朝の食事を想う時、その匂いが漂ってくると私は気持ちの高ぶりを抑える事が出来ない。
鼻孔をくすぐるコーヒーの香り。水分たっぷりの新鮮な野菜のサラダ。ベーコンを焼く鉄板の音。
給料の少ない月末の恐怖でさえもが、どうでもいい位の印象を、私の体に刻み込んじまったようだ。
どうだい!この空腹のぎりぎりの緊張感、満たしてみてぇとは思わねぇか?
はっは、はっはっは、ふっはっはっはっはっはー!
朝食は米とみそ汁になじんだ人も多いだろうが、最近の幻想郷、それも守矢神社が来た時から朝食の様相を思いっきり変わっちまった。
そうさ!新しい朝食は、ズ・バ・リ、パンとコーヒー!その名も、モーニングセットさ!
こいつぁ、たまんねぇぜ。
私、犬走椛は毎朝のランニングが日課である。
朝に体を動かすのにはいくつか理由があるが、寝ぼけている体を運動で目覚めさせるのともう一つ………
「おはようございます!」
「おや犬走殿、今日も朝からランニングですか、ご苦労様です」
この、素晴らしい喫茶店、サムライ・カフェの存在だ。
何処だかのお屋敷で庭師をしていた老人が退職後に始めた老後の趣味だと言うが、味は趣味で語れるようなレベルでは無い位、良い。
いや、趣味だからこそ突きつめられるのだろうか。
「ブラックコーヒーと、何時ものですかな?」
「えぇ、お願いします」
兎も角、顔馴染みの店主に朝のあいさつを済ませると、もうすっかり覚えられたメニューを待つため、自分の定位置に座りこむ。馬蹄山脈の稜線上に建つこの店は妖怪の山やそれに群がる山々が一望できる素晴らしい席なのだ。
私がこの店を出会ったのちょうど三年前の今日の様な朝。早朝の巡回をしていた時だった。
あの時は得体の知れない匂いとつい昨日まで更地だった場所にこんな建物が立っていたことに警戒していたなぁ。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
やってきた何時ものメニューを受け取って、まずはコーヒーを一口啜る。うん、良い香りだ、目が覚める。砂糖も、クリームもいらない。それどころかそれらは邪魔だ。
確か外界のコスタリカと言う国から豆を輸入していると聞いたけど、どう言う伝手があるんだろうか、何時も気になる。
「これを飲まないともう一日が始まらないくらいに思えてきましたよ」
「ははは、それは行き過ぎでしょう」
一息ついて、トーストを齧る。バターとパンは人里のパン工房や牧場から買い付けていると聞いたが、紅魔館で作られているそれとそん色は全くない。
パンと言えば、丁度山の上に神社が建ち始めたくらいから最近妖怪の山でも洋食が浸透し始めて来た。最初こそ戸惑っていたものの、米には無い味になれて来たせいか、最近は良く任務の合間の軽食に重宝している。
「犬走殿、今日も警備のお仕事ですか」
「はい、今日も明日も明後日もです」
二度三度頷いて、仕事も良いが、趣味も作っておいた方が良い、彼はそう言って微笑んだ。
彼がこの仕事を始めたきっかけは、退職の際、元の雇い主から喫茶店をやってはどうかと勧められかららしい。
「いやほらワシって昔っからコーヒーが好きじゃったんよ、好きで良く主やその友人に振る舞っていたら、何時の間にか淹れ方を凝るようになってなぁ」
「ふぅん……じゃあこのコーヒーにはオジさんの歴史が詰まってるんですね」
そうじゃな、と彼は屈託のない笑顔を見せた。
「オジさん、コーヒーお代り」
「畏まりました」
ここは一杯コーヒーを頼むと何杯でも無料でお代り出来る。
お代りが来る間にもう一枚のトーストにオムレツを載せ、齧る。ふんわりと柔らかい卵とサクッとしたトーストがどうにも心地よい。
サラダもまた格別だ、レタスやキャベツ、トマトなんかは朝早くから収穫して鮮度は抜群で、風見幽香氏の手ほどきを受けている自家栽培の野菜だけあって、新鮮さも美味しさもそこらの市場で売っているものとは比較にならないのだ。
「お待たせいたしました」
「ありがとうござい……」
お礼を言って、お代りのコーヒーを受け取ろうとした時だった。朝の心地よい静寂は爆発音と共に破られたのだ。
『文ァ!今日と言う今日こそ取材に付き合わせなさい!』
『いーやーでーすー!』
窓を見やるとツインテールの天狗がショートヘアの天狗を追っかけて飛んで行った。うん、二人とも私の知り合いの記者である
文さんは兎も角、あのはたてとか言う烏天狗はどうも騒がしい。こうやって他人の安息を何時もぶち壊しにする。取材と言う物は基本的に一人で行う物ではないのか、それに、彼女は文さんのライバルを自称しているらしいが、そのライバルの取材について行くと言う事を見ると、多分はたてが文さんを追い越すのは無理ではないだろうか。
「朝から元気ですなぁ」
「元気すぎて頭が痛いですよ、はたてさんはなんであんな騒がしいんだか……」
「あれだけ長生きなのに活発なのは良い事ですぞ、特にあのおさげの天狗、ワシの孫にそっくりです」
「え?オジさん孫いたんですか?」
驚きの事実に問いただすと黙って頷くだけ。
「まだまだ未熟で半人前で、そして元気があって良い」
「元気があり過ぎるのも困りものですよ、朝から弾幕ごっこなんてしないで欲しいですよ」
「おや、弾幕ごっこは幻想郷の名物ですぞ」
知っているが、私自身弾幕ごっこは夜にやって欲しい。
夜空を覆い尽くさんばかりの色とりどりの弾が縦横無尽に飛ぶ様は見ていて心が躍るが、朝っぱらからは目に痛いのだ。
朝に本当に必要なものは、湯気が立つ熱いコーヒーに、こんがりと焼き目のついたトーストに新鮮なサラダとふわふわのオムレツとカリカリベーコン。これで良い。
漸く食べ終え、すこしお腹を落ち着かせてさぁ仕事に行こうかと立ち上がった時だ。
「オジさん、お勘定」
「承知しました。それからこれ、お腹がすくでしょう、サービスです」
「何時もすいません」
そう言って渡されたのは丁寧に詰められたサンドイッチの昼御飯だ。食べ終わって、仕事に向かうとなるといつもサービスしてくれる。
「じゃあ明日も来ます」
「お待ちしておりますぞ」
そう言って、私は冬に向かい始めた妖怪の山の稜線を歩き始めた。懐に仕舞ったサンドイッチを何時食べようかと緩む頬を抑えながら。
店主、ブラックコーヒーとトーストとバターを下さい
カフェオレとイチゴジャムトースト一つくださいな!
店主、ブラックコーヒーとトースト、それにサラダを。あ、ベーコンも付けてくれ。
俺にもコーヒーとベーコンエッグにマフィンをくれ!
私は、ブラックコーヒーと手作りイチゴジャム、薄切りにしたトーストを食べたいです。
私は朝が弱いため朝コーヒー飲む時間がつくれたらいいな…