「私のどこが良いと思う」
そう問えば。格好が良くて、可愛らしくて、厳しいのに優しくて、と幾らでも尽きること挙げてくる。
「天は二物を与えずと言うじゃないか」
なんて意地悪を言えば、悪魔だから良いんです。と道理に適っているようで、そうでもないことを言ってくる。
とても愚鈍で、とても無学で、てとも不敏で、盲目的で、鈍感で、持てる力の限りに抱きしめたくなるほどに愛らしい、この従者を愛しく思う。
いつも我が侭ばかり掛けているのだから、逆をしてみるのもいいかもしれない。そんなことを考えてしまうあたり、本当にどうしようもなく我が侭なのだろう。
そんな我が侭な私でも、流石に恩返しというか、日頃の労いというか、あいつの誕生日くらい何かしら酬いてあげても良いのではと、そういうわけだ。
「何か、そうだな、夢とか願いとかって無いのかしら」
「いえ、これというものは」
実につまらない答えだ。
私が求めているのはそういうものではない。
「そうですね。なら、お嬢様が私の夢、というのはどうでしょう」
実に面白い答えだ。
「私が言ったのはこういう意味ではなくてですね」
「ほう。じゃあ、私が悪いって言うのかしら」
「いえ、悪いとかじゃなくて、ですね」
「いいんだよ。なんだって。私が間違っているとか、お前が嫌だとか、そういうのはどうでもいいんだよ。私が、やれって、言ってる。それだけでいいんじゃない」
自分でも我が侭なこと極まりないと思う。しかし、それを改善しようなどという考えは微塵も湧いてはこない。
こいつも何だかんだ抗議はするが、逆らうことはしないのも拍車を掛ける一因となっている。
逆らっても無駄ではあるのだが。
そういうわけで、今回も押し切ろう。
私の寝室。私の寝床。それ以外には特別に目を引く何かはない、そんな部屋。
部屋の作り映えの関係で窓はある。しかし、常にカーテンで閉じられていて、そこから日光を入れたことはない。
「うん。やっぱりお前は器量が良いよ」
ありがとうございます、と聞こえるか聞こえないか程度の声で言うこいつも、今日はお嬢様だ。それが今回の我が侭。
讃辞に色づいた頬とは逆に、真っさらな服。つまりは上物のドレス。
降ったばかりの雪を集めて、白色の絵の具を溶いた色。どんな白よりもどんなにも白く、磨かれた銀すら霞むほどに煌めく。そんな色。
それを纏っている咲夜の色もやはり同じくらいに透明で、きっと私が触ったら取り返しのつかないくらいに濁ってしまう気がした。
何かに使うだろうと脇に置いておいた椅子に腰掛けた彼女は、肥えた目にしてみても本当に良いところのお嬢様に見えるのが不思議で仕方なく。
両の手は軽く合わせて膝の間に置かれていて、服と肌の境目にできた糸みたいな影だけが異質に黒かった。
「だけどさ。おまえはやっぱり馬鹿だよ」
胸元を気にする節があるのは知っているから、隠せるように。だけど、それだと私がつまらないから背中は大開にしてある。
それだけでも恥ずかしいのか、こっち見ないで下さいなんて、無理な願いをしてくるあたり、やっぱり馬鹿だ。
「私が、着せたかったんだよ。私が」
一人ではとても綺麗には着れないだろうドレスなのに、どうしてか器用に整えてしまう。誇らしくもあり、憎たらしくもある。
わざわざ用意した衣装なのだから、その着付けからやるのが楽しみに決まっているのに、それを分かっていないあたり本当に愚か。
いつも自分がやっていることなのだから、分かっても良いだろうに本当に馬鹿だ。
一度剥いて、またやり直させようか。
「申し訳ありません」
謝りこそすれ、気持ちが込められていないのは丸分かりだ。それでも、嫌らしい感じはしないから、きっとそういうことなのだろう。
口に出したことは一度だってありはしないけれど、必要以上に肌を見られたくない。長年一緒にいて分からないほど、鈍感ではない。
どうにも、人より肌の色素が薄いことを気にしているのだ。
ちなみに普段の丈が短いのは私の趣味だ。誰かに感謝こそされ、文句はないだろう。
文句は言わせても曲げる気はないのだが。
「でも、ね。馬鹿は嫌いじゃないよ」
少しばかり顔の筋が固くなるのが分かったから、言葉でほぐしておくとしよう。弛んでいる方が好みだ。
結わえた髪も解いて流す。同じように編んでばかりいるせいか、緩く癖がついているのがおかしかった。それもなんだか、上品に見えてしまうあたり、私も同じく馬鹿なんだろう。
