遙か遠く、マダガスカル島に伝わる虹の伝説がある。
気が遠くなるほどの神々しさと共に、天高く屹立する虹。のみならず、それは無数に立ち上り、世界が虹に包まれたような錯覚を覚えるという。
マダガスカルの民は、その虹のことを、ウイニングザレインボー――勝利の虹と呼ぶという。
「ウイニングザレインボー!」
ジャンプならば見開きで掲載されるで有ろう派手なポーズで、名無しの権兵衛は農薬を捲いた。この農薬の名前が件の伝説から取られたかは定かではない。が、効果は確かだ。ガッシ! ボカ! 害虫は死んだ。豊作(祝)
――そして時は流れ、実りの秋が訪れた。
「やあやあ、ジョンの旦那、今年はどうでえ?」
「ええ、近年に無い豊作でしたよ。『デジタルメガフレア』のおかげですね、八つぁんはどうでしたか?」
「あたぼうよ、『サンダーボルト007AL』のおかげで収穫に困るほどだ」
「それはそれは」
近年稀に見る大豊作であった。外の世界から伝わってきた近代的な農薬のおかげである。
デジタルメガフレア、サンダーボルト007AL、レインボーフラワーEX、デスティニーWDG、たんぼにポン……外来人がもたらした多種多様な農薬は、生産性の大幅な向上に寄与した。
近頃では、幻想郷の事情に合わせた独自の農薬も作られている。ウイニングザレインボーはその例であろう。
時にハロウィンであった。一般的には諸聖人の日とされる祝日だが、ハロウィンとは元来キリスト教徒の風習ではなく、ケルト人の収穫祭を起源とする行事である。幻想郷に至り、秋の収穫祭と同一視されたのも自然である。穣子はハロウィンの来賓であった。
まだ早い時間だったが、人里は賑やかだ。遠くからメタルバンドの演奏が聞こえてくる。盆踊りの伴奏だ。そこへ穣子が目を移すと、ヘッドバンギングをしつつ、アグレッシブな盆踊りに身を委ねる若者達の姿が見えた。近づいてみる。
「アーライッ!」
ボーカルのハイトーンなシャウトが炸裂し、皆はそれに夢中だった。誰もが、穣子を目にも留めていないようだった。
豊作の神に何たる仕打ちか、と思い「最近の若者は……」と内心呟きつつ、踵を返し、街中を物色した。
里は、祭りの気分に包まれている。ジャックランタンが至る所に掲げられていた。夜になれば、その輝きが不気味に、可愛らしく、里を彩るだろう。
ジャックランタンの山を見ると、穣子は何処か安堵の気分を覚えるのも確かだ。幻想郷は狭い。その土地で人々を食べさせていくのは容易ではない。
かつては、僅かな種籾すら「ヒャッハー!」と奪わんとせん悪漢が闊歩していたこともあった。食い詰めた親により、童が鈴蘭畑にうち捨てられた事もあった。
穣子も悪漢には天罰を、信者には実りを与えたものだが、如何せん、一人の手には余ってもいた。
だからこそ、食べ物を遊びに使える、豊かなこの時代に喜びを感じてはいた。しかし、感謝の言葉が無いのは寂しい。
「――肥だめはいいんですよ、土にも人にも優しい、リサイクルにも役立ちます」
「――家は家族も多いんでねえ、まずは化学肥料で生産性を第一にしていかないと。有機栽培をするほどの余裕はありませんね」
農家の者は、すっかり農薬の話に夢中だった。かつては、「穣子様のおかげで――」と感謝の嵐だったのだが……
だが、穣子には切り札があった。飽食の時代、芋の浪費も許される。
「今私を信仰すれば漏れなく香水が付いてきますよ」
道行く人に、魅惑の香りがする香水を配り始めた。地味な作業だが、おいおいは結実し、「穣子様のおかげで彼女が伸びました!」「穣子様のおかげで背が伸びました!」「穣子様のおかげで結婚できました!」などなど、信仰と共に感謝の言葉が飛んでくると信じていた。
