朝、目を覚ました霊夢の鼻に、芳しい匂いが届く。
次いで、トントントンとリズミカルにまな板を叩く包丁の音が耳に入った。
意識せず口の中に唾が溜まり、寝巻から普段着へと着替えるより先に洗面所へと向かう。
溜まった唾をぺっと吐きだし、霊夢は台所へと歩を向ける。
匂いは味噌。
音は鼻歌に変わっていた。
視覚に映る季節外れの新緑に、霊夢はそぅっと近づいた。
「おはようございます、霊夢さん」
「早苗、おはよう……って、あれ?」
「もうすぐできますから。……どうかしましたか?」
新緑――早苗が振り向き、微笑む。とは言え、手は動き続けていた。
「余所見しちゃ危ないわよ。……驚かせようと思ってたのに」
「ふふ、負け惜しみですか。貴女の気配は解りますよ」
「手を止めた隙を狙っていたの。あ」
‘サク‘。
「あ、痛い」
「言わんこっちゃない!」
「青ネギが赤ネギに」
「言ってないで流しなさいよ!?」
「舐めておけば治りますよ」
ぺろりと舌を出す早苗。
しかし、聞く耳持たないと言った風に、霊夢はむんずと早苗の手首を掴む。
そのまま流しの上まで引っ張って、傷口を水にさらす。
排水溝に薄い赤色の液体が飲み込まれていった。
暫くして。
「舐めて頂ければ治ったのに」
「なんか微妙に言葉が変わってない?」
「そうですか?」
「いいけど。絆創膏、右側だったっけ?」
「袴なのにポケットがある不思議」
勿論、霊夢は取り合わない。
「後はご飯をよそうだけ、かしら」
「ええ、お箸と湯呑みを持っていって頂けますか?」
「ん。そだ、お漬物は……」
「白菜の浅漬けをお出しします」
「わーい」
旬の甘さとタレが絡み合い、とても美味しい。
霊夢は、食器棚から盆を取り出し、その上に箸と湯呑みを二つずつ乗せた。
一方は何の飾り気もなく、ただ、使いこまれている。
もう一方は蛇と蛙がプリントされていた。
どちらがどちらのものであるか、説明する必要もないだろう。
「……早苗、前々から言おうとしてたんだけど、食器に爬虫類とか両生類はどうかと思うの」
「そう言われることが多いので、自重してデフォルメなんじゃないですか」
「いや、あー、うん、そうね」
ひよった。
返答に満足したのか、料理を再開する早苗。
これ以上何をかいわんと、霊夢は台所を後にする。
――その直前、多少の非難が籠った声をかけられた。
「霊夢さんは、ちゃんと着替えてから卓についてくださいね」
「面倒よぅ。もうこのままでいいじゃない」
「そんなことを言っていると……」
手を止め、早苗が振り向く。妙に艶めかしい微笑を浮かべていた。
「食べちゃいますよ?」
なんだその艶。
思いつつ、霊夢は足を速めた。
今なお鼻を楽しませる朝食を、一人で片付けられてはたまらない。
(……ご飯の話よね?)
