仙果さまがそれを解決してやるっていう短編連作ね。仙果さまには秘密があって、最終的には依頼人が仙果さまの秘密を解き明かすっていう話になって。
萃香 第7回の候補だった『そして、死神は笑う。』と似た雰囲気の作品だよね。仙果さまがなんだかズレてて、説教臭いくせに失敗も多くて七転八倒しながら問題解決に奔走するあたりは笑って読めるんだけど、なーんかやっぱり知り合いのような気が……。
霊夢 (無視して)ま、『そして、死神は笑う。』で獲れなかったんだから、これで受賞は無いでしょ。似たようなタイプの連作だけど、こっちのがさらに軽いし。ていうかこれジュヴナイルじゃないの?
萃香 もともと小松町子の作風はそっち寄りだしねえ(苦笑)。軽さ自体は前回『土の家』が獲ったからそんなにネックにはならないと思うけど、『土の家』が地底社会を描くっていう通底したテーマがあったのに対して、こっちは仙果さまのキャラクターで読ませる連作だから、浅いってことは言われちゃいそうかなあ。そのへんの深い浅いで評価する作品じゃないと思うけど。こういうの推すとすれば文か幽々子だと思うけど、受賞させるには決定打に欠ける感じ。
霊夢 猫の描写にもうちょっと力入れてれば藍と阿求が推したかもしれないけど。
萃香 それはどうだろう(苦笑)。
◆古明地さとり『六花』(旧地獄堂出版)初
予想…霊夢▲ 萃香○ 評価…霊夢C 萃香A
萃香 さて、刊行当初から書評家筋では評判だった、今回の注目株。
霊夢 これ、ねえ。うーん。
萃香 ジャンル的にはミステリーだけど、凝った構成の話でね。詳しく語ってったら時間かかるから実際に読んで貰った方が早いんだけど(苦笑)。ざっくり説明すると、全体が六つの手記で構成されていて、順番に読んでいくと手記の書き手たちが少しずつ関わったひとつの事件がだんだん明らかになっていくんだけど、それぞれの記述が矛盾し合って、最終的にいったい誰が真実を語っていたのか、そもそも本当に事件があったのか、どの手記が現実でどの手記が創作なのか、なんだかよく解らないまま終わる。とまあ、そういう構造だけなら先行作も既にあるんだけど、びっくりするのはその文体。
霊夢 六つの手記で、文体が全然違うのよね。
萃香 そう、まるで六人の作家で合作したみたいな文体変化。幽々子みたいな美文体があったかと思ったら、慧音みたいな堅苦しい文章があって、かと思えば魔理沙みたいな軽快な文章だったり、レティみたいな感傷的な文体だったり。その六つの文体が通して読むと無理なく溶け合ってる。描写のひとつひとつもものすごく気が配られてるし。
霊夢 そこが一番の評価ポイントなんでしょうけど、私としちゃ作者のこと考えるとあんまりそれで評価する気にはならないのよねえ。要するに既存の作家の文体模倣でしょ? さとりならそのぐらい何でもなく出来るんじゃないの?
萃香 いや、弾幕の再現と文体模倣はベクトルが違うでしょ(苦笑)。模倣だとしても、このレベルで他人の文体を自分のものにするってのは相当なもんだよ。
霊夢 そういうもんかしらねえ。
萃香 実質的に、マーガレット・アイリスに対抗するならこれじゃない? 作風的にパチュリーがこれを推さないわけがないし、幽々子も好きそう。文体意識の高い作品だから文章にうるさい慧音がこれ推す可能性も十分ある。ただまあ、あの二人が同じ作品を推す光景があんまり浮かばないんだけど(苦笑)。
霊夢 あのふたりが和解するのかしら? そのへん読めなくて、私は大穴扱いなんだけど。藍あたり反対しそうな気もするし、文もあまり好きそうじゃないし。
萃香 藍? あー、こういう主観の不確実性を前に出した作品を受け付けない可能性はあるか。『忘我抄』の読み解きでもパチュリーの意見にだいぶ反論してたしねえ。
霊夢 ここんとこずっと一般向けの作品が獲ってるしねえ。こういうパチュリーや幽々子路線の作品に揺り戻しはあるのかしら? パチュリー賞でやれ、って言われそうな気もするけどね。
◆幽谷響子『リピート・アフター・ミー』(命蓮寺)初
予想…霊夢- 萃香- 評価…霊夢C 萃香C
霊夢 これ、敢えて候補にするほどの作品?
