魂魄妖忌が済し崩し的に香霖堂に住みついて幾日が立ったが、店主森近霖之助は依然として拭い切れない違和感の中に居る。亡霊と名乗る剣士と共に居ると、彼は自分も既に冥界の住人では無いかと錯覚してしまうのだ。
「霖之助殿、今日は遅くなります」
「どうかしたんですか……ってそうか、自警団の剣術講習ですか」
そうです、と応えて妖忌はブーツを履き、羽織の袖に拳銃を仕舞いこむ。
見送り、妖忌の背中が見えなくなると霖之助は屋内へと引っ込んで行った。久しぶりの一人きりが、寂しくは無い。
「この静けさが良い………」
と呟き本を読もうとした瞬間だった、店の呼び鈴が鳴り響いたのは。
顔を玄関へと向けると、空色の着物に桜色の綺麗な髪の女性が立っていた。霖之助は彼女を知っているような気がした。
「えぇと、ようこそ香霖堂へ」
目の前の女性は霖之助の言葉に反応せず、ずかずかと踏みこんでいく。
霖之助は彼女の腕を掴み、引き留めた。
「ちょっちょっと待って下さい、奥は立ち入り禁止ですよ」
「妖忌に、妖忌に会わせて!」
「妖忌さん?妖忌さんを知っているんですか?」
質問にやっぱりと言う顔をして腕を掴む霖之助の手を払いのけて彼女は襖を開け放つ。
居間へ上がり込むと卓袱台の下を覗いたり、タンスを開けたり、布団がしまってある襖を開けたりと、大凡人が隠れる事が出来ると考えられる場所を捜し回った。捜し回って、遂に見つからなかった。
「ねぇ、妖忌は?妖忌は何処に居るの?」
「妖忌さんは、今里に居ます」
「里……」
「はい」
女性は、居間にへたり込んだ。肩を震わせて、頭を垂れて、漸く会えると思ったのにと呟いて。
「お嬢さん、一体、妖忌さんとはどういう関係だったんです?」
「私は西行寺幽々子……白玉楼の主と言えば分かるかしら?」
「あぁ」
だから何処かで見た頃のある顔だったのだと霖之助は納得した。
「と言う事は、妖忌さんの昔の雇い主と言う事ですか」
「そうね、そうなるわね」
兎に角落ち着いてもらうために霖之助は幽々子に茶を入れ、なぜこのようなことになったのかと尋ねる。
幽々子はどうしても確かめたかったからと言って、謝った。
「まぁ、良いでしょう。で、居たとして何をしたいので?」
「話を、聞きたいの」
銃口を的に向け、ゆっくりと引き金を引く。
二十二口径独特の軽い銃声が響き、銃口が撃発の衝撃で僅かに上を向いた。すぐさま第二射を行う為に撃鉄を起こし、引く。的に当たり、白木の板に穴が開く音が妖忌の耳朶を掠めた。
「……どうじゃろ、慧音殿」
「以前より上達しましたね、それとも銃のお陰ですかな」
「そうじゃな」
妖忌はその言葉に怒りはしない。当然だからだ、彼が前使っていた銃は今の銃よりも装薬量が多い、そのため威力が高い。しかし装薬量が多いだけ反動は増し、弾着はぶれる。今の銃の装薬量ははっきり言って少ないが、命中率は高い。彼自身、多分この先どのような鍛錬を積んでもこれ以上腕の筋力を増やすことは出来ないと思っている、だからこそこの非力な銃を使う訳である。
「自分自身の技術が追いつけず良好なる機械技術を取り入れるのは愧ずべきことではござらんよ、慧音殿」
「成る程。……少し良いか?銃、貸して貰っても」
「構わんよ」
妖忌から銃を受け取ると慧音は的に向かって三発続けざまに撃ち込んだ。弾は全て中心近くに着弾していた。その技量に感心し、やはりこのような土地に居ると扱いが上手くなるのかと尋ねると、身近な人物の名が出て来た。
「霖之助が教えてくれたんだ、あいつは射撃が上手かったから」
「ほう、霖之助殿にそんな特技が」
「射撃の他にも銃の改造なんかも凄かったぞ、特にこの小銃だ」
そう言って慧音は背負っていた小銃を妖忌に渡す。
プラスチックとアルミニウムを多用した現在の制式採用小銃とは違い、木製のハンドガードやストックが古めかしい以前の小銃。
鉄と木が合わさった安心できる重みを堪能しながら妖忌は聞いた。
「M1ガーランドですな、これが何か?」
すると慧音は撃ってみて欲しいと言った、霖之助が改造したものだからと付け加えて
大して工夫されて無さそうな感じのそれを構え、引き金を引いた瞬間、連続した銃声が響き装填された八発の小銃弾はあっという間に的に向かって吐きだされた。
「ぜ、全自動?」
「霖之助が酒に酔った時に改造してくれた奴なんだ」
呆気にとられた妖忌を尻目に慧音は小銃を撫でながら遠い目で語る。一生大事に保存しておくと。
「さて坂本殿、銃の講習はここらで良いですか?剣術の方を団員達に教えて欲しいのです」
「うむ、今日もしごきますぞ」
「よろしくやってくれ」
翌日、霖之助は妖忌と一日ぶりの再会を果たした。別に嬉しさを感じる事も無かったが。
「おはようございます、妖忌さん」
「おはようございます」
顔を洗ってきた妖忌に霖之助は味噌汁を一杯差し出す。彼はそれを受け取るとしげしげとお椀を見つめ、香りを嗅いだ後こう言った。
「蜆ですか」
「二日酔いにはこれが一番良いですから」
「かたじけない」
味噌汁だけの簡単な朝食を終え、霖之助が後片付けをしている最中に昨日店に女性の客が訪れた事を伝えると、妖忌は笑いながらその事を尋ねてくる。
「ほう、誰ですかな、そんなもの好きは」
「妖忌さんを訪ねてきたそうです」
「ワシを尋ねる女子……?」
そう言うと、妖忌は片手で湯呑を持ったまま手帳を取り出し、猛烈な勢いで調べ始めた。あの店の子だったか、いやそれともあそこか。器用な事をすると思いながら霖之助はどれも当て嵌まりませんよと言って、正解を述べた。
「名前を聞いて驚かないで下さいよ、西行寺幽々子さんです」
その瞬間、妖忌が持っていた湯飲みはその手から滑り落ち膝上に緑茶をぶちまけた。緑色の袴が濡れ、深緑へとその色を変えながらも彼は動じず、ただ霖之助の顔を見つめるだけだった。
「……幽々子様は、あのお方は何と、仰っていましたか」
「会って話がしたいと、ただそれだけです」
途端、妖忌は首を大きく振り拒絶の意を示す。
「嫌じゃ、ワシは……ワシはあのお方に会いたくない、絶対にじゃ」
「そんなに嫌いなんですか?」
「嫌いでは無い、むしろその逆じゃ、慕ってすらいた」
「じゃあ何で」
「だからこそじゃ」
「はぁ?」
そう言って暫く黙り込み、やがて大きく深呼吸をすると妖忌は口を開いた。彼と、幽々子の出会いを。そして、彼自身が忘れたいと思っていた記憶を。
ワシがあのお方に出会ったのはもう千年以上も前の事じゃった。その頃からワシは庭師であり、また野武士の様でもあった。
それでも、庭木を弄る技術は高くてな、様々なお屋敷に出入りすることがあった。そして、雇われた新しい屋敷で、幽々子様に会ったのじゃ。
『あなた、だぁれ?』
『おや、初めまして、私は本日からここの庭の管理を任されました魂魄妖忌と申します』
『庭師さんなのに、刀を差しているの?』
『刀で庭木を剪定するのです』
『ふふ、面白い人。それとも妖怪かしら?』
これは自慢じゃが、あの頃のワシは皺が少なくって、体力もあって、髪の毛もまだまだ黒くて、それなりにイケていたんじゃよ。
『半人半霊でございます』
出会った頃はまだ生きていて、それに小さくもあった。あのお方とは日に何度か庭でお話の相手を勤めさせて貰っていた、彼女の父上は出家し旅に出ておった、話し相手がいなかったこともあったのじゃろう。
『この花はなんてお名前なの?妖忌』
『篝火花でございます、遠い西の地から渡ってきた種をここで育てたら意外にも育ちましたので』
『ふふ、綺麗な花』
あのお方はワシが咲かせた花や庭木に何時も喜んでくれていた。ワシは幽々子様が可愛くて仕方なかった、活発で、可憐で、聡明だった。
年が立つほどに成長していく幽々子様を見ているのが、とても楽しかった。年齢が上がり、背が大きくなっていく幽々子様を見ているのが、とても嬉しかった。
『妖忌、ねぇ妖忌』
『どうなされました、幽々子様』
『妖忌の背中って、大きくてしっかりしてるのね』
『離れて下さい、仕事をしなければなりませぬ』
『良いじゃない今日くらい、良いでしょ?』
『仕方ありませんなぁ』
幽々子様はきっと、ワシを友人か、それとも兄弟の様に見てくれていたに違いない。それもそうじゃろうな、身近にいて、そして気軽に話しかけてくれるのじゃから。
だが、ワシだけが話し相手だったのはすぐに終わった、彼女にとっての大親友が現れたのじゃ。
『あなた、だぁれ?』
『私?私はただの物好きな妖怪よ』
そう、紫殿じゃ、彼女は妖怪であったとはいえ幽々子様に危害を加えようなどと言う考えは持っておらなかったらしく、逆に自分の持つ不思議な技を見せては幽々子様を楽しませてくれた。
『ねぇ紫、この桜、綺麗でしょ?』
そう言えば、西行寺家の近くに一際大きく、そして美しい花を咲かせる桜が立って居てな、毎年春になるとそれはそれは見事な咲き様を見せてくれたのじゃ。