「化粧の一つでもすれば、もっと綺麗になるよ。きっと」
「そうですか」
「そうだよ。だから、しな」
「はい、って言えたら好いんですけどね」
「なら、私がやってあげるよ、って言えたら好いんだけどね」
残念なことに私に化粧の心得はない。化粧をする必要がないからだ。素こそが最も美しく、化粧など逆に汚れでしかない。吸血鬼の体質万歳である。
そんな私に影響されてか、あるいは主従の関係性に遠慮してか、咲夜もまた心得はない。最低限の身なりを整えて、それで終いだ。
「きっと覚えておきます」
「必要ないよ」
化粧をすれば、きっと、本当に綺麗になるのだろう。
だけど。
「私はお前のそのままの顔が一番好きだ。だから化粧はしてくれるなよ。これからも」
これは命令ではなく、お願いに近い。単純に個人の感覚だし、咲夜自身も私の従者である以前に女性であることは分かっている。
見かけに気を使いたくたって当然だろう。
私の言葉に返事はなく、ただただ黙って目を閉じているだけだった。
しばらくして返事ではない返事が返ってきた。
「外へ。庭でも歩きませんか」
もちろん、断る理由もなしに。何より今日は何でも言うことを聞いてやるつもりなのだった。
住処の紅い館を出ればそこは白塗りの世界だった。
冬である。雪が積もっているわけではない。雪よりも透明に近く曇る吐息が視界を遮るだけだ。
私は人間ではなくて、今の季節がどれほど人の身に辛いものなのかは推すことしかできないが。鼻頭が僅かに赤くなってきているのをみれば、快適でないことは確かだろう。
流石に着の身着のままなのは見るに堪えかねるので上着の一つでも羽織ればと提案してみるが、どうしてか咲夜の耳は悪くなるのだった。
変なところにこだわって、更に頑固さも合わさるのが悪い癖である。一度こうなってしまえば命令口調で強く言わないと従わないのだが、今日はそういうのは無しなので、好きにさせるとしよう。
傘の柄に繋がる手は私のものだ。
一つの傘。私と咲夜。いつもと同じ。
一つの傘に二人で入る。肩がはみ出る。いつもと違う。
「今日は、私は、お嬢様なんですよね」
「一応、そのつもりではあるよ」
「なら、一つ我が儘を、良いですか」
「ああ、聞こうか」
「手を繋いでも、良いですか」
こいつは本当に馬鹿だ。だけど、馬鹿は嫌いじゃない。
相合い傘ですね、なんて自分で言っておきながら、顔を落とすのはどうかと思う。ああ、寒い寒い。きっと私の顔も寒さで赤らんでいるだろう。
庭に埋まった赤い色の花。冬にも関わらず萎えることなく咲いているのは、きっと十分に手入れされているからに違いない。
それらの名前を不精な私は知りもしないが。隣にいる真っ赤な花だけは、自分だけのものにしたくて、手に取った。手を取った。
日はまだ落ちきらず、光を下ろしてきているのに、苦しくはない。
影があるからだ。隣に立つこの人の影だ。私が日に焼けないようにと上手に歩いているからだ。
「大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫さ」
「ずっと、夢だったのですよ」
「うん、私もだ」
いつも、は私が半歩ほど前を歩く。けれど、今日は逆。きっと私に気を使っているのだろう隣の、一足分の歩幅すら曖昧な足取りに合わせてやる。
いつも、は何の不自由も感じないのに、逆にしただけでなんともぎこちなくて、ともすれば転んでしまうのではないかという気になる。
でも、それでも、構わないかと、そんなことを思った。
歩いて、歩いて、どことなく、息が合ってきたとき。お嬢様、と呼ぶ声がした。
「人間はどうしてか美しいままではいられないものですよ」
こいつはどうにも表情を作る。それはそれは、とてもとても、上手に。
僅かばかりに見せる変化。化粧などしたら私でさえ分からなくなってしまうだろう。それはきっととても寂しい気がする。
「うん。お願いだ」
「肌も弛んで、皺もできて、しみもできますよ」
「うん」
「じゃあ、私も、お願いがあります」
「きっと、私は衰えて、傷つくでしょう。そんな時に、どうかまた、誉めてやってはくれませんか」
足が止まる。私も止める。
「お嬢様が、誉めて、好いてくれるのなら、例え誰に謗られようと、このままでいられるから」
「ああ、綺麗さ。今だって、いつだって」
「お嬢様。もう少し時間を頂けますか」
「急いでないから、幾らでも使って良いよ」
だからもう少し歩こうか。足並みが揃うまで。