萃香 そう言いなさんなって(苦笑)。まあ私もこれ入れるなら青娥娘々の『肢体』で良かったと思うんだけど。それだと幻想郷恋愛文学賞と候補が重なりすぎるってことなんだろうけどさ。これも別に悪いとは言わないけどさ、うーん。
霊夢 妖怪が人間の赤ん坊を拾って育てるんだけど、人間に見つかって引き離されて――っていう、話自体はどっかで見たような展開なんだけど。赤ん坊が、主人公の言葉を反芻して覚えていく過程の描写にやたら力を入れてるのが特徴ね。攫われた赤ん坊が成長してからを描く後半部では、その教えられた言葉の反芻が後半の鍵になる。
萃香 ラストシーンはいいよね。結局再会できずに終わるんだけど、最後育てられた子供が山に向かって育ての母の名前を叫ぶと、どこからかヤマビコのように自分の名前が返ってきて、それまでずっと同じ言葉の反芻だったのが、最後に互いを呼び合って終わる。育ての母に矛盾した感情を抱えていた子供が、それで救われるっていう。
霊夢 ま、ね。それがあるから「良い話だったなー」っていう満足感はあるけど、それだけって言っちゃえばそれだけなのよねえ。前半は見所があんまり無いから退屈だし。このラストに繋げるために必要だってのは解るけど、言葉を教えていく過程がちょっとくどいし。
萃香 そのへん、もう少しコンパクトにまとめられる話だよねえ。阿求あたりが気に入ってくれるかもしれないけど、まあ、受賞は無いかな。
◆ まとめ ◆
萃香 実質的に、マーガレット・アイリスと古明地さとりの一騎打ちじゃない? 慧音とパチュリーがどっちかで意気投合してくれればすんなり決定だと思うけど、これまで散々やり合ってきたふたりだから、問題はそう簡単に結束してくれるかどーか(苦笑)。どっかで決裂すれば第六回みたいに受賞作無しも十分ありそう。パチュリーがさとり、慧音がアイリス一点推しで譲らなくなるとか(笑)。
霊夢 でも、去年パチュリーが推した二作が受賞してるから、今年もパチュリーの勝ちになるのかしらねえ。それより、今回の動向を握るのは文だと思うけど。文の好きそうな話が大橋もみじぐらいっていうのがどう転ぶか。今までの傾向からして、アイリスやさとりを推すとも思えないし。案外小松町子あたりに行って撃沈するのかしら。
萃香 なんだかんだで今回も割れそうだなあ。
霊夢 幽々子、藍、阿求はどこ行くかしらね。
萃香 阿求は案外、厄井和音とか幽谷響子に行くかもねえ。藍は今回SFが無いから読めない。文々。新聞の書評でもSFとジュヴナイル担当だからねえ。幽々子は……過去に推してたのは大橋もみじと小松町子だけど、素直にそこ行くかなあ。正直藍以上に読めない(苦笑)。
霊夢 割れて揉めたら、なんだかんだでアリスに落ち着くんじゃないの。
萃香 さてさて、どうなることやら。
(文々。新聞 師走22日号 3面文化欄より)
第9回稗田文芸賞に古明地さとりさんの『六花』
第9回稗田文芸賞は25日、人間の里・稗田邸にて選考会が行われ、古明地さとりさんの『六花』(旧地獄堂出版)が受賞作に決まった。授賞式は来月7日、地底・旧都にて行われる。
選考会の模様について、選考委員のパチュリー・ノーレッジ氏は「今回は二作受賞にすべきかで意見が割れ、文学賞が乱立する昨今の文芸界の中における稗田文芸賞のあるべき姿にまで討議は及んだわ。……ゴホッ、最終的には、他の文学賞は関係無く、候補作の中で最も優れたものを選ぼう、という意思確認の上、『六花』が投票によって選ばれ……ゲホッ、ゲホッ」と喘息の発作まじりに語った。また、パチュリー氏と上白沢慧音氏が握手をする場面が見られた。
古明地さとりさんは、地底の旧灼熱地獄跡地に建つ地霊殿の主。デビュー作での稗田文芸賞受賞となった。『六花』は、六つの手記によってひとつの事件を語る技巧的なミステリー。
選評は来月15日発売の『幻想演義』如月号に全文掲載される。
古明地さとりさんの受賞のことば
「今回は初めての作品でこのような光栄な賞をいただき、大変嬉しく思います。小説を書くということは、個人の心の有り様と真摯に向き合うことだと考えます。私は他人の心を読むことができますが、それは私という主観を通した認識でしかない、ということを常に胸に留め、心というものに向き合った作品を今後も書いていきたいと思います」
(文々。新聞 師走26日号1面より)
《選評》
『読み』『書く』という行為 パチュリー・ノーレッジ
近年、稗田文芸賞の選考会において、私と上白沢慧音委員が対立するのが、一種名物のような扱いになっていると聞いた。今回、名物としてそれを期待されている読者がおられた場合、先に申し訳ないと断っておこうと思う。今回、私は慧音委員とともに同じ作品を受賞作として推した。今回、受賞と相成った『六花』である。
