「ねぇ、これは何」
私は今日彼女に呼ばれ紅魔館に来ていた。いや、正確には連れて来られたといったところか。
朝起きてカーテンを開け放ち、今日もいい天気だなと朝食の準備をしようとしていた所に彼女は突然現れ気が付いたらここに居た。この館の使用人の長である彼女の自室に。
突然の視界変動に眼のピントが大きくずれて軽い痛みを覚えるが、ものの数秒で適応してみせた。
「え」
時間を止められて気が付いたときには違う場所に居た、なんてことは最早日常茶飯事なことでありもう慣れていた。…いや慣れる事自体問題だろう。しかし彼女がこんなことをしてしまう理由が私に関係していることなのだから仕方が無いのだ。
「何って…」
そう、彼女は私を好いてくれているのだ。それはもう我が母君にも負けないくらいの溺愛っぷりで。それこそ一日中膝の上に乗せられて撫で回されるくらいに。
彼女は愛ゆえに何でも、どんなことでもしてしまうのだ。私が喜んでくれるであろうという行動に限った話であるが。
事実時間停止によって連れ去るときは大抵何かいいこと(私が喜びそうなこと)を見つけたときだけ。思い立ったら即実行の精神を宿す彼女はその便利極まりない能力を最大限に利用し私を拉致してしまうのだ。私も暇を見つけては逢いに行っているのだが、彼女の頻度はそれの比にならない。
例えば…鮮度の抜群にいい食材が手に入ったと言われ気が付いたら紅魔館の食堂に通されていたり(そのときはなぜか私の好物ばかりが並んでいた。彼女は偶然と言っていたが)、流星群が綺麗な夜にいきなり館の時計塔頂上に召喚されたり、新しいマッサージを覚えたから体験してくれとベッドの上に転がされたり…などなど。どれも私にとって有意義な時間であり、別段迷惑などとは思っていない。
しかし、私にだって都合や予定はある。今日は何をしよう、これをしようと決めていても、連れ去られてしまってはそれを実行することができなくなってしまう。即ち私の予定が彼女の予定に上塗りされてしまうのだ。当然そんなことが何回も続くとこちらのスケジュールは大いに狂ってくる。今日やるべきことを強制的に後回しにしてしまうのだから。それでも私はそれに対して呆れさえすれども本気で咎めた事は一度もない。律儀な性格の彼女のことだ。私が本気で怒ればこの行動も一切取らなくなるだろう。それでも咎める事をしないのは私も彼女のことを好いているからだ。両想い、恋人同士であるからだ。彼女の悲しそうな顔なんて見たくも無ければさせたくも無い。
…さて、大いに話がずれてしまったが、今現在私は非常に反応に困る状況に置かれていた。
「只の素麺だけど。おかしなアリス」
なんてことは無い。こいつは何を当たり前のことを聞いているんだとでも言いたげな言葉。目の前の小さなテーブルにはただ茹でられた素麺がカップに入った状態で鎮座しているだけなのだから当たり前か。それはいいのだ。問題は別にある。
「それは見れば分かるわよ」
「なら問題ないわね」
いや、問題は大いにあった。この素麺には突っ込むべきところが大いにある。
まずはカップだ。この素麺、カップはカップでもコーヒーカップに収められている。どこの世界に素麺をコーヒーカップに入れて食べるヤツが居るというのだ。いや目の前の彼女がそうなのか。ご丁寧にソーサーに乗せられスプーンまで添えられている。
そして次に麺汁がない。素麺を汁なしで食べても悲しくなるくらいに薄味だ。
さらに言うと箸がない。どうやって食べるというのだ。まさか手掴みでか。或いは付属のスプーンで掬って食べろと言うのか。無理ではないだろうがなんとも不便なことこの上ない。
そして何よりも問題なのが。
「何で六本だけなの」
そう、カップの中には素麺が六本しか入っていなかった。しかもそれぞれ真っ直ぐに伸ばされた状態でカップの縁に立てかけられるような状態で。といっても茹でられた後なのだからぐんにゃりと力なくだれているが。
そんな当たり前すぎる突っ込みに彼女は湿った笑いを浮かべて私を嘲笑した。何これ馬鹿なことしてるのはこいつなのに私が馬鹿にされた。
