椛は早苗が嫌いだ。
突然幻想郷に現れたかと思えば、天狗が統括する妖怪の山にそのまま住みついたことが気にいらない。
現人神とはいえ、素の体の強度そのものは人間でありながらも、妖怪に怯えず力強い意志を持つのが気にいらない。
容姿が、行動が、言葉が、とにかく早苗の存在そのものが、椛にとっては全て気にいらないものだった。
「本当、気にいらない……」
椛はぽつりと零した。
はぁっとため息を吐くと、それは冬の寒さで真っ白な息に変わった。ふと空を見ると、眩しいくらいの青空。けれども、これだけ晴れていようとも、冬は冷える。木々を揺らすような風が、椛の体までも震わせた。
警備の仕事は、基本暇である。どうせ山に敵意を持った侵入者など、滅多に現れない。わざわざ天狗が支配するこの山にやってくるのは、異変を解決しに来る者か命知らずの者くらいだ。
しかし、暇であることは、楽であるということではない。夏は暑いし、冬は寒い。そしてすることが無い苦痛。持ち場を離れるわけにもいかないため、ただ何かを考えて過ごすことが多い。
そんな中、椛が考えてしまうのは早苗のことだった。好きにしろ嫌いにしろ、抱く想いが強ければ、それだけその人のことを考えてしまうものだ。
「あぁもう嫌になる。早く家に帰って、寝てしまいたいな」
ぶんぶんと首を振り、早苗のことを頭から消そうとする。そして別のことを考えることにした。まず家に帰って何をしようか、そうだ温まるご飯でも食べてそしてお風呂に入ってそれから寝てしまう、うんそれが良い。そんなことを考え、無理矢理ではあるが、もはや早苗のことは忘れかけつつあるそのとき――
「あの、椛さん?」
「っ!?」
背後から聞きたくない声。それと同時に、これほど近くに来られるまで全く気付けなかった自分の気の緩みが、嫌になった。
椛はなるべくゆっくりと、けれどもちゃんと振り返る。自然と顔がしかめっ面になるのが、椛自身分かった。
「こんなところで何をしているんですか。獣型の知能が低い妖怪に襲われても、おかしくないですよ」
「つい先日、にとりさんがうちに忘れ物をして行っちゃいまして」
「忘れ物?」
これなんですけど、と早苗が差し出してきたのは、なんてことないドライバーだった。
「届けようと思ったは良いのですが、肝心のにとりさんの家が分からなかったもので……」
「それで代わりに私に、ってことですか。私は今、仕事中なのですが」
「い、いえいえっ! 椛さんに会ったのは偶然です! にとりさんの家を探してるうちに、こうふらふら~っとしてたら……」
「そもそも相手の家を知らないのなら、相手が取りに戻って来るかもしれないという可能性を考慮して、大人しく待っている方が良いでしょうに」
「うぐっ……で、でもっ! にとりさん、これ無くて困ってるかもしれないですし」
「だとしても、忘れた方が悪いわけです。それに河城なら、予備の物をいくつも持ってるでしょうから、困るなんてことは無いでしょう」
「う……」
早苗の言葉をばっさりと斬り捨て、椛はわざとらしくため息を吐いた。
「さあ、分かったら早く家に戻って――」
「嫌です」
「は?」
椛が言い終わるよりも先に、早苗は言った。
「椛さん、にとりさんの家知ってますか? 知ってたら教えて欲しいんですけど」
「……教えてどうなるんですか? さっき私が言ったこと、何一つ理解してないんですか?」
「理解した上で、です。今更家に戻るのもあれですし、椛さんに会えたわけですから、むしろ戻るよりも家を訊いてそのまま向かう方が早いと思います」
「最初に言った筈ですよ、妖怪に襲われてもおかしくないと」
「大丈夫です、私はそこまでやわではありませんから」
「っ!」
早苗の眼は、しっかりと強い意志を秘めていた。気にいらない。その眼が、忠告を聞かない態度が、その自信が。
椛は苛立ちを隠せない。剣を持つ手に、無意識に力が入る。
「それに私には、神様がついてますからっ」
えへへと冗談めかして笑う早苗を見て、もう椛は我慢がならなかった。