しかし、
「信仰は間に合ってますので」
「押し布教はお断りしてます」
「私は寝る前にNO.5しか身につけないのが流儀です」
どうも芳しくない。
「あんたねえ、巫女に喧嘩売ってるの? 他所の神様も、生か焼いてるのかわからない匂いもお断りよ」
思わず霊夢すらに声をかけてしまうほど受け取る者がいない。「最近の人間は……」と嘆息し、穣子は方針を変えることにした。
少し離れた所で。枯れ葉を集め、芋を投げ込み着火した。パチ、パチ、と火が立ち上り、焼き芋がほくほくと焼き上がる、だが、飽食の時代とは恐ろしい。
「おかしをくれないと悪戯しちゃうぞ!」
と童が近寄ってきた。穣子は満面の笑みで「どうぞ」と差し出したのだが、
「えっ? 焼き芋とか田舎っぽくて僕いらないよ、パンプキンケーキとかそういうのないの?」
「焼き芋は美味しくて健康にもいいのよ!」
この西洋被れめ! と童に苛立ったか、少し口調が強い、穣子は少し反省して、声をかけ直そうとするが、童の姿は既に無かった。同時に、鳴り響く轟音に気がつく、
「何あれ格好いい」
「戦車は漢のロマン」
「APFSDSかわいいよAPFSDS」
鈍く、重量感の有る赤。排気ガスとガソリンの入り交じった力強い臭い。巨大な陰陽玉。そう、ふらわ~戦車の姿が見えた。ハッチから顔を覗かせつつ里香は言った。
「おかしが欲しいのなら化け化けから受け取るのです」
その科学知識を活かして、里香が農薬で一山当てたと言う話は有名である。故に、穣子としては商売敵なのだ。かつて、豊作のための技術を学びたいと訪れたこともあったが、追い返したほどだ。
今日も穣子は、きっと里香を睨み付けた。だが、人混みに遮られ、届かなかっただろう。
宣伝も兼ねた切符の良い振る舞い。周囲に浮かぶ化け化けが、幽霊だったり、蝙蝠だったり、ジャックランタンだったり、とハロウィンらしいロリポップを配っていた。群衆が、取り囲んでいた。
勇壮な戦車。ハロウィンらしい、可愛らしい化け化けの姿。そして素敵なお菓子に皆が夢中で、誰も穣子には目をくれない。少し、涙目になった。
静葉の言うように、豊作の神など時代遅れなのかもしれない、と感じた。神に頼らずとも、発展した農業技術が十分な豊作を約束してくれる時代なのだから。
静葉は、それもまたよし、と言う気分らしい。緩やかに忘れ去られ、消えていく。そのもの寂しさが好みだそうだ。
しかし、穣子は受け入れられない。異様な数の化け化けを見ながら、穣子は決断を下すべきか、と思った。あの悪魔の復活を手助けするべきか……と。
そもそも、収穫祭とハロウィンがセットになっているのがおかしいのだ、と穣子は思っている。この国における収穫祭とは私のような秋の神に感謝するための行事であって、西洋風の飾り付けをしたり、菓子をばらまく日ではないと。
――彼方から、バスドラムがドコドコと鳴る音が響く。ツインペダルで叩かれたリズムが、隙間無く響く。
美しくない。日本人は和太鼓の音に酔いしれるべきだと穣子は思う。
和太鼓の躍動するリズムと、三味線が奏でる日本的な五音音階。皆で焼き芋を食べつつ、秋の神に感謝することこそが、この国のあるべき形であるのだ。と感じる。
そして、穣子は決断した。レミリアを復活させ、ハロウィンを恐怖で包み込もうと。ついでに農薬も滅亡させてしまおうと。さすれば、人は今少し、私に目を向けるだろうと思いながら。
◇
今年のハロウィンは実に賑やかである。しかしながら、昨年までは恐怖の一面を持っていた。
「ぎゃおー! お菓子をくれなきゃた~べちゃうぞー!」