薄く開かれたアメジストに輝くその目は私に訴えてくる。聡明なあなたなら今日のこの日がなんであるのかを理解できるはずよ…とでも言いたげだ。
「アリス。きょーはなんの日、ふっふ~ん?」
「変なリズムつけんな」
確か今日は11月の11日だったはず。それが一体何だと言うのだ。
「そう…そして今年は2011…つまりは11年」
それは外の暦だろう…。
ってまさか。
「察しがいいわね。11年11月11日…即ち今日は…」
ああ、思い出した。外の世界から入ってきた文化だったか。紫の話ではどこかの製菓会社が自社の商品を売り込むために設定した記念日…という話だったような気がする。確かポッキーという棒状のお菓子と1…つまりは棒線が並ぶこの日を掛け合わせてポッキーの日というものを作ったらしい。何とも日本人らしいばかげたイベントだ。魔理沙曰くその日はポッキーゲームという破廉恥極まりないゲームの名を被った悪魔の儀式が横行するそうだ。あいつどんだけ初心なんだ。…まさか彼女もそんな毒電波のような情報に感化されてしまったのか…。
私の脳裏には明確な不安の色が浮かんだ。
が。
「素麺の日よ!」
「いや違うでしょ!?」
思いきりベクトルの違う回答にかえって不安になった。
素麺て…素麺の日て…何を言っているんだ彼女。確かに素麺は“伸ばせば”棒状だがそれはいくらなんでも無理やりすぎる。そんなのでいいのならばパスタでもうどんでもそばでもいけるではないか。というより何故麺類に目をつけたんだこの子は。普通の発想ならポッキーと行かなくともプレッシェルとか千歳飴とかあるだろうに。何を考えてこの頼りない素麺と選んだのだ。
「馬鹿ね。素麺はシンプルだけどその分何よりも奥が深いもの。それは私とあなたの関係の深さにも匹敵する程」
私たちの関係は素麺の関係か。そうなのか。…うわぁ。
「本音は」
「…夏場に買い込んだのがあまっちゃってね」
素直でよろしい。
しかし…もう冬も秒読みの段階になったこの季節に冷たい冷水と共に素麺がコーヒーカップの中で揺れている光景というのは…何ともいえない気分になってしまう。まぁ彼女らしいと言えばそうかもしれないが…。
いやでも脈絡がないな。素麺の日ということは分かった。分かっちゃいけない気がするけどとりあえず分かった。それはいい。しかし何故六本のみなのか。素麺の日だというのなら普通に素麺を用意すればいいではないか。余ったと言うのならそちらの方が効率もいいし。ああ、1が六個並んでいるから六本なのか。というか今更だけどこんなことをするために私を連れ去ったとでも言うのか?いつも私を喜ばすためだけに時間を止めて連れ去ってきているのかと思ったが今回はどうも違うらしい。…いやだってこんなことされて喜ばないでしょう普通。シュールすぎるわこれ。そんな私の内心を読み取ったのか彼女が動き出した。
「まぁ素麺の日と言うのだから…」
「もう突っ込まないわ。で、なにかし…ひゃっ」
一瞬意識が遠のいたかと思うと次の瞬間背中には柔らかいベッドの感触が。どうやら時間を止めている間に押し倒されたらしい。いつも押し倒されるときは決まって時間が動いているときだっただけに驚いて変な声が出てしまった。
視線を下にずらすと二つのアメジストが楽しげに揺れながらこちらを見ている。覆い被さられているようである。こんな状況ではあるが彼女に圧し掛かられているという現実に心臓の鼓動が激しくなる。やはり好意を持った人物が近くにいるとどんな状況でもときめいてしまうというものだ。
「…ど、どうしたの咲夜」
「だからね」
彼女の体が徐々に上に上がってきて顔が首元に埋められる。息の吹きかかりそうなもどかしい距離と高まる期待の中、彼女は私の耳元でこう囁いたのだった。
「素麺ゲームしましょう」
一気に醒めました。
今彼女は何と言ったのだろうか。きっと高まり過ぎた私の聴覚器官が暴走してありもしない言葉を拾い取ってしまっただけなのだろう。きっとそうだ。ここは早とちりして失態を犯す前に迅速な再確認を行うべき状況と判断する。