そう問えば。格好が良くて、可愛らしくて、厳しいのに優しくて、と幾らでも尽きること挙げてくる。
「天は二物を与えずと言うじゃないか」
なんて意地悪を言えば、悪魔だから良いんです。と道理に適っているようで、そうでもないことを言ってくる。
とても愚鈍で、とても無学で、てとも不敏で、盲目的で、鈍感で、持てる力の限りに抱きしめたくなるほどに愛らしい、この従者を愛しく思う。
いつも我が侭ばかり掛けているのだから、逆をしてみるのもいいかもしれない。そんなことを考えてしまうあたり、本当にどうしようもなく我が侭なのだろう。
そんな我が侭な私でも、流石に恩返しというか、日頃の労いというか、あいつの誕生日くらい何かしら酬いてあげても良いのではと、そういうわけだ。
「何か、そうだな、夢とか願いとかって無いのかしら」
「いえ、これというものは」
実につまらない答えだ。
私が求めているのはそういうものではない。
「そうですね。なら、お嬢様が私の夢、というのはどうでしょう」
実に面白い答えだ。
「私が言ったのはこういう意味ではなくてですね」
「ほう。じゃあ、私が悪いって言うのかしら」
「いえ、悪いとかじゃなくて、ですね」
「いいんだよ。なんだって。私が間違っているとか、お前が嫌だとか、そういうのはどうでもいいんだよ。私が、やれって、言ってる。それだけでいいんじゃない」
自分でも我が侭なこと極まりないと思う。しかし、それを改善しようなどという考えは微塵も湧いてはこない。
こいつも何だかんだ抗議はするが、逆らうことはしないのも拍車を掛ける一因となっている。
逆らっても無駄ではあるのだが。
そういうわけで、今回も押し切ろう。
私の寝室。私の寝床。それ以外には特別に目を引く何かはない、そんな部屋。
部屋の作り映えの関係で窓はある。しかし、常にカーテンで閉じられていて、そこから日光を入れたことはない。
「うん。やっぱりお前は器量が良いよ」
ありがとうございます、と聞こえるか聞こえないか程度の声で言うこいつも、今日はお嬢様だ。それが今回の我が侭。
讃辞に色づいた頬とは逆に、真っさらな服。つまりは上物のドレス。
降ったばかりの雪を集めて、白色の絵の具を溶いた色。どんな白よりもどんなにも白く、磨かれた銀すら霞むほどに煌めく。そんな色。
それを纏っている咲夜の色もやはり同じくらいに透明で、きっと私が触ったら取り返しのつかないくらいに濁ってしまう気がした。
何かに使うだろうと脇に置いておいた椅子に腰掛けた彼女は、肥えた目にしてみても本当に良いところのお嬢様に見えるのが不思議で仕方なく。
両の手は軽く合わせて膝の間に置かれていて、服と肌の境目にできた糸みたいな影だけが異質に黒かった。
「だけどさ。おまえはやっぱり馬鹿だよ」
胸元を気にする節があるのは知っているから、隠せるように。だけど、それだと私がつまらないから背中は大開にしてある。
それだけでも恥ずかしいのか、こっち見ないで下さいなんて、無理な願いをしてくるあたり、やっぱり馬鹿だ。
「私が、着せたかったんだよ。私が」
一人ではとても綺麗には着れないだろうドレスなのに、どうしてか器用に整えてしまう。誇らしくもあり、憎たらしくもある。
わざわざ用意した衣装なのだから、その着付けからやるのが楽しみに決まっているのに、それを分かっていないあたり本当に愚か。
いつも自分がやっていることなのだから、分かっても良いだろうに本当に馬鹿だ。
一度剥いて、またやり直させようか。
「申し訳ありません」
謝りこそすれ、気持ちが込められていないのは丸分かりだ。それでも、嫌らしい感じはしないから、きっとそういうことなのだろう。
口に出したことは一度だってありはしないけれど、必要以上に肌を見られたくない。長年一緒にいて分からないほど、鈍感ではない。
どうにも、人より肌の色素が薄いことを気にしているのだ。
ちなみに普段の丈が短いのは私の趣味だ。誰かに感謝こそされ、文句はないだろう。
文句は言わせても曲げる気はないのだが。
「でも、ね。馬鹿は嫌いじゃないよ」
少しばかり顔の筋が固くなるのが分かったから、言葉でほぐしておくとしよう。弛んでいる方が好みだ。
結わえた髪も解いて流す。同じように編んでばかりいるせいか、緩く癖がついているのがおかしかった。それもなんだか、上品に見えてしまうあたり、私も同じく馬鹿なんだろう。
「化粧の一つでもすれば、もっと綺麗になるよ。きっと」