次の瞬間には、行動を起こしていた。早苗を押し倒し、馬乗りになり、そして首筋にギリギリ触れない程度に剣を立てる。それらは全て、一瞬だった。
突然のことに、早苗は口を開けてぽかんとしている。現状の身に迫っている恐怖よりも、何が起きたのか分かっていない感じだ。
椛は別段激しい動きをしたわけでもないのに、呼吸が荒い。千里先を見通すその瞳は、今は目の前の早苗だけをしっかりと捉えている。その眼は鋭く、明確な敵意を放っているのが分かる。
「今、神はあなたの傍に居ない。助けてくれる者は居ない。もし私が本気だったら、今の瞬間に、あなたは命を落としていた。分かりますか、この意味が?」
早苗は何も答えない。だが、その眼はしっかりと椛の眼を見つめていた。少しも逸らさず、そこには怯えや恐怖を抱いている様子は無い。
それがまた、椛には気にいらない。苛立ちが募る。
「何故抵抗をしないんですか? このままだと、本当に命を落としかねませんよ?」
「……する必要がないからです。椛さんはそういうことをする人じゃないでしょう?」
「っ!? 今の状況、分かってますか? 私の気分一つで、あなたは――」
「なら、実際にやってみれば良いじゃないですか。私は何も抵抗しませんよ?」
その早苗の言葉に、椛は剣を握る手により力が入る。しかし、力が入るだけで、それを横に動かそうとはしなかった。少しでも横に動かせば、それだけで早苗の命を奪うことが可能なのに、それが出来なかった。
早苗が、ほらやっぱりしなかった、と言った。
「……何故、私がしないと思ったんです?」
「椛さんは優しいじゃないですか」
「は?」
投げかけた心からの疑問に、予想外の答え。今度は椛がぽかんと口を開く番だった。
そんな椛の顔がおかしかったのか、早苗はくすくすと笑みを零しながら言葉を紡ぐ。
「だって椛さん、言葉に少し刺はあるけれど、言っていることは優しいことでしょう? 妖怪に襲われると忠告したり、私に早く家に戻ることを勧めたり。それに今までだって、椛さんとお話したとき、椛さんは私を何かと気にかけてくれたじゃないですか」
「……それはただ、あなたの行動が愚かだからであって」
「それでも、私の為を思っての行動ですよね。今のこの状況だって、きっと椛さんから見て甘い考えだった私に、椛さんなりの忠告をしたのでしょう?」
「……自惚れすぎじゃ、ないですかね。一つ言っておきますが、私はあなたが大嫌いですよ。えぇそりゃあもう、容姿も声も行動もあなたの何もかもが、私は大嫌いです」
「私は椛さんのこと好きですよ」
「~っ!?」
にへらっとした笑顔でそう言われ、椛は思わず飛び上がった。
早苗は起き上がり、少し汚れたスカートを手で払いながら、椛の方を見据える。
「あなたは馬鹿なんですか? 馬鹿なんですよね、きっと。いえ、絶対。大嫌いと告げられた直後に、何故そんなことが言えるんですか」
「好きだから好きって言っただけですけど、おかしいですかね? 椛さん、優しいですし」
「……不愉快です。さっさと消えてください」
さっき以上に敵意の籠った瞳で言われ、早苗は仕方ないと踵を翻す。
そして背を向けた瞬間――
「その先を行けば分かれ道があります。そこを右に行けば、川が流れている筈です。その付近を探せば、すぐ河城の家は見つかる筈ですよ」
そう、椛がぽつりと零した。
早苗は振り返るが、椛は背を向けていた。いかにも話しかけるなオーラが漂っていたので、ふにゃっと笑ってお礼の言葉を一つだけ。
「ありがとうございます、椛さん! 大好きです!」
「っ……い、いいからさっさと行ってさっさと家に帰りなさい!」
遠ざかって行く早苗の気配を感じつつ、椛は今日一番の大きなため息を吐いた。
椛はやっぱり早苗が嫌いだ。
どんな状況でも屈しない、強い精神が気にいらない。
自惚れた態度が、気にいらない。
そして何より、早苗に大好きだと告げられて、顔が熱くなってしまっている自分自身が、気にいらない。
「……本当、気にいらない」
ここまで自分を乱す早苗が、気にいらない。
大好きな喉飴さんの作品だった…!
何を言ってるか(ry
大変よかでした。