人里の道場の窓から外を見やると、何時の間にか雨が降りはじめていた。
稽古に熱中していたのか、と一番前に座り木刀をひたすら振り降ろしている青年達を見ている老人は頭を振る。
呆けていただけだろうと自分を笑って。
「……皆、今日はここまでじゃ、雨が降ってきた」
決して叫んだわけではないが、その声は道場に居る全員に良く聞こえた。青年達は自分達の師に頭を下げ、着替えるために道場からその姿を消す。
老人は腰を上げ、体を伸ばすと近くに置いてあった刀を腰に差し、同じように道場から出て行った。
「お疲れ様です、坂本先生」
「おや、霧雨殿、どうなされました」
霧雨と呼ばれた男は老人に傘を差し出した。老人の手には傘は持たれていない。
「お忘れになったでしょう、お困りかと思いまして」
「忝い」
カランコロンと人気の少ない里の通りを下駄の音が響く。
所々に蕾を付けた桜の木は、春の訪れを予感させていた。霧雨は傘の下から気を見つめ、呟く。
「まだ、桜は咲きませんねぇ」
「冬は終わったばかりじゃ、もう少し待たなければな」
歩く道すがら、老人は左側へ傾いて行く羽織を直しながら冬から開けたばかりの雨の冷たさに辟易していた。
「重いのぉ」
「ですから一緒にホルスターをお買いになればいいと言ったじゃないですか」
「そうじゃない、こいつが特別重いだけじゃ」
軽いのが欲しい、と老人が言うと
「ここで一番軽いのはそれだけですよ」
霧雨はそう苦笑した。
老人は何処かここ以外で銃を売る所は無いのかと尋ねる。すると霧雨はあるにはあると言う。
「何処ですかな、そこは」
「僕の弟子が経営してる店でして」
「銃砲店か?」
「いえ、ただの道具店です」
しかし品ぞろえは良く、場所は里と森の間にあり、楽に行ける。と言う霧雨の言葉を聞いて老人は明日にでも行こうと決意した。
香霖堂に、一大事件が起きた。
「いらっしゃいませ」
客が来たのだ。店主である森近霖之助は、多分創建以来のまともな客を見た事だろう。
老人だが、身なりは良く腰に大小を差し、紋付を着ている。これは何処かの御屋敷に仕える侍で、きっと上客だ。
「香霖堂ではどんな道具でも売っています、ないものはないと言って良いでしょう」
「何でもある、そう申したか」
はい、と返事した霖之助に老人はいきなり羽織の袖から拳銃を抜き放ち、彼に突き付けた。霖之助は驚き、迅速に無意識で両手を天に突き上げて、金だけはないですがと付け加える。
「いや、金じゃない、別のものじゃ。道具が欲しい」
老人は用心金に指を通して銃を手放した。人差し指にぶら下がっているそれを見て、霖之助は手を下げた。
「それで、どのような道具をお求めで?」
「銃じゃ。こいつは重くて、ワシの様な老体では辛い、軽くて持ち運びが易しい銃は無いか?」
その声で霖之助は笑顔を取り戻し、倉庫に案内するから来てくれと言った。老人は拳銃を仕舞うとその後について行く。
「………軽いのが御所望とありましたら、こう言うのなんかはいかがでしょう。貴方が使っている銃と同じ会社の、ひとつ前のモデルです」
拳銃を包んでいる新聞を剥がすと、老人はその顔に喜色を浮かべ、笑った。
「これは、No.1じゃないか!坂本龍馬が最後に使ったモデル、ここで会えるとは」
「お客さん、中々お詳しいですね」
「勿論じゃ、ワシは坂本龍馬が好きでな、ほれこれも」
そう言って袴を捲りあげると、同じように坂本龍馬が履いていたブーツがその足に嵌っている。
「おうおう、軽いのう、里の道具屋で売っているこれはどうも重いがこれは………うむ」
「待って下さい、里の道具屋ってことは、霧雨さんを知っていますか?」
老人は頷き、彼の紹介でここへ来たと言い、次は自己紹介を述べた。
「ワシは坂本妖忌、人里で剣術を教えちょる」
「坂本……はぁ」
「ここだけじゃがな、これは通名じゃ、ホントは魂魄なんじゃがな」
通名で坂本と名乗ったりブーツを履いたり何から何まで龍馬かぶれだ、霖之助がそう思っていると妖忌ははしゃぎながら構えたり、撃鉄を起こして空打ちをしている。
「しかし、剣術を教えていると言う事は銃よりも剣の方が扱いやすいんじゃないですか?」
