地下室は灰色の潮が押し寄せてきたかのように薄暗い。
ぼんやりとした蝋燭の灯りを受けオレンジ色に染まるベッドの上に、私と、そして、小さな姫君。
並んで座ると、いつもの身長差がちょっと縮まって、何となくそれが嬉しい。
背の高い方がこんな事を思うのは、少しおかしいのかもしれないけれど。
「ねえ、咲夜」
呼ばれて、振り返る。
幼い声の持ち主の、血よりも明るい真紅の両目は、私の青を見つめていた。
「宝石の価値はあまり知らないんだけど」
唐突に振られた話題。
別に戸惑う事はなかった。彼女もその姉も、気まぐれに話を振ってくるのは日常茶飯事だ。
けれど、声の調子が幾分か、まるでこの地下室の様に少し暗く感じて。普段の雑談とは、少し違う毛色な気がした。
金色のサイドテールが揺れる。そうして浮かべるのは苦笑い。
「ガーネットよりルビーのほうが、ずっと貴重なんでしょう?」
自嘲を含んだ、少し悲しげな顔を見た。
こちらを見つめる色は真紅。彼女の姉が持つ血の色をした深紅のそれより随分と明るく鮮やかだ。蝋燭の灯りを受けて輝く、限りなく赤に近い色。大きく愛らしい一対のそれは地下室の薄ぼんやりとした明かりをすっかり映し込み、豪奢に光る。
「私も宝飾品に関しては浅学ですが」
瞳の大きいそれは、彼女の持つ美しい宝物だ。少なくとも青を塗りつぶした紛い物の赤にしかなれない私は、彼女のそれに羨みと敬意を抱いていた。
ああ、そうだ。模造石だ。仮初の色。見せかけは似ていたとしたって、その輝きでは追いつけない。
「確かに、妹様の仰る通りです。赤い宝石の代表がガーネットではなく血の色をしたルビーであるのは、後者の方が産出量が少なく貴重だからですわ」
私の答えに、妹様は少し苦笑する。きっと私も似たような顔をしているのだろう。きっと彼女にとっては私の言葉が、私にとっては彼女の言葉が、あまりに予想通りだったからだ。
「ですが、妹様。ご存じでしょうか」
指を一本立ててみせる。
「アルマンディン・ガーネットという宝石があります」
きょとんとしてこちらを見る表情は見た目相応にあどけなく見え、私は自然と微笑むことができた。この部屋は薄暗いけれど、互いにそれでもはっきりと顔の見える距離にいたからだ。
「ガーネットの中でも、特に赤に近い石ですわ」
きっと彼女はもっと遠くても私の顔なんて明瞭に見ることができるのだろうが、その些細な距離の事柄が、なぜだか私にはとても大切なことのように思え、同時に拳四つ分ほどのこれが、不思議に愛おしく思えてくる。
「中でも、透明度の高いものはなかなか見つからないそうです」
宝石について語る私をどこかで客観的に眺めている自分がいて、随分気障なものだと火照るように羞恥が沸く。けれど目の前には確かに私の話に耳を傾ける妹君がいるのだから、ここで恥じらいなどを持って語るのをやめるわけにはいかなかった。
「極稀に見つかる限りなく透明なアルマンディン・ガーネットは、とてもとても、強く輝くそうですよ」
今の私は、上手く笑えているだろうか。
恥ずかしさや照れが先行してぎこちないかもしれない。
自分でいっておいてなんだが、下手くそな口説き文句みたいだなと思っていないと言えば嘘になる。
けれど、妹様は笑ってくれた。
「そっか」
満面の笑みではなかったけれど、苦笑ではなく、綻ぶ花のように笑った。花のようにという表現が、今の彼女にはほんとうだった。
「ねえ、咲夜」
ぴっ、と。
いたずらっ子のような声と一緒に、小さく白い手が目の前に出された。人差し指がぴんと愛らしく立っていて、すぐにさっきの私を真似しているんだと気づく。しかしその指は天井ではなく私に向けられていて、緩慢な動きで近づいてきた。
妹様、と私が声をかける前に。
もう一度、花の笑顔を浮かべて。
―――顔が赤いよ。
その言葉と一緒に、軽く頬をつつかれた。
「きっと、妹様の赤色にあてられてしまったんです」
「私のせい?」
「ええ、ある意味」
「なにそれ」
小さく吹き出す音が二つ、短い沈黙を破って響く。
決して大きくはない笑い声とともに彼女の小さな体が細かく揺れて、呼応するように翼や髪や瞳が光を受けてきらきら光った。整った幼い目鼻立ちは、笑ったせいでふにゃりと崩れていた。
ああ、そうだ。
