「一番の花って何だと思う?」
森近霖之助は、その問いにどう答えていいものか悩んでいた。
一番の花。それはどういう意味なのだろうか。大きさ、美しさ、咲いている時間の長さ……。一番を競える部分は多く、それぞれに一番の花が存在するのだ。
普通なら「この花はこういう分野で一番だよ」と、そういう答えを返せばいいのだろう。しかし霖之助は、それが出来ないでいた。
「その一番は、何に掛かってるんだい?」
「何にでも、よ」
「何にでも、ねぇ」
「そ」
そう言って、霖之助に冒頭の質問を投げ掛けた少女……風見幽香はにこにこと笑みを浮べる。見れば十人中十人が「楽しそう」と答える様な、優しい笑みだ。しかし、その十人中十人は、この笑みが人を虐める事で出てくる笑みだとは思わないだろう。いや、幻想郷の住人なら思うかもしれない。というか、思うだろう。
何時もの様に特に用事も無く冷やかしに来たと思ったら、突然こんな問いを突きつけたのだ。
答えない、という選択肢は霖之助には無かった。花に関する話題で彼女を無視しようものなら何をされるか分かったものではない。面倒事は御免なのだがと思いつつ、霖之助は彼女の戯れに付き合っていた。
「何にでも、か」
霖之助は確認するようにそう呟くと、再び思考の海に意識を潜らせる。
何にでも。それはつまりどういう一番の座についている花を答えてもいいという事だ。
だが、そんな在り来たりな答えだと幽香は満足しないだろう。彼女はそういう女性という事を、霖之助は長い付き合いから分かっていた。
ならば、どういう答えが理想的なのだろうか? 普通の回答では駄目な以上、捻った答えを求められるのは必然と言える。
少し考えて……霖之助は結論を出した。これなら、正解でなくとも及第点くらいは貰えるだろう。
「月見草、じゃないかな」
「あら、月見草?」
「あぁ」
そう言って、霖之助は淹れた時に比べてすっかりと温くなったお茶を飲み干し、答えを語るべく口を開いた。
「花という字は、「草」が「化ける」と書く。月見草は昼と夜で草から花、花から草と化け続けるんだ。花という言葉の意味を考えれば、「一番」花らしい花だと思うよ」
「ふぅん、そういう事」
霖之助の答えに、幽香はにやりと笑みを返す。
「どの花が一番綺麗とか言う主観的な答えだったら、殴り飛ばしてたわ」
「物騒だな」
「当然よ。主観的な意見なんて赤点通り越してマイナス。人生からの退学よ」
「酷い学校もあったものだ」
「学長は私だもの」
「……成程」
花壇を荒らしたものは退学か。随分と理不尽な寺子屋だ。
「まぁそうね……及第点くらいはあげてもいいわ。合格よ」
「気に入ってもらえた様で」
「誰が気に入ったなんて言ったのよ。赤点ギリギリもいいとこだわ」
「手厳しいね」
「フラワーマスターだもの」
そう言って、幽香はにこりと笑う。先ほどまでの笑みではなく、柔らかい笑み。
その顔で言った言葉に対し、霖之助の心にふと疑問が浮かんだ。
「フム、じゃあ君にはあるのかい?」
「あら、何が?」
「一番の花、だよ。フラワーマスターの君の中での一番、出来れば聞かせてもらいたいね」
「ふーん……そんなに聞きたい?」
「あぁ」
そう言って、霖之助は湯飲みを傾ける……が、彼の喉は潤わなかった。少し歪んだ霖之助の眉を見て、幽香がくすりと笑う。
「話の前に、新しいお茶を淹れてもらえるかしら?」
「……あぁ。淹れ直してくるよ」
「ダージリンでお願いね」
「はいはい」
緑茶の気分だったが……これから花の話をするのだ。花の紅茶を飲みながらというのも悪くない。
二人分の紅茶を淹れる為に、霖之助は席を立った。
◇ ◇ ◇
霖之助から紅茶を受け取った幽香は、渡された紅茶をこくりと一口喉へと通した。
「ふぅん……紅茶の腕はあんまりなのね」
「自分じゃああまり飲まないからね。そればかりは仕方ない」
「駄目ねぇ。赤点よ」
「採点が厳しいね」
「フラワーマスターだもの」
ダージリンなら私が淹れた方がはるかに美味しいわと言って、幽香はカップを置いた。どうやらフラワーマスターというのはあらゆる花に対してスペシャリストであるらしい。
「さて、と」
先ほど飲んだ紅茶を潤滑油にして滑る様に、幽香は話し始めた。
「私にとっての一番の花……だったかしら?」
「あぁ。フラワーマスターの異名をとる君だ。色々と思うところはあるだろう?」
「そうね。綺麗な花は色々あるけど……私にとっての一番の花は、一つしかないわね」
「ほぅ……君の中で一番と断言する花か。それは?」
「それはね……」
そこで一旦言葉を区切り、手元にあった日傘を引き寄せた。
「コレよ」
そう言って幽香は日傘をぱんと開いて見せた。
「……それが、君にとっての一番の花かい?」
「そ。幻想郷で唯一の「枯れない花」よ」
くるくると日傘を回しながら、幽香はそう続ける。
商品に当たったら大変だから止めてくれという霖之助の言葉に、しぶしぶといった様子で幽香は傘を閉じた。
「それが、一番たる理由はなんだい?」
「そうね……」
霖之助に促され、幽香は考える。