「扱いやすいから困る、剣は上達すればするほど殺してしまうが、銃は使い方次第で生かすも殺すも自由自在じゃからな」
「そういうもんですか?」
「そういうもんじゃ」
軽さと、坂本龍馬が使っていたと言う事で気に行ったのか、妖忌は購入を決めた。即金で。本体と弾丸込みで値段は十五万八千円だった。
「いやぁ、副業ばかり儲かるなぁ」
「副業?これが本業では無いのか」
「本業は古道具なんです。副業が今みたいなほら、武器の取り引きですよ」
ついでに古道具も買って行かないか、霖之助はそう付け加えて道具を取り出し、安くするからと言って見せる。
「いやまぁ、それは今度で」
「待って下さい、お茶でも飲んで行きませんか?勿論タダですよ」
霖之助は副業と言えど店に来てくれたまともな客なのでもてなしたいと言って妖忌を引き留めた。
「……運よく、良いお茶が残ってたんでね」
「残る?」
何時もは強盗の様な客に持ってかれてしまうんでね、と言いながら霖之助は妖忌の湯呑に茶を注ぎ、その次に自分のにも注ぐ。
「まともな客がいない様ですな」
「……言わないで下さい、愚痴が出てしまうんでね」
その一言に妖忌は黙り込み、感づいた。どうやら、この青年は商売であまりいい思いをしていない様だと。
飲み終え、湯呑を片づけた霖之助の腕を妖忌は力強く握りしめ、外へと連れ出し始めた。
「ちょっちょ、何するんですかお客さん!」
「ハッハッハ、ついて来い若いの、良い経験をさせちゃる!」
「ちょ、うわ力強い!?」
ついた先は、里である。
森からここまで、引き摺られてきた霖之助は息を切らし、引き摺ってきた妖忌はもっと息を切らしていた。
「……さて、行きましょうぞ」
霖之助はついて行った。ここまでくればヤケだ、とことんやってやる。そう心で呟いて。
先程の決意を、すぐに打ち砕かれた。
桃色一色と形容するに相応しい里から外れた一本通りの商店街の様な場所。
「ここは、ワシが良く通う店がある。良い女揃いじゃ、行こう」
「ここ遊郭じゃないですか!」
しかし、霖之助は今度はついて行かなかった。
「どうした?いかんのか?」
「や、僕は………」
「金なら心配するな、ワシが出す」
そう言って今度こそ妖忌は霖之助の腕を掴み、行こうとするが霖之助はその腕を振り解いて動かない。
「どうした、ん?」
「僕はこう言う所駄目なんですよ」
「駄目な訳無かろうよ、お主も男じゃろ、ほれ行くぞ」
「だから、止めて下さいよ妖忌さん……止めて下さいってば、もう!」
霖之助は二歩三歩妖忌から後ずさりし、息を荒げながらそんな所は行きたくないと言った。
「そんな所って、酷い言い様ですなぁ、これも社会の維持には必要な職業ですぞ」
「誰に、何と言われようと、僕は、そこには行きたくないんです!」
と、その時である、霖之助の後ろで何かが落ちる音がしたのは。霖之助が振り返ると、良く見知った顔がそこに。
「霖……之助…?」
「慧音」
時間が凍った。霖之助の顔は引き攣り、慧音は今にも泣きそうな顔を霖之助に向けていた。
が、そんな中でも空気が読めないのか、それとも読まないのか。妖忌は固まっている霖之助の肩に肘を置き、慧音に話しかける。
「慧音殿、この青年に一線を越える助言をお願いします」
「え……あ、その………」
我に返った霖之助は返答に窮している慧音の腕を掴み、すぐさま妖忌の下から走り去って行った。
「……勘違いしないでくれ?良いな」
「え、あ、あぁ分かってる。月に二度も来るなんて、珍しいなぁ……なんて思ってたんだけど、そうだよな」
遊郭から離れた路地裏に慧音を連れ込んだ霖之助は開口一番にそう言った。慧音は突然の事にまだ呆けているが、何とか頷いた。
「分かってるよ霖之助……うん、お前もそう言うことに興味があるのは分かってる」
「何を聞いていたんだい君は、それともなんだ?あの状況が分からなかったのかい?」
「分かってるさ、分かってる。お前も女性に興味があった方がいいと私は分かっている、そうさ、男なんだお前は。女の一人や二人、知っていて、悪い筈が無いもんな、うん」