ご飯の話です。
着替えた霊夢を待っていたのは、湯気を立てる白米、匂い香る味噌汁、加えて、見てわかる程度にとろとろな目玉焼きだった。
「なにこれなんか贅沢過ぎない!?」
「柿も切っていますから」
「っしゃー!」
背を反り顎を上げ、霊夢は叫んだ。
両手だって突き出している。
茶碗と箸が握られていた。
すかさず白米を口に放り込む――「その前に?」――よりも先に、ぺんと片手をはたかれる。
「いただきます」
感謝の気持ちを忘れてはいけない。
「ハムッハフハフ、ハムッ!」
「幽々子さんやルーミアさんよりも似合いそうなのがどうかと思います」
「あ、早苗」
「お醤油なら手元に置いていますよ」
「ありがと」
黄身にちょんと、白身にはちょん、ちょん。
「ところで、午前中は……」
「日向ぼっこ!」
「掃除と洗濯と、境内の落ち葉も掃かないといけませんね」
「私はごろ寝――あぁ、味噌汁遠ざけないで!?」
「働かざる巫女食うべからずです。大体、ある程度綺麗じゃないですか」
‘普段はやっているでしょう?‘と暗に込められた響き。
その通りだ。
基本、全て当日にこなしている。
では何故こんなことを言ったのかと言うとコミュニケーションであり、早苗に甘えただけだった。
「――それに、体を動かした後の方が、十時のおやつの葡萄も美味しいですよ?」
かくして、巫女と風祝の一日が始まりを告げるのだった――。
「広い境内は二人でするとして、掃除と洗濯、どう分担します?」
「うーん、洗濯かな」
「下着があるからとか気にしなくてもいいんですよ?」
「いや、天気が良いから布団も干そうかなって」
「毛布を考えると結構な量になりそうですね。早めに片付けて、其方に回れるようにします」
「陽は出てるけど、流石に吹きっ晒にいたんじゃ寒く感じるわね」
「人肌で温めて差し上げます。さぁ!」
「どぅれ」
「あ、ちょ、背中に手を入れるのは駄目、冷、冷たい!」
「後ろはともかく、前にはおっきな脂肪がついてるんだからいいじゃな、痛い痛いなんで怒るのー!?」
「さてと、昼食のリクエストはありますか?」
「んー、朝作ってもらったし、昼は作るわ」
「じゃあ霊夢さんで」
「うん、だから、私が作るわよ?」
「こほん。では夕飯を任せてくださいね」
「食器洗い終わりー。これからどうしよう?」
「午前中に雑事は大体片付きましたし、ゆっくりしましょうか」
「縁側でお昼寝ね」
「そんな毎日でどうして太らないのか……って、おや、雨音?」
「ぎゃー! 布団がー!?」
「く……っ、夢見る時間を奪う無粋な雨め、私の‘奇跡‘を持ってして」
「あんまり濡れずに済んだけど……乾くのコレ? べそべそ」
「しかも、霊夢さんを泣かせるなんて。‘力‘が滾る」
「乾かなかったら予備の一組しかないから、ちょっと狭いかも。ごめんね、早苗」
「あめあめふれふれもっとふれ あらあらこのこはずぶぬれだ わたしのじゃのめがはいってく」
「結局、夕飯は何にしたの?」
「大根に卵、昆布にこんにゃく、しらたき、ちくわ、お餅の入った巾着と」
「おでん、おでんなのね!? ひゃっはー!」
「貴女はやっつける側じゃないですか。……寒くなってきたので丁度いいかなと」
「今ならモヒカンにしたって良い気分――流しちゃだめー!?」
「ふぅ……良い湯具合でした。温まりましたね」
「しくしく、えぐえぐ」
「えーと。わざとらしい泣き声ですが、まだ何もしていません」
「胸の所為で胸が傷つきました」
「それはそれとして、歯磨きもついでにしちゃいましょう。あ、や、揉まないでくださいまた大きくなる!?」
――ことの結果はさておいて。
