白玉楼は、桜の名所である。
しかし桜だけでは無く、大凡全ての季節において美しい花を見る事が出来る場所であると言うのは余り知られる事のない事実だった。
そして、その花全てを植え、育てて来たのが先代の庭師であると言う事も。
「………幽々子様、お茶が入りました」
「あら妖夢、ありがとう」
しかし白玉楼の主である西行寺幽々子は咲き誇る美しい花々を見つめる事は無かった。
「ワラビが咲き始めましたね、幽々子様」
「そう……」
ここ最近、幽々子は蕾すらつけない大きな桜の木ばかり見つめている。
問いかけにも目立った反応を見せない幽々子を妖夢は確かに心配していた。それと同時に、紫が一刻も早く策を打ってくれる事を望んでいた。
白玉楼がそんな頃、香霖堂は何時も通りだった。
「おぉ!この本は!!」
霖之助は何時ものように客の来ない店の番を何時もの様にこなし、妖忌は奥でメタルでソリッドな日本製のゲームに出てくる敵兵の様な喜び方でPLAY B○Yを読んでニヤけている。
「霖之助殿、外のおなごはこんなにもボンキュッボンじゃとは、そそるのぉ~」
「……はぁ」
呆れていた時だった、呼び鈴が不意になり響き、来客を告げた。
背丈は霖之助を軽く超える男性が接客台を挟んで決まり切った接客の際のセリフを吐いた霖之助の前へ立ち、喋りかける。
「コンパクヨウキはココにイルのか」
霖之助はその男の声の異質さに戦慄した。普通の人間では無い、かと言って人外の気もない。
「…………お客さん、一体何処の誰」
質問に応える事無く、同じ言葉を続けるだけの男に抱く不信感が一層増した霖之助は天板の下に隠してある拳銃に手をかけながらもう一度尋ねるが、答えは返って来なかった。
「答えが無いのが答えだな!」
霖之助は一気に銃を引き抜いた。が次の瞬間、彼は額に鋭い痛みを感じ、床に転げ落ち、そのまま気絶した。
男はそのまま進むと奥で寝ころんでいた妖忌を見つけ、襲いかかった。妖忌はP○AY BOYを盾にし、自身を突き刺そうとしていたナイフをそれで制し、袖から拳銃を抜き、突き付けた。しかし男はそれに動じず、開いていた左手で妖忌を殴り飛ばし、雑誌からナイフを引き抜きさらに突き立てる。
「うぅ…ぐ……」
頭部の痛みで一旦は気絶した霖之助だが、すぐに意識を取り戻した彼の視界には、絶体絶命の妖忌が写っていた。
「……ッ、妖忌さん!」
「霖之助殿!逃げなされ!」
その言葉に従う程、霖之助は正直者では無かった。痛む頭を抑え、霖之助は地面に這いつくばって先程飛ばされた拳銃を捜し始める。
捜しあて、撃鉄を起こして妖忌に覆いかぶさっている男に狙い定め、引いた。放たれた初弾は男の肩に命中したが、45口径弾など効かないのか男は一瞬怯んだだけで尚も攻撃を緩める気配が無い。
銃は使えない、それを悟った妖忌は今尚自らを圧迫しつつある男の腕を片手で押えながら転がっている湯飲みを手に持ち思いっきり男の頭にぶつけた。当たり所が良かったのか、その一発で男は畳に倒れた。
「妖忌さん、大丈夫ですか!」
「こっちのセリフじゃ、頭を見せてみろ」
「それより………」
と言って霖之助は男の服を探り始めた。探り終わって、安心して溜息をもらす。
「何を捜していたのですか」
「里の自警団員だったら所属証明証か認識票、商店や農家だったら里の商店連合や農業組合の組合証を所持しているはずです。でも、無かった」
「ということは………」
「少なくとも、里の人間じゃありません」
幸運です、と霖之助は笑って見せた。更に運が良い事に、霖之助の額にはちょっとした切り傷が一つ出来ていただけだった。
「出血量は少ないですな」
半分妖怪で良かった、霖之助はそう言って笑う。
「取り敢えず、処置をしましょうぞ」
「お願いします」
霖之助は散らかった部屋を見ながら妖忌の処置に体を預けていた。
処置をしている最中、妖忌は霖之助に奥で気絶しているあの男を任せて欲しい、と頼んだ。当然、霖之助は頷く。
「……何処に持って行こうが構いやしませんよ、こいつは貴方が目当てだったんですから」
それより薬と包帯を買い足しに行かなければならない、と霖之助は思った。丁度今の処置で薬箱から全ての消耗品が姿を消した。
八雲紫は、博麗神社の縁側で一枚の紙切れを握りしめていた。
神社の巫女博麗霊夢は横目で彼女を見やりながら訝しんだ。何時もなら、やってきては何かと面倒を押し付けるか、ちょっかいを出してくるこの妖怪が、何故か今日に限って静かになっている。
「……紫、お茶冷めるわよ」
「うん」
霊夢の声に生返事を返しつつも紫の目は紙切れに集中していた。
ますます怪しい。霊夢はさらに口を開く。
「ちょっと紫、聞いて……きゃあっ!?」
霊夢の叫び声の原因は紫の握っていた紙にあった。紙は突然鈍い竜胆色の光を放ち、盛大に燃えていた。
紫は火が自らの手に届くより早く紙を地面に捨て、踏み消して立ち上がる。
風が吹き、燃え滓が飛ぶ。紫は垣根で区切られた境内の方を見据えていた。すると、境内と庭を繋ぐ扉が開き、大男を担いだ剣士が姿を現した。
「………久しぶりね、妖忌」
「何年ぶりですかな、紫殿」
「女性にそれを聞くのはエチケットに反しますわ」
霊夢には何が起きたか、分からなかった。
「………だから森は危険だって常日頃から言ってるんだ!」
「何回も聞いたよ。君からね」
包帯と傷薬の調達を終えた霖之助は、慧音の家にお邪魔させられていた。
「まぁ無事だったから良しとしよう」
「ありがたいね」
そう言いながら出されたお茶を飲みつつ、霖之助は慧音を見つめていると、ある事に気づいて尋ねる。
「服、キツくないか?」
「え?あぁ、良く気付いたなぁ、うん。ちょっとキツくなってきたんだよ」
と慧音は笑った。腕や肩幅もだいぶ狭そうだったので、霖之助はある事を思いついて実行に移す。
「慧音、立って」
「え?なんだ」
「サイズを測らせろ、服をまた仕立ててやるから」
慧音はその一言に喜んだ。霖之助が彼女のために巻き尺を伸ばすのは久しぶりだった。
家の中にあった巻き尺と手帳を取り出して霖之助は採寸を始める。
「あー、肩幅も結構……腕も太くなってきたなぁ」
「太いって女性に言っちゃいけない言葉だぞ」
「ウェストは変わってないね」
「頑張ってるからな」
何をだ、と心で呟きつつ全ての採寸を終えた。
測り終えて、書き記した各部の数字を見て霖之助は驚愕の色をその顔に浮かべる。
(で……でかくなってる………)
何がとは、何処がとは言わない。いや言えない。
(なんで?最後何時慧音の服仕立てた?確か二年か三年前だよな、二年か三年でここまで成長するの?そう言うもんなの!?)
