命蓮寺近郊に響き渡るような悲鳴を上げたのはキャプテン・ムラサこと村紗水蜜で、その原因を作ったのは小さな賢将ナズーリンだ。
村紗はこの世の終わりを見たような、ナズーリンは普段と変わったところは見られない(しかし口の端はひくついている)表情で相対する。朝の洗面所での光景にしてはある種異様とも言える景色であった。
ナズーリンがあごに指を当て、気取ったポーズで村紗を見た。ぶかぶかのパジャマと大人びた表情がなんともミスマッチだ。
そこで芋ジャージ姿の村紗が硬直から解かれた。震える声でゆっくり問う。
「ナズーリン……あんた、今なんて?」
「そう何度も繰り返させないでくれないか」
「いいから。……今なんて言ったの?」
たった今聞いたことを信じられないというように村紗は確認する。聞き間違いであることを期待して。けれどその表情は絶望に満ちており、騒ぎを聞きつけた命蓮寺の他の面々が集まってきたのにも気付かない様子であった。
入道使いと正体不明、そして自分の上司が寝巻きのまま飛び出してきたのを見て、ナズーリンは実に爽やかに言い切った。
「自分は昨夜、白蓮殿と寝たのだよ、と」
「ぎゃ――――――!!」
二度目の絶叫がその場にいた全員の鼓膜を襲った。村紗以外がそろって耳を押さえる。
想定していたナズーリンはいち早く回復し、何食わぬ顔で洗面台へと向かう。その肩を、未だ衝撃に脳を揺らす一輪が力強く掴んだ。詳細をしっかり話さないとぶん殴る、と言葉を介さず言っている。
その浴衣の胸元をふっくらした柔らかいものが押し上げているのを、知らず自分のものと比べてこっそりへこみつつ、ナズーリンはわざとらしく溜息など吐いてみせた。
「なんだい? その反応は。自分は別段、おかしなことを言っていないと思うのだけれど?」
「……そうね。字面だけならおかしくないわ。でもその言葉に含まれた内容によってはあなたの命が危ないのだけれど」
「物騒な。自分は後ろ暗いことなんてしていないというのに……そもそも一人寝が寂しいと言ったのは白蓮殿さ」
いい加減に一輪の眉間にも皺が寄って、瞳に剣呑な光が宿ったところで、ナズーリンは視線を一輪から外した。
その視線の向く先はぬえに揺さぶられながら意味不明なことをひたすら呟いている村紗ではなく、状況にまったくついて行けずに目を白黒させている星――ひらひらとフリルたっぷりなネグリジェは彼女の趣味だ――でもなく。
「ねえ、白蓮殿?」
今まさに星の後ろから顔を見せた、ナイトキャップがおしゃれな聖白蓮その人である。
「一体なんの騒ぎかしら。星?」
「……私には、何が何やら」
「一輪」
「わたしも今来たところなので」
「ぬえ?」
「あたしもよく分かんない」
困ったように首を傾げて、聖。
皆の顔を見回して、にやにやしているナズーリンには訊いても無駄だと悟ったらしい。視線を薄手のシャツとスパッツに身を包んだぬえの隣に移す。
「……ムラサ?」
「聖様……」
ぎぎぎ、と錆びついたような音を出してもおかしくない動きで聖を振り向く村紗。聖は大海原のような笑みでそれを受け入れる。
その笑顔に背中を押された村紗が、意を決した。ナズーリンは楽しげにそれを眺めていた。
「ナズーリンと寝たというのは事実ですきゃ!?」
「ええ、本当ですよ」
「くぁwせdrftgyふじこlp;」
「わー! ムラサが壊れたー!」
狼狽するぬえを見て、ナズーリンは穏やかに口を開く。そろそろ一輪の指に掴まれた肩が砕けそうにすら思えたからだ。
自分からひとつ言うとすれば、と一輪に視線を移して、ナズーリン。
「白蓮殿はとても優しかったよ」
一拍の沈黙のあと、目も当てられない状態になった村紗の代わりに一輪がナズーリンの肩を今度は両手で掴んで揺さぶりにかかる。