就寝の準備を整えた霊夢と早苗は、寝室に至る。
月明かりが届かない室内で、頼りになるのは行燈だけだった。
蜉蝣のように淡い輝きを事前に枕元へと引き寄せて、霊夢は我先にと床に潜る。
「うぁ、ちべたい!」
布団は、やはりと言うか、冷たかった。
「温めますのに」
「言うと思った」
「では何故、ひゃっ」
応えるより先に早苗の手を掴み、布団の中へと引っ張った。
「きっと、私もあんたも譲らない。
そんでもって、じゃんけんだかなんだかになる。
妙な所で相性が合うもんだから、それでもなかなか決まらない」
手は与えるために包み込み、体は奪うために絡みつく。
「……だったら、どっちかと言うと体温の高い私がさっさと入った方が、お互いに良いでしょう?」
季節的に湯冷めが早い。
事実、早苗の手は随分と冷たくなっている。
一方の霊夢はと言えば、布団に熱を吸収され、全身が冷え始めていた。
自身の選択に満足し、霊夢はえへんと胸を張る。
「それでもお腹がくっつかないあたり、ほんとにあんたの胸は……ん、早苗?」
引っ張り込んだ衝撃か、はたまた予想以上に寒かったのか。
布団に招いてから、早苗が一言も発していないことに気が付く。
どうしたのだろう――顔を覗き込もうとする霊夢の額に、柔らかな髪が触れた。
小さく頭を下げられたようだ。
「不束者ですが……」
「何の話か」
「だって、同衾ですよ?」
「変な言い方するな!」
「通じたことが驚きです」
額をぐりぐり押しつけて、半眼になりながら、霊夢は言う。
「大体、今日が初めてって訳じゃないでしょうが」
わーぉ。
「ええ、そうですね。幾度となく床を同じにし、人に聞かせられないような声を上げ」
「あんたの寝言って可愛いわよね。舌足らずな幼児言葉」
「聞こえなーい、聞こえなーい」
『~~たま』とか『~~しゃま』とか。
霊夢や早苗をはじめとした幻想郷に住む少女は、時折パジャマパーティを行っている。
部屋数の多い紅魔館や白玉楼ならいざ知らず、博麗神社や守矢神社にそれほどの寝具はない。
自然、一つの布団に二人が入ることも多々あった。場所によっては三人だ。魔法使いたちの家とか。
つまるところ、霊夢の宣言も早苗の寝言もその時のことで、艶のある話ではない。ち。
「……早苗、今、舌打った?」
「? 打っていませんが」
「空耳か」
空耳です。
――あちらこちらに視線を投げていた霊夢はしかし、包んでいた両手がするりと抜け出したのを感じ、視線を早苗に戻す。
「温まった?」
「どうでしょう」
「ぼちぼちみたいね」
お返しとばかりに、霊夢の両手が包まれた。
早苗が笑む。
まどろみを含んだ微笑。
温かく、柔らかく、心地よい。
「昨日今日と、ありがとうございます」
霊夢は、耳を擽る声が普段よりも少し高いように感じた。
眠気は伝染するのだろうか。
早苗のみならず、霊夢の瞼も落ちそうになっていた。
或いは元より体が睡眠を欲していたのかもしれないが、つられるように、欠伸混じりの言葉を返す。
「何よ、改まって。でも、二日連続で泊るのは珍しいわね」
「丸々一日、神社を空けたかったんですよ」
「なんで?」
喧嘩でもしたのだろうか。
浮かんだ推測を即座に打ち消す。
あの過保護な神々が、そんな理由でこの娘を放っておく訳がない。
では、何故?
霊夢の疑問は、とびきりの笑顔と共に、返された。
「今日は、十一月二十二日。‘良い夫婦の日‘ですから」
「……なんで?」
同じ問いを繰り返す霊夢。
微妙にニュアンスが変わっていた。
なんでそれが関係あるの、とかそう言う感じ。
勿論、解らない訳がない早苗であった。
「あ、お二方が夫婦と言う訳ではありませんよ?
