パチリ、と火鉢の炭火が音を立てる。仄かな灯りと暖かさに私は満足した。
今日も今日とて大祀廟の守りに勤しんでいる私は宮古芳香。キョンシーだ。
死体の私には火鉢は必要ないけれど、これは別の人のためのものだ。
目的は二つある。ひとつは私がここにいることの目印。
もうひとつはあの人がここに来た時、寒くないように。
「あ、来た」
遠くにチラチラと瞬く明かりが見えて、私は思わず手を振った。きっと向こうには見えないだろうけど、つい体が動いてしまう。
早く会いたくて、私は彼女に元に飛んだ。ぼんやりとした明かりに近づいていく。やがて、人影がわかるくらいの距離になった。
「がんばってるわね、芳香」
「青娥ー」
大好きな声が聞こえて、ぴょん、と飛び跳ねる。
青娥は右手に提灯、左手に手提げかごを持っていた。提灯の明かりに人影もゆらゆら揺れて、妖しく夜の闇に浮かんでいる。
青娥は静かに手提げかごを掲げた。
「お待たせ、芳香。お弁当にしましょう」
青娥の作るお弁当は、いつもおいしい。今日もお美味しそうだった。私は何でも食べるけど、食べるならおいしい物がいい。
青娥は敷布を広げると、かごからいくつもお弁当箱を取り出して広げる。
その一つを開けると、中には切り分けられた鹿肉が入っていた。まだ熱々で、冷えた墓地の空気にさらされてほんのり湯気が立つ。
肉を一切れ取ると、青娥は黄色いタレをつけた。
「それなあに」
「マスタード。西洋のからしよ。この前頂いたの」
言われてみればカラシに見えた。茶色いつぶつぶが入っているのが普通のとの違いだろうか。
はい、と箸で差し出されたので、遠慮せずかぶりつく。汁気がたっぷりで柔らかく、とってもおいしい。
モゴモゴと口の中で咀嚼しながら私は幸せな気持ちでいっぱいになっていた。
口にお肉がいっぱいでしゃべることは出来なかったけど、私の反応だけで青娥は満足したように微笑んだ。
「よかった。おいしかったみたいね」
「………ゴクン。青娥の作るものはいつもおいしいよ」
「ふふ、ありがとう。はい、芳香」
「あーん」
ふた切れ目のお肉を私は頂いた。西洋からしもピリッと効いて辛すぎず、肉の味を引き立てている。
とにかくおいしい。
「青娥は食べないの?」
「うん、私はいいの。遠慮しないで好きなだけ食べて」
青娥はお弁当箱から次々と料理を出してきた。
じゃがいもをカリッと油で揚げたのや、温かい貝の汁物、小麦粉の餅みたいなのにお肉を挟んで食べるのも美味しかった。
「なんか、私の知らない料理がいっぱい」
「西洋料理ができる知り合いが増えたから、練習しているの。どう、おいしい?」
「とってもおいしい!」
私がそう言うと、青娥は私よりうれしそうな顔で笑ってくれる。
その笑顔が、青娥の料理と同じくらい大好きだ。
半刻も食べ続けて、私はお腹いっぱいになった(青娥に食べさせてもらうので私は食事に時間がかかる)。
火鉢で香ばしく炙った栗を、私たちは食べていた。今度は青娥も一緒に食べた。栗は私が一人で汚さず食べられるからだ。
火鉢には今、お茶がかけられている。栗を食べながら、私たちは今日の料理について話した。
「今日もおいしかったよ、青娥」
「ふふ、ありがとう。どれも初めて作ったからちょっと心配だったの。でも、お口にあったみたいで良かったわ。また食べたいのはある」
「お肉が美味しかった」
「わかった。まだあるから明日も作るわね」
栗を食べ終わると青娥がお茶を注いでくれた。
紅い、初めて飲むそのお茶は、ふわっと優しい香りがした。
「おいしい。これも西洋の?」
「ええ、そう。向こうのお茶は、本当はまだまだ修行中なの。でも今日はこっちがいいと思って」
二人で静かにお茶を飲む。空気が澄んでいて星がよく見える。墓地は静かで、ときどき炭のはねる音がそっと響くだけだった。
青娥のお茶はおいしかった。
飲むと体の緊張が解けて、ほうっ、と思わずため息が漏れた。見ると、青娥も同じようにため息を付いている。
お茶を飲むと、私の息も少し白くなる。青娥と二人で白い息を吐くと、私も生きている気がして、嬉しい。
「あら、どうしたの」