六つの手記から、ひとつの事件を多角的に描き出すという構成を持った本作は、しかし技巧的なミステリーの範疇に留まらず、『読む』という行為、『書く』という行為に対してきわめて自覚的であり、叙述と読解の相克を克明に描出した、高度に文学的な構造をもっている。メタフィクション、アンチミステリーの構造と、文体に対する高い意識をもって、『小説』という媒体そのものへの批判的見地から、物語性を一度解体したのち再構築してみせる手腕に舌を巻いた。本作の構造についての詳細な解説は紙幅が足りないため別の機会に譲るが、あらゆる『読み』を許容し、同時に拒絶しつつ、『書く』という行為そのものの意味をも問いかける本作は、幻想郷の文芸を代表する作品として、稗田文芸賞に相応しい。近年の、物わかりの良い優等生的な作品が受賞する傾向を否定するわけではないが、やはり第二回で『クロック』ではなく『桜の下に沈む夢』を送り出した、それが本来の稗田文芸賞の姿であろうと、私は信ずる。その意味で、この上なく理想的な受賞作を迎えることができたことを、喜ばしく思う。
最終投票に残ったのは、他に『ドールハウスにただいま』と『盤上の将を射よ』であった。『ドールハウスにただいま』は、残念ながら相手が悪かったとしか言いようが無い。技術的に格段の進歩が見られ、受賞作としても恥じることのない秀作であるが、『マスカレード・スコープ』で見られたような挑戦的な作風が影を潜め、お行儀の良い作品に留まっているのが惜しまれる。この小説技術を持って、再び彼女の挑戦的な作品を見たいと、一読者として切に思う。
『盤上の将を射よ』は、一気通読の上質なエンターテイメントであり、こちらも『六花』が無ければ受賞作として推されたかもしれない。この二作にはまこと不運であったという他無いが、両氏はそれぞれ別の文学賞において必要十分の評価を与えられていることを踏まえれば、多くの文学賞が並立することの意義もまた見えてこよう。
その他の作品については簡単に。『くるくる回るオルゴール』と『動物屋敷の仙果さま』はいずれも読みやすく、そつなくまとめられた作品であるが、それだけではやはり、稗田文芸賞の受賞作としては及ばない。手癖で「書けてしまう」ことは、ある意味で不幸だ。「何を」書くかについて、作者は常に自覚的でなければならない。『リピート・アフター・ミー』はその意味で自覚的な面は見られたが、いささか技術的な拙さが目に付いた。
新たな文学賞が次々と設立される今、稗田文芸賞の果たすべき役割が問われている。幻想郷文芸振興会代表として、『六花』の受賞をもって、その問いへの答えとしたい。
文体六重奏の深い味わい 西行寺幽々子
以前の選評で、執筆は料理に似ている、という話をしたけれど、その例えに従えば、文体というものはまさに味付けそのもの。誰でも、その人にしか出せない味がにじみ出るのが、文体というものだと思うわ。逆に言えば、文体に味が無ければ、小説は無味乾燥になってしまうもの。個々の善し悪しや好き嫌いは、また別としてね。
その点で、今回の受賞作になった『六花』には驚いたわ。全く味わいの違う六つの文体を、ひとりの作家がこうも自在に使い分けられるものかしら。同じ材料を、同じように調理しながら、全く違う味付けで六種類の料理に仕立てたうえ、それぞれの味の違いが読み比べるごとに舌の上で異なるハーモニーを奏でる、まさに文体の六重奏。それぞれの文体は――自分で言うのもなんだけれど、たとえば二番目の手記の文体は私に似ているように――どこかで読んだことのある文体にも思えるけれど、それは瑕疵ではなく、むしろその全てを自家薬籠中のものとしていることそのものが、この作品の唯一無二の《味》であると思うわ。気持ちよく推すことの出来る作品が受賞作に選ばれるというのは、やはり嬉しいものね。
最終投票で『六花』に敗れた二作、『ドールハウスにただいま』と『盤上の将を射よ』も美味しい作品で、今回の選考会も楽しかったわ。『ドールハウスにただいま』は、以前に候補になったあの不思議な『マスカレード・スコープ』を、もう一度、今度はちゃんと最後に料理が出てくる形で作り直した作品、という印象を受けたわ。前は最後が空っぽで肩すかしを食らったけれど、今回は美味しい料理をちゃんと食べられて、私は満足。選考会でも『六花』の次に推したのだけれど、受賞させてあげられなかったのはちょっと残念ね。