ですが、フフフと言う表現ならば或いは。敢えて漢字表記すると‘婦々婦‘。素敵。
――ともかく、長年連れ添っていることを考えれば、お二方以上の方は滅多におられません」
裕に千は越えるだろう。
そんじょそこらの夫婦とは桁違い。
対抗馬は月の主従であろうか。従は更に桁が違う。
「長い長いお付き合いです。
きっと色々と積もる話もあるでしょう。
しかし、私がいては邪魔をしてしまうかもしれません」
だから二泊した――言葉を頭で補い、霊夢は呆れたように笑む。
‘あいつらがあんたを邪魔者扱いする訳がないじゃん‘。
思いはしたが、心に留める。
そんな今更なことを返しても、どうと言うことはない。
(それに……)――と続けて思う。
『きっと』と前置きして、早苗が昨日今日の二柱の行動を語る。
朝食を作るのは諏訪子だろう。
出かけようと誘うのは神奈子だろうか。
昼食にはどちらかが作った弁当を平らげ、腹を擦り、互いに寄り添う。
穏やかな時間に話すのは、出会いか過ごした幾年か、はたまた今宵の夕食か。
楽しそうに誇らしそうに、語りが続けられた。
霊夢でさえ確実に出るであろうと推測できる唯一の話題は、これっぽっちも頭にない。
その様に、少しのまどろみを感じつつ、霊夢は笑う。
それ故に、心底思う。
「ほんと、早苗は可愛いわねぇ」
「なんですかやぶから棒に」
「良い子良い子」
眠気からか、髪へと動く手は遅い。
腕が、払うように伸ばされた。
けれど、結局、辿り着く。
(ま、夫婦云々はともかく、水入らずで宜しくやっててよね)
仏頂面を浮かべる早苗の髪を緩やかに撫でつつ、霊夢もまた、彼女の願いが叶うように、願うのだった――。
<了>
《最近、姉霊夢もいいものだと思い始めました》
「なんだか近頃、霊夢さんに年下扱いされる機会が増えたような気がするのですが」
「いや、そんなん意識してないけど」
「ならいいんですけどね」
「あ、でも、早苗みたいな娘なら欲しいなぁとか。可愛い」
「更に酷くなってるじゃないですか!?」
「だってあんた、昨日今日のこと、神奈子や諏訪子に話すでしょ?」
「あぃ」
「ほら可愛い」
《母霊夢にも惹かれています。どうすればいいんだ……》
次いで、トントントンとリズミカルにまな板を叩く包丁の音が耳に入った。
意識せず口の中に唾が溜まり、寝巻から普段着へと着替えるより先に洗面所へと向かう。
溜まった唾をぺっと吐きだし、霊夢は台所へと歩を向ける。
匂いは味噌。
音は鼻歌に変わっていた。
視覚に映る季節外れの新緑に、霊夢はそぅっと近づいた。
「おはようございます、霊夢さん」
「早苗、おはよう……って、あれ?」
「もうすぐできますから。……どうかしましたか?」
新緑――早苗が振り向き、微笑む。とは言え、手は動き続けていた。
「余所見しちゃ危ないわよ。……驚かせようと思ってたのに」
「ふふ、負け惜しみですか。貴女の気配は解りますよ」
「手を止めた隙を狙っていたの。あ」
‘サク‘。
「あ、痛い」
「言わんこっちゃない!」
「青ネギが赤ネギに」
「言ってないで流しなさいよ!?」
「舐めておけば治りますよ」
ぺろりと舌を出す早苗。
しかし、聞く耳持たないと言った風に、霊夢はむんずと早苗の手首を掴む。
そのまま流しの上まで引っ張って、傷口を水にさらす。
排水溝に薄い赤色の液体が飲み込まれていった。
暫くして。
「舐めて頂ければ治ったのに」
「なんか微妙に言葉が変わってない?」
「そうですか?」
「いいけど。絆創膏、右側だったっけ?」
「袴なのにポケットがある不思議」
勿論、霊夢は取り合わない。
「後はご飯をよそうだけ、かしら」
「ええ、お箸と湯呑みを持っていって頂けますか?」
「ん。そだ、お漬物は……」
「白菜の浅漬けをお出しします」
「わーい」
旬の甘さとタレが絡み合い、とても美味しい。
霊夢は、食器棚から盆を取り出し、その上に箸と湯呑みを二つずつ乗せた。
一方は何の飾り気もなく、ただ、使いこまれている。
もう一方は蛇と蛙がプリントされていた。
どちらがどちらのものであるか、説明する必要もないだろう。
「……早苗、前々から言おうとしてたんだけど、食器に爬虫類とか両生類はどうかと思うの」
「そう言われることが多いので、自重してデフォルメなんじゃないですか」
「いや、あー、うん、そうね」
ひよった。
返答に満足したのか、料理を再開する早苗。
これ以上何をかいわんと、霊夢は台所を後にする。
――その直前、多少の非難が籠った声をかけられた。
「霊夢さんは、ちゃんと着替えてから卓についてくださいね」
「面倒よぅ。もうこのままでいいじゃない」
「そんなことを言っていると……」
手を止め、早苗が振り向く。妙に艶めかしい微笑を浮かべていた。
「食べちゃいますよ?」
なんだその艶。
思いつつ、霊夢は足を速めた。
今なお鼻を楽しませる朝食を、一人で片付けられてはたまらない。
(……ご飯の話よね?)