『あら綺麗な桜、ね……』
『どうしたの?紫』
『何でも無いわ………何でも無いの』
ただ彼女、紫殿は知っておったのじゃろう、その桜の持つ魔性の力と、その先の出来事を。
そしてある春の日の事じゃった、彼女の父がある日ふらりと家に戻ってきて、家の近くの自慢であった満開の桜の木の下で死んだのじゃ。そしてその次の日に、幽々子様の母も、後を追う様に桜の木の下で命を絶った。次の日も、そのまた次の日も幽々子様の父上殿を慕っていた者が集まり、死んでいった。
幽々子様はその一件以来、自室に籠っては泣いていた、当然じゃろう、あっという間に肉親がいなくなり、肉親に近い親しい人たちも後を追う様にいなくなり、その原因が自分にあるかもしれないのだと分かったら。
『妖忌、ねぇ妖忌。私自分が怖い』
『どうなされました』
実際、ワシは感じ取っていたのじゃ、彼女が彼女の両親を死に誘ったと言う事を。彼女の、幽々子様の人を死に誘う力は生きていた時から既に芽生え始めておった。
しかし幽々子様の両親が死んだのは幽々子様だけの力では無い。神に誓っても良い。西行妖、あれが全ての元凶じゃ。
『私……お父様が、お父様に戻ってきて欲しいって願っただけなのに……もう一度みんなで暮らしたかっただけなのに』
西行妖に魅せられ家族を残し死んでしまった父上殿、その父上殿を追って死んだ母上殿。ワシはあの時ほど幽々子様を不憫だと、哀れだと思った事は無かった。
『……それで、どうなさりたいのですか』
分かりつつも、ワシは問わずには居られなかった、返ってきた答えはやはり予想通りじゃったがの。
『………死にたい、死んで、お父様とお母様に会いたい』
『いけません、自ら命を絶つなど、絶対に』
『でも、でも…………』
『自ら命を断ってしまえば、それこそあの世でお母上とお父上に再会することは叶わなくなってしまいます、ご自重下さい』
ワシは、あの桜、西行妖はこれまでも多くの人の血を吸って来た桜だと言う事を幽々子様が死んだ後初めて知った。ただそれはその桜の意思では無い、しかしあまりにも見事な咲き様に人は魅入られ、そこで最期を迎えた。木の下で死んだ人の数が数えられなくなった頃、そこの近くに西行寺家は建ち、ワシは幽々子様と出会った。
『じゃあ……じゃあ妖忌、私を殺して、貴方が』
『……何を仰いますか』
『自分で死ぬと会えないんでしょ?なら、なら貴方が私を斬ってくれれば私はお父様に会えるのよね?ねぇ、お願い!』
『お辞め下さい………お辞め下さい!』
じゃがワシは、結局幽々子様を、殺してしまった。
分かるか?あのお方の変わりようを見せつけられたワシの気持ちが、綺麗だった肌は何日も部屋にこもりきりで風呂に入らず垢に塗れ、美しい艶のあった髪の毛は以前のそれとは同じものだと思えないくらいに薄汚れ、何日も食べていないせいで骨が浮き出るような幽々子様を、ワシは楽にしてあげたかったのじゃ。
『………幽々子様』
短刀を抜き放ち、あのお方を抱きしめ、その小さな心臓に突き刺した。
心臓の鼓動が小さくなって行くのをワシは刀を通して手のひらはおろか全身に記憶した、そして最後にあの子の言葉が、今でも………
『………よう…き』
『幽々子様……』
『あり……が………』
ワシの目の前で、彼女は死んだ。ワシが殺した。
この世で最も可憐だと思った子を、傷一つ付けてはならないと思っていた子を、ワシ自身が。それでも苦しみから解放された幽々子様の顔はとても安らかで、血にまみれた彼女を不覚にも美しいと思ってしまった。
『紫殿……見ておられるのでしょう』
『………妖忌』
『幽々子様は……私が殺しました』
『いいえ、幽々子を殺したのは、貴方だけじゃない、あの桜もよ』
『あの桜……?』
余りにも美しい桜の下には死を欲する人が集まると紫殿は言った。桜が血を欲するのじゃと、死体が集まれば集まるほど桜は美しくなり、そして死者の念も溜まり、やがては妖怪化する、それが西行妖だと。
『紫殿………幽々子様は、地獄へ堕ちませんよね……幽々子様は私に殺されたのだから』
『えぇ、でも天国にもいけないわ』
『何故……何故ですか!?』
『御免なさいね、幽々子は冥界の管理人になって貰うの』
ワシは訳が分からなかった、何故これ以上あの方を苦しませるのか、幽々子様は最後まで西行妖の力を知らずして死に、ずっと両親を殺したのは自分だと恐れた、その苦しみを理解しようともせず成仏もさせないとはどういう事なのだ。
『私だって、幽々子をもう眠らせてあげたい。でもこの子の力を閻魔が目を付けた、管理人に持ってこいだと』
そして死期が近い事が分かると、それを紫殿に強要したらしい。この一件以来、ワシはどうも閻魔と言う生き物が好かないのじゃ。
『それに………』
『それに?』
『幽々子のこの能力は、転生しても消えない。力を持ったまま転生すれば、また誰かを殺してしまう』
『そんな……』
あれ程、天を恨んだことは無かったな。何故、何故このか弱い少女に、健気な少女にそのような残酷な力を持たせたのか、恨んでも詮無き事にワシは怒りを通り越して脱力を覚えた。
『それから妖忌、幽々子の死体は私に任せてくれないかしら』
『何をなさるおつもりで?』
『西行妖の下に、埋めるわ』
『……何ですと、これ以上この桜に死者の念を集めてどうするおつもりですか!貴方は何がしたいのですか!?』
『最後まで聞いて、幽々子の死体を埋めて、この桜を封印するの』
そして封印だけではなく冥界まで連れて行き、二度と現世の人の目に触れぬようにするのだと。冥界に上がった後は生前の記憶は全て消し、何不自由なく苦しむ事もないようにする、紫殿はそう言った。
『その話は真ですか』
『えぇ、真実よ』
ワシは、幽々子様を紫様に託すことにした、幽々子様から苦悩を消し去ってくれるのならば、そう考えてな。
『紫殿……幽々子様を、よろしくお願いします』
『分かったわ、妖忌。……必ず』
そしてそれから暫くしてワシは幽々子様の元へ向かった。まだ赤子だった妖夢も連れて。
『……あなた、だぁれ』
『私は……今日から白玉楼の庭師をすることになった魂魄妖忌と申します』
『庭師さん?頼んでたかしら、そんなの』
生前の記憶を失くしたと知っていても、改めてそれを目の当たりにすると辛いものがあった。しかしその顔からは生きていた頃の苦しみは見えなかった、あのお方の生きていて楽しかった時の笑顔が戻っていた、あれで良かったのじゃ。
『あら、赤ちゃん?』
『孫の妖夢です』
『お母さんとお父さんはいないのかしら?』
『えぇ、私が育てております』
『抱かせてくれるかしら』
『もちろん』
それからは、何もかもが新しくなった。当然幽々子様と紫殿との関係も一からじゃ。しかし、それで良い、それで良かったのだ。
「……と言う訳じゃ、ワシはあのお方には会わん、次来たらその事を伝えて下され」
「自分が殺してしまった相手には会いたくない、そうですか?」
「ふん、答えなんぞ言いたかないわ、今のですら口にしたくなかったと言うに」
そっぽを向いて黙りこくる妖忌に霖之助は一つだけ教えることにした。
「妖忌さん、袴濡れてます」
雨が、降り続いている。
「……この値段なら適正価格でしょうな」
「二脚に依託して運用するとよろしい、三脚ならなおよろしい」
「アイヨ、またよろしくネ、森近さん」
「こちらこそ」
降りしきる雨の中、また一つ商談を終えた霖之助は岐路に着くことにした。
霖之助の店の商品が売れない。と言う新聞記事は半分本当で、半分嘘である。本当だと言うのは本業の古道具が売れない事で、嘘だと言うのは副業の事だ。意外にも、この幻想郷に武器を欲する人は多い。
勿論香霖堂は人間だけを相手にするわけではない。欲するのであれば人妖を問わない、これが彼のスタンスだ。
しかしこの所、武器すらも売れなくなってきた。たった今の商談ですら彼が値段を下げに下げて成立したものだ。これが数年前ならば言い値で決まっていたのに、と霖之助はレインコートにこびり付いている水を大きく払い落しながら肩を落とす。
「ただいまです、妖忌さん」
「ずぶ濡れですなぁ、役に立っておりませんな、その外套は」
「防水性能が落ちてきてるんです。お風呂、沸いてたりしませんかねぇ」
「準備しておりますぞ」
「それはありがたい、じゃあ早速いただきます」
それだけ言って、風呂場へ引っ込む。
風呂釜へ手を突っ込み、湯加減を確認して桶に一杯湯を満たし体にかけ、洗いはじめる。手早く湯浴みを済ませた後、霖之助は着替えを済ませて自室に引っ込んだ。引っ込む前に
「妖忌さん、僕は明日人里で商談があります、先に寝させて貰います」
と言った。
翌日、妖忌は異様な姿の霖之助を目撃した。
「まるで帝国軍人ですなぁ」
「昔っからこれですから、里での仕事服は」
