※注意※
・オリジナル設定多用しまくりです。それが嫌いな方はお戻りください。
右も左も分からない様な土地へ送られるのは寂しい。
大好きな仲間と離れ離れになるのはとても苦しい。
大好きな月を裏切るのは、とっても悲しい。
地上へ向かって月の地面を蹴った瞬間、私は何もかもを裏切り続ける羽目になった。
この幻想郷に来て四十年ほど経った。私は毎度の如く掘られている落とし穴に苦戦していた。
「………ただ今戻りました、師匠」
今日も師匠のお使いの帰りにやられた。しかもご丁寧に土は水でふやかされていて、服には泥水が染み込んでいてとても気持ちが悪い。
「お帰りうどんげ。……あら斬新な柄ね、人里の流行なの?」
「てゐです」
「あぁ、成る程」
簡単な報告を済ませてシャワーを浴びに行った後、私はもう一度師匠の部屋に呼ばれた。
「早速だけどここへ行って来てくれないかしら」
「何です?ここ」
「幻想郷で唯一献血を受け付けている場所」
「何でですか?」
「診療所を開いてみようかなって思ってるの。このままでも良いけど、やっぱり生きてるなら何かしらの変化は必要だと思うの。その為に幻想郷の人間の血液の割合やらが記された書類をここが作ってくれているから受け取ってきてくれるかしら」
「分かりました」
頷いて廊下へ出ると、落とし穴を作ってくれた張本人様が私を訪ねて来てくれていた。調度良い。先程の落とし穴の事を糾弾してやろう。
「さっきの落とし………」
「凄いね鈴仙、永琳からあれだけの言葉引きずり出した奴初めて見たよ」
「………穴!って、何?なんなの?え?引きずり出す?」
詰問よりもてゐの言葉に興味を魅かれたので一旦は矛先を収めることにする。
するとてゐは歩きながら私と師匠の先程のやりとりが如何に化け物じみていたのかを説明してくれた。
「永琳は物凄い天才だ、この幻想郷でも一二を争うくらいの天才」
「分かってるわよ、それくらい」
「いーや、まだ鈴仙は永琳のことを詳しく知らない。良い?私たちが分からない事でもあいつの頭の中じゃ一足す一を解くくらいの早さと容易さでやってるんだ、だから何かやる時は自分が分かっていれば良いから一切説明せずに行動を要求してくる。求めると逆に説明が要るのかって、言ってくるんだ。結局はただ単に従うか、自分なりの推測を立てて行動するしかないのにあんたと来たら、いとも簡単にやりたい事の理由を述べさせるなんて………」
するとてゐは私に突きつけた指を離し、信じられないとでも言いたいかのように独り言を呟く。
「………診療所だって?聞いて無いよ。姫だって知らないに違いない。ここを診療所にしようなんて考えを永琳の口から最初に聞いた事を鈴仙ちゃんは誇っても良いね、断言するよ」
「………それ、演技?」
目の前のこの兎がやたらに誉めるもんだから怪しくなってきた。しかし聞いてみるとてゐは本当の事言っているようだった。
「んな訳無いでしょ、私がさっきと同じ事言ってみ?永琳きっと何も言わないでで私を見てくる。姫に会えたら聞いてみると良い、私と同じ反応返すよ。もう一度言うけど、これは鈴仙ちゃんと会った時以来の全部本音だよ」
兎に角自分は師匠と長話をした幻想郷で最初の兎かもしれない、と言う自信になるのかならないのか分からない事実を理解して、地図をもとにして行動を始めた。
「………竹林の八意永琳の使いとしてきました、鈴仙・優曇華院・イナバです」
「あら、今日来る予定だった兎さんですね、いらっしゃい」
真っ赤な外観の洋館とは裏腹に、番兵として立っていた少女はとても親しみやすかった。大陸風の衣装に身を包んだ赤髪の少女は一切の身体検査もせずに私を通してくれる。
「中に入るとメイドさんがいる筈です。その方に案内して貰って下さい」
その言葉通り、玄関を開くと銀の髪を短く切り揃えたメイドが恭しい態度で私を出迎えてくれた。
「ようこそ紅魔館へ。主がお待ちです」
「あぁ、初めまして。鈴仙・優曇華院・イナバです」
「あ、ちょっとお待ちを」
「なんです?」
彼女は私を呼び止めて、服の内側に手をすべり込ませて拳銃を取り上げて言う。
「規則ではお客様のこう言った武器類は門前でお預けして頂く事になっていたのですが、門番は何もしなかったのでしょうか?」
「えぇ、一切触られてません。すいません、こんなものを持ってきてしまって」
「貴女が謝る事ではございません。ですが、この拳銃は預からせて頂きます。ちゃんとお帰りになる時はお返しします」
「感謝します」
「どうぞ、この部屋です」
言われ樫の扉の前に立った頃、私はいつの間にかこの銀髪のメイド長と普通に会話していた事に気付いた。
地上人なのに何故か接しやすい。不思議なメイド、妖怪なのだろうか?