咳払いをして、霖之助は努めて冷静に尋ねた。二~三年前から転ぶことが多くなったんじゃないか?と。
すると慧音は笑いながら答えた。
「あぁ、転びはしないが、よく躓くようになったよ」
何でだろうな、と笑う慧音に霖之助は確信した。こいつ気付いてねぇと。
「どうしてそんなこと聞くんだ?」
「あいや、別にどうもしないよ、うん」
「気になるなぁ、なんだよ」
「いやだから何でも無いって」
気になる、何でも無い、気になる………とこのような問答を続けていると益々不安になって、何処か体の調子がおかしいのだろうかと言う観念にとらわれ始めた慧音のために霖之助は正直に答えることにした。
しかし、正直に答えすぎたため言い終わった瞬間に霖之助は慧音の強烈な張り手を喰らい、気絶することになる。
同じ頃の博麗神社では、同じような雰囲気ではないと言う事だけを伝えておきたい。
「どうぞ、お茶です」
「忝い」
差し出されたお茶を妖忌は受け取りつつ、紫を見据えていた。
紫もまた、妖忌を見据える。霊夢は初めて人外が同じ部屋に居て、居づらい感覚を覚えた。耳が痛くなるほどの静けさが、辛い。
「………あの男は外来人よ、私が結界を開いて外界へ返したところは見ていたでしょう?」
「分かっております。聞きたいのはそうではない、何故あの外来人はワシを狙っておったのですか」
「さぁ、知らないわね」
「嘘を仰いますな、貴方が外界から人を攫い、式を組み込んで襲わせた事くらい分かっております」
狙いがばれたことに驚くことはしなかったが、紫は素直に白状した。
「ね、ねぇ紫、このお爺さん一体誰?」
「あぁ彼は………」
「某、西行寺家が専属庭師、西行寺幽々子嬢の剣術指南及び警護役、魂魄妖忌と申す」
魂魄、と言う記憶の片隅にある言葉を耳にして、霊夢は紫に聞いた。ひょっとして魂魄とはあの魂魄かと。
紫は黙って頷いた。
(よ、妖夢の師匠ってこんなに怖かったんだ………)
「紫殿、まずは真剣に説明していただきたい。ワシ一人が死ぬのなら良いが、怪我を負ったのは霖之助殿ですぞ」
「霖之助さんが怪我!?紫………」
霊夢の追及を妖忌は制し、紫を睨み続ける。
紫は大きく息を吐き出して、式の制御が不十分だったこと、無関係の人に怪我をさせた事を素直に詫びた。
「幽々子が貴方に会いたいって言っててね、その事を伝えるための使いを頼んだんだけど………」
結局は失敗した。事の顛末を聞いて妖忌はおおいに落胆した、目の前の賢者とも呼ばれる妖怪があまりにも遠まわしどころか全く意味もない事をしたからである。
「紫殿、本当に人を呼びたいのであれば、自身が出向くべきでしょう。それが出来なければ藍殿を寄越すべきです。何も外界から攫って来た人間に不確実な式を組み込み、あまつさえ怪我人を出した」
とても頭のいい方法とは思えない。妖忌は怒りを込めて紫を弾劾した。
「私には私なりの考えがあるの。私自身が出向けば貴方は逃げただろうし。……藍を寄越すことも考えたけど、あの子あぁ見えて頭悪いから自分の考えや私の思っている事をべらべら喋っちゃうかもしれない」
それなら敢えて不確実な式を憑けた人間に妖忌達を襲わせ、ある程度の被害を出して怒った妖忌が来ることを期待していた、と紫は言う。
「恐ろしいと言うか、酷い事をするな」
「でも、怪我人が出た事は素直に反省してるわよ」
「でしょうな」
さもなくば斬り捨てております。妖忌は苦虫をかみつぶしたかのような顔で紫にそう言った。
「霊夢、御免なさい、ちょっと席外してくれるかしら?」
「え、良いわよ全然。うん、今すぐ出てくね」
紫の一言を聞いた霊夢は弾かれたかのように立ち上がって居間から飛び出すような形で台所へ避難した。耐えきれない。あんな恐ろしい場所からは一刻も早く遠ざかりたかった。紫の一言は、今の霊夢にとって救い以外の何物でも無かったのである。
「ん………ここは……」
目を覚ますと、心配そうにのぞき込む慧音の顔が最初に映った。霖之助は上体を起こした。
「すまん、霖之助……」
「頼む、今度から言葉を使ってくれ、君と僕は幸いにも共通の言語を使っているんだから」
鉄拳は御免だよ、と言って霖之助は笑った後、さっきの話の続きだがと言って手帳を取り出す。
「生地はどんなのが良い?」
「何でもいい、柄はあんまり派手じゃないの。あ、何でもいいからって貸せんは止めてくれよ、私あれあんまり好きじゃないんだ」
それから明るい色が良い、ここにこう言うのをこうして欲しい、と慧音の要望を霖之助は手帳に書き込んでいった。書き終えると手帳をポケットにしまって帰宅の準備を始める。
「……服は仕立てあがったら届けに行くよ」
「うん、楽しみにしてる」
里の出口で霖之助は慧音に引き留められた。
どうしたのかと問うと、慧音は包帯の巻かれた霖之助の額に手を這わせた。痛くないか、と聞きながら。
霖之助は心配そうな顔で撫でる慧音の手を優しく握り、大丈夫だと言う。
「それじゃあ慧音、もうここらで良いよ」
「……うん」
「………そう、やっぱりまだ幽々子には話したくないのね」
「えぇ、心の準備が出来ておりません」
「分かったわ」
辺りがすっかり暗くなった頃、紫との話が終わり帰ろうとした妖忌は霊夢に尋ねた。
「………ところで霊夢殿は妖夢と良く会うのですか?」
会うのなら伝言を頼みたいと言う妖忌に、霊夢は首を縦に振る。
しかし、妖忌の伝言に霊夢は驚いてそんな重要な事を自分が伝えて良いのか、と妖忌に問い返した。
「いや、そんな重く考えなくても宜しい。それに紫殿の事じゃ、大体の事は妖夢に教えておるじゃろう」
「はぁ……はい、分かりました」
それでもそんな軽い気持ちで良いのだろうか、と霊夢は聞いたが、妖忌は軽い気持ちで言ってくれた方がむしろ良いと言い、神社を去った。
家に辿り着いた妖忌は布相手に奮戦する霖之助を見つけた。
「何をしておいでじゃ」
「見れば分かるでしょう、服を作っているんです」
それはその通りだと言いながら妖忌は霖之助の肩から顔をのぞかせ、どんな服かを見定める。
全体的に淡い水色の、どう見ても女物の服だ。驚いていると、霖之助は神妙な顔で妖忌に向き直った。
「………妖忌さん、お話があります」
「なんじゃ」
「袖はあった方が良いでしょうか、それとも袖無が良いでしょうか」
「知らん」
大体の形は考え、決めているようだが袖があるかないかを考えている霖之助に妖忌は誰の服かと尋ねる。
「慧音の服です。袖無だとなんかなぁ。かといって袖ありだとあの何時もの服に似ちゃいそうだし」
「ほう、あの服はお主が作ったものなのか」
「えぇ。と言うか、里に居た頃からあの子の洋服は全部僕が仕立てていたんですよ」
「ほー………え?」
妖忌は問いなおした。洋服を仕立てていたと言う事は慧音のシークレットスリーを知っているのかと。