「…今なんて言った」
「これだけ近くて聞き逃さないでよ。だから素麺ゲームしましょうって」
どうやら聞き間違いではなかったようである。…何だ素麺ゲームって。
どうも今日の彼女は自分の意味の分からない欲望…と言えるのか疑問だが、とにかくそれを満たすために私を拉致してきたらしい。今日はいい天気だったし折角人形たちの服を干そうかと思っていたのに、こんな素麺ゲーム(笑)なるもので予定が潰されてしまうだなんて。
…まぁ今まで私を喜ばせてくれていたのだから今回は笑って許してやらないこともないが…。
「ふぇ?」
「離さないでね。今からゲームを説明するわ」
前言撤回。許してやらない。
こいつまた時間止めたのか。気が付いたら私の唇にはやんわりと素麺の先が挿入されていた。麺の行く先を目で追うと彼女がその先を指で持っている状態だった。細い素麺を素手でこんな状態にするとは大した器用さだ。私でもできるだろうけど。…っていけないいけない。思考が横にずれていくところだった。このままでは彼女のペースに乗せられてしまうだけだ。何とかしなければ。…なんだかこの光景私が彼女に釣られているみたいに見えるな。
私は麺の先を噛み切らないよう器用に尋ねた。
「まさか、ポッキーゲームみたいにその先を咲夜が咥えて同時に吸っていくのかしら」
「ポッキーゲームと言うよりも草相撲ね…。いいえ、私たちの崇高な素麺ゲームをポッキーゲームなんかと一緒にしないでくれるかしら」
勝手にその崇高なゲームに私を巻き込まないで欲しい。
「素麺ゲーム…それは至高の蜘蛛の糸」
「…ああ、やっぱりペースに乗せられるのか私」
それから彼女によって素麺ゲームの全貌を説明された。
それによるとどうやらこれはポッキーゲームとは少々違ったものらしい。
・大前提として素麺は偶数本用意しなければならない。そして両者に半分ずつ支給するものとする。
・じゃんけんならなんなりして先攻と後攻を決める。
・まず下にいる者が麺を千切れないように咥える。そして上の者も同じように端を千切れないように咥え準備完了。
・上の者は下の者目掛けて麺を吸わずに食べていく。このとき下の者は麺を食べてはいけない。
・食べていく途中で引っ張りすぎて麺が千切れたり、下の者の唇からはみ出てしまうと失敗になり次の麺を使用しなければならない。全ての麺で失敗してしまうと上の者の負け。
・見事下の者の唇まで辿り着く事ができたら、上の者は下の者の口内に残っている麺まで食べることができる。このときの食べ方は問わない。吸い出して食べてもいいし、舌を使って掬い出してもいい。
・一本消費するたびに攻守交替し、最終的に失敗した回数の少ない者が勝者になる。
・もし下の者が耐えられなくなった場合は途中で麺を噛み切って中断してもいいが、その場合麺の残り本数に限らずゲームが終了し下の者の敗者になる。
というルールらしい。
ぶっちゃけ素麺である必要性を全く感じない。
いやそれよりも、はっきり言おう。
「馬鹿げてるわ」
「なっあなたはこの至高のゲームが理解できないというの!?」
完全に馬鹿げている。なんだそのルールは。恐らく全て彼女のオリジナルのものだろう…いやオリジナルであって欲しい。
だが、そんなものは全てフェイク。全く、蜘蛛の糸とはよく言ったものだ。今の説明を聴いて分かったことがある。素麺というインパクトのある題材を使いゲーム化することで誤魔化しているこれに隠された真意が。
この素麺ゲーム、上は失敗しないように素麺を食べることに集中しなければならず、失敗すると次の麺に移らなければならない。慌てすぎてすべての麺を使い切ってしまうと負けになってしまう。下の者は食べることにも集中できず、噛み切った時点で負けになる。更に上から迫ってくる顔を直視し続けなければならない。
一見すると只のゲームに見えるが、この過程によって参加者は知らないうちに試されてしまうのだ。上の者は意気地を、下の者は羞恥心を。