「……そのメイドは人間よ、でも、其処等の妖怪や妖精なんかよりも頼りになる」
その時扉が開く音と、凛とした良く通る声が私の耳を貫いた。
「ちょっと、待ちくたびれたわよ咲夜。こっちは朝を徹して起きてるって言うのに」
「申し訳ありませんお嬢様、立ち話に夢中になってしまって………」
「良いわ別に。それよりこのお客様のために普通の紅茶をお願い」
「畏まりました」
体に不釣り合いな羽根の生えた少女に伴われ、その部屋へと入った。外観と同じく赤を基調とした、しかし上品なその部屋は多分もう少し年を取っている女性が住んでいれば絵になる筈だろう。
「さて、咲夜が茶を持ってくるまで話しをしたい。月の話を聞かせてくれ」
「えっ………」
「何で月出身者と知っているのかが知りたいか?教えてやりたいのは山々だが、多分信じないでしょう」
「貴女の言葉次第で信じます」
「気に入った、教えてやらん」
「そんな!」
なんて奴だ。期待を持たせておいてそれは無い。
「お待たせいたしました」
聞きだしてやろうと思った瞬間、扉の開く音と先程の声が背後から聞こえて来た。
目の前の少女と私が座っているテーブルに二つのカップが置かれると、メイドは一礼して去っていく。
「飲んで、紅魔館の紅茶は旨いわよ」
しかしここで一つ気になった事が。私の紅茶の傍には砂糖とクリームが置かれているのに、目の魔の少女が飲む紅茶にはクリームの代わりに紅い液体が添えられていた。
「知りたいの?」
「出来れば」
暫く見つめていたら、彼女は私の視線に気づいたらしく今度は親切に教えてくれる。
「血よ」
「うぇっ!?」
予想外すぎる。なんなんだ、血って。こいつ何者なんだ。
「私は吸血鬼よ」
「心読んでる!?」
「顔に出てる」
まぁ良い、と彼女は言って紅茶を飲む。
しかし、良くもまぁ血を淹れた茶を平気で飲めるものだ。同じ人外でもこうはなりたくない。血を啜って生きるだなんて、なんておぞましい。
「吸血鬼が嫌いか?」
「…………」
「正直に言いなさい、ある程度の嘘は見抜ける」
「吸血鬼と言うか、地上の人間や妖怪は一様に嫌いです」
「正直者だ、益々気に入った。さてさてそんな正直者の兎のために、ある予言をしてやろう」
すると吸血鬼はカップを置いて、身を乗り出し私に顔を近づける。
「まず一年後の紅い霧が晴れ、二年後に終わらぬ冬を越える。夏にはこの幻想郷からも忘れ去られた種族が舞い戻り、時期は分からないが次は明けぬ夜が来る。そしてお前は、大きな決断を迫られる。帰還か、残留。この二つをお前は選ばなければ無くなる」
「紅い霧?終わらない冬?忘れ去られた種族?明けない夜に大きな決断ですって?何を言ってるのか……さっぱり」
「だろうな、私ですら時々自らを疑いたくなる。だが、月も人間も欺けたお前は、運命だけは欺けない」
「……悪い冗談ね」
「そうね、冗談だと思っていた方が気が楽よ」
吸血鬼は私から身を引いて、再びメイドを呼んで茶を淹れなおさせた。それから暫く気まずい空気をたっぷりと堪能した私は漸く解放されることになった。
「………お前の師匠が欲しがっている書類はそこにある、持って行け。門前まで咲夜に案内させよう。咲夜!」
書類を纏めていると私の拳銃を手に持ったメイドがそこにいた。私は彼女に一礼し、出て行く。
すると、いきなり吸血鬼は口を開いた。
「お前はさっきのことは忘れない。そして時が来ればお前は私と交わした会話の意味を理解するだろう」
私がメイドに伴われ出て行く時、レミリアはそう言ってその背格好に不釣り合いな笑みを私に向ける。
時が来れば理解すると言われた。何か不気味なモノが私の体を支配していた。
私は森を歩いていた。
飛んでいけば速いのだが、色んな事が起こり過ぎたから自分なりに考えたい。考え事をする時は歩いた方が良い。
<目の前に札が貼られた木がある>
俯いていると、そんな字が書かれた木簡が目に付いた。俯いていなければ分からなかったろう。
少し目を離すと、あった。立派な木の幹に札が一枚張られている。張られて間もないと言う訳ではないが古すぎる物でも無い。
<そこへ向かえ>
手に取った瞬間、木簡に書いてあった文章が変化していた。何なんだこれは、一体。取り敢えず向かい、札まであと数歩になった瞬間、それは紫色の炎を上げ燃え落ちた。
<右側の木に同じ札が貼ってある。向かえ>
すると今度はそんな文章が木簡に現れていた。右を向くとやっぱりさっきと同じ札が貼ってある。
同じように向かうと、また同じように燃え上がる。そして木簡に四度目の変化が表れた。
<今から五秒後に結界が開く。飛び込め>
開くって言ってもどこに開くのか。と、考えている内に五秒が経った。結界が開く様子や音は知らないが、森は全くの平静そのもので何も変わる様子が無い。
「ただの悪戯か………」
そう呟いた瞬間である。足元に大きな穴があき、落ちて行ったのは。
目が覚めるとそこは無数の目が此方を覗く気持ちの悪い空間だった。
「掛けなさいレイセン」
「誰!?」