「色々あるけど……枯れないっていうのがあるかしら」
「……以前君から花は散るからこそ美しいと聞いた気がするんだがね」
それは当たり前のことだ。いつまでも咲き続ける花は美しくない。花という物は儚さの中にあるから美しいのだ。
「あら、私は「枯れない」のがいい、って言ったのよ? 「散らない」のがいいなんて一言も言ってないわ」
「似ている様で二つは違うのかい?」
「どこが似てるのよ」
幽香は心の底からそう思った。
全く、彼なら分かっていると思ったのだけど……
「どちらも花の終わりとしては同じだと思うが」
「全然違うわよ。いい? 散るっていうのは、花が最後に見せる舞なのよ」
「舞、か」
「そ。命を捨てて人を魅せる、最後の舞。桜吹雪は幽雅で綺麗でしょ? そういう事よ」
「成程ね……じゃあ、枯れるというのは?」
……長い事彼を見てきたが、彼が聞き手に回るのは少し珍しいかもしれない。
そんな事を考えながら、言葉を続けていく。
「枯れるっていうのは、花が寂しく死んでいく事よ」
「寂しく、ねぇ」
「そうよ。花が枯れる様に魅せられる人はいないわ。変わり果てて死んでいくのは、儚いというより衰弱していくものよ。重苦しくて悲しいものなの」
「少しだが、分かる気がするね」
「でしょ? だから、枯れないっていうのは華々しい死に方が約束されているのと同じなの」
「フム……それで「枯れないのがいい」という事か」
「そう言う事」
そこまで話して、唇を湿らす様にして幽香は紅茶に口を付けた。
「他には……散ってもまた咲いてくれる所とかかしら」
「……華々しい死を遂げた後に、また咲くのかい」
「そうよ。貴方が咲かせてるの」
「……あぁ、成程」
幽香の言葉に、霖之助はそう言って頷いた。
彼女の日傘は霖之助が作ったものである。「自分が使っても壊れない傘を」という要望で作られた幽香の傘は、様々な力や状況に対応できるようにと、構造から普通の傘とは違うのだ。故に、それを直せるのは製作者たる霖之助だけなのである。
「この子は新しく咲くと、以前より強く、美しい花になるのよ」
「それは……褒め言葉として受け取っておくよ」
「実際褒めてるわよ。私が人を評価するなんて珍しいんだから、ありがたく思いなさい」
「あぁ。そうさせてもらうよ」
そう言って、霖之助は笑みを浮べる。
……その笑顔にちょっとだけ、本当にちょっとだけ……ドキッとしたのは、内緒。
「……もうちょっと、笑えばいいのに」
「ん、何か言ったかい?」
「べ……別に、何も」
少し首を傾げた霖之助だったが、まぁいいかといった顔で話を戻した。
「で、他には何かあるのかい?」
「そうねぇ……」
ひねり出すように呟いて、幽香はティーカップを傾けた。
「あ、一番大きい理由があるわね」
「一番だって? 今挙げた二つよりも占める割合が大きいっていうのかい?」
「そ。正直コレより性能がいい物があっても、この理由がないなら絶対に使わないわね」
「ほう……」
溜息にも似たそんな言葉と共に、霖之助の金色の眼が幽香に向けられる。言外に続きをと促しているのだ。
その様子にくすりと笑い、幽香は口を開いた。
「私がこの花を一番だと思う最大の理由はね?」
「あぁ」
「この花が、貴方からの贈り物だからよ」
「……え?」
柔らかい笑みを浮べた幽香とは違い、霖之助は鳩が豆鉄砲を食った様な表情を顔に貼り付けていた。
「……それが、一番の理由かい?」
「えぇ」
まるで当たり前だと、何かおかしい所でもあったのかと言わんばかりに、霖之助の問いに幽香はしれっと答える。
「私のために作ってくれた物なのよ? 一番の理由には十分だわ」
「確かにそれは君のために作った物だが……注文に応えただけだよ」
「それでもいいのよ。貴方が私のために作ってくれたって事が重要なの」
「そうなのかい?」
「そ」
そう言って、持っていたティーカップを勘定台へと置いた。中に入っていた赤点のダージリンは無く、少し紅茶色に染まったカップの底が顔を覗かせている。
「……だとしたら、随分と主観的な意見だね」
「そうね、この花は幻想郷でもこの一輪しかないもの。主観的になるのは当然だわ」
「主観的な意見は、赤点を通り越して人生からの退学じゃなかったかな? 学長?」
「あら、私はいいのよ」
日傘を開き手でくるくると回しながら、幽香はそんな言葉を口にした。
「……それは、フラワーマスターだからかい?」
「いいえ?」
そう言って炎天下の中で影を作る様に傘を持ち、霖之助をしっかりと見据え、幽香は、
「少女だから、よ」
ほんのりと頬を染め、実に楽しそうな笑みを浮かべ、そう言うのだった。
ゆうかりんが日傘って答え出して「これはもしや……」と思っていたらやっぱりね。
オチは分かってましたけど、分かっていたからこそなのか素晴らしい話でした。良い幽香霖でした。
※野暮ながら誤字発見
>ひねり出すように呟いて、幽香はディーカップを傾けた。
なるほど、そういう違いかぁ、とひっそり納得しました。
私もこんな雰囲気の二人は好物です!
特に乙女具合がいい感じ~
あなたがまた新作を投稿する事を心待ちにしてますね