「……これまでもそうだったけど、君のその豊かすぎる想像力に僕の頭が捩じ切れそうだ」
それから何十分かかけて、霖之助は誤解を解いた。誤解を解いた頃、慧音の顔はすっかり紅くなり、霖之助にひたすら平謝りをしていた。
「その……すまなかった、色々」
「分かってくれて嬉しいよ」
ひと段落ついて路地裏から抜け出すと、妖忌がそこに居た。赤い顔で肩で息をしているところを見ると、走って来たのだと言うのが良く分かる。
「終わってもうたか、カメラ持って来たのに!悔しい!!」
「ジジィ頭出せ」
ゴンッと言う鈍い音が響き、妖忌の首が地面に埋まった所で、慧音は霖之助にお詫びがしたいと言って家に案内した。
「……変わってないね、君は」
「そうだな」
慧音の家は、里外れにある。月に一度、霖之助はここに訪れるから何処に何があるのか自分の家の様に分かる。
勝手にそこらにある本を手に取り、読んでいると必ず書き込みがしてある。慧音がしたものだ。
「ほー、歴史研究は続けているのか、熱心だな」
「だろ?」
正しい歴史や価値観を教えて、人と妖怪、そして半人の争いを失くしたい。と慧音は言う。
「昔の……お前と私の様な事は、経験させたくない」
「………ごめん」
「なんでお前が謝るんだ。………悪かったのは私だ」
「いや、でも………」
「はい!この話はおわり。今日は過去を蒸し返すために呼んだんじゃないんだ。頼む」
そんな顔はしないでくれ。慧音はそう言った。霖之助は、素直に従った。
「……それじゃ、もう帰るよ」
「うん………」
日はもう落ちた。そろそろ店に帰ろうとした霖之助を慧音は寂しそうな顔で見送る。
里の出口近くへさしかかると、霖之助は不意に慧音に後ろから抱きつかれた。
「霖之助……!」
「なんだい?」
森は危険じゃないか、里は暮らしにくいか、寂しくは無いのか。慧音は霖之助の背中に顔を埋めながら聞いた。霖之助は、どの質問も『うん』と答えた。じゃあ最後に、と慧音は続ける。
「私の事………好きか?」
霖之助は天を仰いだ。星は輝いている。春先の冷たい風が頬を撫ぜると、少し微笑んで。
「……好きだよ」
それだけ言って、霖之助は暗闇の森へと歩いて行った。
霖之助が家に帰ると、何故か勝手に明かりが点いていた。しかし、これくらいで動じない。
きっと魔理沙あたりだろう、そう見当を立て、玄関を開けると嫌に騒々しい。奥からだ。
『………だぜ!』
聞こえてくる笑い声は魔理沙、どうやら片方は当たっているが、もう一人は誰だろう。嫌な予感がしながら霖之助は奥へと進む。
「お、香霖お帰り」
「霖之助殿、おじゃましておりますぞ」
「妖忌さん、里で埋まったはずじゃ」
トリックじゃよ、と妖忌は言うと霖之助を座らせて酒の注がれたコップを持たせた。
「まぁ揃った所で乾杯でもしますか」
乾杯、と狭い店内に妖忌と魔理沙の声が響いた。
卓袱台の上には酒やつまみがたくさん並べらている。特に酒なんかは香霖堂に置いてあった量でも銘柄でも無い。
「里で買って来て、お主と飲もうと思ったらこの魔法使い殿と出くわしましてな」
意気投合してしまいました、と妖忌は言う。
「いやぁ、面白いぜ爺さん。なぁ香霖、何時の間にこんな愉快な奴と知り合ったんだ?」
「いや、まぁ客だよ」
香霖堂に客がいたのか、と魔理沙はケラケラと笑って酒を一気に呷る。
酒がすすむにつれて、魔理沙は呂律が回らなくなり、妖忌は静かになり、霖之助は頭が混乱してきた。その内魔理沙は限度を越したのか目を回してぶっ倒れた。
「霖之助殿、魔理沙殿は布団に寝かしつけましたが」
「ありがとうごじゃいます」
「こっちも出来あがっておりますなぁ」
酔っているとは思えないほどしっかりした足取りと口調で、妖忌は霖之助に水を持ってきた。飲めと言って。
飲むと、幾分か落ち着いた。
「……慧音殿と、仲が良いのですな」
「仲が良いって、まぁそうですよ」
「慧音殿もきっと、お主を好いているじゃろうな」
「僕は好きですよ、慧音が、とっても」
落ち着いたと言っても酔っているのだろう。
普段の彼を知る者が今の彼を見れば、きっと驚いたに違いない。
「布団を敷いております、寝てはどうですか?
