レミリア・スカーレットは夜行性である。
何せ夜を支配する吸血鬼である。夕刻に起き、夜間に活動し、朝日の訪れと共に眠りに付くのが本来の彼女の生活リズムだった。
しかし、この習慣は幻想郷に移り住んだ事により少しだけ変わっていた。
日の出と共に眠る事には変わりないが、昼頃には起きるようになったのだ。
そして、現在は正午。彼女の目覚めの時間である。
寝室の壁掛け時計が正午を知らす鐘を鳴らす。
ぼーんぼーんと少々間の伸びた低い鐘の音が耳に響く。
三度程鐘の音が響いた頃と言うに、豪奢なベッドに埋もれたレミリアのとがった耳がぴくりと動く。
「ん…んぅぅぅ…。もう12時…?」
「はい、もう正午ですよお嬢様。ご起床下さい」
いつからそこに居たのか、ベッドの横ではメイド長の十六夜咲夜がアーリーモーニング・ティーの準備をしていた。
良く暖められたティーポットからほのかに漂う、飲み慣れた紅茶の香り。
レミリアは毛布を半分かぶったまま、上半身だけを起こす。背中に敷かれていた羽を背伸びと一緒にぴーんと伸ばして整える。
「いつもの奴?」
「ええ、いつもの。お嬢様方がお好きなお目覚め時専用の紅茶です」
トポトポと無駄のない手つきでカップに紅茶を注ぎながら咲夜が答える。
「ん。ありがと」
咲夜の差し出したカップを受け取り、静かに口に運ぶ。その仕草は幼い姿にそぐわない優美さを感じさせる。
「はぁ…今日もさすがの手際ね。感心するわ」
言いながら飲み終わったカップを返す。
「ありがとうございます。あぁ、それとお嬢様。フランドールお嬢様も起こして差し上げて下さいね。お嬢様でないと、素直に起きて下さらないんですから」
「むっ…分かったわよ」
「では、着替えをお持ちしますので、それまでに」
にこっと何か含んだ微笑を浮かべて咲夜は一旦寝室を出て行った。
「うーん、起こすと言ってもなぁ…」
レミリアは自分の左側をチラッと見る。
そこにはレミリアの寝巻きの裾を右手でぎゅっと握ったまま体を丸めて眠るフランドール・スカーレットの姿があった。
レミリアが掴まれた寝巻きの裾を放させようと引っ張るが、しっかりと握られており引き剥がす事が出来ない。
「フラン、朝よ。ほら起きて頂戴」
「…んぅ……。すぴゅぅ……」
軽く頬を撫でるが、むずかしげに少し動いただけですぐにまた寝息を立ててしまう。
その寝顔はとても心地よさそうで、安らかさで、なんだか起こすのは気が引ける気がしてしまう。
が、起こさなければ朝食にも行けないし、何と言っても着替えも出来ないのである。
「はぁ……しょうがないか」
観念したようにレミリアはため息を吐く。
レミリアは体を反転させてフランドールに向き合うとゆっくりとフランの顔に自らの顔を近づける。
「フラン、おはよう。起きて頂戴」
そう呟くと、レミリアはフランドールの唇を優しく奪った。
唇と唇の感触。時間にしておおよそ2秒ほどしかない短く触れ合うだけの優しいキス。
唇を離して、フランドールの柔らかい髪の毛を手櫛で梳きながら妹が起きるのを待つ。
「…んにゅ……」
するとまるでそれが合図だったのかのように、先ほどの声掛けにも起きなかった彼女が薄ぼんやりと目を開けた。
「おはよう、フラン。素敵な夢は見れたかしら?」
「んみゅ……。…うん、おはよう、お姉さま。お姉さまの夢を見た……」
レミリアの寝巻きの裾を放し、ごしごしと目を擦りながらフランドールが上体を起こしてベッドの上にちょこんと座る形になる。先のレミリアと同じように、背伸びをしつつ羽を伸ばしている。
「寝る時も一緒に居たのに、私の事を夢見るなんておかしなものを見るのね」
クスリ、とレミリアが口に手を当てて笑った。
「うーん、そう…かなぁ…?えへへ……」
それを見てフランドールも、寝ぼけ眼でレミリアを見つめながらもにへーとふやけた笑みを浮かべる。
「ほら、咲夜が紅茶を用意してくれたわよ。飲んで目を覚ましましょ」
ベッドから降りてテーブルの上に置かれたポットを手に取る。咲夜の能力で保たれてるのか、中身はまだ温度が高いままの様だ。
用意してあった自分用とは別のカップに紅茶を注ぎ、ベッドの端まで来たフランに手渡した。
「フランも好きな奴だって。眼が覚めるわよ」
「んー」
受け取ってフランドールも口に運ぶ。その仕草は姉と同等に上品…とは言いがたいが、それでも気品さを感じさせる動作だった。
「うん。美味しいよ、ありがと」
「咲夜にも伝えておくわ」
フランからカップを受け取り、元の場所に戻す。
と、ふとフランドールがやけに嬉しそうに微笑んでいるのが目に付いた。
「どうかしたの、フラン?」
「ううん、大した事じゃないんだけどね」
フランドールはフフっと笑いながら
「今日のお姉さまのおはようのキス、この紅茶の香りだったんだなって」
そう言ってまた幸せそうに目を細めて笑った。
フランドールは、昔から結構寝起きが悪い。
下手な起こし方をするとどうしても機嫌が悪く、うーうー唸ってはもぞもぞと毛布に包まり込んでしまう。更に強引に起こそうとすると手をはたかれたり足で押しのけられたりする。
色々と方法を試したがどうやら目覚めのキスをすると何故かすっきり目覚める事が分かったのは彼女たちが百歳ぐらいの時だ。
それ以来、フランドールを起こすのはレミリアのキスと決まっていた。
…のだが。
「……フランさ、やっぱりいつも起きてるんでしょ」
「えー? ……起きてないよ」
くいっと小首をかしげて姉の言葉を否定する。
「何よ今の「間」は。あーやっぱりいつも先に起きてるのに私にやらせてたわね。確信犯だわこの子」
「違うよー。今日がたまたま、ちょっと早めに眼が覚めただけ。8割くらいは眠ってたよ?」
「でも起きてるじゃない、2割」
「2割じゃ全然起きてないもん。お姉さまがちょっとしかしてくれなかったから、まだ5割くらい眠い。ねむいなー」
ベッドにぱたーんとフランが仰向けに倒れこむ。毛布を頭まで持ち上げて眠る体制に入ってしまう。
「もー、してあげないわよ、そんな事だと」
「むぅ。……じゃあ、今日で最後に出来るように…ちゃんと起こして?」
毛布からちょこっと顔を出し、レミリアを若干の上目遣いで見つめる。
レミリアはその視線に少しだけドキッとしてしまう。
「………」
「フランはまだ眠いです。ぐぅぐぅ。」
「あーはいはい分かったわよ。するわよっ。……最後にするのよ、ホントに」
「うん、最後にする」
フランドールがすっと目を閉じる。
レミリアはベッドに横たわったフランドールに近付き、頬に優しく手を掛けた。
「おはよう、私の可愛いお姫様」
呟き、先ほどと同じように優しく唇にキスをした。
触れ合うだけのキス。
それでも、さっきよりも少し長めに。
紅茶の香りのする甘いキスの味がした。
(褒めてます)
お互いカワイイパジャマ着てるんだろうな