と、レミリアが里を襲っていたからだ。彼女一人なら微笑ましい。だが、大名行列の如く、無数のメイド妖精を引き連れ、お菓子をねだられるとなれば笑い事でもない。
あらゆる商店から、民家から、山のようなお菓子が消えていった。それを調達するのも生やさしい事ではない。十分な資金が必要であって、あたかも悪代官の取り立て、あるいは作物を狙うイナゴにも例えられていた。
それも昔の事だが。レミリアは死んだ。彼女は、時折蝙蝠の姿になる。お忍びでの散歩というものだ。その日も蝙蝠に化け散歩していたのだが――途中、空腹を覚え、果実の一つに口を付けた。蝙蝠とは基本的に果実を食す生き物である。
それが良くなかった。その畑で用いられていた殺虫剤――Mr.ジョーカー水和剤。あるいはデジタルコラトップアクタラ粒剤――は、小さな蝙蝠の体となったレミリアにとっては、致死的な力を持っていた。
穣子は、紅魔館へと足を進める。何時になく、幽霊の姿が多い。その中で紅魔館に赴き、
「レミリアはいる?」
と、門番に声をかけた。すぐに、面会を許された。館内に足を運ぶと、メイドや親友、妹と談笑するレミリアの姿が有った。
久しぶりの再会に沸いているのだと思いつつ、空気を読むことも無く穣子はその中に入り込み、
「お久しぶり、レミリア」
「……今日一日しかいられないって言うのに、無粋な奴ね。家は神様お断りなんだけど」
レミリアは不機嫌そうな声で言った。レミリアには顔も口も無いが、そう感じた。
ハロウィンは収穫の祭りであると同時に、霊界と顕界の門が開く日でもある。お盆には茄子の馬に乗り死者が戻ってくるように、ハロウィンにも霊界から門を潜り、死者が戻ってくる。平生より幻想郷に霊が多いのも、そのためであった。
宗教には興味が無いと公言しているレミリアであっても、そのような日には戻ってくる。
「あなたを蘇らせてあげましょう――そして、敵を取りましょう、共に」
だが、事は一日限りの帰郷ではなくなった。復活、の言葉に沸く紅魔館。レミリアも二つ返事で承諾する。
そして――レミリアは復活した。豊穣とは再生である。枯れた草花が土に返り、蘇り、豊作となるのだ。
吸血鬼を再生させることも可能だった。仮にも神である。冥界で根回しをしていたのもよかった。
それだけでない。通常の三倍の速度と、両肩のキャノン砲。足はキャタピラ。もはやただのレミリアではない。グレートレミリアmk-2と呼ぶに相応しい偉容を誇っていた。
冥界への根回しのおかげで手に入れた、戦闘用の強力な体である。
穣子は逞しいその肢体に目を奪われたが、レミリア含め、紅魔館の面々には「これはひどい」としか思えなかった。
「……最初に貴方を血まみれにするべきかしら」
レミリアは、シャキン、シャキン、と手のハサミを鳴らす。両手はハサミとなっていた。出来れば刀にしたかったのだが、刀剣類は許可を申請せねば持ち歩けないのだ。銃刀法は幻想郷にもあるのだから。
「足なんて飾りよ、偉い人にはわからないことだけど」
「ハサミで真っ二つに足を切って、私のキャタピラを移植してあげましょうか?」
良くない流れである。強化されただろうレミリアを敵に回しては、穣子は勝てない。彼女は戦闘は不得手なのだ。
だが、こんなこともあろうかと、安全装置が付けてあった。
「止まりなさい!」
「止まれと言われて止まる馬鹿なんていな――」
レミリアは、正確には復活したのではない。新たな体に憑依しているだけだ。穣子の作った体ゆえ、穣子の命で止まる。
ジャックランタン。ハロウィンの風物詩、かぼちゃの化け物は、伝承によれば、かぼちゃが妖怪と化したわけではないとされる。
罪と呪いにより、冥界に行けぬ霊――ウィル・ウィスプが、現世でかぼちゃに憑依した者がジャックランタンだという。