彼女はこんなにも、こんなにも、きれいなものを持っている。外も内も透明で。なにより、繊細だ。
そういえば、アルマンディンは比重が高く、しかしとても脆い宝石だった。
どこまで触れていいのか分からなくなる赤い色。
「咲夜は、ルビーとガーネット、どっちの方がきれいだと思う?」
「宝飾品に関しては浅学なので、甲乙はつけられませんわ。深い血の色も、鮮やかな赤も、どちらも同じくらい美しいと思います」
「ちょっと、それずるくない?」
「ずるいですよ。悪魔の従者ですもの」
だから私は、限りなく近くで眺めるだけ。自分からは手に取れない。壊れ物に不躾に触れる事は難しい。だから、そうっと、手のひらで優しく包まないといけない。妹様はよく、私を壊してしまわないか怖くなるというけれど、きっとそれは私も同じだ。
ゆらゆら揺れて。些細なことで崩れてしまう。
「じゃあ、咲夜はどっちが好き?」
拳四つ分が、一つに縮まる。
視界に広がる一面の赤に、私の青が染まっていく。
塗りつぶされる感覚は酩酊に似た心地を生んだ。
息が少ししにくくなった気がした。
「秘密、ということにしておきましょう」
片目を瞑って軽く笑う。
半分になった視界で、少し不満げな、けれど安堵したような、感情がない交ぜになった彼女の顔が見えた。
直接触れることは怖い。
いくら堅くても、ふとしたことで崩れてしまうから。
けれど、目を向けずにはいられない。
それほどまでに美しいから。
あやすように髪に触れれば、アルマンディンの瞳が細まる。
視界に入る掛け時計が、名残惜しい時間の経過を告げていた。
「そろそろ、業務に戻らないといけませんわ」
「うん。お疲れさま」
赤みがかった視界の中で立ち上がる。
相変わらず地下室のドアノブは冷え冷えしていた。
「妹様」
「なーに?」
「少々、失礼な物言いになってしまうかもしれませんが」
振り向いて。
目が合って。
純な赤と、偽の赤。
「咲夜は、妹様が大好きですわ」
崩れやすいアルマンディンに、宝石紛いの石ころが触れて。
かつんと小さな音を立て、四条の星が散る。
「ありがとね」
透明で強い輝きが、地下室のベッドで綻んでいた。
ぼんやりとした蝋燭の灯りを受けオレンジ色に染まるベッドの上に、私と、そして、小さな姫君。
並んで座ると、いつもの身長差がちょっと縮まって、何となくそれが嬉しい。
背の高い方がこんな事を思うのは、少しおかしいのかもしれないけれど。
「ねえ、咲夜」
呼ばれて、振り返る。
幼い声の持ち主の、血よりも明るい真紅の両目は、私の青を見つめていた。
「宝石の価値はあまり知らないんだけど」
唐突に振られた話題。
別に戸惑う事はなかった。彼女もその姉も、気まぐれに話を振ってくるのは日常茶飯事だ。
けれど、声の調子が幾分か、まるでこの地下室の様に少し暗く感じて。普段の雑談とは、少し違う毛色な気がした。
金色のサイドテールが揺れる。そうして浮かべるのは苦笑い。
「ガーネットよりルビーのほうが、ずっと貴重なんでしょう?」
自嘲を含んだ、少し悲しげな顔を見た。
こちらを見つめる色は真紅。彼女の姉が持つ血の色をした深紅のそれより随分と明るく鮮やかだ。蝋燭の灯りを受けて輝く、限りなく赤に近い色。大きく愛らしい一対のそれは地下室の薄ぼんやりとした明かりをすっかり映し込み、豪奢に光る。
「私も宝飾品に関しては浅学ですが」
瞳の大きいそれは、彼女の持つ美しい宝物だ。少なくとも青を塗りつぶした紛い物の赤にしかなれない私は、彼女のそれに羨みと敬意を抱いていた。
ああ、そうだ。模造石だ。仮初の色。見せかけは似ていたとしたって、その輝きでは追いつけない。
「確かに、妹様の仰る通りです。赤い宝石の代表がガーネットではなく血の色をしたルビーであるのは、後者の方が産出量が少なく貴重だからですわ」
私の答えに、妹様は少し苦笑する。きっと私も似たような顔をしているのだろう。きっと彼女にとっては私の言葉が、私にとっては彼女の言葉が、あまりに予想通りだったからだ。
「ですが、妹様。ご存じでしょうか」
指を一本立ててみせる。
「アルマンディン・ガーネットという宝石があります」
きょとんとしてこちらを見る表情は見た目相応にあどけなく見え、私は自然と微笑むことができた。この部屋は薄暗いけれど、互いにそれでもはっきりと顔の見える距離にいたからだ。