後片付けはしておく、と言う妖忌に霖之助は甘える事にした。
「……うぉい、香霖起きろ、お~い」
朝、魔理沙は昨日の服装のまま霖之助の頬を叩いていた。
「あぁ、おはよう魔理ふぁ~あ」
「ちゃんと名前で読んで欲しいんだぜ」
欠伸と共に目の前の少女の名前を呼び、起きあがると目を数度瞑ったり開けたりしていると、昨日の事が蘇ってくる。
「よ、妖忌さんは!?」
「爺さんか?台所で飯作ってくれてる」
早く行こうぜ、と魔理沙は言って霖之助に軽いビンタをした。居間へ行くと確かに湯気が立つ味噌汁と米が卓袱台に置いてあった。
「おぉ二人とも、丁度今出来ましたぞ」
「やった!私お腹ペコペコ」
魔理沙は飛びつくように卓袱台に座り込み、霖之助も味噌汁を見たせいで食欲が沸いたのか、魔理沙の隣に座る。
食べ終わると、魔理沙は風呂を貸してくれと言って答えを聞かないうちに風呂場へ入って行った。
「元気な子ですな、孫を思い出します」
「へぇ~お孫さん………孫いたの!?」
魔理沙が風呂からあがる頃にはもう後片付けは終わっていて、霖之助は接客台で、妖忌は居間で魔理沙と共に香霖堂の商品を弄っている。
溜息をつきつつ座っていると、不意に来客を知らせる呼び鈴が鳴った。
「すっ、すいません!人魂灯見かけませんでしたか!?」
短い銀髪とリボンのついたカチューシャ、緑のベストに緑のスカートをはいて刀を吊った少女が店にそんな事を叫びながら入ってきた。
「やぁ妖夢、どうしたんだい?」
「あ、あの、また人魂灯落としてしまいまして、拾っていれば返してもらおうと思ったんですが……」
「生憎だが、拾ってないよ」
霖之助は答えたが、妖夢の興味は霖之助の後ろの居間になっていた。どうかしたのか、と霖之助が聞くと妖夢は誰か奥に居るのかと尋ねる。
「魔理沙だよ」
「いえ、もう一人です」
すいません、と妖夢は断って奥へと進んだ。霖之助は勝手には言っちゃ駄目だよと言ったが、聞く耳を持っていない。
「師匠!」
妖夢はそう叫んで襖を開けた。するとそこにいたのは
「私はお前の師匠じゃないぜ、生憎な」
魔理沙だった。妖夢は魔理沙に、ここにもう一人いなかったかと尋ねると魔理沙は首を横に振る。
「誰もいないぜ、誰も」
「でも、確かに誰かがいた様な気が……」
「これじゃねぇか?」
言って魔理沙は紅い袋を取り出し、指で押した。その瞬間、老人の笑い声が部屋中に響き渡った。
「妖夢こそ、何しに来たんだ?」
「あ、いや……落し物を拾いに来たんだけど……」
「失せ物探しなら良い奴がいるぜ、香霖より腕の良い奴を知っているんだ、ついてこいよ」
「え?あ、ちょ魔理沙ぁ」
魔理沙は強引に妖夢の腕を掴むと店を元気よく飛び出して行った。二人が去った後、霖之助は魔理沙が背もたれにしていた居間の襖へ歩み寄り、開ける。
「おほ、見つかりましたか」
「どうも、妖忌さん」
妖忌を引きずりだすと、霖之助は問うた。なんで隠れていたのかと。答えは実に簡単だった。会いたく無かったそうだ。
「孫と感動の対面なんて、似合わんよ」
「孫……そうか、彼女があなたの孫だったんですか」
「まぁな、可愛いじゃろ?あげんぞ」
いりませんよ、霖之助はそう言って接客台へと戻って行った。
腑に落ちない。妖夢は捜して貰った人魂灯を携えながら白玉楼へと戻った。
真っ先に幽々子の部屋へと行き、帰宅報告と今回の不備を詫びる。
「………申し訳ありませんでした」
「反省しているなら良いわ。それより妖夢、お腹すいちゃったわ早くご飯作って」
「はいただいま」
夕食後、縁側で幽々子は茶を飲んでいた。
蕾を付け始めた桜を見、その次に蕾すらついていない西行妖を眺めている。
「……あの桜がどうして咲かせてはいけないのかって、まだ分からないわねぇ」
あの桜は何か自分にとって大事なものなのではないか、妖忌なら分かるのだろうか、と呟くと妖夢は思い出したかのように幽々子に尋ねた。
「幽々子様、今日、道具屋で師匠がいた様な気がしたのですが」
「いた様な気がした?」
幽々子が反問すると、妖夢は頷いて続ける。何か憶えのある感じが道具屋からしていたのだと。
「ねぇ妖夢、それは本当なの?」