ジャックランタンの輝きは、鬼火のような存在であるウィル・ウィスプが放つ炎なのだ。その体は仮の、換えの効く依り代だ。そも、ジャックランタンとはカブで作られていたという事実が、それを示していよう。
「貴方の体は借り物、本当はまだ死者なのよ。私に逆らえば、貴方は死ぬことも出来ないまま宇宙空間を漂流して、その内考える事をやめることになるわ」
レミリアもしかり、現世でまつろう霊が、借り物の体に憑依しているに過ぎない。ジャックランタンが歩き回るハロウィンだからこそ許されることだ。
「何がどうして宇宙に飛ばされるのよ。まあいいわ、神の奴隷として生きるなんて真っ平ご免、咲夜! 私を殺しなさい!」
足がキャタピラとなろうが、腕がハサミとなろうが、カリスマ溢れる言葉は健在だった。レミリアの決意に打たれ、臆すことも無く、咲夜はチェーンソーを掴んだ。
「お嬢様……その決意、しかと受け取りました。お嬢様だけは犠牲にしません、この神も血祭りに致します」
「ふふふ、神に喧嘩を売るとは、どこまでも楽しい人たちね……これも生き物のサガか!」
一応は神である。威厳を作っては、穣子は言ってみた。しかし、改めて言うが彼女は戦闘は苦手だ。何処までも愛くるしい顔と、大変実用的な能力はあるが、天は三物までは与えなかった。
唸りをあげるチェーンソー。このままでは、かみは バラバラに なった! という未来が待っている。
「咲夜……死を決意した女達の絆は、地獄まで離れる事はないの、地獄でまた逢いましょう」
「はい、また地獄で逢いましょう。……死ねよやー!」
チェーンソーと共に襲いかかってくる咲夜。穣子は慌てて叫んだ。
「待ちなさい咲夜!」
「いいでしょう。遺言程度は聞いてあげます、ついでに遺産分配その他でお悩みなら知識人に助言もさせますよ」
「私はレミリアの体が借り物だとは言った。でも、今回はまだ、永遠に借り物だと言う指定は行ってないわ。……その事をどうか諸君も思い出して貰いたい。つまり、私がその気になれば、真の復活も可能だ、と言う事よ」
ざわ……ざわ……という空気が、紅魔館に走った。
実際の所、吸血鬼の蘇生は難しくない。手塚某という医者の記した、ドン・ドラキュラという古文書に記されたところによれば、血と膠などを混ぜ、棺桶に入れて三分で蘇生できるそうだ。
外の世界の医術による発見。それを穣子は知っていた。そもそも既にレミリア本来の体も蘇生している。魂を入れ直せば元通りだ。
「レミリア、約束しましょう。あの豊穣の敵、里香を打ち倒し、ついでにハロウィンを恐怖で包み込めば貴方が元の体を取り戻せることを」
ギュイーン! と言うチェーンソーの音がうるさい。カラカラ、と言うキャタピラの音が混じった。レミリアが咲夜に耳打ちして、暫し。チェーンソーは止まった。
レミリアは微笑と共に手を差し出し、穣子はがっしと手を掴んだ。それが答えだった。
「約束は守ってもらうわよ」
「もちろん、既に体は再生中よ、すぐに届けるわ」
信頼関係が芽生えた。直後、
「あいつつつ……」
ハサミで穣子は手を切った。当然だった。
◇
「衣玖なのです」
何が衣玖かと言えば、スポンサーである。彼女が天人に振り回されつつもコツコツと貯めた給金が、(株)イビルアイΣの発足当時の資本金であった。
その恩に答えるべく、里香は一頻りお菓子を配ると、研究所でNSN(ニュースーパー農薬)の開発に勤しんでいた。
ギャラクティカファントムと名付けられた新型農薬は粗方完成していた。ギャラクティカファントム。画期的な仕組みで作られた農薬だ。
農薬を捲くモーションにより発生させた電子スピンが生み出すプラズマスパイラルをソリタリーウェーブにより無限遠へ到達させ(中略)害虫は死ぬ。