『盤上の将を射よ』は、大盛りのこってりしたとんこつラーメンみたいな、幸福な満腹感をおぼえられる楽しい作品。でも、ちょっと大盛り過ぎて、食べ終わる頃には麺がのびてしまう感じがしたわ。トッピングが多いのは嬉しいけれど、サービスにも限度は必要ということかもしれないわね。
そのほかの作品では、『動物屋敷の仙果さま』が、お茶菓子のような素朴な味わいで、個人的にはお気に入り。選考会ではわりとあっさり落ちてしまったのだけれどね。前に候補になった『そして、死神は笑う。』もそうだったけれど、こういう箸休め的な作品の味わいは、こういう賞では評価されにくいのかもしれないわね。
『くるくる回るオルゴール』と『リピート・アフター・ミー』の二作品は、しっかり手間をかけて作られているのはよく解るけれど、少し調味料の配分に再考の余地があるんじゃないかしら。悲しいけれど、作品という料理を食べる読者には、作者がどれだけの手間暇をかけたかは全く関係のない話。出来上がったものの味わいを見て、不要な味付けは取り除く勇気も、作り手には必要なことなのね。
個性の土台 上白沢慧音
寺子屋で指導する子供たちには、年長になると、里や寺子屋の規則を破ったり、奇抜な格好をしたりして「個性」を主張する者が、常に一定数現れる。そういった子供たちに、私はいつもこう言い聞かせることにしている。個性というものは、外見や行動ではなく、その人の根っこの部分に現れるものだ。あなたは、あなたにしかなれない。あなたという根っこがしっかりしていれば、奇抜なことをしなくても、周りはあなたを認めてくれるのだ、と。
小説にも、同じことが言えよう。小手先の技巧で読者を驚かせたところで、根の細い作品が長く心に残ることはない。しっかりした土台、芯をもった作品こそが、長い年月に耐え、読み継がれていくはずだ。
その意味で、今回の受賞作となった『六花』を、私ははじめ評価しなかった。六種の文体を自在に使い分ける、文章に対する類い希な意識の高さに感心はしたものの、それ故にこの作品からは、書き手の根っこが見えてこなかった。ただ文章を弄ぶパズルのようにも思え、またパチュリー委員の好む奇抜なだけの作品か、と一度は本を閉じたのである。
しかし、そのほかの候補作を読み、もう一度『六花』を手に取ったところで、「なぜこの作者は、このような書き方をしたのだろうか」という疑問がわき起こった。どんな作品も、読めばある程度、作者の意図するところは透けて見えるものだ。しかし、『六花』にはそれが全く見えなかったのである。
本作は、手記という主観を通した文章を並立することで、個々の心理のすれ違いを描くのが主題であると一般には言われている。しかし、それを描くならば、敢えてこのような文体模倣のスタイルを取る必要はあるまい。既に指摘されていることだが、本作で使用される文体には、既存の作家の明らかな模倣が見てとれる。その模倣の技術は確かであるが、それ故に本作は文体模倣の印象の方が強くなってしまい、心理のすれ違いはその陰に隠れてしまう。
だとすれば、本作の主題は、この文体模倣にこそある、と私は考える。本作の文体は、いずれも既存作家の模倣であり、作者である古明地さとり氏の独自の文体と呼べるものは一切登場しない。複数の視点から描き真相を明記しないミステリーも、既に先行作が存在する。この作品は、言ってしまえば全てが借り物なのだ。
肥大化する自意識をもてあまして「個性」を主張する子供たちの、その「個性」は往々にして借り物である。友人や上級生、あるいは大人の模倣をして、当人はそれを「個性」と言い張る。それは彼らが、肥大化した自意識を支えられる自己の根っこを持たないからだ。だから目に見える枝葉にすがり、それを己だと言い張るしかない。
そう、『六花』に描かれているのは、まさにその、模倣によってしか自己を主張できない者の苦悩である。『六花』において、作者自身の姿は文体模倣という枝葉に隠され、明記されることのない真相の裏側でひっそりと震えているのだ。膨らみ続ける自己承認欲求と、それを支えられない不安定な自我のはざまで怯える子供のように。
個性とは、確かな土台の上にしか成立しえない。己の根っこを成長させた者の目に、土台なき者は幼稚に映る。しかし、それは誰もが通ってきた道であるのだ。大人のすべきことは、枝葉の下に隠れた、未成熟な根っこを見いだし、見守ることに他ならない。その意味で、私は選考会で『六花』を推した。この作者の、模倣という枝葉に巧妙に隠された根に、受賞という光を授け育てることが、選考委員としての使命であると感じたのだ。
紙幅が尽きたため、それ以外の作品への論評は他の委員に任せたい。次は選考委員ではなく一読者として、古明地さとり氏の根っこの見える新作を待ちわびたいと思う。
