雨音。しとしとは、ざあざあになったと思えば、気まぐれにぱらぱらしだしたりもする。
今は、からから。からから雨。
なんにしたって、窓から覗く小さな世界は、大して変わり映えなどしない。
流れる雫が、時々仲間を巻き込みながら、ただただガラスをしたり落ちていくだけ。退屈な風景。
いつもは騒々しい館の中が、唯一静かになる時間、アフタヌーンティー。
淹れたてのストレートは、我が家御用達の品。
口一杯に広がる上品な甘い香り。いつもと変わらない味。
いや、違っていたら、とても困るのだけど。
いつからうちにあるかも覚えていない、年季もののソファ。
妹の真似をして、だらりとよりかかってみる。思っていたより首が辛い。
普段ならば、だらしがないと注意する側なだけに、後になって多少の恥ずかしさと、罪悪感。それと、首の痛み。
三人で使うにはただでさえ広すぎるリビングは、今は閑散としている。
一人の空間。一人だけの静かな時間。たまには、そんな日があってもいい、と。慌ただしい日々の中で、私は、間違いなくそれを望んでいたはずなのに。
いざ独りぼっちになってみれば、もう心のどこかで騒がしさを求め始めている。
姉は落ち着いているべきだし、下の子たちの手本となれるよう、いつも心掛けているつもりだ。
相反するは、賑やかさを好しとする騒霊の性。悲しき、なんて思わないけれど、もう少し融通を利かせてくれてもいいじゃないの、とも。
足元が落ち着かなかったもので、何をするでもなくうろついていると、雨音に混じって微かな異音を覚える。
毎日をライブ家業に奔走し、まして騒霊ともなれば、嫌でも音というものに対して敏感になる。
物音の出所をうろうろと聞き耳立てて探してみれば、館の中でも一際大きな扉、その前で立ち止まる。どうやらノイズは、玄関先からきているものらしい。
コツ、コツ、と木の板を叩くような、小気味の良い音。
メルラン達かしら、と一瞬考えたものの、帰るにはまだ早い、とすぐに思い直す。一向に入ろうとする気配のないのも、不気味だった。
邪魔にならぬよう、姉妹揃いの帽子をかぶりなおす。警戒。
妖怪は人を襲う。目的はそれぞれにしろ、決まりごとの範疇さえ超えなければ、それが咎められることはない。
いかな人外の身であろうと、里外れに暮らしていて、いざ強盗にあったからと、泣き寝入りはできないのだ。自分の身は、自分で守るしかない。
もっとも、そこそこ力のある騒霊にわざわざ目星をつけて、襲ってくるがんばり屋なんて、見たことはない。が、油断は大敵。
ドアノブにゆっくりと手をかけ、深呼吸ひとつ。いつでも。
一思いに開け放つ。
冷たい風が吹き抜ける。水の跳ねる音は、いっそう主張を強く。
目に飛び込んできたのは、静かに佇む、小柄な女の子。その後姿。
ちょっと見には、まだ年端もいかないような。
雨除けのひさしの下、後ろ手を組みながら、流水さえぎる仄暗い曇天を、じっと見据えていた。
片方の足は、退屈そうに床を叩きながら。
靴音が一つ鳴る度、金糸の髪、どこか品のよさげな衣装から、ポタポタと水がしたる。
つと、彼女は振り返る。
それから、互いにしばらく見つめあったかと思えば「あっ」と、にわかに小さな声をあげる。
彼女の一歩は早かった。怒られると思ったのだろうか。逃げるように、駆け出そうとする。
この降りしきる雨の中? ……濡れてしまう。
私は咄嗟に、彼女の手を握った。とても、小さな手。
そして、逆に引っ張られそうになる。思いもよらないこと。
見てくれから無意識にイメージしたよりもずっと、彼女の力が強かったのだ。
――ポルターガイスト。
物を重力から解き放ち、操ることのできる力。急の判断。故に加減もきかなかった。
彼女の華奢な体は、わずかな魔力の行使で、風船のように簡単に浮き上がった。
腕の力で支えていたところ、急に跳ねっ返りの力がなくなればどうなるか。
冷静になって考えれば、容易に想像できただろうに。
「わわっ……」
ぼすっ。鈍いとも、柔らかな、ともつかぬ音。
踏み込む力の行き場を失った女の子は、バランスを崩して、そのまま私の胸の中へ。
さして体格に恵まれていない私でも、簡単に抱きとめられるほど、腕の中の感触は細く、頼りない。
濡れた衣服が、髪が、雨の冷たさを言葉なく伝える。
そのまましばらく。
さらにしばらく。
動き出すでもなく、言葉を交すでもなく、うたを歌うでもなく、ダンスでも踊り始めるわけもなく。