「ガーネットの中でも、特に赤に近い石ですわ」
きっと彼女はもっと遠くても私の顔なんて明瞭に見ることができるのだろうが、その些細な距離の事柄が、なぜだか私にはとても大切なことのように思え、同時に拳四つ分ほどのこれが、不思議に愛おしく思えてくる。
「中でも、透明度の高いものはなかなか見つからないそうです」
宝石について語る私をどこかで客観的に眺めている自分がいて、随分気障なものだと火照るように羞恥が沸く。けれど目の前には確かに私の話に耳を傾ける妹君がいるのだから、ここで恥じらいなどを持って語るのをやめるわけにはいかなかった。
「極稀に見つかる限りなく透明なアルマンディン・ガーネットは、とてもとても、強く輝くそうですよ」
今の私は、上手く笑えているだろうか。
恥ずかしさや照れが先行してぎこちないかもしれない。
自分でいっておいてなんだが、下手くそな口説き文句みたいだなと思っていないと言えば嘘になる。
けれど、妹様は笑ってくれた。
「そっか」
満面の笑みではなかったけれど、苦笑ではなく、綻ぶ花のように笑った。花のようにという表現が、今の彼女にはほんとうだった。
「ねえ、咲夜」
ぴっ、と。
いたずらっ子のような声と一緒に、小さく白い手が目の前に出された。人差し指がぴんと愛らしく立っていて、すぐにさっきの私を真似しているんだと気づく。しかしその指は天井ではなく私に向けられていて、緩慢な動きで近づいてきた。
妹様、と私が声をかける前に。
もう一度、花の笑顔を浮かべて。
―――顔が赤いよ。
その言葉と一緒に、軽く頬をつつかれた。
「きっと、妹様の赤色にあてられてしまったんです」
「私のせい?」
「ええ、ある意味」
「なにそれ」
小さく吹き出す音が二つ、短い沈黙を破って響く。
決して大きくはない笑い声とともに彼女の小さな体が細かく揺れて、呼応するように翼や髪や瞳が光を受けてきらきら光った。整った幼い目鼻立ちは、笑ったせいでふにゃりと崩れていた。
ああ、そうだ。
彼女はこんなにも、こんなにも、きれいなものを持っている。外も内も透明で。なにより、繊細だ。
そういえば、アルマンディンは比重が高く、しかしとても脆い宝石だった。
どこまで触れていいのか分からなくなる赤い色。
「咲夜は、ルビーとガーネット、どっちの方がきれいだと思う?」
「宝飾品に関しては浅学なので、甲乙はつけられませんわ。深い血の色も、鮮やかな赤も、どちらも同じくらい美しいと思います」
「ちょっと、それずるくない?」
「ずるいですよ。悪魔の従者ですもの」
だから私は、限りなく近くで眺めるだけ。自分からは手に取れない。壊れ物に不躾に触れる事は難しい。だから、そうっと、手のひらで優しく包まないといけない。妹様はよく、私を壊してしまわないか怖くなるというけれど、きっとそれは私も同じだ。
ゆらゆら揺れて。些細なことで崩れてしまう。
「じゃあ、咲夜はどっちが好き?」
拳四つ分が、一つに縮まる。
視界に広がる一面の赤に、私の青が染まっていく。
塗りつぶされる感覚は酩酊に似た心地を生んだ。
息が少ししにくくなった気がした。
「秘密、ということにしておきましょう」
片目を瞑って軽く笑う。
半分になった視界で、少し不満げな、けれど安堵したような、感情がない交ぜになった彼女の顔が見えた。
直接触れることは怖い。
いくら堅くても、ふとしたことで崩れてしまうから。
けれど、目を向けずにはいられない。
それほどまでに美しいから。
あやすように髪に触れれば、アルマンディンの瞳が細まる。
視界に入る掛け時計が、名残惜しい時間の経過を告げていた。
「そろそろ、業務に戻らないといけませんわ」
「うん。お疲れさま」
赤みがかった視界の中で立ち上がる。
相変わらず地下室のドアノブは冷え冷えしていた。
「妹様」
「なーに?」
「少々、失礼な物言いになってしまうかもしれませんが」
振り向いて。
目が合って。
純な赤と、偽の赤。
「咲夜は、妹様が大好きですわ」
崩れやすいアルマンディンに、宝石紛いの石ころが触れて。
かつんと小さな音を立て、四条の星が散る。
「ありがとね」
透明で強い輝きが、地下室のベッドで綻んでいた。