その時である。研究所の前から爆音が聞こえた。
「綺麗な花火ですね」
「キミの瞳の方が綺麗だよ」
人里ではアベックの睦まじい会話も生まれていた。
「ちょっと! 穣子! 花火なんて打ってどうするのよ、キャノン砲じゃなかったの!?」
「キャノン砲なんて付けたら危ないし銃刀法に引っかかるじゃない、それに花火でも十分だと思ったのよ、倉庫に着火して粉塵爆発で農薬を吹き飛ばすには」
レミリアも、銃刀法に引っかかる、と言われればなるほど、と納得せざるをえない。
「何事なのです?」
里香も慌てて飛び出してきた。
「貴方の農薬で死んだ蝙蝠達の敵、今こそ取らせて貰うわよ!」
と言われて、ああ、と思った。レミリアが他人の家の果物を盗み食いして、農薬中毒となり倒れたという話は聞いていた。
しかし、グレートレミリアmk-2を視界に捉えると、思わず吹き出してしまう。
「何なのですか? それは。おかしいのです。人間にキャタピラをつけてどうするのですか。無限軌道には無限軌道のメリットもあるのです。でも、人間の体は二足歩行が最も効率的になるようにできているのですよ」
「な……あんた、この世界でもっとも偉大な存在、吸血鬼を人間と言ったわね! 気に入ったわ、殺すのは最後にしてあげる。この場にはあんたしかいないけど!」
里香の言葉と表情が癪に触る。レミリアは怒りに任せて突進した。キャタピラがゆっくりと進んでいく、里香は早足で戦車に向かう。到底追いつかない速度でレミリアは追っていた、すると、突然止まった。
「……穣子、なんか動かなくなったんだけど」
「慌てて作ってもらったからねえ。1/100ガンタンクからの流用じゃ厳しかったみたい」
「プラモで戦争ごっこ?」
「MGよMG! マスターグレード! 高かったのよ! それに神の力で巨大化させたからなんとかなると思ったの!」
「悪いわね、里香、よく考えたら貴方の前に殺すべき奴はいたわ」
キャタピラは故障したが、空は勿論飛べるので別に問題は無かった。
「落ち着きなさい! 神を襲うなんて不届き千万よ! 大丈夫、レミリア、貴方には通常の三倍の速度があるわ、そう、パンチ一つが必殺技になるほどの」
と言って、レミリアに手本を示す。
「どれどれ……」
とレミリアが真似をすると、左腕が生み出す凄まじい対数螺旋による角運動量が巻き起こすジャイロスコープ効果が限界まで体を(中略)戦車を吹き飛ばす。
「あ、あたいのふらわ~戦車が吹き飛んだのです……」
レミリアの新必殺パンチ、ブーメランテリオスの生み出した衝撃波。それが里香の後方にあったふらわ~戦車を吹き飛ばした。その衝撃波により真空に取り残された水分がプリズムのような結晶の鎖を(中略)幻想郷に虹が浮かんだ。
巻き込まれていれば、と思い、里香は無意識に震えた。しかし、同時に忘れていた闘争心が蘇ってくるのを感じていた。
「空中に行くなのです……キレてしまったのですよ……久々に……」
ゆっくり、重々しく、懐かしい相棒――飛行型戦車イビルアイΣの元へ向かう。
レミリアもその決意をくみ取り、背後からは狙わない。穣子も神として見届けねば、と感じ、佇んでいた。
――いったい、何時以来だろう? 二度と乗ることは無いと思っていた相棒に乗るのは。
里香は、心中で呟いた。決闘においては、レミリアのような新参者とは比較にならない、最古参と言ってもいいキャリア、実績がある。博麗の巫女を苦しませたことにかけては、三本の指にも入ろう。しかし、それだけに将来を考えねばならぬ年頃を迎えつつあった。
――そろそろ、~なのですって言うのも似合わないのかしら?