上下カーキー色の洋服を着込み、編上げ靴を履いていると普段の彼からは想像もできない程厳しい雰囲気が漂ってくる。
「妖忌さん、それでは行ってきます」
「まっちょくれ、ワシも行く」
「え、なんでですか」
「ええじゃろ、どうせこの店には誰も来んのじゃし、少しは太陽の日を浴びんと体に悪いのでな」
「勝手にして下さい」
森を歩く道すがら、妖忌は霖之助に様々な事を聞いた。
何故武器を売るのか、そもそも何故武器を売るようになったのかなど。答えは里時代からの成り行きと金になるからと言う簡単な理由。
そして、妖忌はもう一言加えた。彼女、慧音は霖之助が譲った銃を今でも大事にしている事を。
「慧音が今でもあの銃を?」
「うむ、大事にしておりますぞ」
「嬉しいなぁ、ただ単に遊底に鑢がけしたおもちゃなのに」
まぁ故障したら終わりだけど、と霖之助が言うと妖忌はその都度修理してやればいい、と言った。
「駄目ですよ、あれは」
「何故じゃ?」
「実はあれ、酔った勢いで作ったやつですもん」
「はぁ、酔った勢いで銃を扱うのですか霖之助殿は」
「腕は確かなんです」
歩くこと五時間ほどで里が見えて来た。霖之助は肩に食い込んでいる背嚢をもう一度背負いなおし、歩いて行く。
「自警団に呼ばれて来た商人です、通行の許可を」
入口の番兵に通行許可証をもらった霖之助と妖忌が大通りを歩き始めた途端、彼らは霖之助の里時代に深く関わり合いの持つ人物に呼び止められた。
「目立った変化が無い様でなによりです、霖之助君」
「親父さんこそお元気で安心しました」
里の大手道具店店主、霧雨氏である。
彼は霖之助の顔を見て笑った後、隣に居る妖忌にも挨拶をした。
「さて霖之助君も捕まえた事だ、行きましょう」
「え、行くって何処へです」
「店です、道具店ですよ」
「いや、僕は仕事があって……」
「その仕事相手は僕じゃないですか」
「え!?」
呆気にとられたまま引きずられる上下カーキーの青年とそれを引きずる初老の男性を眺める剣士、傍から見ればさぞ異様な光景だろう。
「……お茶を持ってきますんでここで待ってて下さい霖之助君、坂本先生」
「はい」
「うむ」
暫く居間を見ていた。香霖堂よりも清潔なその部屋は障子から光が差し込み、部屋一杯を明るく照らしている。
(香霖堂とは偉い違いじゃ……弟子と師匠で良くもまぁここまで違くなったもんじゃ)
心で妖忌がそう呟くと、店主霧雨が三人分の茶を入れた湯飲みを持って戻って来た。
「はいお二人とも、お茶です」
「かたじけない」
「…ありがとうございます」
先程から聞きたかった事を霖之助は店主に尋ねた。今回の交渉相手は自警団の機関銃隊の指揮官の筈では、と。
「あぁ、栗林さんねぇ、農作業中にぎっくり腰やっちゃってねぇ、その代わりに僕が商談相手ですよ」
「悪夢を見てるようです、はい」
「まぁ、ねぇ」
どっかりと座り込んで店主は霖之助を見据え、笑みをのぞかせ言う。
「自警団辞めてかれこれ二十数年だけど、何扱うかはわかってるつもりだよ、よろしく」
同じ頃の白玉楼。妖夢は縁側で枯れた桜を見つめている幽々子の傍に頼まれていたお茶を置いた。
「幽々子様、お茶をお持ちしました」
「……………」
「幽々子様?」
もう一度声をかけると幽々子は横で立っている妖夢を見上げ、尋ねる。
「あら、どうしたの妖夢」
「どうしたのって……頼まれたお茶を、お持ちしたのですが」
「あら、そう言えば頼んでたわね、ありがとう」
それだけ言って茶に口を付けようともせずまた桜を見つめる幽々子を残して妖夢は元来た道を歩き出した。
「……大敗北でしたなぁ」
夕暮れの人里、霖之助は妖忌に労いの言葉をかけられながら里一番の桜の名所に訪れていた。蕾が点き始めた桜を見つめ、もう少しすればここも良い名所になるだろう、霖之助はこれからここが賑わう様子を想起しながら呟く。
「まぁ親父さん相手に商売やって勝てる奴なんか、この幻想郷にはいないさ」
「人が変わっておりましたぞ、霧雨殿」
「怖いでしょ?僕も怖かった」
そう言って霖之助は乱立する桜の群から離れたところにある桜の木へ歩み寄った。
妖忌と霖之助二人が合わせて腕をまわしても到底覆い切れそうにないほど太い幹はその木の尋常ならざる生命力を物語っている。
「懐かしいなぁ……」
「この桜がですかな?」
「こいつ、はぐれ桜って言って、僕にとって大切な桜なんです」
とても懐かしい桜だ。霖之助はそう呟きながら幹を撫でた。
彼は二度三度幹をピシャピシャと叩いて、話し始めた。昔の出来事を。
もう十何年も前の春のことです。僕は、慧音の事が嫌いでした。
上白沢慧音。名前だけは知っていました。里に居た頃から秀才だ何だと持て囃されているのを客と会話する親父さんから聞いていたんですから。
顔も何度か見た事はありました、整った顔立ちに長くてきれいな銀の髪。彼女自身から行かなくても、男には欠かないでしょう。
翻ってみればこの僕は里に居た頃から根暗だなんだと、本ばかり読んで色白だと、散々に言われていました。それが嫌で、嫌なんだけど、それを変える気にもなれない、ただ親父さんと言うたった一人の理解者に甘えていました。
そんな僕が、どうして。
『………この蕎麦屋は私が良く来るんだ』
『はぁ………』
その才女上白沢慧音と蕎麦を啜っているのか、聞きたいのはこっちでした。
里の、すっかりなじみとなった住民の白い目を受けながら霧雨道具店に立っていたのに。どうしてこうなったのか、僕が知りたかった。
『君は、里で生まれたのか』
『いえ、別の場所です、何処から来たのかはあんまり……』
『そうか、その時のこと、憶えているか?』
『忘れました』
どうも、何か苦手なんだけど、初めてあった気がしないように思えたんです。ひょっとしたらあるいは、初めてあった気がしないからこそ、苦手だったのかもしれません。
『半人、半妖なんだろう?』
『え、はい』
『そうか』
何がしたいのか、僕が半妖だからどうしたのかって、思わず身構えていました。
『私と付き合ってみないか、半妖の君を、私は理解できると考えているんだ』
その一言に、何故かカチンときましてね。どうもこいつは、この女は他人の嫌な部分を嫌な風に突くことに長けているようだと、そう言う職業があれどんなに適職だろうかと思いましたよ。
『上白沢さん、僕はね、半分妖怪だからと言う理由で陰口を叩かれる事にも、白い目で見られる事にも、耐えられるんだ。でもね、半妖だからって理由で同情されたり憐れみを受けるのは本当に嫌いなんだ。まぁ僕の様な半端者の気持ち、貴方の様な人間様には分からないでしょうがね』
『ま、待ってくれ、私は別にそう言う意味で言ったわけじゃ………』
『会話ってのは難しくってね上白沢さん、自分がそう言ったつもりじゃなくても相手がそういう風に受け取ったらお仕舞なんだよ』
そう言って席を立ち、店を出ました。
後ろから僕を引き留めようとする彼女の声が聞こえたが、無視です。呆気にとられた住民を余所に、僕は店へ帰って、余りの悔しさにどうにかなってしまいそうでした。
『聞きましたよ、慧音さんとやりあったそうじゃないですか』
あの一件は相当早く広まったらしく、翌日からの里の雰囲気が何時もよりも一層刺々しいものに変わっていました。当然でしょうね、狭い里ですから、何かが起これば立ちどころに広まる。
『我慢がならなかったのでね、半妖だからって哀れな目で見てきて。何が「付き合ってみないか?」だ、馬鹿にしてるのかって感じですよ』
『なるほどねぇ……』
先日のあのやり取りを思い出して、また気分が悪くなってました。
でも僕に落ち度があるとは思っていません。向こうが悪い、あんなことを言われたら怒る権利が誰にでも、それこそ当時の僕にだってあります。
『君は慧音さんの事をどれだけ知っていますか』
『知りません、知りたくもない』
率直に言うと、親父さんは呆れた顔を僕に向けた。重苦しい空気が部屋に漂っていました。
『良くもまぁ人を知らないのに嫌いになれたもんですねぇ』
『知らなくても嫌いになれます、知ればもっと嫌いになります』
さぁ休憩は終わりにして店に立とうと言う時に僕は今最も見たく無い顔を霧雨道具店の入り口で視界に収めてしまったんです。
『あ、あの………』
『どうも……上白沢さん』
それだけ言って、番台に座って帳簿を付けようとした時だった。いきなり彼女は僕を呼びとめた。話したい事があると言って。
『君は……私と君は違う、そう言ったな』
『えぇ、言いましたよ』
『違くなんかない、私と君は同じなんだ』
『同じって?どういうことだい』
少し足を止め、向き直り聞きました。すると彼女は少し口ごもって、こう言ったんです。
『私は、半人半獣なんだ』
『はぁ?一体何を言っているんだ、証拠は見せられるのかい?』
『証拠は……ここでは、証明できない』