絵画の世界の住人であるかのように、動かない二人。進まない時間。
ただ、困った。どうしたものか、と。
このままでいれば、私まで濡れてしまいそうだったから。
かといって、自分から引き止めた手前、突き放すのも感じが悪いだろうし。
そんな状況に突然差し伸べられる、鶴の、もとい少女の一声。
「――ねぇ」
高音がよく通る、軽やかなソプラノ。
見た目からの印象よりは大人びた、嫌味のない程度に、ませた感じを受ける語り口。
愛々しい声色だと思った。
「いいかげん、離してくれない? もう逃げやしないから」
「えっ……あぁ、ごめんなさい」
教えられて、ようやく気づく。どうやら、本当に困っていたのは、向こうの方だったものらしい。
私の両手はしっかりと、確かに、彼女の肩口をつかんでいた。いつの間に。
解放された彼女は、伏目がちにこちらを、ただ見つめる。
その様子に、これ以上語る気のないであろうことを悟った私は、とりあえず、当初の目的を果たそうと考えた。
「入って。風邪、ひいてしまう」
そう、うながす。しかし、彼女の表情はつれない。
「へーきだもん」
「平気じゃない」
「それはあんたが脆弱なだけ。あんたはあんた。私は、私」
悪びれもせず、あっけからんと言ってみせる。意外に剛直。
けれど、簡単に言い負かされていては、あの屁理屈ばっかり上手なじゃじゃ馬たちの姉なんて、務まらないというもの。
「訂正しましょう。あなたを見ていると、私まで寒くなるから。雨に濡れた子をみすみす放りだしたりしたら、落ち着かなくて紅茶が不味くなる」
ひとしきり長台詞を吐いた後で、内心は、自嘲気味。
なんとも意地の悪い物言いだ。屁理屈がうつったかしら、と笑いたくもなる。
「お豆腐メンタルなのねー」
「脆弱だもの。だからお願いするわ。ね?」
「……ふーん」
分かってるのか、分かっていないのか。取り繕いました、と言わんばかりの生返事。
と。突然、一歩こちらに歩む女の子。胸の辺りから、見上げられる形になる。光景が、なんとなくリリカのそれと重なった。
あの子の場合、猫撫で声に上目遣いのオマケ付き、要するにおねだりのポーズなのだけど。
「何ぼーっとしてるのよう。入っていいんじゃないの」
何も言わず視線を返していると、眉をつりあげ、ややむくれ調子。
一応、納得してくれていたもよう。
しかし、そうならそうと言ってくれればいいのに。難しい子だ。
あるいは、私が他人の機微ってものに疎すぎるのか。
「ん……行きましょうか」
彼女の手をひいて。今度の感触は、軽い。
ドアを閉める。幾分か、雨の音はおとなしくなる。
開けっ放しだったものだから、かなり寒気が入りこんでしまっただろうか。
「ちょっと待っていてね」
返事も待たず、彼女を一人その場に残して、駆け足気味に向かう先は、一階、バスルーム。
乱雑に畳まれたタオルの山から、大きなものを何枚か見繕って、つかみとる。
手近な手提げカゴに、諸々を詰め込んだら、急ぎ戻る。
ばたばたと床を踏みしめるたび、ボロ屋がきしむ。
思えば、ここでの暮らしも随分になるなぁ、とか、とりとめのないことを思った。
エントランスに帰ると、女の子は行儀よく待ってくれていた。
やや落ち着かない様子で辺りを見渡していたけれど、私の姿を見つけると、大きく一度、ふるふると体を震わせる。まるで猫。
「あぁ、水がはねるから……。これ、使いなさい」
カゴの中から、丹色のものをひとつ差し出す。ちょうど、彼女の瞳とおんなじような色の。
彼女は、少しだけとまどった風で、一瞬、伸ばした手をとどめたものの、結局は、素直にそれを受け取った。
固く目をつむって、くしくしと髪に押しつける。
一心に体をぬぐう姿は、幼い容姿相応に微笑ましいものがある。
「どうぞ、こちらへ」
小さな彼女を後ろにたずさえて、リビングへと案内する。
姿は見えなくとも、きょろきょろしているんだろうな、という雰囲気は伝わってくる。
ソファの横で向き直って、座るよううながすと、警戒心も薄れてきたのか、おとなしく腰をおろした。
残ったタオルを取りだして、ひとつは背中に、もう片方は膝の上に、毛布代わりにかけてやる。
女の子は、されるがまま、といった感じで、きょとんとするばかり。
仕上げ。メルランが編んだ、角の生えた、不細工な動物っぽい何かの刺繍がはいった、毛糸のスリッパ。
見た目は妙ちくりんでも、暖かさは保証付きだ。
「……怪獣?」