あたいは研究と結婚したのです、と言い訳できる日も近い。日々の仕事に追われ、弾幕ごっこなど遠い思い出だと思っていた。なのです、と可愛く言うことにも限界が見えてきていた。
しかし、今ここに敵がいる。絶対に負けられない闘いがここにはある。忘れていた感覚、血のたぎりを覚える。
「逝くなのです!」
「こんなにも月が紅い……こともないけど本気で殺すわよ、月下の死体になりなさい!」
月と豊穣の神が見守る中、死闘が始まった。
◇
「レミリアコンビネーション!」
古いスペルカードは使えない。かつてのスペルカードやグングニル等は棺桶の中だ。そんな中、新たな技を生み出していく。
自らを霧に分解し、再構成して奇襲する大技、レミリアコンビネーションが炸裂した。
「甘いのです! 焼夷榴弾装填!」
だが、イビルアイΣはギリギリの所で回避する、再構成された刹那、後方に転進して回避。同時に主砲を向ける。巨体に似合わぬ俊敏な動きだ。
「名前は……ええと……バーニングハンマーなのです!」
音が聞こえたときには、すでに遙か後方を行く焼夷榴弾。音速を超えるそれを、レミリアは寸での所で回避した。だが際どい、里香がスペルカード線に不慣れであり、名付けに時間を使ったのが幸いだった、回避は間に合った。そうでなければ直撃を受け、粉々か、良くて火だるまになっていただろう。
「そこの時代遅れの神もくるのです! こっちは私とイビルアイΣで二人。ちょうどいいのですよ」
その言葉を聞き、穣子は敵ながら天晴れ、と思った。信者であれば仲良くできたであろうにと。
「スイートポテトルーム!」
「……子供の遊びなのですか?」
芋を無数にばらまく、芋で被害を受ける戦車などは存在するわけもない。効果はなかった。
意にも解さず、副砲からバラバラと弾幕を連射する。隙間が少ない。必死に二人はかわす、すると目玉――主砲から巨大なレーザーが放たれる。隙がない、ぬかりがない。実質二対一を受け入れるだけはあるな、と穣子は思った。
地上から、人々が見守っていた。ハロウィンの出し物か? と思いつつ見とれる。
レミリアの繰り出す紅い弾と、イビルアイΣの生み出すレーザーが交錯する、美しい争いだった。
レーザーが芋を焼く。ほくほく、と甘い香りを漂わせつつ、地上に落ちていった。ある者が掴んだ。崩れぬように優しく、そして食した。
「これを焼いたのは誰だあ! ……これこそ至高の一品である!」
美食家として知られる彼の言葉で、人は天より舞い降りる芋に群がる。
「やっぱり信仰するなら穣子様だね」
「私もそう思う。御利益がわかりやすいし、キュートで実用的」
「日本人ならお茶漬けやろ! そして穣子様が美味しい新米を与えてくれるんやろ!」
「アンキモ、アンキモ、アンキモ!」
同時に、着々と信仰が積み上がっている。だが、穣子はそれに気がつかなかった。眼前の事に夢中だった。
「秋の空と乙女の心!」
穣子のような乙女の心とは移ろいやすいものだ。すっかり当初の目的を忘れていた。農薬もハロウィンもどうでもよくなっていた。里香と同じく、血がたぎっていた。
穣子の攻撃は威力がない、しかしながら攻撃があれば反射的に回避するのが人間だ。隙が生まれる。協力している、と言う感覚が生まれ、喜びとなる。
イビルアイΣが爆導索を投げつけてきた。索の火薬に着火され、凄まじい爆音が響き渡る。だが、索の軌道を読めば問題ない、その間にレミリアが問いかけてきた。
「月は出ているか?」
レミリアの問いかけ、どう見ても出ている。そもそも、先ほど自分で話していたのだ、月の事を。
「はあ?」
「月は出ているかと聞いている」
「そりゃ出てるわよ」
「よし、決めるとするわ。ちょっとタイムね、素晴らしい名前を考えないと」
レミリアが考えること暫し、手持ちぶさたになった穣子はイビルアイΣに乗り込むと、神の力でお芋スナックを生み出し、里香に振る舞った。イビルアイΣの中は冷暖房完備、冷蔵庫にこたつもあって快適だった。
里香もIH対応のポットで紅茶を作り、振る舞った。
「出来たわよー!」
レミリアの声で決闘が再開される。そして――ついに雌雄の決するときが来た。
「紅色月心激!(スカーレット・ムーン・ハート・エイク)」
月に変わってお仕置きである。紅い光によるリボンと、紅色の光が飛んでいった。名前、見た目共にレミリアのオリジナリティが光る新スペルカードが、イビルアイΣに直撃した。