『それ見た事かい、証明できないならお話は終わりだよ。もういいかな、これでも忙しい身なんで』
分かりやすいウソを吐いて座ろうとすると、彼女は更に喰いついて来て、それなら満月の夜に来てくれと言った。紙片に簡単に記した地図を渡して。
『…………フン』
渡された紙くずを乱暴にポケットに突っ込むと、それっきり僕は彼女を見る事無く帳簿を付け始めた。満月は、明日の筈でした。
でも結局、その地図は使わずじまいでした。だってそうでしょう?何かを人に見せたいのなら、来させるのではなく向こうから来るのが筋でしょう。
『……昨日、来てくれなかったな』
『忙しかったんでね』
帳簿から目を話さなくても、慧音の困った顔が分かってました。
その………趣味が悪いと思われますけど、その時の僕、少し楽しかったです、約束を破って、目の前の女性を落胆させた事が。ひねくれてましたよ、完全に。
大体ですよ、夜に出歩けって、そりゃ僕にとって酷ってもんです。
『僕の評判は知っているんだろう?半分妖怪の僕が、妖怪の力が強くなる満月に、一人だけでふらふらと出歩く。ほら、僕が嫌いな奴には格好の餌だ「霧雨道具店の半妖はやっぱり妖怪だ」「何処かで人を襲っているに違いない」こう言われて親父さんにも迷惑をかけるだけだ』
『そ、それは……確かに迂闊だった……その………』
『分かったかい?なら帰ってくれ仕事の邪魔だよ、何も買わないなら帰った帰った』
そして次の日から、店先に地図が置かれていました。里の全体地図が描かれていて、毎回違う地点に赤マルがついて「ここならどうですか」とでも言いたいかのようにね。
当然、僕は黙って地図を捨て続けました。でも、捨てても捨てても地図は毎日のように置かれている。いたちごっこですよ。
『キリサメ君、最近店先に良く地図が来てますねぇ』
『上白沢からです。満月の夜に会って欲しいって、話がしたいって言ってくるんです』
『行けばいいじゃないですか』
『半分妖怪の血が混じってる僕が満月にですか?親父さんに色んな迷惑がかかりますよ、それこそ僕を雇った時以上の騒ぎが起こるでしょうね』
親父さんは僕を雇うに当たって、里の長老連中の説得に苦難したんです。自分がしっかりするから何も起こさせない、何か起きれば、僕諸共腹を切って死ぬ。そこまでして僕を信頼して雇ってくれている親父さんに迷惑はかけられませんでした。
『会ってくればいいじゃないですか、満月に出たからって別にどうこう言われませんよ。言われても月見だと言って逃げればいいんです』
『でも………』
『君、キリサメ君。どうして僕が、君に「キリサメ」の名前を使わせているか、知っていますよね分かっていますよね』
そう、知っている。
親父さんは、僕を信頼してくれている。妖怪だから、人間だからでは無くて、僕と言う、森近霖之助と言う生き物を信頼して、名前を貸してくれていたんです。
『次は、君が人を信頼する番じゃないですか?信じて、行動を起こして、歩み寄りなさい、何もかもに』
次の日の朝、僕はまた店先に届けられていた地図の裏側に「会ってもいい」とだけ書いて、店の一番目につく所に置いておきました。満月はその日の夜でした。
『………待たせたな』
夜、このはぐれ桜の下で待っていると、後ろから声がかかった、振り向くとそこには全く違う姿の彼女がいました。
『角と………尻尾……?』
『本当、だろう』
僕が、彼女がハクタクと人間のハーフだと言う事を知ったのは、この時でした。でも
『……やっぱり違う。君と僕は違う、決定的に違うよ』
『どうしてだ?教えてくれ』
そうでしょ?僕は妖怪、彼女はハクタク。違うでしょ。
『ハクタクは、聖獣だ……人の前に現れると、繁栄を約束する。やっぱり違う』
『違くなんかない!私は完全なハクタクじゃないんだ、君と同じなんだ』
『じゃあ聞くが、君の両親はどう死んだ?きっともう、少なくとも君の母親はいないだろう?どう死んだ、事故か?自然死か?殺されたのか?』
『自然死だ、父も母も』
僕は、肩の力が抜けるのが分かりましたよ。時間の無駄だと思いました。ここに来たこと自体、彼女を信頼したこと自体が無駄に思えましたよ。
『やっぱり違うよ、全然違う』
『何が………』
『教えてやる、僕の両親は殺されたんだ!妖怪と、人間に』
母は人間、父は妖怪でした。それになりに、幸せな家庭だったと思います、別れが小さい頃だったのでもうほとんど覚えちゃいないけど。
『父は同じ妖怪に、母は同じ人間に殺されたんだ』
特に母酷かった。敵である妖怪に体を許し、子供を産んだ。許されない、穢らわしい裏切り者だ!そう散々に痛めつけられた母は、それでも父を怨んでいませんでした、僕を愛してくれました。最後まで。
『服を剥ぎ取られ、辱められ、引きずりまわされて、首を刎ねられた。跳ねるだけじゃ飽き足らず、人間どもは母の遺体に石を投げ、炎に放り込んだ』
燃え残った骨も砕き、ゴミの集積場にバラ撒かれました。尊厳なんてこれっぽっちも残されませんでした。
信じられなくなった。何もかもが。どうか、あの光景が夢であるようにと願いました。何度も、何度も。
『父は僕を、僕を連れて逃げ回った。でも………』
ついには見つかって、殺されました。
『見つかった時、父は僕を遠くに放り投げた。投げられて、川に落ちて、落ちる時に父の断末魔が聞こえて、そこで記憶が途切れた』
『………………』
『気付いたら親父さんの顔と、霧雨道具店の天井が目に入った、そして今に至るってわけだよ。………どうだ、全然違うだろう』
『違うな、確かに……違う』
そう言って、帰ろうとしたら不意に袖を掴まれて、もう少し待ってくれと言われたんです。
『確かに君と私は違う……違うけど、店主の様に私を信頼してくれないか、駄目か』
急に、体が暖かくなって、それで何か締め付けられたように感じました。それで、背中越しに囁くように
『頑張るから、私が里の人の考えを変えて見せるから、信じてくれ』
って言われました。
途端に涙が溢れて溢れて、始末に困って、それでも泣き止むまで、慧音は僕を抱きしめ続けくれたんです。
暖かかった、とっても。こんな気持ちになったのは母を喪って以来ありませんでした。
『ごめんなさい………上白沢さん、本当に……すいません……』
その時になってみれば、何であの時の僕は、あんなに正直に接してくれた慧音を受け入れる事が出来なかったんだろうって思いました。
まぁ、でも里の人の目は簡単に変わらなかったけど、気が楽になりました。信頼できる人が増えたんですから。
それ以来、ここの桜は僕にとって重要な桜なんです。
「………楽しかった。一緒に勉強したり、山に登ったり、ね」
「良い思いでじゃのぉ、美女に抱きつかれて『私を信じてッ』って言われたんか、カッカッカ」
「笑うとこですかここ」
一頻り笑い続け、一頻り霖之助の肩を叩き続け、漸く笑いを抑えた頃妖忌は静かに呟いた。
「お互い、桜に因縁というか何と言うか、得体の知れないものがありますなぁ………」
「……貴方と私が二人きりになるなんて、珍しいわね。幽々子が妬くわよ?」
夕暮れに差し掛かる白玉楼。妖夢は遊びに来ていた紫を裏庭の井戸に連れだしていた。
「幽々子の様子も変だし、貴方まで。……異変かしら?」
「茶化さないで下さい。……単刀直入に聞きます、師匠と幽々子様の間に、何があったのですか?」
紫は妖夢の言葉を耳にして、その顔から笑顔を消した。妖夢は振り返り、頭がちょこんと見えている西行妖を見据え、言葉を続ける。
「つい数日前から幽々子様はあの桜ばかり見つめられています、食事の時も、なにかと西行妖を見つめています」
「そうね……それで?どうして妖忌と幽々子の間に何かあると思ったのかしら?」
「森の道具商に、師匠が住んでいます、絶対に」
森の道具商、香霖堂に妖忌がいる。妖夢からその事を言われて紫は内心驚いた。
その通りなのだ、彼は、妖忌は今香霖堂に居候として暮らしている事を紫は知っていた。だが、それを幽々子に教えようか教えまいか、決めかねている。
「そうよ、妖忌は今香霖堂に居るわ、良く気付いたわね」
しかし、妖夢すらも感づいていると言う事は幽々子も既に知っているのと同然だと紫は感じた。感じて、全てをばらした。
幽々子と妖忌と自らの馴れ初め、西行妖の秘密、幽々子の家族の末路。そして、幽々子自身の終わりと幽々子の生前の記憶と遺骸を西行妖に封印したこと。
全て話を聞き終えた妖夢は軽い眩暈を覚えながらそんな事があったとは知らなかったと呟く。紫は知らなくて当然だと言って、言葉を続ける。
「幽々子はね、妖忌を兄か、少し年の近い父の様に見ていたのよ。懐かしがっても、会いたくなっても無理は無いわね」
「幽々子様は、絶対師匠に会いたがっていると思います」
私もよ、と紫は言って妖夢の頭を撫で、漸く顔に頬笑みを取り戻した。そして、自分が動くから妖夢には幽々子の傍に居てあげて、とだけ言って隙間を開いて姿を消した。