ご飯の話です。
着替えた霊夢を待っていたのは、湯気を立てる白米、匂い香る味噌汁、加えて、見てわかる程度にとろとろな目玉焼きだった。
「なにこれなんか贅沢過ぎない!?」
「柿も切っていますから」
「っしゃー!」
背を反り顎を上げ、霊夢は叫んだ。
両手だって突き出している。
茶碗と箸が握られていた。
すかさず白米を口に放り込む――「その前に?」――よりも先に、ぺんと片手をはたかれる。
「いただきます」
感謝の気持ちを忘れてはいけない。
「ハムッハフハフ、ハムッ!」
「幽々子さんやルーミアさんよりも似合いそうなのがどうかと思います」
「あ、早苗」
「お醤油なら手元に置いていますよ」
「ありがと」
黄身にちょんと、白身にはちょん、ちょん。
「ところで、午前中は……」
「日向ぼっこ!」
「掃除と洗濯と、境内の落ち葉も掃かないといけませんね」
「私はごろ寝――あぁ、味噌汁遠ざけないで!?」
「働かざる巫女食うべからずです。大体、ある程度綺麗じゃないですか」
‘普段はやっているでしょう?‘と暗に込められた響き。
その通りだ。
基本、全て当日にこなしている。
では何故こんなことを言ったのかと言うとコミュニケーションであり、早苗に甘えただけだった。
「――それに、体を動かした後の方が、十時のおやつの葡萄も美味しいですよ?」
かくして、巫女と風祝の一日が始まりを告げるのだった――。
「広い境内は二人でするとして、掃除と洗濯、どう分担します?」
「うーん、洗濯かな」
「下着があるからとか気にしなくてもいいんですよ?」
「いや、天気が良いから布団も干そうかなって」
「毛布を考えると結構な量になりそうですね。早めに片付けて、其方に回れるようにします」
「陽は出てるけど、流石に吹きっ晒にいたんじゃ寒く感じるわね」
「人肌で温めて差し上げます。さぁ!」
「どぅれ」
「あ、ちょ、背中に手を入れるのは駄目、冷、冷たい!」
「後ろはともかく、前にはおっきな脂肪がついてるんだからいいじゃな、痛い痛いなんで怒るのー!?」
「さてと、昼食のリクエストはありますか?」
「んー、朝作ってもらったし、昼は作るわ」
「じゃあ霊夢さんで」
「うん、だから、私が作るわよ?」
「こほん。では夕飯を任せてくださいね」
「食器洗い終わりー。これからどうしよう?」
「午前中に雑事は大体片付きましたし、ゆっくりしましょうか」
「縁側でお昼寝ね」
「そんな毎日でどうして太らないのか……って、おや、雨音?」
「ぎゃー! 布団がー!?」
「く……っ、夢見る時間を奪う無粋な雨め、私の‘奇跡‘を持ってして」
「あんまり濡れずに済んだけど……乾くのコレ? べそべそ」
「しかも、霊夢さんを泣かせるなんて。‘力‘が滾る」
「乾かなかったら予備の一組しかないから、ちょっと狭いかも。ごめんね、早苗」
「あめあめふれふれもっとふれ あらあらこのこはずぶぬれだ わたしのじゃのめがはいってく」
「結局、夕飯は何にしたの?」
「大根に卵、昆布にこんにゃく、しらたき、ちくわ、お餅の入った巾着と」
「おでん、おでんなのね!? ひゃっはー!」
「貴女はやっつける側じゃないですか。……寒くなってきたので丁度いいかなと」
「今ならモヒカンにしたって良い気分――流しちゃだめー!?」
「ふぅ……良い湯具合でした。温まりましたね」
「しくしく、えぐえぐ」
「えーと。わざとらしい泣き声ですが、まだ何もしていません」
「胸の所為で胸が傷つきました」