振り向くとそこにはあり得ない顔があった。良く知っている顔に、姿に、声。
「………依姫様?」
「久しぶりね、レイセン」
私は迷わず引き金を引いた。あり得ない。私が地上に居る限りこの御方がここに居るわけが無いのだ。
目の前の依姫様の頭に穴が開いたが、先程の笑みは崩れていない。まるで撃たれた事に気付いていないかのように。
「あららぁ、ばれちゃった」
まだ銃身が冷え切らないうちに聞こえてきた声に顔を向けると、胡散臭い笑みを浮かべた女性が私を見据えていた。
「大した判断力ね、称賛するわ」
「貴女は?」
「人にものを聞く時はまず自分から。士官学校で習いませんでした?准尉殿」
「私の階級を知っているなら私の名前もご存じでしょう」
「えぇ、知っているわよ鈴仙・優曇華院・イナバさん」
私は銃を女性の胸に突き付けたまま、先程の問いを繰り返した。取り敢えず名前を聞いて、分からなければ師匠に尋ねれば良い。
「名前を言いなさい」
「残念だけど、それは無理ね。まだ明かすべき時じゃないわ」
「じゃああんたは一体誰なの?」
「この幻想郷の黒幕とでも名乗っておきますわ。貴女の師匠であればすぐに分かる筈」
こんな穢れた所で悪ぶって何が楽しいのやらサッパリだが、目の前の女は楽しそうにくつくつと笑っていた。
「レミリアと何を話したの?」
特に何も無い。そう言うと今度は師匠について聞いて来た。何故、血液型を調べるのかと。
「何で貴女に教えなきゃならないの?」
「これでも私は幻想郷の最古参で、貴方達を監視する立場の末端にいるの」
だから教えて。その言葉に私は吹き出していた。
「何がおかしいのかしら?」
「だって……ふふ、あんたみたいな妖怪風情が師匠のやることに口出し?おこがましいにも程があるわ、分を弁えなさい」
「…………貴女、まだ地上に這い蹲る妖怪や人間を見下しているようね」
「それで?憤懣でも?」
「いいえ、それで良いわ」
「え?」
「そうやって、私達を見下していなさい。事の変化も分からない月の兎は、きっとこの地上に降りた事を後悔しそして楽しむ筈よ」
「なんですって?」
「貴女は使命のために戦場を捨てたけど、戻りたがってる」
「何をそんな………私は戦いが嫌だから、死ぬのが怖いから逃げたのよ。使命?そんな大層な物は知らないわ」
「私に嘘は通じないわよ」
私は初めて目の前のこの妖怪に恐怖を覚えた。この女は、私の地上への逃走の真意を知っている。
「大丈夫、この会話は貴女と私の秘密よ。………今のところはね」
「………目的は何?」
「物分かりが良くって助かるわ。二つ、まず一つは今日の事は絶対に他言無用、勿論貴女の主にもね」
「そんなことをしてもすぐに師匠にバレる」
「問題無いわ、ちゃんと策を施すから。それから、これからもずっと八意永琳の傍にいなさい、逃げる事は許さないわ。そうすれば………」
戦場に戻れるわよ。目の前の女はそんな捨て台詞を吐いて消えた。と同時に私を睨んでいた目は消え、何時の間にか私は竹林に立っていた。
「………お帰りうどんげ、遅かったわね」
「道に迷いました」
帰るなり嘘を吐いて、師匠に書類の束を渡して出て行こうとした私を師匠は呼び止める。
「森で誰と会ったの?」
「えっ」
怒らないから隠さないでと言われたので交わした会話をある程度抜かして伝えると師匠は私に驚愕の一言を授けてくれた。
「今度同じ事を言われたら素直に吐き出しなさい、洗い浚い。何も私たちは悪さをしようってんじゃないの、人のためにする事、称賛はされても謗りは受けないわ」
「でも、師匠が私にしかお話ししていない事を私が勝手に喋ってはいけないと思います」
「そう、貴女はそう思うの?」
「えぇ」
途端に師匠は明るい笑顔を見せて、私の頭を撫でてくれた。暖かくて、優しい掌が何度も何度も私の頭を往復して、嬉しくて目を細めるけど、心が痛む。
この一年後、てゐが拾ってきた新聞で幻想郷の一角に紅い霧が発生し始めたと大騒ぎになっている、と言う記事を読んだ。
夜遅く、私は今日の夕方までに解決された騒動の事を書類にまとめていた。
「………イナバ、まだ起きてるのかしら?」
その声に振り向くと、姫がいた。向き直って一礼して、頷く。
すると姫は私の隣にやってきて、起草しかけの書類を覗いて来た。
「どう?進んでる?」
「あぁ、これは別に師匠の課題とかそういうのではなくって、自分の日記の様なものです」
「ふぅん。………あら?こっちは月の文字よね、他は地上の文字で書いてあるのに何で………」
「あ、それはあの、ほらアレですよ、一応生まれ故郷なんで文字だけは覚えておきたいなって思って」
「へぇ」
姫から月の文章を返してもらうと、私は聞きたかった事を尋ねた。
「何で、こんな夜更けに私の部屋へ?」
「ん、ちょっと眠れなくって」
至極普通の答えが返ってきた。まぁ、当たり前だろう。
私は筆を置き、姫の顔を見つめた。綺麗な黒髪に、白く老いを知らない肌、優しく疑う事など知らない様な目。
「ねぇイナバ」
「はい?」
「依姫って、どんな上官だった?月ではあの子、どんな事をしようとしていたの?」