「はい、私の見当違いで無ければ」
その言葉を聞いて幽々子は途端にあの道具屋へ向かいたくなった。妖忌に、今はいない自分を知る人物に会いたくなった。
稽古に熱中していたのか、と一番前に座り木刀をひたすら振り降ろしている青年達を見ている老人は頭を振る。
呆けていただけだろうと自分を笑って。
「……皆、今日はここまでじゃ、雨が降ってきた」
決して叫んだわけではないが、その声は道場に居る全員に良く聞こえた。青年達は自分達の師に頭を下げ、着替えるために道場からその姿を消す。
老人は腰を上げ、体を伸ばすと近くに置いてあった刀を腰に差し、同じように道場から出て行った。
「お疲れ様です、坂本先生」
「おや、霧雨殿、どうなされました」
霧雨と呼ばれた男は老人に傘を差し出した。老人の手には傘は持たれていない。
「お忘れになったでしょう、お困りかと思いまして」
「忝い」
カランコロンと人気の少ない里の通りを下駄の音が響く。
所々に蕾を付けた桜の木は、春の訪れを予感させていた。霧雨は傘の下から気を見つめ、呟く。
「まだ、桜は咲きませんねぇ」
「冬は終わったばかりじゃ、もう少し待たなければな」
歩く道すがら、老人は左側へ傾いて行く羽織を直しながら冬から開けたばかりの雨の冷たさに辟易していた。
「重いのぉ」
「ですから一緒にホルスターをお買いになればいいと言ったじゃないですか」
「そうじゃない、こいつが特別重いだけじゃ」
軽いのが欲しい、と老人が言うと
「ここで一番軽いのはそれだけですよ」
霧雨はそう苦笑した。
老人は何処かここ以外で銃を売る所は無いのかと尋ねる。すると霧雨はあるにはあると言う。
「何処ですかな、そこは」
「僕の弟子が経営してる店でして」
「銃砲店か?」
「いえ、ただの道具店です」
しかし品ぞろえは良く、場所は里と森の間にあり、楽に行ける。と言う霧雨の言葉を聞いて老人は明日にでも行こうと決意した。
香霖堂に、一大事件が起きた。
「いらっしゃいませ」
客が来たのだ。店主である森近霖之助は、多分創建以来のまともな客を見た事だろう。
老人だが、身なりは良く腰に大小を差し、紋付を着ている。これは何処かの御屋敷に仕える侍で、きっと上客だ。
「香霖堂ではどんな道具でも売っています、ないものはないと言って良いでしょう」
「何でもある、そう申したか」
はい、と返事した霖之助に老人はいきなり羽織の袖から拳銃を抜き放ち、彼に突き付けた。霖之助は驚き、迅速に無意識で両手を天に突き上げて、金だけはないですがと付け加える。
「いや、金じゃない、別のものじゃ。道具が欲しい」
老人は用心金に指を通して銃を手放した。人差し指にぶら下がっているそれを見て、霖之助は手を下げた。
「それで、どのような道具をお求めで?」
「銃じゃ。こいつは重くて、ワシの様な老体では辛い、軽くて持ち運びが易しい銃は無いか?」
その声で霖之助は笑顔を取り戻し、倉庫に案内するから来てくれと言った。老人は拳銃を仕舞うとその後について行く。
「………軽いのが御所望とありましたら、こう言うのなんかはいかがでしょう。貴方が使っている銃と同じ会社の、ひとつ前のモデルです」
拳銃を包んでいる新聞を剥がすと、老人はその顔に喜色を浮かべ、笑った。
「これは、No.1じゃないか!坂本龍馬が最後に使ったモデル、ここで会えるとは」
「お客さん、中々お詳しいですね」
「勿論じゃ、ワシは坂本龍馬が好きでな、ほれこれも」
そう言って袴を捲りあげると、同じように坂本龍馬が履いていたブーツがその足に嵌っている。
「おうおう、軽いのう、里の道具屋で売っているこれはどうも重いがこれは………うむ」
「待って下さい、里の道具屋ってことは、霧雨さんを知っていますか?」
老人は頷き、彼の紹介でここへ来たと言い、次は自己紹介を述べた。
「ワシは坂本妖忌、人里で剣術を教えちょる」
「坂本……はぁ」
「ここだけじゃがな、これは通名じゃ、ホントは魂魄なんじゃがな」
通名で坂本と名乗ったりブーツを履いたり何から何まで龍馬かぶれだ、霖之助がそう思っていると妖忌ははしゃぎながら構えたり、撃鉄を起こして空打ちをしている。