「それはそれとして、歯磨きもついでにしちゃいましょう。あ、や、揉まないでくださいまた大きくなる!?」
――ことの結果はさておいて。
就寝の準備を整えた霊夢と早苗は、寝室に至る。
月明かりが届かない室内で、頼りになるのは行燈だけだった。
蜉蝣のように淡い輝きを事前に枕元へと引き寄せて、霊夢は我先にと床に潜る。
「うぁ、ちべたい!」
布団は、やはりと言うか、冷たかった。
「温めますのに」
「言うと思った」
「では何故、ひゃっ」
応えるより先に早苗の手を掴み、布団の中へと引っ張った。
「きっと、私もあんたも譲らない。
そんでもって、じゃんけんだかなんだかになる。
妙な所で相性が合うもんだから、それでもなかなか決まらない」
手は与えるために包み込み、体は奪うために絡みつく。
「……だったら、どっちかと言うと体温の高い私がさっさと入った方が、お互いに良いでしょう?」
季節的に湯冷めが早い。
事実、早苗の手は随分と冷たくなっている。
一方の霊夢はと言えば、布団に熱を吸収され、全身が冷え始めていた。
自身の選択に満足し、霊夢はえへんと胸を張る。
「それでもお腹がくっつかないあたり、ほんとにあんたの胸は……ん、早苗?」
引っ張り込んだ衝撃か、はたまた予想以上に寒かったのか。
布団に招いてから、早苗が一言も発していないことに気が付く。
どうしたのだろう――顔を覗き込もうとする霊夢の額に、柔らかな髪が触れた。
小さく頭を下げられたようだ。
「不束者ですが……」
「何の話か」
「だって、同衾ですよ?」
「変な言い方するな!」
「通じたことが驚きです」
額をぐりぐり押しつけて、半眼になりながら、霊夢は言う。
「大体、今日が初めてって訳じゃないでしょうが」
わーぉ。
「ええ、そうですね。幾度となく床を同じにし、人に聞かせられないような声を上げ」
「あんたの寝言って可愛いわよね。舌足らずな幼児言葉」
「聞こえなーい、聞こえなーい」
『~~たま』とか『~~しゃま』とか。
霊夢や早苗をはじめとした幻想郷に住む少女は、時折パジャマパーティを行っている。
部屋数の多い紅魔館や白玉楼ならいざ知らず、博麗神社や守矢神社にそれほどの寝具はない。
自然、一つの布団に二人が入ることも多々あった。場所によっては三人だ。魔法使いたちの家とか。
つまるところ、霊夢の宣言も早苗の寝言もその時のことで、艶のある話ではない。ち。
「……早苗、今、舌打った?」
「? 打っていませんが」
「空耳か」
空耳です。
――あちらこちらに視線を投げていた霊夢はしかし、包んでいた両手がするりと抜け出したのを感じ、視線を早苗に戻す。
「温まった?」
「どうでしょう」
「ぼちぼちみたいね」
お返しとばかりに、霊夢の両手が包まれた。
早苗が笑む。
まどろみを含んだ微笑。
温かく、柔らかく、心地よい。
「昨日今日と、ありがとうございます」
霊夢は、耳を擽る声が普段よりも少し高いように感じた。
眠気は伝染するのだろうか。
早苗のみならず、霊夢の瞼も落ちそうになっていた。
或いは元より体が睡眠を欲していたのかもしれないが、つられるように、欠伸混じりの言葉を返す。
「何よ、改まって。でも、二日連続で泊るのは珍しいわね」
「丸々一日、神社を空けたかったんですよ」
「なんで?」
喧嘩でもしたのだろうか。
浮かんだ推測を即座に打ち消す。
あの過保護な神々が、そんな理由でこの娘を放っておく訳がない。
では、何故?