「妖夢、今回だけは私を信用して頂戴」
姿を消す前の、一言だった。
「霖之助殿、今日は遅くなります」
「どうかしたんですか……ってそうか、自警団の剣術講習ですか」
そうです、と応えて妖忌はブーツを履き、羽織の袖に拳銃を仕舞いこむ。
見送り、妖忌の背中が見えなくなると霖之助は屋内へと引っ込んで行った。久しぶりの一人きりが、寂しくは無い。
「この静けさが良い………」
と呟き本を読もうとした瞬間だった、店の呼び鈴が鳴り響いたのは。
顔を玄関へと向けると、空色の着物に桜色の綺麗な髪の女性が立っていた。霖之助は彼女を知っているような気がした。
「えぇと、ようこそ香霖堂へ」
目の前の女性は霖之助の言葉に反応せず、ずかずかと踏みこんでいく。
霖之助は彼女の腕を掴み、引き留めた。
「ちょっちょっと待って下さい、奥は立ち入り禁止ですよ」
「妖忌に、妖忌に会わせて!」
「妖忌さん?妖忌さんを知っているんですか?」
質問にやっぱりと言う顔をして腕を掴む霖之助の手を払いのけて彼女は襖を開け放つ。
居間へ上がり込むと卓袱台の下を覗いたり、タンスを開けたり、布団がしまってある襖を開けたりと、大凡人が隠れる事が出来ると考えられる場所を捜し回った。捜し回って、遂に見つからなかった。
「ねぇ、妖忌は?妖忌は何処に居るの?」
「妖忌さんは、今里に居ます」
「里……」
「はい」
女性は、居間にへたり込んだ。肩を震わせて、頭を垂れて、漸く会えると思ったのにと呟いて。
「お嬢さん、一体、妖忌さんとはどういう関係だったんです?」
「私は西行寺幽々子……白玉楼の主と言えば分かるかしら?」
「あぁ」
だから何処かで見た頃のある顔だったのだと霖之助は納得した。
「と言う事は、妖忌さんの昔の雇い主と言う事ですか」
「そうね、そうなるわね」
兎に角落ち着いてもらうために霖之助は幽々子に茶を入れ、なぜこのようなことになったのかと尋ねる。
幽々子はどうしても確かめたかったからと言って、謝った。
「まぁ、良いでしょう。で、居たとして何をしたいので?」
「話を、聞きたいの」
銃口を的に向け、ゆっくりと引き金を引く。
二十二口径独特の軽い銃声が響き、銃口が撃発の衝撃で僅かに上を向いた。すぐさま第二射を行う為に撃鉄を起こし、引く。的に当たり、白木の板に穴が開く音が妖忌の耳朶を掠めた。
「……どうじゃろ、慧音殿」
「以前より上達しましたね、それとも銃のお陰ですかな」
「そうじゃな」
妖忌はその言葉に怒りはしない。当然だからだ、彼が前使っていた銃は今の銃よりも装薬量が多い、そのため威力が高い。しかし装薬量が多いだけ反動は増し、弾着はぶれる。今の銃の装薬量ははっきり言って少ないが、命中率は高い。彼自身、多分この先どのような鍛錬を積んでもこれ以上腕の筋力を増やすことは出来ないと思っている、だからこそこの非力な銃を使う訳である。
「自分自身の技術が追いつけず良好なる機械技術を取り入れるのは愧ずべきことではござらんよ、慧音殿」
「成る程。……少し良いか?銃、貸して貰っても」
「構わんよ」
妖忌から銃を受け取ると慧音は的に向かって三発続けざまに撃ち込んだ。弾は全て中心近くに着弾していた。その技量に感心し、やはりこのような土地に居ると扱いが上手くなるのかと尋ねると、身近な人物の名が出て来た。
「霖之助が教えてくれたんだ、あいつは射撃が上手かったから」
「ほう、霖之助殿にそんな特技が」
「射撃の他にも銃の改造なんかも凄かったぞ、特にこの小銃だ」
そう言って慧音は背負っていた小銃を妖忌に渡す。
プラスチックとアルミニウムを多用した現在の制式採用小銃とは違い、木製のハンドガードやストックが古めかしい以前の小銃。
鉄と木が合わさった安心できる重みを堪能しながら妖忌は聞いた。
「M1ガーランドですな、これが何か?」
すると慧音は撃ってみて欲しいと言った、霖之助が改造したものだからと付け加えて
大して工夫されて無さそうな感じのそれを構え、引き金を引いた瞬間、連続した銃声が響き装填された八発の小銃弾はあっという間に的に向かって吐きだされた。
「ぜ、全自動?」
「霖之助が酒に酔った時に改造してくれた奴なんだ」
呆気にとられた妖忌を尻目に慧音は小銃を撫でながら遠い目で語る。一生大事に保存しておくと。
「さて坂本殿、銃の講習はここらで良いですか?剣術の方を団員達に教えて欲しいのです」
「うむ、今日もしごきますぞ」
「よろしくやってくれ」
翌日、霖之助は妖忌と一日ぶりの再会を果たした。別に嬉しさを感じる事も無かったが。
「おはようございます、妖忌さん」
「おはようございます」
顔を洗ってきた妖忌に霖之助は味噌汁を一杯差し出す。彼はそれを受け取るとしげしげとお椀を見つめ、香りを嗅いだ後こう言った。
「蜆ですか」
「二日酔いにはこれが一番良いですから」
「かたじけない」
味噌汁だけの簡単な朝食を終え、霖之助が後片付けをしている最中に昨日店に女性の客が訪れた事を伝えると、妖忌は笑いながらその事を尋ねてくる。
「ほう、誰ですかな、そんなもの好きは」
「妖忌さんを訪ねてきたそうです」
「ワシを尋ねる女子……?」
そう言うと、妖忌は片手で湯呑を持ったまま手帳を取り出し、猛烈な勢いで調べ始めた。あの店の子だったか、いやそれともあそこか。器用な事をすると思いながら霖之助はどれも当て嵌まりませんよと言って、正解を述べた。
「名前を聞いて驚かないで下さいよ、西行寺幽々子さんです」
その瞬間、妖忌が持っていた湯飲みはその手から滑り落ち膝上に緑茶をぶちまけた。緑色の袴が濡れ、深緑へとその色を変えながらも彼は動じず、ただ霖之助の顔を見つめるだけだった。
「……幽々子様は、あのお方は何と、仰っていましたか」
「会って話がしたいと、ただそれだけです」
途端、妖忌は首を大きく振り拒絶の意を示す。
「嫌じゃ、ワシは……ワシはあのお方に会いたくない、絶対にじゃ」
「そんなに嫌いなんですか?」
「嫌いでは無い、むしろその逆じゃ、慕ってすらいた」
「じゃあ何で」
「だからこそじゃ」
「はぁ?」
そう言って暫く黙り込み、やがて大きく深呼吸をすると妖忌は口を開いた。彼と、幽々子の出会いを。そして、彼自身が忘れたいと思っていた記憶を。
ワシがあのお方に出会ったのはもう千年以上も前の事じゃった。その頃からワシは庭師であり、また野武士の様でもあった。
それでも、庭木を弄る技術は高くてな、様々なお屋敷に出入りすることがあった。そして、雇われた新しい屋敷で、幽々子様に会ったのじゃ。
『あなた、だぁれ?』
『おや、初めまして、私は本日からここの庭の管理を任されました魂魄妖忌と申します』
『庭師さんなのに、刀を差しているの?』
『刀で庭木を剪定するのです』
『ふふ、面白い人。それとも妖怪かしら?』
これは自慢じゃが、あの頃のワシは皺が少なくって、体力もあって、髪の毛もまだまだ黒くて、それなりにイケていたんじゃよ。
『半人半霊でございます』
出会った頃はまだ生きていて、それに小さくもあった。あのお方とは日に何度か庭でお話の相手を勤めさせて貰っていた、彼女の父上は出家し旅に出ておった、話し相手がいなかったこともあったのじゃろう。
『この花はなんてお名前なの?妖忌』
『篝火花でございます、遠い西の地から渡ってきた種をここで育てたら意外にも育ちましたので』
『ふふ、綺麗な花』
あのお方はワシが咲かせた花や庭木に何時も喜んでくれていた。ワシは幽々子様が可愛くて仕方なかった、活発で、可憐で、聡明だった。
年が立つほどに成長していく幽々子様を見ているのが、とても楽しかった。年齢が上がり、背が大きくなっていく幽々子様を見ているのが、とても嬉しかった。
『妖忌、ねぇ妖忌』
『どうなされました、幽々子様』
『妖忌の背中って、大きくてしっかりしてるのね』
『離れて下さい、仕事をしなければなりませぬ』
『良いじゃない今日くらい、良いでしょ?』
『仕方ありませんなぁ』
幽々子様はきっと、ワシを友人か、それとも兄弟の様に見てくれていたに違いない。それもそうじゃろうな、身近にいて、そして気軽に話しかけてくれるのじゃから。
だが、ワシだけが話し相手だったのはすぐに終わった、彼女にとっての大親友が現れたのじゃ。
『あなた、だぁれ?』
『私?私はただの物好きな妖怪よ』
そう、紫殿じゃ、彼女は妖怪であったとはいえ幽々子様に危害を加えようなどと言う考えは持っておらなかったらしく、逆に自分の持つ不思議な技を見せては幽々子様を楽しませてくれた。
『ねぇ紫、この桜、綺麗でしょ?』
そう言えば、西行寺家の近くに一際大きく、そして美しい花を咲かせる桜が立って居てな、毎年春になるとそれはそれは見事な咲き様を見せてくれたのじゃ。
『あら綺麗な桜、ね……』
『どうしたの?紫』
『何でも無いわ………何でも無いの』
