とにかく最近寒いの。
泣いてしまいそうになるくらいには。
外は吹雪いて凍えるほど寒いわけじゃない。なのに何でこんなに芯が冷えるのだろう。
爪は紫色で唇の色も悪い。湯たんぽを抱きしめても温度はすぐに冷えていく。
私が掴むもの全ては冷たくなって、やがて触れられたもの自体が冷たくなっていく。
そっか……そうじゃんね。私、死んでるからだ。
ごめん。私のせいで冷えちゃったね。
さっきまであたたかかったはずの湯呑をぼーっとにぎる。
湯気は出てないのに茶柱だけ立ってて滑稽だった。
「――…つ、水蜜」
「――っ、ぁ、なに?」
「聞いてなかったでしょ」
「……うん」
「素直でよろしい」
「もういっかい、言って欲しいなーなんて……」
「だから、大掃除の計画についてよ。こんだけ大きいんだからちゃんと計画的にやらないと年越えちゃうわ」
みかんを積み重ねたカゴを中心に据えて、こたつに潜り込んで一輪と話をしていたのだ。
迫り来る年末をどう乗り切るか。大掃除をして一年の穢れを払って心機一転して新年を迎えないと。
除夜の鐘の担当だって決めねばなるまい。幻想郷中に聞こえるくらいのでっかい鐘の音を鳴り響かせるのだ。
おせち作りだって考えないと。あ……年賀状は聖がみんな宛てに書くかなぁ。
「あ、そうだったね。一輪ごめん」
「……具合、悪いの?」
ぺたりとおでこに触れられた手はあったかくて、申し訳ない気分になった。
「熱なんて出ないの知ってるでしょう」
「なんとなくよ」
「手、離しなよ。冷たくなっちゃうよ」
「こたつ様があったかいから私の手もあったかいわよ」
「じゃあもうちょっと、このままで……」
「せっかくだから隣来る?」
「うん。そうする」
もぞもぞと動いて一輪の正面から真横に移動する。
台所でやかんが鳴ってるような気がした。
「やかんが鳴いてる」
「そのままで大丈夫だから」
「何用のお湯?」
「乾燥対策」
「あぁーー。なるほど」
一輪は足だけを入れて上半身を外に出している。
私は寒いから顔だけ出して一輪に擦り寄った。久しぶりに甘えている気がする。
疲れているのかもしれない。
「まずは共用スペースを全部掃いてホコリと大きなごみを出すでしょ」
「次に乾拭きね」
「そうそう。その後の、つや出しに米ぬかで磨くのが大変よね」
「みんなでやれば早く終わりそう。今年は人数も増えたんだし」
「食費も増えたけどね……ははは」
「一輪、しっかり」
一輪は話しながら私の頭を撫でてくれている。
「風呂場は水垢とカビ取りね」
「それ私得意だからやる」
「じゃあ水蜜に任せるわ」
「水回りは全部任せて!」
計画書を作っているのか、筆が走る音がする。私は億劫で目を開けられない。
こたつは中々にあたたかい。私でもあたたかいと錯覚できるくらいには。
「窓拭きはナズや響子には向かないわね」
「じゃあ星にやってもらったら?」
「そうするわ。あ、ナズには天井裏をお願いしようかしら」
「名案ね」
「瓦の掃除と点検はぬえにやらせましょう。たまにはこき使ってやらないと」
「ならマミゾウには台所が妥当かな」
「そうね……悔しいけど私以上に知識は豊富なの」
「おせち作るの楽かもよ」
目をつぶってゴロゴロして、撫でてもらってと至れり尽くせり。
今なら喉を鳴らせる気がする。
「響子には玄関と庭の掃き掃除をお願いしましょう」
「聖には仏具をお願いしたら?」
「じゃあ姐さんはその配役で」
聞きなれた一輪の声が眠気を誘う。優しい指遣いが拍車をかける。
このまま眠ってしまえたら―――
ああ。寒いなぁ。
みかんくさい手が私をつついている。あれ、おかしい。
これ一輪の手じゃない。
「起きろみなみつ」
「……やだ」
「じゃなきゃこしょぐる」
「……おきる」
むくりと這い出して机上を見るが、大掃除の計画書はどこにもなかった。
というか一輪もいなかった。
「ねぇ一輪どこ行ったの」
「聖と買い出し行ってくるって寝る前言ってたの覚えてない?」
「……そう、だっけ」
意識が混濁している。
茶柱が立っている冷めた湯呑は相変わらずそこにあった。
「ねえ大掃除いつからだっけ」
「大掃除? その前にクリスマスでしょ。ケーキの材料買いに行ってるんだってば」
「そうなんだ」
「まだ寝ぼけてるのー?」
「最近寒くって頭よく回らないの……」