即ち、そのゲームの本当の意味は…。
お互いの気持ちを確かめる、つまり愛情の確認又は再確認のための行為。
全く仕方の無い子である。いや、この子をこのゲームに駆り立ててしまった私にもきっと責はあるのだろう。
…思えば私は意外と酷いことをしていたかもしれない。真剣になって考えれば全ての原因が見えて来た。
連れ去る彼女と訪れる私。事ある毎に理由を付けては何度も私を連れ出してくれる健気な彼女と、研究や人形の世話の傍ら、図書館の帰りに訪れる私。圧倒的に違うにも関わらず深く考えなければ分からなかった。そう、時間を止められ連れ去られることに慣れていた私は私自身彼女と多く接触していると錯覚していたのだ。思い返せば私から進んで彼女を訪ねたことは数える程しか無かった。その数える程というのも先程述べた通り図書館の帰りに寄っていくというものばかり。つまり、彼女が私を連れ去る行動を省けば私は数える程しか自主的な逢瀬を行っていなかったことになる。
付き合っているのに…好き合っているのにこれは流石に酷いものがある。時間を多く持つ妖怪だからそういうものに疎いという言い訳は恋愛には通用しない。
彼女は不安だったのだろう。例え好きだと言わていたとしても、体を重ね合った事があったとしても、相手との逢瀬が一方通行であったのならば無理は無い。
だから確かめたかった。本当に私が彼女のことを愛しているのかということを。だがしかし面と向かって問いただすのは照れくさく、不安も大きかった。だからこの日を利用し感づかれないように素麺ゲームなんてでたらめなものまで用意した。
私が原因ではあるのだが、何だか笑えてしまう話である。自然と笑みがこぼれ喉が震えた。
「ちょ、ちょっとっ何笑ってるのよ」
「…ごめんね、気が付かなくて。寂しかったのよね」
しばらく呆気に取られた後慌てて咳払いをしながら何のことかしらなんて言ってはいるが、耳が紅く染まっているのだから説得力は皆無だ。
下から腕を伸ばして彼女の銀糸を撫で梳かす。全く完全で瀟洒という割りに素直ではないな。いやまぁ自分のせいなのだが。
蜘蛛の糸、ね。つまり彼女は私目掛けて“登って”くると。そしてもし私が糸を切ると彼女の気持ちが“落ちて”しまう訳だ。確かあの物語に出てくる男はお釈迦様の慈悲を無碍にしたせいで糸を切られ堕ちてしまったが、私は別に厳格な神にも仏にもなったつもりなどない。
「私が糸を切ると思うのかしら」
「…あれは自爆だったか」
「言っとくけど」
恥ずかしさに縮こまる彼女を見ていると何だか可笑しくなってくるというか、落ち着いてきてしまう。慌てている人を目の前にすると自身は落ち着くというのと同じだろうか。さっきまではあんなに余裕たっぷりだったのにね。
まぁどちらにしても変わらない。素麺は六本。つまり私の持ち数は三本。随分と少ない。余っているというのならもっとたくさん茹でればよかったのに。
「私はこのゲーム簡単に負ける気は無いし、簡単に終わらせる気も無いから」
「…ぇえっとその、器用さでは負けないんだかっね」
思いっきり噛んでいては説得力の欠片もない。さて、咲夜。あなたは一体何本、いや何回耐えられるのかしら。私は三本で終わらせる気なんてないんだからね。
そうだ。私の無自覚な行動によって彼女に寂しい思いをさせてしまうのなら、させないようにすればいいだけの話ではないか。魔法使いとして生きている私は自分で言うのも何だが随分と鈍い。だからまた自分から会いに行く回数が疎かになって彼女に気を使わせてしまうかもしれない。だけど私だってそう何回も連れ去られたくは無いし、そんなことさせたくもないから。
だから合うたびにたっぷり甘やかしてやればいいんだ。もうお腹一杯でしばらく遭いたくなくなる位に。それでも逢うんだろうけど。
まぁ今はそんなことは考えなくていい。
今はほら、必死で必死で、可愛さに悶えてしまいそうな程の表情をした彼女が糸を登ってくる様子を下から見下ろそうではないか。