「しかし、剣術を教えていると言う事は銃よりも剣の方が扱いやすいんじゃないですか?」
「扱いやすいから困る、剣は上達すればするほど殺してしまうが、銃は使い方次第で生かすも殺すも自由自在じゃからな」
「そういうもんですか?」
「そういうもんじゃ」
軽さと、坂本龍馬が使っていたと言う事で気に行ったのか、妖忌は購入を決めた。即金で。本体と弾丸込みで値段は十五万八千円だった。
「いやぁ、副業ばかり儲かるなぁ」
「副業?これが本業では無いのか」
「本業は古道具なんです。副業が今みたいなほら、武器の取り引きですよ」
ついでに古道具も買って行かないか、霖之助はそう付け加えて道具を取り出し、安くするからと言って見せる。
「いやまぁ、それは今度で」
「待って下さい、お茶でも飲んで行きませんか?勿論タダですよ」
霖之助は副業と言えど店に来てくれたまともな客なのでもてなしたいと言って妖忌を引き留めた。
「……運よく、良いお茶が残ってたんでね」
「残る?」
何時もは強盗の様な客に持ってかれてしまうんでね、と言いながら霖之助は妖忌の湯呑に茶を注ぎ、その次に自分のにも注ぐ。
「まともな客がいない様ですな」
「……言わないで下さい、愚痴が出てしまうんでね」
その一言に妖忌は黙り込み、感づいた。どうやら、この青年は商売であまりいい思いをしていない様だと。
飲み終え、湯呑を片づけた霖之助の腕を妖忌は力強く握りしめ、外へと連れ出し始めた。
「ちょっちょ、何するんですかお客さん!」
「ハッハッハ、ついて来い若いの、良い経験をさせちゃる!」
「ちょ、うわ力強い!?」
ついた先は、里である。
森からここまで、引き摺られてきた霖之助は息を切らし、引き摺ってきた妖忌はもっと息を切らしていた。
「……さて、行きましょうぞ」
霖之助はついて行った。ここまでくればヤケだ、とことんやってやる。そう心で呟いて。
先程の決意を、すぐに打ち砕かれた。
桃色一色と形容するに相応しい里から外れた一本通りの商店街の様な場所。
「ここは、ワシが良く通う店がある。良い女揃いじゃ、行こう」
「ここ遊郭じゃないですか!」
しかし、霖之助は今度はついて行かなかった。
「どうした?いかんのか?」
「や、僕は………」
「金なら心配するな、ワシが出す」
そう言って今度こそ妖忌は霖之助の腕を掴み、行こうとするが霖之助はその腕を振り解いて動かない。
「どうした、ん?」
「僕はこう言う所駄目なんですよ」
「駄目な訳無かろうよ、お主も男じゃろ、ほれ行くぞ」
「だから、止めて下さいよ妖忌さん……止めて下さいってば、もう!」
霖之助は二歩三歩妖忌から後ずさりし、息を荒げながらそんな所は行きたくないと言った。
「そんな所って、酷い言い様ですなぁ、これも社会の維持には必要な職業ですぞ」
「誰に、何と言われようと、僕は、そこには行きたくないんです!」
と、その時である、霖之助の後ろで何かが落ちる音がしたのは。霖之助が振り返ると、良く見知った顔がそこに。
「霖……之助…?」
「慧音」
時間が凍った。霖之助の顔は引き攣り、慧音は今にも泣きそうな顔を霖之助に向けていた。
が、そんな中でも空気が読めないのか、それとも読まないのか。妖忌は固まっている霖之助の肩に肘を置き、慧音に話しかける。
「慧音殿、この青年に一線を越える助言をお願いします」
「え……あ、その………」
我に返った霖之助は返答に窮している慧音の腕を掴み、すぐさま妖忌の下から走り去って行った。
「……勘違いしないでくれ?良いな」
「え、あ、あぁ分かってる。月に二度も来るなんて、珍しいなぁ……なんて思ってたんだけど、そうだよな」
遊郭から離れた路地裏に慧音を連れ込んだ霖之助は開口一番にそう言った。慧音は突然の事にまだ呆けているが、何とか頷いた。
「分かってるよ霖之助……うん、お前もそう言うことに興味があるのは分かってる」
「何を聞いていたんだい君は、それともなんだ?あの状況が分からなかったのかい?」
「分かってるさ、分かってる。お前も女性に興味があった方がいいと私は分かっている、そうさ、男なんだお前は。女の一人や二人、知っていて、悪い筈が無いもんな、うん」