誰のための選考なのか 八雲藍
昨年、この稗田文芸賞の選考委員という大役を任ぜられるに際して、主は私に対してこう語った。「稗田文芸賞は予想なのよ」と。絶対的な公式の存在しない小説の価値を合議によって定めるという不確実性に満ちた選考会の結果は、未証明の公式を予想として提唱するのと同じ。だとすれば、その公式を証明するのは、受賞作を読む読者であるし、そうでなければならない。
しかし、果たしてこの稗田文芸賞は、読者のための予想を為しえているのであろうか。敢えて言うなれば、稗田文芸賞とは誰のために選ばれているのであろうか――その疑問は、選考会を終え、こうして選評を書いている今も、未解決の問題として私の中に留まっている。
今回、受賞作として選ばれたのは古明地さとり氏の『六花』であった。本作については、パチュリー委員、幽々子委員、慧音委員の三人が、それぞれの公式に基づいて受賞作と予想し、それぞれの立場からその価値を熱弁された。その詳細は三氏の選評を参照いただくとして、ここで重要なのは、稗田文芸賞の選考委員は六人である、という点である。そして、前回の選考会に参加して解ったことだが、受賞には委員の過半数の同意が原則となっているようだ。前回、慧音委員と文委員が反対した『雲の上の虹をめざして』に受賞の栄誉を与えられたのは、私、阿求委員、パチュリー委員の三人が推し、幽々子委員が受賞に同意したことで過半数を満たしたからである。『六花』も同様に、三人が強く推し、阿求委員の同意によって過半数を超え受賞となった。――だが、この「過半数が評価した」という事実は、そのまま読者全体に敷衍するには、いささか統計的に分母が少なすぎると言わざるを得ない。
また、本賞の選考委員を務める六名は、実作者であり、日頃から文章に慣れ親しんだ読み巧者である。無論、高度な数式を子供が理解できないように、実作者や読み巧者でなければ評価し得ぬ価値はあろう。しかし、数式は操る者が理解していれば良いが、小説はそうはいかない。三途の川幅を求める数式の価値は、数学を知らぬ者は解らなくても困らないが、広く読まれる小説の価値が、実作者や読み巧者でなければ解きほぐせぬ難題であるべきだろうか。
パチュリー委員は難解な文学理論を駆使し、慧音委員は「作者のためにも受賞させるべきである」と言った。無論、それぞれの価値の公式を私に否定する資格も権利もありはしない。しかし、パチュリー委員の駆使する文学理論を理解できる読者は少数であろうし、慧音委員の言い分をとれば、作品が評価されることが励みにならぬ作者などいないだろう。稗田文芸賞が作者のために与えられるものなら、極論すれば受賞作は「何でもいい」ということになりはしないだろうかと、私は疑問に思う。
選考会という形式そのものへの疑念ばかり記しても選評にはならないことは重々承知している。私個人は、大橋もみじ氏の『盤上の将を射よ』を受賞作と予想した。波瀾万丈の痛快な娯楽作であり、おおよそ小説の面白さについての一般的な公式において、最大公約数に近いであろうこの作品こそ、読者のための予想として相応しいと考えたからである。六人という分母の中での合意を得られなかったが、そのことで私の『盤上』に対する予想は揺るがない。選考会での合意と、私個人の予想。そのどちらが正しいかの証明は、やはりこれから読まれる読者にゆだねたい。
文学性への回帰の意義とは? 射命丸文
睦月に発表された《パチュリー・ノーレッジ賞》の設立以降、それを待ちわびていたかのように、様々な文学賞が幻想郷に乱立することとなりました。今回、稗田文芸賞の選考会にあたっては、先の受賞作発表でパチュリー委員が述べられたように、「他の文学賞は関係無く、候補作の中から最も優れたものを選ぶ」という合意は結ばれましたが、結果だけを見れば、やはり他の文学賞――特に、《八坂神奈子賞》と《幻想郷恋愛文学賞》の影響は避けがたかった、と言うべきではないかと思います。
今回受賞作となった『六花』は、体裁こそミステリーですが、内容的には明らかにパチュリー氏や幽々子氏の流れを汲む文学的な――いささか難解な作品であることは確かでしょう。ここしばらく、文学性と娯楽性の両立した優等生的な作品が選ばれてきましたので、久しぶりに昔の方向性に戻ったというべきなのでしょうが、文芸自体がまだ発展途上だった第二回の頃ならいざ知らず、これだけ幻想郷に文芸が広まり、その好みが多様化した現在において、正直に申し上げてあまり一般受けしなさそうな作品を選ぶのは、稗田文芸賞の将来を考える上では果たして最良の選択であろうかと思う次第であります。また、このタイミングで前述の二賞の受賞者をともに落選させたことも、かえって両賞の存在感を際立たせてしまった気もしましょう。まあ、こんな心配は私の杞憂であって、他の委員は本当に他の文学賞のことなんてあまり気にしていないのかもしれませんが。何しろマイペースな人ばかりなものですから、なんとも。