「貴方も中々だったわよ、人間にしてはね。イビルアイΣの鱗で剣を作って、墓標に捧げてあげましょう」
イビルアイΣから鳴り響く爆発音、もはや持つまい、落下を待つのみと思い、レミリアは勝ち誇った。
それがいけない。油断を生んだ。
「隙が生まれたのですね。ずっとこの時を待っていたのですよ。必ず死なすのです!」
……幻想郷に光の柱が立った。神々しい光。全てを焼き尽くす浄化の炎だ。
イビルアイΣの最終奥義、衛星軌道上からのレーザー攻撃だ。里香の飛ばした衛星から放たれる、イビルアイΣの全長を飲み込んで余りある、巨大なレーザー。光の速さで飛んできたそれ、レミリアに回避する術は無かった。
死んだと見せかけての不意打ち、卑怯と呼ぶ物もあろうが、これが決闘である。かつて博麗の巫女をも破った最終兵器により、レミリアは破片も残さずに消滅。里香は勝利した。
「もしもし、あ、姉さん? そうそう、レミリアの復活よろしく。やっぱりプラモの余り部品と高枝切りバサミじゃ無理だったわ、うん、溶けちゃったわね」
陰陽玉で静葉に復活を頼んだ。死闘の果ての、心地よい倦怠感が包み込む。既に勝負は決しノーサイド。握手でもするか、そもそも私は何のために決闘していたんだっけ、等と思い、イビルアイΣに近づく。
その時である。
「ダムの決壊だー!」
眼下から聞こえる悲鳴、二人は青ざめて向かった。
ダムの一部が壊れていた。先ほどのレーザーの巻き添えになったのだ。
堤防がかけていて、せき止めた水が流れ出していた。そこを埋めようとイビルアイΣが突っ込む。
「馬鹿! やめなさいよ! 持たないわ!」
「あたいの作った最高傑作を馬鹿にされては困るのですよ、イビルアイΣは伊達じゃない。こんな水如き、イビルアイΣで止めてみせるのです」
なるほど、イビルアイΣの大きさは十分で、水にもびくとしないようだった……外装はだ。しかし、
「穴が空いてるじゃない! 浸水するわよ! あ、降りなさい。工事を待つなら十分でしょう?」
「駄目なのですよ。あたいが降りてしばらくすると自爆するのです。解除装置は……壊れているようです、直すのもここじゃ無理なのです」
面倒な機構だが事実だ。こういった面倒な機構は悲劇を招きやすい。外から抑えないとしまらない、という理不尽な故障を引き起こす核シェルターのおかげで、北斗神拳一の天才、柔の拳の使い手が犠牲になったように……
「でも仕方ないのです。あたいの責任なのですから――私の責任だから」
「何を言っているの! 私が逆恨みをして決闘なんて挑んだからこうなったのに!」
「受けたのは私で、壊したのも私。久しぶりの実戦でうっかりしていました。最近はダムもあるんですよね。あーあ。時代遅れの私には、今風の決闘は難しいな、最後の技の名前も言ってなかったし」
イビルアイΣの中に水が満たされていく。その中で、里香は微笑しつつ、言っていた。
「でも、昔聞いたんですよ、『消え去るより燃え尽きた方がいい』って。今ならわかるな。みんな私の事を忘れて、異変も決闘も起きていく。ちょっと寂しかった。戦車を使うのもおかしいって感じだったし。私みたいな普通の人間にはそれじゃ付いて行けないのに。亀に乗ってた巫女が空を飛んでも、私は地を這うだけなのに」
「ま、まだ諦めちゃ駄目よ!」
穣子は必死に種をまき、それを成長させる。その草で堰き止めようとする。豊作をもたらす神の業だが、この有事には力不足だった……
「いいんですよ、もう無駄な事なんです。でも、穣子さん、いや、穣子様。貴方くらいは覚えていて下さい。こんな馬鹿な事をやって、でも最後はみんなを救おうと頑張った戦車むすめがいたことを」
「忘れるわけがないでしょう!」
「よかった。結構、尊敬してたんですよ。私は農薬を作ってて……最初はお金のためだったけど、みんなが飢えないためって思うとやりがいが出てきて。で、あの神様と同じだ。私は人間だけど負けないように頑張ろうって。私の夢――戦車むすめのみるゆめは、貴方が引き継いで下さい、人間の寿命じゃここまでのようです」
異常な早さで蔓が伸びていく……だが、水を止めるにはあまりに遅く、脆い。穣子は目をうるませるしかできない。
「これからは秋の神が見る夢にもなるわ……いや、今までもそうだったわ」