「……これまでもそうだったけど、君のその豊かすぎる想像力に僕の頭が捩じ切れそうだ」
それから何十分かかけて、霖之助は誤解を解いた。誤解を解いた頃、慧音の顔はすっかり紅くなり、霖之助にひたすら平謝りをしていた。
「その……すまなかった、色々」
「分かってくれて嬉しいよ」
ひと段落ついて路地裏から抜け出すと、妖忌がそこに居た。赤い顔で肩で息をしているところを見ると、走って来たのだと言うのが良く分かる。
「終わってもうたか、カメラ持って来たのに!悔しい!!」
「ジジィ頭出せ」
ゴンッと言う鈍い音が響き、妖忌の首が地面に埋まった所で、慧音は霖之助にお詫びがしたいと言って家に案内した。
「……変わってないね、君は」
「そうだな」
慧音の家は、里外れにある。月に一度、霖之助はここに訪れるから何処に何があるのか自分の家の様に分かる。
勝手にそこらにある本を手に取り、読んでいると必ず書き込みがしてある。慧音がしたものだ。
「ほー、歴史研究は続けているのか、熱心だな」
「だろ?」
正しい歴史や価値観を教えて、人と妖怪、そして半人の争いを失くしたい。と慧音は言う。
「昔の……お前と私の様な事は、経験させたくない」
「………ごめん」
「なんでお前が謝るんだ。………悪かったのは私だ」
「いや、でも………」
「はい!この話はおわり。今日は過去を蒸し返すために呼んだんじゃないんだ。頼む」
そんな顔はしないでくれ。慧音はそう言った。霖之助は、素直に従った。
「……それじゃ、もう帰るよ」
「うん………」
日はもう落ちた。そろそろ店に帰ろうとした霖之助を慧音は寂しそうな顔で見送る。
里の出口近くへさしかかると、霖之助は不意に慧音に後ろから抱きつかれた。
「霖之助……!」
「なんだい?」
森は危険じゃないか、里は暮らしにくいか、寂しくは無いのか。慧音は霖之助の背中に顔を埋めながら聞いた。霖之助は、どの質問も『うん』と答えた。じゃあ最後に、と慧音は続ける。
「私の事………好きか?」
霖之助は天を仰いだ。星は輝いている。春先の冷たい風が頬を撫ぜると、少し微笑んで。
「……好きだよ」
それだけ言って、霖之助は暗闇の森へと歩いて行った。
霖之助が家に帰ると、何故か勝手に明かりが点いていた。しかし、これくらいで動じない。
きっと魔理沙あたりだろう、そう見当を立て、玄関を開けると嫌に騒々しい。奥からだ。
『………だぜ!』
聞こえてくる笑い声は魔理沙、どうやら片方は当たっているが、もう一人は誰だろう。嫌な予感がしながら霖之助は奥へと進む。
「お、香霖お帰り」
「霖之助殿、おじゃましておりますぞ」
「妖忌さん、里で埋まったはずじゃ」
トリックじゃよ、と妖忌は言うと霖之助を座らせて酒の注がれたコップを持たせた。
「まぁ揃った所で乾杯でもしますか」
乾杯、と狭い店内に妖忌と魔理沙の声が響いた。
卓袱台の上には酒やつまみがたくさん並べらている。特に酒なんかは香霖堂に置いてあった量でも銘柄でも無い。
「里で買って来て、お主と飲もうと思ったらこの魔法使い殿と出くわしましてな」
意気投合してしまいました、と妖忌は言う。
「いやぁ、面白いぜ爺さん。なぁ香霖、何時の間にこんな愉快な奴と知り合ったんだ?」
「いや、まぁ客だよ」
香霖堂に客がいたのか、と魔理沙はケラケラと笑って酒を一気に呷る。
酒がすすむにつれて、魔理沙は呂律が回らなくなり、妖忌は静かになり、霖之助は頭が混乱してきた。その内魔理沙は限度を越したのか目を回してぶっ倒れた。
「霖之助殿、魔理沙殿は布団に寝かしつけましたが」
「ありがとうごじゃいます」
「こっちも出来あがっておりますなぁ」
酔っているとは思えないほどしっかりした足取りと口調で、妖忌は霖之助に水を持ってきた。飲めと言って。
飲むと、幾分か落ち着いた。
「……慧音殿と、仲が良いのですな」
「仲が良いって、まぁそうですよ」
「慧音殿もきっと、お主を好いているじゃろうな」
「僕は好きですよ、慧音が、とっても」
落ち着いたと言っても酔っているのだろう。
普段の彼を知る者が今の彼を見れば、きっと驚いたに違いない。
「布団を敷いております、寝てはどうですか?