個人的には、ここは《幻想郷恋愛文学賞》受賞作でもあるマーガレット・アイリス氏の『ドールハウスにただいま』を選ぶのが、稗田文芸賞の近年の方向性にも合致し、また既に九回の伝統をもつ幻想郷最初の文学賞としてあるべき懐の深さであろうと考え、推したのですが、意外なことにあまり他の委員の同意は得られませんでした。もちろん、私個人としてもアイリス氏の今までの作品の中ではもっとも優れていると感じた上での推挽でありましたが、本来なら推してくれたであろう委員が皆『六花』に流れてしまってはどうにもなりませんでした。残念至極。せめて阿求委員が最終投票で推してくれれば二作受賞に持ち込めたかもしれなかったのですが、まあ言っても詮無い話ですね。
『盤上の将を射よ』は楽しい娯楽作ですが、肝心の大将棋描写の後出しジャンケンぶりがどうにも引っかかり、本来こういう作品を推すのは私の仕事なのですが、強くは推しかねました。『動物屋敷の仙果さま』と『くるくる回るオルゴール』は軽く読める作品だっただけに、『六花』のインパクトの前ではほとんど選考会でも黙殺状態になってしまったのが不憫でありましたが、確かにさくっと読める以上の感想が浮かばないのも事実。『リピート・アフター・ミー』は小説自体にまだ不器用さが目に付きましたが、阿求委員は随分とお気に召していたようなので、ある種の人間には強く訴えかける話かもしれません。
私と同じく『六花』の受賞に難色を示した藍委員は、選考会の終わりに「結局、私たちは何のために受賞作を選ぶのか?」という非常に根本的な問いかけを残していきました。その問いは、文学賞の増えたこれから先、もっと根源的に我々選考委員が向き合わねばならない問題なのかもしれませんね。
読書の道しるべとして 稗田阿求
今回、私は『リピート・アフター・ミー』に○をつけて選考会に臨んだ。妖怪に攫われた子供の物語は既に先行作がいくつも書かれており、その中で本作が飛び抜けたものであるかと言われれば、確かにそうではないかもしれない。しかし、終盤まで淡々とした筆致で押さえ込んできた感情を、ふたりが互いの名前をヤマビコのように遠い距離から呼び合うというラストシーンで爆発させる、そのカタルシスに私は一読、震えた。前半に起伏が少なく、言葉の反芻というラストシーンへ繋がる描写もいささか過剰でバランスが悪い、という他の委員の指摘は確かに頷けるものもあり、小説としての完成度では他の候補作には及ばないかもしれない。選考会でも孤立無援、最初の投票であっさり落とされてしまったが、しかし、このラストシーンだけでも本作は候補作として残されるだけの価値はあったと、私は思う。
さて、今年の幻想郷における文芸界の潮流は、今年の稗田文芸賞に対し、根源的な問いを投げかけてきた。即ち、複数の文学賞が並立する中で、稗田文芸賞はどうあるべきか、という問いだ。選考会において、今回の受賞作となった『六花』(本作については強く推した三氏の選評に任せることとする)に対し、藍委員が投げかけた言葉が印象深い。
「確かに貴方たちの言うように、これは優れた作品かもしれません。しかし、これが、貴方たちの言うような意味で『優れている』ことは、果たして読者に伝わるのでしょうか?」
幻想郷にはまだまだ少ないSF作品の書評を一手に手がけ、その価値の啓蒙に努めてきた藍委員のこの言葉は、幻想郷の文芸を牽引してきた今現在の地位に安住しかかっている稗田文芸賞のあり方について、非常に重要な示唆を孕んでいる。
第二回受賞作として、西行寺幽々子氏の『桜の下に沈む夢』を送り出した際も、「結局これはどういう話なのか?」と、人里の道行く人によく尋ねられたことを思い出す。『桜の下に沈む夢』も、今回の受賞作である『六花』も、優れた作品であることは私自身も疑ってはいない。ただ、その価値の理解には、ある程度以上の読書経験が必要であろうということも、また確かである。藍委員や文委員が『六花』の受賞に難色を示したのは、おそらくそういった懸念からであろう。稗田文芸賞受賞作が、少数の読み巧者のみが理解できるものであっていいのか、と。