ただ彼女、紫殿は知っておったのじゃろう、その桜の持つ魔性の力と、その先の出来事を。
そしてある春の日の事じゃった、彼女の父がある日ふらりと家に戻ってきて、家の近くの自慢であった満開の桜の木の下で死んだのじゃ。そしてその次の日に、幽々子様の母も、後を追う様に桜の木の下で命を絶った。次の日も、そのまた次の日も幽々子様の父上殿を慕っていた者が集まり、死んでいった。
幽々子様はその一件以来、自室に籠っては泣いていた、当然じゃろう、あっという間に肉親がいなくなり、肉親に近い親しい人たちも後を追う様にいなくなり、その原因が自分にあるかもしれないのだと分かったら。
『妖忌、ねぇ妖忌。私自分が怖い』
『どうなされました』
実際、ワシは感じ取っていたのじゃ、彼女が彼女の両親を死に誘ったと言う事を。彼女の、幽々子様の人を死に誘う力は生きていた時から既に芽生え始めておった。
しかし幽々子様の両親が死んだのは幽々子様だけの力では無い。神に誓っても良い。西行妖、あれが全ての元凶じゃ。
『私……お父様が、お父様に戻ってきて欲しいって願っただけなのに……もう一度みんなで暮らしたかっただけなのに』
西行妖に魅せられ家族を残し死んでしまった父上殿、その父上殿を追って死んだ母上殿。ワシはあの時ほど幽々子様を不憫だと、哀れだと思った事は無かった。
『……それで、どうなさりたいのですか』
分かりつつも、ワシは問わずには居られなかった、返ってきた答えはやはり予想通りじゃったがの。
『………死にたい、死んで、お父様とお母様に会いたい』
『いけません、自ら命を絶つなど、絶対に』
『でも、でも…………』
『自ら命を断ってしまえば、それこそあの世でお母上とお父上に再会することは叶わなくなってしまいます、ご自重下さい』
ワシは、あの桜、西行妖はこれまでも多くの人の血を吸って来た桜だと言う事を幽々子様が死んだ後初めて知った。ただそれはその桜の意思では無い、しかしあまりにも見事な咲き様に人は魅入られ、そこで最期を迎えた。木の下で死んだ人の数が数えられなくなった頃、そこの近くに西行寺家は建ち、ワシは幽々子様と出会った。
『じゃあ……じゃあ妖忌、私を殺して、貴方が』
『……何を仰いますか』
『自分で死ぬと会えないんでしょ?なら、なら貴方が私を斬ってくれれば私はお父様に会えるのよね?ねぇ、お願い!』
『お辞め下さい………お辞め下さい!』
じゃがワシは、結局幽々子様を、殺してしまった。
分かるか?あのお方の変わりようを見せつけられたワシの気持ちが、綺麗だった肌は何日も部屋にこもりきりで風呂に入らず垢に塗れ、美しい艶のあった髪の毛は以前のそれとは同じものだと思えないくらいに薄汚れ、何日も食べていないせいで骨が浮き出るような幽々子様を、ワシは楽にしてあげたかったのじゃ。
『………幽々子様』
短刀を抜き放ち、あのお方を抱きしめ、その小さな心臓に突き刺した。
心臓の鼓動が小さくなって行くのをワシは刀を通して手のひらはおろか全身に記憶した、そして最後にあの子の言葉が、今でも………
『………よう…き』
『幽々子様……』
『あり……が………』
ワシの目の前で、彼女は死んだ。ワシが殺した。
この世で最も可憐だと思った子を、傷一つ付けてはならないと思っていた子を、ワシ自身が。それでも苦しみから解放された幽々子様の顔はとても安らかで、血にまみれた彼女を不覚にも美しいと思ってしまった。
『紫殿……見ておられるのでしょう』
『………妖忌』
『幽々子様は……私が殺しました』
『いいえ、幽々子を殺したのは、貴方だけじゃない、あの桜もよ』
『あの桜……?』
余りにも美しい桜の下には死を欲する人が集まると紫殿は言った。桜が血を欲するのじゃと、死体が集まれば集まるほど桜は美しくなり、そして死者の念も溜まり、やがては妖怪化する、それが西行妖だと。
『紫殿………幽々子様は、地獄へ堕ちませんよね……幽々子様は私に殺されたのだから』
『えぇ、でも天国にもいけないわ』
『何故……何故ですか!?』
『御免なさいね、幽々子は冥界の管理人になって貰うの』
ワシは訳が分からなかった、何故これ以上あの方を苦しませるのか、幽々子様は最後まで西行妖の力を知らずして死に、ずっと両親を殺したのは自分だと恐れた、その苦しみを理解しようともせず成仏もさせないとはどういう事なのだ。
『私だって、幽々子をもう眠らせてあげたい。でもこの子の力を閻魔が目を付けた、管理人に持ってこいだと』
そして死期が近い事が分かると、それを紫殿に強要したらしい。この一件以来、ワシはどうも閻魔と言う生き物が好かないのじゃ。
『それに………』
『それに?』
『幽々子のこの能力は、転生しても消えない。力を持ったまま転生すれば、また誰かを殺してしまう』
『そんな……』
あれ程、天を恨んだことは無かったな。何故、何故このか弱い少女に、健気な少女にそのような残酷な力を持たせたのか、恨んでも詮無き事にワシは怒りを通り越して脱力を覚えた。
『それから妖忌、幽々子の死体は私に任せてくれないかしら』
『何をなさるおつもりで?』
『西行妖の下に、埋めるわ』
『……何ですと、これ以上この桜に死者の念を集めてどうするおつもりですか!貴方は何がしたいのですか!?』
『最後まで聞いて、幽々子の死体を埋めて、この桜を封印するの』
そして封印だけではなく冥界まで連れて行き、二度と現世の人の目に触れぬようにするのだと。冥界に上がった後は生前の記憶は全て消し、何不自由なく苦しむ事もないようにする、紫殿はそう言った。
『その話は真ですか』
『えぇ、真実よ』
ワシは、幽々子様を紫様に託すことにした、幽々子様から苦悩を消し去ってくれるのならば、そう考えてな。
『紫殿……幽々子様を、よろしくお願いします』
『分かったわ、妖忌。……必ず』
そしてそれから暫くしてワシは幽々子様の元へ向かった。まだ赤子だった妖夢も連れて。
『……あなた、だぁれ』
『私は……今日から白玉楼の庭師をすることになった魂魄妖忌と申します』
『庭師さん?頼んでたかしら、そんなの』
生前の記憶を失くしたと知っていても、改めてそれを目の当たりにすると辛いものがあった。しかしその顔からは生きていた頃の苦しみは見えなかった、あのお方の生きていて楽しかった時の笑顔が戻っていた、あれで良かったのじゃ。
『あら、赤ちゃん?』
『孫の妖夢です』
『お母さんとお父さんはいないのかしら?』
『えぇ、私が育てております』
『抱かせてくれるかしら』
『もちろん』
それからは、何もかもが新しくなった。当然幽々子様と紫殿との関係も一からじゃ。しかし、それで良い、それで良かったのだ。
「……と言う訳じゃ、ワシはあのお方には会わん、次来たらその事を伝えて下され」
「自分が殺してしまった相手には会いたくない、そうですか?」
「ふん、答えなんぞ言いたかないわ、今のですら口にしたくなかったと言うに」
そっぽを向いて黙りこくる妖忌に霖之助は一つだけ教えることにした。
「妖忌さん、袴濡れてます」
雨が、降り続いている。
「……この値段なら適正価格でしょうな」
「二脚に依託して運用するとよろしい、三脚ならなおよろしい」
「アイヨ、またよろしくネ、森近さん」
「こちらこそ」
降りしきる雨の中、また一つ商談を終えた霖之助は岐路に着くことにした。
霖之助の店の商品が売れない。と言う新聞記事は半分本当で、半分嘘である。本当だと言うのは本業の古道具が売れない事で、嘘だと言うのは副業の事だ。意外にも、この幻想郷に武器を欲する人は多い。
勿論香霖堂は人間だけを相手にするわけではない。欲するのであれば人妖を問わない、これが彼のスタンスだ。
しかしこの所、武器すらも売れなくなってきた。たった今の商談ですら彼が値段を下げに下げて成立したものだ。これが数年前ならば言い値で決まっていたのに、と霖之助はレインコートにこびり付いている水を大きく払い落しながら肩を落とす。
「ただいまです、妖忌さん」
「ずぶ濡れですなぁ、役に立っておりませんな、その外套は」
「防水性能が落ちてきてるんです。お風呂、沸いてたりしませんかねぇ」
「準備しておりますぞ」
「それはありがたい、じゃあ早速いただきます」
それだけ言って、風呂場へ引っ込む。
風呂釜へ手を突っ込み、湯加減を確認して桶に一杯湯を満たし体にかけ、洗いはじめる。手早く湯浴みを済ませた後、霖之助は着替えを済ませて自室に引っ込んだ。引っ込む前に
「妖忌さん、僕は明日人里で商談があります、先に寝させて貰います」
と言った。
翌日、妖忌は異様な姿の霖之助を目撃した。
「まるで帝国軍人ですなぁ」
「昔っからこれですから、里での仕事服は」
上下カーキー色の洋服を着込み、編上げ靴を履いていると普段の彼からは想像もできない程厳しい雰囲気が漂ってくる。
「妖忌さん、それでは行ってきます」
