「つかれた」
「はいはい」
魔法の森。今日になってからその奥に建つ一軒の小さな家の中で何度このやりとりが繰り返されただろうか。もたれかかってくる友人の髪をわしゃわしゃと撫でてやりつつ、アリスはその数を数えるのを放棄した。
長く麗しい金色の瞼を微かに揺らし、形の良い唇からは無色透明の溜め息。
特に生産性もないし、いかんせんキリがないのだ。それにこの友人は妙に勘が鋭いから、他の事を考えるとすぐ見透かされる。見透かされるとどうなるかというと、この友人、実に面倒な事に拗ねるのである。
「アーリースー」
「はいはい、ちゃんと聞いてるわよ」
友人の名は十六夜咲夜。
完全で瀟洒な従者、という名で人妖問わず有名な変わり者の人間。
アリスからしてみれば苦笑ものだ。
変わり者の人間、という部分は否定しない。
だがそれは人里はともかくとしてあのダブル巫女にせよ白黒魔法使いにせよ、広い定義にしてみれば竹林の案内人にせよ、幻想郷に住むような人間は大抵変わり者だ。特に珍しいという事でもない。
しかし、完全で瀟洒とは一体誰が言い出したのか。
確かに勤務中の彼女が瀟洒である事は認めよう。しかし今は瀟洒さの欠片もない。素面の癖に絡み酒の如くアリスにもたれかかる姿から一体どうして瀟洒などという言葉が出てくるだろうか。
完全、という面からしてみると勤務中であれ疑問は残る。案外物忘れや些細な間違いが多いのだ。ただそれをすぐさまカバーする臨機応変さはたいしたものだと思うのだが。
ちなみに、彼女の家族同然である主や教育担当からしてみれば「そこも含めてパーフェクト」という事らしい。
ただの親バカである。
理屈自体は分からないでもないが、こうして自分の家に来た時の友人の姿を見てもなおそう言えるかどうかは甚だ疑問だ。
仕事にミスがない訳ではない。戦闘能力も強大な妖怪の力押しには劣るし、大人びているとはいえ中身もまだまだ子供。
だからこそアリスは率直に思うのだ、十六夜咲夜は決して完全で瀟洒とは言えないと。
「構いなさいよー」
「あんたは私の恋人かなにかなの?」
「構ってくれるならそれでも良いわよもう」
「なにその投げやりな感じ」
けれど、少なくとも彼女は愛される事に関してとても長けている。
きっとそれは無自覚のもので、だがしかし天性のものでもない。
なにせ時折紅魔館に訪れると十分すぎるほどに働く彼女の姿を目にするのだ、それを前提としてみれば、こうして羽を休めている姿には一種の愛おしささえ感じてくる。
なにより、こうして頼られて悪い気はしない。
一緒に生活する家族のような存在だからこそ言える事があって、近すぎるからこそ見せたくない姿もある。
そういう時に人が寄り木とする存在を、疲れたとき互いに気兼ねなくよりかかれる存在を、世の中では親友という言葉で表現する。
見栄っ張りで悪戯好きの友人の弱みを知っているのは、きっと自分くらいだ。秘密を共有しているという事への子供っぽい曖昧な優越感をアリスが感じたとしたってなんら不思議はない。至って普通の感情である。
互いに似通っている部分が多いから、余計にそう思えるのだろう。自分が相手を受け入れ理解する事が出来るという事は、似ている相手も自分を受け入れ理解する事が出来るだろうと、ぼやっとしたニュアンスの中で感じ取ることができるから。
だからこそ、こうして突然やってきた友人を追い返さず家に上げて好きなだけ甘えさせてやれるのだ。
「ふぅー……」
「咲夜。そこで溜め息つかれるとくすぐったいんだけど」
「あ、ごめん」
肩にぐわっと腕が回され、咲夜がアリスに半ば抱きつく体勢になっている。丁度首元の辺りに咲夜の口がきているので、そこで呼吸されると非常にこそばゆい。
こそばゆいが、別に振りほどく気もなかった。
ただ、子供をあやす時とよく似たリズムで背中を叩いてやるだけで。
余計な詮索はしない。聞いてほしい事がある時は互いに自分から喋るし、そうされれば互いの言葉に耳を傾ける。
かといって、無関心でもない。疲れていそうな顔をしていればお茶を飲もうと誘うし、辛そうにしているならば黙って傍にいてやる。
言わなければ分からない事もある。だからこそ、稀にだが激しくぶつかる時もある。
不即不離。それが二人の関係を表すのに最も適しているだろうか。
互いに一歩引いて、そこから手を伸ばして握り合っているような。
この距離が互いに気楽で、心地良い。
「もう一回だけ溜め息ついて良い?」
「せめて方向変えるとかしなさい」
「ここがベストポジションなのよ」
「はいはい。一回だけよ?」
「ありがと。―――ふぅー……」
咲夜の柔らかな吐息が舐めるように首元を這う。アリスは微かに身震いするが、あらかじめ言われていたので一度目の時よりは随分とましだった。
息をつき終わった咲夜の体が僅かに弛緩するのを感じて、やや乱暴にその銀髪を撫でてやる。
「あー……」
「どうしたの?」
アリスに顔は見せないまま。
けれど、笑っているのは雰囲気だけで分かった。
まるで自分で自分に呆れている様な、でも、とても穏やかな。
「なんか分かんないけど、すっごい落ち着く」
「そう。なら良かった」
それだけ言うと、アリスは髪を撫でていた手を下におろし、相手が離れるまで静かにその背を撫でてやった。
無愛想なんだか優しいんだか分からないなと、穏やかな手の感触に目を細めながら咲夜は思った。
甘い訳でもない。特別温度が高い訳でもない。けれど確かに心地良いこの距離、この空間。
音もなく、会話も乏しく、けれどとても近い金と銀。
人は二人を親友と言う。
だが、二人は互いをこう称した。
『なんか、変なやつ』
―――結局のところ、二人は似た者同士なのだ。
粛々とした咲夜とアリス、ごちそうさまでした
どうみても夫婦です、本当に(ry