がっくんがっくんと頭を揺らすナズーリンには構わず詰問の体勢に。
「いちからちゃんと説明しなさい! 寝たってどういう意味? 優しかったって何!? あ、あああ姐さんになんてことをこのネズミ!!」
「とは、いえ、誘って、きたのは、白蓮、殿、だけれ、ど?」
「な、なんてうらめ……いえ、うらやま……いえ、うらやめましい!!!」
正直者め、とナズーリンが呟いたところで一輪は我に返った。そして今しがた自らが叫んだ内容を思い返して自滅する。
しゃがみ込んだ一輪にナズーリンはなおも言葉を重ねる。その口元にはっきり笑みを刻んで。
「君も白蓮殿に頼んでみたらどうだい?」
「そんな恐れ多いこと、わたしにできるはずがないでしょう……そもそもあんたはどれだけのことをしたか分かっているのかしら」
「さあ、まったく分からないね。先ほども言ったが自分は後ろ暗いことをしていないという自負がある」
一触即発。まさにその言葉のふさわしい空気があった。一輪は険しい表情でナズーリンを睨み、ナズーリンは余裕たっぷりな表情を崩さない。
話についていけなくておろおろする星をなだめてから、聖は状況を把握しようと一輪の肩を軽く撫でてあげる。優しい手のひらの感触に一輪は涙を流した。どんなにこの手を愛おしく思っても、一輪にとってはもうナズーリンへの恨めしさを増長させる材料にすぎないのだ。それが悲しくて一輪は泣いた。
「うう……姐ざああん……」
「あらあら……私が来るまでにつらいことがあったのね。大丈夫よ、一輪」
「明らかに白蓮が原因なような……」
ぬえの素朴な言葉に、それは言わない約束さ、とナズーリンは内心で突っ込んだ。それから頬をぽりぽりと掻いて未だ故障中の船幽霊を見やる。もとはと言えば彼女を少し困らせて遊ぼうと思いついただけなのだ。それがここまでの大事になってしまった。
ふと、ナズーリンの視線が彼女の主に向く。相変わらず事情を把握できていない星ならば、もしかすると上手くオチをつけてくれるかもしれない。
「どうかしたかい、ご主人?」
「あ、ええ、ナズーリン。少々気になることがありまして」
「言ってごらん」
「はい。ナズーリンは聖と寝たのですよね?」
「そうだね」
「それのどこがいけないのでしょう?」
高い位置で小さく傾いた首に、溜め息を吐いたのはぬえで、くわっと歯を剥いたのはやはり一輪だった。ちなみに村紗はまだ回復していない。
いけないに決まっているでしょうが! と半ば悲鳴にも似た叫びを上げる一輪に、星は腰が引けていながらも疑問を解消しようと質問を重ねる。
「い、一緒に寝るくらいで、どうして目鯨を立てるのですか……」
一輪が涙を止め、心の底から驚いたという表情で星を見上げる。――否、それは驚くというよりも、新たな可能性に気付き、『もしかして』と思っている顔だった。ぬえも同様だ。ナズーリンは静かに半歩退いた。
聖が一輪の頭巾をかぶっていない頭を撫でて、星に同意するように頷く。その様子に、だんだんと状況を掴んできたぬえが視線をナズーリンに飛ばしてきた。ナズーリンは滅多に見せないイイ笑顔で応える。
やがて、一輪を慰めていた聖がぱっと顔を輝かせた。
「……一輪も寂しかったのね!」
何がどうしてそうなった、と言う代わりに、ぬえが問う。
「一輪、『も』?」
「ええ。昨夜遅くになんとなく寂しい気分になったから、ちょうど起きていたナズちゃんに一緒に寝てもらったの」
「……つまり、ナズと添い寝したって?」
聖がにっこりとして頷いたときには、ナズーリンはすでに姿を消していた。怒りのこもった錨を食らう前にそそくさと逃げ出していたのだった。
一輪と村紗の怒鳴り声が揃う。遠くで珍しい大笑いが聞こえてきた。