「はい、一応十数年分のデータはありますよ。あ、見せませんからね」
「…………………」
「妖忌さん?」
何の反応もない妖忌を振り返った霖之助は絶叫した。
「妖忌さん!どうしたんですか!!」
「お主のせいじゃッ!」
妖忌の足元には紅い点が幾つもできており、鼻を抑えている所から鼻血が噴出したものだと思われる。
霖之助は作りかけの布地を避難を優先させ、次にちり紙を妖忌の鼻に押し込めた。
「なんで鼻血なんか出るんですか」
「ワシの想像力は人一倍強い」
知りませんよ、と言って霖之助は服作りに戻る。
妖忌は霖之助の前へ座り、作業を眺めた。布の扱いは勿論、犬歯で糸を噛み切る仕草は男のそれとは思えない程繊細だった。
「……なんですか?」
「いや、霖之助殿が女子じゃったらさぞ引く手数多じゃったろうな、と思っておりました」
「何をばかなこと言っているんですか」
「いや、裁縫が余りにも見事すぎて」
少し驚きました。と妖忌は笑う。
対する霖之助はまんじりともせずに溜息を吐きだした。周りにやんちゃ過ぎる子がいれば裁縫は上手くなると。
「魔理沙や霊夢、あの子らの服が破れたりするとすぐに僕の所に来るんです。直せって」
「慧音殿も、そんな風だったのですか?」
「えぇ、慧音はもっとひどい。体が大きくなったりして、破れるより性質が悪い。一々採寸して型紙を起こし直さなきゃならない」
でも頼ってくれるのは素直にうれしい、霖之助はそう言った。愚痴を零しつつも微笑みながら布仕事をする霖之助はとても優しそうな、子供がいれば良い親になると妖忌は思った。
夜、幽々子は傍らの紫に唐突に話しかけた。
「………ねぇ紫、私ね、最近夢を見るの」
「夢?」
頷いて幽々子は妖忌と自分と紫が満開の西行妖の下で花見をしていると言う夢を見るらしい。
それに妖忌はまだ若くて、髪の毛も黒い。自分も背丈が小さくて、紫はそのままなのだと言った。
「私だけ何時も通りって何か悔しいわね」
「可笑しいでしょう?あの桜が咲いた事なんて無いのに」
でもあの夢は驚きよりも懐かしさが含まれていた。幽々子はそう呟き、少し悲しい顔をして紫を見据える。
幽々子の顔と目に、紫はその心臓を鷲掴みにされたかのような感覚を覚えた。幽々子は、妖忌に会えば何か分かるのだろうか、と呟いた。
「ね、ねぇ幽々子、今度一緒に何処か行かない?」
「何処かって、何処?」
「何処でも良いじゃない」
偶には白玉楼の外に出てもいいんじゃないか、紫はそう言って色々な場所を挙げた。湖の畔の館はどうか、それか里の近くにできた風変りな寺へ行ってみないか。
紫の提案に幽々子は先程よりは若干楽しそうな顔で耳を傾けている。
「そうねぇ………じゃあ、あの森の古道具屋さんに行ってみたいわ、妖夢は散々な目にあったようだけど、ちょっと興味があるの」
幽々子の提案に、紫は笑顔で同意した。
何時頃が良いのだろうかと問う幽々子に、一週間後はどうかと提案する。
「ちょうど良いわね」
「じゃあ幽々子、一週間後に迎えに来るから」
「うん、じゃあね」
おやすみ、そう一言残して紫は隙間へと消えて行った。
睡眠、と言う二文字が頭の中には無いとでも言いたいように服作りに没頭している霖之助の背中に妖忌は話しかけた。
「……なんです?妖忌さん」
「お茶でも淹れましょうか」
「あぁ、お願いします」
妖忌は立ち上がり、台所へ向かい湯を沸かし始める。
二人分の茶をそれぞれの湯呑に注ぎ、持って行った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
一旦作業を辞めた霖之助に、妖忌はまたもや話しかけた。一週間後に白玉楼へと訪れると。
勿論、霖之助はこの言葉に大いに驚いた。
「幽々子さんに会いに行くんですか?」
「違う、弟子に。妖夢に会ってこようと思う」
「違うって言っても、何時もそこに居るんじゃ?」
「一週間後、紫殿が連れ出してくれるそうです」
へぇ、とだけ呟いて霖之助はまた布地に目を戻す。
目を覚ますと妖忌の姿が香霖堂から消えていた。
まだ一週間後じゃないよなぁとカレンダーを見る霖之助。捜すまでもなく、理由は解明できた。手紙が置かれている。
『里へ行ってきます 妖忌』
「あぁ、今日も自警団の仕事か」
その後全て諸々の事をし終えた霖之助は、またもや作りかけの服へ向き直るのだった。
とその時だった、店の呼び鈴がけたたましく鳴り響き、来客を告げた。曲りなりにも商人の霖之助は一旦作業の手を止め、客を出迎える。
「よ、香霖」
「なんだ、魔理沙か」
何時も通りの顔に落ち込みもせずに霖之助は奥へと下がって行った。
「生憎だが持て成しは出来ないぞ、今は服を仕立てているんだ」
「服?私のか?」
「違うよ」
「誰のだ」
「慧音だ」
魔理沙は大いに驚いた。まさかあの堅物教師の服を仕立てているとは思わなんだと素直な感想を言うと、霖之助は慧音の服はほとんど自分が仕立てたと言う。
「嘘だろ!?なぁ、冗談はよせよ」
「嘘じゃないさ」
慧音は随分と裁縫が下手だったからなぁ、と霖之助は遠い目で作業を進めた。
魔理沙は詳しく聞かせてくれよと強請って、霖之助は肩をすくめながら語り出す。
魔理沙が生まれる十数年前だったかな、その頃から呉服店にワンピースや背広が並び出したんだ。
『……おぉ、見ろよキリサメ、これすっごいカッコいいなぁ』
『背広か、僕には似合わなさそうだな』
『いや似合う、絶対似合うよ』
『その根拠は何処から来るのか是非ご教授願いたい』
どっちかって言うと背広は親父さんに似合いそうだよな………魔理沙、嫌な顔はしないでくれよ。
でだ、当然慧音は女物の服にも興味を示した。あの時の流行りはワンピースだったかな。
『キリサメ、私これ似合うかな』
『どうかな』
『………お前見てないだろ』
見て無かったね、どっちかと言うと作業場のミシンをチラチラ見てたね。
それで余りにもしつこく見ろ見ろって言ってくるから、ちょっと見たんだ、そしたら。
『似合うじゃないか……』
「似合ってたんだ」
「ほう」
物凄く似合っていた、と霖之助は言う。
「当時は和服中心だったからなぁ、洋服なんて自警団の肋骨服位なもんだったよ」
「あぁ、あの学ランに紐がくっついたみたいな?」
「良く知ってるね」
それもそのはず、魔理沙がまだ家を出て無い頃は店主霧雨もまた自警団の一員として馬に乗っていたのだ。
父の話題は出したくないものの、何処かに懐かしさを覚えた魔理沙を霖之助は微笑みながら頭を撫でる。
「……子供扱いは止めろよぉ」
「僕から見たら君は子供さ」
「で、続きは?」
そう、話の続きをしよう。
ちゃっかり試着なんかした慧音を見た僕は見惚れたのと同時に驚いてすぐに脱ぐよう言ったんだ。決して下心があったわけじゃないよ?