「まっちょくれ、ワシも行く」
「え、なんでですか」
「ええじゃろ、どうせこの店には誰も来んのじゃし、少しは太陽の日を浴びんと体に悪いのでな」
「勝手にして下さい」
森を歩く道すがら、妖忌は霖之助に様々な事を聞いた。
何故武器を売るのか、そもそも何故武器を売るようになったのかなど。答えは里時代からの成り行きと金になるからと言う簡単な理由。
そして、妖忌はもう一言加えた。彼女、慧音は霖之助が譲った銃を今でも大事にしている事を。
「慧音が今でもあの銃を?」
「うむ、大事にしておりますぞ」
「嬉しいなぁ、ただ単に遊底に鑢がけしたおもちゃなのに」
まぁ故障したら終わりだけど、と霖之助が言うと妖忌はその都度修理してやればいい、と言った。
「駄目ですよ、あれは」
「何故じゃ?」
「実はあれ、酔った勢いで作ったやつですもん」
「はぁ、酔った勢いで銃を扱うのですか霖之助殿は」
「腕は確かなんです」
歩くこと五時間ほどで里が見えて来た。霖之助は肩に食い込んでいる背嚢をもう一度背負いなおし、歩いて行く。
「自警団に呼ばれて来た商人です、通行の許可を」
入口の番兵に通行許可証をもらった霖之助と妖忌が大通りを歩き始めた途端、彼らは霖之助の里時代に深く関わり合いの持つ人物に呼び止められた。
「目立った変化が無い様でなによりです、霖之助君」
「親父さんこそお元気で安心しました」
里の大手道具店店主、霧雨氏である。
彼は霖之助の顔を見て笑った後、隣に居る妖忌にも挨拶をした。
「さて霖之助君も捕まえた事だ、行きましょう」
「え、行くって何処へです」
「店です、道具店ですよ」
「いや、僕は仕事があって……」
「その仕事相手は僕じゃないですか」
「え!?」
呆気にとられたまま引きずられる上下カーキーの青年とそれを引きずる初老の男性を眺める剣士、傍から見ればさぞ異様な光景だろう。
「……お茶を持ってきますんでここで待ってて下さい霖之助君、坂本先生」
「はい」
「うむ」
暫く居間を見ていた。香霖堂よりも清潔なその部屋は障子から光が差し込み、部屋一杯を明るく照らしている。
(香霖堂とは偉い違いじゃ……弟子と師匠で良くもまぁここまで違くなったもんじゃ)
心で妖忌がそう呟くと、店主霧雨が三人分の茶を入れた湯飲みを持って戻って来た。
「はいお二人とも、お茶です」
「かたじけない」
「…ありがとうございます」
先程から聞きたかった事を霖之助は店主に尋ねた。今回の交渉相手は自警団の機関銃隊の指揮官の筈では、と。
「あぁ、栗林さんねぇ、農作業中にぎっくり腰やっちゃってねぇ、その代わりに僕が商談相手ですよ」
「悪夢を見てるようです、はい」
「まぁ、ねぇ」
どっかりと座り込んで店主は霖之助を見据え、笑みをのぞかせ言う。
「自警団辞めてかれこれ二十数年だけど、何扱うかはわかってるつもりだよ、よろしく」
同じ頃の白玉楼。妖夢は縁側で枯れた桜を見つめている幽々子の傍に頼まれていたお茶を置いた。
「幽々子様、お茶をお持ちしました」
「……………」
「幽々子様?」
もう一度声をかけると幽々子は横で立っている妖夢を見上げ、尋ねる。
「あら、どうしたの妖夢」
「どうしたのって……頼まれたお茶を、お持ちしたのですが」
「あら、そう言えば頼んでたわね、ありがとう」
それだけ言って茶に口を付けようともせずまた桜を見つめる幽々子を残して妖夢は元来た道を歩き出した。
「……大敗北でしたなぁ」
夕暮れの人里、霖之助は妖忌に労いの言葉をかけられながら里一番の桜の名所に訪れていた。蕾が点き始めた桜を見つめ、もう少しすればここも良い名所になるだろう、霖之助はこれからここが賑わう様子を想起しながら呟く。
「まぁ親父さん相手に商売やって勝てる奴なんか、この幻想郷にはいないさ」
「人が変わっておりましたぞ、霧雨殿」
「怖いでしょ?僕も怖かった」
そう言って霖之助は乱立する桜の群から離れたところにある桜の木へ歩み寄った。
妖忌と霖之助二人が合わせて腕をまわしても到底覆い切れそうにないほど太い幹はその木の尋常ならざる生命力を物語っている。
「懐かしいなぁ……」
「この桜がですかな?」
「こいつ、はぐれ桜って言って、僕にとって大切な桜なんです」
とても懐かしい桜だ。霖之助はそう呟きながら幹を撫でた。
彼は二度三度幹をピシャピシャと叩いて、話し始めた。昔の出来事を。
もう十何年も前の春のことです。僕は、慧音の事が嫌いでした。
上白沢慧音。名前だけは知っていました。里に居た頃から秀才だ何だと持て囃されているのを客と会話する親父さんから聞いていたんですから。
顔も何度か見た事はありました、整った顔立ちに長くてきれいな銀の髪。彼女自身から行かなくても、男には欠かないでしょう。
翻ってみればこの僕は里に居た頃から根暗だなんだと、本ばかり読んで色白だと、散々に言われていました。それが嫌で、嫌なんだけど、それを変える気にもなれない、ただ親父さんと言うたった一人の理解者に甘えていました。
そんな僕が、どうして。
『………この蕎麦屋は私が良く来るんだ』
『はぁ………』
その才女上白沢慧音と蕎麦を啜っているのか、聞きたいのはこっちでした。
里の、すっかりなじみとなった住民の白い目を受けながら霧雨道具店に立っていたのに。どうしてこうなったのか、僕が知りたかった。
『君は、里で生まれたのか』
『いえ、別の場所です、何処から来たのかはあんまり……』
『そうか、その時のこと、憶えているか?』
『忘れました』
どうも、何か苦手なんだけど、初めてあった気がしないように思えたんです。ひょっとしたらあるいは、初めてあった気がしないからこそ、苦手だったのかもしれません。
『半人、半妖なんだろう?』
『え、はい』
『そうか』
何がしたいのか、僕が半妖だからどうしたのかって、思わず身構えていました。
『私と付き合ってみないか、半妖の君を、私は理解できると考えているんだ』
その一言に、何故かカチンときましてね。どうもこいつは、この女は他人の嫌な部分を嫌な風に突くことに長けているようだと、そう言う職業があれどんなに適職だろうかと思いましたよ。
『上白沢さん、僕はね、半分妖怪だからと言う理由で陰口を叩かれる事にも、白い目で見られる事にも、耐えられるんだ。でもね、半妖だからって理由で同情されたり憐れみを受けるのは本当に嫌いなんだ。まぁ僕の様な半端者の気持ち、貴方の様な人間様には分からないでしょうがね』
『ま、待ってくれ、私は別にそう言う意味で言ったわけじゃ………』
『会話ってのは難しくってね上白沢さん、自分がそう言ったつもりじゃなくても相手がそういう風に受け取ったらお仕舞なんだよ』
そう言って席を立ち、店を出ました。
後ろから僕を引き留めようとする彼女の声が聞こえたが、無視です。呆気にとられた住民を余所に、僕は店へ帰って、余りの悔しさにどうにかなってしまいそうでした。
『聞きましたよ、慧音さんとやりあったそうじゃないですか』
あの一件は相当早く広まったらしく、翌日からの里の雰囲気が何時もよりも一層刺々しいものに変わっていました。当然でしょうね、狭い里ですから、何かが起これば立ちどころに広まる。
『我慢がならなかったのでね、半妖だからって哀れな目で見てきて。何が「付き合ってみないか?」だ、馬鹿にしてるのかって感じですよ』
『なるほどねぇ……』
先日のあのやり取りを思い出して、また気分が悪くなってました。
でも僕に落ち度があるとは思っていません。向こうが悪い、あんなことを言われたら怒る権利が誰にでも、それこそ当時の僕にだってあります。
『君は慧音さんの事をどれだけ知っていますか』
『知りません、知りたくもない』
率直に言うと、親父さんは呆れた顔を僕に向けた。重苦しい空気が部屋に漂っていました。
『良くもまぁ人を知らないのに嫌いになれたもんですねぇ』
『知らなくても嫌いになれます、知ればもっと嫌いになります』
さぁ休憩は終わりにして店に立とうと言う時に僕は今最も見たく無い顔を霧雨道具店の入り口で視界に収めてしまったんです。
『あ、あの………』
『どうも……上白沢さん』
それだけ言って、番台に座って帳簿を付けようとした時だった。いきなり彼女は僕を呼びとめた。話したい事があると言って。
『君は……私と君は違う、そう言ったな』
『えぇ、言いましたよ』
『違くなんかない、私と君は同じなんだ』
『同じって?どういうことだい』
少し足を止め、向き直り聞きました。すると彼女は少し口ごもって、こう言ったんです。
『私は、半人半獣なんだ』
『はぁ?一体何を言っているんだ、証拠は見せられるのかい?』
『証拠は……ここでは、証明できない』
『それ見た事かい、証明できないならお話は終わりだよ。もういいかな、これでも忙しい身なんで』