見つめていたのがバレてしまった。青娥がやさしく訊いてくる。
私は照れて答えられず、代わりにそっと片手を差し出した。
青娥も、何も言わずにお茶から手を離して静かに掌を重ねてくれる。
ぎゅっと私は青娥の手を握った。
「青娥」
「うん」
「いつもお弁当ありがとうね」
「どういたしまして」
こんな時もっといろいろお話できたらな、と思う。でもあまりよくない私の頭では、面白い話なんかできない。
でも青娥は、芳香と静かに過ごす夜も好きよ、と前に言ってくれた。
私も青娥と二人でお茶を飲んでいるだけで幸せだった。
私は死体だから冷たい。夜気に冷えた手で青娥に触れるのは嫌だった。
だから冬の私は、お茶であたためあたため、ようやく青娥と手をつなぐのだ。
やがて、私の手がすっかり冷え切ってしまった頃、つまり私が青娥の手をとても温かく感じだした頃、その手を離した。
とても名残惜しいけど、いつまでも私の手で青娥を冷やしてはいけない。
それに、ちょうどお茶も飲み終わっていた。
青娥と私は立ち上がって、その場を片付けた。
準備も整って、青娥は再び手に提灯を持つ。
「それじゃあ、頑張ってね、芳香」
「任せて。一所懸命守るから」
「また朝には迎えに来るわね」
「うん」
また朝には会えるとわかっていても、やっぱり別れるのはさびしい。でもキョンシーがそんなことを言って主人を困らせてはいけない。
そう思っていると、ふわりと何か頭に降りた。
「芳香、いいこ、いいこ」
「せいが」
青娥が私の頭を撫でてくれていた。私はこうされるのが一番好きだった。
青娥の掌は不思議な力を持っている。それだけで寂しくなくなってくる。
「いいこ、いいこ。それじゃあね、芳香」
「うん」
やがて青娥は手を離し、ふんわりと空に浮かび上がった。夜空に浮かぶ青娥の姿は、とってもきれいだ。
彼女の姿が消えるまで、私は見送った。
そして姿が見えなくなると持ち場へと戻った。
「よーし、今夜もがんばるぞー」
(おわり)
今日も今日とて大祀廟の守りに勤しんでいる私は宮古芳香。キョンシーだ。
死体の私には火鉢は必要ないけれど、これは別の人のためのものだ。
目的は二つある。ひとつは私がここにいることの目印。
もうひとつはあの人がここに来た時、寒くないように。
「あ、来た」
遠くにチラチラと瞬く明かりが見えて、私は思わず手を振った。きっと向こうには見えないだろうけど、つい体が動いてしまう。
早く会いたくて、私は彼女に元に飛んだ。ぼんやりとした明かりに近づいていく。やがて、人影がわかるくらいの距離になった。
「がんばってるわね、芳香」
「青娥ー」
大好きな声が聞こえて、ぴょん、と飛び跳ねる。
青娥は右手に提灯、左手に手提げかごを持っていた。提灯の明かりに人影もゆらゆら揺れて、妖しく夜の闇に浮かんでいる。
青娥は静かに手提げかごを掲げた。
「お待たせ、芳香。お弁当にしましょう」
青娥の作るお弁当は、いつもおいしい。今日もお美味しそうだった。私は何でも食べるけど、食べるならおいしい物がいい。
青娥は敷布を広げると、かごからいくつもお弁当箱を取り出して広げる。
その一つを開けると、中には切り分けられた鹿肉が入っていた。まだ熱々で、冷えた墓地の空気にさらされてほんのり湯気が立つ。
肉を一切れ取ると、青娥は黄色いタレをつけた。
「それなあに」
「マスタード。西洋のからしよ。この前頂いたの」
言われてみればカラシに見えた。茶色いつぶつぶが入っているのが普通のとの違いだろうか。
はい、と箸で差し出されたので、遠慮せずかぶりつく。汁気がたっぷりで柔らかく、とってもおいしい。
モゴモゴと口の中で咀嚼しながら私は幸せな気持ちでいっぱいになっていた。
口にお肉がいっぱいでしゃべることは出来なかったけど、私の反応だけで青娥は満足したように微笑んだ。
「よかった。おいしかったみたいね」
「………ゴクン。青娥の作るものはいつもおいしいよ」
「ふふ、ありがとう。はい、芳香」
「あーん」
ふた切れ目のお肉を私は頂いた。西洋からしもピリッと効いて辛すぎず、肉の味を引き立てている。