私は今日彼女に呼ばれ紅魔館に来ていた。いや、正確には連れて来られたといったところか。
朝起きてカーテンを開け放ち、今日もいい天気だなと朝食の準備をしようとしていた所に彼女は突然現れ気が付いたらここに居た。この館の使用人の長である彼女の自室に。
突然の視界変動に眼のピントが大きくずれて軽い痛みを覚えるが、ものの数秒で適応してみせた。
「え」
時間を止められて気が付いたときには違う場所に居た、なんてことは最早日常茶飯事なことでありもう慣れていた。…いや慣れる事自体問題だろう。しかし彼女がこんなことをしてしまう理由が私に関係していることなのだから仕方が無いのだ。
「何って…」
そう、彼女は私を好いてくれているのだ。それはもう我が母君にも負けないくらいの溺愛っぷりで。それこそ一日中膝の上に乗せられて撫で回されるくらいに。
彼女は愛ゆえに何でも、どんなことでもしてしまうのだ。私が喜んでくれるであろうという行動に限った話であるが。
事実時間停止によって連れ去るときは大抵何かいいこと(私が喜びそうなこと)を見つけたときだけ。思い立ったら即実行の精神を宿す彼女はその便利極まりない能力を最大限に利用し私を拉致してしまうのだ。私も暇を見つけては逢いに行っているのだが、彼女の頻度はそれの比にならない。
例えば…鮮度の抜群にいい食材が手に入ったと言われ気が付いたら紅魔館の食堂に通されていたり(そのときはなぜか私の好物ばかりが並んでいた。彼女は偶然と言っていたが)、流星群が綺麗な夜にいきなり館の時計塔頂上に召喚されたり、新しいマッサージを覚えたから体験してくれとベッドの上に転がされたり…などなど。どれも私にとって有意義な時間であり、別段迷惑などとは思っていない。
しかし、私にだって都合や予定はある。今日は何をしよう、これをしようと決めていても、連れ去られてしまってはそれを実行することができなくなってしまう。即ち私の予定が彼女の予定に上塗りされてしまうのだ。当然そんなことが何回も続くとこちらのスケジュールは大いに狂ってくる。今日やるべきことを強制的に後回しにしてしまうのだから。それでも私はそれに対して呆れさえすれども本気で咎めた事は一度もない。律儀な性格の彼女のことだ。私が本気で怒ればこの行動も一切取らなくなるだろう。それでも咎める事をしないのは私も彼女のことを好いているからだ。両想い、恋人同士であるからだ。彼女の悲しそうな顔なんて見たくも無ければさせたくも無い。
…さて、大いに話がずれてしまったが、今現在私は非常に反応に困る状況に置かれていた。
「只の素麺だけど。おかしなアリス」
なんてことは無い。こいつは何を当たり前のことを聞いているんだとでも言いたげな言葉。目の前の小さなテーブルにはただ茹でられた素麺がカップに入った状態で鎮座しているだけなのだから当たり前か。それはいいのだ。問題は別にある。
「それは見れば分かるわよ」
「なら問題ないわね」
いや、問題は大いにあった。この素麺には突っ込むべきところが大いにある。
まずはカップだ。この素麺、カップはカップでもコーヒーカップに収められている。どこの世界に素麺をコーヒーカップに入れて食べるヤツが居るというのだ。いや目の前の彼女がそうなのか。ご丁寧にソーサーに乗せられスプーンまで添えられている。
そして次に麺汁がない。素麺を汁なしで食べても悲しくなるくらいに薄味だ。
さらに言うと箸がない。どうやって食べるというのだ。まさか手掴みでか。或いは付属のスプーンで掬って食べろと言うのか。無理ではないだろうがなんとも不便なことこの上ない。
そして何よりも問題なのが。
「何で六本だけなの」
そう、カップの中には素麺が六本しか入っていなかった。しかもそれぞれ真っ直ぐに伸ばされた状態でカップの縁に立てかけられるような状態で。といっても茹でられた後なのだからぐんにゃりと力なくだれているが。
そんな当たり前すぎる突っ込みに彼女は湿った笑いを浮かべて私を嘲笑した。何これ馬鹿なことしてるのはこいつなのに私が馬鹿にされた。