「どうしたんです?いきなり」
姫は夜空に浮かぶ月を窓から眺めながら呟いた。自分は彼女を知っているようで全然知らないのだと。
「依姫様は、確かに姫が言う様に戦争の準備をしておられました。でも、私の様な一匹の兎にも良く心を配ってくれた、良いお方です。………任務は主に地上への降下と、地上の特定人物の捜索です」
「ふぅん。じゃあイナバは、依姫の事好き?」
「………えぇ、好きです」
「そう、そうなの。………ねぇイナバ、私はね、月に戻りたいって思った事が無いんだけど、貴女はどう?」
「私は………私もそうですね。………どうせ戻っても待っているのは銃とヘルメットです。勿論、依姫様や豊姫様の事が懐かしく思える時はありますけど、戦いなんて真っ平御免です」
「本当ぉ?」
「えぇ、本当です」
「地上は騒がしいものね、依姫」
「そうですねお姉様。この紅い霧、報告書を読む限りでは人体に悪影響を及ぼしそうですね。八意様は無事でしょうか」
「そのためにレイセンを送り込んだんでしょ」
「あっ、そうでした」
こうやって地上から報告書が届く。
最も信頼のおける兎を八意様のために送り込んだ方が良いと私が提案し、依姫が賛成し実行した。
「……しかしお姉様、そろそろ危ないのでは?」
「危ない?」
「レイセンの事です、何時八意様がレイセンの正体に気付いてもおかしくは無い筈です」
レイセンが初めて地上の八意様と接触をした日に、一度目の報告書が届いて来た。
そこには八意様と共にいる蓬莱山輝夜の無事と、地上で暮らすための通名が記されていた。字はだいぶ変わったけど、読みが変わっていない事に依姫は喜んでいるし、私も同じ気持ち。
しかし、最初の接触からもう三十年ほどが経った。月ならなんともない時間だが、地上ではそうもいかないはず。
いかに優秀とはいえ兎は兎、何時か襤褸を出してしまうかもしれない。レイセンはそんなことをしないと信じたいが念には念を入れるべきだろう。
「私も丁度思っていたわ」
「八意様は身内には優しいお方ですが、敵対者には恐ろしいほど冷酷になる御方です」
「………えぇ」
「幾ら私たちが裏に居るとしても、レイセンが八意様の近辺を監視し間諜をしていたとなると、八意様は決してレイセンを許さない筈です」
「………そうね」
「お姉様、レイセンを連れ戻すべきじゃないでしょうか。頃合いを見計らって、救助部隊を編成して月へ連れ戻しましょう」
「連れ戻すって、何時」
すると依姫はこれまでの報告書を漁り、一冊の報告書を取り出し見せる。それは八意様が吸血鬼の館へ血液型の書類を取りに行かせた事の報告書だった。
「接触した吸血鬼の証言では四度目の騒動に『明けぬ夜』が来るとあります。きっと、この夜は八意様が何らかの理由で創り出すものです、この時の騒ぎに乗じて部隊を地上に降下させてレイセンを連れ戻します」
この機を逃せばレイセンは死ぬとでも言いたいかのように依姫は私に詰め寄る。
実は、私もそんな風な気がしてならない。死ぬかどうかは別として、この騒ぎでレイセンの正体は白日の下に晒されるだろうと。
「そうね、依姫。人選は貴女に任せるわ、お願い」
時が経ち、漸く年末になって来た頃、私は師匠からの課題に追われていた。
「れーせーん、お蕎麦伸びちゃうよー」
「分かったー、今行くー」
紅い霧が晴れ、終わらぬ冬が終わり、忘れられた種族が戻ってくると、私は大きな決断を迫られるらしいのだ。
「本当かなぁ」
「どうしたの?鈴仙」
「うぅん、何でも無い」
何でも無いわけじゃないけど、今は不用意な発言は避けた方が良い。
三度目の騒ぎが終われば、次は師匠が何らかの理由でまた新しい騒ぎを起こす筈。それを見極めるまでは静かにしておこう。
「………あら、除夜の鐘」
「本当だ、もう年が明けたのね」
そんな会話をしていた師匠と姫は、平和に新年の挨拶をしていた。
そう。そうやって平穏に暮らしてくれればいい、私に気付かないで欲しい。
「はい、うどんげ」
「え、師匠、これってなんです?」
言いながら箱を開けると高価そうな腕時計が鎮座している。
「私のお古だけどお年玉よ。去年頑張ってくれたご褒美と、今年も頑張りなさいって事」
「あ、はは、ありがとうございます」
そしてこの数カ月後に咲く筈の桜が咲かず、未だに白い世界へと閉じ込められている幻想郷を見て私は二度目の騒動が始まったのだと確信した。
地上時間で言う何ヶ月も前に来た報告書を前に私は焦り始めていた。二度目の騒動の報告書が来た後、まともな報告書がぱったりとやって来なくなったのだ。そろそろ地上は夏、忘れ去られた種族が舞い戻る頃。
「それなのに一向にその報告が来ない!来るのは何時も『異常なしの一行だけ』………八意様は無事でしょうか、それにレイセンも」
「依姫、落ち着きなさいな」
「落ち着けません!逆に教えて下さい、お姉さまはどうして落ち着いていられるんですか?」
信じられない。ひょっとしたら八意様やレイセンに害が及んでいるのかもしれないのに!