私は、稗田文芸賞の発起人のひとりとして、その問いにはそう答えたい。「読み巧者がまだ幻想郷に少ないならば、それを増やしていくことが、出版人の役目ではないか」と。そして、稗田文芸賞はそのための道しるべであるべきではなかろうか。
大人の目から見れば他愛ないおとぎ話も、子供にとっては胸躍る読書体験であるように、ひとつの作品の個人にとっての価値もまた、「いつ読むか」によって変わりうる。私自身、数年前にはピンとこなかった作品が、最近読み帰すと実感を持って迫ってくる、といったことがあった。確かに、今回の候補作でいえば『六花』よりも『ドールハウスにただいま』や『盤上の将を射よ』の方が広い支持を集めるであろう。そういった読者に、『六花』の価値は理解されないかもしれない。しかし、『六花』の名は稗田文芸賞受賞作として残る。たとえ今『六花』の価値が広くは理解されなくても、その名が残る限り、いずれ少しずつ、その価値を理解する読者が増えていくように、私たちはより一層の文芸の振興をはからねばならないだろう。
(『幻想演技』如月号巻頭特集「第9回稗田文芸賞全選評」より)
◆受賞作決定と選評を読んで、メッタ斬りコンビの感想
萃香 いやー、歴史的和解が為されたね(笑)。文から聞いたんだけど、選考会後の打ち上げで慧音がすっごいニコニコしながら「今までのことは水に流して、今日は楽しく呑もう」ってパチュリーに絡んでたらしいよ(笑)。
霊夢 ま、それはいいんだけど、選評の内容が偏ったわねえ。藍と文はほとんど選考基準への文句ばっかりだし。アリス……じゃないアイリスなんか実質二番手なのに、あんまり詳しく触れてもらってないし、とことん運が無いというか。
萃香 大橋もみじもね。案の定、文は推さなかったみたいだし(苦笑)。阿求に強く推してもらえてる分、幽谷響子が一番美味しいポジだったのかも。んで、二冠狙いの目論見が失敗したわけだけど、そのへんいかがですか霊夢さん?(笑)
霊夢 私に訊かれてもねえ。ま、世の中そんなもんよ。
萃香 受賞作決定のときには「他の文学賞は関係無く」って言ってたけど、やっぱり同じ文芸界の話だから無関係じゃいられないよね。ま、『六花』にあげたこと自体はいいと思うけど、問題はこれからだよね。八坂神奈子賞や幻想郷恋愛文学賞と候補作が被ることはこの先もあるだろうし、どうすりあわせていくのやら。
霊夢 なるようになるんじゃない? 実際、そこまで細かく文学賞の詳細までチェックしてる読者もそんなに多くないでしょ。そんな大上段に構えなくても、今まで通りマイペースにやってきゃいいのよ。どうせ文句言う奴は何選んだって文句言うんだから。
萃香 そんな身も蓋も無いこと言いなさんなってば(苦笑)。
(文々。新聞 睦月20日号 3面文化欄より)
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幻想演技 水無月号(皐月15日発売)
《巻頭特集》
子供だけのものじゃない、ジュヴナイルの楽しみ――八雲藍×聖白蓮の選ぶ傑作十選
特別書き下ろし短編 宇津保凛『運び屋ニューク』 / 二ッ岩マミゾウ『天野ジャックは嘘をつかない』 / 星丸子虎『キャプテン・カリーの大脱走』
《連載小説》
大橋もみじ『白狼の咆哮〈第二部〉』
富士原モコ『永遠の途中で』
永月夜姫『バイバイ、スプートニク』
白岩怜『眠れない白雪姫』
風見幽香『白いヒマワリの咲く頃』
虹川月音『歩くような速さで』
《短編小説》
パチュリー・ノーレッジ『紙魚の泳ぐ海』
マーガレット・アイリス『球体関節の恋人』
秋静葉『焼芋事件』
青娥娘々『腐乱ドール』
《エッセイ》
伊吹萃香『孤独の呑んべえ』
豊聡耳神子『お話があれば順番に』
稗田阿求『縁側で猫と戯れて』
《評論》
往復書簡―『六花』を読み解く
第3回 上白沢慧音『パチュリー・ノーレッジ氏へ――『六花』の構造的読解に対する疑問』
書評 船水三波『天空の宝船』(評者…永江衣玖)
書評 黒谷ヤマメ『井戸の底にて空を見る』(評者…永月夜姫)
お求めは霧雨書店ほか各書店、または稗田出版通販事業部まで
文学賞乱立の勢いに乗せて、藍様もSF賞を作っちゃえw
この形式の物がそそわで出されたとして、受けるだろうか、と。それが良い悪いは別として。
自分ではやろうとも出来ないと思いました。そして、多分点をつけることもしないでしょう。もしかすれば深読みに深読みを重ねて見当違いの方向で評価をしているかもしれません。慧音先生のように。
その点では『リピート・アフター・ミー』は点を入れるだろうな、と思いました。
三島賞的なポジションになりえるのだろうかw
だが、「もらっといてやる」といれていれば…!