薄く開かれたアメジストに輝くその目は私に訴えてくる。聡明なあなたなら今日のこの日がなんであるのかを理解できるはずよ…とでも言いたげだ。
「アリス。きょーはなんの日、ふっふ~ん?」
「変なリズムつけんな」
確か今日は11月の11日だったはず。それが一体何だと言うのだ。
「そう…そして今年は2011…つまりは11年」
それは外の暦だろう…。
ってまさか。
「察しがいいわね。11年11月11日…即ち今日は…」
ああ、思い出した。外の世界から入ってきた文化だったか。紫の話ではどこかの製菓会社が自社の商品を売り込むために設定した記念日…という話だったような気がする。確かポッキーという棒状のお菓子と1…つまりは棒線が並ぶこの日を掛け合わせてポッキーの日というものを作ったらしい。何とも日本人らしいばかげたイベントだ。魔理沙曰くその日はポッキーゲームという破廉恥極まりないゲームの名を被った悪魔の儀式が横行するそうだ。あいつどんだけ初心なんだ。…まさか彼女もそんな毒電波のような情報に感化されてしまったのか…。
私の脳裏には明確な不安の色が浮かんだ。
が。
「素麺の日よ!」
「いや違うでしょ!?」
思いきりベクトルの違う回答にかえって不安になった。
素麺て…素麺の日て…何を言っているんだ彼女。確かに素麺は“伸ばせば”棒状だがそれはいくらなんでも無理やりすぎる。そんなのでいいのならばパスタでもうどんでもそばでもいけるではないか。というより何故麺類に目をつけたんだこの子は。普通の発想ならポッキーと行かなくともプレッシェルとか千歳飴とかあるだろうに。何を考えてこの頼りない素麺と選んだのだ。
「馬鹿ね。素麺はシンプルだけどその分何よりも奥が深いもの。それは私とあなたの関係の深さにも匹敵する程」
私たちの関係は素麺の関係か。そうなのか。…うわぁ。
「本音は」
「…夏場に買い込んだのがあまっちゃってね」
素直でよろしい。
しかし…もう冬も秒読みの段階になったこの季節に冷たい冷水と共に素麺がコーヒーカップの中で揺れている光景というのは…何ともいえない気分になってしまう。まぁ彼女らしいと言えばそうかもしれないが…。
いやでも脈絡がないな。素麺の日ということは分かった。分かっちゃいけない気がするけどとりあえず分かった。それはいい。しかし何故六本のみなのか。素麺の日だというのなら普通に素麺を用意すればいいではないか。余ったと言うのならそちらの方が効率もいいし。ああ、1が六個並んでいるから六本なのか。というか今更だけどこんなことをするために私を連れ去ったとでも言うのか?いつも私を喜ばすためだけに時間を止めて連れ去ってきているのかと思ったが今回はどうも違うらしい。…いやだってこんなことされて喜ばないでしょう普通。シュールすぎるわこれ。そんな私の内心を読み取ったのか彼女が動き出した。
「まぁ素麺の日と言うのだから…」
「もう突っ込まないわ。で、なにかし…ひゃっ」
一瞬意識が遠のいたかと思うと次の瞬間背中には柔らかいベッドの感触が。どうやら時間を止めている間に押し倒されたらしい。いつも押し倒されるときは決まって時間が動いているときだっただけに驚いて変な声が出てしまった。
視線を下にずらすと二つのアメジストが楽しげに揺れながらこちらを見ている。覆い被さられているようである。こんな状況ではあるが彼女に圧し掛かられているという現実に心臓の鼓動が激しくなる。やはり好意を持った人物が近くにいるとどんな状況でもときめいてしまうというものだ。
「…ど、どうしたの咲夜」
「だからね」
彼女の体が徐々に上に上がってきて顔が首元に埋められる。息の吹きかかりそうなもどかしい距離と高まる期待の中、彼女は私の耳元でこう囁いたのだった。
「素麺ゲームしましょう」
一気に醒めました。
今彼女は何と言ったのだろうか。きっと高まり過ぎた私の聴覚器官が暴走してありもしない言葉を拾い取ってしまっただけなのだろう。きっとそうだ。ここは早とちりして失態を犯す前に迅速な再確認を行うべき状況と判断する。