村紗はこの世の終わりを見たような、ナズーリンは普段と変わったところは見られない(しかし口の端はひくついている)表情で相対する。朝の洗面所での光景にしてはある種異様とも言える景色であった。
ナズーリンがあごに指を当て、気取ったポーズで村紗を見た。ぶかぶかのパジャマと大人びた表情がなんともミスマッチだ。
そこで芋ジャージ姿の村紗が硬直から解かれた。震える声でゆっくり問う。
「ナズーリン……あんた、今なんて?」
「そう何度も繰り返させないでくれないか」
「いいから。……今なんて言ったの?」
たった今聞いたことを信じられないというように村紗は確認する。聞き間違いであることを期待して。けれどその表情は絶望に満ちており、騒ぎを聞きつけた命蓮寺の他の面々が集まってきたのにも気付かない様子であった。
入道使いと正体不明、そして自分の上司が寝巻きのまま飛び出してきたのを見て、ナズーリンは実に爽やかに言い切った。
「自分は昨夜、白蓮殿と寝たのだよ、と」
「ぎゃ――――――!!」
二度目の絶叫がその場にいた全員の鼓膜を襲った。村紗以外がそろって耳を押さえる。
想定していたナズーリンはいち早く回復し、何食わぬ顔で洗面台へと向かう。その肩を、未だ衝撃に脳を揺らす一輪が力強く掴んだ。詳細をしっかり話さないとぶん殴る、と言葉を介さず言っている。
その浴衣の胸元をふっくらした柔らかいものが押し上げているのを、知らず自分のものと比べてこっそりへこみつつ、ナズーリンはわざとらしく溜息など吐いてみせた。
「なんだい? その反応は。自分は別段、おかしなことを言っていないと思うのだけれど?」
「……そうね。字面だけならおかしくないわ。でもその言葉に含まれた内容によってはあなたの命が危ないのだけれど」
「物騒な。自分は後ろ暗いことなんてしていないというのに……そもそも一人寝が寂しいと言ったのは白蓮殿さ」
いい加減に一輪の眉間にも皺が寄って、瞳に剣呑な光が宿ったところで、ナズーリンは視線を一輪から外した。
その視線の向く先はぬえに揺さぶられながら意味不明なことをひたすら呟いている村紗ではなく、状況にまったくついて行けずに目を白黒させている星――ひらひらとフリルたっぷりなネグリジェは彼女の趣味だ――でもなく。
「ねえ、白蓮殿?」
今まさに星の後ろから顔を見せた、ナイトキャップがおしゃれな聖白蓮その人である。
「一体なんの騒ぎかしら。星?」
「……私には、何が何やら」
「一輪」
「わたしも今来たところなので」
「ぬえ?」
「あたしもよく分かんない」
困ったように首を傾げて、聖。
皆の顔を見回して、にやにやしているナズーリンには訊いても無駄だと悟ったらしい。視線を薄手のシャツとスパッツに身を包んだぬえの隣に移す。
「……ムラサ?」
「聖様……」
ぎぎぎ、と錆びついたような音を出してもおかしくない動きで聖を振り向く村紗。聖は大海原のような笑みでそれを受け入れる。
その笑顔に背中を押された村紗が、意を決した。ナズーリンは楽しげにそれを眺めていた。
「ナズーリンと寝たというのは事実ですきゃ!?」
「ええ、本当ですよ」
「くぁwせdrftgyふじこlp;」
「わー! ムラサが壊れたー!」
狼狽するぬえを見て、ナズーリンは穏やかに口を開く。そろそろ一輪の指に掴まれた肩が砕けそうにすら思えたからだ。
自分からひとつ言うとすれば、と一輪に視線を移して、ナズーリン。
「白蓮殿はとても優しかったよ」
一拍の沈黙のあと、目も当てられない状態になった村紗の代わりに一輪がナズーリンの肩を今度は両手で掴んで揺さぶりにかかる。
がっくんがっくんと頭を揺らすナズーリンには構わず詰問の体勢に。