分かりやすいウソを吐いて座ろうとすると、彼女は更に喰いついて来て、それなら満月の夜に来てくれと言った。紙片に簡単に記した地図を渡して。
『…………フン』
渡された紙くずを乱暴にポケットに突っ込むと、それっきり僕は彼女を見る事無く帳簿を付け始めた。満月は、明日の筈でした。
でも結局、その地図は使わずじまいでした。だってそうでしょう?何かを人に見せたいのなら、来させるのではなく向こうから来るのが筋でしょう。
『……昨日、来てくれなかったな』
『忙しかったんでね』
帳簿から目を話さなくても、慧音の困った顔が分かってました。
その………趣味が悪いと思われますけど、その時の僕、少し楽しかったです、約束を破って、目の前の女性を落胆させた事が。ひねくれてましたよ、完全に。
大体ですよ、夜に出歩けって、そりゃ僕にとって酷ってもんです。
『僕の評判は知っているんだろう?半分妖怪の僕が、妖怪の力が強くなる満月に、一人だけでふらふらと出歩く。ほら、僕が嫌いな奴には格好の餌だ「霧雨道具店の半妖はやっぱり妖怪だ」「何処かで人を襲っているに違いない」こう言われて親父さんにも迷惑をかけるだけだ』
『そ、それは……確かに迂闊だった……その………』
『分かったかい?なら帰ってくれ仕事の邪魔だよ、何も買わないなら帰った帰った』
そして次の日から、店先に地図が置かれていました。里の全体地図が描かれていて、毎回違う地点に赤マルがついて「ここならどうですか」とでも言いたいかのようにね。
当然、僕は黙って地図を捨て続けました。でも、捨てても捨てても地図は毎日のように置かれている。いたちごっこですよ。
『キリサメ君、最近店先に良く地図が来てますねぇ』
『上白沢からです。満月の夜に会って欲しいって、話がしたいって言ってくるんです』
『行けばいいじゃないですか』
『半分妖怪の血が混じってる僕が満月にですか?親父さんに色んな迷惑がかかりますよ、それこそ僕を雇った時以上の騒ぎが起こるでしょうね』
親父さんは僕を雇うに当たって、里の長老連中の説得に苦難したんです。自分がしっかりするから何も起こさせない、何か起きれば、僕諸共腹を切って死ぬ。そこまでして僕を信頼して雇ってくれている親父さんに迷惑はかけられませんでした。
『会ってくればいいじゃないですか、満月に出たからって別にどうこう言われませんよ。言われても月見だと言って逃げればいいんです』
『でも………』
『君、キリサメ君。どうして僕が、君に「キリサメ」の名前を使わせているか、知っていますよね分かっていますよね』
そう、知っている。
親父さんは、僕を信頼してくれている。妖怪だから、人間だからでは無くて、僕と言う、森近霖之助と言う生き物を信頼して、名前を貸してくれていたんです。
『次は、君が人を信頼する番じゃないですか?信じて、行動を起こして、歩み寄りなさい、何もかもに』
次の日の朝、僕はまた店先に届けられていた地図の裏側に「会ってもいい」とだけ書いて、店の一番目につく所に置いておきました。満月はその日の夜でした。
『………待たせたな』
夜、このはぐれ桜の下で待っていると、後ろから声がかかった、振り向くとそこには全く違う姿の彼女がいました。
『角と………尻尾……?』
『本当、だろう』
僕が、彼女がハクタクと人間のハーフだと言う事を知ったのは、この時でした。でも
『……やっぱり違う。君と僕は違う、決定的に違うよ』
『どうしてだ?教えてくれ』
そうでしょ?僕は妖怪、彼女はハクタク。違うでしょ。
『ハクタクは、聖獣だ……人の前に現れると、繁栄を約束する。やっぱり違う』
『違くなんかない!私は完全なハクタクじゃないんだ、君と同じなんだ』
『じゃあ聞くが、君の両親はどう死んだ?きっともう、少なくとも君の母親はいないだろう?どう死んだ、事故か?自然死か?殺されたのか?』
『自然死だ、父も母も』
僕は、肩の力が抜けるのが分かりましたよ。時間の無駄だと思いました。ここに来たこと自体、彼女を信頼したこと自体が無駄に思えましたよ。
『やっぱり違うよ、全然違う』
『何が………』
『教えてやる、僕の両親は殺されたんだ!妖怪と、人間に』
母は人間、父は妖怪でした。それになりに、幸せな家庭だったと思います、別れが小さい頃だったのでもうほとんど覚えちゃいないけど。
『父は同じ妖怪に、母は同じ人間に殺されたんだ』
特に母酷かった。敵である妖怪に体を許し、子供を産んだ。許されない、穢らわしい裏切り者だ!そう散々に痛めつけられた母は、それでも父を怨んでいませんでした、僕を愛してくれました。最後まで。
『服を剥ぎ取られ、辱められ、引きずりまわされて、首を刎ねられた。跳ねるだけじゃ飽き足らず、人間どもは母の遺体に石を投げ、炎に放り込んだ』
燃え残った骨も砕き、ゴミの集積場にバラ撒かれました。尊厳なんてこれっぽっちも残されませんでした。
信じられなくなった。何もかもが。どうか、あの光景が夢であるようにと願いました。何度も、何度も。
『父は僕を、僕を連れて逃げ回った。でも………』
ついには見つかって、殺されました。
『見つかった時、父は僕を遠くに放り投げた。投げられて、川に落ちて、落ちる時に父の断末魔が聞こえて、そこで記憶が途切れた』
『………………』
『気付いたら親父さんの顔と、霧雨道具店の天井が目に入った、そして今に至るってわけだよ。………どうだ、全然違うだろう』
『違うな、確かに……違う』
そう言って、帰ろうとしたら不意に袖を掴まれて、もう少し待ってくれと言われたんです。
『確かに君と私は違う……違うけど、店主の様に私を信頼してくれないか、駄目か』
急に、体が暖かくなって、それで何か締め付けられたように感じました。それで、背中越しに囁くように
『頑張るから、私が里の人の考えを変えて見せるから、信じてくれ』
って言われました。
途端に涙が溢れて溢れて、始末に困って、それでも泣き止むまで、慧音は僕を抱きしめ続けくれたんです。
暖かかった、とっても。こんな気持ちになったのは母を喪って以来ありませんでした。
『ごめんなさい………上白沢さん、本当に……すいません……』
その時になってみれば、何であの時の僕は、あんなに正直に接してくれた慧音を受け入れる事が出来なかったんだろうって思いました。
まぁ、でも里の人の目は簡単に変わらなかったけど、気が楽になりました。信頼できる人が増えたんですから。
それ以来、ここの桜は僕にとって重要な桜なんです。
「………楽しかった。一緒に勉強したり、山に登ったり、ね」
「良い思いでじゃのぉ、美女に抱きつかれて『私を信じてッ』って言われたんか、カッカッカ」
「笑うとこですかここ」
一頻り笑い続け、一頻り霖之助の肩を叩き続け、漸く笑いを抑えた頃妖忌は静かに呟いた。
「お互い、桜に因縁というか何と言うか、得体の知れないものがありますなぁ………」
「……貴方と私が二人きりになるなんて、珍しいわね。幽々子が妬くわよ?」
夕暮れに差し掛かる白玉楼。妖夢は遊びに来ていた紫を裏庭の井戸に連れだしていた。
「幽々子の様子も変だし、貴方まで。……異変かしら?」
「茶化さないで下さい。……単刀直入に聞きます、師匠と幽々子様の間に、何があったのですか?」
紫は妖夢の言葉を耳にして、その顔から笑顔を消した。妖夢は振り返り、頭がちょこんと見えている西行妖を見据え、言葉を続ける。
「つい数日前から幽々子様はあの桜ばかり見つめられています、食事の時も、なにかと西行妖を見つめています」
「そうね……それで?どうして妖忌と幽々子の間に何かあると思ったのかしら?」
「森の道具商に、師匠が住んでいます、絶対に」
森の道具商、香霖堂に妖忌がいる。妖夢からその事を言われて紫は内心驚いた。
その通りなのだ、彼は、妖忌は今香霖堂に居候として暮らしている事を紫は知っていた。だが、それを幽々子に教えようか教えまいか、決めかねている。
「そうよ、妖忌は今香霖堂に居るわ、良く気付いたわね」
しかし、妖夢すらも感づいていると言う事は幽々子も既に知っているのと同然だと紫は感じた。感じて、全てをばらした。
幽々子と妖忌と自らの馴れ初め、西行妖の秘密、幽々子の家族の末路。そして、幽々子自身の終わりと幽々子の生前の記憶と遺骸を西行妖に封印したこと。
全て話を聞き終えた妖夢は軽い眩暈を覚えながらそんな事があったとは知らなかったと呟く。紫は知らなくて当然だと言って、言葉を続ける。
「幽々子はね、妖忌を兄か、少し年の近い父の様に見ていたのよ。懐かしがっても、会いたくなっても無理は無いわね」
「幽々子様は、絶対師匠に会いたがっていると思います」
私もよ、と紫は言って妖夢の頭を撫で、漸く顔に頬笑みを取り戻した。そして、自分が動くから妖夢には幽々子の傍に居てあげて、とだけ言って隙間を開いて姿を消した。
「妖夢、今回だけは私を信用して頂戴」
姿を消す前の、一言だった。