それでもお姉さまは何時もの雰囲気を崩さず、ただ静かに笑っているだけ。
「あぁ、八意様、それにレイセン………」
こうなったらレイセンからの報告書を待たずに隊を動かしてしまおうか。いっそそうしようか。
「お姉様………」
「駄目よ依姫」
「まだ何も言ってませんよ」
「何を言いたいかは分かってるのよ。自重なさい」
その一言を聞いて尚、私は無言で立ちあがって出口へと歩いて行った。
「………玉兎に訓練をさせて来ます。………報告書が来た時のために」
お姉様からの追及を避けるために、その言葉を吐き捨てて。
「………あっつ~い」
蝉の五月蠅い鳴き声と姫の気の抜けた声が響く部屋で私は一心不乱に団扇を仰いでいた。姫のために。
「頑張って団扇で扇いでいるんですからそんなこと言わないで下さいよ、姫」
「暑いものは暑いのよ。イナバこそ、ネクタイ閉めて熱こもらないの?」
「根性です」
ここの所、姫は良く私の部屋に入り浸っている。理由を聞いてもどうせはぐらかされるだけだろうから聞かないけれども、師匠に何と言われるか分からないから冷や汗をかいてしまう。
「所でイナバ?」
「はい、何でしょう」
「日記はどれくらい進んだ?」
「日記、ですか?」
「ほら、何か騒ぎがあると記してたあれよ、ねぇ」
「あぁ、あれですか。………書こうにも騒ぎが無いんですよ」
「騒ぎって言ったらあれじゃない、最近良く神社で宴会を開いてるらしいわよ?」
「そんなの騒ぎでも何でもありませんよ。この前の春の方が凄かったんですから」
春雪異変、と人々の間では噂されているその終わらない冬の異変はいつも通り博麗の巫女によって解決された、と新聞に載っている。
既に冬は終わり春は過ぎ、夏へと季節を移そうとしていた。そして忘れ去られた種族が戻ってきて、夜が明けなくなる筈だ。
「ねぇイナバ、私たちの事を書いてみない?」
「書くって、日記にですか?」
「そうよ」
「なんの変化もないこのままじゃ、書いたって面白くありませんよ」
「なぁんにも変わらないのが、楽しいと思わない?」
「思いません。私は姫の様なやんごとなきお考えは持てないんです。さ、もうお戻り下さい、師匠の課題が進みません」
「良いじゃない、もちょっとだけ扇いでよ~」
「あっ、そう言えばてゐが氷菓子を用意してくれていた筈ですよ」
「えっ!ほんとに?」
本当にこの人はモノを疑うってことを知らないようだ。ちょっとした悪戯で言ったら、もう出て行ってる。
まぁ、これで課題も進むし別に良いか。
この日の夜から、三日置きの百鬼夜行と後々まで語られる鬼の復活劇が始まった。
中庭に作られた依姫の私兵の訓練場で訓練をする依姫と兎達を眺めながら、レイセンの報告書を読む。
流石にそろそろ焦りが見え始めたのか、所々情報に抜けがあったのか訂正の報告書が連日のようにやって来ていた。
だが、流石に落ち着いて来たのだろう、最新の報告書になるこれにはかなり信憑性の高い、現時点での地上の事細かな情報源の筈。
<紅霧異変、春雪異変、三日置きの百鬼夜行(地上での呼称)が過ぎた今、第三十四次報告書の『夜が明けない異変』が来る公算は大であり、その時期は晩夏若しくは初秋になると推測される>
「……何時来るのかしらねぇ」
<尚、異変の際に共通して起こる現象は、普段は雑多なる妖精が異変の空気の様なものに感化され、凶暴化する所である。現在、この状態に八意様及び蓬莱山様が巻き込まれる事は少ないと思われるが、夜が明けない異変ではこの危険度は増すと思われる>
「それは、マズイわねぇ」
<現地で協力者を獲得したため、その協力を得て八意様の警護の強化を図る予定。追加案などがあれば通信にて指示を請う>
読み終えた報告書を封筒に仕舞い、傍に居た子兎に金庫に仕舞っておくよう伝えると手に持った桃を一口齧った。
「………只今戻りました、お姉様」
「お帰り、依姫。訓練の調子はどう?」
「士気は高いです、100%仲間を連れ戻せると兎達は信じています」
だから今のうちに隊を動かせろ、って言いたいのかしらね。
「でも駄目よ依姫、まだ時期じゃないわ」
「時期じゃない時期じゃないって、もう何万遍も聞きました、レイセンの報告書は何時も異変終了後に来ます。何時までも受け身じゃいけません、こっちから動かないと」
「分かるけど依姫、落ち着いて、まだレイセンは生きてるのよ。………そうだ、こちらから何か変化は無いか尋ねたらどう?それでその異変が起きればすぐに知らせなさいって、催促したら?」
そう言うと、依姫はなんで今まで気付かなかったのかという顔をして私を見てくる。
「そうですね、それが一番ですよね。………それじゃあすぐにでも兎に通信させましょう」
博麗神社に小鬼が住み始めた、と地上で作った協力者からの情報を聞いて、秋の異変はすぐそこだと感じ始めた。