「いちからちゃんと説明しなさい! 寝たってどういう意味? 優しかったって何!? あ、あああ姐さんになんてことをこのネズミ!!」
「とは、いえ、誘って、きたのは、白蓮、殿、だけれ、ど?」
「な、なんてうらめ……いえ、うらやま……いえ、うらやめましい!!!」
正直者め、とナズーリンが呟いたところで一輪は我に返った。そして今しがた自らが叫んだ内容を思い返して自滅する。
しゃがみ込んだ一輪にナズーリンはなおも言葉を重ねる。その口元にはっきり笑みを刻んで。
「君も白蓮殿に頼んでみたらどうだい?」
「そんな恐れ多いこと、わたしにできるはずがないでしょう……そもそもあんたはどれだけのことをしたか分かっているのかしら」
「さあ、まったく分からないね。先ほども言ったが自分は後ろ暗いことをしていないという自負がある」
一触即発。まさにその言葉のふさわしい空気があった。一輪は険しい表情でナズーリンを睨み、ナズーリンは余裕たっぷりな表情を崩さない。
話についていけなくておろおろする星をなだめてから、聖は状況を把握しようと一輪の肩を軽く撫でてあげる。優しい手のひらの感触に一輪は涙を流した。どんなにこの手を愛おしく思っても、一輪にとってはもうナズーリンへの恨めしさを増長させる材料にすぎないのだ。それが悲しくて一輪は泣いた。
「うう……姐ざああん……」
「あらあら……私が来るまでにつらいことがあったのね。大丈夫よ、一輪」
「明らかに白蓮が原因なような……」
ぬえの素朴な言葉に、それは言わない約束さ、とナズーリンは内心で突っ込んだ。それから頬をぽりぽりと掻いて未だ故障中の船幽霊を見やる。もとはと言えば彼女を少し困らせて遊ぼうと思いついただけなのだ。それがここまでの大事になってしまった。
ふと、ナズーリンの視線が彼女の主に向く。相変わらず事情を把握できていない星ならば、もしかすると上手くオチをつけてくれるかもしれない。
「どうかしたかい、ご主人?」
「あ、ええ、ナズーリン。少々気になることがありまして」
「言ってごらん」
「はい。ナズーリンは聖と寝たのですよね?」
「そうだね」
「それのどこがいけないのでしょう?」
高い位置で小さく傾いた首に、溜め息を吐いたのはぬえで、くわっと歯を剥いたのはやはり一輪だった。ちなみに村紗はまだ回復していない。
いけないに決まっているでしょうが! と半ば悲鳴にも似た叫びを上げる一輪に、星は腰が引けていながらも疑問を解消しようと質問を重ねる。
「い、一緒に寝るくらいで、どうして目鯨を立てるのですか……」
一輪が涙を止め、心の底から驚いたという表情で星を見上げる。――否、それは驚くというよりも、新たな可能性に気付き、『もしかして』と思っている顔だった。ぬえも同様だ。ナズーリンは静かに半歩退いた。
聖が一輪の頭巾をかぶっていない頭を撫でて、星に同意するように頷く。その様子に、だんだんと状況を掴んできたぬえが視線をナズーリンに飛ばしてきた。ナズーリンは滅多に見せないイイ笑顔で応える。
やがて、一輪を慰めていた聖がぱっと顔を輝かせた。
「……一輪も寂しかったのね!」
何がどうしてそうなった、と言う代わりに、ぬえが問う。
「一輪、『も』?」
「ええ。昨夜遅くになんとなく寂しい気分になったから、ちょうど起きていたナズちゃんに一緒に寝てもらったの」
「……つまり、ナズと添い寝したって?」
聖がにっこりとして頷いたときには、ナズーリンはすでに姿を消していた。怒りのこもった錨を食らう前にそそくさと逃げ出していたのだった。
一輪と村紗の怒鳴り声が揃う。遠くで珍しい大笑いが聞こえてきた。
ここのナズーは度々遊んでそうだなw
このナズは「HAHAHA」って言いそうだ