とにかくおいしい。
「青娥は食べないの?」
「うん、私はいいの。遠慮しないで好きなだけ食べて」
青娥はお弁当箱から次々と料理を出してきた。
じゃがいもをカリッと油で揚げたのや、温かい貝の汁物、小麦粉の餅みたいなのにお肉を挟んで食べるのも美味しかった。
「なんか、私の知らない料理がいっぱい」
「西洋料理ができる知り合いが増えたから、練習しているの。どう、おいしい?」
「とってもおいしい!」
私がそう言うと、青娥は私よりうれしそうな顔で笑ってくれる。
その笑顔が、青娥の料理と同じくらい大好きだ。
半刻も食べ続けて、私はお腹いっぱいになった(青娥に食べさせてもらうので私は食事に時間がかかる)。
火鉢で香ばしく炙った栗を、私たちは食べていた。今度は青娥も一緒に食べた。栗は私が一人で汚さず食べられるからだ。
火鉢には今、お茶がかけられている。栗を食べながら、私たちは今日の料理について話した。
「今日もおいしかったよ、青娥」
「ふふ、ありがとう。どれも初めて作ったからちょっと心配だったの。でも、お口にあったみたいで良かったわ。また食べたいのはある」
「お肉が美味しかった」
「わかった。まだあるから明日も作るわね」
栗を食べ終わると青娥がお茶を注いでくれた。
紅い、初めて飲むそのお茶は、ふわっと優しい香りがした。
「おいしい。これも西洋の?」
「ええ、そう。向こうのお茶は、本当はまだまだ修行中なの。でも今日はこっちがいいと思って」
二人で静かにお茶を飲む。空気が澄んでいて星がよく見える。墓地は静かで、ときどき炭のはねる音がそっと響くだけだった。
青娥のお茶はおいしかった。
飲むと体の緊張が解けて、ほうっ、と思わずため息が漏れた。見ると、青娥も同じようにため息を付いている。
お茶を飲むと、私の息も少し白くなる。青娥と二人で白い息を吐くと、私も生きている気がして、嬉しい。
「あら、どうしたの」
見つめていたのがバレてしまった。青娥がやさしく訊いてくる。
私は照れて答えられず、代わりにそっと片手を差し出した。
青娥も、何も言わずにお茶から手を離して静かに掌を重ねてくれる。
ぎゅっと私は青娥の手を握った。
「青娥」
「うん」
「いつもお弁当ありがとうね」
「どういたしまして」
こんな時もっといろいろお話できたらな、と思う。でもあまりよくない私の頭では、面白い話なんかできない。
でも青娥は、芳香と静かに過ごす夜も好きよ、と前に言ってくれた。
私も青娥と二人でお茶を飲んでいるだけで幸せだった。
私は死体だから冷たい。夜気に冷えた手で青娥に触れるのは嫌だった。
だから冬の私は、お茶であたためあたため、ようやく青娥と手をつなぐのだ。
やがて、私の手がすっかり冷え切ってしまった頃、つまり私が青娥の手をとても温かく感じだした頃、その手を離した。
とても名残惜しいけど、いつまでも私の手で青娥を冷やしてはいけない。
それに、ちょうどお茶も飲み終わっていた。
青娥と私は立ち上がって、その場を片付けた。
準備も整って、青娥は再び手に提灯を持つ。
「それじゃあ、頑張ってね、芳香」
「任せて。一所懸命守るから」
「また朝には迎えに来るわね」
「うん」
また朝には会えるとわかっていても、やっぱり別れるのはさびしい。でもキョンシーがそんなことを言って主人を困らせてはいけない。
そう思っていると、ふわりと何か頭に降りた。
「芳香、いいこ、いいこ」
「せいが」
青娥が私の頭を撫でてくれていた。私はこうされるのが一番好きだった。
青娥の掌は不思議な力を持っている。それだけで寂しくなくなってくる。
「いいこ、いいこ。それじゃあね、芳香」
「うん」
やがて青娥は手を離し、ふんわりと空に浮かび上がった。夜空に浮かぶ青娥の姿は、とってもきれいだ。
彼女の姿が消えるまで、私は見送った。
そして姿が見えなくなると持ち場へと戻った。
「よーし、今夜もがんばるぞー」
(おわり)
ありがとうございました
実にほっこりさせてもらいました。
ちゃいなさんやっぱすてきです!
そしてお節介な布都ちゃんや屠自古ちゃんが可愛くてヤバい。
よしかよしよし