曰く、子犬を象ったそうだけど、その方が正しい表現のように思う。私も思う。
芸術家なんて大層な肩書きを名乗る気もないけれど、この美的センスはさすがにどうかと、心配になることがある。
一応の面目は保ってあげたかったので、彼女の言葉にわざわざ否定はしなかった。
私も、向かいの席に座って、ようやく一息。
暖かそうに変身した女の子を見て、満足げ。傍から見たら、きっとそんな顔をしていたと思う。
テーブルには、ティーカップが三つ。二人が帰ってきた時のために、用意していた分。と、私の分。
柄のないシンプルなほうを、すっと手元にひきよせる。
陶磁器のポットを傾けると、注がれた透明の薄茶色から、新鮮な湯気がたちのぼる。まだ温かい。
「砂糖かレモンは――」
「日本茶がいい」
「ほうじ茶でいいかしら?」
「あるんだ……。あぁ、もう、これでいいよ」
嗜好品の仕入れなどは、里で手に入れるより他に方法を知らない。
彼らが美味しそうに茶を飲めば。団子を頬張れば。真似をしたくもなるというもの。
横文字の住人だろうと、生まれも育ちも幻想郷なのだから、特に違和感を感じたこともない。
育ちといっても、体は一向に成長しないけれど……むねとか。
「……むー」
頬を膨らませながらうなる。私は、黙って見ているだけ。
「とーっても! やりづらいわ、あんた」
「そう?」
「そーなの」
「よく言われる」
「だろうねぇ」
「スコーン食べる? 余り物でよければ」
「ようかんがいい」
「栗きんつばなら」
「ないのかー」
閑話休題。短めの曲を演き終えるくらいの時間を置いて。
用意したスコーンときんつばを、いっぺんに頬張る女の子。どんな味の化学反応が起こっているのか、想像もつかない。
はしたないと思うのに、怒る気がしないのは多分、誰かさんたちで見慣れているせい。
あんまり幸せそうに食べてくれるものだから、というのもあるけれど。
「……おいしい?」
「んぅー。まぁまぁー」
気まぐれお姫様のご機嫌も、随分マシになってきたご様子。
私も一口、ほどほどに冷めたカップを傾ける。冷えた飲み物って、甘さが増していると思うのは、きっと気のせい。
窓の外は相変わらずの雨、雨、雨。
傘はきちんと二人分持たせたとはいえ、心配にもなるというもの。さすがに、気をもみすぎだろうか。
ふと、調弦でもしようかと思い至る。気圧がさがると、テンションもさがる。
今すぐライブの予定があるわけではないものの、時間を有効に使うのは大切なことだ。
そう、心配しすぎてしすぎるなんてこと、ないのよね、うん。
かたわらに、慣れ親しんだ相棒を呼び出す。
スード・ストラディヴァリウス。真作を超えた贋作。
その名に込めた思いを知るのは、我ら姉妹のみ。
……などと、少々キザな感傷にひたりつつ、弓をひいていると、視線。強烈な視線。
何だどうしたと見上げてみれば、大きくて真摯な二つの瞳が、こちらを射抜く。
まぁ突然、目の前で楽器なんて弾き始められて、気に留めないほうがおかしいといえば、おかしい。
「思い出した! どっかで見たような、妙なカッコだと思ったのよね」
やや大げさ気味に、手をポンと叩く。
「あら、光栄ですわ」
「プリズムリバー、だっけ。えぇと、幽霊楽団の……そうそう、黒いのー」
「……そうね、やっぱりそうよね」
黒いの。ええ、黒いの。間違ってはいない。
人気、というには自惚れが過ぎるとしても、ライブに宴会に、当初と比べれば、お呼ばれにあずかる機会は格段に多くなった。
紅い館、雲の上のお屋敷、向日葵咲き誇る花畑。聞き手の人妖を問わず、概ね好評をいただいている、といってもいい。
しかし、それはあくまで『幽霊楽団』としてのネームであって、個人の知名度でいえばメルランが頭一つ抜けているように思う。
あの子が好かれるのは、奏でる音の性質と、彼女自身の陽気さ、親しみやすさも相まってのことだろう。
そういった事情もあって、影の薄さに悩むこともままあった。一応、リーダーだし。
たとえ名も無き奏者の奏でる音であろうと、そんなことは関係なしに、耳には届く。音を楽しむという純粋な気持ちの前に、大した問題じゃない。
分かっているつもりなのに。
「お腹でも痛いの、ルナサ?」
よほどひどい顔でもしていたのか、女の子が不思議そうな顔で見つめてくる。
あなたのせいだよ、と文句の一つも言いたくなる気持ちをぐっと堪えつつ。彼女に悪気はないのだから。多分。
――ん?