「…今なんて言った」
「これだけ近くて聞き逃さないでよ。だから素麺ゲームしましょうって」
どうやら聞き間違いではなかったようである。…何だ素麺ゲームって。
どうも今日の彼女は自分の意味の分からない欲望…と言えるのか疑問だが、とにかくそれを満たすために私を拉致してきたらしい。今日はいい天気だったし折角人形たちの服を干そうかと思っていたのに、こんな素麺ゲーム(笑)なるもので予定が潰されてしまうだなんて。
…まぁ今まで私を喜ばせてくれていたのだから今回は笑って許してやらないこともないが…。
「ふぇ?」
「離さないでね。今からゲームを説明するわ」
前言撤回。許してやらない。
こいつまた時間止めたのか。気が付いたら私の唇にはやんわりと素麺の先が挿入されていた。麺の行く先を目で追うと彼女がその先を指で持っている状態だった。細い素麺を素手でこんな状態にするとは大した器用さだ。私でもできるだろうけど。…っていけないいけない。思考が横にずれていくところだった。このままでは彼女のペースに乗せられてしまうだけだ。何とかしなければ。…なんだかこの光景私が彼女に釣られているみたいに見えるな。
私は麺の先を噛み切らないよう器用に尋ねた。
「まさか、ポッキーゲームみたいにその先を咲夜が咥えて同時に吸っていくのかしら」
「ポッキーゲームと言うよりも草相撲ね…。いいえ、私たちの崇高な素麺ゲームをポッキーゲームなんかと一緒にしないでくれるかしら」
勝手にその崇高なゲームに私を巻き込まないで欲しい。
「素麺ゲーム…それは至高の蜘蛛の糸」
「…ああ、やっぱりペースに乗せられるのか私」
それから彼女によって素麺ゲームの全貌を説明された。
それによるとどうやらこれはポッキーゲームとは少々違ったものらしい。
・大前提として素麺は偶数本用意しなければならない。そして両者に半分ずつ支給するものとする。
・じゃんけんならなんなりして先攻と後攻を決める。
・まず下にいる者が麺を千切れないように咥える。そして上の者も同じように端を千切れないように咥え準備完了。
・上の者は下の者目掛けて麺を吸わずに食べていく。このとき下の者は麺を食べてはいけない。
・食べていく途中で引っ張りすぎて麺が千切れたり、下の者の唇からはみ出てしまうと失敗になり次の麺を使用しなければならない。全ての麺で失敗してしまうと上の者の負け。
・見事下の者の唇まで辿り着く事ができたら、上の者は下の者の口内に残っている麺まで食べることができる。このときの食べ方は問わない。吸い出して食べてもいいし、舌を使って掬い出してもいい。
・一本消費するたびに攻守交替し、最終的に失敗した回数の少ない者が勝者になる。
・もし下の者が耐えられなくなった場合は途中で麺を噛み切って中断してもいいが、その場合麺の残り本数に限らずゲームが終了し下の者の敗者になる。
というルールらしい。
ぶっちゃけ素麺である必要性を全く感じない。
いやそれよりも、はっきり言おう。
「馬鹿げてるわ」
「なっあなたはこの至高のゲームが理解できないというの!?」
完全に馬鹿げている。なんだそのルールは。恐らく全て彼女のオリジナルのものだろう…いやオリジナルであって欲しい。
だが、そんなものは全てフェイク。全く、蜘蛛の糸とはよく言ったものだ。今の説明を聴いて分かったことがある。素麺というインパクトのある題材を使いゲーム化することで誤魔化しているこれに隠された真意が。
この素麺ゲーム、上は失敗しないように素麺を食べることに集中しなければならず、失敗すると次の麺に移らなければならない。慌てすぎてすべての麺を使い切ってしまうと負けになってしまう。下の者は食べることにも集中できず、噛み切った時点で負けになる。更に上から迫ってくる顔を直視し続けなければならない。
一見すると只のゲームに見えるが、この過程によって参加者は知らないうちに試されてしまうのだ。上の者は意気地を、下の者は羞恥心を。