夏の積乱雲がそのなりを潜め、空が高くなってくると秋は近づいてくる。月にいれば分からなかった天気と言うものが今は手に取るように分かる。
「姫、今日は雨が降ります、中にお入り下さい」
「あらそう、大変ねぇ、永琳に言って洗濯物を取り込まさせなきゃ」
「いえ、私がやりますよ」
最初は地上のあらゆるものが汚らわしい、とさえ思っていた。しかし、最近は変化に富む地上の天候や季節に魅かれ始めていた。
春には桜が咲き夏には夕立ちで竹林が煙る、秋は山の木々が紅く染まり冬は真っ白い、穢れなんて無いんじゃないかと思える雪が地上を覆う。
「ふふっ」
「どうしたの?イナバ」
「いえ、私も地上に慣れ始めたなぁ、って」
「良かったわねぇ」
きっと今の私を依姫様が見ればお怒りになるだろう。だが、今はいないのだから思いっきりこの風情を楽しませてもらいたい。
「………もう、夏が終わります」
元気の無い声で依姫は訴えた。私もそう思い始めている。
前回の三日置きの百鬼夜行から地上の時間で既に一カ月が過ぎた。報告はまだ来ない。
「お姉様」
「依姫」
「自重しろはもう聞きたくありません。レイセンの報告であれば異変は初秋、もう秋はすぐそこです」
部隊を動かしましょう、と依姫は強く私に迫ってきた。通信を送ってから動かすつもりだが、私も内心焦っていた。
この時期になっても報告が来ないと言う事はもう依姫の言う通り潮時なのだろう。
「依姫、貴女の隊には迅速を求めます」
「………はい!」
<所在地は判明、初秋の満月に動く>
数週間前に月から送られてきた通信文に私は歓喜よりも疑問が真っ先に浮かんだ。
現時点での活動は順調。誰にも私は彼女達に送り込まれた間諜だとは知られていない。なのに、何故。
「なんで~?」
空っぽの薬行李を草地に降ろして寝ころび、目を閉じて考えた。
確かに、ここの所報告書は出していない、と言うか報告すべき事柄が発生しない。
後二カ月もしないうちに秋になる。そうすれば月に戻れる。でも、戻って何をする?何をすべき?
「…………戻って何が待ってる?」
きっと、今戻ればまた元の訓練生活に戻るわけだ。勿論、依姫様や豊姫様、それに仲間たちに会えるのは嬉しいけど、この生活に馴れた今、月の平和な空気に戻れるのかが心配だ。
こちらで身分偽装のために構想している地上の兎の権利を向上させるための兎角同盟はもう実行寸前まで来ているし、このままバレなければこの地上に残っても良いとさえ考えさせられることも多い。
確かに、師匠の生命の危機すら感じる実験は怖いけれども、姫に吹っ掛けられる無理難題には困るけども、てゐの嘘や罠には泣かされるけど、何も無い様な月の生活に比べるとはるかに色彩に富んでいると思える。
「…………戻りたくない」
「やっぱりそう思ったぁ?」
まだ記憶に新しい声が耳朶を掠めた瞬間、私は半ば無意識に拳銃を声の方へ向けていた。
紫色の服に金色の髪、そして何処までも胡散臭い笑み。こいつだ、こいつ会ってから何かがおかしくなっている。
「何をしに此処へ?」
「あらぁ、一匹の子兎ちゃんの心変わりに胸を打たれただけですわぁ」
空間の歪みから上半身を覗かせているそいつは、私をじっくりと眺めた後、その歪みから這い出、私の隣に座り込んだ。
「嬉しいですわ、幻想郷に新たな家族が増えると言うのは」
「家族?」
「師匠のお薬の研究は進んでいて?貴女の師匠はこの幻想郷の未来を背負う一員になる筈」
「さっき心変わりって言ったわよね、あれは違うわよ。私はまだ送れそうな情報があるからよ」
「戻りたくないって言ってませんでしたぁ?」
「それは今言ったように情報がまだありそうだからよ」
「本当かしら?」
「えぇ」
すると、女は口の両端を持ちあげて笑みを一層大きくすると空間に切れ目を入れ、その中へ這入っていく。
「どうでもいいけど、使命とやらを忘れないようにね。月の間諜さん」
「大きなお世話よ」
そいつが姿を消したのを確認して、私も戻ることにした。
<××××××、××××××××>
何やら珍妙な文字と呼べるのかも分からない文字が書かれた紙片をポケットに捻じ込みながら私は歩いていた。
お金かと思って拾ったこれを、最初は捨てようとしたのだが以前鈴仙に見せてもらった月の文字と似ていることから断念、持ちかえって永琳に読んでもらおうと思っている。
「なんて書いてあるのかなぁ~。ひょっとして宝の在り処とか?」
わくわくしつつ帰った矢先、私は慌てふためいている鈴仙を発見した。
「………何をしてるの?鈴仙」
「お帰りてゐ。悪いけど今は構ってあげられないの、師匠にちょっと出てくるって伝えておいてくれないかしら」
「いや、良いけど何で?」
「ちょっとゴミ捨て」
「ゴミ捨て?なんでまた」
「溜まり過ぎててね、師匠に怒られちゃうから」
「あぁそう、いってら」
帆布の雑嚢を斜に掛け、鈴仙は出て行った。兎に角、部屋に綺麗にするのは良い事だ。長生きの秘訣である。
何で、何で……!