「えっと。今なんて」
「お豆腐メンタル?」
「そう、あなたの『今』は範囲が広すぎる……じゃなくて。もっと最近よ。心配してくれたでしょ」
「えー? 覚えてなーい」
どんな都合のいい脳みそだ。
ルナサ。そう言った。彼女の口から、確かに聞こえた。
納得いかないので何度か問いただしていると、面倒になったのか、割とあっさり白状する。
「馬鹿にしないでくれる? 知ってるわよそのくらい。月の飾りつけてるからルナサ、ほにゃ~ってしたのがメルラン、ちっこいのがリリカでしょ」
こんな子にまで小さいと言われたら、リリカも立つ瀬がなさそうなものだけど、今はどうでもいいことだ。
「……ありがとう。名前まで覚えてくれている人って、あんまりいないものだから」
「あんたたちくらいの変わり者を区別つかないっていうなら、よっぽどの節穴か、意識の端にも留められてないか、あるいは悪意ある声ね」
「音楽なんて、私もきょーみないけどー」と、余計な一言も忘れずに。もうひときれ、きんつばをぱくつく。
なるほど、憎めない。
「そういえば」
私は、かねてよりの疑問をきりだす。
「聞いてなかったわね、名前」
あちらが覚えていてくれたのに、こちらは名を知らないというのも失礼な話だろう。
こんな雨の日に、こんなヒト気のない場所へ、傘もささず一人出歩いて、涼しい顔で人外の者とやりとりを交わす。
勘付かぬほど鈍くはない。目の前の彼女が、人の身ではないということ。
「妖怪、なんでしょう?」
満悦の様子で菓子をつついていた手が、ぴたり止まる。
彼女を包む空気が、性質を変える。真っ黒な冷気とでもいうべき、僅か背筋に走る、冷たさ。
「だったら……どうする?」
微笑み。薄闇に包まれた表情は、一見変わらぬ柔らかさを保っているようで、その深紅に変貌した瞳の奥に、狂喜の色を隠しきれない。
短いながらに『人』と生活を共にしてしまった私には、多分、永劫真似できない、物の怪のカオ。
鼓動の音が早まるのを感じた。
緊張のまま、妖怪の少女に、私は告げる。
「毛布をかぶせて、紅茶とお菓子をご馳走する」
「……む?」
「雨が止んだら、気を付けてお帰りいただくつもり、ってところかしら」
すっ呆けた声をあげたと思えば、氷精の悪戯でも喰らったみたいにフリーズする。
俯く彼女は、なんとか捻りだすといった風に、ようやく口を開く。
「……うぅー。やっぱり嫌いよ、あんた」
右の手で、頭をカリと掻く。目は、漢字の一。
肌を刺す妖怪の気も、顔を上げた時には、嘘のようにきれいさっぱり消えていた。
「真剣に襲いかかろうって心積もりなら、いくらでも機会はあったし。家に誘ったのは私だし」
「ぶー。にしたって、ちょっとくらい怖がってくれてもいいのにー」
妖怪の気持ちが全然分かってないわ、とむくれる女の子。いや、結構おそろしかったのだけど。
端的に言うと、リスクが高すぎるのだという。
それなりの有名人に、考えなしに手を出して『ふぁん』から後でどんな報復を受けるか、分かったものじゃない。
同じ、腹を満たせるのなら、楽で安全な方がいいに決まってる、と。
「だいたい、私よわよわだもん。面倒くさいのも、痛いのも、嫌いなの」
「それはそれで、どうかと思うけどね、妖怪として」
「そうねー。霊ってもちもちして、冷たくて美味しそうだし、一度食べてみたい気はする~」
「……ああ、食料目当てってそういう」
食えるのか、騒霊。
武勇伝――ただし、彼女いわくの――を聞いた。
盗んだ夕食の鶏に逃げられて、日が昇るまで森を駆けずりまわったこと。
ちょっかいかけようとした紅白のめでたそうな巫女に、あっという間にやられたこと。
このあいだ久しぶりに、迷い人を食べられたこと。
ともすれば、白い目で見られても仕方のないような話でも、語る女の子の表情に、陰りや遠慮は微塵もない。