ぬえはみかんの身だけ吸って残った薄皮を並べている。
みっともないからやめればいいのに。
「具合悪いの?」
「あでっ」
「うりうり」
「熱なんてないってば」
「違う違う。眉間の皺やばいよ」
「うぇーー?」
「考え事?」
相変わらずみかんくさい手で額をぐりぐりされてたら馬鹿馬鹿しくなった。
いいや、こいつの手は冷たくなってしまえ。
「私が使ってもなかなか冷めない湯たんぽが欲しいなぁと思いまして」
「なるほどね。みなみつ冷たいもんね」
「……うっさい。人が気にしてること言うな」
「黙ってるより良くない?」
ぬえはけっこうズバズバ物事を言ってくる。
もしかしたら、そこに救われている部分があるのかもしれない。
「ぬえ、湯たんぽなってよ」
「ほほぅ? 高くつくわよ」
「報酬は使った時間分の、私のなでなで」
「きひひひ、悪くないねぇ」
「じゃあ さっそく」
湯たんぽなのだから、私がぬえを抱っこするような形になると思っていた。
だけどぬえは私の背後に回って後ろからぎゅっと抱きしめてきた。
心臓の音が聞こえる。手が絡め取られて紫色の爪ごと握られた。
「……最近、無理してない?」
「……してない」
「ならいいけど」
「ぬえは、」
「……ん?」
「ぬえは、なんか、その、無理とか……してないの?」
こんな冷たい私を抱きしめて何の得があるのか。
この寺にはもふもふの獣がたくさんいるのだから、そっちとくっついていればいいのに。
「いや、幸せだけど」
「………。」
「理由、聞かなくても分かるわよね?」
「うん。ありがと」
にぎにぎと、より強く握られた手を握り返す。
冷たい私でごめん。
そのとき戸が開く音がして、誰かの足音が聞こえた。
「誰っ!?」
「そのままでいなって、みなみつ」
「おー熱いのぅ。こりゃ邪魔者は退散した方がいいかの?」
「いや、寒いからマミゾウもこたつ入ればいいよ。私たち一人分のスペースあれば十分だから」
「ぬえも変わったなぁ」
「まぁね」
「……いや。みかんの食べ方は変わってないの」
「だって皮まずいじゃん」
「食物繊維なのになぁ」
マミゾウだった。
「ぬえ、もういいから離して!」
「だめ。みなみつが、あったかくなるまでこのまま」
「ぬえ、儂にもみかんひとつくれんか」
「はいよ」
両手で私の手を掴んでいるのにどうやって? と思ったら羽を使って楽々マミゾウに渡していた。
ある意味ちょっとうらやましい。
「最近寒いなぁ……」
「何やってたの?」
「庭木の手入れじゃ。どれ一服……」
「吸うなら出てけ」
私は何とかぬえの拘束から逃れようとするが、どうしても出られない。
ぬえは羽をクロスさせて檻のようにしてしまった。逃げられない。
マミゾウはそれを見て笑うだけで余計に恥ずかしい……というか、ぬえもちょっとは恥ずかしがれ!
「ムラサは煙草の煙、嫌いかの?」
「え、あ、うん。嫌いだけど……」
「それはいかんな。やめておこう」
ふぉふぉふぉ。と笑うマミゾウの目はやけに優しい。
そっか、私が知らないぬえを知ってるんだものね。なんか、ムカッとした。
こたつの中にマミゾウの尻尾が入ってきて、私の足を包んだ。あ。これあったかい……。
マミゾウは何食わぬ顔でみかんを食べ始めている。
「寝てていいよ、さっき起こしちゃったし。一輪が買い出しから帰ったら起こしたげる」
「おっ、よく見たらこのお茶、茶柱じゃの」
「それ、冷めちゃってるけどまだ飲んでないから、よかったら」
「おー。ありがたくいただくとしよう」
茶柱以上のいいことあったな。このままもう少し、いいことにどっぷり浸からせていただこう。
ぬえに頭を撫でられて、ほっぺにちゅってされた。
おやすみ。よい夢をって優しく囁かれて、心が楽になった。
よぅし、寝よう。そして一輪が帰ってきたら夢で作った計画書を発表して、大掃除の段取りを決めよう。
きっとみんなも納得する配置なはず。
ほんのりあたたかくなってきた体とぬえの手を抱きしめて、私は再び眠りに就いた。
とにかく最近寒いの。
だけどぬえがいてくれたら、そこまでじゃない気がする。
気のせいかな。ううん。気のせいじゃないよね。
ぬえの優しさが身に沁みる。
泣いてしまいそうになるくらいには。
船長可愛いよ
うたた寝の起き抜けはナイーブになるよね。