「そうですか」
「そうだよ。だから、しな」
「はい、って言えたら好いんですけどね」
「なら、私がやってあげるよ、って言えたら好いんだけどね」
残念なことに私に化粧の心得はない。化粧をする必要がないからだ。素こそが最も美しく、化粧など逆に汚れでしかない。吸血鬼の体質万歳である。
そんな私に影響されてか、あるいは主従の関係性に遠慮してか、咲夜もまた心得はない。最低限の身なりを整えて、それで終いだ。
「きっと覚えておきます」
「必要ないよ」
化粧をすれば、きっと、本当に綺麗になるのだろう。
だけど。
「私はお前のそのままの顔が一番好きだ。だから化粧はしてくれるなよ。これからも」
これは命令ではなく、お願いに近い。単純に個人の感覚だし、咲夜自身も私の従者である以前に女性であることは分かっている。
見かけに気を使いたくたって当然だろう。
私の言葉に返事はなく、ただただ黙って目を閉じているだけだった。
しばらくして返事ではない返事が返ってきた。
「外へ。庭でも歩きませんか」
もちろん、断る理由もなしに。何より今日は何でも言うことを聞いてやるつもりなのだった。
住処の紅い館を出ればそこは白塗りの世界だった。
冬である。雪が積もっているわけではない。雪よりも透明に近く曇る吐息が視界を遮るだけだ。
私は人間ではなくて、今の季節がどれほど人の身に辛いものなのかは推すことしかできないが。鼻頭が僅かに赤くなってきているのをみれば、快適でないことは確かだろう。
流石に着の身着のままなのは見るに堪えかねるので上着の一つでも羽織ればと提案してみるが、どうしてか咲夜の耳は悪くなるのだった。
変なところにこだわって、更に頑固さも合わさるのが悪い癖である。一度こうなってしまえば命令口調で強く言わないと従わないのだが、今日はそういうのは無しなので、好きにさせるとしよう。
傘の柄に繋がる手は私のものだ。
一つの傘。私と咲夜。いつもと同じ。
一つの傘に二人で入る。肩がはみ出る。いつもと違う。
「今日は、私は、お嬢様なんですよね」
「一応、そのつもりではあるよ」
「なら、一つ我が儘を、良いですか」
「ああ、聞こうか」
「手を繋いでも、良いですか」
こいつは本当に馬鹿だ。だけど、馬鹿は嫌いじゃない。
相合い傘ですね、なんて自分で言っておきながら、顔を落とすのはどうかと思う。ああ、寒い寒い。きっと私の顔も寒さで赤らんでいるだろう。
庭に埋まった赤い色の花。冬にも関わらず萎えることなく咲いているのは、きっと十分に手入れされているからに違いない。
それらの名前を不精な私は知りもしないが。隣にいる真っ赤な花だけは、自分だけのものにしたくて、手に取った。手を取った。
日はまだ落ちきらず、光を下ろしてきているのに、苦しくはない。
影があるからだ。隣に立つこの人の影だ。私が日に焼けないようにと上手に歩いているからだ。
「大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫さ」
「ずっと、夢だったのですよ」
「うん、私もだ」
いつも、は私が半歩ほど前を歩く。けれど、今日は逆。きっと私に気を使っているのだろう隣の、一足分の歩幅すら曖昧な足取りに合わせてやる。
いつも、は何の不自由も感じないのに、逆にしただけでなんともぎこちなくて、ともすれば転んでしまうのではないかという気になる。
でも、それでも、構わないかと、そんなことを思った。
歩いて、歩いて、どことなく、息が合ってきたとき。お嬢様、と呼ぶ声がした。
「人間はどうしてか美しいままではいられないものですよ」
こいつはどうにも表情を作る。それはそれは、とてもとても、上手に。
僅かばかりに見せる変化。化粧などしたら私でさえ分からなくなってしまうだろう。それはきっととても寂しい気がする。
「うん。お願いだ」
「肌も弛んで、皺もできて、しみもできますよ」
「うん」
「じゃあ、私も、お願いがあります」
「きっと、私は衰えて、傷つくでしょう。そんな時に、どうかまた、誉めてやってはくれませんか」
足が止まる。私も止める。
「お嬢様が、誉めて、好いてくれるのなら、例え誰に謗られようと、このままでいられるから」
「ああ、綺麗さ。今だって、いつだって」
「お嬢様。もう少し時間を頂けますか」
「急いでないから、幾らでも使って良いよ」
だからもう少し歩こうか。足並みが揃うまで。