きっとそこに、嘘も脚色もない、思うままの透明無垢な言葉。
誇らしげに狩りを語り、食料に情など挟まない、ある種冷淡で、ビジネスライクな物の見方もまた偽りなく、妖怪としての本質。
けれど。
強がって、すまして、脅かして、結局、子供らしい愛嬌の良さが抜けきれない。
女同士、おしゃべりだってしたい。笑いあいたい。
根っこは、温和な子なのだろう。彼女自身が、それに気づいていなくとも。
ちょっと自分本位で、小生意気で、美味しいものが好きな、年頃の、普通の妖怪の女の子。
もちろん、彼女を理解したなんて大仰なことをいうつもりもない。
言えば、あんたのイメージを押し付けないで、と怒られるかもしれない。
なんにせよ、この小さな巡り合わせを素直に嬉しく思う。退屈な午後のこの日に、かわいい話し相手ができたのだから。
「ね、ね」
「……ん?」
思考の海から戻った私の前に、彼女の嬉々とした顔。
いかにも腹に一物ありますよって、八重歯をのぞかせたイタズラな笑み。
「あんたと私って、なんとなく似てるよね」
そういって、次々と指差してみせる。金のショートヘア。白黒の服。アクセントの赤。
確かに。色の感じなんか、似通ったところがある、と言えなくもない。
私は、こんなにあいそ良くないけれど。
「あんたの妹って、もうすぐ帰ってくるの?」
「やぶからぼうね」
「どうなのよぅ」
「そうね。二人とも朝方出掛けたから……ええ、じきに戻る頃かしら」
そこまで大きな用事を頼んだわけでもない。
お得意さんとのライブの交渉だとか、備品の買出しだとか。丸一日はかからないであろう程度の、細々としたお使い。
ロビーに居座る、音も出なくなったご自慢の古時計の短針は『Ⅲ』をとうに追い越している。
そろそろ「疲れた疲れた」と、情けない声が聞こえてきても不思議はない。
「ひとつ、作戦があるの」
それを聞いて、女の子は得意げに鼻をならす。
こういうのは大抵ろくなこと考えてない顔なのよね、と思いつつも、しばらく、揚々とした彼女の言葉に耳を傾けた。
***
どれくらい経っただろうか。
ドアの開く音。続く、間延びした声と、どこか気だるそうなだらしのない声。
会話までははっきりとは聞き取れないけれど、間違いない、妹たちだ。
私は、帰ってきた彼女らを迎えることもせず、じっと物陰に潜み、待つ。
二人が、小さくなった姉の姿に驚くのを。
少しさかのぼって。
女の子に、私の黒い上着、月飾りの帽子をかぶせてみると「おぉ」と、思わず声が漏れた。
私の前に、私がいた。生き別れの妹と言われても、信じてしまいそうな。
この子の両脇にメルラン、リリカを並べた図を想像してみると、やたらコミカルで可愛らしい絵面に、一人吹き出しそうになったほど。
むしろ、実際に見てみたいくらいだ、と。そう思って、私は彼女の申し出を受け入れることにしたのだ。
無邪気なイタズラ。
こんな子供っぽい遊びに加担するなんて、自分でも意外なくらい。
まあ、たまには茶目っ気に従ってみるのも悪いものじゃない。
今、すごくわくわくしているし。
「――ね……さん……?」
と、声が聞こえた。のんびりとした、高めの。メルランかしら。そっと、聞き耳を立てる。
「……どうし……な……で…………」
ぶつ切れの言葉。壁越しじゃあ、やっぱり聞き取るのは難しい。
ただ、声の感じから、なんとなく戸惑っているであろう様子は伺える。あの子は、うまくやっているようだ。
ネタばらしには早い気もしたけれど、あまり引っ張っても可哀想なので、早々に参上することにした。
本当言うと、自分だけ蚊帳の外なのがつまらなかったので。
リビングと繋がるドア、その取っ手に手をかけて。
どきどきする。似たような状況、つい最近あったな、と。
どうせなら『ドッキリ大成功!』の看板でもあれば、と思った。
暖色の蛍光が、開かれたドアの隙間から差しこみ、次第に広がっていく。