『慧音!何してるんだ!』
『試着だよ』
店員さんが良いと言ったから良いんだろうけどその時は大騒ぎだな。何しろ金なんか一銭も持ち歩いてない身分だ、洋服なんか買えるわけがない。
『慧音、早く脱いでくるんだ。僕らは一文なしだぞ』
『分かってるさ』
帰り道、当然さっきの服について慧音は心を奪われていたね。
『……あの服、良かったなぁ』
『作ればいいんじゃないか?』
でも当時は服を作れる量の布地を買うなんてやっぱり学生の僕らには無理で。
『私は裁縫は大の苦手なんだがな』
慧音の裁縫の下手さは物凄かったんだ。雑巾一枚縫うのだって指に傷を作りまくって、実習の時間なんか何時も僕が隣に居ないと駄目だったんだ。
『………しょうがない、僕が作ってやろうか?』
ちょっとした冗談のつもりだったんだ、慧音だって馬鹿じゃない。
服を作る際には何をしなきゃならない?そう、採寸だよ。採寸ってことはあれだ魔理沙、つまりはそれだよ。
分からないって?それは幸せな事だ。
『本当かキリサメ!?』
『え!?』
あいつったら僕に抱きつかんばかりの勢いで喜んでさ、あんな顔見せられちゃ「うん」と言うしか無いじゃないか。
一応僕は言ったわけだよ、採寸をするんだぞ、男に測られるんだぞあれやこれやを、とね。
それでも慧音は
『キリサメだったら良いよ』
こうきたもんだ。
よしそれなら僕も男だ、やってやろうじゃないか。……魔理沙、そっちの意味じゃない。
『布地は何でもいいな?』
『おう』
まぁ実際、服なんて作った事無いけど雑巾やハンケチ、巾着袋に帽子まではやったことがある。なんとかなるだろうって思ったわけだよ。
実際里の古書店を廻ったり、道具店の裁縫指南書を掻き集めてそれらしいものがあったから何とかなったんだ。
店の仕事と学問会の勉強の合間にチクチクと針仕事を進めていたんだがね、ある日やっぱり感づかれたよ、親父さんに。
『キリサメ君、最近よく部屋に籠りますねぇ』
『はぁ……えぇ、まぁ』
『何をしておいでですか』
僕は答えられなかった。
何故なら服の布は同じ色の僕の服を何着かばらしてやっていたんだからね。服は親父さんから貰ったものだから、言うに言えなくって。
『キリサメ君、最近同じ服を良く着ますねぇ』
でも結局バレるものはバレるんだ。
服は五着位しか無くって、その内の三着は服作りに消えたから、二着を使いまわしていたわけだよ。
『その………実は……』
正直に言ったよ。慧音と呉服店の洋服を見たこと、僕が作ってやると安請け合いしてしまったこと、そして貰った服をばらして使っていたこと。
確かにげんこつ一発貰ったけど、結局は許してくれたよ。
『マッタク、僕に一言言えばちゃんとした布を用意できたのに』
『すいません』
『取り敢えず見せて御覧なさい、服』
『え?』
聞いてみると親父さんは店が安定して稼げるまでは服の修繕や仕立なんかは自分一人でやっていたらしかったんだ。
『………ほー、始めてにしちゃあ良くできてますねぇ』
『そうですか?』
『独学でここまでとは驚きましたよ』
そうやって親父さんの助言や本の協力もあって、約束した一ヶ月後には慧音の下へ届ける事が出来たんだよ。
『……慧音、ほら』
『わぁ、これ、あの店の奴と同じ形じゃないか』
『やるならトコトンやる。僕の性分なんでね』
その時から僕は凝り性だったんだ。
まぁそうやって服を作ってあげたのがきっかけで体が大きくなったり何かお祝い事があると僕に服を作ってくれってなったんだよ。
「……まぁそうやって、服を作るのがどんどん得意になって行ったわけだ」
「ほー」
「昔っからやってるけど、まぁ成長が良く分かるね」
その一言に魔理沙は吹き出し、先日の妖忌と同じ問いを投げかける。
「あぁ、あの時の慧音は間違いなく君よりも大きかったよ。色んな部分がね」
霖之助も同じく詳細な数字は出さなかったが、その一言は魔理沙の気分を沈ませるのには十分なものだった。
一週間後、漸く完成した服を満足げに眺めている霖之助を妖忌が後ろから声をかけた。
「出発ですか」
「ほうじゃ。霖之助殿も服を渡しに行くんじゃろ」
頷いて霖之助は服を畳み始める。
妖忌が卓袱台に拳銃を置いたのを見て霖之助は持って行かないのかと問うた。
「弟子に会いに行くだけじゃよ、何で銃なんぞ持たにゃならんのじゃ」
「それはそうですね」
行ってくる、と言って店を出た妖忌に続いて霖之助も歩きだした。里に向かって。
「……おや、霖之助君」
「あ、親父さん」
店主霧雨は風呂敷包みを抱えたかつての弟子を見て、声をかけた。
弛みきっている顔には、何か良い事をしたあるいは、良い事があると如実に語っている。
「どうしたんですか、風呂敷抱えて」
「はは、かくかくしかじかで」
「ふーん、成る程」
店主は今から行けばまだ寺子屋の始まる前だから間に合う、と言って霖之助を走らせた。
「霖之助君、お話があるんであとで店に寄って下さい」
「はい!わかりました」
まるで変わっていない。店主は微笑みながら駆けて往く弟子の背を見送り、店へと戻っていく。
霖之助は息を切らして到着した慧音の家の呼び鈴を鳴らした。
「おう、霖之助、どうした」
「服、仕立てて来たよ」
「え、早いなぁ。まぁ上がって行ってくれよ、茶くらい出させてくれ」
待っている間、霖之助は畳に寝ころんでいた。目を閉じていると台所から声がかかる。
「……お待たせ」
「おう、あり……が、と」
言葉を失った。何時の間にか慧音が自らの仕立てた服に身を包んで、しかも似合っていた。
慧音は気恥ずかしそうに尋ねる。
「……似合ってるか?」
「似合ってる、うん、凄いよ」
「ふ、服が良いんだよ」
服の出来だけでは無いだろう。
空色を基本として桜の花びらをあしらった服はこれからの季節に良くあうだろうと思ってやったら案の定あった。
「なんか悪いな、こうやって何時も何時も仕立てて貰って」
「そう思うならウチの商品、何でもいいから買って行ってくれないかな」
冗談だよ、と霖之助は笑って茶を啜る。
朝早くに発った幽々子がいない白玉楼は静かだった。
妖夢は朝食を食べた後、一人静かに道場を掃除していた。それと言うのも五日前、気紛れに訪れた博麗神社で妖忌が来ると教えられたからである。
『妖忌さん、久しぶりに稽古をつけてやるって張り切ってたわよ』
霊夢の言葉に胸が躍る。妖忌と剣を交えることが出来るのは素直にうれしい事だ。
ふと、後ろに気配を感じ振り向くと会いたかった顔が妖夢を見据えている。
「師匠!」
「妖夢、久しいのう」
妖忌は道場で近況を報告した。
今何処で住んでいるか、何をして食べているか、妖夢は一言一句聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「妖夢、これを持て」
いきなりだった。
妖忌は腰に帯びていた刀を妖夢に落ちつけて立ち上がる。
「え、師匠?」
「立て」
言われた通りにすると今度は妖忌は脇差を抜き放ち、妖夢に突き付けた。
余りの事に混乱していると、妖忌は最後通牒の様に妖夢に迫る。
「刀を抜け、刃引きはしてある」