後片付けはしておく、と言う妖忌に霖之助は甘える事にした。
「……うぉい、香霖起きろ、お~い」
朝、魔理沙は昨日の服装のまま霖之助の頬を叩いていた。
「あぁ、おはよう魔理ふぁ~あ」
「ちゃんと名前で読んで欲しいんだぜ」
欠伸と共に目の前の少女の名前を呼び、起きあがると目を数度瞑ったり開けたりしていると、昨日の事が蘇ってくる。
「よ、妖忌さんは!?」
「爺さんか?台所で飯作ってくれてる」
早く行こうぜ、と魔理沙は言って霖之助に軽いビンタをした。居間へ行くと確かに湯気が立つ味噌汁と米が卓袱台に置いてあった。
「おぉ二人とも、丁度今出来ましたぞ」
「やった!私お腹ペコペコ」
魔理沙は飛びつくように卓袱台に座り込み、霖之助も味噌汁を見たせいで食欲が沸いたのか、魔理沙の隣に座る。
食べ終わると、魔理沙は風呂を貸してくれと言って答えを聞かないうちに風呂場へ入って行った。
「元気な子ですな、孫を思い出します」
「へぇ~お孫さん………孫いたの!?」
魔理沙が風呂からあがる頃にはもう後片付けは終わっていて、霖之助は接客台で、妖忌は居間で魔理沙と共に香霖堂の商品を弄っている。
溜息をつきつつ座っていると、不意に来客を知らせる呼び鈴が鳴った。
「すっ、すいません!人魂灯見かけませんでしたか!?」
短い銀髪とリボンのついたカチューシャ、緑のベストに緑のスカートをはいて刀を吊った少女が店にそんな事を叫びながら入ってきた。
「やぁ妖夢、どうしたんだい?」
「あ、あの、また人魂灯落としてしまいまして、拾っていれば返してもらおうと思ったんですが……」
「生憎だが、拾ってないよ」
霖之助は答えたが、妖夢の興味は霖之助の後ろの居間になっていた。どうかしたのか、と霖之助が聞くと妖夢は誰か奥に居るのかと尋ねる。
「魔理沙だよ」
「いえ、もう一人です」
すいません、と妖夢は断って奥へと進んだ。霖之助は勝手には言っちゃ駄目だよと言ったが、聞く耳を持っていない。
「師匠!」
妖夢はそう叫んで襖を開けた。するとそこにいたのは
「私はお前の師匠じゃないぜ、生憎な」
魔理沙だった。妖夢は魔理沙に、ここにもう一人いなかったかと尋ねると魔理沙は首を横に振る。
「誰もいないぜ、誰も」
「でも、確かに誰かがいた様な気が……」
「これじゃねぇか?」
言って魔理沙は紅い袋を取り出し、指で押した。その瞬間、老人の笑い声が部屋中に響き渡った。
「妖夢こそ、何しに来たんだ?」
「あ、いや……落し物を拾いに来たんだけど……」
「失せ物探しなら良い奴がいるぜ、香霖より腕の良い奴を知っているんだ、ついてこいよ」
「え?あ、ちょ魔理沙ぁ」
魔理沙は強引に妖夢の腕を掴むと店を元気よく飛び出して行った。二人が去った後、霖之助は魔理沙が背もたれにしていた居間の襖へ歩み寄り、開ける。
「おほ、見つかりましたか」
「どうも、妖忌さん」
妖忌を引きずりだすと、霖之助は問うた。なんで隠れていたのかと。答えは実に簡単だった。会いたく無かったそうだ。
「孫と感動の対面なんて、似合わんよ」
「孫……そうか、彼女があなたの孫だったんですか」
「まぁな、可愛いじゃろ?あげんぞ」
いりませんよ、霖之助はそう言って接客台へと戻って行った。
腑に落ちない。妖夢は捜して貰った人魂灯を携えながら白玉楼へと戻った。
真っ先に幽々子の部屋へと行き、帰宅報告と今回の不備を詫びる。
「………申し訳ありませんでした」
「反省しているなら良いわ。それより妖夢、お腹すいちゃったわ早くご飯作って」
「はいただいま」
夕食後、縁側で幽々子は茶を飲んでいた。
蕾を付け始めた桜を見、その次に蕾すらついていない西行妖を眺めている。
「……あの桜がどうして咲かせてはいけないのかって、まだ分からないわねぇ」
あの桜は何か自分にとって大事なものなのではないか、妖忌なら分かるのだろうか、と呟くと妖夢は思い出したかのように幽々子に尋ねた。
「幽々子様、今日、道具屋で師匠がいた様な気がしたのですが」
「いた様な気がした?」
幽々子が反問すると、妖夢は頷いて続ける。何か憶えのある感じが道具屋からしていたのだと。
「ねぇ妖夢、それは本当なの?」
「はい、私の見当違いで無ければ」
その言葉を聞いて幽々子は途端にあの道具屋へ向かいたくなった。妖忌に、今はいない自分を知る人物に会いたくなった。
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