作者自身がいつまで続くのかと疑問を抱いているなら、やめて新しい作品を作っていくのが大事なんじゃないですかね。
娘々の『肢体』が読みたいです。少し官能小説っぽい気も…
コツコツとSSを書いている浅木原さんの精力には感服します。
相変わらず作者ごとの作風や技量、それに対する選考委員の評価が見事です。様々な賞の乱立や新人作家も続々と出てきて、ますます幻想郷の文学界も盛り上がりそうですね(パッチェさんの去年のアレは、やっぱり賞の乱立フラグでしたか……w)
自重しない早苗さんとか、さらっと第二部始まってる白狼の咆哮とか、明らかに炎上フラグな往復書簡とか、ツッコミ入れたくなるネタも満載で楽しめました。
ところで浅木原先生、稗田出版通販事業部への連絡方法教えて頂けません? 幻想演技の定期購読したいんですが……
静葉姉さんは何を書いているんだ・・・
でも、書評の「往復書簡」はもう編集者狙ってやっているだろw
あいかわらずフィクションだとは思えない生々しさですね。
うーん。私はなら『盤上の将を射よ』で興奮しようか、それとも『リピート・アフター・ミー』で感涙しようか迷ってしまいます。
青娥娘々はファン達のあいだでひっそりと評価されていく気がします。タイトルから清楚なオーラが漂ってますもん。『肢体』て。『腐乱ドール』て。
そういえば太子様や布都ちゃん屠自古ちゃんは書かないんでしょうか。特に太子様はエグイものを書いてくれそうで想像するだけで楽しい。
とりあえず書評見て単行本買いに行きたくなったのは
さとりんの『六花』
こまっちゃんの『動物屋敷の仙果さま』
響子ちゃんの『リピート・アフター・ミー』
の三本かなぁ。さとりの能力全開な一人合同誌はすごく読んでみたい。
てか往復書簡w案の定揉めてるじゃないですかー!
ところで、こまっちゃんに題材とされてしまった某ピンク髪のおっぱい仙人様が
対抗して何か書いてきそうな予感がするんですけどワンチャンありますかね?
歴史的な和解が発生すると同時に新たな火種が生まれたようですが
こうなった藍様もSF文学賞を創設を…
面白かったです。
藍様の書評を読むにつけ、本屋大賞ってやっぱり意義があるんだなぁ、と思いました。
幻想郷では神奈子賞が近いですかね?
娘々のタイトルセンスいいわぁw
今回の選評のテーマのなった評価のあり方については、とても考えさせられるものがありました。
節目となる第10回稗田文芸賞も楽しみにしています。
気長にまた続きが読めるといいですね。
藍様が選考委員から外れないことを祈っています。
六花が非常に読んでみたくなりました
今年こそアイリスが来ると思ったのに。
そういえば『六花』の「六人ばらばらの文体で書く」というのは、この「文芸賞」の作品まんまですよね。
委員の言葉を、キャラの特徴と口調を捉えて別々の文体で書くというのを浅木原さんはすでにやってるってのは素直にすごい。口調だけでなく、幽々子なら料理、藍さまなら公式といった小道具を上手く利用してよりキャラが際立つように工夫されてるのもまたいい。
『六花』以外では『ドールハウスにただいま』や『盤上の将を射よ』が読みたいなあ。
個人的に一番気になるのは『ドールハウスにただいま』だったり。
これ本のタイトルとか考えるの地味に時間かかりそう
作者さんが書けるなーってところまでこれからも書いてほしいですね、楽しみにしてます。
ところで各人の発行物、幻想郷だけで出回ってるなら500部~1000部売れたらベストセラーだな、と考えていたんですが、
人里だけでなく妖怪の山、旧地獄の妖怪たち、天界、魔界なども入れると読者の数は一気に広がりそうですね。
とりあえず「六花」と「動物屋敷の仙果さま」注文したいです。え?品切れ重版待ち?
客観的に見ればマンネリ化を危惧してしまうものの(特にメッタ斬りの部分)、私個人としてはいつまでも読み続けたいシリーズです
もしこのキャラがこういう小説を書いたら、というものを想像するのは大変に楽しいことで、そのきっかけを作ってくれる稗田文芸賞シリーズが私は大好きです
幻想演技欲しいなあ
さとり様の「六花」は読んでみたいなぁ。
静葉様何書いてんのw
楽しみにしてるので続いてほしいです、このシリーズ。
ありきたりな感動路線、だからこそ深く掘り下げたそれは人の心に届くものだろうと思います。
そういう意味では前回の魔理沙の作品も読んでみたいですが。
しかし藍様、新しい選考者なだけにものの見方も別視点で面白い。
六花を是非とも読んでみたいです。