一方霧雨道具店。霖之助は先程の慧音と相対した時の顔では無かった。
「……そんな怖い顔しないで下さいよ霖之助君、何も取って食おうと言う訳じゃないんです」
「それだけは出来ません親父さん、こんな状況ではね」
それはそうだ、と言って店主は茶を一口飲む。
霖之助は出された茶を飲みもせず、じっと見ていた。仕事の事で話がしたい、そう店主に請われ、やってきた。心中が穏やかであるわけがない。
「所で霖之助君」
唐突に店主が口を開いた。
「君の副業、上手く行ってますか」
しかし桜だけでは無く、大凡全ての季節において美しい花を見る事が出来る場所であると言うのは余り知られる事のない事実だった。
そして、その花全てを植え、育てて来たのが先代の庭師であると言う事も。
「………幽々子様、お茶が入りました」
「あら妖夢、ありがとう」
しかし白玉楼の主である西行寺幽々子は咲き誇る美しい花々を見つめる事は無かった。
「ワラビが咲き始めましたね、幽々子様」
「そう……」
ここ最近、幽々子は蕾すらつけない大きな桜の木ばかり見つめている。
問いかけにも目立った反応を見せない幽々子を妖夢は確かに心配していた。それと同時に、紫が一刻も早く策を打ってくれる事を望んでいた。
白玉楼がそんな頃、香霖堂は何時も通りだった。
「おぉ!この本は!!」
霖之助は何時ものように客の来ない店の番を何時もの様にこなし、妖忌は奥でメタルでソリッドな日本製のゲームに出てくる敵兵の様な喜び方でPLAY B○Yを読んでニヤけている。
「霖之助殿、外のおなごはこんなにもボンキュッボンじゃとは、そそるのぉ~」
「……はぁ」
呆れていた時だった、呼び鈴が不意になり響き、来客を告げた。
背丈は霖之助を軽く超える男性が接客台を挟んで決まり切った接客の際のセリフを吐いた霖之助の前へ立ち、喋りかける。
「コンパクヨウキはココにイルのか」
霖之助はその男の声の異質さに戦慄した。普通の人間では無い、かと言って人外の気もない。
「…………お客さん、一体何処の誰」
質問に応える事無く、同じ言葉を続けるだけの男に抱く不信感が一層増した霖之助は天板の下に隠してある拳銃に手をかけながらもう一度尋ねるが、答えは返って来なかった。
「答えが無いのが答えだな!」
霖之助は一気に銃を引き抜いた。が次の瞬間、彼は額に鋭い痛みを感じ、床に転げ落ち、そのまま気絶した。
男はそのまま進むと奥で寝ころんでいた妖忌を見つけ、襲いかかった。妖忌はP○AY BOYを盾にし、自身を突き刺そうとしていたナイフをそれで制し、袖から拳銃を抜き、突き付けた。しかし男はそれに動じず、開いていた左手で妖忌を殴り飛ばし、雑誌からナイフを引き抜きさらに突き立てる。
「うぅ…ぐ……」
頭部の痛みで一旦は気絶した霖之助だが、すぐに意識を取り戻した彼の視界には、絶体絶命の妖忌が写っていた。
「……ッ、妖忌さん!」
「霖之助殿!逃げなされ!」
その言葉に従う程、霖之助は正直者では無かった。痛む頭を抑え、霖之助は地面に這いつくばって先程飛ばされた拳銃を捜し始める。
捜しあて、撃鉄を起こして妖忌に覆いかぶさっている男に狙い定め、引いた。放たれた初弾は男の肩に命中したが、45口径弾など効かないのか男は一瞬怯んだだけで尚も攻撃を緩める気配が無い。
銃は使えない、それを悟った妖忌は今尚自らを圧迫しつつある男の腕を片手で押えながら転がっている湯飲みを手に持ち思いっきり男の頭にぶつけた。当たり所が良かったのか、その一発で男は畳に倒れた。
「妖忌さん、大丈夫ですか!」
「こっちのセリフじゃ、頭を見せてみろ」
「それより………」
と言って霖之助は男の服を探り始めた。探り終わって、安心して溜息をもらす。
「何を捜していたのですか」
「里の自警団員だったら所属証明証か認識票、商店や農家だったら里の商店連合や農業組合の組合証を所持しているはずです。でも、無かった」
「ということは………」
「少なくとも、里の人間じゃありません」
幸運です、と霖之助は笑って見せた。更に運が良い事に、霖之助の額にはちょっとした切り傷が一つ出来ていただけだった。
「出血量は少ないですな」
半分妖怪で良かった、霖之助はそう言って笑う。
「取り敢えず、処置をしましょうぞ」
「お願いします」
霖之助は散らかった部屋を見ながら妖忌の処置に体を預けていた。
処置をしている最中、妖忌は霖之助に奥で気絶しているあの男を任せて欲しい、と頼んだ。当然、霖之助は頷く。
「……何処に持って行こうが構いやしませんよ、こいつは貴方が目当てだったんですから」
それより薬と包帯を買い足しに行かなければならない、と霖之助は思った。丁度今の処置で薬箱から全ての消耗品が姿を消した。
八雲紫は、博麗神社の縁側で一枚の紙切れを握りしめていた。
神社の巫女博麗霊夢は横目で彼女を見やりながら訝しんだ。何時もなら、やってきては何かと面倒を押し付けるか、ちょっかいを出してくるこの妖怪が、何故か今日に限って静かになっている。
「……紫、お茶冷めるわよ」
「うん」
霊夢の声に生返事を返しつつも紫の目は紙切れに集中していた。
ますます怪しい。霊夢はさらに口を開く。
「ちょっと紫、聞いて……きゃあっ!?」
霊夢の叫び声の原因は紫の握っていた紙にあった。紙は突然鈍い竜胆色の光を放ち、盛大に燃えていた。
紫は火が自らの手に届くより早く紙を地面に捨て、踏み消して立ち上がる。
風が吹き、燃え滓が飛ぶ。紫は垣根で区切られた境内の方を見据えていた。すると、境内と庭を繋ぐ扉が開き、大男を担いだ剣士が姿を現した。
「………久しぶりね、妖忌」
「何年ぶりですかな、紫殿」
「女性にそれを聞くのはエチケットに反しますわ」
霊夢には何が起きたか、分からなかった。
「………だから森は危険だって常日頃から言ってるんだ!」
「何回も聞いたよ。君からね」
包帯と傷薬の調達を終えた霖之助は、慧音の家にお邪魔させられていた。
「まぁ無事だったから良しとしよう」
「ありがたいね」
そう言いながら出されたお茶を飲みつつ、霖之助は慧音を見つめていると、ある事に気づいて尋ねる。
「服、キツくないか?」
「え?あぁ、良く気付いたなぁ、うん。ちょっとキツくなってきたんだよ」
と慧音は笑った。腕や肩幅もだいぶ狭そうだったので、霖之助はある事を思いついて実行に移す。
「慧音、立って」
「え?なんだ」
「サイズを測らせろ、服をまた仕立ててやるから」
慧音はその一言に喜んだ。霖之助が彼女のために巻き尺を伸ばすのは久しぶりだった。
家の中にあった巻き尺と手帳を取り出して霖之助は採寸を始める。
「あー、肩幅も結構……腕も太くなってきたなぁ」
「太いって女性に言っちゃいけない言葉だぞ」
「ウェストは変わってないね」
「頑張ってるからな」
何をだ、と心で呟きつつ全ての採寸を終えた。
測り終えて、書き記した各部の数字を見て霖之助は驚愕の色をその顔に浮かべる。
(で……でかくなってる………)
何がとは、何処がとは言わない。いや言えない。
(なんで?最後何時慧音の服仕立てた?確か二年か三年前だよな、二年か三年でここまで成長するの?そう言うもんなの!?)