数時間ぶりに無事を確認する、妹たちの姿。唖然とした表情の二人と、目が合う。
なんだろう、その光景に覚える、妙な違和感。
「……あれ? 姉さん?」初めに、リリカが口を開く。
「おかえり」
「や。ただいま……は、そうなんだけどさ」
「……どういうことなの~?」
戸惑う二人。
前触れもなく突如として縮んだ姉が、急に元の姿で現れれば、そりゃあ唖然としても仕方がない。私だって驚く。
当然。それは、当然の反応のはずなのに。
頭から拭えない、奇妙なノイズ。その元は、
――あ。
「あの子は?」
リビングには、三つの影。私と、妹共でちょうど三つ。
肝心な女の子の姿が、どこにも見当たらないのだ。
まさか、小腹でも満たしにいったんじゃ。タイミングが悪いったらない。
「なに言ってるのよぉ。わたしはメルランであって、メルラン子じゃあないわ」
「メランコみたいだねえ、それ。こんぱるぽー、ぱるぷんてー」
と、早速、二者二様の器用な脱線を始める。いつものこと。
「聞、け。……だって、驚いてたじゃない。さっき」
二人は、結構高さの違う顔を見合わせる。
すると、リリカがテーブルに駆け寄り、一枚の紙切れをとりあげる。
メモ用紙程度の大きさ。あんなもの、いつ置いたかしら。
「んー」
ひらひらと、こちらに見せつける。読め、ということだろうか。
受け取ってみると、模様も何もない無骨な白紙のど真ん中に、丸っこい字で『ばいばい。』と一言だけ、書かれていた。
ばいばい?
「帰ってきたら、姉さんの傘はなくなってるし、こんな書き置きがしてあるわで、家出しちゃったかと思ったのよ~」
傘。家出。その言葉に、なんとなく合点が行き始めていた。
まばらな情報の断片が、にわかに形を成していく。パズルピースでもはまるような感覚。
「て、いうかさ。家ん中だから帽子はいいとして、なんで上まで脱いじゃってんのさ。この、くっそ寒いのに」
――やられた。してやられたんだ、あの子に。
「服を貸して」そう、言われた時、気づくべきだった? いや、もう一度あの場面を繰り返したって、きっと同じこと。
それくらい、淀みない流れで事は決まった。
後悔先立たず。今更悔いたところで、彼女は帰ってきやしない。
今頃は、まんまと重ね着を手に入れられて、したり顔だろう。
痛いのも面倒も嫌い、ね。
確かに穏便といえば、穏便な解決方法ではあるだろうけど。
「話の最中に考え事は暗く見えるわよぉ」
メルランが、にやにやとこちらを覗きこむ。
いけない。長女たる私が、小さい子と一緒になって大人気ない悪戯を目論んで、あまつさえ一杯食わされたなんて。
こんなこと、ばれたら向こう一週間はダシにされること請け合い。
「なんでもない。座ってなさい、あんたたち。お茶、淹れ直してきてあげるから」
「「はぁい」」
無駄に息のあった返事を背中に受けて、私はリビングを出た。
雨音は飽きもせず、小気味のいいリズムを叩く。
自然と、雨の中を進む女の子の姿が脳裏に浮かぶ。
サイズの合わない帽子と、ぶかぶかの黒服に身を包んだ、小さな私。楽しそうに、洋傘をくるくる回す。
せめて、少しは寒さを凌げればいいけれど。ならば、騙された甲斐もあったというもの。
妹共には、これから何と言ってごまかそうか。考えただけで、溜息が止まらない。
気紛れにでも紅茶を淹れようと、提げたままの書き置きを、手近なテーブルへ。
そこで、ふと気づく。
書き置きの裏、隅っこに書かれた小さな文字に。
単語。一区切りもないような、短い言葉。
その意味するところにたどり着くのに、そう時間はかからなかった。
「今度会ったら、叱ってやらないとね」
一人ごち、呆れ笑った。
『ばいばい。 ルーミア』
素直で騙されやすい、それでもなお相手を気遣う。さすがにルナサ姉さんは格が違った。
そーなのかーじゃないルーミアだと!許せる!!