「何であの通信文が無くなってるのよ私の馬鹿!」
取り敢えずあの場所へ戻って、捜さなきゃ。
日は暮れ始めていて、もう足元も判然としない状況でも、あの文を私以外の誰かに見られでもしたら…………。
「何処、何処、何処」
這い蹲って、目を見開いて草を掻き分け土を掘り起こして捜せども捜せども見つかる様子は一向に無かった。
「…………どうしよう」
どうしようもない。どうも出来ない。ここに無かったと言う事は風で飛ばされたか誰かに拾われたか。前者である事を願うが、後者であった場合………。
「やるしかない…………」
持ってきた雑嚢を開け、穴を掘り全ての書類をそこに放り込んで火を付ける。もしも誰かが拾っていてもこれまでの送受信文が無ければ知らぬ存ぜぬを押し通せばいい。
マッチを擦り、書類に落とした瞬間、私のこの三十年間書きためた記録は勢いよく燃え始めた。書類が全て燃え尽き、火が収まると私は掘り起こした土を燃え課すに被せ、帰途に着いた。
「………只今戻りました」
「うどんげ、ちょっと」
帰った矢先に呼ばれ、やはりあの文は拾われていたかと確信した。覚悟して師匠の後に着き、研究室へ入る。
「………これは、何かしら」
提示された文章は私が受領したものと一字一句違わぬもの。師匠はきっと私をまっすぐ見ているのだろうが、私の目は文章に釘付けになっていた。
「月の、文字ですね」
「そう。で、貴女ならこの文章、分かるわよね」
「………えぇ」
私が答えに窮していると、師匠は俄かに立ち上がって私に歩み寄ってきた。思わず身構えた私に来たのは苦痛では無く優しさだった。師匠が、私を黙って抱きしめている。
「……え?ししょ…え?」
「大丈夫ようどんげ、怖がらなくていいから。貴女と姫は、私が守るから」
勘違いしている。盛大に。
そんなこんなで、夜が明けない異変は始まりを告げた。
五月蠅い。廊下がやけに騒々しい。てゐは出て行ったきり帰って来ない。師匠と姫は一番奥にいる。
やがて静かになると私は拳銃に弾を全て込め、立ちあがって部屋を出、廊下を進んでいくと銀髪のメイド服を着込んだ少女と緋色の服と大きな羽をもった少女が私の目の前に居た。
私はこの二人に以前あった事がある。そして、緋色の吸血鬼は確実にこれまでの出来事を予測し、的中させている。
きっと、どちらが勝つのかも分かっている筈だ。
「……………………?……………」
「………………。…………………………………」
まるで初対面であるかのような会話を交わしながらも、私は気持ちが高ぶり、何をしゃべっているのか、何を語りかけられているのかさえ分からなくなっている。
それから暫くして、師匠が出てきてまた喋って、それで任されて目の前の二人と戦い始めた。
色とりどりの弾幕が網膜に焼き付き、飛んでくる弾を必死で避け、こちらもあらん限りの弾を撃ちまくる。
それでもやっぱり、勝てる相手ではなくって、気付けば私は秋の空気に冷やされた廊下に横たわっていた。
「………急ぎなさい、咲夜」
「はい」
過ぎ去っていく二人の背中を眺め、物音がしなくなって立ち上がれそうになると、私も立ち上がって二人が去っていた方向とは逆の場所、つまりは屋外へ向かっていく。
不思議な満月の下で不思議な事をしている月の兎を見つけた。
「何を相手に撃っているんですか?」
返事が返って来ない事を見ると私がその本当の意味を知っていると言う事が分かっているらしい。
「ちょっと危険人物に見えますわよ?」
「少なくとも貴女はそう言う風に見て無い事は分かっているわよ」
足元に空の弾倉が転がっているのを見て、何十発も撃ち続けている事が分かった。
最後の一発を撃ち尽くした瞬間、彼女は懐から真っ赤な液体の入ったボトルを取り出し、そこら中に撒き始める。
「私の血よ。予め抜き取っておいた奴」
私が聞く前に応えてくれた彼女は、最後にまだ半分ほど残っている血液を自分が立っていた場所に全部注ぎ、その泥濘に拳銃を落とした。
そして首にかけていた楕円形の認識票を片方外して、地面に置く。
「これで依姫様達は諦めて帰っていくわ」
「そうかしら?あの人の頭は良いんでしょ?」
「頭が生半可に良いからいけない。あの人はきっとこの血だまりと認識票を見て私は死んだものだと思うわ」
「…………本当に月を裏切るのね」
「ここに残れって言ったのは、貴女よ」
それに、と言って彼女は私に指を突き付けて笑みを零しながら続けた。