咳払いをして、霖之助は努めて冷静に尋ねた。二~三年前から転ぶことが多くなったんじゃないか?と。
すると慧音は笑いながら答えた。
「あぁ、転びはしないが、よく躓くようになったよ」
何でだろうな、と笑う慧音に霖之助は確信した。こいつ気付いてねぇと。
「どうしてそんなこと聞くんだ?」
「あいや、別にどうもしないよ、うん」
「気になるなぁ、なんだよ」
「いやだから何でも無いって」
気になる、何でも無い、気になる………とこのような問答を続けていると益々不安になって、何処か体の調子がおかしいのだろうかと言う観念にとらわれ始めた慧音のために霖之助は正直に答えることにした。
しかし、正直に答えすぎたため言い終わった瞬間に霖之助は慧音の強烈な張り手を喰らい、気絶することになる。
同じ頃の博麗神社では、同じような雰囲気ではないと言う事だけを伝えておきたい。
「どうぞ、お茶です」
「忝い」
差し出されたお茶を妖忌は受け取りつつ、紫を見据えていた。
紫もまた、妖忌を見据える。霊夢は初めて人外が同じ部屋に居て、居づらい感覚を覚えた。耳が痛くなるほどの静けさが、辛い。
「………あの男は外来人よ、私が結界を開いて外界へ返したところは見ていたでしょう?」
「分かっております。聞きたいのはそうではない、何故あの外来人はワシを狙っておったのですか」
「さぁ、知らないわね」
「嘘を仰いますな、貴方が外界から人を攫い、式を組み込んで襲わせた事くらい分かっております」
狙いがばれたことに驚くことはしなかったが、紫は素直に白状した。
「ね、ねぇ紫、このお爺さん一体誰?」
「あぁ彼は………」
「某、西行寺家が専属庭師、西行寺幽々子嬢の剣術指南及び警護役、魂魄妖忌と申す」
魂魄、と言う記憶の片隅にある言葉を耳にして、霊夢は紫に聞いた。ひょっとして魂魄とはあの魂魄かと。
紫は黙って頷いた。
(よ、妖夢の師匠ってこんなに怖かったんだ………)
「紫殿、まずは真剣に説明していただきたい。ワシ一人が死ぬのなら良いが、怪我を負ったのは霖之助殿ですぞ」
「霖之助さんが怪我!?紫………」
霊夢の追及を妖忌は制し、紫を睨み続ける。
紫は大きく息を吐き出して、式の制御が不十分だったこと、無関係の人に怪我をさせた事を素直に詫びた。
「幽々子が貴方に会いたいって言っててね、その事を伝えるための使いを頼んだんだけど………」
結局は失敗した。事の顛末を聞いて妖忌はおおいに落胆した、目の前の賢者とも呼ばれる妖怪があまりにも遠まわしどころか全く意味もない事をしたからである。
「紫殿、本当に人を呼びたいのであれば、自身が出向くべきでしょう。それが出来なければ藍殿を寄越すべきです。何も外界から攫って来た人間に不確実な式を組み込み、あまつさえ怪我人を出した」
とても頭のいい方法とは思えない。妖忌は怒りを込めて紫を弾劾した。
「私には私なりの考えがあるの。私自身が出向けば貴方は逃げただろうし。……藍を寄越すことも考えたけど、あの子あぁ見えて頭悪いから自分の考えや私の思っている事をべらべら喋っちゃうかもしれない」
それなら敢えて不確実な式を憑けた人間に妖忌達を襲わせ、ある程度の被害を出して怒った妖忌が来ることを期待していた、と紫は言う。
「恐ろしいと言うか、酷い事をするな」
「でも、怪我人が出た事は素直に反省してるわよ」
「でしょうな」
さもなくば斬り捨てております。妖忌は苦虫をかみつぶしたかのような顔で紫にそう言った。
「霊夢、御免なさい、ちょっと席外してくれるかしら?」
「え、良いわよ全然。うん、今すぐ出てくね」
紫の一言を聞いた霊夢は弾かれたかのように立ち上がって居間から飛び出すような形で台所へ避難した。耐えきれない。あんな恐ろしい場所からは一刻も早く遠ざかりたかった。紫の一言は、今の霊夢にとって救い以外の何物でも無かったのである。
「ん………ここは……」
目を覚ますと、心配そうにのぞき込む慧音の顔が最初に映った。霖之助は上体を起こした。
「すまん、霖之助……」
「頼む、今度から言葉を使ってくれ、君と僕は幸いにも共通の言語を使っているんだから」
鉄拳は御免だよ、と言って霖之助は笑った後、さっきの話の続きだがと言って手帳を取り出す。
「生地はどんなのが良い?」
「何でもいい、柄はあんまり派手じゃないの。あ、何でもいいからって貸せんは止めてくれよ、私あれあんまり好きじゃないんだ」
それから明るい色が良い、ここにこう言うのをこうして欲しい、と慧音の要望を霖之助は手帳に書き込んでいった。書き終えると手帳をポケットにしまって帰宅の準備を始める。
「……服は仕立てあがったら届けに行くよ」
「うん、楽しみにしてる」
里の出口で霖之助は慧音に引き留められた。
どうしたのかと問うと、慧音は包帯の巻かれた霖之助の額に手を這わせた。痛くないか、と聞きながら。
霖之助は心配そうな顔で撫でる慧音の手を優しく握り、大丈夫だと言う。
「それじゃあ慧音、もうここらで良いよ」
「……うん」
「………そう、やっぱりまだ幽々子には話したくないのね」
「えぇ、心の準備が出来ておりません」
「分かったわ」
辺りがすっかり暗くなった頃、紫との話が終わり帰ろうとした妖忌は霊夢に尋ねた。
「………ところで霊夢殿は妖夢と良く会うのですか?」
会うのなら伝言を頼みたいと言う妖忌に、霊夢は首を縦に振る。
しかし、妖忌の伝言に霊夢は驚いてそんな重要な事を自分が伝えて良いのか、と妖忌に問い返した。
「いや、そんな重く考えなくても宜しい。それに紫殿の事じゃ、大体の事は妖夢に教えておるじゃろう」
「はぁ……はい、分かりました」
それでもそんな軽い気持ちで良いのだろうか、と霊夢は聞いたが、妖忌は軽い気持ちで言ってくれた方がむしろ良いと言い、神社を去った。
家に辿り着いた妖忌は布相手に奮戦する霖之助を見つけた。
「何をしておいでじゃ」
「見れば分かるでしょう、服を作っているんです」
それはその通りだと言いながら妖忌は霖之助の肩から顔をのぞかせ、どんな服かを見定める。
全体的に淡い水色の、どう見ても女物の服だ。驚いていると、霖之助は神妙な顔で妖忌に向き直った。
「………妖忌さん、お話があります」
「なんじゃ」
「袖はあった方が良いでしょうか、それとも袖無が良いでしょうか」
「知らん」
大体の形は考え、決めているようだが袖があるかないかを考えている霖之助に妖忌は誰の服かと尋ねる。
「慧音の服です。袖無だとなんかなぁ。かといって袖ありだとあの何時もの服に似ちゃいそうだし」
「ほう、あの服はお主が作ったものなのか」
「えぇ。と言うか、里に居た頃からあの子の洋服は全部僕が仕立てていたんですよ」
「ほー………え?」
妖忌は問いなおした。洋服を仕立てていたと言う事は慧音のシークレットスリーを知っているのかと。