即ち、そのゲームの本当の意味は…。
お互いの気持ちを確かめる、つまり愛情の確認又は再確認のための行為。
全く仕方の無い子である。いや、この子をこのゲームに駆り立ててしまった私にもきっと責はあるのだろう。
…思えば私は意外と酷いことをしていたかもしれない。真剣になって考えれば全ての原因が見えて来た。
連れ去る彼女と訪れる私。事ある毎に理由を付けては何度も私を連れ出してくれる健気な彼女と、研究や人形の世話の傍ら、図書館の帰りに訪れる私。圧倒的に違うにも関わらず深く考えなければ分からなかった。そう、時間を止められ連れ去られることに慣れていた私は私自身彼女と多く接触していると錯覚していたのだ。思い返せば私から進んで彼女を訪ねたことは数える程しか無かった。その数える程というのも先程述べた通り図書館の帰りに寄っていくというものばかり。つまり、彼女が私を連れ去る行動を省けば私は数える程しか自主的な逢瀬を行っていなかったことになる。
付き合っているのに…好き合っているのにこれは流石に酷いものがある。時間を多く持つ妖怪だからそういうものに疎いという言い訳は恋愛には通用しない。
彼女は不安だったのだろう。例え好きだと言わていたとしても、体を重ね合った事があったとしても、相手との逢瀬が一方通行であったのならば無理は無い。
だから確かめたかった。本当に私が彼女のことを愛しているのかということを。だがしかし面と向かって問いただすのは照れくさく、不安も大きかった。だからこの日を利用し感づかれないように素麺ゲームなんてでたらめなものまで用意した。
私が原因ではあるのだが、何だか笑えてしまう話である。自然と笑みがこぼれ喉が震えた。
「ちょ、ちょっとっ何笑ってるのよ」
「…ごめんね、気が付かなくて。寂しかったのよね」
しばらく呆気に取られた後慌てて咳払いをしながら何のことかしらなんて言ってはいるが、耳が紅く染まっているのだから説得力は皆無だ。
下から腕を伸ばして彼女の銀糸を撫で梳かす。全く完全で瀟洒という割りに素直ではないな。いやまぁ自分のせいなのだが。
蜘蛛の糸、ね。つまり彼女は私目掛けて“登って”くると。そしてもし私が糸を切ると彼女の気持ちが“落ちて”しまう訳だ。確かあの物語に出てくる男はお釈迦様の慈悲を無碍にしたせいで糸を切られ堕ちてしまったが、私は別に厳格な神にも仏にもなったつもりなどない。
「私が糸を切ると思うのかしら」
「…あれは自爆だったか」
「言っとくけど」
恥ずかしさに縮こまる彼女を見ていると何だか可笑しくなってくるというか、落ち着いてきてしまう。慌てている人を目の前にすると自身は落ち着くというのと同じだろうか。さっきまではあんなに余裕たっぷりだったのにね。
まぁどちらにしても変わらない。素麺は六本。つまり私の持ち数は三本。随分と少ない。余っているというのならもっとたくさん茹でればよかったのに。
「私はこのゲーム簡単に負ける気は無いし、簡単に終わらせる気も無いから」
「…ぇえっとその、器用さでは負けないんだかっね」
思いっきり噛んでいては説得力の欠片もない。さて、咲夜。あなたは一体何本、いや何回耐えられるのかしら。私は三本で終わらせる気なんてないんだからね。
そうだ。私の無自覚な行動によって彼女に寂しい思いをさせてしまうのなら、させないようにすればいいだけの話ではないか。魔法使いとして生きている私は自分で言うのも何だが随分と鈍い。だからまた自分から会いに行く回数が疎かになって彼女に気を使わせてしまうかもしれない。だけど私だってそう何回も連れ去られたくは無いし、そんなことさせたくもないから。
だから合うたびにたっぷり甘やかしてやればいいんだ。もうお腹一杯でしばらく遭いたくなくなる位に。それでも逢うんだろうけど。
まぁ今はそんなことは考えなくていい。
今はほら、必死で必死で、可愛さに悶えてしまいそうな程の表情をした彼女が糸を登ってくる様子を下から見下ろそうではないか。
アリスさん、強いっす