「あと、皆さんにお詫びを……遺産は結構有るんで、お金は心配ないと思います。……水がもう喉まで来ました。お別れですね……ううん、お別れなのです。へんてこな話し方をしていた、へんてこな戦車に乗っていた信者が一人いたこと、時々でもいいから思い出して欲しいのです」
「ええ、ええ……」
「考えてみれば人間の食べ物のために沢山の虫と、レミリアさんを殺してしまったのです。その報いなのですかね」
「そんな事はないわよ……人間が食べるために他者を犠牲にするのは自然の摂理なのよ……」
「そうだといいのです、死んだら天国に行きたいのですから」
それきり、里香の言葉は途絶えた、穣子は、いっそ私も責任を取って身投げしようか、いいや、里香の意志を継がねば、と思いつつ、立ちすくむしかできない。
「待たせたわね!」
その時である。蘇ったレミリアが通常では間に合わない時間で颯爽と現れた。
「里香、とっとと退きなさい」
「そうはいかないのですよ、吸血鬼は流れる水に弱い、貴方には何も出来ないのですから、自分の責任は自分で取ります」
「ふうん。どうしても退かないと? それと、責任ねえ、貴方、言ってみなさいよ、『トリックオアトリート』って」
「トリックオアトリート。それがどうしたのですか? まあ、最後にハロウィン気分で愉快に死ねそうなのです」
「……あら残念。私はお菓子を持ってないのよ、貴方が何かをしでかしても、しょうがないわね。ハロウィンでお菓子を貰えなかったんだから。そしてトリックオアトリート――」
返事も待たず、レミリアは渾身のレミリアストレッチを繰り出した。本来の肉体を取り戻したレミリアの力の前に、イビルアイΣは勢いよく吹き飛んでいった。再び、水が流れ出す。
「私も、お菓子をくれないなら悪戯するだけよ」
そして、レミリアは凄まじい筋力で周囲の大木を抜いては、投げつける。片腕で大木を放り投げるのが吸血鬼、この程度は朝飯前だ。投げつけた大木で即席のダムを造る。
「それに、流れる水には何も出来ないねえ。人間如きがよくもまあ、このレミリア様を見くびってくれたものだわ」
応急処置だが、河童の到来を待つには十分だった。そして――
「ええ、すぐに修理に取りかかります」
駆けつけた河童の一匹が言った。イビルアイΣの中で気絶していた里香も、永遠亭へと運ばれたようだ。事情の説明などで時間を取られ、随分と手間もかかったが、ともあれ一件落着である。
「ありがとう、レミリア。貴方のおかげで水害を防げたわ」
穣子が頭を下げていった。
「別に感謝されることでもないわ。洪水になったら私も困るもの、確かに流れる水は苦手だし。ま、復活の恩があったけど、これで貸し借りもチャラね。ちょうどよかったわ。それじゃ」
レミリアはぶっきらぼうに言って、飛び立って行った。だが、穣子には何処か照れくさそうな表情だったように見えた。
「雨降って地固まる。いや、ダム壊れて人固まるか」
人固まるとはどうも恐ろしい響きに思えたが、今の穣子はそれを気にしないほどに清々しい気分だった。里香と和解した。レミリアもそうだろう、彼女を救ったのだから。
「では私もこれで、修理頑張って下さい」
「あ、穣子さんは残って下さい」
穣子も帰ろうとした、流石に疲れていた。だが、河童に呼び止められた。
「まだ何か?」
「見積もりを出しますので」
「見積もり?」
「ええ、話を聞いている限り貴方の責任のようですし」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
壊したのは里香だ、等々抗弁した。
「そもそも喧嘩をふっかけたのは穣子さんで、ふらわ~戦車まで破壊したそうですが?」
「壊したのはレミリアよ、それに……ほら、トリックオアトリート! お菓子を頂戴!」
「あいにく、お菓子はないですねえ」
「お菓子をくれなきゃこうもなるってわけ。そしてハロウィンだからそれも許されるわよ、レミリアも言ってた。ノーカン! ノーカン!」
「なるほど、一理あります」
それを聞いて、穣子は安堵した。ゴネ得、ゴネ得と思ったのだ、だが、河童は時計を見せながら言った。
「……もう十二時を回ってます。既に十一月ですのでそれは通用しませんね、まあ、神様ですし無茶な請求はしませんよ。ゆとりある千年ローンはどうですか? 立ち話もなんですので、後日また説明にあがりますが――」
見積書に並ぶゼロの山。数え切れないそれに埋まって、穣子は気を失うしかできなかった。
もう好きすぎる。
勝手に尊敬してます押忍!