「はい、一応十数年分のデータはありますよ。あ、見せませんからね」
「…………………」
「妖忌さん?」
何の反応もない妖忌を振り返った霖之助は絶叫した。
「妖忌さん!どうしたんですか!!」
「お主のせいじゃッ!」
妖忌の足元には紅い点が幾つもできており、鼻を抑えている所から鼻血が噴出したものだと思われる。
霖之助は作りかけの布地を避難を優先させ、次にちり紙を妖忌の鼻に押し込めた。
「なんで鼻血なんか出るんですか」
「ワシの想像力は人一倍強い」
知りませんよ、と言って霖之助は服作りに戻る。
妖忌は霖之助の前へ座り、作業を眺めた。布の扱いは勿論、犬歯で糸を噛み切る仕草は男のそれとは思えない程繊細だった。
「……なんですか?」
「いや、霖之助殿が女子じゃったらさぞ引く手数多じゃったろうな、と思っておりました」
「何をばかなこと言っているんですか」
「いや、裁縫が余りにも見事すぎて」
少し驚きました。と妖忌は笑う。
対する霖之助はまんじりともせずに溜息を吐きだした。周りにやんちゃ過ぎる子がいれば裁縫は上手くなると。
「魔理沙や霊夢、あの子らの服が破れたりするとすぐに僕の所に来るんです。直せって」
「慧音殿も、そんな風だったのですか?」
「えぇ、慧音はもっとひどい。体が大きくなったりして、破れるより性質が悪い。一々採寸して型紙を起こし直さなきゃならない」
でも頼ってくれるのは素直にうれしい、霖之助はそう言った。愚痴を零しつつも微笑みながら布仕事をする霖之助はとても優しそうな、子供がいれば良い親になると妖忌は思った。
夜、幽々子は傍らの紫に唐突に話しかけた。
「………ねぇ紫、私ね、最近夢を見るの」
「夢?」
頷いて幽々子は妖忌と自分と紫が満開の西行妖の下で花見をしていると言う夢を見るらしい。
それに妖忌はまだ若くて、髪の毛も黒い。自分も背丈が小さくて、紫はそのままなのだと言った。
「私だけ何時も通りって何か悔しいわね」
「可笑しいでしょう?あの桜が咲いた事なんて無いのに」
でもあの夢は驚きよりも懐かしさが含まれていた。幽々子はそう呟き、少し悲しい顔をして紫を見据える。
幽々子の顔と目に、紫はその心臓を鷲掴みにされたかのような感覚を覚えた。幽々子は、妖忌に会えば何か分かるのだろうか、と呟いた。
「ね、ねぇ幽々子、今度一緒に何処か行かない?」
「何処かって、何処?」
「何処でも良いじゃない」
偶には白玉楼の外に出てもいいんじゃないか、紫はそう言って色々な場所を挙げた。湖の畔の館はどうか、それか里の近くにできた風変りな寺へ行ってみないか。
紫の提案に幽々子は先程よりは若干楽しそうな顔で耳を傾けている。
「そうねぇ………じゃあ、あの森の古道具屋さんに行ってみたいわ、妖夢は散々な目にあったようだけど、ちょっと興味があるの」
幽々子の提案に、紫は笑顔で同意した。
何時頃が良いのだろうかと問う幽々子に、一週間後はどうかと提案する。
「ちょうど良いわね」
「じゃあ幽々子、一週間後に迎えに来るから」
「うん、じゃあね」
おやすみ、そう一言残して紫は隙間へと消えて行った。
睡眠、と言う二文字が頭の中には無いとでも言いたいように服作りに没頭している霖之助の背中に妖忌は話しかけた。
「……なんです?妖忌さん」
「お茶でも淹れましょうか」
「あぁ、お願いします」
妖忌は立ち上がり、台所へ向かい湯を沸かし始める。
二人分の茶をそれぞれの湯呑に注ぎ、持って行った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
一旦作業を辞めた霖之助に、妖忌はまたもや話しかけた。一週間後に白玉楼へと訪れると。
勿論、霖之助はこの言葉に大いに驚いた。
「幽々子さんに会いに行くんですか?」
「違う、弟子に。妖夢に会ってこようと思う」
「違うって言っても、何時もそこに居るんじゃ?」
「一週間後、紫殿が連れ出してくれるそうです」
へぇ、とだけ呟いて霖之助はまた布地に目を戻す。
目を覚ますと妖忌の姿が香霖堂から消えていた。
まだ一週間後じゃないよなぁとカレンダーを見る霖之助。捜すまでもなく、理由は解明できた。手紙が置かれている。
『里へ行ってきます 妖忌』
「あぁ、今日も自警団の仕事か」
その後全て諸々の事をし終えた霖之助は、またもや作りかけの服へ向き直るのだった。
とその時だった、店の呼び鈴がけたたましく鳴り響き、来客を告げた。曲りなりにも商人の霖之助は一旦作業の手を止め、客を出迎える。
「よ、香霖」
「なんだ、魔理沙か」
何時も通りの顔に落ち込みもせずに霖之助は奥へと下がって行った。
「生憎だが持て成しは出来ないぞ、今は服を仕立てているんだ」
「服?私のか?」
「違うよ」
「誰のだ」
「慧音だ」
魔理沙は大いに驚いた。まさかあの堅物教師の服を仕立てているとは思わなんだと素直な感想を言うと、霖之助は慧音の服はほとんど自分が仕立てたと言う。
「嘘だろ!?なぁ、冗談はよせよ」
「嘘じゃないさ」
慧音は随分と裁縫が下手だったからなぁ、と霖之助は遠い目で作業を進めた。
魔理沙は詳しく聞かせてくれよと強請って、霖之助は肩をすくめながら語り出す。
魔理沙が生まれる十数年前だったかな、その頃から呉服店にワンピースや背広が並び出したんだ。
『……おぉ、見ろよキリサメ、これすっごいカッコいいなぁ』
『背広か、僕には似合わなさそうだな』
『いや似合う、絶対似合うよ』
『その根拠は何処から来るのか是非ご教授願いたい』
どっちかって言うと背広は親父さんに似合いそうだよな………魔理沙、嫌な顔はしないでくれよ。
でだ、当然慧音は女物の服にも興味を示した。あの時の流行りはワンピースだったかな。
『キリサメ、私これ似合うかな』
『どうかな』
『………お前見てないだろ』
見て無かったね、どっちかと言うと作業場のミシンをチラチラ見てたね。
それで余りにもしつこく見ろ見ろって言ってくるから、ちょっと見たんだ、そしたら。
『似合うじゃないか……』
「似合ってたんだ」
「ほう」
物凄く似合っていた、と霖之助は言う。
「当時は和服中心だったからなぁ、洋服なんて自警団の肋骨服位なもんだったよ」
「あぁ、あの学ランに紐がくっついたみたいな?」
「良く知ってるね」
それもそのはず、魔理沙がまだ家を出て無い頃は店主霧雨もまた自警団の一員として馬に乗っていたのだ。
父の話題は出したくないものの、何処かに懐かしさを覚えた魔理沙を霖之助は微笑みながら頭を撫でる。
「……子供扱いは止めろよぉ」
「僕から見たら君は子供さ」
「で、続きは?」
そう、話の続きをしよう。
ちゃっかり試着なんかした慧音を見た僕は見惚れたのと同時に驚いてすぐに脱ぐよう言ったんだ。決して下心があったわけじゃないよ?