霊夢の疑問は、とびきりの笑顔と共に、返された。
「今日は、十一月二十二日。‘良い夫婦の日‘ですから」
「……なんで?」
同じ問いを繰り返す霊夢。
微妙にニュアンスが変わっていた。
なんでそれが関係あるの、とかそう言う感じ。
勿論、解らない訳がない早苗であった。
「あ、お二方が夫婦と言う訳ではありませんよ?
ですが、フフフと言う表現ならば或いは。敢えて漢字表記すると‘婦々婦‘。素敵。
――ともかく、長年連れ添っていることを考えれば、お二方以上の方は滅多におられません」
裕に千は越えるだろう。
そんじょそこらの夫婦とは桁違い。
対抗馬は月の主従であろうか。従は更に桁が違う。
「長い長いお付き合いです。
きっと色々と積もる話もあるでしょう。
しかし、私がいては邪魔をしてしまうかもしれません」
だから二泊した――言葉を頭で補い、霊夢は呆れたように笑む。
‘あいつらがあんたを邪魔者扱いする訳がないじゃん‘。
思いはしたが、心に留める。
そんな今更なことを返しても、どうと言うことはない。
(それに……)――と続けて思う。
『きっと』と前置きして、早苗が昨日今日の二柱の行動を語る。
朝食を作るのは諏訪子だろう。
出かけようと誘うのは神奈子だろうか。
昼食にはどちらかが作った弁当を平らげ、腹を擦り、互いに寄り添う。
穏やかな時間に話すのは、出会いか過ごした幾年か、はたまた今宵の夕食か。
楽しそうに誇らしそうに、語りが続けられた。
霊夢でさえ確実に出るであろうと推測できる唯一の話題は、これっぽっちも頭にない。
その様に、少しのまどろみを感じつつ、霊夢は笑う。
それ故に、心底思う。
「ほんと、早苗は可愛いわねぇ」
「なんですかやぶから棒に」
「良い子良い子」
眠気からか、髪へと動く手は遅い。
腕が、払うように伸ばされた。
けれど、結局、辿り着く。
(ま、夫婦云々はともかく、水入らずで宜しくやっててよね)
仏頂面を浮かべる早苗の髪を緩やかに撫でつつ、霊夢もまた、彼女の願いが叶うように、願うのだった――。
<了>
《最近、姉霊夢もいいものだと思い始めました》
「なんだか近頃、霊夢さんに年下扱いされる機会が増えたような気がするのですが」
「いや、そんなん意識してないけど」
「ならいいんですけどね」
「あ、でも、早苗みたいな娘なら欲しいなぁとか。可愛い」
「更に酷くなってるじゃないですか!?」
「だってあんた、昨日今日のこと、神奈子や諏訪子に話すでしょ?」
「あぃ」
「ほら可愛い」
《母霊夢にも惹かれています。どうすればいいんだ……》
…ほう!
いい感じの雰囲気でした
まああながち間違ってないけどね!
二人早く結婚して育てればいいと思うな。な。
え?まだ結婚してない?またまたご冗談を
相変わらずいい仕事です!
いいレイサナでした。