「私は本当に依姫様達に役に立ちそうだからに残るの。八雲紫、貴女は一度月に攻め込んだ妖怪、またぞろ月に攻め込む考えを持つか分かりゃしない」
「それで?もし私がそんな考えを持って、貴女が知ったらどうするの?私を捕まえる?」
「そう出来たらいいけど、私はきっと貴女には敵わない。だから、師匠か姫にそれとなく伝えるわ」
本当に環境に適応しやすい子だ。やはり、彼女の言った通りね。
「貴女の活躍に期待するわよ、鈴仙・優曇華院・イナバさん」
「………ここから血痕が続いてます」
斥候の報告を受けた瞬間、私の頭に嫌な予感が過った。
誰の血かは分からないが、急いだ方が良い。私は全隊員に急いで行動するよう命じて進む。
「これは、レイセン隊員の拳銃………」
「それに血だ。それも大量………致死量です」
暫くして開けた場所に到達した私は、これが夢だと思いたくなった。
地面に出来た血だまりに、そこら中に散乱している薬莢や竹や地面に出来た弾痕、そして空になったレイセンの拳銃に認識票。
「いや……レイセン………」
もう訳が分からず、脇目も振らず泣いてしまった。血だまりに膝をつき、拳を打ち付け、泥濘に沈んでいた認識票を掴み、書いてある名前を確認してまた泣いて。
恥も外聞もなく、子供の様に。すると月から通信が入った。
『……依姫、時間よ』
「お姉様………」
撤退を知らせる通信に私は拒絶を示した。いやだ、まだレイセンは生きている筈。こんな出血量じゃ彼女は死なない。死んではいない。私が死なないでと言ったんだから、生きている筈。
「……まだ捜します、何処かに居る筈です、もう少し」
『もう夜が明けます、月が隠れると貴女は戻れなくなります』
「それならそれでいい!レイセンの居るこの地上で死にます!!」
『依姫!良く聞きなさい、レイセンは死んだの。………死んだのよ』
受け入れたくない事実が耳に響いて、私は初めて私の判断に後悔した。
「………帰還します」
私一人ならここに残って死んでも良い。でも、もう判断ミスをして部下を殺すわけにはいかない。
異変が終わった後、私には新しい仕事が増えた。
師匠が新しく始めた診療所の手伝いに、置き薬を配って回る仕事、両方とも疲れるけど、毎日が変化に富んでいる。
「………引っかかった引っかかった~!えっへっへ~」
「こらてゐ!待ちなさーい!」
てゐの罠には益々遠慮が無くなって行き
「イナバ~、1/1ガンダム作って~!」
「無理な事言わないで下さいよ、姫」
姫の無理難題にも磨きがかかり
「うどんげ、この部屋にマスクなしで入ってくれないかしら」
「………拒否権ないんですよね」
師匠の実験は危険度が上がったけれども、刺激に富む日々は楽しい。
そんな中で、少し後悔しているのはあんなやり方だった。
「近いうちに手紙を書かなきゃ………」
謝罪と残った理由をしっかりと書いて、理解してもらわなければ。
依姫はまだ部屋から出てこない。
仕方ないだろう。作戦失敗は全て自分にあると思いこみ、塞ぎこんでいるのだから。
「………依姫、出てこない?」
『嫌です………兵に示しがつきません、部下を救えなかった……逃れようのない失敗です』
これは当分出てこない、と思った瞬間、玉兎兵の一人が慌てて私に、と言うよりは依姫の部屋を目指して走ってきた。
「あっ、豊姫様、地上から通信が………」
「地上から?」
二枚の書類をすぐに兎から受け取った私は喜びよりも驚きが勝った。しかし、すぐに確認が取れた私はドア越しの依姫に話しかける。
「依姫、地上から通信よ」
『嘘でしょう、月に向けて通信を送るものはもう地上にはいません』
「そう思うのも尤もね。でも、それはこれを読んでから考えて」
ドアの隙間から手紙を差し込んで、私は様子を見ることにした。
暫くしてドア越しからすすり泣くような声が聞こえてきて、ドアが開くとそこには涙で顔を濡らした依姫。
「………お姉さま、レイセン……地上に興味が出て、それでもっと八意様の傍にいたいから、あんな工作をしたようです。………それから、八意様にはまだバレてないって」
「そう。で、貴女はどうしたいの?役に立ちたいって願う部下を無理矢理連れて帰るつもり?」
首を横に振る依姫の頭をなでながら私は呟いた。
「そうね、じゃあこれからも活躍してもらいましょう、鈴仙・優曇華院・イナバにね」
スパイでも鈴仙はやっぱり鈴仙だ!
誤字?「うどんげ、この部屋にマスクなしでは言ってくれないかしら」
斬新でよく練られてて面白かったです