『慧音!何してるんだ!』
『試着だよ』
店員さんが良いと言ったから良いんだろうけどその時は大騒ぎだな。何しろ金なんか一銭も持ち歩いてない身分だ、洋服なんか買えるわけがない。
『慧音、早く脱いでくるんだ。僕らは一文なしだぞ』
『分かってるさ』
帰り道、当然さっきの服について慧音は心を奪われていたね。
『……あの服、良かったなぁ』
『作ればいいんじゃないか?』
でも当時は服を作れる量の布地を買うなんてやっぱり学生の僕らには無理で。
『私は裁縫は大の苦手なんだがな』
慧音の裁縫の下手さは物凄かったんだ。雑巾一枚縫うのだって指に傷を作りまくって、実習の時間なんか何時も僕が隣に居ないと駄目だったんだ。
『………しょうがない、僕が作ってやろうか?』
ちょっとした冗談のつもりだったんだ、慧音だって馬鹿じゃない。
服を作る際には何をしなきゃならない?そう、採寸だよ。採寸ってことはあれだ魔理沙、つまりはそれだよ。
分からないって?それは幸せな事だ。
『本当かキリサメ!?』
『え!?』
あいつったら僕に抱きつかんばかりの勢いで喜んでさ、あんな顔見せられちゃ「うん」と言うしか無いじゃないか。
一応僕は言ったわけだよ、採寸をするんだぞ、男に測られるんだぞあれやこれやを、とね。
それでも慧音は
『キリサメだったら良いよ』
こうきたもんだ。
よしそれなら僕も男だ、やってやろうじゃないか。……魔理沙、そっちの意味じゃない。
『布地は何でもいいな?』
『おう』
まぁ実際、服なんて作った事無いけど雑巾やハンケチ、巾着袋に帽子まではやったことがある。なんとかなるだろうって思ったわけだよ。
実際里の古書店を廻ったり、道具店の裁縫指南書を掻き集めてそれらしいものがあったから何とかなったんだ。
店の仕事と学問会の勉強の合間にチクチクと針仕事を進めていたんだがね、ある日やっぱり感づかれたよ、親父さんに。
『キリサメ君、最近よく部屋に籠りますねぇ』
『はぁ……えぇ、まぁ』
『何をしておいでですか』
僕は答えられなかった。
何故なら服の布は同じ色の僕の服を何着かばらしてやっていたんだからね。服は親父さんから貰ったものだから、言うに言えなくって。
『キリサメ君、最近同じ服を良く着ますねぇ』
でも結局バレるものはバレるんだ。
服は五着位しか無くって、その内の三着は服作りに消えたから、二着を使いまわしていたわけだよ。
『その………実は……』
正直に言ったよ。慧音と呉服店の洋服を見たこと、僕が作ってやると安請け合いしてしまったこと、そして貰った服をばらして使っていたこと。
確かにげんこつ一発貰ったけど、結局は許してくれたよ。
『マッタク、僕に一言言えばちゃんとした布を用意できたのに』
『すいません』
『取り敢えず見せて御覧なさい、服』
『え?』
聞いてみると親父さんは店が安定して稼げるまでは服の修繕や仕立なんかは自分一人でやっていたらしかったんだ。
『………ほー、始めてにしちゃあ良くできてますねぇ』
『そうですか?』
『独学でここまでとは驚きましたよ』
そうやって親父さんの助言や本の協力もあって、約束した一ヶ月後には慧音の下へ届ける事が出来たんだよ。
『……慧音、ほら』
『わぁ、これ、あの店の奴と同じ形じゃないか』
『やるならトコトンやる。僕の性分なんでね』
その時から僕は凝り性だったんだ。
まぁそうやって服を作ってあげたのがきっかけで体が大きくなったり何かお祝い事があると僕に服を作ってくれってなったんだよ。
「……まぁそうやって、服を作るのがどんどん得意になって行ったわけだ」
「ほー」
「昔っからやってるけど、まぁ成長が良く分かるね」
その一言に魔理沙は吹き出し、先日の妖忌と同じ問いを投げかける。
「あぁ、あの時の慧音は間違いなく君よりも大きかったよ。色んな部分がね」
霖之助も同じく詳細な数字は出さなかったが、その一言は魔理沙の気分を沈ませるのには十分なものだった。
一週間後、漸く完成した服を満足げに眺めている霖之助を妖忌が後ろから声をかけた。
「出発ですか」
「ほうじゃ。霖之助殿も服を渡しに行くんじゃろ」
頷いて霖之助は服を畳み始める。
妖忌が卓袱台に拳銃を置いたのを見て霖之助は持って行かないのかと問うた。
「弟子に会いに行くだけじゃよ、何で銃なんぞ持たにゃならんのじゃ」
「それはそうですね」
行ってくる、と言って店を出た妖忌に続いて霖之助も歩きだした。里に向かって。
「……おや、霖之助君」
「あ、親父さん」
店主霧雨は風呂敷包みを抱えたかつての弟子を見て、声をかけた。
弛みきっている顔には、何か良い事をしたあるいは、良い事があると如実に語っている。
「どうしたんですか、風呂敷抱えて」
「はは、かくかくしかじかで」
「ふーん、成る程」
店主は今から行けばまだ寺子屋の始まる前だから間に合う、と言って霖之助を走らせた。
「霖之助君、お話があるんであとで店に寄って下さい」
「はい!わかりました」
まるで変わっていない。店主は微笑みながら駆けて往く弟子の背を見送り、店へと戻っていく。
霖之助は息を切らして到着した慧音の家の呼び鈴を鳴らした。
「おう、霖之助、どうした」
「服、仕立てて来たよ」
「え、早いなぁ。まぁ上がって行ってくれよ、茶くらい出させてくれ」
待っている間、霖之助は畳に寝ころんでいた。目を閉じていると台所から声がかかる。
「……お待たせ」
「おう、あり……が、と」
言葉を失った。何時の間にか慧音が自らの仕立てた服に身を包んで、しかも似合っていた。
慧音は気恥ずかしそうに尋ねる。
「……似合ってるか?」
「似合ってる、うん、凄いよ」
「ふ、服が良いんだよ」
服の出来だけでは無いだろう。
空色を基本として桜の花びらをあしらった服はこれからの季節に良くあうだろうと思ってやったら案の定あった。
「なんか悪いな、こうやって何時も何時も仕立てて貰って」
「そう思うならウチの商品、何でもいいから買って行ってくれないかな」
冗談だよ、と霖之助は笑って茶を啜る。
朝早くに発った幽々子がいない白玉楼は静かだった。
妖夢は朝食を食べた後、一人静かに道場を掃除していた。それと言うのも五日前、気紛れに訪れた博麗神社で妖忌が来ると教えられたからである。
『妖忌さん、久しぶりに稽古をつけてやるって張り切ってたわよ』
霊夢の言葉に胸が躍る。妖忌と剣を交えることが出来るのは素直にうれしい事だ。
ふと、後ろに気配を感じ振り向くと会いたかった顔が妖夢を見据えている。
「師匠!」
「妖夢、久しいのう」
妖忌は道場で近況を報告した。
今何処で住んでいるか、何をして食べているか、妖夢は一言一句聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「妖夢、これを持て」
いきなりだった。
妖忌は腰に帯びていた刀を妖夢に落ちつけて立ち上がる。
「え、師匠?」
「立て」
言われた通りにすると今度は妖忌は脇差を抜き放ち、妖夢に突き付けた。
余りの事に混乱していると、妖忌は最後通牒の様に妖夢に迫る。
「刀を抜け、刃引きはしてある」
一方霧雨道具店。霖之助は先程の慧音と相対した時の顔では無かった。
「……そんな怖い顔しないで下さいよ霖之助君、何も取って食おうと言う訳じゃないんです」
「それだけは出来ません親父さん、こんな状況ではね」
それはそうだ、と言って店主は茶を一口飲む。
霖之助は出された茶を飲みもせず、じっと見ていた。仕事の事で話がしたい、そう店主に請われ、やってきた。心中が穏やかであるわけがない。
「所で霖之助君」
唐突に店主が口を開いた。
「君の副業、上手く行ってますか」
お父様、なかなか素敵な方のようですねぇ。名高い文豪みたいな
次回への展開が気になるトコロ、待ってます